無題 Name 名無し 17/12/04(月)10:38:05  No.1230917

太平洋戦争のロジスティクス

https://cgi.2chan.net/f/src/1512351485019.gif
なぜWW2の日本海軍は敵輸送船団(兵站)を重要視せず戦闘艦ばかり攻撃目標としていたのですか?

欧米は敵の兵站を潰す戦略を取ってましたが日本は戦略思想的に敵の兵站を重要視していなかったのですか?
太平洋戦争のロジスティクス
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無題
Name 名無し 17/12/04(月)10:47:10  No.1230918
戦術、戦略とも短期集中決戦思想だったから。

無題
Name 名無し 17/12/04(月)11:04:59  No.1230920
誰かがまとめた図を見てもっと上手く出来た筈だって思考するのは止めた方がいいよ

無題
Name 名無し 17/12/04(月)11:17:39  No.1230922
敵輸送船団って普通敵艦隊の向こうにいるもんだけど。
敵艦隊に見つからずに向こうの船団を攻撃するなんて無理でしょ。野戦じゃあるまいし。

無題
Name 名無し 17/12/04(月)11:20:08  No.1230923
>敵輸送船団って普通敵艦隊の向こうにいるもんだけど
スレ画は敵艦隊撃滅したけど目の前にいる輸送船団はスルーしたやつじゃないの

無題
Name 名無し 17/12/04(月)11:21:34  No.1230924
一応成功した例もあるんだけどね

無題
Name 名無し 17/12/04(月)11:45:02  No.1230926
余裕があれば叩いたよ。

ただでさえ戦力差は時間と共に拡がると開戦前から分かってたのだから、戦力消耗に繋がる行動は避けねばならなかった。
真珠湾の石油タンクしかり、輸送艦への魚雷発射制限しかり。
兵站を重視しない軍隊なんて近代には無いよ。
日本軍もイタリア軍もね。
ただ無い袖は振れなかったのが実情。

その余裕があれば戦争しなくても済んだくらい。

無題
Name 名無し 17/12/04(月)13:22:26  No.1230933
作戦目標が敵揚陸船団と決まっても実施部隊の参謀がそれまるで理解して無くて戦闘艦隊に遭ったらそっち追いかけていい?て聞いちゃうようなブレブレっぷりだからなあ

無題
Name 名無し 17/12/04(月)14:56:25  No.1230936
第一次ソロモン海戦では、米空母の位置が不明だったから一撃して撤退したっていうのがよく聞く話。
輸送船攻撃した後の帰りに機動部隊の空襲を受けたら全滅もありうる。

確か前日のラバウル基地航空隊の空襲で戦闘機の損害が大きかったから、一時後退していて翌日に攻撃可能な位置にはいなかったそうな。

両方の情報を見られる今だから言えることだけど、当時真っ暗闇の中で戦闘してる時に完璧な情報のないまま全滅の可能性を覚悟した判断なんてそうそう出来るものじゃないよな。

無題
Name 名無し 17/12/04(月)22:23:37  No.1230966
>確か前日のラバウル基地航空隊の空襲で戦闘機の損害が大きかったから、一時後退していて翌日に攻撃可能な位置にはいなかったそうな。

日本とアメリカの国力の差を感じるのがこれ
両軍が同じ数の正規空母を使用するとして
戦場or戦場付近に長期巡回させることが出来るのがアメリカ軍
日本側はせいぜい1週間程度、超えたらトラックか内地帰還で戻ってくるまでに数週間単位の時間がかかる
正面戦力では一見互角でも、支援能力の差が露骨に出たのがソロモン戦

無題
Name 名無し 17/12/04(月)17:24:51  No.1230938
一方の米潜なんか数は少ないけど、敵船の位置も航路も機雷敷設状況なんかもあらかじめ知ってて、商船艦船尽く沈めるような戦果を挙げた
結局のところ情報力がないと機会は逃すわ正常な判断が出来ないわでドツボだよな

無題
Name 名無し 17/12/04(月)18:04:18  No.1230940
インド洋や米本土近海の通商破壊戦は組織的にやったほうだよ
結局ガダルとかの危機で止めちまったみたいだが

