Name 名無し 17/11/11(土)21:43:45  No.1228886

日本陸海軍戦闘機1930-1945―九一式戦、九〇式艦戦から火竜、秋水まで (世界の傑作機別冊―Graphic Action Series)
<旧陸軍ジェット戦闘機>幻のエンジン部品発見 ICU構内
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171111-00000052-mai-soci
日本陸軍試作機物語―名整備隊長が綴る自伝的陸軍航空技術史
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無題
Name 名無し 17/11/11(土)21:50:08  No.1228891 
>旧海軍がジェット特殊攻撃機「橘花(きっか)」の開発を進めたのに対し、旧陸軍は米軍の爆撃機B29を迎撃するために「火龍」を計画した
旧軍って陸軍は暗号含めて地道に頑張ってるのに何で海軍は特攻とかやるん?

無題
Name 名無し 17/11/11(土)22:08:13 No.1228893 
>旧軍って陸軍は暗号含めて地道に頑張ってるのに何で海軍は特攻とかやるん?
うーん、薩摩(海軍)と長州(陸軍)の差かな
でも陸軍も八紘隊とかと号とかあるけどね

無題 Name 名無し 17/11/12(日)01:24:28  No.1228913
末期は特攻する為の兵器開発だしな
(それ機雷じゃダメなの?)っていう"伏龍"とか(無反動方式に拘らなければ良いんじゃ・・・)っていう"海龍"とか・・・
むしろ戦うより特攻が目的になってるような

無題
Name 名無し 17/11/12(日)03:27:52  No.1228917
結構、大きいんですね。しかもこの部分だけで重量が71kg!!
推力は1トンも無いのにね

無題
Name 名無し 17/11/12(日)05:05:57  No.1228918     
ほぼgakkenn本の受け売りになりますけれど、「橘花」「火龍」という二系統のジェット機の前に、昭和19年頃にドイツサンからの情報を元にMe262を川崎航空機で国産化しよう、という「川崎ロケット機」なる構想が存在したんだそうで

機体を陸軍、エンジンを海軍が担任するという、ロケット機「秋水」とは逆の開発体制になるわけなんですが、現実問題としてまだ国産でMe262の性能を再現できる大推力ジェットエンジンは存在しておらず、寧ろ同じく独のジェットエンジン情報を元に既存のエンジンの改良、若しくは新たなエンジン開発計画を始めようと、いう所であったんですとか

無題
Name 名無し 17/11/12(日)05:08:39  No.1228919     
1510430919213
従って、中島飛行機に移管され改めて「火龍」若しくは「キ201」となる方は、ネ-130・ネ-230といった推力900㎏級の新規開発の大推力エンジンを積んだ、「本家」Me262に近い戦闘爆撃機となったのに対して、「橘花」の方は既存の国産ジェットエンジンを独の技術を元に改良して、実用化も近いネ-10・12系を塔載するものの、推力は300㎏級に過ぎない以上、元より高性能は望めないわけですから、ある意味対艦(特別)攻撃専用機と割り切った設計になった、という違いもあるんですとか

ただ面白いのは、「橘花」の方も、推力490㎏のネ-20塔載の目途が付き、性能向上が見込まれると、機関砲搭載の戦闘機型の開発が要求されるに到っているんだそうで、昭和20年6月に中島飛行機小泉製作所を訪れた海軍の和田操航空本部長が、開発陣にわざわざ「橘花戦闘機計画続行のこと」と念押ししていたりするんだそうです

結果だけみれば回り道なんですけれど、「本家」の再現を目指す「火龍」と、取りあえずジェット機の戦力化を目指した「橘花」の並行開発にも、それなりに理由があったってことみたいですねえ

無題
Name 名無し 17/11/12(日)06:36:37  No.1228920
この時代はターボジェットもロケットも区別せず「噴進式」と呼んでいたんでしょうかね?

無題
Name 名無し 17/11/12(日)07:50:24  No.1228924
ジェットは「タービンロケット」と呼ばれていた時代やね
だから初期の試作エンジンの型番はTR⚫⚫って付いている

無題
Name 名無し 17/11/12(日)12:05:21  No.1228941
ネ20改になってもネ130になってもネ230になっても
カタログスペックはともかくエンジンの寿命そのものに大きな改善は目途が立ってなかったんでしょう?

無題
Name 名無し 17/11/12(日)16:57:02  No.1228958     
1510473422311
>エンジンの寿命そのものに大きな改善は目途が立ってなかったんでしょう?


