航空自衛隊防空史13
最後の有人戦闘機F-104その3・スクランブル任務と対策訓練編

文:nona

ハセガワ 1/48 航空自衛隊 F-104J スターファイター プラモデル PT18

 F-104Jの導入により空自がソ連機に後れを取ることはなくなった、かと思えばソ連機もあの手この手で、F-104Jに挑戦を仕掛けます。今回はその実例をいくつか紹介。

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 An-12の牛歩戦術

 
前々回の記事で紹介したように、F-104Jは高速飛行に長けた一方で、低速飛行が苦手な機体です。この欠点をついたのが、ソ連の4発ターボプロップ機An-12でした。

 元F-104Jパイロットである田中石城氏によると、電子偵察中と思しきAn-12に迎撃をかけた際、同機は速度をどんどん落としF-104に対抗したそうです。

 F-104J側も当初は減速で対応したものの、An-12が位置する高度20000フィート(6000m)においてはエンジン推力、揚力がともに減少するため、ただ速度を落としているだけでは高度が維持できません。

 このためF-104Jはフラップを着陸位置まで下し、さらにアフターバーナーを焚くことで、180ノット(330km)の水平飛行を維持したそうです。

 ところがAn-12はさらに低速で飛行を続けたため、結局F-104Jは追い越さざるを得なったそうです。その後、すぐ旋回して後ろに回り込んで監視を再開したものの、これを何回か繰り返すうちに燃料がなくなり、An-12の監視を断念することになりました。


 
高度70000フィートの未確認飛行物体

 
田中氏は自著において、日本上空70000フィート(21000m)を速度マッハ1.4で飛行する未確認飛行物体に対し、F-104によるスクランブルが試みられた話を紹介しています。

 この未確認飛行物体は日本海から日本列島へ接近、東北地方を高速で横断するもので、同地方にF-104Jの配備基地がないことから、千歳基地の部隊に与圧服の着用を指示し、その後発進させたものの、ズーム上昇に入る前に物体は日本列島を通過。燃料の不足も考慮し、追跡は中断されています。

 後に未確認飛行物体の正体を北朝鮮が発射に失敗した気象観測ロケット、と判明したそうですが、田中氏は「フィクションに実話を混ぜる」形で記述しており、実際にこのような事件があったかは不明です。

 余談ですが、2002年に発売されたエアロダンシング4というテレビゲームでは、田中氏の話と同様に70000フィートを飛行する気象観測用ロケットに接近し写真撮影を敢行するミッションがあります。

 その難しさは作中でも最高レベルですが、もしこのゲームをお持ちでしたら、F-15ではなく、F-104でのプレイをおすすめします。


 
F-104Jの高々度対応任務訓練

 
上の例では迎撃に間に合わなかったものの、F-104Jのパイロットは有事にそなえ、定期的に高々度対応任務訓練を実施していました。

 空自では45000フィート(当初は50000フィート)以上の飛行が見込まれる場合、パイロットは1着100万円のオーダーメイドの与圧服、通称「オカマ」を着用することになっており、離陸15分前には吸気の酸素濃度を100%にして体内から窒素を抜く「脱窒素」を行いました。

 訓練相手は、通常任務中のWB-57高々度気象観測機や、隊内のF-104Jを相手となりました。

 高々度訓練中の事故は1979年4月に1件が記録され、原因はパイロットの低酸素症と推定されています。同日に共に訓練に臨んでいた田中氏によると、殉職したパイロットは、気密用バイザーを正しく下ろしていない可能性あったようです。

 このF-104Jが墜落する瞬間は、偶然通りかかった海自艦が目撃していたそうですが、成層圏から落下したF-104Jは一瞬で海中に没し、残骸は回収できなかったそうです。

 わずかなミスが命取りになる高々度飛行ですが、F-104のほかでがF-4EJが初期に実施したのみで、現在は実施されていないそうです。

 高々度では操縦が安定せず、不明機識別や監視飛行は実用的でなく、射程の長いAIM-7スパローミサイルの運用で、目標と同じ高度に上昇する意味が薄れたためでした。


 
低高度のIL-14と電波妨害

 
F-104Jには高度20000m超の高々度対応が任務である一方、高度300m程度の低高度に現れるソ連機に対しても対応が求められています。

 F-104Jが運用されれていた1973年、サンマ漁が最盛の季節を迎えると、ソ連の漁船団が根室半島から三陸沖に出漁し、しばしば船団に航空機が伴っていました。

 この航空機の仕事は低空からのサンマ探しで、この日はおそらくIL-14という、DC-3に似た双発機が船団の上空を飛んでいました。

 彼らに領空侵犯の意図はなく、気分的には楽な相手でしたが、一方で1000フィート(300m)の低高度を飛ぶため、パルスレーダー搭載機であるF-104の苦手とする相手でした。

