無題 Name 名無し 18/05/02(水)01:44:04  No.1242591

ハセガワ 1/350 日本海軍 艦船装備セット B 水雷兵装 & 電波兵器 プラモデル用パーツ QG41
日本のレーダーも何だかんだ有効に活用していた気がする
本土防空戦 (戦記文庫)
渡辺 洋二
朝日ソノラマ
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無題
Name 名無し 18/05/02(水)19:29:53  No.1242627
諸々の事情はあろうけど、例のイギリス兵にYAGIの意味を教えてもらった云々のエピソードは、今考えても歯がゆくて仕方が無い

無題
Name 名無し 18/05/03(木)00:40:11  No.1242656
高雄が22号を改造してたって話は聞くけど
そんな勝手に弄っていいものなのだろうか

無題
Name 名無し 18/05/04(金)17:48:14  No.1242765
>高雄が22号を改造してた
ラッパの拡大とかしてたんだっけ
以前ここで聞いたなあ

Name 名無し 18/05/04(金)19:37:55  No.1242773
日本は八木レーダーなど技術があったのに重視せず戦争でそれが響いた・・・・・

無題
Name 名無し 18/05/04(金)22:33:12  No.1242794
日本がレーダー開発で難渋してたのは高出力で強い電波を安定して発振できないって心臓部の問題なんで八木アンテナがあればというもんではないかと
ダイポールアンテナいくつも並べるだけでも利得や指向性は稼げるし
照準に使うような鋭い指向性ならパラボラがあるしで八木アンテナ採用例もそう多いもんじゃない

レーダー開発の専門家でも外国で目にしたアンテナを「何か籠のようなもの」としか認識できない時代に前線で技術調査に携わってた程度の士官がマニュアルのYAGIの意味知らんくらいはしょうがない

無題
Name 名無し 18/05/05(土)00:19:41  No.1242801 
でも40年頃にパルスレーダーの研究始めて42年の頭ににもうセンチメートル波レーダーを日向に積んで試験してるのすごくない?

無題
Name 名無し 18/05/05(土)02:56:26  No.1242805
船用のレーダーと言えばタセってどうなのだろう…

無題
Name 名無し 18/05/05(土)17:05:29  No.1242835     
1525507529179
昭和18年12月に、南方から横須賀に入港した駆逐艦「谷風」の砲術長さんが、自身の経験をもとに、最近如何に敵の電探技術が進歩しているかを逐一例を挙げて報告したそうなんですが、報告した相手の技術大尉サンの対応は

「我々の電探技術というのは、世界の最先端を行っとるはずです。アメリカが我々よりも進んでいるとは、思えませんが」

…といたって素っ気ないもので、「谷風」砲術長さんは後に

「まあ、自信があるのもいいんだけどなあ。でも暗闇から弾丸が飛んできて、距離が合っているんだよなあ」

…と僚友に語られておられるんですとかなんとか

無題
Name 名無し 18/05/05(土)17:12:50  No.1242836      
ピットロード 1/700 日本海軍 神風型駆逐艦 神風 【フルハルモデル + 特殊潜航艇 海龍】
因みに、駆逐艦「神風」の電探担当だった下士官さんの手記によると

「故障原因のほとんどは次のようなものだった」

一 真空管(二十二号に約四十本使用、このうち一コがだめになっても全体不能になる)の 不良(寿命が短く、震動などですぐ使用不能になるなど)

二 接触不良(端子部、結線、各部ハンダ付けが切断したり、完全に溶着していないなど)

三 機械(コンデンサー、抵抗器など)の不良(湿気による絶縁不良、溶断、焼断)

「もともと脆弱なそれらが、砲撃や銃撃(ほとんどは自分の艦)、爆雷投下などの振動で、予期しない故障を惹起することなどにあった」

…んだそうで

無題
Name 名無し 18/05/05(土)17:15:11  No.1242837     
https://cgi.2chan.net/f/src/1525508111641.jpg
従って、

「対空戦闘のさなかでも、敵潜との対決の場でも、電探員たちは半裸体で小さな部屋にムシ上がりながら、テスターやドライバー、ハンダごて相手に(略)ビスをはずしたり、接触部をサンドペーパーでみがいてみたりの『分解→組立戦争」だった」

