空自の日本防空史32
最強戦闘機F-15を手にするまで その1


文:nona

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http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1977/w1977_03.html

戦闘機パイロットの世界――“元F-2テストパイロット”が語る戦闘機論
渡邉吉之
パンダ・パブリッシング (2017-12-25)
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第三次FXの候補

 航空自衛隊の次期主力戦闘機を決定する第三次FX選定事業は(事前調査等を含めなければ)1975年度に正式にスタートしました。

 代替の対象とされたのは第一次FXとして230機が調達されたF104Jの7個飛行隊。同機の耐用年数は3000時間(あるいは2950時間)とされており、1985年までに全機の退役が予想されたのです。

 当時FXの候補に挙がっていた機は、アメリカのF-14、F-15、YF-16、YF-17、欧州のMRCA(トーネード)、FIM-53(ミラージュF1)、JA-37(ビゲン)の7機です。

 うちYF-17は事前調査の段階では候補扱いだったのですが、75年1月に米空軍の制式採用を漏れていおり、選定事業では除外されています。

 また欧州の3機についても、防衛庁は「資料が集まらなかった」(メーカーがRFI要求に応じなかった)」として、76年1月23日までに候補を外れました。


最終候補は3機

 最終候補と目されたのがF-14,F-15,YF-16の3機種。
 最有力候補はF-15で、「航空自衛隊50年史」では候補中で空自の要求にもっとも適う機体としています。

 対するF-14は、強力なAWG-9レーダーとAIM-54ミサイルを有し、独自戦闘能力も高いものの、重量が重く空中戦性能でF-15に劣り、価格はF-15より3割増。可変後退翼や艦上機としての設計も運用経費を高めていました。

 F-16の場合は軽量で軽快かつ安価(F-15の半分)で、中低空域のドッグファイト性能はF-15と互角でした。

 ただし、全天候能力・視程外戦闘能力が弱く、必要な装備を追加した場合に鈍重となることも懸念されました。

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F-14とF-16戦闘機
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1977/w1977_03.html


MiG-25という選択肢

 FX海外調査団が帰国から間もない1976年9月6日、函館空港にソ連軍のMiG-25戦闘機が亡命する事件が発生しています。

 これはFX選定に少なからず影響を与えましたが、かつてはMiG-25そのものを導入しないのか?、と問う人もありました。

 これは75年2月に公明党の小川新一郎議員が発したもので、本人いわく「私の皮肉な質問」としており、本気ではなかったようです。

 ただし亡命事件以前のMiG-25戦闘機は、非常に高性能な戦闘機であると強調され、西側諸国において軍事防衛費を得るための「ダシ」にされた一面もありました。それで小川議員も皮肉の一つでも言いたかったのでしょう。

 なお防衛庁防衛局長の丸山昂氏は、MiG-25採用の可能性について「航空機自体の性能のみでなく、後の補給体制の問題、維持管理の問題を広く考慮いたしまして(中略)外してございます。」と真面目に回答しています。


TF-15の来日

 1976年の9月から2カ月半、TF-15(F-15Bの初期の呼称)の2号機が、サンダーバーズ仕様の塗装にアメリカ独立200周年の「バイセンテニアルマーク」を追加し、宣伝のため世界各地を飛び回っていました。

 主要な訪問地はイギリス、西ドイツ、イタリア、ハワイ、日本、韓国、フィリピン、グアム、オーストラリア。

 途中で横断したアメリカ本国を含め、4つの大陸と2つの大洋を短期間のうちにフライトしていますが、これもF-15の展開能力を披露するためのものでした。

 日本には76年10月に到着し、埼玉県の入間基地で開催されていた国際航空宇宙展に参加。一般公開され人気を博しています。

 デモフライトでは300m滑走で離陸し、直後に高度1400mまでの垂直上昇、高度150mでの会場通過に、6G機動による半径450mでの急旋回など、その卓越した運動能力をアピールしました。

 ただし、離陸直後の主脚を下ろしたままの横転機動は運営側も肝を冷やしたようで、初日で禁止されたそうです。

 ちなみにオーストラリアでのTF-15は9つのエアショーに参加し、オセアニア大陸の無給油横断を含む長距離飛行を3回、ミラージュⅢとの空中戦5回、17発のMk82爆弾による模擬対地攻撃4回を敢行しています。

 オーストラリアをうらやましく思えて仕方がないものの、残念ながら同国空軍はF-15を採用しませんでした。その価格のせいでF-15を採用できる国は限られていたのです。


FX決定を1年見送る

 1976年12月9日、防衛庁は第三次FXをF-15に決定。82年度から5個飛行隊123機を導入する方針を決定します。

 ところが政府の国防会議(現在のNSCに相当)は「十分に審議する時間的余裕にかける。さらに検討すべきである。」として、決定を1年延期。最初に退役するF-104Jの穴埋めは、F-4EJの追加生産で行うこととします。

 わずか3カ月前にMiG-25事件があったにもかかわらず、FXの決定を先送りにするとは理解に苦しむものですが、当時はロッキード事件の影響で政局が混乱し、与党自民党は直近の衆院選で敗北を喫していました。

 政府にFXを精査する余裕がなかったために、重要な決定を延期するほかになかったのが実情、とも言われています。


武器システムに欠陥?

 F-15は主武装にAIM-7Fセミアクティブレーダー誘導空対空ミサイルを採用していました。

 AIM-7Fはデュアルスラスト・ロケットモータの採用で、射程距離をAIM-7Eから2倍以上に延伸し、誘導装置の完全ソリッドステート化により信頼性が向上、発射母機のルックダウンレーダーと連動しシュートダウン能力を有する、当時としては最新鋭のミサイルです。

 1976年9月には、高度9万フィート・速度マッハ2.7で飛行するボマーク無人標的機を撃墜しており、MiG-25を撃墜しうる能力も示されていました。

 しかし、アメリカのブラウン国防長官が米上院にてキャノン議員に対し、
「F-15の武装すなわちスパローミサイルとその射撃管制装置(との組み合わせ)は要求性能を満足せず,かつ,要求性能を満足するようなスパローミサイルは今後5年くらいの間にできるとは思われない。」
という旨の発言をしたとして、日本で動揺が広がりました。

 初期不良というものは大抵の兵器で見られるものですが、5年たっても直らないとなれば事は重大です。防衛庁も急遽ブラウン長官に発言の真意を尋ねることになりました。

次回へ続く


参考

第75回国会 予算委員会第一分科会 第5号第5号 昭和50年2月28日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/075/0384/07502280384005a.html

1977年 防衛白書 第3章 当面の諸問題 第1節 新戦闘機について
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1977/w1977_03.html

F-15イーグル 世界最強の制空戦闘機(ジェフリー・エセル著 浜田一穂訳 ISBN978-4-562-01667-1 1985年12月1日

F-15Jの科学(青木謙知 ISBN978-4-7973-8079-8 2015年10月25日)

航空自衛隊五十年史(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)

戦闘機パイロットの世界“元F-2テストパイロット”が語る戦闘機論(渡邉吉之 2017年9月10日)


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