空自がソ連艦を誤認攻撃?空海演習に紛れ込む危険なソ連軍艦
(空自の日本防空史20)

文:nona

ハセガワ 1/48 航空自衛隊 F-4EJ改 スーパーファントム W/ワンピースキャノピー プラモデル PT7

 
対地対艦シリーズの〆は、昭和の海空共同訓練でよく起きた「ソ連艦艇が飛び入り参加している」問題について。

 挑戦的なソ連艦

 
1971年3月10日、対馬海峡では海自と空自はともに沿岸防備共同訓練を実施していました。空自から見たこの訓練は対艦攻撃訓練であります。

 
該当海域には前日から複数の護衛艦が展開していたものの、その1隻がソ連海軍のリガ型フリゲートによる追跡をうけていました。

 この頃のソ連海軍は情報収集あるいは示威行為の一環で、頻繁に海自の演習に割り込んでおり、時には夜間に無灯火で護衛艦の間へ入り、探照灯で照らされる中、だんまりを決め込むこともありました。

 
しかし、海自の演習が日本領海の外で行われる限り、彼らの行動も黙認せざるをえません。

 今回の沿岸防備共同訓練おいては、海自から空自の西空司令部へソ連艦の存在を伝えているものの、翌日の訓練は続行されました。ソ連艦は訓練の度に必ずやって来ますから、いちいち中止していては、まともな訓練ができなくなってしまうのです。

 
ところが、西空司令部と訓練参加飛行隊との間で情報がうまく共有されず(汗)、翌日に築城基地を発進したF-86Fのパイロット達は、ソ連艦の存在を知らされていませんでした。

 
一応パイロット達は年間10時間の艦型識別訓練をうけていたものの、訓練海域の戦闘艦は全て海自艦であると思い込みもあり、ソ連艦に対し少なくとも2回、爆撃訓練の標的として直上を通過しています。 


 標的は本物のソ連艦

 
この訓練の直後から、パイロット達は自身の攻撃した艦に疑問を抱きます。本来なら回避機動をするはずの護衛艦なのに、そうした動きがなかったこと、また護衛艦よりも煙突が大きい、などが理由でした。

 
そこで確認をとったところ、ついにソ連艦を誤認攻撃したことが発覚したのです。

 
防衛庁から連絡をうけた日本政府は、事実関係を調査しつつソ連側の反応をしばらく待った後、3月19日に在ソ日本大使館経由で「誤認及び遺憾の意」を表明。ソ連側は再発防止を求めたものの、日本の申し入れを了解し、この事件は終息しました。

 
日本からソ連へ連絡をとるまで9日間を要していますが、ソ連側にとってこの事件は自身がまいた種でもありますし、そもそも重大事件であると思っていなかったのか、特に非難声明などは出さなかったようです。「遺憾の意」すら青天の霹靂であった、かもしれません。

 
なお、当時の防衛庁長官である中曽根康弘氏は、この事件を国会で説明する際「ソ連側はわりあい勇敢」と称賛(?)していますが、むしろ蛮勇と言うべきでしょう。


 本物のソ連艦は避け、赤艦隊を撃滅せよ

 
この事件から9年が経過した1980年、当時305飛行隊長にあった佐藤守氏は「全機をもって、侵攻する赤艦隊を撃滅せよ」との指令をうけ、17機のF-4EJをもって百里基地を出撃します。当然これは演習の一コマ。赤艦隊も実際は海自護衛艦です。(意味深なネーミングですが)

 飛行隊が離陸してしばらくすると「ソ連のAGI(情報収集艦)が目標に接触中」という無線が入ります。この時の演習もソ連艦が紛れ込んでいたのです。

 
とはいえ当然のように訓練は続行。佐藤機の発したジッパーシグナル(無線をオンオフにする際に発生する音を使った合図)でF-4EJは護衛艦へ攻撃を開始します。

 
佐藤機は艦隊の中心を航行するミサイル護衛艦へ突進したものの、レーダーが護衛艦の手前に別の反応があることを知らせます。目視で確認したところ、白い大きなレドームを持つソ連の情報収集艦でした。

 このままのコースを維持し続ければ、情報収集艦の側を通過しかねないため、佐藤機はやむなく右へ回避します。

 
しかし無線封止中ということもあり、回避行動を予期していなかった僚機は追従できず、はじかれるように上昇。佐藤機も回避機動のためコースが狂い、ミサイル護衛艦への攻撃に失敗します。

 
もっとも、佐藤機は素早く攻撃目標を切り替え別の護衛艦を攻撃し、飛行隊を連れて無事に帰投しました。

 
この時の演習の成績がどのようなものであったは不明ですが、F-4EJは全機が事故なく帰投し、外交問題に発展することもなく、ソ連艦へ空自の高い練度を見せつけたのですから、私は演習が成功であったと確信しています。


 試験中止、理由は今は言えない

 
上記のように海空共同演習はソ連艦の有無に関わらず実施されるものですが、新装備の試験は例外的に、秘密裏に実施する必要がありました。

 
元戦闘機パイロットの田中石城氏(をモデルにした作中人物の日木二美男)が活躍していた頃に実施されたALE-41チャフディスペンサーの試験も、そのように秘密を守っています。

 
ALE-41はT-4やEC-1が電子戦訓練用に使用するポッド式のチャフディスペンサーですが、チャフ片がポッド内部で詰まる不具合があり改修を施したため、G空域(日本海側にある訓練空域の一つ)で試験が予定されたのです。

 
この試験における二美男(田中氏)の任務は、試験当日の気象偵察飛行でした。

 
その偵察飛行の帰り際、二美男は洋上に長い航跡を引く船を発見します。 軍艦の類は商船よりも航跡が残るため、上空からは識別が容易であるそうです。

 
当初二美男はこれを護衛艦の航跡であると思ったのですが、距離7000フィートあたりまで近づいたところで、甲板が「赤いレンガ色」であることに気付きます。航跡の主はソ連軍艦でした。

 
二美男は慌てて機首を引き上げ、あらためて周囲を見回したことで、後方5マイルにある情報収集艦の存在に気付きます。新装備の試験を見られては困りますから、すぐさまレーダーサイトを通じ試験の中止を要請します。

 
サイト側は理由を尋ねたものの、二美男は情報収集艦による無線傍受を警戒し「理由は、今は言えない。着陸後に電話で言う。」とだけ返答、帰投後に詳細を伝えました。

 
二美男の報告は直ちに海上幕僚監部へのぼり、急きょ護衛艦が出港。ソ連艦の監視は海自へ引き継がれました。

 
その数日後、ソ連が太平洋へICBMの発射試験を実施、との報道がなされたことで、情報収集艦の本来の目的が判明します。

 
ただし、情報収集艦は本来の任務がどうであれ、あらゆる情報をもれなく集め続けるための艦ですから、軍艦と同様か、あるいはそれ以上に警戒すべき相手なのです。


 
参考資料

国会議事録検索システム
第65回国会 衆議院 内閣委員会 第17号 昭和46年4月22日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/065/0020/06504220020017a.html


実録・戦闘機パイロットという人生(佐藤守 ISBN978-4-7926-0515-5 2015年2月24日)
P169~177

スクランブル 警告射撃を実施せよ(田中石城 ISBN4-906124-26-7 1997年4月27日)
P241~245

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