Name 名無し 18/05/21(月)23:49:28  No.475873 

1526914168040
仮装巡洋艦についていろいろ意見を
個人的にはゼーアドラーを知った時はビビった
ドイツ仮装巡洋艦vsイギリス巡洋艦 大西洋/太平洋1941 (オスプレイ“対決”シリーズ)
ロバート フォーチェック
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無題
Name 名無し 18/05/21(月)23:55:21  No.475876     
1526914521175
エムデンしか知らん…

無題
Name 名無し 18/05/23(水)17:40:01  No.475970     
1527064801299
1943年に、南方の任地に赴任するため特設巡洋艦「護国丸」に便乗したあるIJA士官さんの回想によると、元外国航路用の客船とあって居住性は大変快適で、美味しい海軍サンの食事も付いた思わぬ豪華な船旅に感激したそうなんですが、ある朝部屋を出た瞬間、黄色いセーターに赤いスカートという女装した乗組員に出くわしてアッと驚き

「なにごとですか」
「赤道祭でも始まるのですか」

と問い掛けたそうなんですが、帰って来た返答は

「本艦は仮装巡洋艦です。次の作戦は、インド洋に出動し、われわれがオトリとなって、敵商船をだまし、拿捕するのであります」

…というものだったそうです

無題
Name 名無し 18/05/23(水)17:40:52  No.475972     
1527064852150
乗員が女装して敵の油断を誘うのは「ゼーアドラー」で考案された戦法であったとも言われているそうなんですが、我IJNが仮装巡洋艦による通商破壊を試みた際も、この戦術にはかなり期待がかけられていたらしく、例えば「護国丸」の姉妹船である「報国丸」「愛国丸」で編成された第24戦隊では、出撃に先立ち同戦隊の参謀さんが私服に着替え、広島市内の婦人服店で2百着の婦人服を秘密裏に購入しているんですとか

もっとも、大量の買い付けは店員さんに良からぬ業者の買い占めと疑われ、危うく断られるところであった所を、呉軍需部発行の特別許可証を提示してやっと入手した、なんて苦労談があったそうなんですか、ともあれ大量の婦人服を「兵器」として塔載して出撃とか、いかにも「女装」…もとい「仮装」巡洋艦らしい逸話ではある気がしますですねえ

無題
Name 名無し 18/05/23(水)17:41:15  No.475973     
1527064875319
もっとも、元商船で乗組員の大部分もそのまま移籍して、海軍将兵も応召の年配者が多かった第24戦隊では、乗組員の平均年齢は35歳を超えていたとも言われているそうで

イイ年のナイスミドルのオジサンたちが、次期作戦の為に!と婦人服を渡された時の反応というか心中は、はたして如何なものであったんでしょうか…w

無題
Name 名無し 18/05/24(木)00:22:00  No.476013
>婦人服
下着も買ったのかな?(小並感)

通商破壊中に襲う船から補充とか出来そうだけど、まあ基本的には孤立無縁が前提だろうし事前の準備は大事だよね(棒)

無題
Name 名無し 18/05/24(木)00:44:02  No.476018
( ・∀・) Qシップ

無題
Name 名無し 18/05/24(木)02:07:42  No.476022     
http://may.2chan.net/39/src/1527095262457.jpg
こういう図解見るとワクワクしちゃうのは男子の性

無題
Name 名無し 18/05/24(木)00:36:58  No.476016
セーラー服は女装

無題
Name 名無し 18/05/26(土)11:48:08  No.476107
服だけ女子でも、顔・髪型が 海の男風では、遠めでも、あやしまれるから、カツラとか おしろいと紅もつかったでしょうかね・・

無題
Name 名無し 18/05/24(木)02:22:20  No.476025     
http://may.2chan.net/39/src/1527096140054.jpg
学校の制服にセーラー服を採用した初期は軍装コスみたいな感覚だったんだろうか?

Name 名無し 18/05/26(土)13:03:38  No.476109 
>学校の制服にセーラー服を採用した初期は>軍装コスみたいな感覚だったんだろうか?
エリートの証だってさ
http://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/nihon/sailor_rekishi.html

無題
Name 名無し 18/05/27(日)17:48:09  No.476170     
1527410889362
>孤立無縁


WW1の際、独の仮装巡洋艦「ヴォルフ」なんかは通商破壊作戦の連続航海日数が450日にも達したそうなんですが、WW2勃発の際、その後輩に当たる仮装巡洋艦艦長さんの中にはまだ健在だった「ヴォルフ」艦長さんを訪れて、通商破壊戦の何たるかを教わってから出撃された方もいらっしゃったそうです…w

因みに1941年2月15日、既にWW2は始まっているものの、未だ日米開戦には至っていない時期の事なんですが、日本本土を遠く離れて、南極海域で捕鯨を行っていた日本の捕鯨母船「第二図南丸」が、操業中の船団に怪しい汽船が一隻、接近してくるのに気づいたんだそうで

無題
Name 名無し 18/05/27(日)17:53:21  No.476171     
http://may.2chan.net/39/src/1527411201045.png
捕鯨船でも観測船でもない通常の船舶がノコノコ南氷洋を航行しているというだけで怪しい所に、ボチボチ太平洋の波高し…といった時期の事ですから、さてはシーシェp…米英あたりの監視船が嫌がらせに来たのでは?と船橋は緊張に包まれたそうなんですが、ややあって接近してきた船は船団の周りを一周した後、