…そうなんですが、そんな故障多発の電探をあやすタツジンも「神風」にはおりまして

「平野上水は(略)接触不良の調整がうまく、そんなとき彼は笑いながら『おい、たのむぜ、まったく』といって、ポンと機械の横腹を平手でかるくたたく。これなど通信学校の教官から教わったらしいが、瞬間パラパラと映像が動いて、雑音の状態も最高潮になり、感度最良時のフェージング(電波干渉度)を見せたりした」

…んですとか
うん、やはり写りの悪いブラウン管は叩くに限るんですね…!(昭和脳

無題
Name 名無し 18/05/06(日)13:21:23  No.1242898     
https://cgi.2chan.net/f/src/1525580483718.jpg
戦中中国大陸でIJA通信兵として従軍されていた野元巳郎という陸軍中尉さんがいらっしゃるんですが、この方は昭和19年5月1日付で、電波警戒機による敵機捜索を任務とする第6航空情報連隊に転属したものの、そもそも「航空情報連隊」とは何をする所か分からず、ましてやレーダー運用部隊とは引っ越してから分かったという次第で、

「世の中にはいろんな軍隊があるものだと感心した」

…そうですw
ともあれ隊内では「ラジオロケーター」と呼びならわされていた電波警戒機の小隊長要員として、内地から出張してきた航技大尉の教官の下で早速速成教育を受けることになったんだそうで
途中、研修先の電波警戒機を通じて、昭和19年6月15日のB-29の日本本土空襲に遭遇する椿事なんかもあったそうなんですが、一ヵ月ほどの特訓を終えると直ちに小隊長としての実地見習いを命ぜられ、8月中旬には早くも南京に新設された第4中隊の移動用警戒機の一小隊長に任ぜられたんですとか

無題
Name 名無し 18/05/06(日)13:22:25  No.1242899     
1525580545930
ところが

「移動用警戒機は送信車、受信車、電源車、器材車、それにトラック2台、合計6台の自動車編制である。部下は約50名、それらを引き連れて(略)陣取ったものの、『ううむ、困った』私は頭を抱えて唸ってしまった。部下にロケーターの既教育者が一人もいなかったからである。それに第一私自身が技術不案内である。これでロケーターがチャンと動くのだろうか」

「私も含めて、移動用は器材を受領してはじめて見たのである。部下の大半は上海で受領した歩兵砲兵などからの転属者と内地から来た補充兵であった。彼らはロケーターの存在さえ私の隊に来てはじめて知った者ばかりである」

「地方でラジオ屋をしていた兵隊が1人いた。彼だけが頼りである。私と彼はまず取扱い説明書を読みはじめた」

無題
Name 名無し 18/05/06(日)13:22:44  No.1242900      
1525580564276
「およそ兵器の取扱説明書ぐらいわざわざ難解な漢語をつらねてしちめんどう臭く書いてあるものはないであろう。六法全書くそ食らえである。あの簡単な95式電信機や92式電話機でさえ、取扱説明書を読んだかぎりではナニがナンだかわからない。まして電波兵器ともなれば、読んだだけではまったく五里霧中としか言いようがない」

「説明書通りに操作したが、送信機の真空管は全然発振しない。ウンともスンとも言わない(略)それでも不思議なもので、取扱説明書を熟読、再読、三読、四読、その度に実地にあたり、ラジオ屋を相手にガチャガチャやっているうちに(略)どうやら動き始め、警戒開始まで漕ぎつけて、私はホッとした。兵器というものは元来、素人にも操作できるように作るべきだとの説を聞いたことがあるが、まさにもっともである」

…と、大変苦労されたんだそうで

今どきの親切丁寧なお客様相談窓口とか、判りやすいマニュアルの有難みが分かる話ではありますですねえ…w

無題
Name 名無し 18/05/06(日)13:23:39  No.1242901      
1525580619349
因みに余談ながら、野元さんは戦後映画「トラ!トラ!トラ!」を鑑賞した際、劇中で出てくるアメちゃんの移動式警戒レーダーが、かつて自分が運用に苦労した「ラジオロケーター」にそっくりな事に気付き、日本のレーダーは鹵獲した米軍レーダーをお手本にして其の通りに作ったのではないか?なんて書かれていたりします

日本のレーダー開発事情に関しては、鹵獲品の利用が大いに貢献しているのは確かながら、実際全ての製品が模造品であったとは言えないわけなんですけれども、開戦初頭のハワイに既に、戦争末期に自分が取り組んだモノと同等なレーダーがあったのを知った野元氏の

