無題 Name 名無し 18/02/03(土)06:20:30  No.1235646

日本陸軍兵器資料集 (ミリタリー・ユニフォーム)

https://cgi.2chan.net/f/src/1517606430296.jpg
日本軍の手榴弾、地雷スレなんてどうでしょうか?
手榴弾は対戦後期のゲリラ戦法などで大変活躍して小銃よりも活躍したらしいですが
自分も昔どこかでちょこっと見ただけなので本当かどうか説明することはできませんが…
日本軍装備大図鑑―制服・兵器から日用品まで
アグスティン サイス
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無題
Name 名無し 18/02/03(土)09:23:46  No.1235657      
1517617426894

無題
Name 名無し 18/02/03(土)09:30:18  No.1235658      
1517617818944
うぉりゃ~

無題
Name 名無し 18/02/03(土)11:08:08  No.1235664      
1517623688856
中身が青酸ガスですが(・w・;

「一式手投まる缶」

使用目的は対戦車(車輌)兵器…
運搬中に破損しても対処できるように
ケースに中和剤が一緒に入っていたそうです

無題
Name 名無し 18/02/03(土)16:11:31  No.1235690
>「一式手投まる缶」
ビルマとかで使用された「チビ弾」とは仕様が違うのだろうか。

無題
Name 名無し 18/02/03(土)11:58:00  No.1235668
手榴弾の使い方はマカロニほうれん荘で覚えた

無題
Name 名無し 18/02/03(土)12:26:32  No.1235673
20年代初頭に小火器製造を始めて満州事変の電撃的な侵攻で東北銀行の準備金ごとまるっとせしめられて、大陸での乏しい兵器供給を助けた旧東三省兵工署とか在満の造兵廠が製造を手掛けていたという柄付き手榴弾はドイツの物とは異なり後の人民解放軍の67式に似た簡素な見た目の物だったと聞きますが
この手の摩擦信管の柄付きはどこの部隊が支給を受けたとか詳しい情報に乏しいですよね…

無題
Name 名無し 18/02/03(土)14:28:05  No.1235680
日本軍の手榴弾って凄いしょぼいよな見た目も威力も

無題
Name 名無し 18/02/03(土)15:06:14  No.1235686
確か妙に小さいんだっけ
ニー・モーターの弾でやっと諸外国の手榴弾くらいなのかな

無題
Name 名無し 18/02/04(日)22:04:13  No.1235857      
1517749453695
>日本軍の手榴弾って凄いしょぼいよな見た目も威力も

>確か妙に小さいんだっけ
一回りか二回りくらい違う
投げたり持ち運んだりするには便利だっただろうが

無題
Name 名無し 18/02/03(土)15:08:25  No.1235687
てりゅうだん
いつの間にかしゅりゅうだんと言うようになった

無題
Name 名無し 18/02/03(土)15:25:42  No.1235688
『卑怯な日本軍』が現地急造トラップ・爆雷肉攻戦術の類に詳しい

無題
Name 名無し 18/02/04(日)10:12:12  No.1235770      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517706732677.jpg
自分が読んだ本では一式手投丸缶=ちび弾になってましたけれど、実は違ったりするんでしょか?

「ちび弾(別名ちゃびん)」の語源はBT戦車をひっくりかえした「テーベ―」が語源、との説からして、ノモンハンでの教訓が開発の契機だった兵器ではあるっぽいんですけれど…w

因みに大東亜戦争開戦直前、マレーに向かう輸送船団上で「ちび弾」の紹介講習会が開かれておりましたそうで、講師役の一人だった第5師団歩兵11連隊の越智晴海少尉さんによると

「私は赤線を引いた木箱から直径15センチの円筒缶の蓋を開け、ノコ屑のつまった中へ片手をつっこみ、直径10センチほどの緑色のガラス玉をとりだした。玉の中に容積三分の一ほど透明な液が入っている」

無題
Name 名無し 18/02/04(日)10:13:22  No.1235771      
1517706802040
「ガラス玉が割れ、空気に触れると猛烈な青酸ガスが発生する。使う時には小隊長以上が命令する。ジットラ要塞ラインで敵戦車かトーチカ攻撃に用いる、と小隊員に説明すると『投げつけたあと、どうするんんですか』と質問が出て、『投げたら風上へ逃げ、息をつめていろ』と答えた。私は各分隊に二発ずつ支給、『飯盒の横に縛りつけておけ』と命じた」

…んですとか

防衛研究所に残る南方作戦の為の配当資材表によると、マレー攻略の第25軍にはチビ1万個、フィリピン攻略の第14軍には3千個が割り当てられいる一方で、ビルマ攻略の第15軍にはチビ弾の配当はなく、計1万3千個はこの年の全生産数8万7千個の二割程度であったそうです

無題
Name 名無し 18/02/04(日)10:15:25  No.1235772      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517706925175.jpg
チビ弾は早くも開戦当日には、コタバル海岸に上陸した侘美支隊でトーチカ制圧の為に使用された他、「近衛歩兵第4連隊史」によれば1942年1月21日の戦闘で、エゲレス軍の戦車と装甲車に対して同連隊第一大隊が「チビ、手榴弾を使った肉弾戦で7輌を撃破、100人を殺傷」したそうです(同大隊戦闘詳報では1月15日~26日にチビ10個を使用)