海軍側でジェットエンジン開発に深く関わった永野治技術中佐さんによると、

「ネ20も耐久審査に合格したとは云え、それは特攻機用の超短命機で、当時の艦船造機工場での量産に適することを主眼とした急造のエンジンであった(略)予期された寿命は大体30~40時間、うち全力15時間程度と思われた。アルミ滲漬軟鋼板で作った燃焼室と、Mn-Cr-V鋼で作ったタービン翼とが其の最短命部分であった。各部分を更に洗練して長時間に堪える構造とし、実用向きの出力制御装置等を完成して実用エンジンとして(略)纏めるには、更に長期の研究改善を要したであろう」

…との事なんですが、材質の改善と言っても資源事情は悪化する一方でしたし研究期間そのものももう幾らも残ってない時期ですから、コレじゃあそもそも目途の立てようもなかったんじゃあないでしょかね、やっぱし

無題
Name 名無し 17/11/12(日)16:57:31  No.1228959      
1510473451242
因みに独からの技術情報を元に、石川島・中島・三菱の三社に新規に大推力ジェットエンジン(ネ-130、ネ-230、ネ-330)の試作が命じられたのが昭和19年8月頃だそうなんですが、同年9月に陸軍航空本部が作成した「昭和19年度飛行機試作予定(案)」に川崎航空機で「ロケット機」を試作させる、とあって(同年10月に試作着手)、その予定発動機として「TR230(=ネ-230)」「TR330(=ネ-330」が併記されているそうです
試作機一号機の完成は昭和20年12月頃とされているんですが、ある意味、搭載エンジンの開発成功を見込んでの「見切り発車」であったみたいなんですな

その後、機体開発が中島飛行機に移って「火龍」となった後の昭和20年6月に、中島飛行機の設計部長だった福田安雄さんが記した「キ201火龍要目」では、発動機はネ-130かネ-230の何れかとされているんですが、当時ネ-130は同年3月に一号機が完成するも地上試験中終戦、ネ-230は5月に完成した一号機が不調のまま空襲で破壊されておるんだそうで

無題
Name 名無し 17/11/12(日)16:58:19  No.1228960      
1510473499100
正直、耐久性向上以前にまず実機の完成自体が危うかったみたいなんですが、面白いのがこの内、地上試験中に破損して失われたとされる「ネ-130」については、実は終戦のドサクサに紛れて疎開先で隠匿されたのでは?なんて話も有るんですとか


http://webheibon.jp/dokotoshio/2012/07/post-5.html

今回のニュースに触発されてお暇な方は是非、金属探知機持参でお出かけになられてはいかがでしょうか…?

無題
Name 名無し 17/11/12(日)18:09:21  No.1228965
ちょつと疑問が
エンジンの寿命が30時間40時間とあるけど、当時の零戦などの設計寿命を考えると妥当なところじゃない?
少なくとも超短命とは思えない

無題
Name 名無し 17/11/12(日)18:58:52  No.1228968
ユモ004Bもオーバーホール間隔が40時間程度だったというし、代用材料しか使えなかった状況下なら、悪くないと思うな
同時期のイギリス製ジェットエンジン、ダーウェントやゴブリンの寿命はどの程度だったんだろうか?

無題
Name 名無し 17/11/12(日)21:16:22  No.1228976       
ちょっと時代的には前の話になりますが、昭和12年頃から佐伯空で90式艦戦の中島製「寿」発動機二型(460HP)整備を担当された方の手記なんかですと、同発動機のオーバーホール時期は約90時間程度で、また昭和5年ぐらいまではエンジン寿命は200~300時間というのが常識であったそうなんですが、定期点検・整備を丁寧に行うことで、600~700時間以上の使用に耐えるものも出てきて、最長では860時間に達したそうです(この整備員さん曰く「千時間使用」を目指していたんですとかw)

また前述永野中佐さんによれば、「大東亜戦争」時代の航空エンジン寿命事情は

「1937年には正式に耐久試験は400時間弱に改められ、更に一年と経たぬ間に又一段と苛烈な480時間強の試験に改正し、此の中には非常に多くの離昇運転、130%の超高速運転等を含み、(略)莫大な費用と期間とを要するので部内でも非難の声が出るほどであったが」

無題
Name 名無し 17/11/12(日)21:18:56  No.1228977       
1510489136848
「此の頃から設計製造技術が進んで出力性能の急激な進歩と並んで寿命も延び、金星発動機の四型時代には総時数2000時間を超えるものも珍しくなく、総分解(※オーバーホール)時隔も大型機用は300時間以上にも出来るようになった」

「1944年に到り(略)航空機製造当局は(略)短期且つ安価に目的を達するような方式を要望し、(略)審査規則の改正をはかり(略)全運転時間は約120時間となった」

…んだそうで、確かに大戦末期に到って、発動機の寿命に対する審査基準は大幅に緩和されているんですが、全く新規の構造のジェットエンジンとはいえ、数十時間の設計寿命はその新基準から見ても「超短命」と感じられた、ってのもまあ当然だったんじゃあないでしょかね

無題
Name 名無し 17/11/12(日)21:19:48  No.1228978      
1510489188451
因みに前記「火龍」要目には用途として「敵特殊戦闘機」撃墜が挙げられているんですが、福田さんのメモによれば「敵特殊戦闘機」とは、どうやら既に一年以上前に飛行していて量産中と目される米「P-80」や英「Meteor」のようなジェット戦闘機を指していると思われるんだそうで

「P-80」や「Meteor」は何れもエゲレス製エンジン及びそのライセンス生産品搭載なわけなんですが、、前間孝則氏の本だと同国のジェットエンジン寿命は初期のものでも500~700時間に達した、とか書いてありますですな

「ダーウェント」エンジンの前身にあたって、初期型「Meteor」に搭載されて初の連合軍実用ジェット機塔載になった「ウェランド」エンジンなんかはオーバーホール時隔が初期の90時間から180時間にまで伸びてるそうですから、500~700時間というのは妥当な数字じゃあないでしょか…?