「日本は2年でアメリカに追いついた。早いと言うべきか、遅いと言うべきか。ただハッキリしているのは、この2年の差が戦局の帰趨を決定してしまったことである」

…という述懐は、戦中「電探」に関わった多くの方々の心情に共通するものだったりするんじゃないでしょかね、コレ

無題
Name 名無し 18/05/06(日)13:28:17  No.1242902     
https://cgi.2chan.net/f/src/1525580897895.jpg
>日本のレーダーも何だかんだ有効に活用していた気がする

1937年の軍と民間合同の会議時でも「送信した電波が10キロメートル以上も離れた場所を飛行している航空機に反射して戻ってきて,受信機で感知できるはずが無い。」(=w=
とまで言われてた日本のレーダー開発ですが、その後全く無視されていたわけでは無く、それなりに情報収集や開発が行われて居ます(・w・
確かに大きさに制約がある機上レーダーや艦載レーダーに関しては2~4年の遅れでしたが地上設置用はシステム的に比較的進んでいました。
それからわずか7年後には日本本土の警戒システムが「超短波警戒機 甲」「超短波警戒機 乙」に寄りほぼ完成の域に達していまして映画”空軍大戦略”に見られるような迎撃機誘導システム(通信連絡を受けた女性通信員が情報室の操作机から次々と情報を更新していくアレ)の進化版(日本の場合は電光式掲示板に進化)となり敵機進入情報の連絡経路も整備が著しかったようです(・w・

無題
Name 名無し 18/05/06(日)13:29:46  No.1242903     
1525580986330
初期の九州方面に対するB29の空襲でB29が著しく損害を負った原因はこの警戒網も理由の一部だったとか(・w・
無論、他にも理由はあり例えば九州空襲時にB29は6~7000mを常用高度にし速度は350km/時
この高度と速度なら日本戦闘機の得意高度ですので二式複戦さえも迎撃に活躍出来たことや、弾薬もマ102や103が潤沢に供給されたこと、配備されていた三式戦の殆どがMG151/20装備の一型丙だった事、燃料が一般的な航空九一揮発油では無く航空九二揮発油が供給されていた事も理由に挙げられます(・w・
(他にもB29側の燃料問題やそれほど大編隊での空襲が出来なかった等々もありますが)
話が逸れましたがいずれにせよ日本のレーダー、特に早期警戒システムは思ったほど遅れて居なかったどころか比較的進んでいたというのは間違いないようです

無題
Name 名無し 18/05/06(日)17:52:21  No.1242966
>情報室の操作机から次々と情報を更新していくアレ)の進化版(日本の場合は電光式掲示板に進化)となり敵機進入情報の連絡経路も整備が著しかったようです
電光式掲示板とかめっちゃ気になります
豆電球とニキシー管の塊なんだろうか

無題
Name 名無し 18/05/06(日)19:05:48  No.1242973
>豆電球とニキシー管の塊なんだろうか
ちょっと調べたのですがNixie管とされるものの発明は50年代だったようです。ただその前から似た物はあった?ようではありますが、実際どんなものだったのかわかりませんね。軍用ですので特殊なパーツとして生産されていた(作動原理などは違う可能性が高い)ものはあったのかもしれません。ちなみにNixie管の特許を回避するために日本でVFD管が発明されました。

無題
Name 名無し 18/05/06(日)19:49:14  No.1242979     
https://cgi.2chan.net/f/src/1525603754585.jpg
豆電球と配線のカタマリでそう特殊なもんではないでしょ
大地図上における表示は豆電球で構成するより英式のオペレーターが駒動かすものや
独式のオペレーターがカラーの光点動かすものの方が情報量多くてよさそうだが

無題
Name 名無し 18/05/06(日)20:09:27  No.1242988
大きな地図の上に豆電球で位置表示するようなタイプのようですね
地図上のコマは古くは沿岸砲の管制システムが大元とか

無題
Name 名無し 18/05/08(火)20:28:05  No.1243216      
1525778885086
>電光式掲示板とかめっちゃ気になります