無題
Name 名無し 17/12/04(月)19:32:44  No.1230950
結論から言うと日本海軍は正面戦力撃破に特化した軍隊だったので、後方連絡線の寸断だとか通商破壊だとかそういうのに消極的だった
また、そういったものに対応するドクトリンも教育も行っていなかった
日本海軍の士官も「武人が町民を斬る事なんかできるか」とそういうのを忌避していた傾向もあった

ただ、後方連絡線だとか総力戦におけるシーレーンの寸断という物に対してはそれなりに重要性を見出していたようだが、欧米と比べて著しく少ないリソースを集中するため、結局は正面戦力撃破の偏重という事になってしまった
(短期決戦主義)

無題
Name 名無し 17/12/04(月)19:45:28  No.1230951
井上成美って人がそういう論文書いてたけどね
曰く
「太平洋戦争は敵航空基地の争奪戦になるだろう」
「潜水艦の登場で制海権の維持は不可能になった」
「より補給が重要性をおびる」
「空母は破壊力抜群だが脆いという弱点ももっている」
こんな内容

無題
Name 名無し 17/12/04(月)19:46:49  No.1230952
当時はまだ空母も実験段階だったから
この論文も井上もえらく異端視されたっけ

無題
Name 名無し 17/12/04(月)20:43:11  No.1230956
>井上成美って人がそういう論文書いてたけどね
井上さんの意見は正論過ぎるほど正論なんだけど、補給線維持の為に戦力を割くとか、島嶼の取り合い(つまり長期戦)だとか、空母に護衛艦をたくさん付けるとか、あれやこれや実行したくても、日本にはどう逆立ちしても絶対無理だってことは当時の陸海軍首脳は殆んど知ってたのよ
だからこそ少ない国力や戦力を一点集中する為に、ああいう歪な形になったわけであって

井上さんの事貶したくはないが事情を知ってるくせに、したり顔で正論言ってるから、周りに煙たく思われたのはある程度理解できる

無題
Name 名無し 17/12/04(月)21:49:05  No.1230964
そのくせ戦下手

無題
Name 名無し 17/12/05(火)00:07:36  No.1230981      
1512400056695
>そのくせ戦下手


世界初の正規空母同士の艦隊戦で双方大被害は仕方あるまい
海戦そのものは引き分けだが、日本はポートモレスビー攻略を断念したため戦略負けとなった

無題
Name 名無し 17/12/04(月)23:29:19  No.1230977      
https://cgi.2chan.net/f/src/1512397759556.png
仮に日本にも通商破壊の考えと米軍と同数の潜水艦を持っていたとして

地政学的にみて可能なのだろうか?
日本のシーレーンはどこで網張っておけばよいかわかりやすい

アメリカの戦争継続のため資源を輸入しているルートはどこなのか?
どこで相手を封鎖できるんだろうか?

なんか資源確保の点でみると満洲国があまり役にたってないというか・・・
ここから豊富な資源が手に入っていれば
日本海のルートを死守するだけでベホマしたいほうだいだったのに

無題
Name 名無し 17/12/04(月)23:40:01  No.1230978
>なんか資源確保の点でみると満洲国があまり役にたってないというか・・・

しかもその満州の鉄鉱石は質が悪かったことで、
戦争中期までは無理して南方から質のいい鉄鉱石を輸送せねばならなかったとか。

資源の面では満州国は実質ほとんど役に立ってないと思う。

無題
Name 名無し 17/12/05(火)00:09:23  No.1230982
>なんか資源確保の点でみると満洲国があまり役にたってないというか・・・
普通にその資源開拓を待つという考えが参謀どもにはなかったんかいな

無題
Name 名無し 17/12/05(火)00:16:20  No.1230984
>>なんか資源確保の点でみると満洲国があまり役にたってないというか・・・
>普通にその資源開拓を待つという考えが参謀どもにはなかったんかいな

すげえ、超能力者がいるわ
みただけで油田の存在がわかるなんてお前何者?