もっとも、例えば作戦全期間を通じて、第5師団全体での消費量はわずか34個に留まり、軍全体での保有量に比してごく少ない量に留まっているんだそうなんですが、前述の越智少尉なんかは実際のジットラ陣地突破戦の最中、「酸っぱいようなガスの臭い」に気付いて見てみると、友軍の兵士が背嚢のチビ弾を敵弾に貫通され漏れ出たガスで死亡していたんだそうで、他にも漏出ガスでの事故死が数件あり、怖くて使えなかった、と回想されておられるんですとか

無題
Name 名無し 18/02/04(日)10:18:41  No.1235774      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517707121634.jpg
危険なので後方へ置いて来たとか、本部により回収された…なんて証言も残っているんだそうなんですが、チビ弾が配当されたもう一方の南方戦線であるフィリピンでも、実際中々使いづらかったようで、例えば第16師団のバターン攻略戦を取材した記者さんの手記によると

「第14軍はチビ弾を含む毒ガスの使用を検討したが、『彼我の戦線はあまりにも接近しすぎており、投擲した毒ガスによって味方にも多くの犠牲者が出る』と懸念、中止」

…されたそうで、ほぼ使用されずに終わっているそうです

変わった所では1942年1月にエゲレスの陸軍情報部が米ソに通報した情報で

「日本兵を銃剣で刺した時、ベルトに付けた容器を貫くと(青酸)ガスが洩れた」

…なんてのもあるそうなんですが、ガラス容器に入れた毒物を兵隊サンが各個に持ち歩く…
というチビ弾のコンセプト自体が、ちょっと無理があったって事なんでしょかね、コレ

無題
Name 名無し 18/02/04(日)10:51:20  No.1235778
>一式手投丸缶=ちび弾
>ビルマ攻略の第15軍にはチビ弾の配当はなく、

そうだったのか修正乙です。
実際「正に風まかせ」の兵器は使いたくなかったと思う。
軍の偉い人としては対戦車装甲車にも有効との事で活用を考えたようだが、いかんせん取り扱いに難が・・・
個人携行の化学兵器として、せめて中身を催涙剤とかにしとけばもう少し活用機会が出来たかも。

無題
Name 名無し 18/02/04(日)12:07:15  No.1235791      
1930年頃の話だそうなんですが、当時の日本陸軍研究所では民間会社と提携して、赤土に青酸を吸収させたものを果樹園や船舶用の殺虫剤として商品化する「副業」も行っていたそうなんですがw
その研究過程で、性状不安定な液体生産に2~5%の銅粉を添加することで安定性が確保できる事がわかり、以後の「チビ弾」含む青酸ガス兵器の開発が容易になった、なんてエピソードがあったりするそうです
因みに開戦初期以降も「チビ弾」の使用準備は続けられ、瀬戸内大久野島で同兵器の生産に従事した加藤長四郎という技師さんの回想によると、1942年11月に自らアリューシャンのアッツ島にチビ弾500発を届けた際の思い出として

「ガス漏れしても大丈夫なように、木箱を輸送船の船尾に積み、いざとなれば海中へ突き落すつもりだった」

…なんて語られているんだそうで

無題
Name 名無し 18/02/04(日)12:08:49  No.1235793      
1517713729076
また、1941年9月1日には激闘の続くガダルカナル戦用に第17軍にチビ弾500発が割当てられたりしているんですが、前記のような使用し辛さに加えて、化学戦能力では日本を遥かに上回る連合軍からの報復への恐れもあって、結局その後はごく散発的な使用に留まり、ビルマでインパール作戦中にはエゲレス軍のバレンタイン戦車を撃破してたりもするそうなんですが、1944年7月14日には東条英機陸軍参謀総長の名で、大本営の指示ある時を除き、チビ弾を含む毒ガス兵器の全面的使用禁止と、手持ち分を後送することが全軍に命じられ(大陸指2061号)、以後終戦までコレがほぼ守られていたようです

余談ですが戦中、大本営参謀の津野田知重陸軍少佐サンが東条サンの暗殺計画を企てた際、習志野学校から持ち出したチビ弾で殺害する予定だったのが1944年7月25日だったそうなんですが、奇しくも先の毒ガス兵器禁止令を出した直後の7月18日に東条内閣が倒れ、計画は未遂に終わったんだそうでして、下手をすると東条サンがチビ弾最後の犠牲者になっていたかもしれない、なんて話もあるんですとか…w

無題
Name 名無し 18/02/04(日)12:09:12  No.1235794      
こうした事情の移り変わりを反映してか、チビ弾の戦中の生産数は1941年の8万7千個に対して翌42年は5万5千個、43年には2万5千個に激減しているんだそうなんですが、1944年になると一転して4万1千個(計画)の大量生産が計画され、またそれまでチビ弾に無関心であった日本海軍も、戦争末にサイダー瓶に液体青酸を詰めた「4号特薬ビン」を1万発ほど急造しているんだそうで

言うまでもなく、戦況悪化とそれに伴う本土決戦への備えだったわけなんですが、実際には使われずに終戦を迎えたのは、恐らく寧ろ日本側にとって幸いだったんじゃあないでしょかねえ

無題
Name 名無し 18/02/04(日)12:27:55  No.1235796
第1次世界大戦終了後、第2次世界大戦終了までに殺傷能力のあるガスを実戦で使用した国って日本だけなんですよね

