無題 Name 名無し 18/08/15(水)10:10:22  No.1250807

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沖縄特攻した大和は一般の方にも有名ですが
燃料が無く浮き砲台となり最後を迎えた艦を知っている人ってどのくらいいるんでしょうか?
自分は漠然と高射砲台として利用したんだろうなぁとしか知らなかったのですが
伊勢、日向とも艦は動かないのに艦長は乗艦していて戦死してるんですね
青葉の浮き砲台としての損害がわからなくてモヤモヤします
(すずさんの同級生は生き残っていましたが運がよかったのかどうかがわかりません)
その他の浮き砲台となった艦の戦果、損害、エピソードとかありますか?

無題
Name 名無し 18/08/15(水)10:18:24  No.1250808
「特殊警備艦」でググると出てくると思うよ
艦が動かなくとも組織が残っているのであれば指揮官である艦長や代行がいないと不味いでしょ
減らされるのは航海や保守以外の機関科じゃないかな

無題
Name 名無し 18/08/15(水)12:19:20  No.1250809     
1534303160089
長門の歴代艦長で唯一、戦死したのも
この油なし警備艦時代だ。
そん時の艦橋部被害

無題
Name 名無し 18/08/15(水)17:44:44  No.1250831
>そん時の艦橋部被害
おもっくそ爆弾命中してんのな

無題
Name 名無し 18/08/15(水)18:45:06  No.1250834
この被害がなければ南極に出撃していたかもしれんね。

無題
Name 名無し 18/08/15(水)12:20:42  No.1250810     
1534303242065
呉空襲だと島に擬装してる艦がいて馬鹿にされることが多いけども
真面目に擬装やってた葛城の損害は小さく(といっても何発が爆弾が命中してるが)馬鹿にできない効果があったりする
画像は攻撃が集中する天城と隣の葛城

無題
Name 名無し 18/08/15(水)16:11:46  No.1250822
偽装してないのが有るからそちらに集中するってことも有るんじゃないかな囮として

無題
Name 名無し 18/08/15(水)17:13:33  No.1250825
船の囮を作っても大きいからバレるかなあ?

無題
Name 名無し 18/08/15(水)17:40:33  No.1250828
偽装している=すぐには動きださない
って考えて後回しにする可能性もあるかも

無題
Name 名無し 18/08/15(水)17:43:14  No.1250830
空母「特殊警備艦って俺に何をしろと」

無題
Name 名無し 18/08/15(水)19:43:31  No.1250843      
1534329811558
中国新聞社の「呉空襲記」に、昭和20年7月24日~29日に渡る呉空襲でのIJN艦艇での戦死者数が記載されているんですが、「大淀」210名、「日向」197名、「伊勢」190名、「利根」128名、「榛名」66名、「北上」32名、「葛城」13名、「出雲」3名…とあるものの、何故か「青葉」だけ抜けておりましたり
或は戦闘記録等の不備によるものなのかもしれませんが、呉海軍墓地の「軍艦青葉戦没者慰霊碑」には172名が合祀されているそうですので、この内幾割かが呉での対空戦闘によるもの、という事になりますですなあ

因みに同著から「青葉」最後の戦闘に関する部分を引用させて頂くと

「重巡『青葉』は、『伊勢』の東1.2キロの呉市警固屋沖に係留され、海岸には約3百戸の民家が密集していた」

無題
Name 名無し 18/08/15(水)19:45:07  No.1250844      
1534329907927
「警固屋通7丁目(略)下中岩吉さん=当時町内会長=の話。
『艦の偉い人が来て<青葉がおりゃ恐れることはない。一発主砲を撃ったら、弾の通る道が真空になるけん、飛行機は全部落ちる>と言うんです。<不安だから退いてくれ>と言えん時代でしょう。<そんなもんかいなあ>と思いながら暮らしていました』」

「7月24日(略)『青葉』は午前6時ごろからの第1波から午後4時まで継続的に、午前中40機、午後50機の艦載機攻撃を受け、命中弾1、至近弾1、5機撃墜。25日にもグラマン編隊5機来襲し、28日午前7時から午後4時まで艦載機延べ2百機、B24十機の攻撃で、百キロ爆弾8発、2百キロ爆弾1発、至近弾多数を受けて大破、着底した」

無題
Name 名無し 18/08/15(水)19:46:07  No.1250845     
1534329967288
「石原兼祐元砲術長(当時中佐)の手記(略)
『艦橋上の射撃指揮所で12センチ双眼鏡で敵機を観測していても、次々と海中に落とされる爆弾のしぶきがマストの高さまで立ち上がるので眼鏡では全く敵機を捕えることが出来ないほど空襲は激しかった』

『20センチ主砲が使えなくなってからは、12カ所にあった4連装(※ママ)機銃だけで戦った。これもやられて、1丁しか使えなくなって、その最後の1丁がものすごい射撃をやった』