無題
Name 名無し 17/12/05(火)11:29:33  No.1231010
>みただけで油田の存在がわかるなんてお前何者?
満州の油田は戦中には発見されてるが当時の技術では実用的な採掘ができんかったんや

無題
Name 名無し 17/12/04(月)23:44:03  No.1230979
井上成美大将も大井篤大佐も正論だけど主張が極端すぎるんだよな。
本人も自覚してるから
それを上手く上層部と折衝できる組織なり、人脈があれば・・・

アメリカのシーレーン潰そうにも
日本から遠いわ、広大だわ、正面兵力足りないわではな

無題
Name 名無し 17/12/05(火)00:14:42  No.1230983
ていうか最低限マハンぐらい読んでから語ろうな

無題
Name 名無し 17/12/05(火)00:47:42  No.1230990
日本軍と輸送と言えばよく味方の輸送船の護衛を軽視したってのも言われるけど
ただ丁型や丙型海防艦の大量建造がそこそこ上手くいってた事を考えると
もう少し早く取り組んでれば多少結果は変ったんじゃないかと言う思いがする
もっとも大戦の前半は米軍の潜水艦も純粋に数が少なかったり魚雷が不足してたり
運用も艦隊決戦の補助なんかを主体にしてたので通商破壊自体もあまり活発じゃなかったらしいが
その後双方のたどった道を考えると結局国力の差が対応力の差になったんだろうな

無題
Name 名無し 17/12/05(火)02:19:01  No.1230992      
1512407941535
>情報力


第一次ソロモン海戦で、第8艦隊参謀長として旗艦「鳥海」に同乗・突入された大西新蔵中将さんの回想によると、海戦後山本五十六GF長官が輸送船団を撃滅しなかった事に不満の意を示したとされる話や、「鳥海」艦長の再突入の意見具申に触れつつも、

「これ等の意見は、翌朝敵空母部隊の攻撃圏から離脱するという考慮を忘れている。当時の日の出は0440であった、この時刻までにサボ島から120浬位は外方に在らねばならない」

「これは突入前からの腹案であった。勿論この引揚の腹案は部下各隊には示達していない。早川鳥海艦長も知らない」

…なんて反論されておりましたり

無題
Name 名無し 17/12/05(火)02:20:22  No.1230993      
1512408022568
一方、三川艦隊突入の前に行われたラバウルからの海軍航空隊による攻撃に触れて

「8月7日、第5空襲部隊は(略)ツラギ沖の艦船を強襲して、絶大な戦果を挙げた(略)大巡1隻撃沈、軽巡2隻大火災沈没確実、軽巡1隻傾斜大破、駆逐艦2隻撃沈、輸送船9隻撃沈、輸送船2隻火災」

「8月8日にも大空襲を決行するというのである。第8艦隊ではこの航空戦大戦果の通報を受け、これに呼応し、戦果拡充のため、勇躍、夜のなぐり込みを仕かけたのであった。サボ島に接近する頃、ツラギ方向に火災中の艦船が見え、航空戦果の真実を物語るようであった」

…とも述べておられます

あるいは、二日間にわたる航空部隊の攻撃で、既に敵輸送船団に大被害を与えている筈…という感覚が三川艦隊上層部に有ったのが、その行動判断に影響を与えていたのかもしれませんですなあ(但し、上記の数字は実際には8日の攻撃での戦果報告のはずですが)

無題
Name 名無し 17/12/05(火)02:21:57  No.1230994      
1512408117065
因みに三川艦隊突入前のIJN航空隊の攻撃の模様、超低空で肉薄する一式陸攻の有名な写真が残っておりますけれども、攻撃参加23機中実に18機を喪失、残る5機も全機被弾という苛烈な戦闘にも拘らず、報じられた戦果に対して実際の米軍の損害は駆逐艦ジャービスに魚雷1本命中・中破、輸送船ジョージ・F・エリオットに一機体当たり・大火災放棄の2隻のみであったんだそうで

仮にこの昼間の戦果判定が正確に行われていて、かつその情報(輸送船団の被害僅少)が三川艦隊司令部に適時知らされていたとしたら、或はその後の行動に変化を生じていたりしたのですかしらん…?