>豆電球とニキシー管の塊なんだろうか
東部軍のは日本地図に豆電球が付いた奴です
よく昔の観光所にあった観光案内版みたいな奴

画像は佐世保鎮守府の防空司令部ですが、東部軍より豪華でちょっとびっくり

無題
Name 名無し 18/05/08(火)20:47:18  No.1243225
室内装飾もアール・デコ調でカッコ良いね
映画のワンシーンのようだ

無題
Name 名無し 18/05/06(日)18:16:14  No.1242968      
IJAで「超短波警戒機甲」等の開発に当たった佐竹金次大佐が、戦中の日本陸軍における電波兵器の開発事情についての手記を残されておられるんですが、曰く

「一番問題となったのは(※高射砲照準用の)標定機である(略)ただあわただしく試作され配置されていった標定機は近づきつつある戦闘を前に、誠に雑然たる姿で陣地についていた。まず、戦力化の重点はこれに注がれる。そして、つぎのような方針が立てられた」

一、陣地に配置した標定機は(略)性能向上と器材の安定性をはかる
二、整備中の機械については、第一項の試験を逐次反映させて戦力化に万全を期する
三、ドイツより導入した技術により信頼できる新機種を作り、速やかに機種の転換をはかる

「第三項を最後の目標とし、完成期日を昭和19年の半ばにおいた。もちろん空襲は激化してくるであろうが、それまでは第一、第ニ項の手当てでしのぐよりほかなかった」

無題
Name 名無し 18/05/06(日)18:17:47  No.1242969      
1525598267367
「ところが、はじめ簡単に考えていた第一項の問題が着手してみると、なかなか大きな負担となってしまった。機種は三種であり、わずか十数機に過ぎなかった。ところが、同一機種でも、それが同一に仕上がっていない。試作機の関係でもあり、また逐次急いで作ったためでもあろう(略)このためにかなり大きな技術力を吸収されたことは何としても痛手であった」

「第ニ項の実行はさらに困難なものがあった。当時、戦争もすでに二年を経過し、製造工業にようやく疲労の色がみえてきた(略)研究成果を製品に逐次反映させることはほとんど不可能であった(略)研究所と製造所とは、できる、できないでたえず対立する状態であり(略)150台ほどの生産に苦闘の日がつづけられて、逐次陣地についていったが、この時にはすでに大都市は焼かれて、空しく終戦を迎えたことは誠に悲劇であり、深く反省さるべきことでもあった」

無題
Name 名無し 18/05/06(日)18:39:45  No.1242970      
1525599585520
「第三項のドイツの技術導入は、さらに困難を倍加したものであった。ドイツのテレフンケン会社の技師フォーダース氏が、図面、主要製作部品など(略)を携行し、東京に着いたのは昭和18年9月であった(略)半年を出ずして生産に移行しようと、ただちに計画に着手した」

「ところが、彼我の技術水準に大きな開きができてしまっていた。当時のわが国の部品技術では、おなじ設計ではとうてい所期の能力が出ない(略)昭和19年の秋までにはできあがるであろうと考えていたが、日本の工業能力はついにこれを許さなかった。そして第一号機の完成が昭和20年7月終戦直前というまことに情けない結果となった」

…という状況であったんだそうで
正直、独レーダー(ウルツブルグ)の国産化が成らなかったのは一技術者の技量の範疇を超える問題であって、当時としてはどうにもならなかったとは思うんですが、陸軍レーダーの第一人者の口惜しさが伝わってくる文章ではありますですなあ

無題
Name 名無し 18/05/06(日)18:58:38  No.1242972
外国から技術者一人が来たところで生産プロセスに関わる全ての事を知っているわけではありませんからね。それこそ材料の金属板一枚作る(冶金とか表面処理とかその他諸々)ところからいろいろなノウハウが必要だったと思われます。今でも図面もらっただけではできない基礎的な工業力の差ですね。

無題
Name 名無し 18/05/06(日)21:07:35  No.1243007
部品技術の差があるっていうけど具体的に何だったわけ?
エンジンならベアリングとかシャフトの加工技術があるだろうけどシールド線の製造や真空管製造における部品技術の差って何があるんだろ?
真空管自体熱膨張でちょっとずつ値が変わるわけだけどドイツのは変わらず日本のはやたら変わるとか?

