燃料およびエタノールの特殊な事情
(空自の日本防空史25)

文:nona

 
ミコヤンMiG-25、MiG-31 (世界の傑作機 No.172)

 今回はMiG-25の燃料とエタノールについて

ミグ25事件の真相―闇に葬られた防衛出動 (学研M文庫)
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 MiG-25の燃料

 
MiG-25の心臓たるツマンスキーR-15B-300ターボジェットエンジンの性能試験に際し、互換を有すると考えられたジェット燃料JP-5が使用されました。

 
JP-5(ケロシン系)は空自機で用いるJP-4(ワイドカット系)よりも揮発しにくく引火点も高いため、主に海自の艦載ヘリコプターが艦上給油の火災リスクを減らす目的で使用する燃料ですが、MiG-25の場合、高速飛行時の空力加熱に耐える、という意図でJP-5に似た特性を有する燃料を使用していました。(ソ連の燃料規格ではT-6あるいはT-7Pが該当するようです。)

 
ただし、引火点の高い燃料は冬期や高々度におけるエンジン始動が困難、という欠点もあるため、MiG-25は燃料点火専用の酸素ボンベを搭載し、始動時に燃焼室に酸素を吹き付けることで点火を補助する機構が加えられています。


 大食らいのR-15エンジン

 
R-15エンジンの設計について、かつて西側は断片的に公開されたR-15エンジンの空気流量の数値から、ターボファンエンジンの可能性がある、との推測を立てていました。

 
しかし、R-15エンジンについてスイートマン氏は「ターボジェットエンジンとラムジェットエンジンの折衷とも言える単純な構造で、高速になるほど威力を発揮するが、逆に低速ではひどく効率が悪い。」としています。

 
真偽は不明ですが、R-15のアフターバーナー使用時の最大燃料消費量は毎分275kg、アイドル中においても毎分127kgの燃料を消費する、というデータがあります。

 
前回「MiG-25を購入してはどうか」との声が日本の国会で挙がったことをお伝えしましたが、空自は1オイルショックの時期に飛行訓練時間を減らしたことがあり、そのような状況でMiG-25を導入しても持て余したことでしょう。

 
MiG-25の輸出先についても、そのほとんどが産油国でした。


 機内じゅうが燃料タンク

 
MiG設計局は大食いのR-15エンジンのために大量の燃料を確保すべく、機内空間の70%をインテグラルタンクとして用いる異例の措置をとりました。同機の機内燃料は16580L(14570kg)に達しますが、これはF-4EJ(7393L)の倍以上の量です。

 
こうした特異な内部構造を可能としたのは、MiG-25の構造のほとんどが溶接で組み立てらたおかげでもありました。

 
通常、アルミ外板・リベット組み立ての航空機内にインテグラルタンクを設ける場合、接合部の隙間から燃料が漏れないよう内側にシール材を塗布する必要がありますが、塗布が困難な込み入った空間をタンクに転用できない、という制約がありました。

 
一方、溶接組み立てのMiG-25は接合部をぴったり閉じることができるため、従来機では活用できない隙間までインテグラルタンクに転用できたのです。

 
しかし、それでもなおR-15の燃費の悪さは完全には補えなかったのは前回お伝えしたとおりです。

 
余談ですが、SR-71のようにエンジンを主翼に配置した場合、胴体全てを燃料タンクとすることができ、さらに長大な航続距離が得られますが、MiG設計局は超音速飛行中に片肺飛行となった際の偏揺れを警戒し、この設計を採用しなかったようです。


 MiG-25と航空機用エタノール

 
有名な話ですが、ソ連の航空機はエタノールを搭載していました。

 
同様の例としてF-104Jがコクピットおよび機器冷却用の水を搭載しますが、ソ連機の場合は凍結防止の観点でエタノールが用いられ、MiG-25は高速飛行時の空力加熱に耐える必要もあって、特に大量のエタノールを必要としました。