無題
Name 名無し 17/12/05(火)06:43:23  No.1231000
>>結局のところ情報力
戦争のみならず、鳥瞰した情報があれば回避できる場面、獲得出来る場面が、日々どれだけある事か。

ニミッツ司令部がフネを降りて居たってのも、末端の偵察能力、正確で素早い情報の伝達力、整理統合力が備わって出来る事だろうし、後年の機動部隊のレーダーピケット網も然り。
これってもう、一種の新インフラ整備だよね。
中央の最高幹部クラスが優秀じゃないと、こういう進化は起こらないかもなあ。
日本だって、児玉ケーブルなんて逸話もあるのに。

この能力が十分な場合、周囲の状況が飛び込んでくる前方に居たら、却って判断の邪魔になるだろうけど、なければ戦場の騒乱の中で、錯綜する情報で判断を下すしか無い。

フクイチの時の指揮系統は、情報の整理統合がかなりよろしくなかったらしく、大幅に見直されたらしいね。

無題
Name 名無し 17/12/05(火)06:49:42  No.1231003
本当に短期決戦で行けると思っていたんですかね
大本営政府連絡会議では開戦直前の11月15日に対米英蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案 というのを決めていてそこでは
速ニ極東ニ於ケル米英蘭ノ根拠ヲ覆滅シテ自存自衛ヲ確立スルト共ニ 更ニ積極的措置ニ依リ蒋政権ノ屈伏ヲ促進シ 独伊ト提携シテ先ツ英ノ屈伏ヲ図リ 米ノ継戦意志ヲ喪失セシムルニ勉ム
とまずイギリスを叩いてアメリカを孤立化させるとか時間のかかりそうな構想を掲げてますし、「自存自衛」というキーワードが出てきてますね
真珠湾攻撃が南方作戦の支作戦であったことも思い起こされます

無題
Name 名無し 17/12/05(火)06:58:30  No.1231004
続いて開戦3か月後には
今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱で
英ヲ屈伏シ米ノ戦意ヲ喪失セシムル為 引続キ既得ノ戦果ヲ拡充シテ長期不敗ノ政戦略態勢ヲ整ヘツツ 機ヲ見テ積極的ノ方策ヲ講ス
占領地域及主要交通線ヲ確保シテ国防重要資源ノ開発利用促進シ 自給自足ノ態勢ノ確立及国家戦力ノ増強ニ努ム
と長期持久戦が明確に意識されています

無題
Name 名無し 17/12/05(火)10:43:48  No.1231009
当時のアメリカの孤立主義とかの事情を考えに入れないと日本の短期決戦に関しては理解できませんよ
アメリカが講和しなかった遠因はイギリスがくじけなかったことだと思いますが

無題
Name 名無し 17/12/05(火)14:59:14  No.1231018
あと正午の位置通報もこたえたってどっかに書いてたな
電鍵をトンと短く押せば最寄りの米潜に食われたんだと

無題
Name 名無し 17/12/05(火)17:40:21  No.1231022
短期決戦でいける、じゃなくて
短期決戦で勝負つける以外に勝ちようがない

だね。
戦前の総力戦研究でアメリカに対して勝ち目がないのは結論付けてた。

それでもなお戦争した。
しなければあの敗戦後の流れよりマシな状態で今の日本があるかどうかは正直難しいと思う。

無題
Name 名無し 17/12/05(火)17:50:19  No.1231024
結局国力差は覆らなかったってこと。

情報戦も、緒戦の連合国も日本の動きに対しては油断と願望に基づいた悪手多いしね。
真珠湾奇襲成功とフィリピン陥落のコンボはアメリカ軍の失態と言ってもおかしくない。
シンガポール失陥までの英軍の流れも(豪州軍がマジ可哀想)。

しくじっても挽回できるだけの物量を用意できる国力。
必要な兵器開発に資源・人材を投入できる国力。
勝つまで戦い続けられる国力。
総力戦=国力。

国力だけじゃない、という意見もあるが、大概の場合、その日米のいろんな分野の差はそれこそが結局国力差だというのが分かる。
無い袖は振れないってのはほんとに当時の日本の実情。
そして現在、その米国は同盟国。
あの敗戦に学んだというなら、日本は日米同盟を崩すことはないだろうね。

無題
Name 名無し 17/12/05(火)19:49:07  No.1231035
誰にも頼らず、絶対不敗の策を見出そうと努力する事自体、悪い事じゃないと思うし、それが戦略屋の仕事だとは思う
日本陸海軍の頭脳達が必死に矛盾と闘いながら神経擦り切らして努力してのも分かる

