無題 Name 名無し 17/12/27(水)00:49:01  No.1232597

日本陸軍戦闘機の系譜図
いまいち日本海軍機と比べると知名度は劣りますが
個人的には日本陸軍機の方が好きだったりしますので
日本陸軍戦闘機スレなんていかがでしょうか?
日本陸軍戦闘機隊―付・エース列伝
伊沢 保穂 航空情報編集部
酣燈社
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無題
Name 名無し 17/12/27(水)07:30:37  No.1232603      
http://cgi.2chan.net/f/src/1514327437253.jpg
>知名度は劣りますが

でも そこそこ現存機はあるし
状態の良いものが多い

無題
Name 名無し 17/12/27(水)07:52:06  No.1232606
疾風はもうちょっと流行っても良いよな。

無題
Name 名無し 17/12/27(水)18:12:08  No.1232645
マーリン積んだムスタングのデビュー時期に鼻っ柱へし折った機体として疾風はもっと評価されていい。

無題
Name 名無し 17/12/27(水)20:44:18  No.1232675     
子供の頃、父が東京に出張に行くと、なぜか土産にミリタリー系プラモを買って来てくれたんだが(地元でも売ってるやん?)、父の好みは海軍機よりも陸軍機だったようで、屠龍や飛燕を貰ったことが特に強く印象に残ってる。
父のセンスだと、海軍戦闘機は似たような感じのルックスで、みな個性が乏しいと感じたんだろうか。
そんな父の影響を幼少期に受けたせいか、私もどちらかと言うと海軍機よりも陸軍機の方が好き。

Name 名無し 17/12/27(水)22:02:38  No.1232684      
http://cgi.2chan.net/f/src/1514379758685.jpg
陸軍機は派手だから海外モデラーには海軍機よりも人気があると聞いた。

それにしてもよくこんな派手な塗装が許されたものだなぁ
目立つのは特攻機にとって良いことではないはずだけど

無題
Name 名無し 17/12/28(木)19:03:53  No.1232752      
1514455433515
>陸軍機は派手だから

米軍も陸軍は派手だが海軍は地味だな

無題
Name 名無し 18/01/01(月)23:56:05  No.1233127
>それにしてもよくこんな派手な塗装が許されたものだなぁ
>目立つのは特攻機にとって良いことではないはずだけど
必死の作戦に出撃するんだ、これくらい許してもらえなきゃ死に切れんて
士気を上げる意味もあったんだろうと思う

無題
Name 名無し 17/12/28(木)19:06:52  No.1232753
空自の部隊マークは
1970年代くらいまでのものは
陸軍の戦隊マークの意匠を引き継いでると思う

無題
Name 名無し 17/12/28(木)20:01:22  No.1232758      
日本陸軍試作機物語―名整備隊長が綴る自伝的陸軍航空技術史
戦闘機ネタに限らない内容ですが、IJA機関連だとこの本が面白かったです(ダイマ並感

昭和9年に所沢の陸軍航空飛行学校に第一期技術学生として入校したのを皮切りに、陸軍航空技術研究所付等を経て最後は飛行第47戦隊の整備員を務め、同戦隊の保有する「鍾馗」「疾風」の高稼働率の維持に大きく貢献された、なんてエピソードの持ち主のベテラン整備員さんの回顧録なんですが、足掛け10年以上の陸軍生活で関わった各種実用・試作機にまつわるエピソードが自身の直接体験したものも含め多数収録されていて、個人的にはなかなか楽しめる内容でした

無題
Name 名無し 17/12/28(木)20:05:29  No.1232760      
1514459129603
例えば昭和19年2月、成増の刈谷さんの飛行第47戦隊で、訓練支援用の97式戦を招集されて現場に復帰したばかりの整備兵さんが試運転しようとされていたそうなんですが、実は(有名な話かもですが)97式戦は運用開始後にスロットルレバーの開閉が「引き開」から「押し開」に変更になった機体でありまして、それを知らずにかつての要領でエンジンを始動してしまい、「全閉」のつもりが「全開」となった機体はたちまち暴走を始め、気の毒な整備兵さんを乗せたまま200mばかり暴走、折悪しく並べられた「鍾馗」の列線に突っ込んで97式戦と「鍾馗」各1機が大破、整備隊長だった刈谷さんも譴責処分を食らう羽目になってしまったそうで

所謂空中勤務者ではなく(試乗の相乗り体験記はありますが)整備員と言う立場からならではの話がなかなか興味深いんですが、そんな中でも特に一番思い入れのある機体は、どうも試作機時代から実用機時代まで「付き合い」の長い「鍾馗」だったようです…w

無題
Name (・ω・) 17/12/28(木)20:14:27  No.1232761      
1514459667825
|ω・)ツインエンジンの屠龍さんが好きです
   B29だって襲っちゃうぞ~

無題
Name 名無し 17/12/28(木)23:47:18  No.1232779
>|ω・)ツインエンジンの屠龍さんが好きです
>B29だって襲っちゃうぞ~
実は遅くって置いて行かれそうになったらしいな屠龍
ま、大体の日本機がそうだけど

無題
Name 名無し 17/12/29(金)00:42:56  No.1232783      
1514475776892
上向き砲は男のロマン
男たるもの砲身は上を向かないとねっ
同じ空中特攻でも三式戦はわりあいに脱出して生き残る確率あったけど、双戦の場合はほぼ必死であったらしい。。。

