「ダンプ」と呼ばれた名機、F-4EJファントムⅡ
(空自の日本防空史16)

文:nona

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http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1980/w1980_03014.html
訓練中のF-4EJ要撃戦闘機

戦闘機パイロットという人生
佐藤守
青林堂 (2015-02-23)
売り上げランキング: 289,570

 第二次F-Xとして導入されたF-4EJ

 空自それまでに運用したF-86F、F-86D、F-104Jといった戦闘機と、様々な意味で一線を画した決定的存在がF-4EJファントムⅡです。

 
同機は1967年に開始された第二次F-X選定事業においては多数のライバル機を抑え、1968年9月に防衛庁により空自新戦闘機に選定されました。

 
第二次FXの候補は以下の通りです。


・ジェネラルダイナミクスF-111
・ロッキードCL-1010/1020(F-104の改造案。)
・ノースロップP530(F-5の改造案)
・ノースロップF-5フリーダムファイター
・ダッソー ミラージュF1C
・BACライトニング
・サーブJ37ビゲン
・SEPECATジャギュア

 
最終候補としては、F-4EのほかにCL-1020とミラージュF1Cが残ったものの、前者は飛行可能な試作機が存在せず、代わりに電子装備構成が似たF-104Sを試験に供されるなどの措置が取られるなど、十分な評価ができませんでした。

 
後者のミラージュF1Cも、全天候対応のシラノⅣレーダーが未完成、という点が弱みとなり落選しています。それ以前に両者には米軍の採用予定なし、という弱みがありますが。

 
なお、今FXにおいて防衛庁はコンピュータを用いたウォーゲームおよびOR(オペレーションズ・リサーチ)も実施しています。

 
このバーチャルな試験は、各機の兵器搭載量、航続距離、整備時間などの性能諸元から、最も戦闘効率に優れた機体を導き出すことが目的で、防衛庁はF-4Eが候補機の中で最も優れていた、と国会で解説しています。


 野党から批判されたF-4E

 
FXの選定期間中、国会にて「新戦闘機が周辺国への脅威云々~」との批判がなされており、FX決定時には、F-104Jと同様に核兵器運用機能や爆撃コンピュータなどの対地攻撃用器材、加えて航続距離を諸外国まで延伸する空中給油機構の撤去が予め決定されていました。

 
しかし、F-4E導入を防衛庁が決定し首相の承認を得た1968年11月の国会において、調達価格の高さも取り上げられています。

 
この時点で防衛庁はF-4Eの単価を16億円としていたのですが、予備部品を含む総額は20億円に達しており、同機の費用は、1965年に1機あたり約4億5千万円で導入されたF-104Jから大幅に高騰していました。

 
そのためF-4Eの導入をライセンス生産ではなく、安価なFMS(完成品の輸入)とすべき、との指摘もなされています。

 
対する防衛庁は、イスラエル空軍がF-4EをFMSで1機あたり14億円で購入していることを引き合いに出し、価格の上乗せ分はBADGEデータリンク装置(1機あたり5千万円)や、アメリカから提供を断られたために国内開発されたレーダー警報装置によるものとし、

 
加えてライセンス生産ならば導入費用の多くを国内で回せるため、経済的な実損も僅かであり、F-4Eの価格とライセンス生産は適切なものである、として野党及び(旧大蔵省)に訴えています。


 長寿命機となったF-4EJ

 
当初は104機の調達を計画したF-4EJでしたが、沖縄返還や第三次FX事業の遅れを理由として増産が決定、77年までに140機が調達されました。1974年にはFMSで14機のRF-4E偵察機も調達されています。

 
1976年に同機はMiG-25によるベレンコ中尉亡命事件を経験しています。

 
1982年以降は航空機構造保全プログラム方式も適用され、当初は3000時間と想定された機体寿命は5000時間へ延長されました(2017年現在では5000時間もとうに過ぎているはずですが)

 
この寿命延長により「運用期間が伸びるので、時代に対応した戦闘能力の向上も必要になる」ということで、1984年にF-4FJの1機が試験的にF-4EJ改に生まれ変わり、89年からは量産改修が実施されています。(F-4EJ改については後ほど記事とする予定です)

 
その後は事故による22機の喪失と老朽化で減勢しつつも、2017年3月においてF-4EJ改54機、RF-4E/EJが13機が空自機として登録されており、実戦機は茨城県の百里基地に集中配備されています。


 重くとも機敏に動くF-4EJ

 
F-4EJはそれまでの空自戦闘機機にない重量(空虚重量で13トン、最大離陸重量で約26トン)を誇った重戦闘機であり、おおむねF-86Fの3倍、F-104Jの2倍に相当します。最大離陸重量においてはCFTを用いない空自のF-15J(約22トン)すら上回ります。

 
元空自パイロットの村田博生氏や、佐藤守氏は同機を「ダンプ」と表現しています。

 
ややもすれば鈍重な機体に見えるF-4EJですが、ドッグトゥース付きの大きなクリップドデルタ翼と、当時としては大推力の双発エンジン(後述)を搭載しており、旋回性能や速度性能に優れていました。


 F-104Jと速さ比べ

 
F-4EJは、F-104Jに搭載されたJ79ターボジェットエンジンの発展型であるJ79-IHI-17(推力8120kg)を2発搭載し、広い速度域でエンジンの能力を維持するため、スプリッターベーン付きエアインテイクを装備しました。同機の最高速度はマッハ2.2に達します。

