無題 Name 名無し 18/03/06(火)16:30:13  No.1238057

1520321413058
砲艦いいですよね
砲艦外交とか言葉だけでもうかっこいい

無題
Name 名無し 18/03/06(火)16:42:30  No.1238058     
http://cgi.2chan.net/f/src/1520322150140.jpg
南米には現役の河川砲艦がいくつかおります
パラグアイ(国)のパラグアイ(船名)
1931年のイタリア製

無題
Name 名無し 18/03/06(火)16:44:11  No.1238059     
http://cgi.2chan.net/f/src/1520322251932.jpg
ブラジル海軍のパルナイバ
1937年製国産
ヘリ甲板あり

無題
Name 名無し 18/03/07(水)23:33:26  No.1238158 
>ブラジル海軍のパルナイバ
こういう現代の砲艦ってのはやっぱ麻薬組織とかの摘発とかに使われてるんだろうか

無題
Name 名無し 18/03/07(水)22:09:12  No.1238148     
1520428152994
>砲艦外交


大正11年に竣工した砲艦「安宅」は中国大陸での活動を前提に設計されていたフネだったそうなんですが、当初は「勿来」と命名されていたものが建造中に「安宅」と改名されているんだそうで

福井静夫海軍技術少佐曰く、

「中国の実情に詳しい人か(略)『<来ル勿レ>とはけしからん名前だ。”Don't come on board”では国際親善にもとる』と言いだして、急遽、安宅と改められた。これなら”Peacefull home”だからたいへん結構である。勿来を長江に派遣したらば、華人は憤慨したであろう」

…という事情があったそうなんですが、派遣先(予定)の外国の感情?に配慮して艦名を変更した…というのも、なかなか珍しい例なんじゃあないでしょかね

無題
Name 名無し 18/03/07(水)22:09:46  No.1238149     
1520428186209
因みに昭和12年頃、11戦隊参謀として「安宅」に乗艦した福地誠夫海軍大佐によると、同艦の司令官室等は外国軍艦との儀礼を考慮して小艦にしてはなかなか立派で、また乗り組みの司令部付のコックは長崎の料亭で働いていた板前さんで、和・洋・中なんでもござれのだったとの腕利きだったとの事

従って鴨やすっぽん、特大の鯉等の現地の特産物を、内地から運んできた名水で調理する「安宅」の料理は漢口一!との評判であり、報告に来る部下の艦長さんや陸戦隊員、連絡会議で打ち合わせに来る陸軍の将官さん、国際交流の為訪れる海外軍人サンらまで、多く人達の口を喜ばせていたそうです

ある意味、”Peacefull home”の名前に恥じない活躍ぶりだったというか、やはり”Don'tcome on board”から改名して正解だった、と言うべきなんでしょか…w

無題
Name 名無し 18/03/07(水)22:27:03  No.1238152     
1520429223527
英国製、元ポルトガル砲艦マカオで日本海軍砲艦「舞子」
正規に購入したんですが戦後、中華民国→人民解放軍海軍艦艇に(・w・
いくらくらいで購入して支払いはどうやったんでしょうか

ポルトガル船籍時代に海賊退治で1回のみ実戦経験が

無題
Name 名無し 18/03/07(水)22:32:37  No.1238153      
1520429557416
こちらも海外製砲艦の「多々良」
元は米国海軍「ウエーキ」(元グアム)

大戦即、上海で鹵獲されましたが・・・
こちらも中華民国→人民解放軍海軍艦艇で
1960年頃まで使用されてたようですねー

無題
Name 名無し 18/03/07(水)22:39:09  No.1238155     
1520429949638
「橋立」クラスになると、もう殆ど従来の”砲艦”と言うより
ある程度外洋航行が可能な護衛艦艇になって面影が・・・ちょっと悲しい(・w・

やっぱり砲艦とちょっと違う感じが
     
Name 名無し 18/03/07(水)23:40:04  No.1238159       
http://cgi.2chan.net/f/src/1520433604614.jpg
(120mm迫撃)砲艦

無題
Name 名無し 18/03/07(水)23:47:01  No.1238161      
http://cgi.2chan.net/f/src/1520434021751.jpg
女王陛下の(潜水)砲艦
驚きの305mm単装砲

無題
Name 名無し 18/03/07(水)23:56:53  No.1238162     
http://cgi.2chan.net/f/src/1520434613820.jpg
円盤にすれば安定性抜群そうやし喫水も浅いから速度出やすいやろ!小型船で試験もしたしいけるんちゃう?

無題
Name 名無し 18/03/08(木)02:09:00  No.1238167      
http://cgi.2chan.net/f/src/1520442540028.jpg
>円盤にすれば安定性抜群そうやし喫水も浅いから速度出やすいやろ!小型船で試験もしたしいけるんちゃう?

英国面と大きいの大好き祖国面のよさみ

そして時代は流れ小型作業船として日本で誕生したのであった
http://www.jade.dti.ne.jp/~hongawar/kenzo07.html
http://www.dock.co.jp/others/information/201.html

無題
Name 名無し 18/03/11(日)16:54:31  No.1238603     
http://cgi.2chan.net/f/src/1520754871891.jpg
>そして時代は流れ小型作業船として日本で誕生したのであった

写真で良くわからんかったので調べてみたら丸いな!

『梅丸』には弊社社長の「操船が容易でかつ効率的な新しい発想のタグボートを建造したい」という想いが詰まっており、足掛け18年でやっと完成に至りました。

円形の船体中央に配した1基の推進装置(レックスペラ)をゲーム機のジョイスティックコントローラーの様な複合レバー1本で360度方向に操作します。

船体の小型化とシンプルな操船システムが、乗組員の省人化と早期育成を可能にしました。

少子高齢化による労働力不足への対応が急務である中、『梅丸』の事例は業界のみならず様々な方面に影響を与えると考えています。
『梅丸』は、従来の概念にとらわれない創造性とチャレンジ精神で、「現状を打破し業界および社会に貢献したい」という弊社の姿勢の象徴です。

凄そうなのはわかったが、HP見たら大卒の初任給が20万ちょいとは悲しい限りだ。

無題
Name 名無し 18/03/08(木)02:13:14  No.1238168      
1520442794943
水雷砲艦いいよね…

無題
Name 名無し 18/03/08(木)19:10:18  No.1238202      
http://cgi.2chan.net/f/src/1520503818305.jpg
ルーマニア軍のBrutar型河川哨戒艇。強そう!
ちなみに昔のような「水上の大使館」としての河川砲艦は、現代ではどこの国にも存在しないんでしょうかね?