無題
Name 名無し 17/12/29(金)20:43:19  No.1232860      
「屠龍」装備の飛行第53戦隊でやっぱり整備員だった原田良治さんという方が、本土防空戦でB-29相手に体当たり攻撃を行った陸軍戦闘機隊の事例について調査されておられるんですが、それを元に他の資料で捕捉して「屠龍」での(本土上空)体当りを列挙してみますと

(1)昭和19年8月20日北九州 飛行第4戦隊 野辺重夫軍曹(戦死) 高木伝蔵兵長(戦死)
(2)昭和19年12月3日千葉 飛行第53戦隊 沢本政美軍曹(戦死)
(3)昭和19年12月27日東京 飛行第53戦隊 渡辺泰男少尉(戦死)
(4)昭和20年2月19日山梨 飛行第53戦隊 広瀬治少尉(戦死) 加藤君雄伍長(生還)
(5)昭和20年2月19日東京 飛行第53戦隊 山田健治伍長(戦死)
(6)昭和20年3月27日北九州 飛行第4戦隊 内田実曹長(戦死) 朝日正幸伍長(戦死)
(7)昭和20年4月7日伊勢湾 飛行第5戦隊 辻本馨少尉(戦死)
(8)昭和20年4月17日北九州 飛行第4戦隊 西村㔗軍曹(戦死) 後藤学軍曹(戦死)
(9)昭和20年20年4月18日北九州 飛行第4戦隊 山本三男三郎少尉(戦死)

無題
Name 名無し 17/12/29(金)20:44:36  No.1232861      
(10)昭和20年5月3日北九州 飛行第4戦隊 板倉潔大尉(戦死) 松垣鎮夫少尉(戦死)
(11)昭和20年5月7日北九州 飛行第4戦隊 村田勉曹長(戦死)
(12)昭和20年5月7日北九州 飛行第4戦隊 今井不二雄大尉(戦死) 松山少尉(戦死)
(13)昭和20年5月7日北九州 飛行第4戦隊 金子良一軍曹(戦死)
(14)昭和20年5月29日御前崎 飛行第5戦隊 河田清治少尉(戦死) 土山茂夫兵長(戦死)

…の14例(戦死者20名)、という事になるんだそうで(不備にお気付きでしたら是非ご指摘を)

14例の内、同乗者のある(1)(4)(6)(8)(10)(12)(14)の7例(14名)は通常攻撃中の咄嗟の判断による体当りになるのに対して、残り7例の操縦者のみ(7名)搭乗で行われた事例は、震天隊/回天隊と称された空対空特攻隊機によるものになるわけなんですが、B-29に突入された計21名の空中勤務者さん達の内、生還者はただ1名、というのは確かにちょっとキビシイ数字では有るかもですねえ

無題
Name 名無し 17/12/29(金)20:45:38  No.1232862     
因みに本土防空戦における「屠龍」による初めての体当り撃墜を記録した(1)の野辺軍曹機の場合、それまでの4次にわたる邀撃戦で戦運に恵まれず戦果がなく、出撃直前、同戦隊の先輩だった樫出勇中尉に野辺さんは「こんど来たら必ずやりますよ」なんて宣言されていたそうなんですが、柳田邦男せンせいの「零戦燃ゆ」から引用させて頂きますと

「野辺機はB29梯団長機に一直線に飛びこんでいき、正面から激突した(略)巨大な火の玉が発生し、両機の機体はバラバラになって飛散した。B29のエンジンらしい黒い塊がはね飛び、それが梯団長機の右後方についていたB29二番機にぶつかり、その左主翼をたたき落とした(略)野辺機は一挙にB-29二機を撃墜したのである」

…んだそうで

無題
Name 名無し 17/12/29(金)20:47:14  No.1232863      
ただ、同書によりますと之により

「二機のB29は、いずれも郊外の南瓜畑に落下して爆発炎上し(略)落下地点のすぐ傍の防空壕に避難していた一家を焼死させた他、五十メートルほど離れた民家一棟を全焼させた」

…なんて、思いがけない悲劇も同時に生じていたそうです

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu2-nobe.htm
また、同機に撃墜されたB-29二機の内、一機のクルーは全員死亡したのに対し、もう一機は11名中4名が脱出に成功、3名が捕虜になっているんですが、最後の一人で副操縦手だったWINE中尉は脱出後29日まで潜伏、飛行第59戦隊が展開していた福岡県の芦屋飛行場に侵入しようとしたところ(飛行機を奪おうとしてたんでしょかねえ)を警備兵に発見され、銃撃戦の末、最期は自ら自決してて果てておられるんだそうで

他の例でも、空中から地上まで、敵味方双方の関連する方々にまつわる色々な挿話は無数にあったんでしょうなあ…

無題 Name 名無し 17/12/30(土)02:13:13  No.1232887
>14例の内、同乗者のある(中略)の7例(14名)は通常攻撃中の咄嗟の判断による体当りになるのに対して、残り7例の操縦者のみ(7名)搭乗で行われた事例は、
戦闘時刻が不明なので私の憶測なんですが、2人搭乗組は夜間での、1人搭乗組は昼間での出撃だったんでしょうかね。
そして夜間出撃組の中には、体当りする意図はなかったにもかかわらず、暗くて敵機との距離を正しく把握できずに追突してしまい、結果的に特攻扱いにされてしまったケースが含まれてるような気がします。
以前読んだドイツの夜間戦闘機の本でも、夜間戦闘では戦闘機側も爆撃機側も上手く距離感を掴めないので当たるものも当たらず、下手をすれば空中衝突。
そこでたどり着いた手段が並行飛行とシュレーゲ・ムジーク(斜銃)という話で、奇しくも日本軍も全く同じ方法論に帰結したのが興味深いです。

