無題 Name 名無し 18/07/30(月)22:49:03 No.1249291
陸軍戦闘機について語ってみませんか?
活躍やカラーリングも地味ながら要所要所で活躍している陸軍機は海軍戦闘機よりも好きかもしれません
陸軍戦闘機隊の攻防―青春を懸けて戦った精鋭たちの空戦記 (光人社NF文庫)
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無題 Name 名無し 18/07/31(火)10:42:47 No.1249325
陸軍機のカラーリングが地味ってどこの国の陸軍機の話だろう…
無題 Name 名無し 18/07/31(火)11:22:20 No.1249330
http://cgi.2chan.net/f/src/1533003740557.jpg
陸軍機のカラーリングと言えば代表的なのが雲形迷彩。
私が初めて作ったレシプロ機のプラモは二式複戦「屠龍」だったんだけど、エアーブラシなんて高級な道具は持ってなかったので、刷毛だけでそれっぽく塗装するのは子供の私にとっては大変だったな。
無題 Name 名無し 18/07/31(火)21:27:19 No.1249357
>エアーブラシなんて高級な道具は持ってなかったので、刷毛だけでそれっぽく塗装するのは子供の私にとっては大変だったな。
念
プラモの作り方とか読んで切った筆に塗料少しで叩く方法とか
見つけてくるんだよねー
無題 Name 名無し 18/08/01(水)10:09:35 No.1249382
>刷毛だけでそれっぽく塗装するのは子供の
>私にとっては大変だったな。
実際はこんなのもあったみたいよ。
無題 Name 名無し 18/08/01(水)15:24:20 No.1249395
>実際はこんなのもあったみたいよ。
これはブラシで雑に吹いたように見えるけど
なんというかもうすこしきちんと塗ろうよって感じがしますね
無題 Name 名無し 18/08/01(水)10:12:47 No.1249383
戦争初期の頃は刷毛を使ってたが、末期には物資不足から布に直接塗料を付けて塗ってた所もあったそうです。
無題 Name 名無し 18/07/31(火)22:56:42 No.1249362
>カラーリングも地味ながら
地味・・・
無題 Name 名無し 18/07/31(火)23:55:46 No.1249365
マーキングというか戦隊マークの意匠は
70年代までの空自の飛行隊マークに受け継がれている感じがしますねー
無題 Name 名無し 18/07/31(火)21:11:55 No.1249353
戦闘機ではないので厳密にはスレ違いご容赦
亡父の操縦していた一〇〇式重爆は灰白色地に濃緑の斜め虎縞だったとのこと
駐留地はジャワ島カリヂャチ、原隊は浜松でした
無題 Name 名無し 18/08/01(水)16:03:22 No.1249397
http://cgi.2chan.net/f/src/1533107002737.jpg
>亡父の操縦していた一〇〇式重爆は灰白色地に濃緑の斜め虎縞だったとのこと
こう言うタイプですかな
無題 Name 名無し 18/08/01(水)16:55:51 No.1249400
でっかい日の丸を描いてある限りは視認性の点では変わりなかったと思うのだが、どうなのその辺?
無題 Name 名無し 18/08/01(水)20:53:19 No.1249414
http://cgi.2chan.net/f/src/1533124399036.jpg
>ジャワ島カリヂャチ
日本陸軍少年飛行兵第15期生で、ジャワ島のカリヂャチ飛行場に展開する第116教育飛行隊に配属された方の手記があるんですけれども、戦艦「榛名」に便乗してシンガポールまで進出した所に迎えに来たのが
「赤トンボしか見慣れていない我々には、こんなドでかいのが空を飛ぶのか半信半疑である」
同隊所属の百重(呑龍)だったそうですw
カリジャチ飛行場の様子はというと、宿舎の壁や天井にペッタリへばり付いて奇声を挙げる黒いヤモリがウジャウジャ、場外のパイナップル畑に不時着した僚機の救援に行けばがサソリがウヨウヨしていて逆に不時着機の乗員さん達に注意される…とか、なかなかエキゾチックというか野趣溢れる場所だったとか書いてありましたですなあ
無題 Name 名無し 18/08/01(水)20:54:01 No.1249415
http://cgi.2chan.net/f/src/1533124441346.jpg
この方は終戦後、白色に緑十字に塗り替えられた双練を乗機に、オランダ軍や時には日本軍側の様々な要務飛行でインドネシア中を飛び回っておられるんですが、ある時既に大分活発になってきたインドネシア独立運動が、特に激しかったマラン地方の飛行場に着陸した時のこと、
「格納庫の前に、日本軍の飛行機が数機種置いてあった(略)並べてあるだけでペラを回す事もないということだった。その中の『隼』一機だけは毎日離陸滑走をしているとかで、我々が待機している間中もやっていた。離陸滑走して車輪が地面から浮き上がる寸前のところでエンジン出力をストンと落としてしまう。」