ドイツはサリン、ソマン、タブンといった神経ガスの開発・生産まではしたけど実戦では使わなかったし

無題
Name 名無し 18/02/04(日)13:40:33  No.1235813
イタリアがアビシニアで使ったやん。

無題
Name 名無し 18/02/04(日)14:05:32  No.1235814
あ、そうでした

そのイタリアも第2次世界大戦では使わなかったから
第2次世界大戦で殺傷能力のあるガスを実戦で使用したのは日本だけって訂正します

無題
Name 名無し 18/02/04(日)16:55:14  No.1235828      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517730914166.jpg
某埼玉県の河原に未だゴロゴロ残骸が残っています四式陶製手榴弾(・w・

代替品による手榴弾って…と思ったらソ連でも陶製手榴弾、ドイツでもコンクリート製手榴弾やらニポリト手榴弾やら…

無題
Name 名無し 18/02/04(日)18:50:08  No.1235835      
1517737808100
>陶製手榴弾


大東亜戦争に先立つ事70年以上前になりますが、明治10年の西南戦争でもチビ弾と同じガラス瓶製の手榴弾が使用されていたんだそうで

もっとも、「抛擲弾」と呼ばれたこの兵器、中身はもちろん青酸ではなくて、「西南戦争警視隊戦記」によれば

「厚い硝子瓶の中に火薬、頭部を裁断した釘、厚硝子の破片等を充填し、外側には幾重にも紙布を貼り付け、瓶の口から本菅を挿入して門線を導火線とした」

もので、西郷軍に包囲された熊本城内で新政府軍によって急造され、進入してくる敵軍の撃退のみならず、包囲突破の際、薩軍の堡塁に対しても相当の効果を上げているんですとか

無題
Name 名無し 18/02/04(日)18:51:05  No.1235836      
この「抛擲弾」、一説には当時城内で樺山参謀長の下で働いていた児玉源太郎参謀の発案によるものだとされているんですが、そのまた元ネタになったのが、当時熊本城内に長年秘蔵されていた陶器製の「ホウロク玉」であったという話があるんだそうで
勿論作らせたのはかの加藤清正公、流石に古すぎて現物そのものは使えなかったものの、それにヒントを得て作られたのが「抛擲弾」であったそうなんですな

激戦の末、遂に熊本城を陥せずに敗退せざるを得なくなった時、西郷ドンが悔し紛れに

「おいどんは、官軍に負けたのではなく、清正公に負けたのでごわす」

…なんて呟いた、という有名な逸話が伝えられておりますけれども、熊本城の堅固な構造だけでなく、陶器製のホウロク玉という置き土産もそうした結果に繋がっていたのだとしたら、やはりセイショウコウさんは薩軍の方に大いに祟っていた、ってことなんでしょか…w

無題
Name 名無し 18/02/04(日)19:50:15  No.1235842
>ドイツでもコンクリート製手榴弾
手榴弾だけじゃなく航空爆弾までコンクリ代用があったらしいからなぁ
ドイツ

無題
Name 名無し 18/02/04(日)20:08:17  No.1235843      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517742497862.jpg
>ドイツでもコンクリート製手榴弾


コンクリート戦車

無題
Name 名無し 18/02/04(日)22:15:52  No.1235858      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517750152514.jpg
日本軍の手榴弾といえば個人的に不思議なのは点火方法
各国ではピンを抜くと即発火する方式(ドイツなど)やピンと安全レバーを用いたり(アメリカなど)してたけど
ピンを抜いたあとに叩いて点火するって一手間多いやり方をなんで好んだんだろう
十年式なんかは擲弾発射器で使うからそういう方式なのも分かるけど
それ以降は基本的に投擲専用なのに
九八式とか九九式乙とか他国のそれと似たような物も開発してるから技術的な問題って訳じゃないんだろうけど

無題
Name 名無し 18/02/04(日)22:21:45  No.1235862
>各国ではピンを抜くと即発火する方式(ドイツなど)

ドイツの柄付き手榴弾は紐を引っ張って摩擦点火してるので、日本のとそんなに手間は変わらないんじゃないかな?
投擲性能はともかくとして

無題
Name 名無し 18/02/04(日)22:27:00  No.1235865
>ドイツの柄付き手榴弾は紐を引っ張って摩擦点火してるので、日本のとそんなに手間は変わらないんじゃないかな?
ドイツなんかだと柄付きでも卵形でも紐を抜いたら即点火するけど
日本だとそこから叩くって動作が入るので何でかなと

無題
Name 名無し 18/02/04(日)22:34:03  No.1235866
>日本軍の手榴弾
激発機構を省略して簡易化できるからでしょう

無題
Name 名無し 18/02/05(月)13:55:11  No.1235898
>日本だとそこから叩くって動作が入るので何でかなと
擲弾筒で発射する時用の機構でしょ?
発射の衝撃で点火する。

無題
Name 名無し 18/02/04(日)23:04:25  No.1235871      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517753065714.jpg
一応まあ、日本陸軍にもドイツ式?の手榴弾もあったんです(・w・
写真の九八式柄付手榴弾が有名ですね

無題
Name 名無し 18/02/05(月)18:20:46  No.1235941
ドイツの柄付きもキャップ外す事前動作はあるし、ピン抜いただけでは発火しない日本式も発火から投擲までの動作で考えればさほど不利な気もしないが。

無題
Name 名無し 18/02/05(月)18:27:09  No.1235943
海上に墜落して米軍が救助しようとした日本軍パイロットが手榴弾で自爆した、、という動画で、直前にその兵が何か口に咥えてるんだよね。ちょうど手榴弾のピンを抜く動作みたいに、、、、
あれは自爆じゃなくて撃たれたんじゃないかと。

無題
Name 名無し 18/02/05(月)23:03:25  No.1235995      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517839405646.jpg
ソ連のRGD-33が一番面倒な気がするな。使用するには、信管入れるとこから始めるからね(工場では分離状態で出荷)。

それとも手榴弾の信管ってどの国でも現地挿入かな?