無題
Name 名無し 17/12/30(土)01:44:47  No.1232884
体当たりじゃ無くて肉迫してロケット弾じゃダメなのか。
やっと育てたパイロット1回で死なせてたら戦争の効率悪過ぎる
まあ「お国の為に死ぬことに意味が有る」って考えちゃうから
無理か。

無題
Name 名無し 17/12/30(土)02:40:59  No.1232888
>肉迫してロケット弾じゃダメなのか。
空対空ロケット弾といえば、ソ連戦闘機がドイツ爆撃機を攻撃するのに多用していたね。
ソ連戦闘機と言えば、ラボーチキンもヤコブレフもみな共に武装が貧弱な部類だけど、時限信管、触発信管併用のロケット弾を複数発射して、大型爆撃機も撃墜していた。
ソ連は対空、対地、対潜と色んな用途に多連装ロケット弾を使うのが好きだったね。
日本ももっと早くにロケット弾を実用化していたら、戦いがずっと楽になってたかも。

無題
Name 名無し 17/12/30(土)04:22:42  No.1232892      
>肉迫してロケット弾じゃダメなのか。
十二糎対空ロサ弾を応用出来ないか調べてみたが弾重量が1発25kgとかなり重い方だから弾幕を張るのはは無理だろうが子弾の加害能力にどれだけ期待出来るかだろうな。
初速から鑑みて射程500mでギリギリ、100m以内ならB-17.B-25あるいはB-29相手に有効弾を与えられるかもしれない。ただし1機辺り2~4発位しか積めないだろうから余裕があるなら20mm斜銃のほうが効果的だろうな。100~200kg機外に提げても高高度性能を確保出来ればロケットもありだろうが。
体当たり覚悟の近接攻撃なら確かに効果はありそう。

無題
Name 名無し 17/12/30(土)07:57:53  No.1232897 
空対空特攻機は武装や防弾を下ろして軽くして速度稼いでるのもあるからな。
ロケットで武装してさらに速度が遅くなると会敵自体出来なくなってしまう

無題
Name 名無し 17/12/30(土)09:51:41  No.1232902
40mm機銃がロケット弾だったらしいな
でも大口径機銃って発射速度遅いし
ロケットは弾道良くないし
なんだけど評価はどうだったんだろ

無題
Name 名無し 17/12/30(土)10:04:21  No.1232903      
http://cgi.2chan.net/f/src/1514595861573.jpg
>40mm機銃がロケット弾だったらしいなでも大口径機銃って発射速度遅いしロケットは弾道良くないしなんだけど評価はどうだったんだろ


ホ301だな。
対爆撃機としては無いよりはマシレベルだろうが。
ただ発射レートが6発/1秒らしいから火力はかなり強力かも。

無題
Name 名無し 17/12/30(土)13:51:27  No.1232909     
1514609487033
>空対空ロケット弾

陸軍じゃ無いのでスレ違いかもですが実は日本海軍でも空対空ロケット弾は実用化しております(・w・
「二七号爆弾(ロケット弾)」と言って横空や三四三空でも比較的多く実戦で使用してたようなんですが戦果はサッパリだったようで・・・

ちなみに三四三空では1945年5月5日の東九州上空のB29迎撃で戦闘701の鷲淵隊長が初使用(戦果無し)、5月11日に対PBM5飛行艇攻撃で戦闘301の松村大尉率いる4機の紫電改が使用し、この二七号爆弾(ロケット弾)で唯一の直撃撃墜を記録しています(・w・
これに関しては日米双方の記録に残っていますので間違い無い記録でしょうね

写真は当日撮られたもので撃墜されたPBM5飛行艇とは別機ですが
画面中央付近PBM5至近で炸裂した二七号爆弾(ロケット弾)の煙がはっきり写っています

無題
Name 名無し 17/12/30(土)14:17:23  No.1232911      
http://cgi.2chan.net/f/src/1514611043188.jpg
>「二七号爆弾(ロケット弾)」と言って横空や三四三空でも比較的多く実戦で使用してたようなんですが戦果はサッパリだったようで…

     
ゲームですが分かりやすい画像が

IL-2 零戦52型

無題
Name 名無し 17/12/30(土)17:16:07  No.1232924
>IL-2 零戦52型
54型じゃない?

無題
Name 名無し 17/12/30(土)19:02:33  No.1232932 
>54型じゃない?
そうかもしれん。自信無いな。
間違ってたら申し訳ない。

無題
Name 名無し 17/12/30(土)17:37:35  No.1232926      
http://cgi.2chan.net/f/src/1514623055665.jpg
>ゲームですが分かりやすい画像が

実際はかなり野暮ったい形状で洗練されたR4Mとは隔絶の差がありますね・・・
写真はたぶんTAICの報告書(一部書籍には諜報書になってますが)からです(・w・
ただまあ343空の記録や当時の日米搭乗員の話からしても
余り有効な兵器ではなかったようですね(;w;

無題
Name (・ω・) 17/12/30(土)17:50:07  No.1232927
|ω・´)ロケット花火のでっかいのじゃないですk!
    フィンもにゃんも無いとです・・・

無題
Name 名無し 17/12/30(土)18:25:50  No.1232930
>|ω・´)ロケット花火のでっかいのじゃないですk!
>    フィンもにゃんも無いとです・・・
実際打ち上げ花火型のロケット兵器はあったし
後のFFARに見るように無誘導ロケットじゃあ一斉発射で面制圧したほうが効率よく撃墜できるから

無題
Name 名無し 17/12/30(土)19:02:30  No.1232931      
1514628150361
>|ω・´)ロケット花火のでっかいのじゃないですk!