「何をしているのかと問い質すと、操縦教育を受けていないので離陸できないのだと分かった。こちらの退屈しのぎには格好の『航空』ショーであった」
無題 Name 名無し 18/08/01(水)21:00:06 No.1249416
…なんて事があったそうです
敗戦後、迷彩を白色に塗り替えて機体で各地を飛ぶ日本の空中勤務者さん達の前で、ひたすら滑走して飛び上がりかけては地面に戻る…を繰り返す「隼」とか、想像するとちょっとサビシイ気持ちになってしまう光景な気がしますですなあ
因みに画像は余談というか、1946年に当時のインドネシア国軍最高司令官だったスディルマン=サンがマラン地方の飛行場を視察している時の様子を写したモノなんですが、背景に写っている機体が「百重」でしたり
残念ながら塗装は縞々模様ではないんですけれどw
この「百重」、元はどこの部隊の所属で、どういう経緯を辿った機体なんでしょかねえ
無題 Name 名無し 18/08/02(木)07:52:33 No.1249436
液冷の重戦まで作ってたみたいだけど
それまでもいくらか液冷エンジン扱ったことあるのに
作る前から液冷は難しいからやめるかってならなかったんだろうか
無題 Name 名無し 18/08/02(木)10:45:42 No.1249444
液冷が難しいんじゃない
DBが難しいんだ
無題 Name 名無し 18/08/02(木)12:38:39 No.1249453
>液冷が難しいんじゃない
>DBが難しいんだ
堀越二郎が雷電設計時に
「ロールスロイス・マーリンがあれば」
って嘆いた話か
無題 Name 名無し 18/08/02(木)10:59:01 No.1249445
そもそも自前で高馬力の液冷エンジンが作れないってこと
自体が当時の工業力のレベルを示しているわけだし
仮に空冷に絞っても結局は地力の差が出て結果は変わらんでそ
無題 Name 名無し 18/08/02(木)14:58:46 No.1249458
>液冷が難しいんじゃない
>DBが難しいんだ
当時の日本じゃクランク付きプロペラシャフトを精密に製造できない時点でDBのライセンス国産とか絶対ありえませんわー。
それに加えてラジエーターの製造と整備も苦手というダブルパンチ。
液冷式は研究だけに留めて、実用機は全部空冷式にした方が無難でしたね。
でも人は誰しも液冷機の方が高性能なんじゃないかと思ってた時期があるよね?
私もそんな時期がありました…。
中学生の夏休みにノートに書いてた仮想戦記が出て来たので読んでみると、陸軍機は戦闘機から爆撃機まで開戦時からすべて液冷機だった。
いやー笑った笑った(*´∀`)ノシ
どんだけ液冷機が好きだったんだよと。
無題 Name 名無し 18/08/02(木)15:03:41 No.1249460
液冷というか直列タイプのエンジンは長いクランクシャフトを作るのが難しいらしいね
大規模な鍛造施設と工作機械が必要
無題 Name 名無し 18/08/02(木)12:48:40 No.1249454 l
大戦中の話なら「作れない」というのは工作機械や資材の不足であって
技術的には作れる段階にあったよね?
無題 Name 名無し 18/08/06(月)17:34:26 No.1249795
>大戦中の話なら「作れない」というのは工作機械や資材の不足であって
>技術的には作れる段階にあったよね?
その工作機械を自作する技術が無い段階やったんやで
無題 Name 名無し 18/08/06(月)18:10:03 No.1249800
>技術的には作れる段階にあったよね?
戦前に輸入したドイツやアメリカの工作機械が日本で一番高性能な工作機械だぞ戦争終わるまで
無題 Name 名無し 18/08/02(木)20:27:36 No.1249479
0.01mmで必要とされる工作制度を0.1mmに落としたりしてたんだっけ?
無題 Name 名無し 18/08/06(月)09:30:30 No.1249767
>0.01mmで必要とされる工作制度を0.1mmに落としたりしてたんだっけ?
さすがにそんな事してたら故障どころかそもそも組み立て時点で形にならないと思うけど・・・してたの?
無題 Name 名無し 18/08/06(月)11:57:19 No.1249776
そこはヤスリと職人技の出番よ
無題 Name 名無し 18/08/06(月)12:42:50 No.1249783
>そこはヤスリと職人技の出番よ
なお、生産拡大による職人不足のため、主力は女工と少年工の模様。
無題 Name 名無し 18/08/06(月)17:57:06 No.1249797
陸軍は塗装の規定が甘いよな
けっこう派手なラインも個人次第でOKだったような。
海軍だと雷電の稲妻マークが有名だが、ノーズアートでも月光の「のらくろ」ぐらいしか見たことがない。
無題 Name 名無し 18/08/07(火)01:02:34 No.1249844
http://cgi.2chan.net/f/src/1533571354946.jpg
>ノーズアートでも月光の「のらくろ」ぐらいしか見たことがない
彗星のツバメとか?