「ワレ、ドイツ船ナリ」

…と発光信号を送って来て、捕鯨船団の一同はホッと胸を撫でおろしたんですとか

この怪しい汽船の正体は、ドイツ仮装巡洋艦の1隻「コメート」で、独占領下のポーランドを出港した後、ソ連沖の北極海を横断して太平洋に入り、幾多の通商破壊作戦をこなしながら8ヵ月がかりで南氷洋まで辿り着いたところだったんだそうです

無題
Name 名無し 18/05/27(日)18:43:47  No.476173     
1527414227555
「コメート」からはアイサツの後、食糧補給の要請があり、そこは三国同盟の友邦国の誼という事で野菜や罐詰、酒煙草などの嗜好品、そしてもちろん新鮮な鯨肉が届けられて、「コメート」は

「豊かになった食糧備蓄に勇気づけられ好意に満ちた日本の船乗りの親切に感謝しつつ、さらなる闘志を燃やし」

…て去っていったそうなんですが、結果から言えばその後「コメート」はインド洋及び太平洋、大西洋を股にかけて、1941年11月、ハンブルクに無事帰港するまで実に1年9ヵ月、16万1千キロという「ヴォルフ」をも上回る一大航海を全うしているんですが、その達成にはいくらか日本捕鯨船団の「支援」が貢献していた、という話になるみたいですな…w

無題
Name 名無し 18/05/27(日)18:47:14  No.476174     
1527414434313
ただこれは余談なんですが、「第二図南丸」と「コメート」の洋上の交流とちょうど同じ頃、やはり独の仮装巡洋艦「ペンギン」は情報解析により、南氷洋で操業していた鯨加工母船3隻、キャッチャーボート11隻からなるノルウェーの捕鯨船団を丸ごと捕獲するという「大戦果」を上げているんだそうで

従って、あるいは日本の捕鯨船団に接近してきた「コメート」にも同様の意図が有って、発見したのが「友邦国」日本の船団だったのはある意味では「外れ」だったのかもしれませんが、逆にかつてのWW1時には日独は敵同士の間柄でしたので、先述の「ヴォルフ」なんかは戦中日本の輸送船「常陸丸」を洋上で襲い、強奪した物資で通商破壊の航海を続けていたりするんですとか

無題
Name 名無し 18/05/27(日)18:48:32  No.476175     
1527414512388
「ペンギン」の強奪した鯨油2万2000トンは、マーガリンの原料となってドイツ本国の人々の胃袋を満たし、大いに喜ばれたそうなんですが、ほんの数十年前ならというか、もし仮にどこかで歴史の歯車が噛み違っていたならば、「第二図南丸」以下の日本捕鯨船団も、ノルウェーの同業者と同じ運命を辿って、別の意味で「コメート」の乗組員さん達と、ドイツ国民の方々を喜ばせることになっていたかもしれませんですなあ

無題
Name 名無し 18/05/27(日)19:26:54  No.476176
>孤立無縁

とはいってもWW1~WW2序盤までの通商破壊戦では
いきなり敵商船を撃沈するのではなく、とりあえずは停船と通信停止を要求し、戦略物資を積んでいた場合に没収、乗員を退避させた上で沈めるのがセオリー
何というか紳士的にやってたわけでそこまで殺伐としたものではなかった
それに引き換え今の民間人誤爆上等のドローン戦争の悲惨さは…

無題
Name 名無し 18/05/27(日)19:59:27  No.476177
大航海時代やその後の私掠船や海賊と似てるね

無題
Name 名無し 18/05/29(火)00:50:15  No.476234     
1527522615986
No.476022さんが紹介されてる、黒田硫黄せンせいのまんが「あたらしい朝」で取り上げられております独仮装巡洋艦「トール」が、1942年に日本の横浜港に寄港した時のお話だそうなんですが、当時同艦を訪れたIJNの児島秀雄大佐の回想によると、見学の後、昼食に招待されたそうなんですが

「それが出てきた料理はジャガイモだけなんです。まあ、長い航海の後ですから、やむを得ない。それで肉を差し入れましょうと言うと、肉は積んでいるが、本国で今日は肉無しデーなのでと答え、代わりにビールを出してくれた。本国からは遥か離れた極東の日本なのだから、ちょっとぐらいいいのじゃないかと私たちは思うけれど、そこはやはりドイツ人の律義さでしょうかね」

…なんてことがあったんだそうな

無題
Name 名無し 18/05/29(火)00:50:32  No.476235     
1527522632660
「肉抜きの食事」は要は日本の「日の丸弁当」みたいなものだったようなんですが、それでもイモとビールは欠かせない辺りが如何にもドイツらしいといいますか…w
ただ、実際の所「トール」の食糧事情はある意味戦時下の日本の一般社会より恵まれていた面も有ったそうでして、当時駐日ドイツ大使館で武官室付通訳官を務めていた横川文雄さんによれば 

「《軍艦十号(※=「トール」)》は既に十隻の船を撃沈し、数隻の船を拿捕して日本に回航していた(略)中でも、後に《ロイテン号》というドイツ船名に変えられた《南京丸》は(略)インドの連合軍のためにオーストラリアから缶詰その他の糧食を満載して航行中(略)拿捕されて(略)3500トンの船につまっていたおびただしい、しかも素晴らしいご馳走は、今次大戦が終了するまで、在太平洋ドイツ海軍の貴重な糧食を引き受けることになった」

…んですとか

無題
Name 名無し 18/05/29(火)00:50:46  No.476236      
1527522646870
因みに横川氏によると、この「トール」のお宝船の鹵獲に大いに刺激された日本海軍では、自分たちでも通商破壊戦を行うにあたり、「南京丸」によく似た商船を特に追い求めたそうなんでですが、ある時、ついに首尾よく一隻のインド向け商船を捕らえることに成功したんだそうで
ところが、