この日(1945年5月11日)PBM5迎撃に飛び立った戦闘301の紫電改4機のうち二七号爆弾(ロケット弾)を搭載したのは松村正二大尉機(機体No.A52、二七号爆弾×2発)、宮下芳一上飛曹(機体No.A08、二七号爆弾×2発)、佐藤精一郎上飛曹(機体No.A08、二七号爆弾×2発)だったそうで、攻撃も「弾幕で覆う」というのでは無く「一発必中」的な使い方でして、「数撃てば~」と言うR4Mとはちょっと違ったようです(・w・

写真はその1945年5月11日に二七号爆弾に撃墜され脱出した搭乗員の皆様の姿(・w・;
たまたまカメラマン(ドナルド・S・フラッチー氏)が搭乗していたので記録に残っています
ちなみに全員味方のPBMに救出されました(・w・

無題
Name 名無し 17/12/30(土)19:17:08  No.1232933      
ちな海軍の"タコ爆弾"と同様陸軍でも空対空クラスター爆弾を開発していて二式四十耗と言うらしいですが成形炸薬弾の子弾と厳密には異なるものの合衆国空軍のCBU-97の様なものだったとか。wikiによると

制式名称は二式四十粍撒布弾である。投下試験では燃料タンクを燃焼させたり、翼に径40cmの穴を開けるなど大きな効果があった。その後も投下試験を繰り返したが、いずれも良好な成績を残したため、新たに「タ一〇二」を30発内蔵した30kg弾の三式四十粍撒布弾も製造した[27][28][29][30][31][32]。1942年(昭和17年)9月には試製投下タ弾100,000発および同収容筒1,500個を調弁するよう指示されている[33]。1943年(昭和18年)1月11日、参謀本部はB-17応急対策の一環として、第八方面軍に対し戦闘機用タ弾の整備およびタ弾懸吊装置の整備・発送を15日までに30機分行うよう通達した[34]。また、同月に陸軍航空審査部は明野陸軍飛行学校と協力して、飛行中の編隊に対するタ弾の投下法の研究を行なったが、「タ弾の落下速度が遅いため、編隊前方で投下する時機の判定が難しく、効果がない」との判決を下している

無題
Name 名無し 17/12/30(土)19:18:09  No.1232934
空対地(飛行場や車両部隊襲撃)では散布界の広いタ弾は効果的な兵器であり、終戦まで各方面の第一線で少なくない数が効果的に使用された。例としてビルマの戦いでは、飛行第64戦隊の戦隊長を務めた宮辺英夫少佐操縦の一式戦「隼」が、連合軍飛行場に対し夜間奇襲攻撃を敢行し地上駐機中の大型機複数撃破の戦果を報告。ソ連対日参戦下の満州では、1945年(昭和20年)8月12日、15日に、飛行第104戦隊の四式戦闘機「疾風」と独立飛行第25中隊の二式複座戦闘機「屠龍」がソ連赤軍機甲部隊に対しタ弾攻撃を敢行、戦車やトラックなど数十輌を破壊・炎上させる戦果を挙げている。
wiki/タ弾

無題
Name (・ω・) 17/12/30(土)19:54:28  No.1232937      
http://cgi.2chan.net/f/src/1514631268318.jpg
|ω・;)タ弾ってこんなんですよね・・・
    こんなのどうやってぶつけるんですか!

無題
Name 名無し 17/12/30(土)20:01:13  No.1232938      
http://cgi.2chan.net/f/src/1514631673904.jpg
渡辺洋二せンせいの本で、陸軍審査部で「ロ三弾」なる空対空ロケット弾の審査を昭和18年11月から19年4月にかけて行った話が載ってましたけれど、「ロ三弾」のスペックは初速200メートル/秒(720キロ/時)でやや物足りないものの、重量は8キロと軽量ながら99式8糎高射砲弾と同等の威力があったそうです

ただ、一式戦二型に搭載しての発射試験も上手く行ったものの、結局採用・生産には至らなかったそうで

他にテストされていた空対空兵器としては、小型爆弾を長いピアノ線で曳航して敵機にぶつける「ト三弾」、落下傘付きの小型爆弾を浮遊させて敵機撃墜を目指す「ト二弾」などの、まるで某エ●レス人の作る兵器みたいな発想のものもあったそうなんですが(棒)やはり陽の目を見ないで終わったみたいですなあ

無題
Name 名無し 17/12/30(土)22:06:19  No.1232954     
http://cgi.2chan.net/f/src/1514639179203.jpg
>落下傘付きの小型爆弾を浮遊させて敵機撃墜を目指す「ト二弾」
航空部隊用阻塞弾発射機みたいなものなんでしょうかね(・w・
陸上部隊では戦果はあったとか無かったとか・・・
写真は8cm阻塞弾発射機、無論陸上部隊用です

無題
Name 名無し 17/12/31(日)07:06:15  No.1232970      
97式重で擲弾筒積んだ話とかもあるみたいですが…w

>2人搭乗組は夜間での、1人搭乗組は昼間での出撃だったんでしょうかね
(1)の野辺さんの機は体当たり前、「野辺、只今より体当り」という訣別電を打っており、覚悟の体当たりだったのが確実なのですが、この日の空戦は午後5時~6時頃、まだ夏の陽の長い時期で、その模様が敵味方双方にはっきり認められたそうです

