無題 Name 名無し 17/07/16(日)17:35:52 No.1219209
無題 Name 名無し 17/07/16(日)17:40:10 No.1219210
無題 Name 名無し 17/07/16(日)19:44:54 No.1219229
無題 Name 名無し 17/07/16(日)20:37:52 No.1219243
無題 Name 名無し 17/07/17(月)23:32:26 No.1219357
無題 Name 名無し 17/07/18(火)01:33:26 No.1219363
無題 Name 名無し 17/07/16(日)20:52:49 No.1219246
無題 Name 名無し 17/07/16(日)22:34:57 No.1219258
無題 Name 名無し 17/07/17(月)01:00:02 No.1219273
無題 Name 名無し 17/07/17(月)01:21:18 No.1219275
無題 Name 名無し 17/07/17(月)02:05:30 No.1219277
無題 Name 名無し 17/07/17(月)09:21:00 No.1219287
無題 Name 名無し 17/07/17(月)09:52:04 No.1219292
無題 Name 名無し 17/07/17(月)14:19:22 No.1219304
無題 Name 名無し 17/07/17(月)18:03:04 No.1219320
無題 Name 名無し 17/07/17(月)22:45:14 No.1219353
無題 Name 名無し 17/07/18(火)09:25:47 No.1219376
無題 Name 名無し 17/07/19(水)00:21:59 No.1219435
無題 Name 名無し 17/07/18(火)13:50:37 No.1219378
無題 Name 名無し 17/07/18(火)17:19:21 No.1219381
無題 Name 名無し 17/07/22(土)06:13:02 No.1219620
https://cgi.2chan.net/f/src/1500194152088.jpg
AK-47の存在が西側に初めて知られたのはいつでしょうか?
また、こんなエポックメイキングな武器になると当時から予想されてたのでしょうか
単に新しい自動小銃といして受け止められていたのでしょうか
無題 Name 名無し 17/07/16(日)17:40:10 No.1219210
ドイツの将軍は突撃銃欲しがってたな。
ヒトラーはボルトアクション世代だから良い顔しなかったが
無題 Name 名無し 17/07/16(日)19:44:54 No.1219229
https://cgi.2chan.net/f/src/1500201894149.jpg
Stg44はその前身になった銃が最初ヒトラーに反対されたから短機関銃に偽装して開発が行われたんだったか
やっぱ餅は餅屋だよなぁ
そしてそれが70年の時を経て戦場に返り咲いたんだから驚いたもんだ
無題 Name 名無し 17/07/16(日)20:37:52 No.1219243
https://cgi.2chan.net/f/src/1500205072393.png
結果としてエポックメイキングな傑作銃だったわけだが
まったく新規の専用弾が必要って時点で決断を下す側としては躊躇するのもわかる気がする
無題 Name 名無し 17/07/17(月)23:32:26 No.1219357
>まったく新規の専用弾が必要って時点で決断を下す側としては躊躇するのもわかる気がする
スレ画の前身にはSKS、後に軽機としてRPDが居たんだけども…
無題 Name 名無し 17/07/18(火)01:33:26 No.1219363
躊躇云々はStg44の方じゃね?
無題 Name 名無し 17/07/16(日)20:52:49 No.1219246
シルエットはMP44に似てるけど、機構として参考にしたのは
ガーランドだってカラシニコフ自身が言ってたよ
無題 Name 名無し 17/07/16(日)22:34:57 No.1219258
https://cgi.2chan.net/f/src/1500212097679.jpg
小口径弾薬を使うという点で、フェドロフM1916はAKの参考になってるんだろうか?
無題 Name 名無し 17/07/17(月)01:00:02 No.1219273
>AK-47の存在が西側に初めて知られたのはいつでしょうか?
カラシニコフの回顧録によると、1948年1月に軍から採用が通知されて先行量産を開始した。
翌年には正式採用となり、それから1953年まで(NATO区分での)Ⅰ型が50~100万丁生産。
ただし1953年頃までソ連の部隊でもAK-47を装備した兵士の写真を撮影する際には、AK-47に袋をかけたまま撮影していたそうだから、それまでは秘密兵器扱いだったみたい。
1950年から始まった朝鮮戦争でも、中国や北朝鮮にはAK-47は供与されず、彼らはSKSやPPS-43で国連軍と戦ったが、相手もM1ガーランドやM3だったから特に問題はなかった。
1953年末に改良型のⅢ型が生産されるようになり、それから暫くして同盟国や友好国にも大量に供与されるようになったので、西側が実物を入手するのはそのあと。
AK-47の存在自体は、Ⅰ型生産時にはスパイによって知られていただろうけどね。
無題 Name 名無し 17/07/17(月)01:21:18 No.1219275
>小口径弾薬を使うという点で、フェドロフM1916はAKの参考になってるんだろうか?