『戦闘に入ると、主計兵が弾丸運びをすることになっていたが、射撃手がやられてしまったので、この主計兵が最後の射撃をやっていたのだ』」

無題
Name 名無し 18/08/15(水)19:46:41  No.1250846     
1534330001660
「警固屋通8丁目(略)下中ヨシエさんの話。
『空襲の時は、家の前の横穴防空壕に逃げていました。爆弾が落ちるたびに爆風で土煙が立ちこめ真っ暗になるんです。<ごうがつぶれた。もうおしまいじゃ>と何度思ったか知れません。爆撃が終わって外に出てみると、青葉の周りに流れ出た重油に火がついてボーボー燃えているんです』

『その中を兵隊さんが次々に泳いで岸に上がって来ました。ひどいやけどをされているんです』

『その夜は<青葉が爆発するかも知れないので出来るだけ遠くへ避難せよ>というので的場町2丁目の親類へ避難しました(略)空襲の後、家へ帰って見たら、7、8メートル前に爆弾が落ちて2階の屋根が吹っ飛び、娘の晴れ着とセーラー服が電柱にひっかかっていました』」

…との事で、「青葉」の奮闘ぶりと、周囲含めた被害の程が想像できる気がしますですなあ…

無題
Name 名無し 18/08/16(木)04:07:56  No.1250905
防空砲台って響きはいいけど実際はほぼサンドバッグだからなあ
回避行動も出来ず爆弾が降ってくるのを見ているだけとか辛すぎる…

無題
Name 名無し 18/08/16(木)04:30:57  No.1250906
浴びた爆弾の量やサイズ考えても戦艦クラスが着底するような大被害になってるのが気になる
水深浅いのもあって艦底から突き上げられるような痛いのをくらったのか
信濃の最期みたいに引き込んだ電源ケーブルで防水扉閉められないようなミスでもあったか

無題
Name 名無し 18/08/16(木)09:09:41  No.1250918
戦闘要員の代わりも来なくて主計が射撃やってるんじゃ
ダメコンとか望むべくもないんじゃなかろうか

無題
Name 名無し 18/08/16(木)09:30:12  No.1250919     
1534379412991
有名な写真ですが貼っておきますね。

無題
Name 名無し 18/08/16(木)11:18:25  No.1250928     
https://cgi.2chan.net/f/src/1534385905773.jpg
位置と被害

無題
Name 名無し 18/08/16(木)11:19:33  No.1250929     
https://cgi.2chan.net/f/src/1534385973818.gif
ついでに

無題
Name 名無し 18/08/16(木)13:40:11  No.1250939
榛名だっけ?大破着底しても主砲は電源も砲塔も生きてたから
「これ以上沈むことはない」ってなお士気は高かったっていうのは

無題
Name 名無し 18/08/16(木)17:00:39  No.1250948     
1534406439717
レイテ沖海戦の際、第4航空戦隊の戦闘詳報によると航空戦艦「伊勢」はカタパルトへの直撃1発の他、至近弾4発を受けバルジに900トン浸水、ボイラー外側の重油タンクも破られているんだそうで、一説では艦体の傾斜が4~5度に達したそうです
直撃でなくても、案外水中爆発効果というのは馬鹿にならない被害を及ぼすって事なんでしょかね

因みに呉空襲前後の「伊勢」の様子をやはり「呉空襲記」から引用させて頂くと

「『伊勢』が係留されていた安芸郡音戸町坪井の(略)中村和一さんの記憶。
『約500メートル離れた自宅から見た様子ですが、兵隊さんも召集を受けた年寄りが多く、偽装した松の木も枯れたり、落ちたりして初めのうちは<なんのために>と不思議な気がしていました。B29から<松の木が枯れましたよ>とビラがまかれたの覚えています』」

無題
Name 名無し 18/08/16(木)17:01:06  No.1250949     
1534406466411
「『伊勢』が最初の攻撃を受けたのは24日午前6時16分ごろ(略)高山訓昌さんの話。
『伊勢がやられているというので山を越えて、すぐ近くの墓地の陰から見ていました(略)敵機は南から坪井の山を超低空で飛び越えて攻撃し、呉の警固屋方向へ旋回して抜けました。伊勢は高角砲や機銃を猛烈に撃ち上げ、空が見えんほど弾幕を張り、防戦していました」

「グラマンが1機、火だるまになって落ちるのをはっきり見ました。そのうち艦橋が吹っ飛び、流出した油に火がついて、火の海の中に伊勢がいるようでした』」

「(※『伊勢』)砲塔長だった(略)加島静信さん(略)の手記。
『最初に直撃弾が落ちたのは、私のいた(略)砲塔でした。』」

無題
Name 名無し 18/08/16(木)17:01:49  No.1250950     
1534406509347
「『砲塔内で指揮をとっていたところ、照準口が直撃を受け、炎と爆風で兵1人戦死、15、6人いた全員が重軽傷を負い(略)私も後頭部をやられたうえ左顔面にやけどをし、しばらく倒れていました。砲塔の下に弾庫があり、爆発の危険があるときは海水を注入して自爆を防ぎ、その処理を艦長に報告する任務がありましたので、注水後、伝令を出したが爆風で足をやられ、艦橋を上ることが出来ませんでした。このため私が代わりに報告にいきました』

