【軍事講座】瑞雲教は軽巡搭載の夢を見るか?
-軽巡洋艦搭載機小史Ⅰ-

文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)


 最近急に「阿賀野に瑞雲」というパワーワードが目に入るので、色々突っ込みどころ満載なのはとりあえず気にせず、阿賀野型軽巡洋艦に瑞雲載せる状況について真面目に考えることにしました。

 やろうと思えば瑞雲だろうが紫雲だろうが載るだろうと思うのですが(小並感)、問題は日本海軍が「せや、阿賀野型にも瑞雲載せたろ!」という酔狂にもほどがある発想をするか?という素朴な疑問です。

 日本海軍が軽巡洋艦の搭載機についてどのような定見を持ち、どのような機体を搭載し、そして実際どのような運用を行ったか。それらの積み重ねによって阿賀野型への瑞雲搭載の可能性は、ある程度類推することができるのではないかと思います。

 また、日本軽巡洋艦の搭載機は「九四水偵→零式水偵」と一見実にシンプルですが、公文書上の機種に従って書くと意外にその実情は複雑なものでした。
昭和25年に第二復員省(旧海軍省)で編纂された『航空部隊編制及飛行機定数表』に基づき、その辺りの経緯を振り返ってみましょう。

11-1-P1

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1.選ばれし夜間偵察機搭載軽巡洋艦

11-1-P2

 開戦時の日本軽巡洋艦は17隻。
うち6隻「天龍」「龍田」「大井」「北上」「木曾」「夕張」は射出機を装備していないため、飛行機搭載艦として有効な軽巡洋艦は11隻となります。


この11隻の所属と大まかな配置は次のとおりです。
第一五戦隊「五十鈴」  ・・・香港攻略作戦
第一六戦隊「長良」「球磨」・・・南方進攻作戦
第二一戦隊「多摩」   ・・・北東方面警戒
第一水雷戦隊「阿武隈」 ・・・ハワイ作戦
第二水雷戦隊「神通」  ・・・南方進攻作戦
第三水雷戦隊「川内」  ・・・南方進攻作戦
第四水雷戦隊「那珂」  ・・・南方進攻作戦
第五水雷戦隊「名取」  ・・・南方進攻作戦
第四潜水戦隊「鬼怒」  ・・・南方進攻作戦
第五潜水戦隊「由良」  ・・・南方進攻作戦


 各軽巡の搭載機は大体が九四水偵ですが、第一~四水雷戦隊の旗艦「阿武隈」「神通」「川内」「那珂」のみ、『定数表」では一般の三座水偵(3SR×1)と異なる夜偵(NR×1)と指定されています。

 この4個水雷戦隊は艦隊決戦時の夜間水雷襲撃を念頭に、戦艦や重巡洋艦、水上機母艦すら搭載しない夜間偵察機を搭載する、当時の連合艦隊でも特に選ばれた存在でした。
夜偵なので本来は専用の九八水偵が積まれるべきなのですが、実戦では九四水偵の方が何かと便利なので九四水偵が使われたようです。

 同じ水雷戦隊でも、やや旧式艦からなる五水戦の旗艦「名取」は、三座水偵(3SR×1)。
同様に旧式艦からなる六水戦の旗艦「夕張」には、射出機がありません。
また、開戦後編制された第一〇戦隊の旗艦「長良」の搭載機も、三座水偵(3SR×1)でした。

 空母護衛にあたる第一〇戦隊にそもそも夜偵は必要ありませんが、「長良」の場合、ただ単に第一六戦隊所属の頃からの搭載機を変更しなかっただけとも言うことができます。


2.ガダルカナル攻防戦と入れ替わる水雷戦隊旗艦

 最初の変化は17/6/1にあり、四水戦の「那珂」が被雷損傷して「由良」に旗艦を変更(17/5/9)。
那珂(NR×1)から由良(3SR×1)となりますが、それを期に由良(NR×1)とはされませんでした。
「由良」が第五潜水戦隊旗艦だった頃の三座水偵がそのまま引き継がれており、四水戦編入に伴う夜偵への定数表の書き換えは行われていません。