「なんとこの船の積荷は、船倉いっぱいに積み込まれた軍隊用の靴の山であった。しかもそれは外国人用の超特大の軍靴なので、一足として役に立つものはなかった」

…なんていう、後日談?があったそうです…w

無題
Name 名無し 18/05/29(火)10:38:33  No.476245
>船倉いっぱいに積み込まれた軍隊用の靴の山であった。
弾薬か糧食か?ワクワクしながら開けてみたらベレー帽、、、、

無題
Name 名無し 18/05/29(火)01:21:23  No.476238     
http://may.2chan.net/39/src/1527524483848.jpg
クジラ油がマーガリンとしてドイツに渡っていたのは有名ですね。あと、満州産のアヘンがモルヒネの原料として輸出されていたはず。

モンスーン戦隊だか仮装巡洋艦だかに、ドイツ人好みの黒パン(ライ麦使用)を提供するために、日本では希少なライ麦をかき集めた、みたいなエピソードがあったような。シェーアのデュケサステーキ(卵マシマシ)にある如く、通商破壊=長期間哨戒=飯!なんでしょうかね。

無題
Name 名無し 18/05/31(木)00:09:46  No.476321     
1527692986406
>日本では希少なライ麦をかき集めた

横川さんによれば、南洋で活動するドイツ潜水艦十隻に補給するため、海軍省で黒パンの原料である「裸麦」を苦労して十トンも集めた後、やはりドイツ本国に帰還できないでいた独輸送船「ロスバッハ」に載せて送り出したものの、土佐沖で敵潜水艦により同船が撃沈され、ついに南海で待ちわびる独海軍軍人さん達には届かずに終わった…というカナシイ話があったそうです
なお、横川さんの手記では集めたのは「裸麦」とあるんですが、「裸麦(はだかむぎ)」というと普通は大麦の一品種で、黒パンの原料となるライ麦とはちょっと違うんですが、当時の日本の文献等ではライ麦を「裸麦(らむぎ?)」と表記することもあったらしく、この辺実際どうだったのかはちょっと気になる所ではあります…w

無題
Name 名無し 18/05/31(木)00:11:11  No.476323      
http://may.2chan.net/39/src/1527693071861.jpg
因みに、「トール」及び「南京丸(ロイテン)」は横浜に碇泊中、独輸送船「ウッカーマルク」号の爆発事故に巻き込まれて両船とも沈没してしまうんですが、「南京丸」の貴重な積荷は既に大部分が陸揚げされていて難を逃れ、その後日本での長期滞在を余儀なくされた「トール」乗組員さん達には、その生活を支える貴重な物資ともなったんだそうで

また、「トール」他の生存将兵さん達は、箱根は芦之湯の旅館をその生活場所に指定されていたんですが、横浜や鎌倉に「別同隊」を派遣してライ麦等の確保に努め、自分らで黒パンを焼き、南方で鹵獲したヤシ油とソーダで石鹸を作り、「南京丸」の缶詰と交換で地元の農家から家畜を手に入れて、かつて船上で飼育していた際のノウハウを活かして養鶏・養豚を始め、職人上がりの水兵さんがハムやサラミを作る、旅館の裏庭を借りて畑もつくって西洋野菜を…と、実にドイツ的な勤勉さを発揮して自給自足に努めていたんですとか

無題
Name 名無し 18/05/31(木)00:12:04  No.476325     
http://may.2chan.net/39/src/1527693124890.jpg
更に、お世話になっている地元への恩返しに、旅館の前に本格的な貯水池まで掘っているんですが、この話に感激したわが日本海軍が元箱根の役場宛に日本酒の樽を届けまして、独側ではさっそくリヤカーを引いた三人の「派遣隊」を取りに行かせたんだそうで

ところが、この「派遣隊」が待てど暮らせどなかなか帰ってこず、みんなで心配している所にようやく帰ってきたところが三人ともフラフラの様子だったので驚いたものの、物資の輸送中に”積荷”の誘惑に勝てず、道中つまみ食いならぬつまみ飲みに及んでいたことが判明して忽ち規律違反で営倉送りとなったものの、仲間内からは大いに羨ましがられた…
なんて笑い話もあったそうです

無題
Name 名無し 18/05/31(木)00:14:24  No.476326     
http://may.2chan.net/39/src/1527693264724.jpg
もっとも、地域住民、特にその一部との独将兵さんの「交流」にはいささか行き過ぎる所もあったそうで、当時の箱根の様子を題材にした獅子文六せンせいの「箱根山」によれば

「女に対して、たいへん軍紀が寛大なのである。下士官から水兵になると(略)その辺であった女に、ことごとく盟邦精神を発揮した。彼等には、振られては恥かしい、という考えがないので、一応、申し入れを行ってみるのだが、歩留まりは高かった」

「なぜといって(略)彼等は、チョコレート、缶詰、石鹸等の有力武器を、持っていた」

…んですとか

無題
Name 名無し 18/05/31(木)00:16:13  No.476327     
1527693373781
「箱根山」は小説では有るんですが、実際「神奈川県警察史」によりますと

「芦之湯在住のドイツ将兵と交渉をもった女性のうち、二十八名が妊娠したという事実が明るみにでたときには大きな社会問題となり、警察部の幹部はその責任上、ドイツ側代表と協議し、その善後策を講ずるなど事故防止対策に苦慮した」

…そうです

自分達の軍需物資を分捕られた上、ナンパの手段に使われたエゲレス海軍こそいい面の皮、
という話かもですが、鹵獲物資により生き残るだけでなく、それを活用して更なる戦果を上げる…!とか、これが通商破壊戦の極意なのですね…!

