無題 Name 名無し 18/07/18(水)13:49:32  No.1248143

本土決戦―幻の防衛作戦と米軍進攻計画 (光人社NF文庫)
本土決戦時に外地にあった兵力はどう動く予定だったの?
という些細な疑問です
満州はソ連がいるから動かせないとしてもタイとか仏印とか台湾とかに相当数の兵力が動けないままだったと思うんだけど
これは本土決戦に応じて利用する予定があったの?
日本本土決戦―知られざる国民義勇戦闘隊の全貌
藤田 昌雄
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Name 名無し 18/07/18(水)15:11:02  No.1248149
>満州はソ連がいるから動かせないとしてもタイとか仏印とか台湾とかに相当数の兵力が動けないままだったと思うんだけど
>これは本土決戦に応じて利用する予定があったの?
動けないままって自分で書いてるのでは?
海上輸送能力を喪失して兵力の再配置不能だからオシマイです

無題
Name 名無し 18/07/18(水)18:32:56  No.1248157
大戦末期に満州の部隊を南方へ転用しようとして移動中、中国だかの港で「船来ないね」なんて呑気にしてたら終戦、実戦経験の無いまま日本に帰国した兵隊さんの話を聞いた事が有るから、戦力の再配置はしてたみたいね。

一方で満州開拓民視点では「終戦したら兵隊が先に逃げてた」っちゅう話に。
その後ソ連兵&地元民衆からの掠奪祭ほか、様々な苦難の末の引き揚げの過酷な事態に遭ったから、そう認識するのもしゃあない話だけどね。

無題
Name 名無し 18/07/18(水)18:56:50  No.1248160
動けないからオシマイっつっても何の計画もなしはないでしょう
せいぜい敵の本土上陸に合わせて外地で捨て身の総反撃とか考えてなかったの

無題
Name 名無し 18/07/18(水)19:56:59  No.1248168
>せいぜい敵の本土上陸に合わせて外地で捨て身の総反撃とか考えてなかったの
海路は潜水艦や機動部隊で封鎖され陸路もあちこちに湧いてるゲリラの攻撃でまともに移動できないから戦力の集中なんて無理だしどうしようもない

無題
Name 名無し 18/07/18(水)20:54:48  No.1248175
家畜の斃死に続き市民への配給も危機的なラインがすぐ来ると内務系の官僚から御前会議で警告されたように
本土に移送する手段あっても養うのも難しいような状態で
もはや外地を維持がてら現地の生産力で養ってもらっておく消極策しかなかったのでは

兵士や民衆から本土やられても満州で徹底抗戦するんじゃと噂話が出るほどに
当時の国民もやや首をかしげるような状況だったのだろう

無題
Name 名無し 18/07/18(水)21:57:43  No.1248184
>満州はソ連がいるから動かせない

事前に中抜きされて関東軍は相当弱体化してた
物動計画立てようにも、沿海は機雷と潜水艦まみれ

陸軍は満州で戦闘継続を目論んでいたものの、原爆とソ連の参戦とでお手上げ

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Name 名無し 18/07/18(水)22:03:43  No.1248185
戦争で負けるって事はそういう事だよね…

無題
Name 名無し 18/07/18(水)23:54:21  No.1248198
計画は色々有ったと思うんだ、計画は。
計画の進捗はと言うと「これ阿南、銃剣すら無いではないか 」エピソードからお察し下さい。

無題
Name 名無し 18/07/19(木)03:03:30  No.1248206
満州の精鋭砲兵は沖縄へ行ったんだよ

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Name 名無し 18/07/22(日)02:44:29  No.1248429
内地の話になるけど鉄道も夏前に潤滑油の供給が途絶えて夏以降どうすんだ?ってなってた
国内の車両の99%以上が常に給油が必要な平軸受け装備で潤滑油切れ=走行不能=物流停止
で都市工場B29で丸焼けにした後は穀倉地帯に除草剤撒かれると

無題
Name 名無し 18/07/22(日)06:33:48  No.1248432
沿岸への機銃掃射で漁に出れないはもちろんの事塩田がやられて
同じく昭和20年の下半期は塩の供給すら怪しくなる有様
四方を海に囲まれてた国であっても…

無題
Name 名無し 18/07/22(日)10:49:02  No.1248437
>塩田
瀬戸内海の塩の方が良質で安いという事が分かっていても
幕府は江戸の近くに塩田を持って、万が一の時に備えていた