(4)の広瀬さんは、富士山付近で空戦に入ったのが午後2時40分頃で、1機撃破を報じたものの全弾を撃ち尽くした上、右エンジンに被弾した所で体当りを決意、やはり同乗の加藤さんに「広瀬、ただいまより体当り」の無電を打たせた後突入されております

因みに三男坊だった広瀬さんの二つ上のお兄さんは満州で陸軍重爆に搭乗訓練中事故死、次兄はアッツ島で玉砕と男兄弟三人が戦死されており、四男は千葉県沿岸防備「決部隊」所属でしたから、仮に戦局が本土決戦まで行っていたら広瀬家は男子全員戦死、なんて事になっていたかもしれませんですねえ

無題
Name 名無し 17/12/31(日)07:07:41  No.1232971      
(6)の内田さんらは夜間空戦での戦死なんですが、その模様はたまたま同僚の樫出中尉に目撃されておりまして、氏の手記によると

「敵機に直前方から突進する友軍機があった(略)抜き去った太刀を諸手にかまえ、体ごと突き進む凄まじさがあった。敵を斃して我が身もまた絶対死の、もろ手突きであった。剣の場合ならば、身を捨ててこそ浮かぶ瀬も有ろうが、私たちの空戦の場合は、浮かぶ瀬のない構えであった」

「直進する友軍機も敵と同一(※探照灯の)光芒内に浮かんできた。(やる気だ、あッ)私は眩暈を生ずる思いだった。覚悟の体当たりだったのだ。敵味方両機から稲妻のような発火があった。それも一瞬にして二機は破れ、裂け、もつれ合って墜落していった」

…との事

無題
Name 名無し 17/12/31(日)07:20:48  No.1232973      
(8)の西村さんの件では、残念ながら戦死状況の詳細が分かる資料をもっていないんですけれども、戦史叢書に依れば4月17日の北九州へのB-29空襲は午後2時~3時半とのことですので、こちらも夜間の空戦ではなかったようです

(10)の板倉さん及び(12)の今井さんの状況はやはり樫出氏によると、B-29との昼間戦闘の際

「邀撃隊長として上空にあった今井大尉は、B-29の前下方から、攻撃に入ったが離脱の際に過速となり(略)被弾、発火してしまったので、体当たりを決意、そのまま上方から敵機の背中に追突してこれを屠り、自らも犠牲になった」

「板倉大尉は、側前下方から敵機の軸線をはずして(略)突進したが、これまた突進途中で敵弾を受け、瞬時にして火を発したが、間髪を入れず敵機の尾部に体当たりした」

…との事

無題
Name 名無し 17/12/31(日)07:23:56  No.1232974      
(14)の河田さんらについては渡辺せンせいの著書によるとこれも昼間の戦闘であったため

「その戦闘状況は、静岡県大井川上流の山村から一部始終が目撃された(略)静岡中部の上空に達した河田少尉機は、戦闘の5機編隊に接近し、至近距離を機動の後B-29に激突した。火の玉に変わったB-29は回転しつつ墜落、乗員十一名のうち二名だけが落下傘降下して捕虜になった。河田少尉と土山兵長の遺体は二日後に収容され、手あつく葬られた」

…んだそうで

結局原田氏の調査による7件の内6件は昼間戦闘なわけなんですが、渡辺氏によると昭和20年5月26日にも飛行第53戦隊の増田利夫少尉機が体当たりしており(戦死、同乗者不明)コレを加えると通常攻撃機(二名搭乗)による体当り8例の内、昼間6例、夜間が2例、ということになるようですねえ

無題
Name 名無し 18/01/01(月)10:06:52  No.1233060
B公の防御砲火に食われた人も多かったんじゃろな
昼間だとそもそも近づくのが大変そう…

無題
Name 名無し 18/01/01(月)15:23:01  No.1233087
日本軍機は軽快に旋回しながら攻撃をかわす能力は優れている。しかし空飛ぶ要塞に突入するには余りにもペラペラ装甲。エンジンの馬力出ないからしゃーない

無題
Name 名無し 18/01/01(月)16:53:45  No.1233095
B29がいる高度で軽快に動くのは、日本機では無理なんじゃない?

Name 名無し 18/01/01(月)17:48:32  No.1233102
>B29がいる高度で軽快に動くのは、日本機では無理なんじゃない?
高高度爆撃じゃあ近寄れないが
命中精度が落ちるから
中期以降は中低高度に移行して
それなりの空中戦にはなってるよ

無題
Name 名無し 18/01/01(月)20:31:47  No.1233117      
先の刈谷さんの回想記によると、飛行第47戦隊が昭和19年11月1日、帝都上空に初めてB-29(偵察型のF-13)が高高度で侵入してきたのを邀撃した際

「八王子上空で待機していた松崎中尉編隊が攻撃したが撃墜できず、逆にエンジンに被弾し、滑油にまみれて着陸し、『特攻攻撃のほかなし』と報告して、自らその隊長を志願した」

…なんて事があったそうなんですが、その後相次いで高高度でのB-29(F-13)の帝都侵入を許す状況下で、帝都防空担当の陸軍第10飛行師団では空対空特攻部隊の編成を正式に決定、47戦隊含む各隊に4機ずつの攻撃隊編成を命じておりましたり
刈谷さん曰く、