無題 Name 名無し 18/08/03(金)07:41:23 No.1249503
No.1249397 様
No.1249414 様
貴重な情報有難うございます
亡父も少飛15期で、甘木と大刀洗で滑空機と初等練習機(ユングマン)の教育を受け
佐世保から昭南まで榛名でしたので、手記を残された方も知らぬ中でもなかったかとおもわれます
無題 Name 名無し 18/08/06(月)18:23:44 No.1249801
>No.1249503
ご参考までに書いておきますと、自分の引用元は「陸軍少年飛行兵(セントラル出版)」、著者は共に少飛15期出身の菊池乙夫・横山孝三氏両名の共著となっております
甘木でのグライダー搭乗、目達原教育隊での「ユングマン」による猛訓練からジャワでの戦地勤務、戦後の要務飛行に到るまでが活き活きと描写されていて、個人的にはなかなか楽しめる内容でした
因みに著者の方々と甘木生徒隊・目達原教育隊での教育を共にして、それぞれの卒業式で成績優秀生徒として航空総監賞を二度受賞したという優秀な同期生の方がいらっしゃったそうなんですが、これが出撃前に子犬を抱いている写真で有名な特攻隊員の荒木幸男さんなんだそうで
考えてみれば少飛15期ですと終戦時大体満16歳か17歳、ちょうど今なら夏の甲子園で白球を追いかけて熱闘を繰り広げてるくらいの年頃の方々が、爆撃機や戦闘機、果ては特攻機パイロットとして実戦に出て行ったわけですなあ…
無題 Name 名無し 18/08/06(月)18:25:27 No.1249802
佐貫亦男さんの本なんか読んでおりますと、戦中ドイツに派遣されていた際、「DBエンジン」の部品工場及び組み立て工場の見学に行った話が何度も取り上げられていまして、多分技術者として非常に印象深い思い出だったんじゃあないかと思われるんですが、曰く
「大戦中に日本戦闘機でダイムラー・ベンツエンジンのクランク軸生産が追い付かず、首無し機体が大量に発生した。そのため、私がドイツにいた1942年ごろ、できるだけ多数のクランク軸を買いつけて、日本潜水艦に積んで送れと、日本大使館付陸海軍武官室へ指令がきた」
「これは私にとってショックであった。まさか日本の技術がそこまで遅れているとは知らなかった(略)ドイツの技術を完全に導入ずみと思っていた縦型エンジンの背骨ともいうべきクランク軸が、まだまともに生産できない。そんなざまで、この戦争へ加わった日本はどうかしているぞと感じた」
無題 Name 名無し 18/08/06(月)18:26:51 No.1249803
「1943年に入ると、ドイツ空軍省が(略)重要なドイツ航空機工場見学を許可した(略)その工場の中に問題のダイムラー・ベンツエンジンのクランク軸生産部門があった。私はこれを見たら、ドイツの秘密がわかるだろうと、期待に満ちて出かけた」
「あのころ、ドイツに駐在中の日本軍人の中には、もう半分ドイツ人になった連中も存在した。日本でクランク軸に困っている話が出ると、なに、ドイツでは鍛造工場で仕上げて、エンジン工場へパラフィン紙で包んで納めるだけだよ、と脅した」
「そのあげくに、おまえら技術者どもは、ドイツ人の爪の垢でも飲んで帰るんだな、と罵った。したがって、ドイツ軍が負け始めると、てめえら軍人どもは、ドイツ人のなにを飲むんだ、と反発したくなった。ただし、みなこんな軍人ばかりではない」
無題 Name 名無し 18/08/06(月)18:27:57 No.1249804
「さて、森の中に潜むこの工場の鍛造場は見ごたえがあった。4万kg/mの機械ハンマーを使い、長いブロックの素材を赤めたうえで、上型と下型各1mのストロークでまず30回たたく(略)赤い素材がみるみるうちにクランク軸らしくなってゆくさまを眺めると、こんな機械さえあったら、日本でも作れると思った。ところが、日本はこんな基礎的な鍛造施術を飛ばして進んできた」
「それはちょうど、学校の試験で、基礎定理の勉強をせずに応用問題を解こうとする努力に似ていた。そのとき、しょせんにわか勉強となって、すこしひねった問題を出されたら、たちまち音を上げる。駄じゃれになるが、クランク軸みたいに複雑にねじれた品物は日本技術の手に余った」
「クランク軸素材は機械ハンマーで、第1回30回の鍛造がすむと、また加熱して第2回30回の鍛造をする。日本の刀鍛冶が昔実行したわざを、巨大機械でやっているだけである。ただ、こんな大型鍛造ハンマーは日本のなきどころであった。買えばよかろうといっても、その外貨が不足していた」
無題 Name 名無し 18/08/06(月)18:28:42 No.1249805
「この工場ではクランク軸の素材を作るだけでなしに、機械加工で仕上げて完成品としてからエンジン工場へ納めていた。このやりかたは、当時の日本の事情にくらべて異様に見えた。つまり、日本では鍛造工場と言えば、荒く、熱く、暗く、汚い場所であった。それが、鍛造所がすでに清潔なところへ、さらに目が覚めるほど、細かく、冷たく、明るく、美しい機械工場が同居していた」
「それらは粗削り工場、中仕上げ工場、本仕上げ工場に分れ、いずれの工場も、機械、機械、機械の列であった。しかも、それらは全部ドイツ製品で、改めて機械の国ドイツと感嘆した」
「粗削り工場といっても、かんじんの部分は精密に仕上げ、ファインボーリング(ダイヤモンド工具による切削)まで行っていた。本仕上げ工場では研磨した後にサンドペーパーと砥石で手仕上げしていた」
「手仕上げだけは当時の日本の得意だったが、機械加工の精度が低かったら、その上をいくら手でこすっても完全な製品にはならない」
無題 Name 名無し 18/08/06(月)18:29:13 No.1249806