その塩田の名は「市川塩浜」
いまアマゾンの倉庫があるところだ

無題
Name 名無し 18/07/22(日)07:58:54  No.1248433      
1532213934238
「大東亜戦争」もそろそろ終盤という1944年12月に、陸軍軍務局長から支那派遣軍総参謀副長に転任した佐藤賢了サンの回想記に依りますと、赴任先の支那派遣軍の総司令官岡村寧次陸軍大将が、この時期に到って重慶攻略という積極的な攻勢作戦を構想している事に驚かされたんだそうでして、曰く

「太平洋戦局がかくも悪化し(略)、次の敵の来攻は上海方面か、沖縄か、あるいは直接日本本土かというときに、支那派遣軍の主力を奥地深く、重慶に向けようとする計画には私は驚かされた」

「このさいはむしろ、南支ごときは捨てても、兵力の重点を中支・北支に移し、日本本土・朝鮮・満州・北中支をがっちり固めなければならない。特に敵は日本本土攻撃の拠点として、上海方面に足場を求めるかも知れないから、大本営は支那派遣軍には海岸方面をかためよと司令してあるはずなのに、岡村総司令官は、むしろ海岸方面を手薄にして、奥地へ進攻しようとしているのである」

無題
Name 名無し 18/07/22(日)08:01:19  No.1248434
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「その理由は、岡村大将の言によれば『米軍は日本本土攻撃の足場を中国大陸にもとめるかどうかわからない。日本軍が重慶に圧迫を加えれば、蒋介石は苦し紛れに米軍の来援を要求するであろう。海岸方面を手薄にして米軍を支那大陸に招くがよい。日本本土に向かう米軍は敵だ、支那大陸へくる米軍はお客様だ。かくして米軍を一兵でも多く中国へ引きよせ、本土へ向かう米軍の圧力を軽減するのが、支那派遣軍のなしうる唯一の協力だ』というにあった」

…との事
要は戦局も押し詰まったこの時期に敢て攻勢に出るのは、最早不可避と思われる日本本土決戦への支援の目的有ってのことである、というのが岡村サンの言であったそうなんですが、重慶攻略戦自体は結局大本営の賛同を得られず実施される事無く終わり、その後支那派遣軍には専ら重慶政府との和平工作を進めるよう指導が行われて終戦を迎えるんですが、ともあれ一応百万を超える兵力が健在だった当時の支那派遣軍を、なんとか活用したいという試み自体は、色々な所にあったんじゃあないでしょかねえ

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Name 名無し 18/07/22(日)11:27:58  No.1248439
健在ではないよ
1945年6月に梅津参謀総長が関東軍支那派遣軍合わせて米軍8個師団に相当する戦力しかなくしかも大会戦を1回行えるだけの備蓄すらないと天皇に上奏している

無題
Name 名無し 18/07/22(日)11:46:17  No.1248441
終戦タイミングで未遂に終わったけども
都市をあらかた焼き尽くして攻撃手控えてた交通インフラへの爆撃目標転換が予定されてたから
本土決戦が近づくにつれ国内の部隊移動・物資輸送の破綻ぶりはさらにえらいことに
九州攻略を前に沖縄に進出した英空軍のグランドスラムでまず関門トンネルが埋まる

無題
Name 名無し 18/07/22(日)15:33:58  No.1248444
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伊藤正徳せンせいの「帝国陸軍の最後」でも、支那派遣軍の戦争終盤における重慶攻略構想とそれを提案された大本営とのやりとりが取り上げられていまして、曰く

「昭和20年にはいって(略)米軍のこのつぎの上陸進攻点は支那の南岸ではないか、という憂慮が大本営に感じられてきた。事実、アメリカには『コーズウェー作戦』の名のもとに、支那大陸進攻案がニミッツ提督のもとで索案中であったのだから、日本の心配は単なる杞憂のみではなかった。こうなったら、在支百万の日本軍は、海方面から米国軍、山から支那軍、後ろから6億の支那国民の中につつまれて、全滅の厄をまぬがれないではないか(略)岡村寧次が、その性格と、その在支7ヵ年の戦歴とからみて、決然として起ち上がったのは当然と言わねばならない」

無題
Name 名無し 18/07/22(日)15:35:56  No.1248445
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「すなわち重慶攻略案である。曰く、『衝陽および柳州方面から攻勢を発起し、芷江および貴陽を攻略したる後、長駆して重慶を陥れ、四川省の全域を治めて敵の抗戦本拠を覆滅し、早期単独和平の基礎を築く』という一条であった」