無題
Name 名無し 18/02/06(火)17:52:48  No.1236069
>それとも手榴弾の信管ってどの国でも現地挿入かな?
ソ連は戦後も弾体とヒューズを別にしていますが、米軍は対戦中からずっと一体で個別防水紙筒に入ってますね
大戦中のドイツの柄付はコンテナに柄と弾体、ヒューズが別に入っていたような(自信なし)

無題
Name 名無し 18/02/06(火)22:00:16  No.1236087      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517922016859.jpg
こういうのがあった

無題
Name 名無し 18/02/06(火)22:13:10  No.1236090
赤軍ゲリラ・マニュアル
原書房『赤軍ゲリラ・マニュアル』でんな
一次資料翻訳だけにおもしろい内容も多いね

無題
Name 名無し 18/02/06(火)22:21:02  No.1236091      
大正9年に日本陸軍が制式採用間近の新型曳火手榴弾(=十年式手榴弾)の仕様書を作成しているんですけれど、コレによると新型手榴弾の売りの一つは「弾着地の状況如何に拘らず発火確実なる」事なんだそうで

十年式の前の制式手榴弾は信管が着発式でしたので、投擲する際にうっかり足下に落としたら大変なことになりかねない反面、弾着地が軟弱な地盤だったりすると不発に陥ることがままあったんだそうでして、十年式の曳火信管採用にはブッ叩くことで確実に発火させる為、なんて理由もあったみたいですねえ

無題
Name 名無し 18/02/06(火)22:22:56  No.1236093      
1517923376342
因みに同文書では信管について

「頭部に発火装置、中部に火道、下部に起爆筒を有す。発火装置は打撃若しくは発射の衝撃(擲弾筒を以て発射する場合に依り発火し火道に点火す」

…と説明されてまして、時を同じくして採用された擲弾筒(十年式)でも発射できることが前提で、それに対応する為の信管構造だった、ってのは既にスレ内で他の方々が指摘されてる通りだと思うんですが、従って十年式及び改良型の91式、手投げ運用前提ながら実質的に

「時局の要求に応ずるため、取り敢えず現制十年式擲弾筒弾薬、91式曳火手榴弾に改修を加えしもの(陸軍陸軍技術本部)」

…という事情が有った97式まで、信管の基本形式が共通だったたのもごく自然な成り行きだったんじゃあないでしょかねえ

無題
Name 名無し 18/02/06(火)22:24:32  No.1236094      
1517923472869
更に月日は飛んで昭和14年、日本陸軍の近接戦闘兵器研究委員会が北満で実施した各種兵器の実地検証の報告書の中で、「軽量手榴弾」なるものがありまして、「97式手投曳火榴弾と携行の便否、投擲距離、効力等の関係を比較検討する」とされているこの「軽量手榴弾」、この頃開発が進められていた99式手榴弾を指すと思うんですが、逆にいうと97式より軽量で持ち運びやすく、投擲距離に優れて居る…というのが当時時期手榴弾に求められていた性能であって、後に99式で従来より弾体が小型化した理由でもあったんじゃあないでしょかね

また、同じく試験を受けていたものに「手榴弾投擲機」なるものがあるんですが、コレも後に「100式擲弾器」として制式化?される、99式手榴弾投擲用の小銃装着アダプターなんだそうで

無題
Name 名無し 18/02/06(火)22:25:29  No.1236095      
https://cgi.2chan.net/f/src/1517923529949.jpg
99式手榴弾が投擲距離延長の為に小型軽量化を目指し、また擲弾機でも発射できるよう開発された、というのは当時のIJA作成の資料にも謳われているんですが、ちょっと面白いのは前記近接戦闘兵器研究委員会の解説によると、「手榴弾投擲機」とは

「第一線歩兵が敵前至近距離に近迫し突入する迄の間に砲兵の突撃支援射撃及び重擲弾筒の震駭射撃より手榴弾の投擲距離に入る間、即ち概ね50~100mに於いて火力の不足期を生ずるを以て、此の缺を補うべき一着想として」

…研究するモノとされておりましたり

この頃の擲弾筒は従来の十年式から、ほぼ専用弾使用の89式重擲弾筒に更新されて、威力も射程も大幅に増大しているわけですけれども、逆にそれ故に擲弾筒の最低射程と手榴弾の投げ合いになる距離との間にギャップが生じている、それを埋める兵器が必要なんだ…って事みたいなんですね

無題
Name 名無し 18/02/06(火)22:27:01  No.1236097      
1517923621676
従って、99式手榴弾&100式擲弾器の組合わせに求められた性能も、かつての十年式コンビに求められたモノと微妙にニュアンスが変わっているとは思うんですが、それでも基本的に擲弾器からの発射運用という点はこの時代でも変わらず要求されているわけでして

また、99式手榴弾には曳火式信管(甲)と摩擦発火式信管(乙)の2種が有ったわけなんですが、(乙)の取り扱い説明書に依れば

「本手榴弾(※乙)は99式手榴弾(甲)に比し信管の構造簡易にして製造に設備を要せず、且つ廉価なるのみならず、擲弾器に依る発射用に非ざるを以て、炸薬安全度に関する要求を軽減し(略)代用炸薬の利用に便なるの特徴あり」

…なんてあったりします

無題
Name 名無し 18/02/06(火)22:29:09  No.1236098      
1517923749805
逆に言えば、戦時下に曳火信管の甲より、信管そのものも簡易で、製品精度や原料も低クオリティで済み、大量生産に向く…という(乙)の利点を十分に認識していながら、敢て従来の曳火信管付の甲の生産を続けていたわけで、結局日本陸軍が最後まで(93式の様な例外も有りますが)主用手榴弾の擲弾器による運用に拘り続けたのが、十年式以来の信管形式が主用され続けてきた理由でもあったりするんでしょかね…?