「『鍾馗』は、重量軽減のためまず防弾鋼板。銃砲はもとより燃料タンクの防弾ゴムまで取り外した。涙ながら死出装束に改装作業する整備兵の手も遅れがち」

…であったそうで

無題
Name 名無し 18/01/01(月)20:32:54  No.1233118      
そして11月24日、いよいよ中島飛行機武蔵野製作所爆撃にB-29が大挙来襲すると、飛行第47戦隊の見田義雄伍長は銚子沖合でB-29に体当たりを敢行、撃墜に成功するも本人も戦死

飛行第53戦隊の空対空特攻隊員、入山稔兵長の「屠龍」はB-29編隊の防御火網により撃墜され兵長は戦死(収容された遺体には頭部盲管銃創の他、数十発の被弾があったと原田氏の手記に有り)

その他11月1日のF-13邀撃戦の際、報告に赴いた10飛師司令部で居合わせた大本営参謀に

「なぜ体当りできなかったのか!?」

と詰問されたという独立飛行第17中隊(武装司偵)の伊勢主邦中尉(同乗・福田成弥兵長)機を含む計6機の陸軍戦闘機が未帰還となっておりまして、開幕当初から帝都防空戦は熾烈を極めていたようですのう

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Name 名無し 18/01/01(月)20:33:45 IP:122.135.*(mesh.ad.jp) No.1233119
1514806425978
因みに「鍾馗」装備の飛行第70戦隊所属の空中勤務者だった小林茂少尉の場合、本人は志願しなかったものの戦隊長の指名で空対空特攻隊長に任命され、いきなり非武装機でぶつかれとかちょっと酷くないですか?と戦隊長に抗議したものの、

「小林、分かるが、師団長の命令なんだ」

…と返され、敬愛する戦隊長の言とあってそれ以上の抗弁は中止

ただし、内心一度だけは機関砲と言う正攻法で戦いたいと念じて、敢て乗機の機銃は下ろさせずにいたそうでして、程なく昭和20年1月27日にB-29編隊邀撃に出撃
千葉~茨城上空での空戦で直上方攻撃から2撃をかけて1機を撃墜、念願の機関砲による撃墜を果たすと、もはや思い残すことはない、と次回の攻撃での体当りを決意されたそうです

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Name 名無し 18/01/01(月)20:34:06  No.1233120      
その後体当り機動主体の訓練を重ねつつ待機していた所、2月19日に中島武蔵野工場を目指してB-29編隊が来襲、千葉県柏飛行場から発進した小林機は高度9000メートルで接敵、再び(今度は体当りを目指してですが)直上方からB-29に対して降下するんですが、あいにく高速パワーダイブでの激突の困難さから目標機の至近を抜けてしまったんだそうで

すぐさま再突入すべく機首を起こして敵編隊の左前方を上昇したところ、B-29編隊からの機銃弾が命中、防弾鋼板の無い座席背部を貫通して小林少尉の脊椎左側に当たると、左肺を貫いて肋骨二本を折り、左脇下からでると上膊部をも貫通

これだけの重傷にも関わらず、小林さんは不屈の精神力で柏飛行場まで損傷した機体を飛ばして同着、生還されているそうです

70戦隊にとっては結局これが最後の空対空特攻実施例となり、以後B-29の爆撃法変化もあって空対空特攻隊は実質的に解消されたそうなんですが、当時の戦闘機パイロットさんはもう命が幾つあっても足りないですねえ、コレ…

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Name 名無し 18/01/01(月)21:38:30  No.1233123      
1514810310905
ドイツ戦闘機のようなエンジンパワーと重装備があれば…
まぁ、そのドイツも負けたわけだが

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Name 名無し 18/01/02(火)12:33:03  No.1233152      
>ドイツ戦闘機のようなエンジンパワーと重装備があれば…

やはり刈谷さんのお話で、今度は4式戦「疾風」に関わるエピソードなんですが、内地防空での対B-29高高度戦闘において問題となったのが高度上昇に伴う潤滑油の油圧低下であったんだそうで

「連続上昇による油温上昇にも関係はあるが、根本的な問題は吸入抵抗が大きかったこと、したがって二次的にきわめてわずかな吸入側における空気吸い込みにも、いわゆるエアーロック的現象を呈し(略)滑油圧力が(略)二キロ/平方センチまで低下するのである(略)もちろんこれでは不合格である」

「パイプラインの縮小と整備により(高度)1万メートルで、6キロ/平方センチの滑油圧力を保ち、実戦に支障なくなった。これは47戦隊の事で、他部隊においては終戦まで、この問題に悩み、いわゆる飛ばない飛行機の一因をなしていた」

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Name 名無し 18/01/02(火)12:35:16  No.1233154      
「偏西風に乗ってくるB29に対しては、富士山上空から4撃はかけられた。滑油圧低下の問題を解決したため、1万メートルの戦闘に支障はなかった。整然たる編隊の連続攻撃がかけられると、飛行隊長連は大喜びであった」

「このキ84で銚子沖30キロで、防空戦隊の至宝、栗村准尉がB29の尾部に体当たりして撃墜し、自らは落下傘で海中に降下、救助不能で戦死されたことは今も胸に痛々しい。」

「キ44震天制空隊幸軍曹がキ44で(略)体当たりし(※戦死)、速度低下したものを(略)撃墜したのは(略)キ84で、富士飛行隊長真崎大尉の一小隊である」

…との事で、腕のイイ整備班に支援された「疾風」なら高高度での飛行にも不足はなかった、って事のようなんですが、逆に言うと整備能力次第ではB-29を邀撃できない「疾風」部隊が他では見られた、って話でもあるんでしょかねえ