『惨たんたる格好でしたが、牟田口格郎艦長(大佐)は処置をたいへん喜ばれました。その艦長も第2波の攻撃で艦橋にうけた直撃弾のため戦死され、報告が最後の見納めになりました』」

…との事
また、「日本空母戦史(図書出版社)」によれば、最期の戦闘での「伊勢」の被害状況は

「4発の直撃弾はつぎの場所に命中した」

無題
Name 名無し 18/08/16(木)17:02:25  No.1250951     
1534406545496
1、第3砲塔の屋根(略)
2、右舷艦首中甲板
3、後檣構造物付近
4、中部士官便所

ところが午後12時、ふたたび空母機30機の来襲を受けて艦橋に被弾、艦長以下を即死させた(略)第1砲塔下の弾薬子に浸水、前部変圧機室も浸水した(略)沈没の恐れがあったので(略)船体を軽くし、乾ドックまで曳航しようとした。だが至近弾による浸水のため、4日後、とうとう沈没、着底してしまった」

…とあるんですが、前述加島氏の証言等によると、28日までには必死の排水作業で艦体は水平に復旧していたものの,

「28日午前7時ごろでした。いかりを揚げて、引き船の準備を済ませたとき2度目の空襲になりました」

無題
Name 名無し 18/08/16(木)17:02:57  No.1250952      
1534406577190
「私は残っている4番砲塔で4発撃ったが(略)当たりません。艦載機は勇敢で、艦橋すれすれに降りて来て爆弾を投下、機銃掃射をしていた。甲板に戦友の死体がごろごろ転がり、肉片があっちこっちに飛び散って悲惨な状況でした。艦体も小型爆弾でボコボコ穴だらけになり遂にかく座しました」

…との事で、この証言からすると一応弾薬庫注水、排水作業と言った「ダメコン」自体はそれなりに行われていたものの、最期は無数の傷口からの「失血死」に近い形で沈んだ…という事になるんでしょかね…?

無題
Name 名無し 18/08/17(金)03:03:09  No.1250995
小沢艦隊の時は神回避&効果的な対空砲火で生き残れたのにな・・・

これだと日向の方も酷いことになってそう

無題
Name 名無し 18/08/17(金)06:50:29  No.1251003
>B29から<松の木が枯れましたよ>とビラがまかれたの覚えています

この意図はなに?
航空偵察じゃわからない情報だからスパイがいて
お前らのやる事はまるっとお見通しだ
だから降伏してって事?

アメリカも随分遠回りな内容のビラを配るのに命かけてるね

無題
Name 名無し 18/08/17(金)07:16:13  No.1251009
>航空偵察じゃわからない

というかそもそも空母はまだしも、艦橋や砲塔のデカい戦艦や巡洋艦は
いるのバレバレだったんじゃないかなあ…

無題
Name 名無し 18/08/17(金)07:58:07  No.1251014
>アメリカも随分遠回りな内容のビラを配るのに命かけてるね
このエピソードかなり有名なんだけど
海軍の総本山にこんなビラまかれたらどう思うか考えてみたか?

無題
Name 名無し 18/08/17(金)07:42:22  No.1251012      
1534459342132
>これだと日向の方も酷いことになってそう


きれいに着底してます
至近弾の衝撃でリベット接合部が緩んで
漏水するのは実に厄介。

無題
Name 名無し 18/08/17(金)18:16:35  No.1251050      
https://cgi.2chan.net/f/src/1534497395837.jpg
「神経戦」と書いて「イヤガラセ」と読むのは軍事上の常識です(嘘

因みに「日向」の方は、7月の呉空襲に先立つ3月19日の空襲の際に既に命中弾1、至近弾多数により37人戦死、52人重傷の被害を受け、その後は離れ小島である情島の北海岸に係留されていたそうなんですが

「7月24日の朝、島の主婦沖本照子さんは(略)しょうゆの配給を受け取りに小船で島を出た。
『7時ごろでしたか、島の波止を出て日向のそばを通りかかったら艦から兵隊さんが<敵機2機が偵察に来たからもうすぐ空襲があるぞ、はよう帰れ>と大声で叫びました。びっくりして波止へ引き返し浜に上がったとき敵機がバリバリと機銃掃射をして来ました』」