無題
Name 名無し 18/03/10(土)11:24:06  No.1238337
>ルーマニア軍のBrutar型河川哨戒艇。
銃向けられてない?

無題
Name 名無し 18/03/10(土)13:28:10  No.1238346     
http://cgi.2chan.net/f/src/1520656090047.jpg
>>ルーマニア軍のBrutar型河川哨戒艇。強そう!


いいよねルーマニアの河川哨戒艇。
そいつもだけど、中央部にMLRSまで搭載できる。
画像のMihail Kogălniceanu級は100㎜×2、連装30㎜×2、四連装14.5㎜×2、122㎜MLRS(40発)×2、艇内にMANPADの超重武装。最高にいかす。

無題
Name 名無し 18/03/08(木)19:41:35  No.1238207     
http://cgi.2chan.net/f/src/1520505695034.jpg
ソビエトロシアでは畑から河川砲艦が採れる

無題
Name 名無し 18/03/09(金)22:03:46 No.1238291     
1520600626182
>水上の大使館


戦前揚子江の日本艦隊に赴任されていた瀬間喬海軍主計中佐によると、当時は

「揚子江には日本のほかに、アメリカ、イギリス、フランス、イタリーなど支那に権益を持っている諸外国の軍艦もたくさんおり、肝心の支那の軍艦は、寧海、平海、中山、逸仙くらいではなかったか」

…とのことなんですが、

「揚子江が国際港ならぬ国際江であったため、訪問使の交換というやっかいな行事がある。」

「列国海軍相互間で行われる慣例だと思うが、一つの泊地にある国の軍艦が入港したときに、そこに他の国の軍艦が碇泊している場合、国籍の如何を問わず先任の艦長の乗っている艦に対し表敬挨拶の為中少尉級の士官が使に出されるのである」

無題
Name 名無し 18/03/09(金)22:04:40  No.1238292      
1520600680211
…んだそうで
アイサツは大事だ、ということみたいなんですが、

「訪問使の乗った内火艇には(略)碇泊中の他の国の軍艦は一斉に『気を付け』の号笛またはラッパを吹いて敬礼する」

任務は誇らしい一面もあるものの、各国の主権を代表する相手への表敬訪問は儀礼とはいえそれなりに責任も重大で

「苦手の外国語を公式に使わなければならないし、もしヘマをやれば国辱にもなりかねないので誰も進んでは行きたがらない」

「外国軍人ばかりの中に、まだ国際経験の少ない中少尉がただ一人で行くのでやはり緊張する。ある西欧の国の軍艦の訪問使が私の乗っている艦にやってきたとき、緊張のあまりか気の毒なほど震えていたのを想い出す」

無題
Name 名無し 18/03/09(金)22:05:27  No.1238293     
1520600727965
…そうなんですが、今の海自でも若い自衛官さんは似たような苦労をなされているんでしょかね…w
もっとも、瀬間さんによれば各国のお付き合いもそう堅苦しいものばかりではなく、

「長江勤務は退屈でしかたがないので、ある日漢口在泊中の各国軍艦(日英米仏であったと記憶する)のガンルーム会(中少尉の宴会)を日本の料亭でやったことがある。」

「大いに芸者衆にもてるところを見せてやりたいと張り切っていたところ、芸者連中はみな外国士官にベタベタしてしまい、全くもって面白くないことになったこともあった。芸者連中も国際社交儀礼を心得ていて、心ならずもそうしたのであろうと善意に解して帰艦した」

…なんて事もあったんだそうで
戦前のほんのひと時の平和な時期の光景が目に浮かぶようなんですが、やはり外人サンにはオイラン・ゲイシャ=サンの接待こそ効果的なのですn(

無題
Name 名無し 18/03/10(土)01:29:15  No.1238319
>今の海自でも若い自衛官さんは似たような苦労をなされているんでしょうかね…w
共同使用の基地でいきなり国旗掲揚の儀式に放り込まれて錆びたロボット化したことはある

無題
Name 名無し 18/03/10(土)08:58:03  No.1238332 
>共同使用の基地でいきなり国旗掲揚の儀式に放り込まれて錆びたロボット化したことはある
「はい閣下光栄であります」

無題
Name 名無し 18/03/11(日)02:23:28  No.1238433      
http://cgi.2chan.net/f/src/1520702608121.jpg
わかっちゃいたけどヨーロッパの河川て違うんだよね
護岸工事もあまりやってないし橋もずいぶん少ない
セーヌ川でもこんなのがどんどん遡上するし

無題
Name 名無し 18/03/11(日)09:53:21  No.1238471
ドイツ最大の港湾はエルベ川沿いのハンブルク港だしね

無題
Name 名無し 18/03/11(日)18:52:06  No.1238608      
http://cgi.2chan.net/f/src/1520761926503.jpg
>わかっちゃいたけどヨーロッパの河川て違うんだよね

>護岸工事もあまりやってないし橋もずいぶん少ない

ラインはこんな感じ

無題
Name 名無し 18/03/11(日)16:35:02  No.1238595      
1520753702114
>共同使用の基地でいきなり国旗掲揚の儀式に放り込まれて錆びたロボット化したことはある


若い身空(失礼)でいきなり国家を代表する身分とか、ある意味オリンピック選手みたいなプレッシャー!と考えればよいのですかしら…

前述の福地大佐の回想に依りますと、

「そのころ(※『安宅』乗艦時)、漢口にいた外国軍艦は、英のペテレル、米のウェーキ、伊のカルロットの三艦で、いずれも自国の権益と居留民保護の任を持っている」

「表面は在港最先任指揮官たるわが方に敬意を表しているが、石油タンクなどいちばん多く権益を持っている英国の艦長は、じつにうるさく文句を言いにきた」

無題
Name 名無し 18/03/11(日)16:36:13  No.1238596      
1520753773490
…そうで、他国とのお付き合いもなかなか大変だったそうなんですが、一方では

「米艦ウェーキの艦長はなかなか社交的で、司令官と『安宅』艦長と私を、自分の艦の晩餐に招待してくれ(略)鴨のすき焼きを出してきた。このあたり非常に鴨が多く、また付近でとれる葱が煮つまってもシコシコとても旨い。その席に若い美人がいた。ヘップバーンというニューヨークタイムスの特派員で、いつか司令官にインタビューしたいというので、翌日、来艦してもらうよう約束した」