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Name 名無し 18/01/02(火)12:35:46  No.1233156      
因みにコレは余談ですが、周知の通り飛行第47戦隊は刈谷氏ら整備班の努力よろしきを得て他隊に抜きんでた稼働率を維持していたものの、ある時そんな同隊の「疾風」が相次いでプロペラ焼き付きで不時着を余儀なくされるという事態が発生し、刈谷氏らを慌てさせたんだそうで

「松崎大尉が離陸、第一旋回でプロペラがピンと止まった。滑空着陸した機のプロペラにブラ下がっても、ビクともしない。焼き付きだ」

「続いて離陸したのも同様となった。そしてまたまた、計5機。私はただちに(略)油庫を調べた。全機、飛行停止は発令済である」

「『航空鉱油一二〇番』─見た事もないが、一二〇番なら大丈夫で、粘度も色相も変わったところはない」

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Name 名無し 18/01/02(火)12:36:27  No.1233157      
「これまではスタナボ、またはインターバーグリンバンド一二〇番を使用していたのである。ただちに飛行機で航空審査部へ飛んだ。調査の結果、これは再生油で粘度は十分であるが、高温における安定性が悪いと亘理少佐の言。これだ!私は心に叫んだ。残念ながら、輸入滑油を使用するほかない(略)航空軍兵器部に報告、キ84用として航空一二〇番は禁止とした」

「第四、第一小隊では、おかげで仕事にありつきテンヤワンヤ。が、夕刻までには元の稼働率を取り戻して、ホッと安堵の胸をなでおろしたのであった」

…との事なんですが、何やら戦後アメリカで(=向こうの整備環境で)試験された「疾風」がエライ高性能っぷりを発揮した、なんて逸話を彷彿させるものがありますですなあ

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Name 名無し 18/01/02(火)23:56:29  No.1233215
>結局原田氏の調査による7件の内6件は昼間戦闘なわけなんですが、渡辺氏によると昭和20年5月26日にも飛行第53戦隊の増田利夫少尉機が体当たりしており(戦死、同乗者不明)コレを加えると通常攻撃機(二名搭乗)による体当り8例の内、昼間6例、夜間が2例、ということになるようですねえ
詳細なお話をご教授くださり、ありがとうございます。
屠龍部隊の体当たり殉職者の実情が、私の想像以上に悲痛なものだったのでショックを受けました。
屠龍の性能がもっと優秀だったら、彼等も死ななくて済んだのかも知れませんが、双発戦闘機を自在に操る技量を持った操縦者をホイホイ死なせてしまったのは、尊い人命に加えて戦力の上でも大きな損失だったように感じます。

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Name 名無し 18/01/03(水)01:28:12  No.1233229      
>双発戦闘機を自在に操る技量を持った操縦者をホイホイ死なせてしまったのは、

海軍の双発戦闘機「月光」の運用を見てもわかるが、単発戦闘機に劣る性能しかない双発戦闘機は両軍の新鋭機がしのぎを削る昼間戦闘では使い道がなく、単発戦闘機のいない対爆撃機戦闘や夜間戦闘機という可能性を見出すまでは持て余していたんだよ。
これはドイツでも同じ

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Name 名無し 18/01/03(水)01:51:32  No.1233231      
升本清さんという、陸軍士官学校を経て東京大学航空学科を出た後、陸軍航空本部技術部員を務められていた方がおられるんですが、氏が戦中関わられていたのが、高空を来襲すると考えられていたB-29対策として開発が進められていたキ108であったんだそうで

「マユ形の気密操縦席を持ったキ-108成層圏戦闘機が川崎航空機により昭和19年6月に試作された。気密室については、私より一足先に東大を卒業した一研の杉浦少佐が研究を行っており、既に立川飛行機株式が視野で気密室付の成層圏飛行機を作っていたので(略)一応の経験をつくっていた」

「東大を出たばかりの私は、このキー108の試作第一号機の製作監督を命ぜられた(略)私は試作工場の工員を集めて『このキー108の出現が一日おくれれば、一日だけ余計に数千トンの爆弾が諸君に降り注ぐから、第一号機完成までには連日徹夜でやってくれ』と頭を下げて頼んだ」

…んですとか

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Name 名無し 18/01/03(水)01:52:24  No.1233232      
そして試作作業中のある日、

「この機体を高度3万メートルまでの実験の出来る三鷹の中央航空研究所の低圧低温実験室に持ち込んだ。予定の成層圏高度と同一の気温、気圧で防寒服に身を包んだ私が実験動物となって気密室に入って、他の全員は厚い鉄扉の外に退去した」

上で、減圧下での作動実験に入ったんですが、どうしたことか気密室の作動が思わしくなく、不審に思っていたもののとりあえず身体に異常は感じられなかった為、特に非常救助信号は出さずにいた所、やがて眠気を感じ始め、これはアルコール分を含んだ耐寒航空糧食のせいかもしれない…なんて思う内に、いつしか意識を失ってしまわれたんだそうで