「逆に言えば、工作機械さえ入手出来たら、クランク軸は日本でだって生産できる。できないはずがない、と感じたのは、作業しているドイツ人工員たちは、別に秘法らしいものをいっさい使わないで、楽に仕事をしていたからである」
「ただ、その工作機械が問題であった。さりげなく運転中の旋盤一台でも、同行の工作機械専門家が、ああ、これは精度の高いので有名な銘柄だと嘆声を上げた。日本の工場だったらたった一台あっても大切に使って、看板になるほどの名であった」
…との事
「工作機械さえ入手出来たら」DBエンジンの国産化は容易であった、と言っても、その意味するところは結局こういう素材製作から仕上げまでの生産ラインそのものを再現する、という事ですから、そのごく一部を構成する機械一つですら日本では垂涎の的だった状況を考えると、その難度の高さは実際相当なものだったんでしょうねえ
無題 Name 名無し 18/08/06(月)22:41:01 No.1249831
エンジンのような精密機械の大量生産技術が磨かれたのは、自動車産業の発達によるところが大きかったんでしょうか
無題 Name 名無し 18/08/07(火)01:14:06 No.1249845
飛燕はクランクだけじゃなく軸受け剥離にも難儀した
あるもので頑張った先人たちの苦労たるや・・・
無題 Name 名無し 18/08/07(火)01:41:46 No.1249848
http://cgi.2chan.net/f/src/1533573706517.jpg
立川の陸軍航空技術研究所で、幾多の試作機の整備を担当された坂井雅夫という陸軍少尉さんの手記より、「DBエンジン」搭載の「キ60」及び「キ61」に関わる部分を引用させて頂きますと
「昭和16年春から夏にかけキー60という川崎製の始めての重戦の担当となり各務ヶ原に出張した。メッサーシュミット109型機も同地に到着し、両機種を担当することとなる。液冷ダイムラーベンツDBー601エンジンとその燃料噴射ポンプ及びフルカン接手による過給機機構は興味深々たるもので、次機キー61型機にかけて我が青春をかけて整備に張切った機種だった」
「輸入のDBー601エンジンにはトラブルもなく順調なものであったが、キー60ではブレーキの利きが悪くこの整備に苦労の連続で、対称的にメッサーの方はよく利くと共に円滑だったが、それは材質の異なるのがその最大原因だった」
無題 Name 名無し 18/08/07(火)01:43:04 No.1249849
http://cgi.2chan.net/f/src/1533573784196.jpg
「メッサーのブレーキ材は合金製で、このスペアーを当時の某ブレーキ製造会社へ約1ヶ年貸与し研究させたが、当時では同種の物が出来ないと言って返済してきた記憶がある」
「16年12月中旬、キー61が完成し、私の担当となったが終戦まで苦労した機種で忘れることは出来ない。試作1~3号機迄はDBー601型エンジンで、4号機以降国産型の『ハー40』エンジンであった。Ⅱ型用の『ハー140』エンジンには特に苦労が多かった」
「国産エンジンになってから過給機の調子の狂いが多く性能が低下するという故障が多かった。此はスーパーチャージャーの駆動方式にフルカン接手を用いて無段階に増速し(略)発生馬力を最も有効に推力に向けることが出来るという理想的な駆動方式であった」
無題 Name 名無し 18/08/07(火)01:45:13 No.1249850
http://cgi.2chan.net/f/src/1533573913189.jpg
「しかしその調節はフルカン接手に注入する滑油の流量によるという微妙な方法で、この流量制限弁の調節には地上運転時スロットを全開にする必要があり、このため機種の倒立を防止するため尾部をらせん杭固定したり、エンジンの水温・油温の上昇を防ぐため消火栓からの放水による等準備も大変であった。第一線で故障続発の不評機となったのもこれが最大原因ではなかったかと自分乍らの推察である」
「昭和18年春頃から終戦まで明野・伊丹・芦屋・調布基地の三式戦防空戦隊への整備援助と伝習教育に飛び廻ったが、この過給機の故障によるものが大部であった」
「空冷エンジンに馴れた戦隊整備員に液冷であり、新型の噴射ポンプであり、調整厄介な過給機付きであった事がいやが上にも本機の稼働能力を低下せしめた一因であった」
無題 Name 名無し 18/08/07(火)01:46:15 No.1249851
「しかしメッサーシュミット機でも(略)鹵獲したP51型戦闘機でも、整備員に何んの手も煩わさず燃料と油さえ補給しておれば順調に飛行した事実と比較すると、矢張り日本の製造技術の遅れを痛感した」
「キー61には今一つ整備員泣かせの欠点があった。滑油冷却器からの油洩れである」
「滑油と冷却液の冷却器を一体とし、胴体下面、主翼後縁付近に装備されていたが、この設計が予想を上まわるほどの飛行速度を増大した新設計であった。試作時から油洩れの故障が多く、油冷却器の修理のため水冷却器も共に取卸さなければならないという大作業には辟易したものである」
…との事
こちらは言わば運用側で、機体を整備する方から見た「三式戦」の問題点ということになるわけなんですが、如何に高性能に繋がる新機軸・新設計といえども、それを現場で維持する能力の育成・整備が追い付いていなければ真価を発揮できない、という話なんですかしらん
無題 Name 名無し 18/08/07(火)15:45:19 No.1249862
設計者の理想の飛行機
パイロットの夢の飛行機
整備員のベストの飛行機
運用者にとって最高の飛行機
当たり前だけど全部違うんだよね・・・
無題 Name 名無し 18/08/07(火)18:48:18 No.1249866