「司令官室で、杉山司令官と(略)相手をした。向こうもなかなかおしゃべりで(略)重慶から漢口まで下った話など機嫌よく続けていた」

「急に私の方に目を向いておこり出し、何事か叫びながら憤然と帰ってしまった」

無題
Name 名無し 18/03/11(日)16:37:03  No.1238598      
1520753823195
「呆気にとられていたら、テーブルの下から(略)マスコットの犬が出てきた。この犬メ、よい匂いの婦人のスカートに首を突っ込んで、ジャレたか舐めたかしたに違いない。痴漢と間違えられてとんだ大迷惑。さっそくウェーキの艦長に会って話したら大笑い(略)変なレポートを書かれる前に誤解を解いてもらうよう頼んだ」

…なんていう、和やかな光景も見られたんですとか

尤も数年後、日米開戦直前の昭和16年11月に漢口に居た堀元美海軍技術中佐によると

「アメリカの砲艦ウェーキがかねてから停泊していたのだが、それが下江した。その後ろを砲艦安宅が監視しながら下江する(略)日本の軍艦がアメリカの軍艦を追跡する。それは未だかつて前例を知らない異例の行動である」

…と事態は一転緊迫しており、やがて遂に日米開戦に到ると

無題
Name 名無し 18/03/11(日)16:37:36  No.1238599      
1520753856693
「開戦の当日、上海には二隻の敵艦があった(略)アメリカ砲艦ウェーキ、もう一隻はイギリス砲艦ペテレル」

「支那方面艦隊の軍使は内火艇を走らせて(略)宣戦布告を通知し、その降伏を勧告した。ウェーキは降伏したが、ペトレルは降伏を承知しなかった(略)パブリック・ガーデンの野砲隊はわずかに数百メートルの射程でペトレルを砲撃し、同艦は間もなく沈没した」

…んだそうで

鹵獲された「ウェーキ」がその後日本側で使用されたのは他の方のレスの通りですけれども、かつて艦上で一つ鍋のスキヤキをつついた相手に大砲を向けて降伏を迫るというサツバツさはまさにマッポー!と言った所

軍人さん達のお付き合いには付いて回る宿命なのかもしれませんが、願わくば今の自衛官さん達は、平和な交歓体験だけで終わって欲しいものデスねえ

無題
Name 名無し 18/03/11(日)22:08:08  No.1238623 
>平和な交歓体験だけで終わって欲しい
昨日の友は今日の敵ってね
まあその逆もまた真なりだし…

無題
Name 名無し 18/03/11(日)22:25:58  No.1238629      
1520774758601
>昨日の友は今日の敵ってね

まあそれとはちょっと意味合いは異なりますが
日華事変当時、敵地の中国人から食料や石炭を買い入れる日本の砲艦の姿が結構見られたとかなんとか・・・戦争と言いながら結構長閑だったんですね~(・w・

無題
Name 名無し 18/03/12(月)00:23:27  No.1238644
>日華事変当時、敵地の中国人から食料や石炭を買い入れる日本の砲艦の姿が

当時の中国は統一国家ではないので
日本としても中国人すべてが敵という認識ではないよ。
でなければ汪兆銘政府とかつくらんし

無題
Name 名無し 18/03/11(日)17:27:29  No.1238605
昔は海外派遣艦で若手士官が現地で知り合った娘と仲良くなったとか結婚したとか聞いたことがあったな
実際のとこレセプションで日本酒勧めながら可愛い子口説いてたら当地の公館職員に彼女は大臣の孫娘だからって窘められたことがあった
残念ながら砲艦外交は成功しなかった

無題
Name 名無し 18/03/11(日)19:58:42  No.1238614
>残念ながら砲艦外交は成功しなかった
自慢の1インチ砲ですね?

無題
Name 名無し 18/03/17(土)14:21:22  No.1238992
>>残念ながら砲艦外交は成功しなかった
>自慢の1インチ砲ですね?
大臣の孫娘には礼砲を何発撃つべきか?
なんて考えてたんだけどね

無題
Name 名無し 18/03/13(火)20:35:38  No.1238765      
1520940938833
>昨日の友は今日の敵


1930年の中国大陸では、一応形の上では蒋介石=サンの国民党政権が統一政権であったものの、その内情は実に不安定で、遂には反蒋軍閥連合との大規模な内戦に突入してしまうんですが、コレを好機と見たのが当時李立三=サンの指導下にあった中国共産党であったんですとか

中央政府の兵力移動に伴う空白地帯への勢力拡大を目指して、配下の紅軍部隊に要衝都市の占領を命じているんですが、その標的の一つになったのが湖南省の、揚子江の支流である湘江に面した長沙という都市だったそうなんですな

無題
Name 名無し 18/03/13(火)20:38:13  No.1238767      
1520941045877
この間、「二見」「小鷹」及び、やはり長沙に配備されていた米砲艦「パロス」、英砲艦「シール」、イタリア砲艦「エルマノ・カルロット」は外国人避難民の居る川の中州と町との間の水面に仮泊して警戒態勢をとっていたそうなんですが、長沙市内をほぼ略奪し尽くした紅軍はその勢いで次にその矛先を「中国人民を搾取する列強」の象徴たる各国砲艦に向けて来まして、7月31日、糟谷領事の報告によれば

「米艦『パロス』は共匪軍より射撃を受けたるにより、同艦は之に応戦して大砲六十発を発射し、共匪軍側の死者百余名を出し、米艦側にも機関銃弾六十発の命中あり、水兵重傷一名軽傷十名を出せり」

…との事で、終に各国砲艦と紅軍の間で戦端が開かれる事態になったんですとか

無題
Name 名無し 18/03/13(火)20:39:54  No.1238769      
1520941194859
もっとも、本格的な主力艦に比べればオモチャめいた装備の河川砲艦でも、ゲリラに毛の生えた装備の紅軍に対しては格段に強力な存在でありまして、同日午後の紅軍陣地への攻撃では「二見」が8サンチ砲5発・機銃弾千288発、「小鷹」が機銃弾千225発、「エルマノ・カルロット」が砲弾7発・機銃弾多数を並んで「猛射」しておりまして、その威力に恐れをなしたものか、翌日以降、各国砲艦へ紅軍が手出ししてくることは二度と無かったそうで

そしてまた、結果的に見ればこの各国砲艦による「艦砲射撃」がこの長沙攻防戦のターニング・ポイントと重なっているんだそうで、折しも各地からの援軍を得た何鍵=サンの中央軍が丁度この頃長沙に接近しつつあり、8月5日には中国砲艦2隻の支援を受けて市内に突入、紅軍側は潰走して長沙は国民政府側に奪還されているんですとか

数年後に支那事変で、又は第二次世界大戦で枢軸・連合に別れて、血みどろの戦いを繰り広げる各国が、この時は中国共産党という共通の敵相手に同じ戦場で戦っていたわけですなあ