無題
Name 名無し 18/02/09(金)00:37:16  No.1236246
>即ち概ね50~100mに於いて火力の不足期を生ずるを以て、此の缺を補うべき一着想として
06式なんかはこれと似たような思想で開発されてるなぁ

無題
Name 名無し 18/02/07(水)00:17:50  No.1236115
旧軍の手榴弾に摩擦発火式の信管があったのを初めて知りました
どういう形状をしているのかな?

映画『土と兵隊』のトーチカ潰しで、手榴弾信管上部を何かで擦って発火させて銃眼に放り込むシーンがあり、映画用のプロップなんだなと思っていましたが、あれが摩擦式信管だったのでしょうか?

無題
Name 名無し 18/02/07(水)06:54:53  No.1236129
他国より優秀な擲弾筒がいっぱい配備されてるなら
手榴弾はそこそこでいいやってなったのかもね
擲弾筒の弾と手榴弾両方大量に持ち歩くのは重そうだし

無題
Name 名無し 18/02/07(水)08:38:51  No.1236137
>擲弾筒の弾と手榴弾両方大量に持ち歩くのは重そうだし
素朴な疑問なのですがあれは手榴弾としても使えないのでしょうか?

無題
Name 名無し 18/02/07(水)07:16:53  No.1236132
陶器手榴弾って火薬は黒色、弾殻も弱くて威力がなかったらしいけど
それ以前に投げつけたら砕けないの?

無題
Name 名無し 18/02/07(水)09:25:43  No.1236140
89式擲弾筒の専用弾で800グラム以上、97式手榴弾の2倍近い重さだからなあ
投げやすく軽くしたら今度は威力に不満が出そうだし、難しいんじゃね

無題
Name 名無し 18/02/07(水)14:53:48  No.1236152
個人的には
・ドイツの柄付き手榴弾
・アメリカのパイナップル
・ソ連の吹き流し付き手榴弾

これらと並んで、叩いて投げる日本式は「画になる手榴弾」として推したい。

無題
Name 名無し 18/02/07(水)19:03:12  No.1236163
「決断」というアニメでは日本軍の手榴弾は靴の底で叩いてから投げてたね
初めて知った現用手榴弾との違い

無題
Name 名無し 18/02/07(水)19:08:49  No.1236165     
1517998129009
>あれが摩擦式信管だったのでしょうか?


99式手榴弾(乙)の摩擦式信管は指を入れる輪の付いた引き索を引くと、信管内で摩擦剤が発火して点火される仕組みですので、使用に際して手榴弾頂部を擦る動作は無用だったようです

この点、ドイツ式の98式(柄付)手榴弾と同じ方式なわけなんですが、1942年に陸軍技術本部が試製98式柄付手榴弾の「マッチ」式発火装置の経年劣化について調査した際、引索の内摩擦剤が塗布された部分が経年劣化して発火機能に影響を及ぼす傾向が判明した、なんて報告書が残っておりましたり

無題
Name 名無し 18/02/07(水)19:11:04  No.1236166      
1517998264874
そしてその中には

「現制式99式手榴弾(乙)及び目下研究中の試製4糎打上阻塞弾は其の発火機構を改正するか又は之を廃止するを要す」

…なんて文章が有りまして、コレからしても99式(乙)手榴弾の信管は98式手榴弾と少なくとも基礎的構造、原理はほぼ同じだったようですから、形状についても同手榴弾のモノに近かったんじゃあないでしょかねえ

ただし、戦争末期に日本国内、若しくは外地で急造された即席手榴弾の中には、手榴弾頭部を直接マッチのように点火する構造になっているものも存在したそうです

ただ、1939年製作の「土と兵隊」とは年代や当時の状況からしてもちょっとそぐわない気が致しますが…実際どうだったんですかしらん

無題
Name 名無し 18/02/07(水)19:19:37  No.1236167
https://cgi.2chan.net/f/src/1517998834704.jpg
このタイプは重くて投げ難いから
危険範囲内に投擲者自身も入ってしまうという
100メートル離れてても破片で怪我とか話も聞いた

無題
Name 名無し 18/02/08(木)12:55:20  No.1236208
>99式手榴弾(乙)の摩擦式信管は指を入れる輪の付いた引き索を引くと、信管内で摩擦剤が発火して点火される仕組みです
あああ・・擦っているように見えたのは抜いている動作だったかも知れないです
その直後、通常型と同じように曳火して煙がシューシューとしていましたので、方式としては同じような物だと思います

>1939年製作の「土と兵隊」とは年代や当時の状況からしてもちょっとそぐわない気が致しますが
全くその通りです
個人的に旧軍モノはあまりに判らない(私が知らない)事が多すぎるので、もしや九九式以前より摩擦式発火の手榴弾(信管)があったのかな?と思ったのでした
劇中使用の弾体形状は九七式だったように思います