 このソ連機を高度5000フィート(1500m)、低空に立ち込める雲の上から捜索を命ぜられた田中氏でしたが、レーダースコープのゲインを調節し漁船団を確認、その付近で高速で動く反応を探すことで、距離12浬(22km)にして、見事に探り当てます。

 しかし直後にF-104Jへ妨害電波が発せられ、スコープはノイズに覆われ探知不能に陥ります。幸い音声無線までは無力化されず、ソ連機に傍受される可能性を考慮し、隠語で妨害をうけたことを報告。

 その後編隊長機とともに、レーダー周波数の変更などで対応したものの、すぐに妨害が再開され、2機ともにIL-14を再び発見できないまま帰投することになりました。


 
電子戦訓練

 
このような事態にも対応できるよう(上記ように対応できないケースもありますが)空自では当時から対電子戦訓練が実施されています。

 敵役はALQ-1電子妨害装置を搭載したC-46輸送機、ALQ-2を搭載したT-33練習機用にチャフ散布装置を積んだ電子戦訓練機が担当し、F-104Jは妨害をくぐりぬけ兵装の射程内でロックオンに成功すれば、訓練成功、となりました。

 ただし成績はレーダースコープの録画で判定されることもあり、もしガンカメラに訓練機を補足した様子が録画されていても、レーダーの録画がノイズまみれであれば撃墜は無効と判定されました。

 このやり方は「視力を生きがい」のようにしていたというF-86F出身のパイロットにとって、好ましくなさそうな訓練ですが、敵機がいつも視界のよい日中にやってくるとは限らないため、全天候戦闘機たるF-104のパイロットなら、誰でもレーダーと計器飛行で目標を撃破できる技能が求められたのです。


 電子戦を突破するテクニック

 F-104Jが電子戦を突破するにはいくつかのテクニックがあります。

 
チャフを見破る方法としては、目標の側方から捜索接近をしかけ、敵役と空中を漂うチャフの動きを見破る、といったもの。

 
妨害電波に対しては、上記のようにF-104Jのレーダー周波数の変更で対応する、というやり方がありました。ただし電子戦訓練機側も迅速に新しい周波数に妨害をかけるため、電子戦はいたちごっこの様相を呈します。この場合はF-104J側も編隊で連携し、互いに異なるチャンネルを用いるなどして、電子戦機に対抗しました。

 こうした電子戦訓練はアメリカ空軍機とも実施されていますが、当時ベトナム上空で激しい電子戦を繰り広げていたこともあり、かなりの強敵。EB-57は、チャフや妨害電波はもちろん音声通信まで妨害を加えてきたそうです。

 しかしF-104Jは絶対に攻略できない、いうわけでもなく、村田氏によると要撃に成功したときの喜びと満足感は忘れがたいものであったそうです。


 
次回は空自の自動警戒管制システムBADGEの開発について解説いたします。


 
参考資料

最強の戦闘機パイロット(岩崎貴弘 ISBN4-06-210672-8 2001年11月20日)
P104

自衛隊指揮官(滝野隆浩 ISBN4-06-211118-7 2002年1月30日)
P137

英語版のWikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Canadair_CF-104_Starfighter

世界の傑作機 No.104 ロッキード F-104JDJ 栄光(ISBN978-4-89319-108-3 2004年10月5日)
P84~91,P94,P113

世界の傑作機 No.93 ノースアメリカンF-86セイバー (文林堂 ISBN4-89319-092-X 2001年5月5日)
P38

戦闘機年鑑2015-2016(青木謙知 ISBN978-4-86320-975-6 2015年3月30日)
P30~31

RBTH ロシアNOW 赤の広場にセスナ機着陸  2013年5月28日配信
https://jp.rbth.com/arts/2013/05/28/43203

F-15イーグル 世界最強の制空戦闘機(ジェフリー・エセル著 浜田一穂訳 ISBN978-4-562-01667-1 1985年12月1日)
P86~87