「何分経ったか分からない。ふと耳に激しい痛みを感じた(略)やがて鉄扉が開いて、八航研の航空軍医を先頭に実験班員が全員どやどや入って来た」

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Name 名無し 18/01/03(水)01:54:12  No.1233233      
「『耐寒食のおかげでちょっと居眠りをしたよ』と虚勢を張った。『嘘つけ、死にかけていたくせに。俺が気がつかなければ、今頃は永久に天国へ成層圏飛行だぞ』と航空軍医に頭から怒鳴られた(略)私の失神に気がついてくれたのはこの軍医さん唯一人で、真先に気圧を下げる処理をとってくれたのであった」
「失敗の原因は、排気弁に私の身体から発散した水蒸気が凍り付いて、自動開閉の機能が失われたから」

…であったそうなんですが、奇しくもこの日の午後、伊号潜水艦乗組員の弟さんの戦死の知らせが届いたんだそうで、

「兄弟とも、同じ酸素欠乏症だが、兄は高空、弟は深海の底で、弟は果して、私のように死は楽だと思いながら死んでいったのであろうか」

…と述べられているんですが、前線から銃後、陸海から空と海の底まで、否応なしに「死」が身近であった時代だった、ってことなんでしょかね

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Name 名無し 18/01/03(水)01:56:04  No.1233234      
因みに氏の文中に出てくる「耐寒航空糧食」、ものの本によると寒天に日本酒由来の「純良強清酒精」を添加したものをベースに「特殊温感刺激剤」を加えたものだそうなんですが、要はアルコール入りの寒天に唐辛子等の辛みを加えたもので、食べやすいようにサイコロぐらいの大きさにカットしたものがチョコレートでコーティングされていたそうです
この手の高空飛行用糧食の開発も当時盛んに進められていたそうで、升本氏によると

「高空では腸内のガスが膨張してすこぶる苦痛を感ずるので(略)ガスを吸収する活性炭素を調剤して飛行前にのませることが考案されたが、こんなものが死ぬ前に食えるかと不評判で、かえって主計部から配給される飛行前後の甘酒が成層圏飛行中の腸内ガスをイーストに処分させ、かつ疲労回復にもよいというので、この方は軍医さんよりも主計さんに軍配が上がった」

…なんて話もありましたそうで

一万メートルの高空で凍えた身体で飲むあたたか~い甘酒、確かに凄く美味しそうです…w

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Name 名無し 18/01/03(水)10:11:06  No.1233258
いや、そこは納豆だろう?(新谷かおる脳)

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Name 名無し 18/01/03(水)11:00:48  No.1233260
少飛15期の亡父によれば内地外地(ジャワ)共に納豆があがったことは「一度もない」そうです
父は関西人には珍しく納豆が好物だったため一度でもあれば憶えているはずとのことでした

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Name 名無し 18/01/03(水)13:27:30  No.1233267      
関西の方って本当に(一般的な意味で)納豆が嫌いなんですね…!(違

>少飛15期
御父君と同じ15期生で、宇野禄さんという方の手記を読んだことがあるんですが、この方は戦争末期、爆装「隼」による特攻「誠」隊員に指名されて台北の基地に移動、郊外の温泉旅館を宿舎に、突入降下訓練を毎日繰り返しながら出撃待機に入るんですが、宿舎では毎日羊羹7本、タバコ7箱ずつが支給されて

「今にして思えば、ラッキーセブンの意味だったのだろうか」

…とは宇野さんの言なんですが、外出すれば町中の人が気を使って丁寧に挨拶してくるので

「肩が凝る思いで町の散歩は止めてしまい、部屋に閉じこもって大抵一人で武士道正宗という酒を飲んでいた。この時くらい酒をうまいと感じたことはない。明鏡止水というが、私はそのとき歳十九であった」

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Name 名無し 18/01/03(水)13:28:42  No.1233268      
…んだそうで

未成年の飲酒が法律で禁止されたのが1922年、煩い事を言えばアウトなのかもですが、流石に明日をも知れぬ空中勤務者(しかも特攻要員)にそんな野暮を言う人はいなかったようで

「『いつでも出撃できるように、準備をしておくこと』と作戦参謀から指示があったが私は毎晩酒を飲んだ。『よし俺は出撃の時は、二合ビンを一本持って行こう。沖縄へ突入する十分ほど前に一ぱい飲んでから死のう』と真剣になって考えた」

…そうなんですが、やがて遂に出撃命令が下り

「洗面所へ行くとやはり出撃隊の中浦伍長が歯を磨いていた。死ぬのに歯を磨く必要があるだろうかと、ふと私はそんなことを考えたりした。部屋に帰ると、最期の膳が出ていた。しかもかねて(略)頼んでおいた私の大好きなオムレツが皿に乗っていた」

無題
Name 名無し 18/01/03(水)13:30:16  No.1233269      
「(飛行場で)白い布を張ったテーブルに最後の酒がくばられた。西村少将(※台湾軍参謀副長)は一升ビンを持って私のそばにやって来て私の大好きな酒を湯飲み茶わんに、なみなみとついでくれた。『閣下、私は必ず命中してみせます』『うーん頼むぞ』」

…と、僚機と共に出撃するんですが、進撃途中天候不良により攻撃中止を余儀なくされ

「帰りついた特攻機3機、宮古島に不時着したもの2機、あとの8機は悪天候のため海に突入したことが後で判った。何と私は悪運の強い男か、やがて私たち5人は原隊復帰となり、それぞれの戦隊へ別れて行った」

…んですとか

出撃まで宇野さんの心を支えたのは好きなお酒だった、って話なわけですが、「突入10分前」に機上で飲むお酒の味、ってのも、今の私らにはちょっと想像が付きませんですのう…

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1232597.htm

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