無題
Name 名無し 18/02/09(金)19:25:03  No.1236281      
1518171903171
一昔前に比べたら出版物書籍は充実しているしネットで簡単に見られる情報は増えたしで、ホントに今は色々有り難い世の中になったと思うんですけれど、逆に一つの事を知れば十の疑問が沸いてきてキリがないのがこの趣味の難しい所でもあり、面白いところでもあるんじゃないでしょかw

日露戦争の頃なんかですと、まだIJAでは手榴弾は制式装備に採用されていないんですが、旅順要塞を巡る攻防戦の中で日露両軍とも次第に現地の資材を利用した手製の「手擲弾」を用いるようになり、その原料も空缶や薬莢、鉄管等と様々だったそうなんですが、当時旅順の前線に編成されていた攻城工兵廠の廠長さんの陣中日誌に、「竹筒製手擲爆弾」を考案・配布したなんて記述が有るんだそうで

コレなんかも、果して旅順の現地に竹は生えてたのかしら?とか、それとも何らかの梱包材、資材として日本から送られていたものを利用したものか、気になり出したらもう止まらなk(

無題
Name 名無し 18/02/09(金)19:27:34  No.1236283      
1518172054720
余談ですがこの「攻城工兵廠」、旅順で激戦が続く1904年9月25日に「迫撃砲」の製作に着手、10月には現物を完成させているんですが、その目的は

「敵壘に接して徒手爆薬を投擲するは完全の方法にあらず。故に装置簡単、移動容易なる軽砲を以て投擲操作に代えんとするにあり」

…とされておりまして、見方によっては迫撃砲と言うより寧ろ後年の擲弾筒に通じる部分がある気もするんですが、「擲爆砲」とも呼ばれたこの迫撃砲、砲身は木製で竹製の輪で補強されたもの、弾丸は鉄板及びブリキ板を円柱形に製作したもので、内蔵の雷管に繋がる導火索によって爆発する仕組みであったそうです

弾丸製作の為に、攻囲各部隊から「重焼パン(≒乾パン)」の空缶を集めたりもしたそうで、ある意味地球に優しいリサイクル兵器でもあったようなんですがw
いざ実戦に投入されると、これがなかなかロシア軍相手に威力を発揮しているんだそうで

無題
Name 名無し 18/02/09(金)19:31:11  No.1236284      
1518172271435
こうした現地製造の「手擲弾」及び「迫撃砲」を使用した戦闘の状況を、当時の工兵第十一大隊の報告書から見てみますと

「爆薬戦に熟練なる我工兵は、巧みに手擲弾に点火し導火索の燃焼漸く熟するを待ち(略)之を敵中に投す(略)爆薬戦に於て我は確かに優勢を占め、敵をして(略)土嚢胸墻に據るの止むを得ざるに至らしめ、迫撃砲弾は(略)各所に落下し、敵をして騒擾身を措く所なきに至らしめたり」

「迫撃砲隊は(略)陣地転換を行い敵の投ずる爆薬の危険を冒して(略)堡塁より観測によりて巧に発射し、遂に機関砲を沈黙せしめたり。迫撃砲の効力偉大なりし事、此時より大なるはなし」

無題
Name 名無し 18/02/09(金)19:33:21  No.1236285      
1518172401417
「占領後実見する所に依れば敵の死屍惨憺たる傷状、土嚢胸墻の弾痕なくして寸断せられたる、機関砲の破壊せられある、主として迫撃砲の為によるものなり」

「此の如くして我が歩兵に近き敵は我が手擲弾の為に、之に遠きものは迫撃砲の為に(略)妨害せられ、敵は遂に北砲台を救援するの無益なるを覺らしめたり」

「Q砲台前の迫撃砲は、焼弾を発射して所謂怪物屋敷を焼夷せしめんとしたるも、其の命中意の如くならざると、其の位置に適当の燃焼物なかりし為、焼夷の目的を奏する能わざりしは遺憾とする所なり」

…との事で、攻撃に防御に「手擲弾(=手榴弾)」と「迫撃砲」は実に重宝されていたようです

無題
Name 名無し 18/02/09(金)19:34:42  No.1236286      
1518172482865
同報告書は

「此の攻撃に於て(略)我が要求に数倍する迫撃砲及び手擲弾を製作して我が攻撃に些かの遺憾なからしめたる攻城工兵廠の盡力に対し熱心なる感謝を表す」

…と「攻城工兵廠」の努力を称賛しているんですが、遂に旅順要塞が陥落した直後の1905年1月6日、乃木第3軍司令官からも同廠に対して

「旅順要塞に對し正攻工事開始以来(略)大作業の要求に応じ、加ふるに迫撃砲を発明し、手榴弾攻路頭鉄板、携帯防盾等を創作し、以て要塞の攻略を幇助したり。其の功績偉大なりとす」

…という内容の感状が授与されているそうです
手榴弾&その投射する兵器が日本の兵隊サンの心強い味方、というのは、ある意味その登場以来最後までずっと続いた伝統だったりするんでしょかねえ

無題
Name 名無し 18/02/09(金)21:21:12  No.1236307      
https://cgi.2chan.net/f/src/1518178872618.jpg
丸缶型発煙手榴弾(・w・