(違

無題
Name 名無し 18/05/31(木)09:13:26  No.476336
>更なる戦果

日本の女性は友好国民なんですけお!

無題
Name 名無し 18/05/31(木)16:29:42  No.476341 
ドイツでは婚前交渉は普通らしいし(棒

ただまあ、まだそんなに戦局の悪化してない時期に事故の結果とは言え
戦火の及ばない地域で終戦まで過ごせた、ってのは、その後のドイツ海軍の運命を考えると案外幸運な方だったかもねえ

無題
Name 名無し 18/06/02(土)00:15:52  No.476388     
http://may.2chan.net/39/src/1527866152624.jpg
>旅館の前に本格的な貯水池まで掘っている

箱根七福神めぐりの弁財天ちかくにある池がそれだったとは知らなかった

無題
Name 名無し 18/06/03(日)10:05:26  No.476456       
1527987926728
「トール」の生存者全てが終戦まで日本で自給自足や大和撫子との国際交流(意味深)で明け暮れたわけではなく、例えば「トール」艦長だったグンプリッヒ=サンなんかは、事故の3ヶ月後、同じ独の仮装巡洋艦「ミヒェル」が神戸に入港すると、その艦長ルクテシェル=サンと交代していまして、「トール」乗組員から選抜された約百名とともに、再び太平洋に出撃しているんだそうで

また当時、神戸の三菱造船所で、入港した「ミヒェル」の修理にあたった、電気技師の松尾清さんという方の回想記が残されているんですが、職務上具に見学できた「ミヒェル」は所謂本チャンの軍艦ではないものの、そこは如何にもドイツらしい、もしくは仮装巡洋艦らしい新規な諸設備が艦内に満載されていて、大変興味深かったようです

無題
Name 名無し 18/06/03(日)10:06:22  No.476458      
1527987982190
「煙突がスイッチ一つで5メートルばかり後退すると、15センチ主砲が顔を出す仕組みになっていた。その砲身には、撃沈したり、拿捕したりした船名と日付、あるいは船のシルエットなどが書き込まれていた」

「船腹がひらかれると53.3センチ魚雷発射管が、水面上の両舷に各2門、水面下両舷に各1門が装備されており、いつでも魚形水雷を発射できるかまえをみせている」

「魚雷発射専用の快速艇(LS4)1隻も、ぶきみな存在であるが、さらに小型飛行機アラド196が、船倉に2機格納されていた」

無題
Name 名無し 18/06/03(日)10:07:06  No.476459      
http://may.2chan.net/39/src/1527988026070.jpg
「第1船倉には、音響探知機の受信盤がとりつけてあった。これは、日本の船舶にも装備してあったが、その性能はだいぶおとっていた。」

「したがって、この受信盤は、日本海軍にとっても垂涎のものであった。私はこの重い受信盤をたずさえて、海軍の特別許可で急行列車に乗り、東京・五反田の海軍技術研究所へおもむいた」

…そうなんですが、実際に日本経済新聞社の「海軍技術研究所」には、やはり横浜に入港した「トール」の装備していたアクティブソナーや、便乗してきたドイツ人技術者さんらが日本の水測兵器開発に大きく影響を与えたエピソードが紹介されておりまして、「ミヒェル」の音響探知機を借り受けたのも、そうした技術先進国ドイツからの技術導入の目論みの一つだった、って事みたいですなあ

無題
Name 名無し 18/06/03(日)10:08:15  No.476461     
1527988095490
因みに、松尾さんの目を引いたアヤシイ快速艇「LS-4」なんですけれども、コレは独逸で仮装巡洋艦に搭載する為に、航空機メーカーのドルニエ社に製作が依頼された一連の小型魚雷艇シリーズの1隻であるんだそうで


http://s-boot.net/sboote-km-dat-ls7.html

アルミニウム製の船体に大馬力エンジンを積んで速力42ノット以上(LS-4)、魚雷2本か機雷数発を塔載するスマートな小型ボートで、航空機メーカーらしい?透明風防の旋回銃座に15ミリ機関銃を装備した姿は非常にカッコイイと思うんですがw
こんなのがアラド水上機と共に、貨物船に艤装した母船からいざ鎌倉!という時には急遽発進して獲物に襲い掛かる!なんて、実にオトコノ子の心の琴線を刺戟しまくるギミックではありますですねえ

無題
Name 名無し 18/06/03(日)10:08:58  No.476462     
http://may.2chan.net/39/src/1527988138041.jpg
実際、初出撃の時から「LS-4」を塔載して航海に出た「ミヒェル」の獲物の中には、その発射管の魚雷によるものが数隻あったそうなんですが、前述の横川氏によれば魚雷戦以外にもこの快速艇は重宝されていて

「昼間は艦載機を飛ばして敵を求め、夜間は自慢の時速42ノットの快速艇に終夜艦の周りを走らせて敵潜の警戒にあたらせて行動した」

…そうで、グンプリッヒ艦長に交代して再出撃した際にも無論このやり方は踏襲されていたそうなんですが、ある夜不運にも

「この夜に限って、余りに浪が高かったため、さすがの快速艇も勤務に就かせることができなかった。この警戒のゆるんだ千載一遇の機会をアメリカの潜水艦(※『ターポン』)はものの見事につかんでしまった」

無題
Name 名無し 18/06/03(日)10:10:08  No.476463     
1527988208281
荒れ狂う浪間に敵潜の放った魚雷を三本も立て続けに食らって」