無題
Name 名無し 17/11/12(日)21:47:03  No.1228979
ノースアメリカンXFJ-1が積んだJ-35-GE-2のオーバーホール間隔がたった10時間!
部隊配属後でも35時間程度で頻繁にエンジン交換を必要とした
と、世界の傑作機No.134に記述があるな

無題
Name 名無し 17/11/12(日)23:58:55  No.1228985
ネ130って始動したらタービンが吹っ飛んだんだったかしらね

無題
Name 名無し 17/11/13(月)08:36:01  No.1228990 
タービンには共振を起こしやすい寸法の羽根がいくつかあって
必ず破損する忌避すべき寸法も存在した

たまたま居合わせた艦艇造機専門家の指摘で調べると
破損した軸流ジェットの羽根はまさにその忌避寸法だった

無題
Name 名無し 17/11/13(月)23:31:41  No.1229063
>タービンには共振を起こしやすい寸法の羽根がいくつかあって
>たまたま居合わせた艦艇造機専門家の指摘で調べると
これは臨機調事件の関係かな?
戦前の段階で蒸気タービンの共振で破損したことが判明した事件があったが
貴重な意見が聞かれたことは天啓ですね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%BD%AE%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6

無題
Name 名無し 17/11/13(月)10:43:24  No.1228994
なんだかんだでイギリスの技術は凄かったよね(過去形)

無題
Name 名無し 17/11/13(月)21:59:18  No.1229046
>なんだかんだでイギリスの技術は凄かったよね(過去形)
ナイモニックとかインコネルなんかの耐熱合金が開発できたんだっけ?

無題
Name 名無し 17/11/14(火)08:48:41  No.1229072
>ナイモニックとかインコネルなんかの耐熱合金が開発できたんだっけ?
パワージェット社時代のW.2/500というエンジンから、ナイモニック80という耐熱材料がタービン動翼に使われているそうだ

無題
Name 名無し 17/11/13(月)19:41:06  No.1229030     
>ネ130

同エンジンの開発は石川島芝浦、東大航研、日本陸軍の三者が共同で当たったわけなんですが、陸軍サイドで技術上の総指揮を担当した岡崎卓郎大尉さんによると、昭和19年12月より信州の浅間温泉で三者による諸元計画決定のための秘密会議が開かれたそうなんですが、まず最初の問題は石川島が用意してきた設計案についてのもので

「最初にぶつかった問題が重量です。タービン屋さんは目方の概念がない。石川島芝浦が用意してきた計画案は全重量が千二百キロぐらいあった。これをみんなで削りに削って約九百キロまで軽くするのがやっとだった。本当はもっと削りたかったんだが」

…なんてことがあったんですとか

無題
Name 名無し 17/11/13(月)19:42:08  No.1229031     
尤も、その後計画諸元自体の選定はスムーズに決まり、設計の中心となる陸軍若手将校さん達が石川島の鶴見工場に「合宿」しての開発が始まるんですが、やはり色々と試行錯誤の連続で、例えば圧縮機の羽根を敢えて強度の低いアルミニウム材としたことについては

「この飛行機が特攻機的な性格を持っていたので、そんなに飛行時間が長くないため、長時間使うと起こりがちな疲労寿命を考慮しなくてもよいと判断したからでもないでしょうが、圧縮機の空気取り入れ口からなにか異物を吸い込んだとき、強度の弱いアルミの羽根だけはやられても、圧縮機全体がこわれないように配慮したのです」

…なんて語られていたりします

無題
Name 名無し 17/11/13(月)19:42:39  No.1229032      
その後設計作業が終わると製作作業自体は順調に進み、図面出図からわずか三か月後には第一号機が立川の特兵部に納入されているんですが、

「軍の威力なのでしょう。下請けに出している部品の督促に行く。すると、材料が入らない、部品が足らない(略)と、ネックになっていることが分かる。そこで軍の命令でさらにもとをたどり、なんとか無理をいって期日内につくらせるわけです」

…と、この辺まさに世の中は星に錨…といった御時勢ってわけでもないですが、当局の力の入れ具合が知れるんですが、無理を言って1~2月に部品用の木型を製作してもらった深川の木型業者さんらのある下町一帯が、直後に3月10日の東京大空襲で焼き払われたり、4月には鶴見工場のある京浜地区が空襲を受けたりと色々キワドイ状況であったんだそうで