でもさ、どうしても無理な物は無理
当時の日本人の決定的な弱点は「逃げる勇気」と「頭を下げる勇気」が無かった事じゃないかなと

無題
Name 名無し 17/12/05(火)19:54:13  No.1231037
>>「逃げる勇気」と「頭を下げる勇気」

それこそ酷だと思うけどね。
国を動かす側の立場としては、責任は放りだせない、かといって逃げ出せない。

逃げた場合の結果について、当時は相手に期待できるラインが今ほど緩くもない。
日本の必死の近代化の目的からしても、逃げるに逃げられないよ。

無題
Name 名無し 17/12/05(火)19:58:45  No.1231038
冷静に負けた場合の算段もしていれば、「逃げることはゆるされない」も納得できるけどね。
ここまでやられたら降参するっていうラインを設けてないで、戦争突入するのも一種の逃げだよ。現実逃避ともいう。

無題
Name 名無し 17/12/05(火)20:09:08  No.1231039
日露戦争への経緯で西欧諸国がやったこと考えれば、とても日本が戦わずに頭下げてタダで済むとは思えないでしょ。
列強のやり口は近代化端緒の日本からして、ほんとに悪辣で狡猾で、抵抗できなけりゃ国家存亡に関わる時代が続いてたから。
現実逃避どころかそれが現実だったのだから。
引き下がれば救われるって方が、当時の情勢じゃ逃避でしょ。
というか、現在だってさほど変わってない。
逃げる勇気とか言えるのは、日本が力を持った今だからこそ言えるんだと思うよ。

無題
Name 名無し 17/12/05(火)21:00:06  No.1231043      
https://cgi.2chan.net/f/src/1512475206745.png
敗因が国力だってのは条件と結果から見たままのことで、本質なんも分かってないと思う
一番重要なのは(情報力含む)意思決定過程、ここは譲れないよ

無題
Name 名無し 17/12/05(火)21:16:00  No.1231047
>一番重要なのは(情報力含む)意思決定過程、ここは譲れないよ
というか情報戦を含めた外交の失敗であって国力がないからうんぬんは外交で失敗した結果の戦争の内容にすぎないよね

無題
Name 名無し 17/12/05(火)21:48:53  No.1231052      
https://cgi.2chan.net/f/src/1512478133575.jpg
>外交の失敗であって国力がないからうんぬんは外交で失敗した結果の戦争の内容にすぎないよね

「戦争は始まってしまった段階ですでに手遅れ」か
軍板でおなじみの、遅すぎた人になってしまうな

無題
Name 名無し 17/12/05(火)21:50:08  No.1231053
三国干渉による遼東半島返還とかかな。
あそこでロシアに喧嘩売ったら確実に朝鮮半島を失ってるよね。

無題
Name 名無し 17/12/05(火)22:45:00  No.1231066
国力の差に多くの敗因があるのは揺るぎない事実
ではそもそも国力の差を分かってながら何で開戦したの、っていう根本的問題

百歩譲って武力衝突が不可避にしても、何で戦前あれほど軍部が研究を重ねた短期戦構想を逸脱したのか
短期戦というのは言い換えれば限定戦で総力戦に持ち込まない意図もあったのに

無題
Name 名無し 17/12/05(火)23:17:08  No.1231069
>何で戦前あれほど軍部が研究を重ねた短期戦構想を逸脱したのか
アメリカが艦隊決戦避けたから

無題
Name 名無し 17/12/06(水)00:13:59  No.1231077 
真珠湾奇襲~南方作戦での損失が多すぎて、アメリカも艦隊決戦はやろうにもやれないでしょう
 
そういう意味では従来の短期決戦構想(漸減作戦)と方法こそ違えども史実でもそれに匹敵する成果を挙げたと言えるんじゃないでしょうか
 
ただし戦争はそれで終わりませんでしたが

無題
Name 名無し 17/12/06(水)01:06:55  No.1231087
占領するのは結局陸兵という概念が全然ないよね
相手の戦力をぶち破る事しか考えてない
今でもそうだよね、海自と空自だけありゃいいそれで敵を撃破すればいいって認識が蔓延してるからね