…しまい、結局グンプリッヒ艦長以下乗員の大部分が「ミヒェル」もろとも戦死してしまう、という悲惨な結末を迎えることになってしまったんですとか

なお、生存者7名を乗せたゴムボートと遺体1体が漂流の後八丈島に辿り着き、島民の手厚横鎮から派遣された掃海艇に6名と遺骨2体(1名は救助後死亡)を引き渡して、島民には独大使館から感謝状、ボートを発見した監視哨宛に東條英機内閣総理大臣よりやはり感謝状と金一封が届けられるという後日談があったそうなんですが、その数少ない「ミヒェル」生存者の中に、「LS-4」艇長シュモーリング中尉が含まれていたそうです

その仮装巡洋艦としての短い生涯の間、色んな意味で魚雷と魚雷艇に縁があった艦、という事になりますですかねえ

無題
Name 名無し 18/06/04(月)13:16:52  No.476507
ドイツ艦はやっぱエピソードが多いね

まあ考えてみれば日本より2年早く開戦しているんだし
ドイツ海軍自体が通商破壊に特化したせいではあるんだろうけど

無題
Name 名無し 18/06/04(月)21:55:57  No.476511
>>LS-4

これは・・・かっこよすぎて脳が溶ける・・・

無題
Name 名無し 18/06/05(火)00:07:35  No.476518
ドイツ海軍は一点豪華主義の巨艦と小型艦のバランスの悪い海軍力で使われ方が限定されてしまった
陸軍国にしては努力した方だと思う

無題
Name 名無し 18/06/05(火)02:42:33  No.476519     
http://may.2chan.net/39/src/1528134153479.png
停船命令を出してきたオーストラリア海軍軽巡洋艦シドニーを近距離砲戦で相打ちながら撃沈したコルモラン
無題 Name 名無し 18/06/08(金)19:30:38 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.476631      
1/700 日本海軍特設巡洋艦 浅香丸 1942
戦前、日本郵船が欧州向けの高速定期貨物船として建造した優良貨物船で「朝香丸」というフネが有ったそうなんですけれども、同船は1940年に海軍に徴用され、まずは特設運送艦として運用されたんですとか

その任務としては1941年、既にWW2の真っ最中のドイツへ向う陸海軍軍事技術視察団を欧州へ運び、帰りにはドイツからの戦闘機・魚雷関連装置・音波探信儀等の兵器を積んで帰った、なんてものも有ったそうなんですが、緊迫した世界情勢のただ中で、民間貨物船では困難な際どいミッションを無事にこなし、ドイツからの技術導入とそれによる国産兵器開発に大きく寄与しているんだそうで

そして欧州から帰国後の1941年9月、今度は大砲や魚雷発射管と言った仮装巡洋艦としての兵装を塔載する改装を受け、改めて「特設巡洋艦」となったところで、「大東亜戦争」勃発を迎えることに

無題
Name 名無し 18/06/08(金)19:31:33  No.476632      
その開戦直前の41年12月7日、「朝香丸」は僚船「栗田丸」と共に早速出撃を命ぜられるんですが、その行先はハワイ・南方と言った「主戦場」ではなく、北方はカムチャツカの東方海域であり、要は対米英開戦にあたり、ソビエト=サンが余計な動きに出てこないか監視しておれ、という任務だったそうなんですな

幸い何事も起きないまま、無事帰投した「朝香丸」に与えられた次なる任務は、世界の海を股にかけての、通商破壊という名の冒険の旅!…ではなく、本土東方の洋上でアメちゃんの艦隊を警戒する特設監視艇隊の母艦任務であったそうでして、漁船改造の小型艇で各種設備に乏しい隷下の特設監視艇数十隻を、食糧や清水の補給、哨区の調整や故障の救援等面倒を見る…という仕事に大わらわな毎日であったんだそうで

無題
Name 名無し 18/06/08(金)19:34:24  No.476634      
1528454064879
それでも、42年4月のドゥリットル隊の奇襲爆撃の際には、急遽「朝香丸」に対して、同隊を発艦させた米機動部隊に触接する様命令が下されたそうなんですが、いくら速力19ノットの高速(元)貨物船であっても、より高速でハワイへまっしぐらに引き返す米空母に追いつけるはずもなく、空しく引き返せざるを得なかったそうです

もっとも、仮に兵装14サンチ砲数門、魚雷発射管4門のみの「朝香丸」が、正規空母と巡洋艦からなる米機動部隊に実際に接触していたら、鎧袖一触(されて)、沈没の憂き目を見ることは避けられなかったでしょうから、ある意味では命拾いした、という事になるんでしょかね

その後42年6月、今度はIJNが再び攻勢に出、ミッドウェイ島攻略作戦が発動され、「朝香丸」も哨戒母艦の任を一時離れて出撃するんですが、ある意味またもやといいますか、「本命」のMI攻略部隊ではなく、牽制作戦としての北方キスカ島占領部隊の一員としての参加であったそうです

無題
Name 名無し 18/06/08(金)19:36:22  No.476635      
1528454182596
この作戦で「朝香丸」は占領部隊の上陸に先立ち、搭載してきた大発とその運用する簡易式掃海具でキスカ湾内の掃海を行っており、言わば臨時の掃海母艦として働いたそうなんですが、その後も何かとキスカ島ならびにアッツ島との縁は続き、同地の防御強化の為の資材を度々輸送しているそうで