無題
Name 名無し 17/11/13(月)19:44:14  No.1229033      
そこでネ-130の開発も信州松本に疎開して行われることになるんですが、その作業の最中に立川で行われた試運転では、最大回転の88%に相当する毎分9千回転に達した所で、圧縮機の第一段動翼が破損し、連鎖反応で他段の翼も一瞬にして吹き飛んでしまったものの、燃焼器やタービンは幸い無事であったそうです

その後松本の明道工業学校に場所を移して試験を続け、7月中旬には陸海のジェット開発関係者が視察に訪れた前で、初の自力発火と、8千回転での定常運転への移行試験を成功させているんですが、程なくして終戦

軍需省からの指示は、「ネ-130および設計図などの一切は長野の横穴壕に入れて密封」というものだったそうなんですが、現場ではコレを無視して運転を続け、その最中に異物吸入で破壊され同エンジンの実機は失われた、とされています

…やっぱりどっかから部品ぐらいは出て来そうな匂いがしませんかね、コレも…w

無題
Name 名無し 17/11/13(月)23:25:47  No.1229061
>長野の横穴壕に入れて密封」というものだったそうなんですが、現場ではコレを無視して運転を続け、その最中に異物吸入で破壊され同エンジンの実機は失われた、とされています

ぶっ壊れたから命令に従って壕に入れて隠蔽しちまえと
長野だと松代が有名だけどどこの壕だろうなぁ

無題
Name 名無し 17/11/13(月)22:59:20  No.1229057
>No.1229030
ありがとうございます
実質特攻機用以外の目途は立っていない感じですね

無題 Name 名無し 17/11/14(火)18:09:41  No.1229104      
1510650581143
>実質特攻機用以外の目途は立っていない感じ


ネ-20の方の話になるんですが、同エンジンは一応耐久テストに合格とされたものの、耐久運転の実態は全力五時間半、過回転1万2千回転では十分間程度で、実用エンジンと認めるのを疑問視する声もあったそうなんですが、視察に訪れていた「橘花」装備予定の724空司令伊藤祐満大佐及び軍令部参謀の

「どうせ特攻用だから二十~三十分持てばよろしい」

…との言により、合格とみなされた、なんて話もあるんですとか

無題
Name 名無し 17/11/14(火)18:11:22  No.1229105      
1510650682976
また、ネ20は地上発進型の桜花43型にも搭載が決定されているんですが、永野氏によれば特攻兵器としての「本命」は寧ろこちらに移りつつあったんだそうで

生産に手こずるネ-20を2基装備する上、ある意味マトモな航空機で操縦訓練も時間を要する「橘花」に比して、エンジンは1基で構造も簡便、滑空練習機による訓練のみで投入が可能とされた桜花43型の方が特攻兵器としては優秀、というような判断があったようなんですが、肝心のネ-20の生産状況はと言いますと、空技廠発動機部部員だった牧浦隆太郎大尉さんによれば

「試作実験と同時に量産計画が進行したのであって(略)変更が次々と発生し(略)混乱を大きくした。かかることが解らぬ当局では勿論無かったわけであるが(略)敢て其の危険を冒さねばならなかった当時の情勢が己に悲劇の原因を孕んで居たと云えよう」

無題
Name 名無し 17/11/14(火)18:12:32  No.1229106      
「工作機械としては特に凝ったものを用いなければならぬと云うこともなく、技術上困難な工作面も殆ど無かったのであるが(略)設計変更が齎した工程の攪乱、材料入手の不円滑による流れ作業のストップ(略)激しくなる空襲により計画はどんどん崩れて行き、結局終戦までに完成して居たものは(略)僅か数十基に過ぎず、しかも工作精度の不良から組立後実際に運転し得たものは(略)誠に寥々たるものであり、全国各地のものは連絡不良其の他で設計の変更点も通じて居たり居なかったりで、殆んど軌道に乗らなかった様である」

…との事で、やはり上手くいかなかったようではあるんですが、どうやら各地で生産準備だけは進められていたらしいことが窺えますですねえ

皆さんのご実家の納屋の片隅に置かれている見なれない金属塊、若しかしたらかつての日本ジェットエンジン量産計画の名残だったりするのかもですよ…?

無題
Name 名無し 17/11/14(火)17:32:51  No.1229094 
     1510648371315.jpg-(29127 B) サムネ表示
29127 B
>旧軍って陸軍は暗号含めて地道に頑張ってるのに何で海軍は特攻とかやるん?
陸軍設計の特攻専用機はこれやで・・・

無題
Name 名無し 17/11/14(火)19:06:05  No.1229116
>陸軍設計の特攻専用機はこれやで・・・
陸さんのテスパイが性能不良で採用反対したような話聞いたなあ
実際どーなの?