無題
Name 名無し 18/03/13(火)20:40:39  No.1238770      
1520941239741
因みに余談ですが、イタリア砲艦「エルマノ・カルロット」、先の福地大佐の話にも出てきましたけれども、WW2時にはまだ現役で、やはり中国で任務に就いていたんですが、1943年9月にイタリアが降伏した際、日本軍に鹵獲され、砲艦「鳴海」として使用されたそうです

かつて「二見」と共に戦った艦が同じ日本軍相手に鹵獲される、というのもショギョムジョウなお話なんですが、やがて日本が敗戦を迎えると、「鳴海」は同じく現役だった「二見」と共に蒋介石=サンの国民党海軍に引き渡されております

そして更に今度は国共内戦で蒋介石=サンが中国共産党に敗れると、「二見」「鳴海」は人民解放軍に引き渡され、共に1960年頃まで使用されたんだそうで

かつての長沙での戦いを思えば、ちょっと皮肉な結末のような気もしますけれども、各艦の航跡そのものが、中国若しくは世界の現代史の流れを表してるってことなんでしょかね…w

無題
Name 名無し 18/03/14(水)06:24:20  No.1238800 
>皮肉な結末
河川用艦艇だとやっぱり海を越えては持っていけなかったのかな
まあどのみち台湾じゃあ使い道なさそうだけど

無題
Name 名無し 18/03/14(水)20:23:04  No.1238844      
1521026584058
河川砲艦の航洋性

舷も低いし無いに等しいわな
だから完成品を一度解体して現地組み立てとか
浮きドックに載せて曳航とか。

しかし日本の砲艦で増加の波切りや舷板を追加しまくって自力回航した例があったような・・・。
乗組員の苦労や如何に

無題
Name 名無し 18/03/14(水)21:21:55  No.1238853
>乗組員の苦労や如何に
湾岸戦争後に機雷掃海でペルシャ湾?に行った掃海艇辺りなら苦労がわかりそうな気がする

無題
Name 名無し 18/03/14(水)21:34:13  No.1238855
>舷も低いし無いに等しいわな
大勢にボートで乗り付けられたら簡単に乗っ取られそう
夜間の警備も大変だったろうな

無題
Name 名無し 18/03/15(木)02:24:22  No.1238871 
揚子江にも難所があってけっこう座礁してたような

無題
Name 名無し 18/03/15(木)21:06:28  No.1238900      
http://cgi.2chan.net/f/src/1521115588567.jpg
>河川砲艦の航洋性

>舷も低いし無いに等しいわな
確かに殆どそうですね
但し「興津」は元敷設艦だった為、外洋航行能力有りで
「伏見」(12年度計画艦の方)も自己航行で上海まで移動しています(・w・
但し確かに吃水との関連から通常の河川砲艦は外洋航行は難しかったようで、上流まで移動出来る砲艦、「墨田」(初代の方、吃水61cm)辺りだと外洋にでれば即ひっくり返っちゃいそうですね…

1
Name 名無し 18/03/15(木)06:30:01  No.1238873 
帆船時代を除くと、日本海軍に在籍した砲艦はこれくらいだね。
 
★航洋型砲艦(7隻)
宇治(初代/日本)→ 戦間期に除籍
嵯峨(日本)→ 戦没
安宅(日本)→ 安東(中華民国)→ 艦名?(中共)→ 戦没
橋立(二代/日本)→ 戦没
宇治(二代/日本)→ 長治(中華民国)→ 八一(中共)→ 南昌(改名)
レパント(イタリア)→ 興津(日本)→ 咸寧(中華民国)
ルソン(米国)→ 唐津(日本)→ 爆破処分

2
Name 名無し 18/03/15(木)06:30:26  No.1238874 
★河川用砲艦(16隻)
伏見(初代/日本)…英国生まれ→日本本土に一度も寄港せぬまま除籍
隅田(初代/日本)…英国生まれ→上に同じ
鳥羽(日本)→ 永済(中華民国)→ 郝穴(改名)→ 湘江(中共)
勢多(日本)→ 長徳(中華民国)→ 閩江(中共)
比良(日本)→ 戦没
保津(日本)→ 戦没
堅田(日本)→ 戦没
熱海(日本)→ 永平(中華民国)→ 烏江(中共)
二見(日本)→ 永安(中華民国)→ 珠江(中共)
伏見(二代/日本)→ 江鳳(中華民国)→ 艦名?(中共)
隅田(二代/日本)→ 江犀(中華民国)→ 涪江(中共)
小鷹(二代/日本)→ 戦没

3
Name 名無し 18/03/15(木)06:31:04  No.1238875
マカオ(ポルト)→ 舞子(日本)→ 武鳳(中華民国)→ [3-522](中共)
モス(英国)→ 須磨(二代/日本)→ 戦没
E・カルロット(イタリア)→ 鳴海(日本)→ 江鯤 (中華民国)→錢坤(中共)
ウェーク(米国)→ 多々良(日本)→ 太原(中華民国) →戦没
 
航洋型に戦没が多いのと比べると、河川用は鹵獲されることが多いね。
水深が浅い河川で沈めても、簡単に引き上げられて修理されるから。
それにしても国籍と艦名がコロコロ変わっているのが面白い。
京都にいるときゃ~ 忍~と呼ばれたの~♪ …みたいな感じで。

無題
Name 名無し 18/03/16(金)22:24:36  No.1238942      
1521206676987
福井静雄さんの手記によると、昭和4年に竣工した「熱海」型砲艦では

「本艦は玉野造船工場(現三井造船玉野造船所)、姉妹艦二見は藤永田で建造され(略)その特長の一つとしては、勢多型建造以来の経験に基づき、内地で建造して現地に自力回航することを当初より計画した最初の河用砲艦であったことである。佐世保より上海までの回航には、万全を期する為、好天を選び、臨時に回航用の諸装置を設け、護衛艦が随伴した」

…そうです

昭和14年に竣工した「熱海」型の次級の「伏見(二代)」型2隻も、ともに藤永田で建造された後、自力で中国大陸まで移動しているんですが、それでも写真で見る限り大型化した船首楼とかは確かに頼もしいんですけれど、コレで外洋を航海するんですか?!感はやっぱり拭えないような…w

無題
Name 名無し 18/03/16(金)22:26:04  No.1238943      
1521206764007
因みに大東亜戦争終戦時の、これらの砲艦の国民党政権への引き渡し状況について、当時上海の海軍根拠地隊参謀だった森栄氏が語るところによると、当時の上海根拠地隊司令官森徳治少将より

・日本海軍解散後、東洋の平和を守るのは今後は中国海軍である
・上海根拠地隊では現有の艦艇、兵器、弾薬類をこの際最良の状態に整備(略)引き継ぐ
・中国海軍に引き継ぐまでは、特に、長江水路を確保して共産軍の南下および渡河を阻止する

