空自の日本防空史36
E-2C早期警戒機


文:nona

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http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1994/w1994_02.html
1994年度 防衛白書 第2章 4節 防衛力の具体的機能より、E-2C早期警戒機

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E-2CとE-3Aの一騎打ち

 1976年9月のMiG-25事件をうけ、急きょ防衛庁の早期警戒機導入事業が再開されました。

 当初候補とされたのはアメリカのE-2A,B,C、E-3A、EC-121、イギリスのガネット、シャクルトン、ニムロッド。

 防衛庁はこれらの機体の調査のため調査団を派遣していますが、翌年2月までに候補はE-2CとE-3A早期警戒管制機の2機に絞られています。

 この時期のE-2Cは配備開始から数年が経過し実績を積みつつあり、イスラエル空軍も導入を予定していました。

 もう一方のE-3Aは1977年に運用開始予定の新型機で、大型のボーイング707を母機としており、E-2Cと比べ管制機能、航続性能、機材搭載能力で優れていたのですが、その分コストのかかる機体でした。


空幕はE-2Cを推薦

 空自はE-2CとE-3Aの比較検討のため、1977年5月に再び調査団をアメリカへ派遣。調査結果を踏まえ、空幕会議はE-2Cが適任であると決定し、7月19日に防衛庁長官へ報告しています。

 その後E-2CとBADGE間のリンク検証で約1年を要したものの、1979年1月11日、E-2Cを当初4機導入する政府決定がなされました。

 E-2Cが選ばれた理由について、防衛庁は「早期警戒機の導入について」という文書に記しています。これを要約すると、

・E-3Aの高度な作戦指揮機能は、低空侵入対処を目的とする空自の運用要求を上回る。
・E-3Aは全備重量が約150トンあり、基地施設の改修が必要になる。E-2Cは全備重量が約23トンと軽量で運用できる飛行場を選ばない。
・1機86億円のE-2Cに対し、E-3Aは296億円と高額。(いずれも部品代込みの輸入価格)

 後にはE-3Aの発展型であるE-767を導入する空自ではありますが、この時点で求められていたのは空中防空指令所ではなく、空中レーダーサイトであったようです。

 また上記の理由に加え、防衛庁は国会でE-2Cのシークラッター除去能力を称賛しており、これも選定の理由となったようです。


E-2Cのデータリンク問題

 E-2Cが第一候補と見なされつつあったころ、同機のリンク4Aやリンク11機能では、独自の通信方式をとるBADGEとリンクできない、という問題が指摘されていました。

 そこで、前述のように導入決定を1年ほど遅らせて対策が研究され、地上への通信バッファー装置が導入されています。

 この装置はE-2Cは通信方式の変換機能に加え、E-2Cから送信される情報を一時的に留保する機能もありました。

 軍事ジャーナリストの永野節雄氏は後者の機能について、E-2Cから送信される情報量は60年代前半の設計であるBADGEの処理能力を凌駕しており、BADGEのパンクを回避する措置でもあった、と解説しています。

 ちなみに、E-2CはF-15Jともリンクができなかったのですが、こちらの対策は2000年代まで放置されたようです。

 当時の要撃機はBADGEからの指示が届く圏内での戦闘が想定がされますし、90年代以降は高度な管制機能を有するE-767が導入されているため、改修の優先順位は低いものだったのかもしれません。


グラマン疑獄事件

 E-2C導入の政府決定がなされる直前の1979年1月4日、アメリカの証券取引委員会が、E-2の開発元であるグラマン社から某商社を介し日本の大物政治家に賄賂が渡った、という疑惑を公表しました。

 当時はロッキード社やマグダネル・ダグラス社との取引においても同様の疑惑が向けられており、グラマン社への疑惑と合わせて捜査が進められています。

 当然、E-2C関連予算の執行も保留とされますが、しばらくして一連の事件が時効を迎え、疑惑の政治家が追及されることはなく、E-2Cの導入事業も同年7月に再開されました。

 このようなことがあってか、E-2Cの調達はFMS(有償対外軍事援助)で実施されています。


E-2の配備を開始

 1979年11月に発注された最初のE-2Cは、1983年の1月から7月までの期間に日本へ到着。400時間の実用試験を経て、11月に発足した臨時警戒航空隊および臨時601飛行隊に配備されました。

 部隊名から「臨時」が外れたのは1987年のことで、この時までに8機に増勢されています。

 8機のE-2Cが有るということは、同時に2つの哨戒点で24時間の監視を行える能力がある、と言い換えるともできるのですが、実際は1日8時間程度の監視活動に限定されたようです。

 601飛行隊に最後のE-2Cが配備されたのは冷戦終結後の1994年で、総数は13機となりました。


E-2Cのバージョン


 空自のE-2Cは、導入時期によって搭載アビオニクスのバージョンが異なるそうです。

 最初に導入した4機は「ベーシックE-2C」に相当し、レーダーはAN/APS-125を装備したようですが、追加導入機はAN/APS-138装備の「グループ0」、AN/APS-139の「グループ1」、AN/APS-145の「グループ2」の4種類に分かれています。

 当然ながら機材の性能も異なり、AN/ASP-125の探知距離はルックアップにて250浬(463㎞)、探知可能な目標数600目標とされる一方、AN/APS-145は探知距離が300海里(555㎞)に延伸され、探知可能な目標数は2000に増加しています。

 常に最新の装備を導入できた、という意味では空自に得があったかもしれませんが、細かな仕様の違いが維持管理を困難にしている可能性もあります。

 なお、2004年から空自のE-2Cはホークアイ2000規格への改修が行われていますが、一方では2016年にAN/APS-138の修理契約の入札が公示されるなど、機材一式が最新のもので統一された訳ではなさそうです。

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https://www.northropgrumman.com/Capabilities/E2CHawkeye2000/Documents/pageDocuments/E-2C_Hawkeye_2000_brochure.pdf
ノースロップ・グラマンが分類したE-2Cの5つのバージョン

次回につづく。


参考
航空自衛隊「装備」のすべて「槍の穂先」として日本の空を守り抜く
(赤塚聡 ISBN978-4-7973-8327-0 2017年5月25日)
航空自衛隊五十年史
(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
日本の防衛戦力③航空自衛隊
(読売新聞社編 ISBN4-643-87032-X 1987年5月14日)
エアワールド1998年4月号別冊 空中警戒管制機AWACS
(青木兼知 編 ISBN4-89310-074-1 1998年4月5日)
Northrop Grumman  E-2C Hawkeye 2000 Brochure
 (ノースロップ・グラマン )