無題
Name 名無し 17/11/14(火)20:55:11  No.1229137     
1510660511351
>陸さんのテスパイが性能不良で採用反対した


陸軍航空隊審査部でキ115を担当した高島亮一少佐さんによると

「昭和20年3月5日、キ115第1号機が完成し、竹下少佐が(略)飛行審査をはじめた」
「6月初旬、私は突然、竹下少佐と交代、キ115『剣』の主任審査を命ぜられ、速やかに合格・不合格、採用・不採用の結論を出すことになった」

「キ115は、単純なアイディアに基いて図面を引き、そのまま完成機を作ったもので、空気力学的の検討を欠いた未熟の飛行機で、こんな奇妙で、命の危ない飛行機は、ほかにない」

無題
Name 名無し 17/11/14(火)20:56:12  No.1229138      
1510660572202
「会社(中島飛行機)側は、もう完成機を流れ作業で造っていて、大改造する気が全くなく(略))キ115の特性と目的にかんがみて、そのまま実用に使ってほしい、と私に申し入れてきた」

「推定攻撃降下率は次の通り。1、飛行場離陸失敗―30% 2、敵戦闘機による被墜―50% 3、敵対空火器による損害―15% 命中若しくは命中に近いもの約5%、内効果あるもの3%程度」

「6月末には、私は審査責任者として、キ115の不採用を決断して、陸軍航空審査本部長に(略)実用審査不合格、不採用の報告をした」

…んですとか

尤も、その通知後もなんとか使えるように改良して欲しいとの要請は已まず、試験飛行自体は続けられるんですが、高島氏は結局終戦まで不採用の決定を翻さなかったんだそうで

無題
Name 名無し 17/11/14(火)20:57:32  No.1229139      
1510660652238
因みにキ115は「藤花」の名で海軍側でも採用が予定されておりますけれども、、呉の造船士官で末期は広工廠で航空機生産を担当した堀元美海軍中佐さんの手記によると、「キ115」は昭和20年8月から11月にかけて、横須賀工廠で508機、呉で252機、舞鶴で120機の計880機が生産される予定だったそうなんですが、陸サンのテストパイロットさんに「不合格」とされたシロモノであるとは知らなかったようです

因みに同期間の「橘花」の予定生産数は各所で350機だったそうなんですが、仮にキ115もしくは「藤花」がこの予定通りに生産されて実戦投入されていたら、陸海軍共用機体の例としては最大規模になってたんじゃあないでしょかね(棒

まあ、実現しなくて幸いだった、と言うべきなんでしょうけれど…

無題
Name 名無し 17/11/15(水)03:53:31  No.1229173
私の大学時代の教官に海軍航空技術廠出身の先生が居てもう亡くなてますが、当時の専門は切削工学、工作機械でした
海軍時代は若手の技官でジェットエンジンのタービンブレードの切削加工法を担当してたそうでした
あまり上手く行ってなかった旨を話してました
生前の口癖は「毛唐には負けん」でした

無題
Name 名無し 17/11/15(水)21:01:41  No.1229236
http://cgi.2chan.net/f/src/1510747301800.jpg
>「毛唐には負けん」


ネ-130開発に民間側から協力した、石川島芝浦社長の土光敏夫社長なんかは明治29年の生まれで、大正6年に東京の蔵前高等工業に入学するんですが、翌年神田の古本屋で「スティーム・タービン」なる洋書(の邦訳)を入手したのが「タービンとの最初の出会い」であったんだそうで

その後も大正9年に石川島造船に入社すると、早速タービン設計部門に配属されたそうなんですが、その際も毎日睡眠時間を削って大量の洋書を読み、新知識の導入に励んだんですとか

その後、石川島造船が大正十年にスイスのエッシャー・ウイス社と技術提携を決めると、土光さんに研究留学が命じられるんですが、当時スイスにはタービンの世界的権威で、「スティーム・タービン」の著者でもあったオーレル・ストドラ博士が国立技術専門学校(現チューリッヒ工科大学)で教鞭をとっており、その門下生が同社に多く勤務していたりしたんだそうな

無題
Name 名無し 17/11/15(水)21:02:49  No.1229237
http://cgi.2chan.net/f/src/1510747369659.jpg
また、土光氏の留学した頃に発刊されたストドラ=サン著の「スティーム・アンド・ガスタービン」は、その後日本海軍の航空機用ジェットエンジン開発の祖である種子島時休海軍技術大佐さんや、後にはネ-130開発に当たった陸軍の岡崎卓郎大尉さんらのみならず、世界中のジェットエンジン開発者にとって重要な参考書となった、なんて縁もありまして、環境としては申し分なかったわけですが、エ社の空気は必ずしも極東の技術後進国に対してやさしくはなかったようで

「設計室に入ってやっていたんだけど、もう野蛮人扱いですよ(土光氏)」

…と、イイことばかりではなかったそうなんですが、それでも二年半の滞在を終えて帰国した土光さん、以後石川島のみならず、日本のタービン技術育成に大いに力を尽くしておられるんだそうで