他の国は海軍は陸軍のために存在するってのが普通
あのイギリスだって女王陛下の赤服を敵地に送るための艦隊って意識でフォークランド紛争では陸軍揚陸のために艦隊が体を張った。
米軍はレイテでタフィー3を生贄にして陸軍を守ったし
ソ連海軍は陸軍が撤退する中、巡洋艦が港に停泊してドイツ陸軍戦車部隊と撃ち合った例もある。

でも日本海軍だけは日本陸軍のためには存在しない。
だけど日本海軍だけは旅順艦隊すら落とせず日本陸軍に203高地やらせて乃木大将を自決に追い込むし
日本海海戦で美味しいところどりして艦隊ばかりに予算取って太平洋戦争じゃオーストラリアへの無駄な拡張計画、戦後は日本陸軍悪玉論を展開しての保身ばかりだし。
大本営”海軍部”発表が嘘だらけなのに、いつのまにか大本営発表で’海軍部’は闇に葬られてるしな

無題
Name 名無し 17/12/06(水)20:30:42  No.1231144      
https://cgi.2chan.net/f/src/1512559842993.jpg
>その後双方のたどった道を考えると結局国力の差が対応力の差になったんだろうな


正面決戦用の装備(艦船、航空機等)と、海上護衛等の後方用装備の間でのトレード・オフというのは実際IJNでは深刻な問題だったそうでして、例えばまだ太平洋に戦雲立ち込めるよりだいぶ前の1930年代、ロンドン軍縮条約会議の結果を受けて日本海軍が今後の国防所要兵力量を検討した際には、通称保護や近海警戒などにあたる防御用艦艇として900トン型海防艦・砲艦56隻、1200トン型海防艦24隻、駆潜艇160隻など多数の小艦艇の整備が構想されたものの、財政の都合上見送られた、なんて事もあったんですとか

海防艦なんかはそもそも、海軍造船士官だった福井静夫さん曰く

「ロンドン軍縮条約が締結されるや、すぐに第一次補充計画が立案された。つまり駆逐艦の隻数が不足だから、平時、戦時ともに駆逐艦が行なう特殊任務を、別に条約外の新艦を建造して、これにかわらせたい」

無題
Name 名無し 17/12/06(水)20:31:28  No.1231146     
1512559888313
…なんて要望の産物だったそうなんですが、

「第一次補充計画では900トンの海防艦4隻を要求し、そして大蔵省の査定ではまっさきにけずられてしまったのであった。緊縮予算下のことである」

「ついで昭和8年、第二次補充計画では、ふたたび4隻を要求した。これは1200トン、速力20ノット、備砲は12.7センチ高角砲連装2基(略)有事の際は護衛にも充分使えるよう、対空と対潜兵装をも有力とするものであった」

「しかし、予算獲得は難航し(略)またしてもこの建造は成立しなかった」

「しかし、必要なものは何回でも頑張らねばならない。そして無条約時代最初の建造計画たる昭和12年度の第三次計画に、やっと海防艦4隻(※占守型)が成立したのである」

無題
Name 名無し 17/12/06(水)20:33:17  No.1231147      
1512559997378
…という有様だったそうでして、、福井氏はまた「占守」型では北方等での使用を強く意識して、またお世辞にも大量生産に向かない複雑な設計であった事を引いて

「結果論ではあるが(略)占守型こそは、それを護衛艦として、うんと思い切った簡易構造と艤装、戦時急造のプロトタイプとしてこそ建造するべきだったと思う」

…とも述べられているんですが、

「占守型が、真に対潜兵装を整えたのは、じつは昭和18年に入ってからであった(略)なにも音響兵器を持っていなかったのである。水中聴音機と探信儀とは、本艦の建造時には、後日これらを取り付けるべき区画は予定され、設けられたが、兵器そのものはまったく取り付けていなかったからである」

無題
Name 名無し 17/12/06(水)20:35:30  No.1231148      
https://cgi.2chan.net/f/src/1512560130108.jpg
「時に大西洋では(略)多数のハント型護衛駆逐艦、旧型駆逐艦改造の護衛艦、更にスループや、ことに多数のコルベットが就役中であって、対潜護衛艦の建造は絶頂に達し、数百隻のこれらの艦艇、そしてまた多数の米国駆逐艦からのアスディックの『ピーン・ピーン』は、大西洋全体にひびくというようなありさまだったのである」