 
主に用いられたのはエタノールと水1:1の「水割り」で、空調システムに260L、発電機の冷却に140L搭載され、純エタノールもレーダー冷却に27L、HF通信機に6.9L、風防で4L使用されています。

 
これらのエタノールは各部を循環して機器から熱を奪い、気化すると機外へ噴射されました。エアインテイクにも噴出口があるようですが、水エタノール噴射装置としての効果を狙ったものかは不明です。


 アルチョム・ミコヤンからの贈り物

 
これも有名な話ですが、ソ連では航空機用エタノールを飲用する者が後を絶たちませんでした。

 
ベレンコ氏が所属していた頃のソ連防空軍では、徴集兵は営内完全禁酒、パイロットに対しても飛行5日前から禁酒を課すルールを設けていましたが、実際はほどんど守られていませんでした。

 
エタノールの恩恵は防空軍の将兵のみならず、外来の陸軍や空軍将校、さらには政治将校にまで及んでおり、彼らはなにかと理由をつけてビンいっぱいのエタノールを持ち帰ろうとしました。みながグルだったので、だれも取り締まらなかったのです。

 
さらにはエタノールで作ったカクテルを「マサンドラ(アルメニア人の良き息子であるアルチョム・ミコヤンからの贈り物、の頭文字)」、あるいは「白い黄金(闇市で売ると高値がつくため)」などと呼ぶことさえありました。

 
かつてベレンコ氏が勤務していたチェグエフカ基地でも「乱脈、酩酊、不穏な空気が充満」しており、昼間から酔っ払っている兵士も珍しくありませんでした。しかし、不思議なことにMiG-25の整備に関するトラブルをほとんど聞かなかった、ベレンコ氏はそう語ったようです。

 
この点について、ベレンコ氏の伝記作家であるジョン・バロン氏は、「MiG-25の整備が極めて簡単であるため」と推測しています。


 ベレンコ氏とアルコール

 
そのベレンコ氏が初めて酒を飲んだのは11歳の冬、青年会(コムソモール?)に招待された時のことでした。

 それは「灯油とアセトンの臭いがするウォッカ(?)」という代物でしたが、好奇心と同調圧力により口にしてしまったのだとか。

 
するとベレンコ少年、まもなく酩酊して冬の戸外にさまよい出てしまい、足を取られて転倒し直後に嘔吐。幸い凍死する前に正気を取り戻したようですが、それ以来節度をもった飲酒を心がけたようです。

 
時は変わって1976年の亡命騒ぎの最初の晩。

 
ベレンコ氏は函館市内のホテルに匿われており、夕食の際、「日本には素晴らしいビールがあるそうですね」と期待を込めた発言をします。ベレンコ氏はウォッカよりもビールやワインが好みでした。

 
しかし、残念ながらベレンコ氏のささやかな望みは叶いませんでした。

 
ベレンコ氏が日本にいることを知ったソ連は、その日のうちに「パイロットに薬物を飲ませている」との批判を初めていました。日本側はベレンコ氏の正気を失わせ、意のままに操ろうとしている、というのです。

 
そのような事情もあり、ソ連側の非難を少しでも裏付けるような証拠を与えたくなかったため、アルコールを提供できなかったのです。


 次回はソ連の技術力に疑問が投げかけられる一因となった、鋼鉄の機体と真空管の実情に迫ります。


 
参考資料

ミグー25ソ連脱出―ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか(ジョン・バロン著, 高橋正訳 1982年3月30日)
P16-17 P218-241

「ミグ25」の6つのおもしろい事実 ロシア・ビヨンド(ロシアNOW)
 2014年3月15日 エカチェリーナ・トゥルィシェワ
https://jp.rbth.com/science/2014/03/14/256_47533


ミグ戦闘機 ソ連戦闘機の最新テクノロジー(ビル・スウィートマン著 浜田一穂 訳 ISBN4-562-01944-1 1988年7月30日)
P173

世界の傑作機 No.172 ミコヤンMiG-25、MiG-31 (文林堂 ISBN978-4-89319-243-1 2016年5月5日)
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