「呉市(略)見世摂夫さんの話。
『(略)日向は第1波の攻撃のときは猛烈に高角砲や機銃を撃って、大入の民家にはバーンバーンと至る所に破片が落ちて来ました。2、3機が海に落ちるのをはっきり見ました』」

無題
Name 名無し 18/08/17(金)18:18:24  No.1251051     
1534497504153
「『2波、3波と攻撃が続き、爆弾が命中するたびに艦からの射撃音はだんだん小さくなりました。爆弾が落ちると、日向の姿は水煙でしょうか、雲に包まれたようになって見えなくなるんです。
<もう沈んだ>と見ている私たちは涙がこぼれて、女の人たちは抱き合って泣きました。2、3分たつと、ボーと艦影が見えて来たときはうれしくて、みんな<ワァ、見えた>と跳び上がって喜びました』」

…そうです
ただし、「命中弾10発、至近弾多数」を受けた「日向」の艦上は酸鼻を極めていたそうで

「(※『日向』)第6分隊第1機銃群班長で、羅針艦橋前、司令塔上の銃座(25ミリ高角機銃3連装計
9門)から応戦した(略)黒永忠さん(略)の話。」

無題
Name 名無し 18/08/17(金)18:19:11  No.1251052     
1534497551823
「『艦載機は、300キロ爆弾のほかにロケット散弾を持っていました。50メートルくらいの上空で鋭い金属的な音を出してサク裂し、無数の散弾が広範囲に四散するのです。ロケット弾がサク裂するたびに戦闘員の死傷が急激に増えました』

『草川淳艦長が戦死されたのは、1波のちょうど十機目だったと思います。この艦載機が落とした爆弾が前甲板の機銃群の上をかすめて戦闘艦橋に命中しました。サク裂した破片で艦長が倒れました。阿戸から聞きましたが、艦長の全身から血が噴き出て、<水をくれ、水を、副官涼しい所へ、おれを出してくれ、副…>と言い終わらないうちに息が絶えられました』

『第1波約百機の40分にわたる攻撃の後、午前11時に第2波60機余りが来ました。攻撃は第1波よりもひどく、防空指揮所は強烈な爆風が吹き込んだため全員戦死しました。艦橋の各層で応戦していた機銃座の戦闘員も次々にやられました』

無題
Name 名無し 18/08/17(金)18:21:08  No.1251053      
1534497668570
『第2波攻撃は30分間くらいで終わって午後3時に3波約百機が来襲しました(略)艦首に命中して、へさきの<菊のご紋章>が粉々に吹っ飛んだのもこの時でした。』

『4番高角砲側の応急弾薬庫が直撃を受け、百数十発の砲弾が大音響とともに爆発し、真っ赤な火柱が艦橋を包んで燃え上がった光景は、今も夢に見てうなされます』

『艦橋の各層にある甲板の上で負傷者が火だるまになって、のたうち回っているんです。苦しまぎれに3、40メートル下の海に飛び込もうとして、途中の甲板や防潜網の上に頭を打ちつけて死ぬ者が続出しました。私たちは<ここへ向かって飛び降りろ>と胸をたたいて叫びました。自分の胸を救助マットにしたのでした』」

無題
Name 名無し 18/08/17(金)18:21:55  No.1251054      
1534497715906
「『空襲の後、重傷者は呉海軍病院へ、軽傷者は賀茂病院へ運ばれました。私は軽傷者輸送責任者で約3百人をトラック6台に分乗させ賀茂病院へ連れて行きました。私もピンセットで弾片を引き抜いてもらい、27日に日向へ帰艦しました』」

…そうなんですが、米艦上機の来襲は翌28日にも行われ

「『艦には戦闘要員だけ残っていて(※この時点で既に『日向』は着底状態)、大部分は情島に上がって退避していました。残った機銃で4、5回応戦したとき<もう撃つな、撃てば撃つほど犠牲が大きくなる>と命令が出て(※『日向』副長より)、最後は、敵機のなすがままにまかせて耐えていました』」

…そうです

無題
Name 名無し 18/08/17(金)18:43:53  No.1251056     
https://cgi.2chan.net/f/src/1534499033029.jpg
因みに、同艦の水兵長だった大皿俊治さんによると、11時半ごろ、呉海軍病院から白衣の看護婦さんたちが3隻の曳船で駆けつけ、日向の負傷者を収容されているんですとか

空襲の間隙を縫って行われたこの決死の救出行で、命を救われた負傷者さんの数は少なからぬ数に上ると思われるんですが、この戦闘での戦死者197名を除いた重軽傷者約600名、その他なんとか無事に退艦できた「日向」乗組員さん達の中に、島の住民さんに「はようかえれ!」と呼びかけたやさしい水兵さんは含まれていたんでしょうかねえ…

無題
Name 名無し 18/08/17(金)22:36:32  No.1251084      
https://cgi.2chan.net/f/src/1534512992128.jpg
>1250809