…という方針が示され、その指示によって早速8月16日には当時上海に集結してた残存砲艦の急速整備充員が発令されたそうです

無題
Name 名無し 18/03/16(金)22:26:24  No.1238944      
1521206784998
この発令により、まず「熱海」「鳥羽」「多々良」「勢多」「二見」が整備を完了し、9月5日には上海を出港して警備活動の為長江上のそれぞれの配置点へ向かっており、同中旬には中国軍側への引き渡しが始まるんですが、各艦の中には引き渡しのための教育要員の日本人乗組員を乗せたまま、対共産軍の警備や戦闘に従事した例もあったんですとか

接収自体も概ね問題なく進行したそうなんですが、中国側の乗員がこれまたかつて日本側の肝いりで設立され、蒋介石サンの国民党政権と対立した南京政府海軍所属だった人達であったりしたそうでw

色々な意味で昨日までの敵味方が入り混じって新たな任務に就く事になった、ということみたいなんですが、負けた側が寧ろ兵器積極的に兵器引き渡しに協力した、という意味では、ちょっと珍しい話だったのかもしれませんですなあ

無題
Name 名無し 18/03/17(土)13:55:52  No.1238991
>昨日までの敵味方が入り混じって
所属とか組む相手がコロコロ変わるのはなんか三国志とかその辺の時代のノリだよね

まあ変に拘ってお互い最後の一人まで殺しあう!とかより平和ではあるのかもしれないけど

無題
Name 名無し 18/03/17(土)15:31:20  No.1238994      
http://cgi.2chan.net/f/src/1521268280229.jpg
小国のワークホースかな

無題
Name 名無し 18/03/18(日)21:16:06  No.1239075      
1521375366216
阿川弘之せンせいが、戦前の日本(河川)砲艦隊の活動について書かれている所に依りますと

「第一遣外艦隊の旗艦は、八百五十噸の砲艦安宅であった(略)小型砲艦を率いて、上海漢口を根城に、揚子江を往ったり来たりしている(略)小さいながらも艦首に菊の御紋章をいただき、艦尾に軍艦旗を翻した白塗りの砲艦が長江を遡って来ると、沿岸の日本人居留民は非常に心強い思いをした」

「そのころ、日本陸軍は三次にわたって山東出兵をしている。済南で日本軍と蒋介石の北伐軍とが衝突したいわゆる済南事件が起る。つづいて、張作霖の乗った特別列車が奉天郊外で爆破され(略)日本の満州に対する野望を非難する声が高くなるし、中国各地では排日運動が激化して来る」

無題
Name 名無し 18/03/18(日)21:16:33  No.1239076      
1521375393885
「緊迫した情勢の中で、在支日本権益の保護、居留民の生命財産の保護にあたるのが遣外艦隊の任務だが、時に応じて医療奉仕その他、中国人民衆へのサービスもした。そういう場合は軍医が立役者になる。」

「堅田の軍医長で杉山竣という人がいた。軍医長と言っても下駄船のドクターだから、階級は中尉で未だ若い」

「漢口というところは、冬は寒く夏は(略)猛烈に暑かった。風と気管支炎の患者が減ったと思ったら、消化器系等の病気が多発する」

「『お前、また堅パン食いすぎたな』サイダーや水をがぶがぶ飲んだ上に、歯が折れそうなほど堅い海軍名物非常糧食のハード・ビスケットをたくさんかじると、腹が膨れ上がって忽ち下痢が始る」

無題
Name 名無し 18/03/18(日)21:17:38  No.1239077      
1521375458354
「そのほか、盲腸炎患者の処置、脚気、眼病の治療、性病検査(略)よろず屋をやらされてきた経験をもとに(略)暇を見つけ、許しを得ては田舎の村々を診療して廻った。洞庭湖の南、長沙の方まで足を伸ばした」

「漢口あたりでは確かに排日の気運が高まっているけれども、田舎へ行けば別にどうということは無い。共産軍は『共匪』といって恐れられていたが、日本海軍の軍医だと分かっても、身の危険を感じたりはしない。大体、対白人の場合と違って、異国の人間だというはっきりした認識も無いらしかった」

「『どこから来たか』『上海の方から来た』『そうだろう。言葉が違う』」

「遠隔の地の人なら言葉は通じないものと思っている。通じないところは筆談であった」

無題
Name 名無し 18/03/18(日)21:18:19  No.1239078      
1521375499414
「私服の背広を着、薬と聴診器を持って廻ってくる日本の青年医は、白眼視どころか、各地で歓待された。病気を治した礼に、立派な紫檀の机や、広東省端渓の河底から採れる端渓石の硯をもらい、杉山竣は今でもそれを大切に所蔵している」

…なんて話があったそうなんですが、杉山さんは「堅田」が旗艦「安宅」と並んで碇泊した際、請われて第一遣外艦隊司令官米内光政が「湯たんぽ」で火傷をしたのを治療に赴いた事もあるそうです

それが縁で、後に日本租界の料亭で米内司令官と出くわした際、誘われて同じお座敷で飲む事になったそうなんですが、米内氏は湯たんぽのいわれも緊迫した中国情勢に情勢についても特に語るところはなく、杉山氏の語る診察巡回の際の珍談をニコニコしながら聞いていたんですとか

こういう草の根活動もまた、「砲艦外交」の一環であった…って事になるんでしょかね…w

無題
Name 名無し 18/03/19(月)06:56:40  No.1239098 
自衛隊が海外派遣された先で地元住民にサービスするようなものかな

そう考えると案外今も昔もやっている事は変わらないねえ

無題
Name 名無し 18/03/19(月)12:43:47  No.1239100
それもあるし「医者がいる」と知れると何処で聞きつけたか
向こうからやれ熱がある腹が痛い歯が滲みるとぞろぞろやって来るらしい

無題
Name 名無し 18/03/19(月)16:37:57  No.1239103 
>やれ熱がある腹が痛い歯が滲みるとぞろぞろやって来るらしい
板倉光馬だっけ?塩配ったお礼に小娘渡されそうになって慌てたのは

無題
Name 名無し 18/03/19(月)22:40:05  No.1239136      
1521466805884
順天級砲艦

満州国の河川砲艦であり、ソ連のアムール川艦隊に対抗するために大陸のそれと比し、海軍艦政本部による実戦的な設計と強力な兵装を有した。

砲艦もところ変われば、と趣きを異にするのがまた一興

無題
Name 名無し 18/03/20(火)06:23:08  No.1239150
>ソ連のアムール川艦隊
そういや日本軍は干渉戦争時に、アムール小艦隊の所属砲艦を何隻か拿捕してるね。
ブリヤート型が2隻、ウォグル型は6隻、大きなタイフーン型も1隻ほど拿捕してる。
これらは数年後にソ連に返還しちゃったけど、もしもそのまま日本軍で頂いていたら
かなりの戦力になってたのではないでしょうか?(´・ω・`)b
当時の日本はまだ砲艦は5隻ほどしか保有してなかったはずだから。

無題
Name 名無し 18/03/19(月)23:35:36  No.1239138 
日本には河川用軍艦なんかの需要が無いのに良く作れたな
海用から引き算だから楽なのかな?
ノウハウが無くてアレが無いとか、これはいらんとかは無かったのだろうか?