無題
Name 名無し 18/05/06(日)21:50:25  No.1243013
あまり関係ないかもだけど「プリント基板」ってこの人が発明したんだね
ポール・アイスラー
https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Eisler
日本でも1936年に発売されたラジオで採用されているそうで凄く早いね
ところが普及したのは戦後のこと
ハンダづけさえ出来れば誰でも電子装置を作れるようになった画期的な発明だったわけだが(電子装置を大量生産することを想像してみてください)あまり重視されていないね

無題
Name 名無し 18/05/08(火)01:22:56  No.1243125      
1525710176609
1943年に、伊号第29潜水艦でドイツに技術習得に赴いた田丸直吉技術少佐(電探関係)の手記によると、艦政本部で電子兵器の生産統制を担当していた際の思い出として

「特に、真空管材料の入手には随分苦労した(略)一番問題になったのは純度の高いニッケルであった(略)所要量は極めて微々たるものではあったが、その品質が問題であった。戦争まではカナダからの輸入品に依存していたが、このカナディアン・グレードAAと称する匹敵する品位のものが、国内ではどうしてもできないのである」

「この純度が低いために、せっかく作った真空管が計画どおりの性能を発揮しなかったり、すぐにボケてしまったり、歩留まりが悪い(略)工業水準の低さが電子工業のレベルを左右したことは歴然たる事実に違いなかった」

…なんて述べておられましたり

Name 名無し 18/05/08(火)01:24:01  No.1243126     
1525710241491
田丸氏は独に到着後、「ウルツブルグ」他のレーダー施設を見学させてもらうんですが、特に衝撃的だったのは撃墜された米爆撃機から回収されたセンチ波レーダーであって

「これは従来のレーダーと違って初めてPPI方式を採用したもので、ブラウン管のスコープの上に、パノラマ状に反射物体を表示する方式のものであった」

「後にはもう当たり前のことで一般の船舶用レーダーなどことごとくこの指示方式であるが、、当時は、理屈は分かっていてもなかなか実用化がむずかしく、もっぱらAスコープと称して距離を読みとる方式が使われ、パノラマ式のものは、まだ日本でもドイツでも完成していなかった。今、これを具現した(略)装置に初めてお目にかかり、『やられた!』という強い衝撃を受けた」

無題
Name 名無し 18/05/08(火)01:25:32  No.1243127      
「この時初めて、クライストロン(Klystron:速度変調管という真空管の一種)というものにお目にかかった。これはレーセオン社製で、最近まで使用されていたものとほとんど変わっていない。私ども日本と米国の間の、電子工学の分野における技術レベルの格差の大きいのに、今さらながら呆然とせざるを得なかった。これではとても喧嘩にならない」

「ドイツ空軍とテレフンケン社の調査は極めて綿密で、このレーダーについて次のような機能が確認された」

一、捜索の他にビーコン飛行も可能のように、二個のクライストロンを備えている。
二、アンテナの傾角を調整し、飛行高度に応じて能率の良い送受信を行なう。
三、アンテナの反射鏡は、パラボロイドの外双曲回転面を付加、下方にビームを向ける
四、フィーダーには矩形導波管を使用、チョーク・フランジを挿入してSWRを改善
五、ブラウン管に残光性の大きい二重蛍光膜を使用、スイープのためにはゴニオメータを使用

無題
Name 名無し 18/05/08(火)01:26:49  No.1243128      
六、ゴニオメータにコンパス・レピータを組み合わせ、機の方位線を表示。これを目標に合わせる
七、機の高度に合わせて抵抗を加減し、メインバングを消去
八、機速をパラメータとした投下秒時決定曲線のドラムを調整し、スコープ上に引金時刻
の円を画かせ、目標通過時に引金を引く。
九、筐体は冷却用ファンを持ち、空冷。
十、高圧部のコロナ損失を防ぐために、筐体を気密とし、加工。
十一、導波管内部も加圧、そのため適宜、絶縁材料の隔膜を挿入

「おおむね以上のように相当な対策を講じた、ほぼ完全なレーダーを見せられて、私は本当にガックリさせられた」

…そうなんですが、先端技術導入の為に渡った友邦ドイツで、更にその独よりも進んだ連合軍の技術に触れた電探屋さんの衝撃が率直に記されている感じですなあ

無題
Name 名無し 18/05/08(火)01:28:26  No.1243129      
因みに

「ドイツ空軍では、このレーダーの各主要部品を徹底的に調査し、特にマギー、クライストロン等真空管は、同じものを試作することを、テレフンケン社に命じていた」

…との事なんですが、田丸氏はその後、独国内での技術導入交渉の際の思い出として

「レーダーを含め、VHFの通信が重要になってきたので、このような周波数の非常に高いところを扱う機器に不可欠なセラミックの製造技術を至急導入したい、という日本からの要望に応じて(略)ドイツ独特の技術を習得してこれを日本へ伝えることになった」