 続いて二水戦の「神通」が第二次ソロモン海戦で被爆損傷し「五十鈴」に旗艦を変更(17/9/25)。
神通(NR×1)から五十鈴(3SR×1)となりますが、やはり五十鈴(NR×1)とはされませんでした。
こちらも「五十鈴」が第一六戦隊所属の頃の三座水偵が引き継がれており、二水戦編入に伴う夜偵への定数表の書き換えは行われていません。

 17/10/1の時点で水雷戦隊旗艦たる軽巡4隻の搭載機は
開戦時から変更のない「阿武隈」(一水戦)「川内」(三水戦)が夜偵(NR×1)
損傷を理由に変更した「五十鈴」(二水戦)「由良」(四水戦)が三座水偵(3SR×1)
となります。

「第三艦隊発足に伴う機動部隊作戦のため、連携する第二艦隊所属の水雷戦隊旗艦から時代遅れの夜偵を除いたんだな」
と思った貴方(僕もです)、それは早とちり。
次の17/12/1の表では「五十鈴」(二水戦)「長良」(由良戦没の代替として四水戦)ともちゃっかり夜偵(NR×1)に変更されています。
「由良」と「五十鈴」がしばらく三座水偵となっていたのは、どうやら事務方の都合による反映の遅れだったようです(笑)


3.新型軽巡「阿賀野」と一式二号射出機

 また、やっと出てきた新型軽巡阿賀野型一番艦「阿賀野」は17/11/20付で第一〇戦隊旗艦を「長良」から継承。
搭載機は当然ながら三座水偵(3SR×2)ですが、より新型の零式水偵を2機搭載していたというのが通説です。

・・・通説です。とわざわざ断り書きしたのは、就役直後の「阿賀野」は九八夜偵を短期間(昭和17年末ごろまで)搭載していたという説があり、実際公試中とされる「阿賀野」の写真飛行甲板部には、「複葉」で「上翼部にエンジンとプロペラ」という飛行機の一部が見えています。煙突の陰で全体の形状はわかりませんが、そんな特徴的な機体は言うまでもなくこの当時九八夜偵以外に存在しません。

ウィキペディア「阿賀野 (軽巡洋艦)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%B3%80%E9%87%8E_(%E8%BB%BD%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)
(写真煙突後方に注目)

 定数表で三座水偵(3SR×2)とされている「阿賀野」が、なぜ戦術的に陳腐化しつつあった夜偵など積んでいたのか、その定かな理由はわかりません。
ただ、阿賀野型計画段階の搭載機として「一般計画要領書」に「一二試三座水偵1機、特殊水偵1機」との記載があるとのことですから、一二試三座水偵つまり零式水偵と、特殊水偵つまり九八夜偵を両方公試にあたって積んでみた、という話はありそうに思います。

 また、阿賀野型で「阿賀野」だけの特徴として、姉妹艦と異なり一式二号一一型射出機を装備していたことが挙げられます。
一式二号一一型射出機は他に「日進」や「速吸」、航空戦艦に改装後の「伊勢」「日向」が装備した珍しい形式のカタパルトです。
実戦での使用例はおそらくないと思いますが、爆装状態の「瑞雲」「彗星」も射出可能な能力を持ち、「大淀」用のワンオフ装備とも言える二式一号一〇型射出機を除けば、水上艦艇用として最強の射出機でした。

 そんな射出機を装備した「阿賀野」は、潜在的には爆装の「瑞雲」が運用可能で、しかも九八夜偵を搭載した実績があり、当然汎用の零式水偵も使用できるという夢のような軽巡洋艦でした。アビリティ的には「先制爆撃」「夜間触接」「長距離偵察」が可能な三刀流といったところでしょうか。正直属性盛りすぎです。それなんてエ・・・

 しかし、「阿賀野」搭載機の潜在的な多様性は、前線の部隊にとってほとんど価値のないものでした。
「阿賀野」が編入された第三艦隊は言うまでもなく空母機動部隊であり、「阿賀野」が旗艦を継承した第一〇戦隊は母艦の直衛をその任務としていたからです。