「(日本の)音響兵器は、第一線用の艦隊用巡洋艦、駆逐艦には装備されていても(略)特設艇には簡易式の軽便探信儀と、吊り下げ式聴音機がやっとのことであった」

「我が海軍は、船団護衛艦をいったいどのように考えていたのだろうか。じつは、わが海軍は、現実には一生懸命だったのである。そして船団護衛艦の急造は、すでに開戦前からせねばならない焦眉の急と認められ、そして全力がつくされていたのであった」

無題
Name 名無し 17/12/06(水)20:38:27  No.1231150     
https://cgi.2chan.net/f/src/1512560307561.jpg
「昭和16年4月に、連合艦隊は戦時編成となった(略)わが国は全面的に戦時建艦の実施をはじめた。この戦時計画は大小300隻の艦艇よりなり(略)多くの小艦艇をふくむものであった(略)しかし、膨大な建艦も、このときに実行中だった米国の大建艦に比すれば、はるかに小規模であり、また開戦後、つぎつぎと予定を変じ、多くの新艦を追加して行ったことを思えば、まことに手緩いものだった」

「この戦時計画で、30隻の海防艦が建造されたのである。海防艦は初めてここに、護衛艦としてつくられることになったのだ。しかしあとからみると、これでもまことにのんびりしたものだといったのは、わずかに30隻の海防艦を、昭和20年のなかごろまでに完成させるという予定だったのでもわかる」

「これら海防艦は、新しく設計するヒマがないので、占守型の設計をそのまま採用した(※択捉型)」

無題
Name 名無し 17/12/06(水)20:39:17  No.1231151      
https://cgi.2chan.net/f/src/1512560357307.jpg
…んだそうで

「占守型をして、戦時急造のプロトタイプとしておいたならば、択捉型はきっと、はるかに有力な護衛艦となって、ずっと早めに完成したであろう」

…と福井氏は回想されておられるんですが、要は開戦前の条約時代に構想が生れた海防艦は、皮肉にも条約廃棄からによる主力及び補助艦艇の建艦競争の煽りを食って整備が遅れて、その流れが開戦まで尾を引いてたってことみたいなんですな

コレは開戦後、戦闘による各種艦艇の補充が問題になってくるとまた深刻になったそうでして、例えばミッドウェイでIJN艦隊がボッコボコにされてしまった直後、急遽改定された改㊄建造計画でも、18隻の空母の他に、海防艦34隻の建造が新たに決定されているんですが、実際は沈んだ空母の穴埋めが優先される中で、この計画の一番艦の竣工予定は昭和20年6月、最終艦の竣工予定は昭和24年となってしまっておるんだそうで

無題
Name 名無し 17/12/06(水)20:41:20  No.1231152      
https://cgi.2chan.net/f/src/1512560480591.jpg
先行の30隻の計画と合わせての完成予定数は昭和18年に15隻、19年に11隻、20年に10隻と些か心許ない数字であったそうなんですが、実際には改㊄計画で建造が予定された361隻の艦艇の内、敗戦までに完成したのは空母2隻、海防艦12隻を含む22隻のみで、12隻が建造途中、327隻が未起工、または建造取り止めとなっているんですとか

一方で昭和18年、既定の空母建造に影響を与えてでも実現すべし、として策定された(戦)計画においては、330隻という大量の海防艦が要求され、125隻が竣工しているんだそうで、ちょっとイジワルな見方をすれば、国力の実際の実力からすれば、こちらの方が身の丈にあったというか、実現性の高い計画であったわけで、寧ろ此方が早く実現していた方が、前線各所でありがたられる事になっていたかもしれませんですな

勿論コレはあくまで後知恵での話で、仮に私らが開戦半年ちょっとで保有正規空母の過半を一挙に沈められちゃった!どうしよう!って対策を練る立場だったとして、その補充を諦めてもう護衛小艦艇だけ造ろうぜ!なんて、判断できるモノですかしらん…?

引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1230917.htm

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