流石にアメリカと英、イタリアは、現地で造ってもらったんだろうなぁ

あっ後、日本って変な国
自分は降伏は良しとしないくせに相手には降伏を進めるのね
絶対に勝てないのに英国は降伏しなくて沈められてるが
やっぱり先輩として英は日本と似てる所があるのかね

無題
Name 名無し 18/03/20(火)02:06:56  No.1239146
日本も中国大陸で河川砲艦使うし

無題
Name 名無し 18/03/20(火)04:45:11  No.1239147
日本国内用にはって事ね
まさか利根川で使ってたなんて事ないだろうし

日本人に外国の川幅のイメージがつかめたのかなぁと

無題
Name 名無し 18/03/20(火)06:02:29  No.1239149
>日本には河川用軍艦なんかの需要が無いのに良く作れたな
喫水の浅い河川用砲艦のノウハウは皆無だったので英国の造船所に発注したのよ。
隅田(初代)は英国でソーニクロフト社に建造された後、分解されて上海まで輸送され、ファーナム・ボイド社の造船所で完成。
一方、伏見(初代)は英国でヤーロー社に建造された後、同じように分解されて上海まで輸送され、現地の川崎造船所にて完成。
これらの英国製砲艦を参考にして鳥羽が建造され、国産河川用砲艦の時代が到来。

無題
Name 名無し 18/03/20(火)11:12:19  No.1239161
>日本人に外国の川幅のイメージがつかめたのかなぁと
「アムール川って瀬戸内海の岡山~香川間より川幅あるよ」でOKでは
黄河や長江と比べると流速も瀬戸内海のほうが上だったり
そりゃ中国人が瀬戸内海差して「日本にもでかい河あるね」って言うわ

無題
Name 名無し 18/03/20(火)12:14:19  No.1239164
初めて中国の大河を目にした時「でっかい川ですね」と驚いていたら
「これ、支流ですよ」とガイドに笑われた

無題
Name 名無し 18/03/20(火)08:41:10  No.1239159
祖父は陸軍だったけど(別に軍医ではない)、医療奉仕というか、現地の人への慰撫みたいなこともやっていたそうで
包帯巻いてあげたら次の日それを外してまた来て、何で外したんだと聞いたら「また怪我した時のためにとっておくんだ」と言われたとか
薬だよとか言って患部に粉末歯磨き粉をつけて誤魔化してこともあったとか

無題
Name 名無し 18/03/21(水)17:25:41  No.1239285      
1521620741416
瀬間喬さんによれば、揚子江では

「実際に軍艦が行動する範囲は、河口から漢口までの約630浬、漢口から重慶までの約740浬で、そのうち1万余トンの汽船(ということは、3艦隊旗艦出雲=基準排水量9180トン、吃水7.39メートル)がさかのぼれるのは、漢口までであった」

「増水期に漢口から宜昌までの378浬をさかのぼれるのは、11戦隊旗艦安宅(850トン、吃水2.41メートル)や栗、栂、蓮(770トン、吃水2.44メートル)などであった」

「宜昌から重慶までの約350浬は吃水が浅く、水流に耐えるため速力15ノット以上、全長250フィート以下の河用砲艦に限られていた」

…との事

無題
Name 名無し 18/03/21(水)17:27:56  No.1239286      
1521620876963
従って、そこで活動する河川用砲艦はコレだけ広大な流域を乏しい補給機会の下で活動するだけの航続性能と、砲艦としての武装、国際儀礼上や中国高官との交歓に備えた貴賓用施設、強力な無線用施設を持ちながら、低吃水を実現する為に徹底的な軽量化を求められ、なおかつ最上流部での急流に耐える速力、狭水道で小回りの利く旋回力をも兼ね備えて居なければいけなかったそうで、建造には海上艦艇とは全く違う、独自のノウハウが必要だったんだそうな

因みに余談ですが、戦前、在中国のIJN第三艦隊では司令長官が交代すると、各地の巡察と中国側へのアイサツ回りに出るのが慣例でして、その際長官のアシになるのもこうした河川砲艦の大事な役割の一つだったんですとか

例えば昭和12年、長谷川清海軍中将が長官となった際には、5月下旬に砲艦「勢多」を旗艦と定めると、5月27日に宜昌で海軍記念日の祝賀行事を盛大に行なった後、同末日に2番艦「比良」を率いて重慶に出発しているそうです

無題
Name 名無し 18/03/21(水)17:29:28  No.1239287      
1521620968008
その長官送迎の遡行の様子は、瀬間氏曰く

「宜昌から上流には三峡の険をはじめ、”断崖数千丈、峻嶽天に冲し舟は突然甕底に在るが如き”いくたの峡が待ち受けている」

減水期には陸上から綱で曳航を要する曳灘(当時、曳航料230ドル)や興隆灘のように、陸岸の中国人と主計長が艦の通弁をつうじて(略)曳航料の交渉をする光景もみられた(略)重慶までの約350浬の遡江は、まったくけんめいの航行であった」

「特有の流れのなかの特殊の水路をいくので、水先人も操舵員もともに航路になれた中国人である。濁流をかぶる岩頭をさけながら、両岸にそそり立つ数百尺の絶壁のあいだを、縫うようにしてつづく水路をたどっていくのである(略)3日間を要してやっと重慶についた」

無題
Name 名無し 18/03/21(水)17:29:41  No.1239288      
1521620981584
「長官一行は、例年通り、四川省行轅主任(略)を訪問し、同上将の答訪は日本領事館でうけた。また同地から成都への飛行機旅行をおこない、在泊の諸外国軍艦艦長、士官に対する晩餐会などの諸行事もとりおこなった」

「それが終わると、二番館としてひきいていった比良を同地にのこし、それまで同地に在泊していた保津をひきいて、ふたたび上揚子江(重慶~宜昌間)の険所を突破して帰途につき、6月中旬(略)湖南省の省都長沙、ついで漢口にくだり、ここで長官以下の一行は、ほんらいの旗艦たる出雲にもどった。勢多は大任をはたしてホッと一息」