後に米軍が反撃に出て、アッツ島が奪還された際には、部下の哨戒艇数十隻と共に北方海域に進出し、各種作戦支援の任務に就くんですが、時には陸サンの輸送船に同行して航行中、自前の水上機で米潜水艦を発見すると、果敢に爆雷攻撃を行って護衛任務を全うした、なんてことも有ったそうです

またこの間一旦横須賀に帰投した際、任務の重要性に鑑みて…という訳でもないでしょうけれど、21号電探及び水中聴音機が装備され、日本の特設艦船としては豪勢な?改造が施されているんですとか

無題
Name 名無し 18/06/08(金)19:37:07  No.476636      
因みにこの時北方に戻る際、部下の監視艇たちへの「お土産」として、7.7ミリ機銃とその弾薬多数他を積んで帰っているんですが、その中に「槇千把」と有るのは燃料用なのか暖房用なのか、ちょっと気になる所です…w

更に、遂にアッツ島奪回断念、キスカ島守備隊撤退が決定されるに至ると、当初「朝香丸」が同島守備隊員の救出船として計画されたそうなんですが、速力等の面から本チャンの軽巡洋艦・駆逐艦の水雷戦隊のみによる突入に変更され、無事成功したのは周知の通りでこの決定自体は実際正しかったと思われるんですが、結果から見れば「朝香丸」は、「太平洋の奇跡」と称される一大作戦に名を遺すチャンスを補欠として見送ることになった、という事になるんでしょかね

また、同作戦終了後、ほどなく「朝香丸」は「特設巡洋艦」から「特設運送船」に再改修され、以後は輸送任務のみに専念しているんだそうで

無題
Name 名無し 18/06/08(金)19:39:47  No.476637      
1528454387974
「朝香丸」が「特設巡洋艦」として活動していた期間において、結局独の仮装巡洋艦のような敵船〇万トン撃沈・鹵獲!といった戦果を挙げる機会には一度も恵まれなかったものの、その任務の内容は輸送、補給から哨戒、護衛、掃海etc…と実に多岐に渡っていて、時には仮装巡洋艦としての艤装も活かして実によく働いて居た、という事みたいんですが、そんな縁の下の力持ち、と言った感のある「朝香丸」にも、一つだけ華々しい海戦の場における武勇伝があるんですとか

1943年3月、アッツ及びキスカ島守備隊向けの補給品を搭載して、重巡「那智」率いる第5艦隊に守られて航行中の「朝香丸」は、米海軍マクモリス少将率いる米艦隊に遭遇、直ちに避退に移るんですが、その際同艦の14サンチ砲は敵艦隊先頭の駆逐艦「ベイリー」に数発砲撃を加えているそうです

無題
Name 名無し 18/06/08(金)19:41:15  No.476638      
1528454475140
更に「朝香丸」の乗組員さんらによれば、同艦が甲板上の魚雷発射管を敵に向けると、コレに恐れをなした敵艦隊が逃げ出していったそうで、仮装巡洋艦のささやかな反撃行動が、正規の巡洋艦からなる米艦隊を撃退した…という、実に痛快なエピソードがあったんだそうで

もっとも、実際の所は米艦隊の「逃亡」は「那智」ら日本艦隊との交戦の為の変針であって、ソレがあたかも「朝香丸」からみれば避退していくように見えた…というのが真相であったそうなんですが、その生涯をひたすら裏方仕事に尽くした特設巡洋艦が、図らずも正規の艦艇同士の決戦の場に巻き込まれて生まれた勇ましい武勇伝、或はムキにツッこむのは野暮というものかもしれませんですなあ…w

無題
Name 名無し 18/06/08(金)22:25:01  No.476649
>戦前、日本郵船が欧州向けの高速定期貨物船として建造した優良貨物船で「朝香丸」

経歴から見るに浅香丸ですかね

無題
Name 名無し 18/06/08(金)22:40:29  No.476651      
http://may.2chan.net/39/src/1528465229634.jpg
>その中に「槇千把」と有るのは燃料用なのか暖房用なのか、ちょっと気になる所です…w

これ槙肌(まきはだ・まいはだ)の事じゃないですかね?
耐水性が強い槙の樹皮を砕いて繊維状に加工にした船や水桶の水漏れ箇所に詰めるコーキング材でほぼ木造船だったであろう監視艇には必要不可欠な物資だったかと

無題
Name 名無し 18/06/10(日)03:28:57  No.476697
戦後半ばまでは言えるけど当時の貨物船
荷主便乗や小規模の旅客需要を賄うために一応客室や旅客用食堂や浴室とかついてるんだよね

無題
Name 名無し 18/06/10(日)18:38:24 IP:122.135.*(mesh.ad.jp) No.476723
1528623504486
>「浅香丸」


 orz

>これ槙肌(まきはだ・まいはだ)の事じゃないですかね?

コレは全く知りませんでした、御教示有難うございます
実際非常に納得できるというか、恐らく正解の解釈ではないでしょうか…
勉強になりました

無題
Name 名無し 18/06/10(日)18:43:56  No.476724
1528623836339
因みに先の大戦中、ドイツが放った仮装巡洋艦が11隻、日本海軍が徴用・改装した特設巡洋艦が14隻ほどであったそうなんですが、コレに対し大英帝国海軍が準備した仮装巡洋艦は50隻を超え、言ってみれば大戦中最大の仮装巡洋艦運用国であったんですとか

これらのエゲレス仮装巡洋艦もやはり多様な任務に就いており、中にはライバル格の独仮装巡洋艦と熾烈な戦闘を交えたり、或はさらに強力な独巡洋戦艦が輸送船団を襲って来た際、盾となってボコボコにされたりした艦も有ったりするんですが、そんな不運な英仮装巡洋艦の1隻に「ジャーヴィス・ベイ」というフネがあったんだそうで