「岡村に従えば、『大陸打通作戦』の結果、敵の二大軍集団はおのおの数十万人の大損害をこうむっており(略)新たに領有した衝陽と柳州の二大拠点は、重慶攻略戦の策源地として、漢口や宣昌よりはるかに適格である(略)太平洋方面からは、やがて米軍来攻の気運が伝えられている。敵を各個に撃破し得る機会は、この春を過ぎてはふたたび到来しないであろう」

「(20年)春を過ぎて蒋介石の戦力が回復し、ビルマ遠征の支那軍も帰って戦線にくわわり、そうして東からマッカーサー軍、あるいはニミッツ軍の支那沿岸上陸を見るようになったら、わが北支軍は東西から挟撃されてとうてい保ちえることはできない」

無題
Name 名無し 18/07/22(日)15:41:09  No.1248447
「これ、三月中に対重慶作戦を発動することを最善とする戦略的理由であるのみならず、支那派遣軍が祖国に奉ずる最善の途である」

「支那をして戦線から脱落させることができたら、単に戦局の一面を安定し得るばかりでなく、その直後こそ少なくとも精強30万の大軍は、祖国に帰って東京防衛の主戦力を提供し得るではないか。これ一石二鳥の最大級のものである(略)というのが岡村大将の熱説してやまない内容であった」

「しかしながら、レイテ戦を失い、比島決戦も諦めて、戦争の後半までは夢想もしなかった『本土決戦』という死活的作戦の下準備に追い込まれようとしていた大本営は(略)軽々に岡村の積極作戦に同調することはできなかった(略)わが戦力いまだ全かりしころ(昭和17年)といえども、その研究と下準備に半年を費やした後に、南方戦場の危機と睨み合わせて、ついに中止となった経緯がある。いまや、危機は南方戦場のの遠きに比すべくもない日本本土の間近に迫っているのである」

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Name 名無し 18/07/22(日)15:43:04  No.1248448
「岡村は蒋介石軍の戦力消耗を一つの理由としているが、日本軍もまたある程度に減勢しており、重慶大作戦を実施するためには兵力の補充も必要であろうし、少なくとも相当量の軍事資材を投入しなければならない。とすれば、本土決戦の準備と競合することは避けがたいであろう(略)そこで大本営は先手を取り、1月22日、『支那大陸における新作戦方針』を決定して、これを関係全軍に令した。要は、広東と上海とを戦力終結の拠点として、米軍の来攻に備えるという方針であった」

「岡村総司令官も、この大本営指示には従わねばならない。すなわち1月29日、麾下の第23軍をして広東へ、第13軍をもって上海へ、北支那方面軍をもって青島へ、おのおの対米戦の準備を開始することを命じた」

…んだそうで

要はまあ、かつて日本軍が優勢であったときでさえできなかった作戦が今更できるかい!というのが大本営の判断であった、という話だったみたいですなあ

無題
Name 名無し 18/07/22(日)16:05:24  No.1248453
満洲国国境からそれほど遠くないソ連領内に「100万人規模」の巨大兵站が極秘に築かれていた事に関東軍が気付いてなかったんだから、机上空論だった罠、どの道…

無題
Name 名無し 18/07/23(月)11:06:19  No.1248499
大陸戦線は兵力はあったとしても肝心の制空権がなあ…
仮に大反攻に出ても空襲だけで大損害受けそう

無題
Name 名無し 18/07/23(月)12:36:22  No.1248507
戦争の最終盤に、富永少将を満州に送り込んだ意味は何だったんだろな

ソ連が攻めて来る事は無い、という確信のもと、一番の閑職に左遷したつもりだったのか、ソ連が攻めて来るという確認のもと、厄介払いのつもりで確実に死ぬ場所に送り込んだのか

無題
Name 名無し 18/07/23(月)13:52:05  No.1248517
陸軍はドイツ降伏から1ヵ月チョイ後の6月時点で、「ソ連軍が大挙東に移動中。越冬装備なし」の情報掴んでるから攻めてこないとは思ってないだろう。
攻めてくると思ってたからこその、7/10に40万人根こそぎ動員計画発動してるんだから。

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1248143.htm

日本本土決戦―一億国民が迎え撃つ幻の最終決戦 (別冊歴史読本永久保存版―戦記シリーズ (17号))

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