で取り上げた横須賀の長門も偽装を前提として煙突とマストを切り取るという涙ぐましい努力を・・・
1250809の画像は羅針艦橋直下に被弾しているが当時の艦長は運悪くこの羅針艦橋で戦闘指揮を執ってて戦死。しかし後方の海図台に居た士官は生存してたり、運命というのはそんなものかなと考えさせられた。

後日談だが米軍の接収時に
「この大艦に小銃が三丁しかない訳ない」と怒られたり
その一方で艦内倉庫に山積みされた酒に驚かれたり
いろいろあったようで。

無題
Name 名無し 18/08/18(土)10:47:46  No.1251123
>「この大艦に小銃が三丁しかない訳ない」
>その一方で艦内倉庫に山積みされた酒

戦後の混乱を端的に表してるようで面白い

無題
Name 名無し 18/08/18(土)13:08:48  No.1251131
>1250809
>で取り上げた横須賀の長門も偽装を前提として
煙突とマストを切り取るという涙ぐましい努力を・・・


阿川弘之さんの「軍艦長門の生涯」によると横須賀港内に停泊している艦の偽装を松の枝などで行い、その後上空から確認したら偽装の意味がほとんどなかったなんて記述がありますから煽るという事ではないでしょう。

無題
Name 名無し 18/08/18(土)16:15:02  No.1251147
長門他が浮き砲台化した頃だと艦内備え付けの小銃すら保安上の最低限以外は陸上部隊に回したい状況だったろうし

無題
Name 名無し 18/08/17(金)23:22:43  No.1251085
えっと
背景に写っている建物で、現存しているものがあったりしないか、とかグーグルマップで見たけど判んなかった

無題
Name 名無し 18/08/18(土)18:56:58  No.1251169      
https://cgi.2chan.net/f/src/1534586218130.png
>背景に写っている建物で、現存しているものがあったりしないか

戦艦「榛名」が江田島小用で至近弾の巨大な水柱に囲まれている有名な写真で、画面左の陸上斜面に3列に規則正しく並んだ宿舎群が写っておりますけれども、現在の小用をググル=センセイでも見るとこの跡地がそのまま住宅地になっているのが分かります
勿論、建物自体は当時の物ではないんですが、いつか呉に行くことがあったら、ココは是非訪れてみたいと個人的には思っておりましたり…w

因みに「榛名」艦長だった吉村真武艦長さんのによれば、当時の「榛名」は

「燃料もなく、カマがたけないので、訓練をするためにも陸上から電力の配給を受けなければならぬ(略)電線を艦のすぐそばまで引っ張って、わずかばかりの役に立てるというありさま」

Name 名無し 18/08/18(土)19:02:00  No.1251170
昔の航空写真では狭小な山の斜面でも段々畑が発達してるのを見ることが多い

無題
Name 名無し 18/08/18(土)23:08:21  No.1251196
>背景に写っている建物で、現存しているものがあったりしないか
>戦艦「榛名」が江田島小用で至近弾の巨大な水柱に囲まれている有名な写真で、画面左の陸上斜面に3列に規則正しく並んだ宿舎群が写っておりますけれども、
以前にココの住宅地は海軍士官専用というのを見たような気がする

無題
Name 名無し 18/08/18(土)19:06:57  No.1251172     
1534586817221
「15サンチ副砲は全部本土決戦にそなえて取りはずされ(略)140挺もあった機銃は、わずか40挺も残らないというみじめなありさま(※後20挺は追加があったそう)主砲は二コ砲塔分の兵員だけで(略)乗員にしても、海兵出の俊敏な士官はほとんど特攻隊に出て、あとは病人か、国民兵の老人が殆どというのが、そのころの『榛名』の状態だったのである」

…そうなんですが、7月28日の空襲では命中弾13発を受けており

「敵機はかたまって江田島の古鷹山をかすめて襲いかかる(略)付近一帯はたちまち砲煙と爆煙と水柱に埋まる。風は微風。煙は吹き払われないまま立ちこめて射撃が非常にむずかしい」

「ついに檣楼上の十メートル測距儀が飛ばされ、対空見張員はほとんど戦死または負傷し、苦戦極まる。砲術長も負傷した」

無題
Name 名無し 18/08/18(土)19:08:33  No.1251173      
1534586913732
…ものの、

「午後の対空戦闘。大型機50機、艦首方向から連続波状攻撃をして来た。それまでの敵の命中精度から考えて、いよいよ榛名もこれが最後かと観念した。ところが2番砲塔から撃った主砲の3式弾が見事敵大型機編隊の1番機に命中した。そのため前方隊の弾着は全部遠く榛名を超えて海に落ち、後から来た編隊は全弾を陸上に落として避退した」

「午前中使っていた1番砲塔は弾丸を使い果たしたので午後は全員が2番砲塔に集まり、方位盤が破壊されていたので中島才次郎砲台長(大尉)が腰ダメで撃った1発が敵の指揮官機に命中したのだ」