対戦車用の煙幕装置だったそうで

無題
Name 名無し 18/02/09(金)21:24:24  No.1236309      
1518179064463
>攻城工兵廠

いつのまにかwikiが詳しいですね

今澤 義雄
1901年(明治34年)10月、工兵中佐に昇進し陸軍技術審査部審査官に就任。
日露戦争開戦に伴い、1904年(明治37年)5月、第3軍攻城砲兵司令部攻城工兵廠長として出征。
旅順攻囲戦で手榴弾、迫撃砲などを開発。

>^ 生前今澤少将はかう語っていた。
>「当初は竹筒にダイナマイトを詰めて投げることを計画したが乃木希典司令官から「それは兵器ではないからいかぬ」と許可されなかった。
>その後、敵が臼砲の砲弾に点火して投げてくるようになったため、無理に許可をお願いして竹製手榴弾を使うこととなった。
>竹はそのうち枯渇し缶詰の空缶に詰めたが遂にブリキで作った。」

無題
Name 名無し 18/02/13(火)15:18:01  No.1236680
1518502681891
旅順を巡る戦いに先立つ南山の戦いでも、露軍陣地の機関銃と鉄条網の前に日本側は多くの死傷者を出しているんですけれども、この悲報を聞いた市井の方が「竹盾」の使用を提案した意見書が、防衛研究所に現存しているんだそうで

センゴク時代の「竹束」みたいな発想の兵器?で、傾斜させて受け止めれば敵弾や砲弾から我が軍兵士の生命を守れるはず!というのが考案者サンの意見なんですが、流石にコレは採用されずに終わっているようです

(多分

無題
Name 名無し 18/02/13(火)15:19:28  No.1236681      
1518502768921
因みに後の大東亜戦争でも、末期になると本土防衛用の急造兵器として竹製兵器が再び復活して、砲身と砲弾の外殻を共に竹で構成する竹製擲弾筒、竹槍の先に爆薬と信管を充填した刺突兵器である爆槍、更にコレをロケット噴射で飛ばして飛行機を狙う「対空噴進爆槍」まで、折角の優秀な?国産資源を活かした、様々な種類のモノが考案されているんですとか

ある意味、日露戦争の頃と似たような状況だったわけですけれども、考えてみれば日露戦争から大東亜戦争までたった40年、考える事が行き着く先が似かよっていたとしても、それほど不思議な事ではなかったりするんでしょかねえ

無題
Name 名無し 18/02/13(火)21:47:54  No.1236709
>旅順を巡る戦いに先立つ南山の戦いでも、露軍陣地の機関銃と鉄条網の前に日本側は多くの死傷者を出しているんですけれども、
竹製バンガロール的なのが有ればと思ったけど出てきたのはもうちょっと後か…出てきてから発射機とか発展は早かったけど

無題
Name 名無し 18/02/14(水)13:54:55  No.1236749
>>考えてみれば日露戦争から大東亜戦争までたった40年

えっ・・・
そういわれて眺めてみると、艦船から航空機その他の兵器類だけでみても当時の日本の発達って凄まじいな。
欧米列強への追いつきっぷりが尋常じゃない。
そりゃ黄禍論も対米六割も出てきますわ。

無題
Name 名無し 18/02/14(水)20:30:30  No.1236762      
>日露戦争から大東亜戦争までたった40年

黒船来航から88年後・・・
そういうスパンで見ると感慨深い

無題
Name 名無し 18/02/16(金)15:52:53  No.1236857      
http://cgi.2chan.net/f/src/1518763973061.png
>黒船来航


ペリー=サンがカイコクシテクダサーイ、と浦賀にやってきた嘉永6年(1853年)年に、国学者の殿岡北海サンという方が書かれた「榴弾私説」なる本があるんですが、西洋諸国が使用している「手擲榴弾(しゅてきりゅうだん)」なる強力な投擲兵器の存在を紹介した上で、日本もソレに対抗する為に同じモノを開発・保持すべき、という内容であるんですとか

またオリジナルの西洋のハンドグレネードが鉄の外殻であるのに対して、威力では劣るものの軽量で投げやすく携行にも便利である、と陶器製の手榴弾を勧めていたりもするんですが、この陶器製手榴弾と竹製の「瓢弾弓」なる投擲機を組み合わせることで、鉄製榴弾を使用する(西洋の)敵軍を投擲距離でもアウトレンジできる(筈)なんだそうで

言ってみれば、和製グレネードランチャーのルーツは竹に始まる、と言った所なんでしょうか…w

無題
Name 名無し 18/02/16(金)15:54:33  No.1236860      
http://cgi.2chan.net/f/src/1518764073505.jpg
90年経って、「大東亜戦争」で再び竹と陶器と爆薬、ついでに大和魂を頼りに「夷敵」と戦おう…というシチュエーションが生じたわけですが、それから更にほぼ同じ位の時が流れた現代、仮に同じ材料で同じような兵器を考案した場合、どんな感じになるんでしょかね

軽量セラミック製弾体に高性能爆炸薬、竹はちょっと反則して高弾性カーボン等に代えて組み合わせて、人間の腕力に代えてモーターで投擲したら、案外強力な無音・無煙の発射器が出来たりないですかしら(真顔

無題
Name 名無し 18/02/17(土)07:50:37  No.1236880
「手」榴弾という呼び名がいつまで残るのか、といったとこですかね。

案外、手榴弾の形態は変化せず、パワーアシスト装備リンク機能その他の発達でセンサー情報の投影によって、歩兵が手で投げるけど、飛距離も精度も格段に向上、なんてことになるかも。
炸薬の進歩でより小型にもなり、発射装置要らずで音も熱も発しない。
しかし、相手もそれを個別装備の超小型レーダーで探知し、手持ち式の対空迎撃投げ矢で撃ち落とす・・・

そうか! アインシュタインの言っていた「第四次世界大戦」の正体はこれか・・・!