 
公称スペックであれば当時の空自最速機であり、現在もF-15Jに次ぐ最高速度を有するF-4EJですが、実際のところF-104Jに追い付けない、というケースもあったようです。

 
1983年11月に実施されたF-4EJとF-104Jによる対抗戦において、佐藤氏の操るF-4EJは、急降下で加速逃走するF-104Jを追撃したものの、想定海面の高度10000フィート付近においては空気抵抗の影響も大きくなるため、マッハ1.5からなかなか増速できませんでした。

 
しかし、F-104Jは加速を続けF-4EJを引き離した為、佐藤氏はミサイルによる撃墜宣言を出せず、ついにF-104Jは敵陣へ逃げおおせてしまったそうです。

 
実のところ、F-104Jはエンジン回転数をレッドゾーンに至らせるなど無茶な飛行をしていたようですが、F-4EJより老い先の短い機体ですから、あえての無理も許されたのかもしれません。


 強靭な機体とパイロット

 
直線上の追いかけっこではF-104Jに逃げられてしまったF-4EJですが、旋回性能においてはF-4EJのほうが優れており、舵を大きく切っても曲がらないF-104Jと比べ、F-4EJは高速域で鋭い旋回が可能でした。

 
しかし、高速での急旋回はGも増大し、機体や人間に多大な負荷が発生します。

 
佐藤氏は1978年11月に検分したオーバーGのF-4EJの様子を、「主翼外板が波打ち、リベットの隙間からシール材が産毛のように吹き出していた」と記しています。

 
同機は、訓練中に生じた海面衝突の危機を回避するため急上昇に転じ、瞬間的に13~15Gの過荷重がかけられていました。

 
このF-4EJに搭乗していた2名は、帰投直後こそ異常が見られなかったものの、次第に内出血の痣が浮き出て、首が回らなくなるなど容態が悪化。後日緊急入院しています。

 
ところが、F-4EJの皺は不思議な事に翌日には自然に消えてしまい、しばらくして2人も復帰。(後遺症の有無は不明)。これは驚嘆すべきことなのでしょうが、一般人にとってはあまりにも恐ろしい話です。


 静安定性を欠いた空力設計

 
運動性に優れ、ドッグファイトにも対応できるF-4EJですが、操縦反応性が敏感すぎ、安定性も若干不足した機体でもあります。機種転換して間もないパイロットはF-4EJをふらつかせず直進させるのに難儀し、機体はロデオをしているかのように上下した、と村田氏は語っています。

 
また同機にはアドヴァース・ヨーという悪癖があり、低速飛行時においてロールすると、意図した方向と逆方向へ機体が回転する危険もあり、パイロットは対処法を熟知する必要もありました。

 
ちなみに、F-4EJは危険な操縦を打ち消す安定増強モード、設定された姿勢を維持し続けるAFCSモード、旋回時のブレを補正するエルロン・ラダー・インターコネクト機能などが自動操縦装置の一機能として備わってはいたものの、FBWのように常時使用できる機能でなかったようです。


 乗り心地最悪の後部座席

 
F-4EJはタンデム複座による操縦方式が採用されており、常に後座搭乗員が乗り組んでいます。

 
後席搭乗員の役割はレーダーの操作、航法支援、無線機の操作、不明機に対する写真撮影、離陸時の計器チェック、臨時の機体操縦など、前席のパイロットの補佐にあります。

 
また複座機のメリットについて、佐藤氏はF-4EJには「メーダー」が4つある(搭乗員2名で4個の肉眼があり、状況認識において優位)と語っています。

 
ただしF-4シリーズのコクピットは、バブルキャノピーを採用するF-86FやF-15Jと比べ、後方や斜め下方への死角が広く、一人あたりの視界が狭い、という欠点もあります。

 
特に後席は視界が狭い上、任務上レーダースコープや計器とにらめっこしている場合も多く、前席パイロットが前述のロデオ飛行を続けたり、あるいは急旋回をかけることで、平衡感覚が狂いエアーシック(乗り物酔い)に陥る場合もありました。

 
元戦闘機パイロットの岩崎貴弘氏は、操縦課程卒業後の進路希望において、当時最新鋭のF-4EJではなく、あえて旧式のF-86Fを志願していますが、これはエアーシックを恐れてのことだった、と自著で告白しています。新人パイロットがF-4EJを志願した場合、後席への搭乗が決まっていたそうです。


 次回はF-4EJのウエポンシステムやDACT(相手は米軍のF-15C)などを紹介いたします。


 
参考資料

F-4 ファントムⅡの科学(青木謙知 ISBN978-4-7973-8242-6 2016年)
P15、P18、P30~31、P40~41

実録・戦闘機パイロットという人生(佐藤守 ISBN978-4-7926-0515-5 2015年2月24日)
P154~163 P181~182

ファイターパイロットの世界(村田博生 ISBN978-4-87687-245-9 2003年4月18日)
P175~188

最強の戦闘機パイロット(岩崎貴弘 ISBN4-06-210672-8 2001年11月20日)
P172~174

航空自衛隊五十年史 資料編(航空自衛隊50年史編さん委員会編 防衛庁航空幕僚監部発行 2006年3月)
P59~60

航空自衛隊F-4(イカロス出版 ISBN978-4-86320-202-3 2009年11月5日)
P77~78

平成29年版防衛白書 資料編 > 資料9 主要航空機の保有数・性能諸元
http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2017/html/ns009000.html

昭和43年11月12日 第59回国会 決算委員会
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/059/0020/05911120020008a.html

昭和43年11月20日 第59回国会 決算委員会
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/059/0410/05911200410012a.html

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