「ドイツ窯業技術は当時、世界をリードしており(略)日本でも、東芝や河端製作所が満州の滑石を使ってある程度のものは製造していたが、品質のバラツキが大きく、かつ寸法の正確なものは作ることができなかった」

無題
Name 名無し 18/05/08(火)01:29:59  No.1243130     
「(工場を)初めて訪れた時は、チタバリ等、コンデンサに使用する細いパイプの需要が増え、エンドレスの電気炉で大量生産を始めたところであった。特に目についたものは、VHFの回路を一枚のカーリット板に銀焼き付けしたものを盛んに試作しており、これは温度特性が素晴らしい値を示していた」

「こういう、基本的な優れた部品材料が自給できることが、ドイツ工業の著しい強みであった。セラミックのみならず、あらゆる金属材料でも同じであった。それができたからこそ、敵の鹵獲兵器を見て、全く同じ性能のものを即座に作ってみせることができたのである」

…とも語られています

当時の日本からみて独、若しくは連合軍サイドのどういうところが羨ましかったのか、技術者さんの目線で見た時の事情がよく分る気がしますですなあ

無題
Name 名無し 18/05/08(火)03:06:07  No.1243132
レイセオンってそんな老舗だったのか

戦後に出来た会社だと思ってた

無題
Name 名無し 18/05/08(火)08:13:05  No.1243139
戦中の電子機器ですらこのレベルになると難解やなあ(笑)
自分はアンプを作るのが精一杯

無題
Name 名無し 18/05/08(火)11:46:58  No.1243160
部品の質が最初から劣ってるってのが悲しいところ…仕方がないことだけど。
電線の絶縁に油紙巻きつけただけとかよく聞くけどホントの事なんだろうな。

無題
Name 名無し 18/05/08(火)12:22:22  No.1243163
電線の紙被膜はさすがになかったとここで聞いた記憶が
なんでも経年劣化で内部コートの紙の外側の樹脂?部分がなくなっているのを見て誤解されるとか…

無題
Name 名無し 18/05/08(火)15:24:06  No.1243178
シールド線がないから銅薄膜を貼った紙を螺旋状に巻き付けてたという話があって、それを研究した同人誌ってのがあるらしいが
そもそも銅紙作るほうが大変じゃね?なんでそんなことしたの?って疑問が・・・

無題
Name 名無し 18/05/08(火)21:03:10  No.1243230     
https://cgi.2chan.net/f/src/1525780990979.jpg
>電線の絶縁に油紙巻きつけただけとかよく聞くけどホントの事なんだろうな

御参考としてワタクシ所有の海軍多座機用のテレフンケン式方位測定器用のレシーバーですございます
コードの一番外側の被膜はゴム製
その内側の被膜は木綿を編んだもの
更にその内側は樹脂引き麻糸(?)
画像では見えませんが、麻糸被膜の内側が御尊像の導線です

少なくとも軍用電子機器で油紙を絶縁に用いた物はあまり見たことがないですわね

無題
Name 名無し 18/05/08(火)21:10:35  No.1243234
因みに「電線に油紙」とは、民間用電気製品に用いられた物と思われます
ただし実物は
布製被膜→巻紙→エナメル被膜→導線
という物です
当時の実物コードを触ると分かるのですが、経年劣化でエナメルが硬化し、ポキポキ折れます
また一番外側の布製被膜が擦れて巻紙被膜が暴露されることで、「日本の電線は油紙」と勘違いされる人が多かったのではと思います

ちなみに我が家では85年前の米国製無線機を使ってラジオを楽しんでおりますが、電源コードはオリジナルの物です

無題
Name 名無し 18/05/08(火)21:11:08  No.1243235
古ーい昭和の社宅は紙巻き袋打ちコードだったように記憶してるけど
もう存在しないし記憶も薄くなってるしなー
碍子工事なのは覚えてるんだが

無題
Name 名無し 18/05/08(火)21:17:27  No.1243236
>古ーい昭和の社宅は紙巻き袋打ちコードだったように記憶してるけど
その紙巻の内側がエナメルなんすよ
自分ちにある戦前の照明機器いじった時に、紙巻被膜の内側がエナメル被膜でビックリ