無題
Name 名無し 17/11/15(水)21:05:28  No.1229238
1510747528528
昭和11年に石川島と芝浦製作所が合同で、世界唯一の蒸気タービン製作専門会社として石川島芝浦タービンを設立すると、同社の技術部長に命ぜられた土光さん、合併前から芝浦製作所が技術・資本的に深く提携していた縁に依り、米国ジェネラル・エレクトリック社へまたまた8ヶ月ほど海外派遣されて、先進技術の吸収に当たっておられるそうです

そして同氏の帰国する頃から、折しもの支那事変勃発、国力増大の流れに乗って石川島芝浦も急激に業績を伸ばし、国内の三大タービンメーカーの一つにまでのし上がるんだそうで、戦争末期にジェットエンジン開発への協力を求められたのも、こうした実績を買われて、という事だったみたいなんですな

更に、全く畑違いの航空機用ジェットエンジン開発への、土光氏の熱意は敗戦を経ても消えず、

「これまで石川島は全社をあげてジェットエンジンの開発に取り組んできた」

無題
Name 名無し 17/11/15(水)21:05:56  No.1229239
http://cgi.2chan.net/f/src/1510747556613.gif
「ジェットエンジンは(進駐軍の命令で)全面禁止だが、同じ原理のガスタービンまで禁止されてはいない(略)ガスタービンの研究を始めようではないか」

…と呼びかけ、実際昭和23年には早くも社内にガスタービン研究会を発足させて活動を開始しておられるんだそうで

一方、戦時中は海軍空技廠所属だった近藤俊雄さんという研究者さんが、やはり戦後の日本におけるガスタービン機関の将来性に目を付けて、再就職先の運輸省鉄道技術研究所で機関車用のガスタービン機関の研究を始めていらっしゃるんですが、その過程で聞き付けたのが戦時中、石川島芝浦で海軍の魚雷艇用に開発中だったガスタービン機関の現物が未だ残っている、という情報だったそうなんですな(三千馬力、軸流式ターボプロップエンジン)

無題
Name 名無し 17/11/15(水)21:06:45  No.1229240
終戦時、破壊するに忍びなく、密かに敷地内の一角に埋めた…という、どこかで聞いたようなw話を頼りに同社を訪れると、バラバラながら確かに現物が残っていることが確認され、早速土光氏に修理・譲渡を依頼した所、快く了承されたそうでして、かくして運輸省の予算でかつての日本海軍のガスタービンは、石川島芝浦港内で「一号ガスタービン」の名で再生・運転する運びとなったんですとか

その後、石川島側の積極的な協力も有って、「一号ガスタービン」およびそれに関わる研究活動は、鉄道分野に留まらず日本のガスタービン技術者さんらの貴重なデータ源&交流の場となるんですが、そこでたまたま土光氏と顔を合わせたのが、知り合いに誘われて出席していた、かつての海軍のジェット開発の中心だった永野治氏だったりするんだそうで

無題
Name 名無し 17/11/15(水)21:08:02  No.1229242
http://cgi.2chan.net/f/src/1510747682293.jpg
「ガスタービンのディスカッションをいろいろやっている内に、なんとなしに行くことになっちゃった」

…とは永野氏の言なんですが、昭和25年に請われて親会社の石川島重工の社長に就任していた土光氏は、直後に大枚を投じての「技術研究所」設立を命じており、永野氏は日本の航空開発が「解禁」になった昭和27年に石川島に入社、以降土光氏の下で再びジェットエンジン開発の仕事を始めることになったそうなんですな

一方、石川島自体も様々な紆余曲折を経て、日本の国産ジェットエンジン開発推進の中心に収まるわけなんですが、戦後初の国産ジェットエンジン完成に当たって、大いに参考になったのが米国製のJ33、J47(石川島がライセンス生産を担当)からの技術導入だったそうなんですが、この二つのエンジンの開発元と言うのがまた、かつて土光氏が留学したGE社だったりするんですとか

無題
Name 名無し 17/11/15(水)21:08:46  No.1229243
http://cgi.2chan.net/f/src/1510747726951.jpg
民間のタービン製作会社、技術導入先の外国企業、「官」サイドでガスタービン(ジェットエンジン含む)機関開発に当たった技術者さん…という、戦前から続いていた「縁」が、戦争を経て一旦途切れた後に、再び戦後縒り集まったという所なんですが、技術者たるもの、ただ海外からの技術導入だけに頼り切って、自主開発の気概を忘れてはいけない…という一方で、進んだ海外の新技術のいい所は謙虚に認めて、常に進取の心がけを失ってもイケないわけで、その辺のバランス取りの難しさは部外者の私なんかには想像するしかないですけれど、相当の苦労があった(ある)んでしょうね、やっぱし

無題
Name FMG 17/11/16(木)17:13:01  No.1229311
仕様設計や製作技術もさることながら、素材の製造技術だって大変な技術が必要だったとおもいますよ。