「ふたたび長沙に帰り、ほんらいの任務である居留民保護のための警備についたのである」

…というようなものだったそうなんですが、現地の環境に最適化された砲艦が如何に重宝な存在であったかを、物語るエピソードではあるんじゃないでしょか…w

無題
Name 名無し 18/03/21(水)20:15:53  No.1239307
重慶・漢口・長沙とかみんな日中戦争で戦場になった都市だよね

ある意味では親善訪問で事前情報十分!で戦闘できる事になったのかなあ…

無題
Name 名無し 18/03/21(水)23:37:37  No.1239338
親善訪問するほど重要な地点・相手・施設がある場所が戦場にならないはずがなく……

無題
Name 名無し 18/03/22(木)18:27:50  No.1239384      
1521710870676
支那事変が勃発して、中国軍との本格的な戦闘に入ると、かつてIJN艦艇が平和裏に碇泊していた漢口を、今度は陸サンと一緒に武力を以て攻略する事になってしまうわけですが、その前哨戦である安慶及び九江攻略戦では、日本河川砲艦隊は平時に劣らぬ活躍ぶりを示しているんですとか

安慶攻略戦では、波田重一陸軍少将率いる陸軍波田支隊と、旗艦「安宅」座乗の近藤栄次郎海軍少将引きいる第11戦隊が協同で之を実施しており、波田支隊座乗の輸送船を護衛して安慶に敵前上陸させ、その攻略成功後も引き続き陸上を進行する波田支隊と併走しながら、続く九江攻略戦に向けて揚子江を遡上しているんだそうです

当時揚子江は中国側の敷設した多数の機雷で閉塞され、水路を啓開しながらの遡上は大変困難であったものの、第11戦隊所属の砲艦「勢多」などは挺身隊として機雷原を強行突破、先行していた波田支隊と再び連絡を確保しているんだそうな

無題
Name 名無し 18/03/22(木)18:28:58  No.1239385      
1521710938543
当時「勢多」艦長だった寺崎隆治大佐によると、糧食・弾薬の欠乏に悩んでいた波田支隊の窮状を見かねて、

「艦内に搭載してあった小銃、機銃弾数万発と、糧食、酒保物品(菓子、煙草、ビール、サイダー等)の殆ど全部」

…を同隊に提供したそうなんですが、当時陸軍部隊に弾薬を提供することは海軍法規違反に当たり、「勢多」主計長より反対されたものの、

「『戦時事変に役に立たない法規は改正せねばならない。一切の責任は艦長が負うからやれ』と申し渡し、実行したのである」

…んだそうです(その後、この法規は改正されたとの事)

無題
Name 名無し 18/03/22(木)18:29:42  No.1239386      
1521710982475
この独断措置は波田支隊長のみならず、IJA第十一軍司令官岡村寧次中将らにも非常に感謝されたそうなんですが、支那方面艦隊参謀長兼第3艦隊参謀長だった草鹿仁一少将からは

「協同作戦に大へんよいことをして呉れたとほめられ、かえって多額の酒保代金を頂いた」

…そうです

「揚子江遡行作戦は寒暑甚だしくまた不衛生の揚子江の濁流や敵の敷設した機雷、両岸の砲台、野砲、航空機などと連続、長期間にわたる戦闘であって、わが海軍が未だ経験したことのない極めて困難な作戦」

…であったそうなんですが、実際殊勲の「勢多」も後に触雷して艦首を失い、艦尾に仮の波切を設置して後進で上海まで戻っておりましたり
ともあれ、戦時においても河川砲艦は、やはりなかなか重宝な存在だったんじゃあないでしょかねえ

無題
Name 名無し 18/03/22(木)21:43:01  No.1239408      
1521722581244
砲艦というかモニター艦というか近・現代の水上戦闘艦のはしりというべき
USS「モニター」
ノブゴロド貼りたかったけど先に貼られたから代わりに貼っとくね

無題
Name 名無し 18/03/22(木)22:48:44  No.1239416      
http://cgi.2chan.net/f/src/1521726524373.jpg
今でも使える言葉ですね
砲艦外交

無題
Name 名無し 18/03/23(金)09:22:18  No.1239449
ベトナムのガンボートとかは海軍でなくて陸軍の自前なんだっけ?

大きな川=物流の動脈な国なら陸軍と共同訓練やってる国とかは今でも有りそうな気がする

無題
Name 名無し 18/03/24(土)01:45:59  No.1239508
>ベトナムのガンボートとかは海軍でなくて陸軍の自前なんだっけ?
ベトナム戦争で数百隻も投入された米軍のガンボートは「ブラウンウォーター・ネイビー」の所属だったから一応海軍だよ。
米軍のPBRは活躍した反面被害も大きくて、今でもメコン川の川底では数百隻のPBRの残骸が眠っているそうで…ナム南無。

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:01:44  No.1239644      
1521972104150
>砲艦外交


寺崎大佐の前任の「勢多」艦長だった吉見信一中佐(当時)なんかは、昭和12年7月7日の盧溝橋事件の一報を、当時長沙に在った「勢多」艦上で聞いたそうなんですが、当時の「勢多」というか在中の日本海軍一般の感覚として、「また、陸軍が例の手をやりおったな」ぐらいにしか感じなかったというか、その後数年も続く支那事変の発端になる、とは思いもしなかったんですとか

従って、7月11日に第11戦隊司令官から一応警戒態勢を取る様指示が行われていたものの、同月中旬頃までは以前のんびりとしたフインキであったそうなんですが、気になっていた情報として、当時江西省の姑嶺という避暑地で国民党政府首脳の重大会議が開催されており、当時まだ湖南省主席だった何健=サンが出席中であるというモノがありまして、一体何の会議であろう?と訝しんではいたそうです

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:18:40  No.1239645      
1521973120956
そして7月21日、同主席の使者である陸軍少佐から

「日本の艦長にぜひお会いしたい。きわめて重要なことであるので、隠密に長沙市内の博愛病院に、目立たない服装できてほしい」

…との連絡が入ったんだそうで

因みに同病院の日本人院長さんが何健=サンの主治医だったりしたんだそうですが、ともあれ吉見艦長さんが私服で同病院に赴くと、そこで会見した、山口高等商業出身という顔馴染みの少佐さんから

「今次の日本陸軍の中国本土内への進攻にたいしては、中華民国政府は全面交戦、すなわち開戦に決定しました(略)中国側が立ち上がる日には、各地に在泊する日本軍艦にたいしては、武装解除の要求をすることになるでしょう。何健さん(19日に湖南省に帰還)は(略)日本の軍艦はなるべく早く安全なところに移動してもらいたいという気持ちです」