無題
Name 名無し 18/05/08(火)21:28:27  No.1243238
独り舞台で申し訳ございませんが
方位測定器用レシーバーに用いられている樹脂引き麻糸被膜
ですが、エンパイヤチューブという40年代から50年代のラジオに用いられた絶縁材によく似ております
もっとエンパイヤチューブはテトロンにワニスを塗った物ですが、テトロンはおろかポリエステルが無かった当時にほぼ同じ物を使っていたことに少々驚きます
なおエナメルを絶縁に用いなかったのは、軍用品としてエナメルを用いることに耐久性の不安があったからではないでしょうか

このあたりに日本の基礎技術能力の未熟さが見て取れるような気がしますね・・・

無題
Name 名無し 18/05/08(火)21:31:35  No.1243240
『軍艦メカ開発物語』に
・ゴム絶縁被鉛電線・同装鎧線
・六○○心多心紙絶縁被鉛装鎧ケーブル
とはっきりゴムと区別して紙絶縁を謳う電線が出てくるけども
記述からすると前者が電力供給用なのに対し後者は艦内電話の通信線を1本にまとめたゆえの超多心線で
端子接続後のボックスに流し込んだ絶縁コンパウンドが不良で電線内の絶縁油が漏れてきたって話からしても
絶縁油をビタビタに浸透させつつ他の通信線と接触させないようにするための紙被覆だろうおそらく

ゴム被覆でも基材に布や紙を使ってても不思議はないし

無題
Name 名無し 18/05/08(火)21:37:44  No.1243241
エンパイヤチューブは今でも電子工作で現役で使ってるよ

無題
Name 名無し 18/05/08(火)22:27:30  No.1243250
熱収縮チューブより耐熱性が高そうだね
てっきりガラス繊維を編んであるのかと思っていた

無題
Name 名無し 18/05/08(火)23:43:11  No.1243257
WW2時の電探技術の最先端国は英国だったそうだけど日本とのレベル差ってどのくらいのものだったん?

無題
Name 名無し 18/05/09(水)00:34:03  No.1243260
殺人光線の失敗作として実用レーダーをモノにしたと言われる英国と比べちゃいかん

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Name 名無し 18/05/09(水)18:16:46  No.1243279     
>WW2時の電探技術の最先端国は英国
1944年秋頃から、ドイツ上空を飛ぶエゲレス爆撃機の中に尾部銃座に小型のレドームを付けた機が混じり始めるんですが、これは英国で1943年頃から開発されていた”AGLT(Automatic Gun-Laying Turret)”という防御システムであったんだそうで

https://en.wikipedia.org/wiki/Automatic_Gun-Laying_Turret

システムの肝はレドーム内に内蔵されたパラボラアンテナと連動する波長9.1㎝のセンチ波レーダーで、コレで後方から接近するドイツ夜戦を捉えると、まず機内に警告音が流れ、続いてレーダー情報を反映した敵機を示す光点が尾部射手のジャイロ照準器内に投影されるという仕組みで、弾道補正も自動的に計算されるため、射手はただその光点を中心に置くよう追尾すればよく、敵機を全く目視しないままの射撃も可能、という優れモノであったんですとか

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Name 名無し 18/05/09(水)18:17:32  No.1243280     
味方撃ちを避けるために赤外線利用のIFF装置も用意されておりましたが、これを持たない飛行隊では同士討ちを避けるため、目視で確認出来ない目標への射撃は禁じられ、折角のAGLT単なる後方警戒装置代わりに使用される、なんて場面もあったそうなんですが、ともあれ当時のエゲレスのレーダー先進国っぷりを表す装備ではあるんじゃないでしょか

>電線の絶縁に油紙
自分がこの話を読んだのは滝沢聖峰せンせいの「闇の誘導路」という漫画でしたけれども、他の書籍で読んだことがないんですよね
多分元ネタになった参考文献が有るんだとは思うんですが、ご存知の方はいらっしゃらないですかねえ…?