…そうです

実際、この戦闘では沖縄基地能力第494爆撃群所属の2機のB-24が撃墜されており、中島才次郎砲台長さんのワザマエの程が確認されているんですが、脱出して捕虜になったB-24 搭乗員の大部分が、後に広島で被爆死した…なんてちょっと気の毒な”後日談”もあったりするんですとか

無題
Name 名無し 18/08/18(土)19:10:35  No.1251174     
1534587035574
余談ですが、この戦闘で負傷された椋田実砲術長(大佐・副長兼務)の長男正和さんは当時呉1中の3年生で、動員先の天応町の軍需工場から、まさに父親のフネが集中攻撃を受けるのを見ていたんだそうで

「敵の編隊からスーと糸を引くように榛名めがけて爆弾が落ちるんです。<ア、アッ>と思う間に水柱や水煙が立ちこめて榛名が見えなくなり、<もうだめだ>と何度か、こぶしを握りしめました」

「空襲の後、何日も父は帰らず、艦からも便りはありません(略)終戦間際に帰宅して来ました。背中に破片を受けて自宅近くの海軍病院に入院していたそうです」

…という、「この世界の片隅で」で見たような経験があったそうなんですが、いかにも遂に銃後というか、多くの方々の故郷そのものが戦場になりつつあった末期らしい話ではありますですなあ

無題
Name 名無し 18/08/18(土)21:35:15  No.1251185
真珠湾でもそうでしたが航空機が同じ経路で反復攻撃すると対空砲に撃墜される可能性が飛躍的に高くなるようで

無題
Name 名無し 18/08/19(日)13:11:19  No.1251230     
1534651879928
航空機からのビラ(伝単)撒き自体は古今東西ポピュラーな戦術であって、日本含めて大抵の国が当時は大いに実施していたんですとか

例えばWW1の時、戦争終盤の6ヵ月にエゲレス軍が飛行機及び気球で投下した伝単は1830万枚にのぼったそうなんですが、日本でも「大東亜戦争」開幕前からの支那事変関連だけで、7・80種類、累計数百万枚に及ぶ伝単が作られ、配布されているんだそうで

支那派遣軍指揮下の報道部で、「伝単」政策に携わった那須良輔という漫画家さんによると、3~4色刷りのカラー伝単を1回5千枚ほど刷っては、奥地爆撃に向かう海軍の陸攻隊に頼んで撒いてきて貰ったそうなんですが、航空隊側では上手く投下しないとアンテナに引っかかるこの作業を非常に迷惑がっていて、毎回交渉が大変であったそうです

無題
Name 名無し 18/08/19(日)13:13:36  No.1251231     
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一方こちらは「大東亜戦争」開幕の当日、ハワイ上空に殺到したIJN攻撃隊の内、空母「加賀」塔載機から撒かれた伝単なんだそうで

絵柄は(日本の)爆弾でアメちゃんの籠マストの米戦艦に航空母艦が破壊されているもので、添えられた文章は英語が”You damned! Go to the devil!”日本語で「聞け!断末魔の聲 馬鹿共目を醒ませ」というもので、「松の木が枯れてますよ?」よりだいぶ分かりやすいというかダイレクトな表現というか煽り成分120%な感じなんですが(棒)

きっと攻撃隊の爆弾と魚雷で米艦隊を(物理的に)炎上させるついでに、米軍兵士の精神も炎上させようってつもりだったんじゃn(

無題
Name 名無し 18/08/19(日)13:17:06  No.1251232      
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ともあれ、伝単の目的は敵の士気喪失、精神攪乱を目的とするものですから、内容は多種多様というか、思いつく限りのイヤガラセ…もといアイデアは試されていて、当然出来不出来の差も大きかったりするんですが、結果として似たような事を敵味方双方でやっていたりもしましたり

例えば、画像左は戦争初期、日本軍に包囲されたフィリピンの米軍に対して撒かれた日本軍の伝単で、内容は一目瞭然、

「君たちの補給線は日本のヒコーキと潜水艦で完全に遮断されているぞ!」

一方右は戦争末期、既にフィリピンが奪還された時期に米軍側が撒いたビラで

「ジャパーンヘノ南方補給ラインハ我ガ軍ノ航空機ニヨリバッチリ切断サレテイマースッ!」

…と、よく似た構図で同じような内容を(ただし相手は反対にして)呼びかけております

無題
Name 名無し 18/08/19(日)13:18:05  No.1251233      
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またこちらはやはり緒戦で包囲された連合軍兵士に対する伝単で、フルカラーのフレッシュなサラダのイラストに