鹵獲したムスタングのマーリンを3式戦に積んだら最強じゃないかな
(キラキラとした少年のような瞳で)
無題 Name 名無し 18/08/07(火)20:07:16 No.1249869
川崎航空機の土井武夫氏および大和田信技師が、「三式戦」の思い出について語られている所によりますと
「飛燕は18年春から任務についた。華々しい活躍はしばしば報道された通りであるが、ゲレンデ・スキーと山岳スキーとは条件が全く違うように、現地の状況は想像以上に困難なものであった。
改修につぐ改修が現地にまで及ぼされたが、しかし出動率は決して満足できるものではなかった。水冷発動機であったことも、一つの大きな原因であったようである」
「ニューギニアに出動することになって(略)空輸が始まったときに、意外な悲劇が起った。南海で相ついで不時着水するものが出たのである」
無題 Name 名無し 18/08/07(火)20:07:57 No.1249870
「心配した僚機が上空を旋回していると、パイロットは機体から這い出してしばらく海面に浮かんでいたが、やがて突然相ついで海中に吸い込まれてしまう。鱶が引っ張って行ったのである。
連絡によって原因探求が開始された。逆止弁のすり合わせ工作が悪かったため、翼の負圧側に開けてあった空気抜きの孔から燃料を吸い出してしまったのだ。早速対策を実施したが、全く申しわけのないことであった」
「18年4月からはウエワク飛行場を根拠にして(略)任についた。ところが現地は砂塵が多く、発動機がすぐやられてしまうという連絡を受けた。そこで、吸入口に防塵網を取りつける研究が始まり、いろいろ研究してみた結果、ヘチマの網が一番よいことが分かった。三千年来の危機、さすがのヘチマもぶらりとしてはいられなかった」
無題 Name 名無し 18/08/07(火)20:10:17 No.1249872
「また、13ミリ砲(ホ103)4門では、火力が不十分であることが判明した」
「杉山元帥が工場に見えた。用件はホ5(20ミリ砲)をどうしても取り付けて欲しいという事であった。性能の低下をともなうので私(大和田)はあまり賛成でなかった」
「この改修機はキ61-Ⅰ型改と称し、19年1月から全面的にこれに切りかえられた。キ61-Ⅰ型改は、火砲の増強、タンクの増設及び防弾、防弾鋼板、爆弾懸吊その他装備品の増強などのために、重量の増加と空気抵抗の増大を来たし、ために試作機時代の性能を発揮することは難しくなっていた」
無題 Name 名無し 18/08/07(火)20:11:43 No.1249873
「19年になると徴用未熟練工が生産の主体となった。そして、工作は粗雑になり性能もひどく低下した。材料もまた不足するようになって、金属の回収が行われた」
「靖国神社の大鳥居もついに溶解された。志気を鼓舞するために、この材料で作った飛燕にはとくに靖国のマークが付けられたが、実はこのマークは粗製品のシンボルのようなものだった。この飛燕を操縦して、事実靖国神社へ行ってしまった若者が何人あったか知れないのである」
…んだそうで
「飛燕」の産みの親とも言える人たちの、苦闘と苦衷の程が伝わってくるような内容なんですが、こうした思いがけない戦地のトラブルから、先に示したような生産・整備の現場でのゴタゴタ、産まれた国の国力(工業力)にまつわるモノまで、無数の問題を何とかクリアした機体だけが「名機」に値するのだとしたら、ヒコーキの歴史上、そう称される機体がごく少ないのも当たり前、という事なんでしょか…
無題 Name 名無し 18/08/07(火)21:21:19 No.1249876
http://cgi.2chan.net/f/src/1533650679401.jpg
砂塵防止にヘチマって
たしかアフリカの航空戦ではダイソンで有名なサイクロンフィルターだったはず
無題 Name 名無し 18/08/07(火)23:04:39 No.1249882
知らんけどサイクロンフィルターは農機でおなじみだな
ふつーの奴だとあっという間に目詰まりする
無題 Name 名無し 18/08/07(火)23:48:51 No.1249890
普通の車のにもついているよそれ
あとサイクロンじゃないと思う
まんべんなくって程度
無題 Name 名無し 18/08/08(水)00:03:39 No.1249892
http://cgi.2chan.net/f/src/1533654219348.jpg
防塵フィルターと言えばこれか。
好評でアフリカだけでなく、ロシアの砂塵でも重宝されたとか
無題 Name 名無し 18/08/08(水)01:17:43 No.1249903
http://cgi.2chan.net/f/src/1533658663731.jpg
最初から下の魔改造にしとけば・・・
やっつけ機体の成功例
無題 Name 名無し 18/08/08(水)23:04:24 No.1249940
http://cgi.2chan.net/f/src/1533737064996.jpg
三式戦はエンジンの不調もさることながら、そもそも重すぎると思うの。Bf109の初期モデルに比べ、似た様なエンジン出力で500㎏くらい重いでしょ?三式1型丁だと1000㎏近く思いかな?航続距離の要求が大きすぎたのが痛い。日本陸海軍単戦で上昇力は最低ランクだ。最高速度もそんなに早くないし。5式戦の良さも機体の軽さに起因するような。
無題 Name 名無し 18/08/08(水)23:13:16 No.1249941
↑
その表,紫電の上昇力がやけに低いな。
無題 Name 名無し 18/08/12(日)13:01:00 No.1250452
>三式戦はエンジンの不調もさることながら、そもそも重すぎると思うの
B29に当たってもへーき!