1940年11月夕刻、カナダから英本国へ向かう38隻からなる輸送船団を先導・護衛していた「ジャーヴィス・ベイ」は、独の通商破壊船に遭遇するんですが、この相手というのが「ジャーヴィス・ベイ」より格段に強力なポケット戦艦「アドミラル・シェア」だったそううなんですな

Name 名無し 18/06/10(日)18:45:07  No.476725
1528623907565
主砲28センチ砲6門他の重武装を誇る「シェア」に対し、「ジャーヴィス・ベイ」の備砲は旧式の15センチ7門のみ、端から結末は見えていた勝負ではあるんですが、「シェア」艦長のT・クランケ=サンによれば、その戦いぶりは「いまやその船(※『ジャーヴィス・ベイ』)は、コンボイを守る位置につこうとするかのように、どんどんと前方に突進していた」

「イギリスの艦長は(略)大西洋の只中で、ドイツのポケット戦艦と遭遇したのだった。彼がこのことを知り、直ちに行った反応は、自らの船をシェアと、明らかに二本煙突の客船との間に置くことだった」

無題
Name 名無し 18/06/10(日)18:46:52  No.476726
1528624012696
「敵からも発射の光が見えた。だが船の中央から吹き出す焔は、シェアの主砲から噴出するおそるべき火焔と、あたりを震わす爆発に比べればごく小さく、弱弱しいものだった。それは単なる信号灯ぐらいにしか見えなかったが、これらは敵もその能力の精一杯を示して応射していることを示していたし、それほどにも素早く対応してきたこと自体、イギリスの仮装巡洋艦はすでに戦闘準備をととのえ、その備砲も訓練をつんだ本職の水兵によって操作されていることを物語っていたのである」

「敵艦は火災を起しはしたが、依然コンボイから離れて左側に進み、シェアにより近づこうとした。この大胆な動きの意図は明白だった。イギリスの艦長は、彼が護っているコンボイから、シェアを遠ざけようとしたのである」

無題
Name 名無し 18/06/10(日)18:58:50  No.476732
「イギリスの艦長は、自艦がどうしようもないほど劣勢であることを知っていたし、船を救うことはできないことも分かっていた。しかし彼は(略)自艦がその射撃を一手に引き受けている間はコンボイに近寄らないでいてほしいと望んでいた」

「今やイギリス仮装巡洋艦は激しく炎上しており(略)しかしイギリス艦は闘いつづけた。(略)最後には、艦尾にある一門の方だけが射撃を続け、船は激しい焔に包まれていた。焔と煙、そして依然降りそそぐ弾丸の中にあって、最後の大砲が、なぜかなりの正確さを持った射撃を行うことができたのか、シェア艦上から見つめている人々には不思議でならなかったし、最後の射撃まで必死に闘いつづけようとする勇敢な敵乗組員に対して、深い尊敬と賛嘆の気持を抱かずにはいられなかった」

無題
Name 名無し 18/06/10(日)19:03:03  No.476733
「シェアの艦上の人々が知らなかったことはまだある─最初の命中弾で、イギリス艦長が重傷を負ってしまったという事実である。片足が吹きとばされてしまい、もう片方も重傷を負った(略)備砲が次々と破壊され、兵員もばたばたと死んでいくか負傷してしまうと、彼は手と膝でうしろに這って行き、彼に残された最後の大砲の発射を自ら指揮したのだった」

「仮装巡洋艦の艦尾に数発が命中し、船は次第に水中に没しはじめた。しかしたとえ船が沈みかけても、艦尾の砲手は依然射撃を続け、マストのイギリス国旗はまわりにゆらめく焔の中にひるがえり続けていた」

…というものであったそうです

無題
Name 名無し 18/06/10(日)19:04:39  No.476734
因みに「ジャーヴィス・ベイ」艦長のE・S・F・フェーゲン=サンはこの数年前、エゲレス巡洋艦「サフォーク」の艦長としてアジア海域で航行中、座礁したドイツ商船「ヘドウィッヒ」号の救助に当たっていたんだそうで

「その救助作業も、フェーゲンとその部下により、同じような熱意と大胆さをもって行われたドイツ人乗組員は、英国水兵の身の危険をかえりみぬ作業によってようやく救助されたのだった」

…そうなんですが、対手であるクランケ=サンらが「ネルソンの伝統を忠実に受けついでいた」と高く評価するフェーゲン=サンと「ジャーヴィス・ベイ」の戦いぶりは、まさしく「英国は各員がその義務を尽くすことを期待」した所に完璧に答えた例の一つ、という事になるんでしょかねえ

無題
Name 名無し 18/06/10(日)20:35:48  No.476745
>ジャーヴィス・ベイ

木俣滋郎さんの本で読んだなあ…
結局その後船団の船も何隻か食われちゃうんだけど、ジャーヴィス・ベイとの
交戦で手間取った分、大分被害が軽減したとか…

無題
Name 名無し 18/06/11(月)12:44:54  No.476782
木俣先生は高校の英語教師だった、軍事と鉄道好きで存命なら90近いはず。

無題
Name 名無し 18/06/11(月)16:00:50  No.476786
まあ軍艦に運の話は付き物だよね

報国丸とかは逆に相手の貨物船がたった一発撃った弾がたまたま水上機に直撃

燃料に引火して火災発生

ちょうど真下に魚雷貯蔵庫が!