「こんなサラダはどうですか?食事を変えたかったら、貴方の考えを変えればいい」

…という電〇か博●堂のCM広告めいたコピーが付けられています

要は餓死したくなかったらとっとと降伏しろ!との意なんですが、ここでズバリ降伏しなさい!
と直接訴えるよりは、こういう風に思わせぶりに匂わせるだけの方が、兵隊サンの自尊心を刺戟しないというか、反発されにくいという意味では心理学的には優れている、なんて面もあるんだそうで

無題
Name 名無し 18/08/19(日)13:20:10  No.1251234      
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一方、戦争末期のビルマ戦線で従軍されていた渡辺民衛さんという軍医さんが、当時連合軍が撒いたある伝単の話を書き残されておるんですが、日本の兵隊サンの反応はと言いますと

「カラー印刷で(略)天ぷら、寿司のまぐろ、いか、海苔巻きなどが印刷されており(略)
『畜生、馬鹿にしやがって』
『おい、この鮨は旨そうだな』
『敵は俺達のすきっ腹を知っているんだな』」
(略)
などと会話を交わしたものの、体力の消耗が激しく話は次第に途切れ、ついには思わずその食物の印刷された伝単を破って口に入れてしまったそうなんですが
「美味しく羊の心がわかるようだ」

…との事
日本人のDNAレベルで刻み込まれたスシとテンプラへの欲求に訴えるという、非常にヒキョウな内容であったみたいですねえ

無題
Name 名無し 18/08/19(日)13:22:36  No.1251235     
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こうした伝単作戦は、日本本土への空襲でも当然継続されているんですが、例えば1945年、マリアナの米第20航空軍が計画した「リーフレット心理作戦(Leaflet Psychological Warfare)」は、地方の中小都市を対象に、空襲を予告するビラ撒きと、予告後の爆撃実施を組み合わせたものであったんだそうで

用意されたビラは縦14センチ×横21センチほど、おおよそA5判の大きさで、M26爆弾を利用したケースに1発あたり1万枚が詰め込まれ、一回の予告/爆撃セットごとに66万枚が印刷され、爆撃実施に先立って「目標候補」の各中小都市に夜間ばら撒かれたんですとか

従って計3セット行われた「リーフレット心理作戦」でばら撒かれたビラは合計198万枚、また空襲を予告された32都市のうち、実際に焼かれたのは14カ所であったそうなんですが、45年7月末から8月6日、ちょうど呉で最後のIJN艦隊が壊滅していた頃に前後して行われたこの作戦で失われたB-29は事故による3機のみ、日本側の攻撃で失われたものは1機も無かったそうです

無題
Name 名無し 18/08/19(日)13:49:33  No.1251237      
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余談ですが、「この世界の片隅に」でも劇中米軍が撒いた伝単が出てきますけれども、1945年3月10日、日本の内務省が制定した「敵の文書図画等の届出等に関する件」によれば、伝単を発見した者は警察若しくは憲兵隊に届け出る義務を課し、違反者に対しては3ヶ月以下の懲役もしくは拘留、または100円以下の罰金科料が定められているんだそうで

従って拾った伝単を便所の落とし紙にしているのがしかる所にバレたら、呉軍港を山の上からスケッチしていた所じゃないやばたにえんな事になった筈なんですが、動じず淡々とと伝単をもみ続けるすず=サンの姿は、ある意味嫁いできたばかりの新妻から、一家を支える主婦に成長した姿を演出していると言えなくもな…(

無題
Name 名無し 18/08/19(日)17:18:29  No.1251247
飯は人間の本能に直結するものだからね


でも正直飢え死にしそうな相手に食べものネタで攻めるとかやはりアメリカ人は飽食のお国柄っぽい性格の悪さだなあ

(日本側のビラから目を背けながら)

無題
Name 名無し 18/08/19(日)18:29:59  No.1251254 
呉空襲はわざと海軍が戦後艦艇を摂取されずに沈ませたようにも感じる
もちろん油がないのも重々承知の上だけど

無題
Name 名無し 18/08/19(日)23:25:15  No.1251272
こういうビラは、ガリ版印刷なのかな?
アメリカ側がわざわざ日本語の活字を用意して印刷したのであれば、それはすごい。

無題
Name 名無し 18/08/20(月)00:27:49  No.1251274      
1534692469345
>アメリカ側がわざわざ日本語の活字を用意して印刷したのであれば、それはすごい。

「リーフレット心理作戦」の場合ですと、アメちゃんが英文で起草した原文を、サイパンにいた日本人捕虜3人を使って日本文に訳させ、都市名とともに毛筆書きに仕立てさせたんですとか

その後、完成した毛筆書き原稿を、戦時情報局が写真に撮って陰画から陽画に反転、サイパンに備え付けの高速印刷機3台で印刷したそうです

アメちゃんの場合、戦前の日本滞在者や亡命日本人に戦時捕虜、日系人などからこまめに情報収集を行ない、その内容を反映してより効果的な伝単政策に努めているんですが、矢張り中には日本文化を変に誤解して作られたようなモノもたまに混じっておりましたり…w