必要なのは機動部隊航空戦で索敵の目となる長距離偵察機であり、当時の第三艦隊所属大型水上戦闘艦艇はいずれも零式三座水偵を搭載機としていました。
行動半径の劣る二座水偵や、昼間行動は自殺行為に等しい夜偵を搭載することはあり得ない選択だったのです。

 (18/2/1と18/4/1の定数表で「阿賀野」が二座水偵(2SR×2)となっていますが、三座水偵(3SR×2)の誤記と考えられます。定数表は重要な資料ですが機種の書き間違いが非常に多く、前後の状況と連続性をもって見なければ単純な誤記を大きく誤解釈する危険性をはらんでいます)

 第一〇戦隊自体は「阿賀野」の就役以降もガダルカナル撤退作戦などに従事しますが、この作戦はより小型の駆逐艦だけで行われ、大型の「阿賀野」は他の艦と共に後方支援にあたります。

 「阿賀野」にとって最初で最後の水上戦闘となったブーゲンビル島沖海戦は夜戦でしたが、九八夜偵ははるか以前に「阿賀野」から降ろされており、零式水偵もこの海戦で「阿賀野」から射出された記録はありません(「妙高」「羽黒」搭載機が参加)。

 阿賀野型軽巡洋艦の体験した唯一の夜戦は搭載機が貢献することなく終了し、この直後「阿賀野」は空襲で大破、その後トラック島大空襲に関連して沈むことになります。


4.第三段作戦と夜間偵察機搭載軽巡洋艦の終焉

 
時計の針はやや捲き戻り、「阿賀野」以外の状況を概観してみましょう。

 まず、18/4/1に第一艦隊から一水戦と三水戦が転出。それぞれ第五艦隊(北東方面)、第八艦隊(南東方面)に正式に編入されました。
旗艦「阿武隈」(一水戦)「川内」(三水戦)の搭載機も、恐らくそれを期に夜偵(NR×1)から三座水偵(3SR×1)に変更されています。

戦艦中心の第一艦隊所属でなくなったことで、名目上も夜偵を搭載機と定めておく理由がなくなった事によると思われます。

 ただし、この時点で二水戦の「神通」(修理から復帰)と四水戦の「長良」は夜偵(NR×1)のままでした。
第二艦隊所属の水雷戦隊として、この両艦にはまだ組織的夜間水雷襲撃の機会があると考えられていたのでしょうか。


 また同日、内南洋の第四艦隊に第一四戦隊が編制。
「那珂」(元・四水戦)「五十鈴」(元・二水戦)の2隻はいずれも搭載機を三座水偵(3SR×1)と定められます。
双方とも水雷戦隊旗艦を経験し、夜偵を搭載機定数としていた経歴のある艦ですが、内南洋の警備と輸送を任務とする第四艦隊に夜偵を搭載機とする必要はありませんでした。

 そして18/6/1、ついに二水戦「神通」と四水戦「長良」の定数が夜偵(NR×1)から三座水偵(3SR×1)に変更されます。
このタイミングにどういった思惑があったのか、明確な理由を目にはしていませんが、日本海軍が戦前型の組織的夜間水雷襲撃を完全に断念した、その一つの節目と言えるかもしれません。

 直後の18/7/12、コロンバンガラ島沖海戦で二水戦の「神通」が沈没。
この海戦も夜戦でしたが、水上部隊に協力したのは基地航空部隊(938空)の水偵で、軽巡の搭載水偵が自隊の戦闘に協力することは叶いませんでした。

 広大な大海原のど真ん中での艦隊決戦ならいざ知らず、沿岸部での局地戦では所在の地元兵力に協力を要請する方が、わざわざ艦に燃えやすくて脆弱な水上偵察機を搭載するより安全で手軽であったことは否めないと思います。

 昭和18年後半以降、岐路に立つ軽巡洋艦と搭載機については後篇-軽巡洋艦搭載機小史Ⅱ-で触れる予定です。

<著者紹介>
加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
第2次大戦期の航空戦に関する研究を行う。
代表作に『編制と定数で見る日本海軍戦闘機隊』

URL:https://c10028892.circle.ms/oc/CircleProfile.aspx