無題
Name 名無し 17/11/16(木)20:28:45  No.1229326
>陸さんのテスパイが性能不良で採用反対したような話聞いたなあ
剣は製造簡易化のために胴体はエンジン直径に合わせた正円断面を持つ物でしたが
この設計では直線飛行は問題なくとも大迎角を多用する飛行では不安定要素が多く
離着陸や急降下爆撃後の引き起こし等で横揺れが発生してもおかしくないように思えます
主翼のアスペクト比を大きくしてこれに配慮すれば安定性が増したはずですが
それをやるとスピードが犠牲になる
胴体の空力を洗練すれば工程数が増えて量産に支障が出る
なにか別の思い切った改良が必要だったはずですよ

無題
Name FMG 17/11/17(金)19:31:23  No.1229415
プロペラの偏流を阻害せずに流してやらなぁいかんということですか。

無題
Name 名無し 17/11/17(金)23:49:24  No.1229506
剣の設計に関わった青木技師と言うのが
いまいち不思議な証言をする人で
剣は特攻機ではなくて爆撃した後
帰還して胴体着陸する予定だったとか強弁していた

あと風洞実験を省略して実機を製作したそうだが
明らかに尾翼容積が小さくないか?
青木技師は構造屋ではあっても空力とか安定性、操縦性については経験が浅いということなのだろうか

無題
Name 名無し 17/11/19(日)07:53:36  No.1229628
http://cgi.2chan.net/f/src/1511045616505.jpg
高島少佐さんが、キ115に初めて搭乗した際の様子を手記から引用させて頂くと、

「離陸発進位置につくと、機体の前部が前につっ立って、正面がまったく見えない(略)突然、バウンドを始め、そのバウンドが段々大きくなる(略)それに伴って左に、右に機首を振る方向舵で直そうとするが、効きが充分でなく、全く危ない(略)バウンドで上がった拍子を利用して、やっと離陸する」

「方向安定も悪く、いつも方向舵を右に左に使っていないと、直進しない(略)水平、方向、横の安定性が悪く、常に三舵を激しく使って姿勢を保たねばならない。操縦桿とフットバーを動かさずに置くと、機は横すべりを始める。自分で安定する力がない」

「(着陸時)また、機はバウンドを始め(略)昇降舵はほとんど効かない。命が危ない」

無題
Name 名無し 17/11/19(日)07:53:57  No.1229629
http://cgi.2chan.net/f/src/1511045637078.gif
…と散々な有様だったそうなんですが、高島氏と同じく陸軍審査部のテスパイだった荒蒔義次さんによれば

「キ115を機体構造上からいうと、燃料タンクをエンジンと操縦席の中間においたため、パイロット席が後方にいきすぎて(略)方向維持が難しい」

「脚の緩衝ゴムすらないので(略)脚構造に、簡単な緩衝装置をとりつけたのである。しかし(略)低圧タイヤ(バロン・タイヤ)をつけたからたまらない。これは着陸の時一度バウンドしたら、他機種の着陸時のバウンドと反対にだんだん大きくなって、ついには直すことができなくなるほどの冷や汗ものであった」

「バロン・タイヤは幅が広いので、その乱れた後流は胴体後方から水平安定板付近に流れるので、特に着陸時には昇降舵を使っても(略)逆にバウンドが大きくなるのであった」

無題
Name 名無し 17/11/19(日)07:54:28  No.1229630
http://cgi.2chan.net/f/src/1511045668182.jpg
…とのことなんですが、この散々な印象はその後も変わらなかったようで、高島氏はキ115を「不合格」とした理由として

一、第一線飛行部隊、とくに若い操縦者の使用は非常に難しい
二、爆弾を塔載しての離陸は、投棄する脚の緩衝不良のため、バウンドするのと舵の効き不充分で(略)転覆のおそれが多い
三、翼が小さく、翼面荷重が大きく、安定板面積、舵面が小さいので、空中操作(略)難しく、特に爆弾塔載時に甚だしい
四、木と鉄板をジュラルミンに代用したので、強度不足で壊れやすく危険
五、最高速度530~550キロ程度では敵の好餌となり、収支相償わない

…事が理由だった、とされてまして、こりゃあ絶対に審査は通せないぞ、と心に決められたようです

無題
Name 名無し 17/11/19(日)07:55:00  No.1229631
1511045700282
また、キ115は爆弾投下後、胴体着陸での帰還が前提、とされていることについても、実際には爆弾投下器は装備されず、固着するよう指示されていたとして、視察に来た上官サンに

「目標を見つけられぬときや天候不良のとき、帰還着陸できぬ飛行機に搭乗を命じ」

…るべきではない、と直言して怒られたこともあったそうで

そんなわけで高島さん、こんな飛行機を陸軍に売り込んだ中島側にもイイ印象がないらしく、戦後スミソニアンでキ115が復元されることをきっかけに製作されたTV番組に協力を求められると、戦中自分が何故この機の採用にGOサインを出さなかったか、を懇切丁寧にスタッフに説明し、ついには番組内でキ115設計者の「B技師」が高島氏に謝罪する、というのがラストシーンになったんですとか