無題 Name 名無し 18/08/08(水)23:18:14 No.1249944
隼が最後まで戦力たり得たのも、出力は低くともある程度信頼できるエンジンと機体が全備重量で軽かったことが大きいか。大馬力エンジンを生産できないならば、機体を軽くするしかない。航続距離さえ無視できれば……日本には太平洋戦線は辛すぎる。
無題 Name 名無し 18/08/09(木)05:20:39 No.1249990
液冷エンジンのメリットって空気の薄い高空でもヒートスポットの発生を空冷より抑えられる事だもんな
無題 Name 名無し 18/08/09(木)20:22:35 No.1250062
土井武夫さんの自伝「飛行機設計50年の回想」でも、キ61(三式戦)の試作時の話は取り上げられているんですが、
「1938、39年の2年間私は(略)戦闘機についての具体的な研究は行ってはいなかった。しかし外国の航空雑誌に発表されたBf109E(エンジンはDB601、1100hp/4000m)およびイギリスのスーパーマリン・スピットファイアMk1(ロールスロイスマーリン1075hp/4000m)などのデータから、それぞれの抵抗面積を計算すればCDS/η=0.5~0.53㎡となるので、キ28(CDS/η=0.56㎡)にDB601を装着して改良を加えれば、Bf109Eに匹敵する戦闘機を設計できるだろうと考えていた」
「川崎で国産するDB601(ハ40)が1941年の中ごろには完成することになったので、陸軍は40年2月に川崎に戦闘機キ60とキ61の試作指示を与えた」
無題 Name 名無し 18/08/09(木)20:23:26 No.1250064
「空冷式に比べて水冷式エンジンの利点は、前面面積あたりの出力が大きい事である。戦闘機の操縦席まわりの胴体幅として私は(略)840mmを実用上の最小幅と決めていた。DB601はこの840mmの幅にちょうどぴったりおさまるエンジンである。主翼翼幅と胴体幅との比は、その値が小さいほど全機の有効縦横比λeがよくなる」
「また戦闘機としての総合価値の判断には航続距離(略)もきわめて重要である。Bf109EやスピットファイアMk1は、いずれも自国本土の防空に優秀な能力を発揮することが出来たが(略)相手本土の上空には侵攻できなかった」
「二式単座戦闘機(鍾馗)の主翼の縦横比は6である。全幅が9.5mに対して装着エンジン(空冷式ハ109)の直径が1260mmもあるので、その比は14%になる。」
無題 Name 名無し 18/08/09(木)20:24:15 No.1250065
「全機の有効縦横比λeは5をだいぶ下回る値となるため、高高度における性能はあまり達成できなかったものと思われる」
「また主翼面積が15㎡ときわめて小さいため、燃料容積は胴体内タンクを含めて460ℓ(落下タンクを除く)にすぎない。一般に馬力あたり燃料消費量は、空冷式エンジンは水冷式に比べて10~15%大きいので鍾馗は文字通りの局地戦闘機である」
「燃料容積などから私はキ61を戦闘機の本命と考えた(略)キ61の基礎設計の一つの大きな特徴は(略)空戦における旋回上昇率を重視して、主翼面積20㎡に対し全幅12m、縦横比7.2という比較的高い値を採用したことである。エンジンを同一とした場合、翼面荷重よりも翼幅荷重が問題となるからである」
無題 Name 名無し 18/08/09(木)20:25:27 No.1250066
「翼幅を大きくしたため(略)胴体下面は燃料タンクと冷却器の装備にうまく利用できるようになった。要求される燃料容量は(略)500ℓであるがスペースの許す限りの容量を与えたので翼内タンクのみで620ℓとなり、さらに胴体内に200ℓの増加タンクを加えた」
「キ61の性能は、予想では(略)基礎設計時の560㎞/hを上回り、また旋回上昇力も(略)Bf109Eをだんぜん引き離すつもりだった」
「1941年12月、開戦直後に進空したキ61の第1号機は、各務原での飛行試験で当時としては驚異的な590㎞/hを出し(略)上昇力、旋回性において予想どおり(略)Bf109Eをはるかに引き離したが、速度でも(略)追い越したのはまったく予想外であった」
…との事
無題 Name 名無し 18/08/09(木)20:26:51 No.1250067
土居さんなりの液冷戦闘機への理想が有ったことが読み取れる気がするんですけれども、基礎設計案の時点では自重2000kg(総重量2600kg)、最高速度570㎞/hのBf109Eに対して、自重2100kg(総重量2700kg)、最高速度560㎞/hのキ61、という計画であったそうです
エンジンは同一(1100hp)なわけですから、機体設計をより洗練させることで先行のBf109Eより戦闘機としての全般性能で上回ることを目指す…というのが土居さんの目論見だったことになるわけなんですけれど、実際に完成したキ61試作機の自重は2238kg(総重量2950kg)と基礎計画より更に重くなっているんですとか
ソレでエンジン馬力は変わらないまま、基礎設計時の想定を上回るパフォーマンスを発揮したわけですから、確かに土居さんの手腕というか、機体設計の素性自体は非常に優れていたと言ってイイんではないでしょうか
無題 Name 名無し 18/08/09(木)20:28:59 No.1250068
ただ、コレが更に色々ゴテゴテと装備が追加されたキ61-Ⅰ型改(丁)になると自重2630kg(総重量3470kg)と更に重くなり、コレでエンジンは変わらないとくれば、スペック上の最高速度が580㎞/hに低下した他、性能低下を空中勤務者さん達に嘆かれたのもヤムナシといった所なんでですが、単純に重量増加分で比較すると、キ61-Ⅰ型改に近いクラスではBf109G-6(自重2268kg、総重量3196kg)なんかは1475hpのDB605Aを積んで630㎞/hを出せたんだそうで
従って仮にキ61-Ⅰ型改にも重量増と同時に300hp以上の出力増が有ったら…という所なんですが、キ61-Ⅰ型改を上回る重量ながら(自重2855kg、総重量3825kg)、最高速度610㎞/h、「1万mで編隊飛行が可能な」優秀機と称えられたキ61Ⅱ改の例からしても、実際重量増をカバーして余る結果が得られたんじゃあないでしょかね