無題
Name 名無し 18/08/20(月)00:29:03  No.1251276      
https://cgi.2chan.net/f/src/1534692543364.jpg
>性格の悪さ

7月28日の空襲後、”ブル”ハルゼー=サンなんかは戦果報告を聞くと

「帝国海軍連合艦隊司令長官は、旗艦『大淀』の長官室に潜水服を着て入ることになろうよ」

…とあまり出来の良くないアメリカン・ジョークを飛ばして御満悦だったそうです
たしかにコレはちょっと性格悪いかも(´・ω・`)
実際はまあ既にGF司令部は陸上の地下壕内に移り、「大淀」も連合艦隊旗艦ではなくなっていたわけなんですが、その「大淀」の田口正一艦長によると

「爆弾は見えるのだが行動力を失っているので防ぎようがない(略)艦内の火災は猛威を振るい、艦橋付近まで炎上してきた。そのころ村の勇敢な男女が漁船を消防艇に仕立て、手押しポンプをもって救援に来てくれた」

…そうです(24日)

無題
Name 名無し 18/08/20(月)00:30:02  No.1251277      
1534692602737
ただしわずか1台の手押しポンプでは文字通り火災には焼け石に水であり、やがて「大淀」の爆発に巻き込まれることを危惧した田口艦長の指示で消火活動は打ち切られるんですが、

「ただ死傷者の運搬に力をつくしてくれたので(略)水びたしになる寸前、かろうじて陸岸に移すことができたのは、まことに感激のきわみであった(田口艦長)」

…そうでして、

「婦人会よりは日没後、握り飯の炊き出しがあったりして、やっと朝食いらいの腹の虫をなだめることができた」

…という、これら地元住民の暖かい支援を得て、一時は火災の消火と傾斜復元に成功しているんですとか

無題
Name 名無し 18/08/20(月)00:31:05  No.1251278     
1534692665422
もっとも、結局「大淀」は続く28日の空襲でトドメをさされ転覆・擱座、多数の戦死者を陸上で荼毘に付すのに3日間を要した…という悲壮な最期を迎えるんですが、その後、海上に無残な姿を晒す「大淀」から、毎日黎明時、ラッパの音、号令のような叫び声、甲板を踏む足音が聞こえてきたものの、一周忌の際、村の有志の手で「軍艦大淀戦死者の碑」が建立されて以降、聞こえなくなった…なんて話も伝えられているそうです

また、昭和21年より、呉軍港周辺に沈む各艦の引揚げ・解体作業が始まるんですが、元海軍技師でこの作業に従事された西時男さんの回想するところによれば

「戦時中、豊後水道で水深百メートルの海底に沈んだ潜水艦を引き揚げた経験があったので、救難解体課発足と同時に大阪の就職先から呼び戻されました」

無題
Name 名無し 18/08/20(月)00:31:30  No.1251279     
1534692690052
「今も忘れられないのは江田島湾の飛渡瀬沖に横転沈没した軽巡大淀の引き揚げです。他の艦は重量を軽くするため、上部構造物を全部取り払って浮上させましたが大淀は最後の連合艦隊旗艦だったのです」

「大淀班のチーフだった北村源三氏の発意で<せめて完全な姿のまま母港に送ろうじゃないか>と上部構造を取らずに引き揚げることになりました」

「5千トン余りの巨艦のうえ、水が入っていますから1万トン近い重量物です。<うーん>と思わずうなりましたが、私たちも哀れな姿を呉に持って帰りたくない気持ちでいっぱいでした」

無題
Name 名無し 18/08/20(月)00:31:47  No.1251280      
1534692707061
「失敗は許されません。綿密に計算し20台のウインチで一気に引き起こしました。艦橋から海水が滝しぶきのように落下し、生き返ったようにマストも大砲も姿を現しました。海軍で生きて来た私たちは感無量の光景でした。昔の姿のまま呉工廠ドックへ引航されたのは大淀だけでした」

…そうです

戦中幾度の海戦を経て、時にGF旗艦の名誉を担い、戦局の悪化する中最後まで生き残っていたものの、僚艦と一緒に身動きの取れない所を沈められた「大淀」とその乗員さん達にとって、その最期にこうした厚意が寄せられていたのは、せめてもの幸いだったんじゃあないでしょかねえ

無題
Name 名無し 18/08/20(月)18:42:09  No.1251313
大淀と天城みたいな横転した艦は戦後の引き揚げ作業で特に苦労したって話を聞くねえ

無題
Name 名無し 18/08/20(月)20:28:57  No.1251314      
1534764537491
水平やせいぜい傾斜くらいに姿勢を保ってないと
装甲板や機関みたいな重量物支えられなくなって構造が崩壊しはじめるんで
サルベージ難度や全損扱い率が上がってしまう

引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1250807.htm

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