因みにこの漫画の主人公は、二式複戦「屠龍」のパイロットさんと、それを対B-29の夜間邀撃戦で電波誘導装置(タキ15号とタチ13号のペア)で支援する技手さんのコンビなんですが、先の佐竹大佐の手記にもコレに関する部分が有りまして、曰く

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Name 名無し 18/05/09(水)18:19:00  No.1243281      
「既設の警戒機およびその情報網では、とうてい迅速にして正確を要する防空戦闘隊の指揮(略)ができなかった。そこで新たな機械と組織が作られていった」

「警戒機は方向精度をいちじるしく増加し、しかも遠距離における高度を測定できるように設計が変更され試作された(略)測定諸元はたえず指揮盤上に記録され(略)戦闘機が誘導された」

「誘導方式としては、航空機上に小型送受信機をおき、これによって地上から送られた電波を中継再発射し、味方識別をかねており、また反射に強い電波を受信することによって精度を正確にした」

「この警戒機は5機ほど設置され、誘導機は十数機作られて配置されたが、指揮盤の不備からなかなか思うように戦闘は指導されず、戦果としては特記すべきものはなかった」

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Name 名無し 18/05/09(水)18:19:50  No.1243282      
「近くに誘導された戦闘機は、電波の力により自ら敵機を発見標定できるよう、電波兵器(※機上レーダーですね)が試作装備されたが、これは試験期を出ずして幕切れとなって」

…しまったそうなんですが、当時複戦装備の飛行第4及び53戦隊の両方に所属されて、B-29の本土初空襲邀撃の経験もある佐々利夫大尉の回想記の中に、現場の空中勤務者さん側からみた当時の事情に触れた部分が有りまして、

「夜間邀撃には、二式複戦の夜戦型が使用されたが、昼間型と異なる所は(略)機関砲2門を斜前上方に向けて固定装備しただけである(略)後になって、ジャイロ計器が取り付けられ、編隊長機に敵味方識別装置が装備されたぐらいであった」

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Name 名無し 18/05/09(水)18:21:47  No.1243283     
「当時すでに連合軍には、レーダーを装備し射撃管制装置をもった本格的夜戦が戦場に出現し(略)我が爆撃機がその攻撃を受けて損害が増大していた。我が国では(略)20年の中頃やっと試作機・タキ二号が完成し、53戦隊の(略)改装機に試作タキ二号を塔載して実験を始めた。しかしながら期待通りに作動せず(略)最後まで、照空灯協力の原始的攻撃法によらざるを得なかった」

「B29の日立空襲時、4機編隊を率いて、GCI(要撃管制)の要領で地上のレーダーに誘導されて銚子上空でB29の大編隊と会合したが、暗夜のため敵機を視認することができず、空振りに終わったことがあった(略)上級司令部では、戦隊に装備したタキ二号実験機が実用段階に入ったものと誤認しての出動命令であったろう」

…なんて状況であったそうです

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Name 名無し 18/05/09(水)18:25:23  No.1243284      
https://cgi.2chan.net/f/src/1525857923301.jpg
当時の記録を見ると、確かに出遅れたとはいえ、連合軍、若しくは友邦ドイツさんの持っている各種レーダーその他の電子兵器について、日本も一応ひと通りは手を付けてはいるんですよね

先に挙げた野元中尉さんなんかは「2年の差」と表現されておりますけれども、基礎工業力や技術といった隘路の存在は確かだったとしても、仮に当時の日本の技術陣が更にそれだけの猶予を与えられていたら、或は同等と言えないまでも、使い物になる形にまでは持って行けた可能性はあったんじゃあないかと、個人的には思っておりましたり

ただ、此方が死に物狂いで追いつこうと努力している間には、向こうさんの方もやっぱり更に先へ先へと進もうとしていたわけですし、その「あと〇年」「あと●ヵ月」「あとちょと…!」が許してもらえなかった事自体が、当時の技術戦争のキビシサを示していたりするんでしょかねえ

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Name 名無し 18/05/09(水)20:17:33  No.1243291 
AGLT、とんでもないですね

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Name 名無し 18/05/10(木)01:38:00  No.1243310
紙だけで絶縁ってのは今はデマと言われてる
下記サイト(リンク先の一番下の方)では皮膜の高分子素材が経年でボロボロになってその下層の紙テーピング材が剥き出しになってるのを見て勘違いしたのでは、と推測してる

http://home.f04.itscom.net/nyankiti/ki43-sub5-electronic%20network.htm

引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1242591.htm

〈軍極秘〉各艦 機銃、電探、哨信儀等現状調査表―「あ号作戦」後の兵装増備位置青図集