ただまあ、液冷離昇出力1500hpのハ140が遂にモノにならず、キ61Ⅱ改も空冷の5式戦に転換せざるを得なかった現実からすれば、所詮は無益な妄想に過ぎないと言われればそれまでなんですケド…
無題 Name 名無し 18/08/14(火)00:08:32 No.1250659
>エンジンを同一とした場合、翼面荷重よりも翼幅荷重が問題となるからである
飛燕と言えば土井武夫さんの翼幅荷重重視の設計思想がユニークですね。
確かにプロペラに例えると、ペラ直径を大きくした方が推進効率が高くなるのと同じ原理で、アスペクト比の大きな翼は揚抗比を高めるメリットがありますけど、同じ効果は翼断面型の改良によっても実現できますし(コッチの方が王道ですが)、翼幅を大きくすれば剛性面では不利になりますので、同じ面積の翼よりも重量が増加してしまうデメリットが生じます。
個人的には飛燕のスラッとした優美なシルエットは好きですが、もしも日本にNACAと同水準の風洞実験設備があったら、飛燕のデザインは少し違ったものになっていたかも知れませんね。
無題 Name 名無し 18/08/14(火)17:23:18 No.1250706
https://cgi.2chan.net/f/src/1534234999678.jpg
キ61初期の風洞模型
側面形は、偶然だが同じDBエンジン搭載のMC202に似ていなくもない
まあ、いろいろ試行錯誤はしたみたい
無題 Name 名無し 18/08/19(日)17:44:53 No.1251250
飛燕と言えば、写真の機体の行く末はどうだったんだろう
本によっては小林戦隊長機って書いてあるけど
撮影時期からすると、乗り換えてるよね
無題 Name 名無し 18/08/19(日)18:45:43 No.1251255
>飛燕と言えば、写真の機体の行く末はどうだったんだろう
有名な4424号機の写真ですね(・w・
おっしゃるとおりに撮影は1945年5月でして、その頃、小林照彦戦隊長は五式戦に乗り換えています
では誰の機体に?なんですが大日本絵画の「飛燕戦闘機隊」に寄りますが高島俊三少尉機とするのが正解
この4424号機は第一五九振武隊配備となり同年5月8日に調布を出撃し知覧へ移動(;w;
6月6日に知覧から慶良間方面に出撃し16時頃敵艦隊へ突入しております(-人-;)
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1249291.htm
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コメント
この偵察の繊細な分類開発が魅力
まあそれはさておき、個人的にはやはり三式戦のカッコよさははずせない。他にもカッコいい機体はあるけど、カッコよさに関しては本当にWWⅡ最高の機体だと思ってる。
ノモンハンのトラウマがね…
おかげで2、3、4式が生まれた訳ですが
海軍?
ふふ
ただ資源も技術も無い日本には重かったし、元になったドイツのDB600シリーズ自体が無理してマーリンに追いつこうとしたエンジンなので、より日本には苦しいエンジンになってしまったというのが追い打ちに
日本ではユモ使ってれば性能はともかく液冷搭載機の普及と活躍は広がったんじゃないかな
※4
なんてよく言われ、馬鹿にされるが艦上機は機動力が重要
なぜなら艦上機はあまりにも短い飛行甲板に安全な着艦するためには低速安定、位置エネルギーを失いにくい機体が必要だったから
艦上機が一番失う時は戦闘時ではなく発着艦時だしね
位置エネルギーを失いにくい=機動力が高いなのよ
だから1930年代は各国「複葉機が一番安全だな」という風潮だったが、そこに上昇力、高速、低速安定力を両立させてしまった九六式艦戦が生まれたものだから世界に衝撃を与えたのよね
零戦もその発展上にあるから機動力もよく、上昇力も高いからパイロットたちは縦の旋回戦を好んでいた
奇しくもそれは隼に対して陸軍パイロットが「縦に旋回すればいい」と結論出し選定したときと同じだった
だから実は海軍の方が軽戦至上主義に染まっていなかったんだよ
そしてパイロットの安全を考えて機動力の高い後継機を生み出そうとしたけど失敗してしまった…ということ
これもよく言われるがユモは当初陸軍がライセンス希望していたけどもユンカースに拒否されたから無理
ダイムラーベンツしか選択肢がなかった
後知恵にはなるけど、ベアリングを滑り軸受に変更し、希少金属を勿体ぶらずに使用する
こうしたら多少良くはなったかもね
ちなみに燃料噴射装置は三菱のディーゼルエンジンからの転用だから悪しからず
ダイムラーベンツが東アジアでの独占販売権が欲しかったという方が正しかった
結局ユモは無理
別に無理ではないよ、日本がDBを選ばなければ済むし、DB社も日本に売るのはノリ気じゃなかったし
もともと日本はユンカースの液冷エンジン使ってもいたしね
仮に日本がDBとユモ両方を望んでも、外貨の必要性からドイツ空軍省が圧力かけて落としどころ作るかもしれないし
ユモはDBより戦闘機用には向いてなく高硬度性能も良いわけでは無いというのが問題点だと思う
ユモを選んでいればってのは、日本製液冷飛行機が普及するだけで、優秀な日本製液冷飛行機が作れたというわけにはならないし、性能ではDBの方が優秀で1線級の液冷機を作るならDBになるのは半ば必然だもんね
1947年7月29日にはハヤブサに援護されたグンテイ(九九式軍偵)一機、チューレン(九三式中間練習機)2機によるインドネシア空軍最初の爆撃作戦が計画され、ハヤブサがトラブルにより出撃不能となるも見事作戦を成功させたようだ。
参考:「帝国軍用機で始まったインドネシア空軍」
http://indojoho.ciao.jp/koreg/htniau.html
隼なんか他にもベトナム駐留フランス軍、両中国軍、朝鮮人民軍に接収されたのが使われていたみたい。
こうやって戦後もボチボチ日本機が使われた例があるようで、ここら辺がどうなったのかも興味深いのぅ
海軍は陸軍より軽戦思考に染まっていなかったねぇ...