無題
Name 名無し 18/02/18(日)11:23:01  No.1236937
https://cgi.2chan.net/f/src/1518920581577.jpg
投擲機で手榴弾を打ち出すのは
意外と効果ありそうですね

無題
Name 名無し 18/02/18(日)11:25:30  No.1236938
https://cgi.2chan.net/f/src/1518920730178.jpg
最新のジャンプ式手榴弾
スウェーデン製で効果抜群

無題
Name 名無し 18/02/19(月)13:12:22  No.1237020
https://cgi.2chan.net/f/src/1519013542695.jpg
>最新のジャンプ式手榴弾

「SHGR07 airburst hand grenade」
https://youtu.be/_sE4sLQkdsg
いやすぎだな…

無題
Name 名無し 18/02/18(日)11:28:41  No.1236940
https://cgi.2chan.net/f/src/1518920921088.jpg
イスラエル製の手榴弾着脱装置
専用ポーチ
間違ってはずれることがないので高い評価を得ています

無題
Name 名無し 18/02/18(日)11:29:27  No.1236941
二重ロック構造の保持用トップカバーなど
5つの安全構造はアメリカ軍で高い評価をえました
今後世界の主流になるかも

無題
Name 名無し 18/02/19(月)00:19:58  No.1236996
https://cgi.2chan.net/f/src/1518967198741.jpg
手榴弾も長年変わってないようでコッソリ進化しているね。
これは米軍の特殊部隊が使ってる「SOHG」モジュラー式手榴弾。
何個も連結させることが可能で、最後に信管パーツを付けると

無題
Name 名無し 18/02/19(月)00:21:30  No.1236997
https://cgi.2chan.net/f/src/1518967290003.jpg
こんな感じに手榴弾として使用できます。

無題
Name 名無し 18/02/19(月)00:35:55  No.1237000
https://cgi.2chan.net/f/src/1518968155124.jpg
コチラはロシア製の手榴弾。
左からF1、RGD-5、RGO、RGN。
F1とRGD-5は長年使われて来たベテラン。
RGD-5は現在、世界で最も多く使われている手榴弾らしい。
新登場のRGOは防御型手榴弾で約500g。
RGNは攻撃型手榴弾で約300g。
RGNの方が軽い分だけ遠くまで投擲できるので攻撃型。

無題
Name 名無し 18/02/19(月)02:06:25  No.1237003
↑のは東欧やら中東やらで元のライセンス生産やコピーのせいで紛争地やらでゴロゴロ見かけるAKとかと並んで

無題
Name 名無し 18/02/19(月)07:58:48  No.1237010
日中戦争が長引いて、農村部の体力ある若者じゃなくて、都会の貧弱な若者まで徴兵する事になった結果、重い手榴弾じゃ遠くまで遠投出来なくて軽くなっていったんだっけ?

無題
Name 名無し 18/02/19(月)10:14:51  No.1237012
最近は女性兵士問題が影響を受けています
腕力のない女性が手榴弾を10メートル先に投げるのは大変なんです

無題
Name 名無し 18/02/19(月)21:49:12  No.1237031
もう安全レバーを飛ばした手榴弾をすぐ投げずに我慢して
爆発寸前の状態で相手に向かい投げエアバーストさせる
手榴弾の料理なんて職人芸は要らない時代なのか・・

無題
Name 名無し 18/02/20(火)20:46:48  No.1237073
https://cgi.2chan.net/f/src/1519127208791.jpg
meshさんの竹製手榴弾の話で思いだした
戦中の建築物には鉄不足で鉄筋ならぬ竹筋コンクリートで作ったものが多数存在し、中には画像のように今も現役のものもあったり・・・変なところでクオリティ高いな・・・。

無題
Name 名無し 18/02/21(水)00:32:56  No.1237095
>戦中の建築物には鉄不足で鉄筋ならぬ竹筋コンクリートで作ったものが多数存在し、
竹筋コンクリじゃないけど、香港のビル建設現場では今でも竹で足場を組んでるそうだね。
ある意味すごいテクノロジーだ。

無題
Name 名無し 18/02/21(水)15:33:22  No.1237124
>竹筋コンクリート
東京建設業協会編集の東京建築史に、

「鉄筋コンクリートならぬ竹筋コンクリートビルが建設されたという。日本建築学会編『日本建築学発達史』(略)に、『南方諸国と違い、わが国で竹材を主体構造にあまり使わないが、太平洋戦争中には、竹を代用資材としてにわかにその利用が着目された。鉄筋に変わる竹筋コンクリートであり、南方の占領地域に建てられる施設の構造材料としての可能性をみきわめる調査研究が行われた』との記述が有る」

「東京でも竹筋コンクリート造ビルが建設され、昭和30年代の終わりころまで残っていたと、ある建築家から教えて貰ったことがある(略)橋の欄干を竹筋コンクリート製としたという話も聞いた」

…なんて有るんですが、現存している構造物がまだあるんですねえ
ある意味、こういうのも戦争遺跡なんでしょか…w

無題
Name 名無し 18/02/21(水)21:33:05  No.1237157
https://cgi.2chan.net/f/src/1519216385029.gif
日中戦争の頃から鉄材不足の影が付きまとってたんだなぁ・・・

それでこの記事、誰うま・・・

引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1235646.htm

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