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:24:16  No.1239647      
1521973456500
「このことを至急、東京および在上海の日本艦隊司令長官に、日本軍艦の無線電信で電報していただきたい」

…という、予期せぬ重大な事柄を告げられたんですとか

吉見艦長は帰還後、直ちに本土及び在中の上層部に緊急信を打つんですが、氏の戦後の回想によると

「何健が武装解除要求の険を私に内報したのは、蒋介石の指示によったものではなく、まったく何健氏の独自の考えでおこなったものと考える(略)私が(略)打った緊急信をみて、『そんなバカな話があるものか、乗せられたのであろう』という意見の人も何人かいたほどである。また、何健が私に内々うち明けたのは、私と何健のあいだに私的交友関係があったからではない。私は何健と数回会ったことがあるが、いずれも公的な立場からである」

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:25:48  No.1239648     
1521973548260
「当時、たまたま勢多が長沙に在泊し、私が艦長だったから私に打ち明けたのであり(略)また、日本海軍の誰かがとくに何健に恩を売ったという事実もない。ただ、考えられるのは、湖南は風景のよいところであったので、毎年、三艦隊長官や十一戦隊司令官がおとずれ、何健と会談する機会が多かったのと、いままで海軍が中国にたいし侵略の意図を示したり、挑発的態度をとったことがまったくなく、その事実を彼が知っていたので好意的であったためかもしれない」

…と述べておられましたり
ともかく、日中全面戦争近し!という重大な情報を中国側から知らされた「勢多」は取りあえず何はともあれ同地の居留民保護を第一として、その引揚輸送に備えていたそうなんですが、そんな7月の末日、同地に碇泊していたエゲレス砲艦より同艦の艦長が何の予告もなしに突然「勢多」にやってきたんだそうで

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:35:37  No.1239649      
1521974137398
英艦長も当時の不穏な空気を感じて(すでに江岸に中国の砲兵中隊が配備されていたとか)、急遽情報収集のため来艦してきたんだろう…とは察せられたものの、中国側の先の「内報」そのものについては余りに重大すぎるため直接は話せないと判断した吉見艦長は、艦長室でシェリーグラスを傾けながらの雑談中、何気ない風を装って

「ところで、君の艦の錨地は、ぼくの艦に近づきすぎてはいないかね」

…と告げたそうです
そして、英艦長が不満そうに何故?今そんな話を?と聞き返してくるのに

「中国軍の爆撃や砲撃の精度はよくないだろうが…?」

…と答えてあげた所、吉見艦長の意図を察した英艦長は一言「オー!」と叫ぶなり立ち上がり、アイサツもそこそこに退艦していき、まもなく英砲艦は一浬も上流に錨地を変更した、なんて余談もあったんだそうな…w

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:36:18  No.1239650
そして8月3日には遂に総引き揚げが決定され、長沙領事館のご真影を移奉した「勢多」は4日深夜にひそかに居留民78名を移乗させた民間汽船を護衛して長沙を発ち、6日には漢口に到着するんですが、同地でもやはり日本租界の周辺は一万人ほどの中国兵が取り巻いており、盛んに試射の銃声が聞こえてくるという不穏な情勢であったそうです

そんな中、同日にはIJN中央部より第3艦隊長官宛に

「漢口下流に於ては現地官憲と連絡の上、機宜居留民を引き揚げせしめられたし」

…という電報も入っていたそうなんですが、この頃までには各地の日本人居留民の引き揚げが順次始まっており、その乗船する民間船各船の護衛に、在中の日本河川砲艦隊他は文字通り総力で当たっているんですとか

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:38:26  No.1239651      
1521974306654
「勢多」も7日より、僚艦「比良」と共に今度は漢口からの避難民1千名を乗せた民間船2隻を護衛して上海に向けて下江の途に就き、途中でやはり避難民を収容した「小鷹」と合流しているんですが、未だ中国側の全面開戦の正確な期日が不明な中、江岸の中国側砲台や要塞の前を航行していくのは、相当神経を削られる思いであったようです
中でも、8月8日には無数の中国軍艦艇が碇泊する、南京の艦隊泊地前を通る事になったんですが、ここで吉見艦長が指示したのが

「天幕を張っているかよく見ろ!」

…というもの
総天幕を張っていれば大砲を撃つつもりはない、=戦はない…というわけなんですが、マストの上の見張り員から帰って来た答えは

「各艦天幕を張っています」

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:39:24  No.1239652      
1521974364738
結局、日本で建造された河川巡洋艦で、「勢多」などより格段に強力な「寧海」「平海」を擁する中国艦隊には未だ全く敵対姿勢は見られず、平穏理にラッパで礼式通りの敬礼を交わした「勢多」らはその後も無事下江を続け、9日に上海に到着、第三艦隊旗艦「出雲」で長谷川長官に任務完了の報告を行ったんですとか

7日朝6時に起床して以来、約65時間不眠不休で艦橋に立ち続けた吉見艦長もようやくベッドで休めたそうなんですが、既に上海も情勢は緊迫、翌日には河川砲艦の象徴ともいえた純白の「勢多」の船体を鼠色の戦時色に塗り替える作業が始まり、艦橋にはマントレットと石炭袋が防弾の為に装備されたそうです

更に13日に吉見艦長が情勢視察の為上陸後帰艦してみると、留守中に「勢多」に陸戦隊派遣の命令が下っており、すぐに軍服に着替えてその出発を見送ったんだそうなんですが、翌日には艦長の眼前で「出雲」に中国軍機が爆撃を敢行、遂にかつて長沙で予告された通りの日中の全面衝突が開始されるのを目の当たりにされているんだそうで

無題
Name 名無し 18/03/25(日)19:39:59  No.1239653      
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ともあれ、平時の外交や他国艦隊との友好活動や連絡、現地における情報収集活動から、戦時に於ての現地居留民間人の保護、陸軍への協力、通行路の確保、時には自艦から陸戦隊を派出しての戦闘…といった多彩な任務を、全長55m、基準排水量330トン、8サンチ砲2門、15サンチ迫撃砲1門、機銃数門、兵科士官2名、機関長1名、軍医長1名、主計長1名、准士官2名、下士官兵76名、通弁1名、傭人2名…という(「勢多」の場合)規模の小艦でこなしていたわけですけれども、逆に言えばかつての大陸での日本海軍&日本政府にとっては、実に使いやすくかつ重宝な艦種であった、ってことなんでしょかねえ

  引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1238057.htm

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