・・・とかいうコンボが決まって沈んだはず

無題
Name 名無し 18/06/11(月)17:14:25  No.476788
事故などもそういう偶然の積み重ねで起こるからね
その事例だと
1. 燃料は抜いておけ
2. 燃えやすいものの下に危険物を置くな
というごく当たり前の安全対策が当てはまる
兵器ならダメコンだな

無題
Name 名無し 18/06/11(月)18:08:28  No.476792
1528708108977
WW2がまだ枢軸サイドに優位に展開していた序盤の頃の話だそうなんですが、東西両戦戦でドイツサンが破竹の進撃、連合軍側は受け身の態勢一方という情勢下で、エゲレスの実効支配下にあった中近東の諸国では動揺というか、はっきり離反・親独の動きを示す国々が出始めていたんだそうで

こうなると面白くないのはジョンブル=サンで、なんだ、たかが地下に眠る膨大な石油資源をエゲレス資本の企業で製油所で独占して長年タダ同然の安値で搾取し続けてきたぐらいで裏切りおって…!と大いにおかんむりだったそうなんですが(棒
実際の所、これらの国々が枢軸サイドの手に落ちれば、石油資源のみならず、独の猛攻に晒されているソ連への援助ルートも危うくなるとあって、直ちに制圧のための軍事作戦が立案・実行されているんですとか

無題
Name 名無し 18/06/11(月)18:20:35  No.476793
1528708835385
その中の一つに、英軍およびソ連軍との共同によるイラン帝国の占領作戦というものがあったそうなんですが、その際、ペルシャ湾に面した港湾や海軍基地の占領のため、大英帝国海軍にも協力が求められたものの、当時世界中の海で苦闘中とあって艦艇戦力に余裕はなく、派遣艦隊の中心はスループ、コルベット、武装ヨットといったごく小型の艦艇であったそうなんですが、その中で唯一1万総トンを超える「大型艦」として、元大型客船の特設巡洋艦「カニンブラ」が配属されていたそうです

6インチ砲7門、3インチ対空砲2門を持つ「カニンブラ」は上陸作戦に先立ち、その水兵の一部をターバンでアラブ人に変装させて現地に送り込み、敵情偵察を行わせたりもしているそうなんですが、作戦発動の際には要港バンダルシャープール港占領を命じられ、精鋭グルカ兵部隊を含むインド人歩兵部隊を乗船させて出撃しているんだそうで

無題
Name 名無し 18/06/11(月)18:40:47  No.476794
http://may.2chan.net/39/src/1528710047826.jpg
バンダルシャープール港に突入したエゲレス軍部隊は「カニンブラ」の兵装による支援の元、同港に停泊していた枢軸側商船8隻、イラン軍砲艦2隻、浮きドックなどを鹵獲するという「大戦果」を挙げているんですが、イラン占領作戦全体も結局終始連合側の思惑どおりに進み、1941年9月までには英ソ両軍が首都テヘランに入場、親枢軸の政府は総辞職してイラン皇帝さんも退位、めでたく?連合国よりの新政権が発足して集結しているそうです

まあイラン側にしてみればたまったものじゃあなかった訳ですが、実際一連の作戦の結果、その後の戦中もイランからの石油資源供給が保証されると共に、夥しい量(500万トン以上)の軍需物資がイランルートでソ連に供給されていますので、WW2における連合軍全体の勝利に対してという点では、大いに貢献する所があったんですとか

無題
Name 名無し 18/06/11(月)18:48:02  No.476795
http://may.2chan.net/39/src/1528710482396.jpg
その後、「カニンブラ」は南太平洋に回航され、今度は新たに始まった日本軍との戦闘に参加する事になるんですが、1942年5月31日にオーストラリアのシドニー港に停泊していた「カニンブラ」は、同日に行われた日本海軍の特殊潜航艇(甲標的)による襲撃の場に居合わせており、港内に侵入した甲標的の1隻(松尾敬宇大尉艇)に対して砲撃を行ったりもしていましたり

更に翌年、特設巡洋艦からLCVP22隻を塔載する揚陸母艦に改装された「カニンブラ」はオーストラリア海軍に移籍、ニューギニア方面や、後には米軍と協同でレイテ島への上陸作戦へ参加するなど、終戦まで南太平洋で働いて居たそうです

無題
Name 名無し 18/06/11(月)18:55:19  No.476796
http://may.2chan.net/39/src/1528710919960.jpg
中近東から太平洋まで、文字通り東奔西走した「カニンブラ」は戦後、再び客船に戻り、民間航路に復帰しているんですが、やがて日本の東洋郵船に買収されて「オリエンタルクイーン」 と改名、東京オリンピックの際にはホテルシップも務めていたりするそうなんですが、主にグアムやサイパン、オーストラリア、或は香港や小笠原といった観光地を巡るクルーズ船として親しまれたんだそうで

国王陛下の(特設)巡洋艦として、敵地のど真ん中に乗り込んで敵船多数を鹵獲した武勲艦が、独の仮装巡洋艦、あるいは日本軍との戦闘の為に疾走していた海域で、かつて敵国だった国の客船として静かな余生を送ったというのは、波乱万丈だった人生ならぬ、船生の結末としては、決して悪くなかったんじゃあないでしょか…w


無題
Name 名無し 18/06/14(木)06:15:00  No.476857

まじか!あのホテルニュージャパンで有名なおっさんの日本郵船関連っぽい空気の似非企業の東洋郵船のオリエンタルクィーンの前歴は特設巡洋艦とは
某ブログでは氷川丸より若干大きい船って紹介されてたな

引用元: http://may.2chan.net/39/res/475873.htm

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