「B技師」にはちょっと気の毒な気もしますけれど、審査主任に合格「させなかった」ことを誇りに思われる機体、って事ではあったみたいですなあ

無題
Name 名無し 17/11/19(日)13:48:21  No.1229678
>五、最高速度530~550キロ程度では敵の好餌となり、収支相償わない


零戦…

無題
Name 名無し 17/11/19(日)14:11:37  No.1229682
零戦は少なくとも初心者にも乗りこなせやすいくらいに安定性はよかったらしいし(震え声)

逆に剣がコレで500キロ超えってのはやっぱどこかしら無理してるんだろな

無題
Name 名無し 17/11/19(日)16:06:20  No.1229689
>零戦は少なくとも初心者にも乗りこなせやすいくらいに安定性はよかったらしいし(震え声)
これはよく言われるよね
下駄で庭を散歩するような気軽さとか
あとベテランが乗ると落とせなくても落とされないとか

無題
Name 名無し 17/11/19(日)18:35:38  No.1229700
>No.1229629図
平面が左右逆で震電に見えたわ。もう寝よ。

無題
Name 名無し 17/11/19(日)19:22:00  No.1229711
>平面が左右逆で震電に見えたわ

つまり剣をエンテにすれば!

無題
Name 名無し 17/11/19(日)20:49:34  No.1229718
http://cgi.2chan.net/f/src/1511092174057.jpg
>つまり剣をエンテにすれば!


つ「神龍Ⅱ」

戦中、ドイツやイタリアに定速プロペラ技術導入の為に派遣されていた佐貫亦男さん、スイスにも足を延ばしておられるんですが、その際見学したのが戦前石川島の土光敏夫社長が「留学」していたエッシャー・ウイス社であったりするんだそうでw
佐貫氏によると、

「スイスは永世中立国でありながら、エリコンでは高射機関砲を作り、ソロトゥルンでは対戦車砲を売っている。海のない国でありながらブラウン・ボヴェリで船用ボイラー、エーシャ・ウィスではタービンとスクリューを作り、またその製造権を外国に買わせている。ボーキサイトの全くない国でありながら、アルミニウム・スイスでは純アルミニウムの製造特許を持って」

いる、と言う状況であったんですとか

無題
Name 名無し 17/11/19(日)20:52:08  No.1229719
実際、我がIJNもスイスの技術力には随分御世話になっておりまして、戦艦「大和」の2800トン弱の46サンチ砲塔を駆動する高圧タービン水圧ポンプなんかはブラウン・ボヴェリ社製品を元に製作されていたりするんだそうで

また、ジェットエンジン開発の種子島氏なんかは、1935年頃からやはり欧州に派遣されておりまして、この間スイスのエリコン社から買い付けた20ミリ機銃が後に「零戦」他の海軍主力機に装備されたのは有名な話なんですが、その傍らバーデン市にあるブラウン・ボヴェリ社にも足を向け、優れたガスタービンの図面や排気ガスタービンの現物を見せてもらい、帰国に際しても同社製の航空機用排気タービン2基を持ち帰っておりまして、コレを海軍と協力して調査・研究したのが日立・石川島・三菱といった、これまた後に陸海軍と協力して航空機用ジェットエンジンの開発に当たった民間企業各社なんだそうな

無題
Name 名無し 17/11/19(日)20:52:50  No.1229720
永野氏によれば、種子島氏が1938年秋に

「フランスとスイスとのガスタービン臭を発散させつつ航空技術廠に乗り込んで来られると」

日本のジェットエンジン開発への動きが活発になっていったそうなんでして、言ってみれば「大和」「零戦」から最後のジェット機に到るまで、その技術上の核心部でのスイスとの縁はずっと続いていた、ってことなんでしょうかねえ

因みに、種子島もスイス滞在中、エッシャー・ウイス社を訪れていまして(土光-種子島-佐貫さん、って順番になるわけですな)其の際面会した技師さんより

「私は学位論文を書くときに、東北大学の沼知副三郎教授の軸流理論を大いに活用させてもらった」

…という話を聞かされたんだそうで

無題
Name 名無し 17/11/19(日)20:54:03  No.1229721
日本にも世界的なタービン研究者がいた事を知らされた喜んだ種子島氏、早速帰国後沼知氏を訪れてその協力を得、ジェットエンジン用の軸流圧縮機を完成させた、なんて事もあったんだそうなんですが、いかにも基礎的技術の供給を海外に仰ぎつつ、その改善から技術力を発展させ、ようやく基礎的な研究でも海外に匹敵しうる人材が出つつあった…という、当時の日本と世界の関係を象徴している話のような気もしますですねえ

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1228886.htm

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