もしそうだったなら大型エンジン積んで、翼面積狭めて、旋回半径を大きくする変わりに速度と加速性能を上げた
翼面荷重が180kg/m2以上ある二式戦闘機のような戦闘機を海軍は作ったと思うが。
ちなみに翼面荷重が180kg/m2台のF6Fみたいな戦闘機でも全長240mの空母をカタパルトなしで運用できた。
雷電「あの・・・・」
紫電「その・・・・」
迎撃機でその上双発の天雷って軽回性まで要求されてなかったっけ
震電も結局源田実らが反対したおかげでなんとかなったけど、空戦フラップ付ける話まで上がってたし、僅差だけど四式戦のが紫電改より翼面荷重は大きい
海軍が陸軍より軽戦主義じゃないと言うのはやや疑問です
上昇力は日本軍機トップクラスだし運動性も同クラスでも抜けていただけにもっと評価されてほしい
日本軍最良戦闘機の四式戦疾風だって鍾馗がなければあの姿と性能は無かったと思う
あと三式戦飛燕より空冷の五式戦が好き
逆に疾風は生産性がかなり良くなったとも
海外機に比べロールレートが低いという話も聞かない
行き着いた先のki-83だいすき
74式戦車と10式戦車の砲塔旋回に似た差
俺もキ83の新司偵から長距離高速戦闘機への眩いばかりの進化には感動してるけど
新司偵の最高に格好いい垂直尾翼のラインが四角くなってしまったのはショック
戦闘機だと射撃の座りとか偵察機とは違うファクターもあるんだろうけど
DBに採用されてた技術が重要だったんじゃないですかね。
燃料噴射装置はオクタン価が上げれない日本には喉から手が出るほど
欲しかっただろうし、フルカン継手は誉とかハ43とかハ44とかの
派生ペーパープランで登場するくらい期待がかかってたし、
その両方を持ってないユモを敢えてライセンス料払って生産する
意味は薄いんじゃないかと思う。
あとユモじゃモーターカノンできないっていうのもあるかも。
インターセプターとしては最高って戦後米軍からも評価されてるしね
残存機が一機も無いのは悲しいなぁ…
艦上戦闘機は甲板上に並べる際に一番前になるから確保できる離陸滑走距離が非常に短い。17試艦戦(烈風)で要求されたのは合成風力12m(無風だと空母の速力約27ノット)で滑走距離80m以下。堀越二郎がざっと計算したところ、烈風に150kgf/m2主翼採用した場合にはハ43搭載しても90mオーバーで成立しないって結果が出てる。どうしてもというなら甲板に整列する機体の最前列を後退させないといけないから護衛戦闘機の数が3機とか6機減る。180kgf/m2って艦爆より後ろに艦戦並べるのかな?
海軍は翼面荷重162kg/m^2の紫電改を艦載機として使う予定だったよ。補助ロケットを付うのかは分からない。
米軍はF6Fより思いF4Uを190mぐらいの護衛空母(それより小型な護衛空母ではFM-2を使用)で使ってたけど補助ロケット付きかな?
連続使用制限のあった油圧カタパルトはTBFアベンジャーが独占してたからF4Uはカタパルト無しで発艦してた。
雷電(無視された?)
うーんやっぱロマンあるわ
ノースアメリカン「せやな!」
P-40Fというのが有りましてですね…
雷電君は複雑な戦闘機動すると失速しやすいらしくてなぁ。制空戦闘には不向きだと思う。
割と最近まで(下手すりゃ今でも?)車の直6のクランクシャフトの暴れは面倒くさい話らしかったしなぁ。
ましていわんや当時の日本の工業力とただでさえ車のエンジンよりでかくて長い(V型配列でのクランクピン共有を考えても直8レベルぐらいかも)航空エンジンではねえ。持て余すのも仕方ない。
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