カラシニコフの師匠に当たるウラジーミル・フョードロフが赤軍の銃器開発部門のトップであり、負傷療養中のカラシニコフが病院で、ヒョードロフの著書を読んだことで銃器開発に強い関心を持ち、自作のSMGを持参してフョードロフに師事を許されてることから、彼の思想的影響は大きいだろうね。
フョードロフにしても、かつて画期的なM1916の開発に当たるも、戦況の逼迫により6.5mmアリサカをベースにした減装弾の開発が実現されず、6.5mmアリサカをそのまま使用したことにより、M1916の連射時の制御が困難になってしまった経緯があるが、のちに弟子のカラシニコフが短小弾を使用したAK-47の開発に成功したのだから、まさに本願叶ったりという気持ちだっただろう。
無題 Name 名無し 17/07/17(月)02:05:30 No.1219277
スレ画のはプレスのI型がうまくいかずに削り出しにしたII型ですね
無題 Name 名無し 17/07/17(月)09:21:00 No.1219287
フェデロフは大戦時及び大戦後のソビエトの銃器設計者たちに色々と影響与えたお人
カラシニコフ自身はStg44はパクってねーよM1ガーランドとフェデロフM1916を参考に作ったものだよとか生前インタビューで答えてたがはてさて
ただカラシニコフが捕獲されたMkb42なりMP43の存在を知ってたのはほぼ間違いないとは思われるが
無題 Name 名無し 17/07/17(月)09:52:04 No.1219292
https://cgi.2chan.net/f/src/1500252724931.jpg
手持ちのAK画像で一番古いのは1956年のハンガリー動乱だった
無題 Name 名無し 17/07/17(月)14:19:22 No.1219304
スレ主旨でいっても、やはり広く知られたのはハンガリー動乱では?
確かT54もハンガリー動乱が西側初お目見えではなかったかと
(その画像はT34-85ですが)
米英に対する影響はM14とFAL(L1)の開発経緯を参照すると伺えると思います
無題 Name 名無し 17/07/17(月)18:03:04 No.1219320
AK47の歴史について詳しく書かれたC. J. Chivers著の「The Gun」によると、1962年4月にインドネシア特殊部隊からオランダ軍が鹵獲したのが西側が初めて入手したAK47という事らしい
無題 Name 名無し 17/07/17(月)22:45:14 No.1219353
>単に新しい自動小銃
今じゃ自動小銃扱いだけど、登場当時はMP/StG44みたいな新ジャンルor新サブマシンガン扱いなんじゃない?
元のソ連じゃ単にアブトマットだし、東独だとMPi(-K)、中共だと(56式)衝鋒槍とサブマシンガンになってる
無題 Name 名無し 17/07/18(火)09:25:47 No.1219376
ソビエトは当初はSKSを主力ライフル、AK-47は短機関銃の代替と考えてたみたいだな
弾であるM43弾薬(7.62mm×39mm)が先に制式化してるのもそのためだ
しかし、よくよく考えるとAKだけでも十分いけることが分かったから、SKSは早々に二線級になり友好国に輸出されたってのが通説だな
中国が後でSKSを魔改造して延々といじくり回す事を見るに、SKSに最初から着脱式で30連の箱型弾倉がついていたら未来は変わっていた可能性もあるけどもな
無題 Name 名無し 17/07/19(水)00:21:59 No.1219435
>SKSに最初から着脱式で30連の箱型弾倉がついていたら
>未来は変わっていた可能性もあるけどもな
SKSをベースにした中国の63式自動歩槍の評判を聴くと、未来は大して変わっていなかったと思うよ。
無題 Name 名無し 17/07/18(火)13:50:37 No.1219378
そういや64式小銃も試作開始段階での比較対象となる東側製主力小銃はSKSだったな
1950年台半ばくらいまではそういう認識だったのか
無題 Name 名無し 17/07/18(火)17:19:21 No.1219381
64式は機構がSKSと良く似ているらしい。
無題 Name 名無し 17/07/22(土)06:13:02 No.1219620
https://cgi.2chan.net/f/src/1500671582309.jpg
ソ連内の銀幕デビューは1955年
で、一般人や西側に周知されたのは55年~56年あたり
60年代にバルメやIMIが早々にコピーしたことを見ると、当時から評判は良かったのでは
引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1219209.htm
コメント
西側が弾も銃もフルサイズを採用している最中に、主力の小銃を
いきなり短小弾、カービンにするのは未来人の判断だと言わざるおえん。
ので朝鮮戦争ではAKどころではなく、人民解放軍の武装は国民党から寝返った軍の装備(大量に離反した)やアメリカの援助物資の鹵獲、旧日本軍の装備がメイン
北朝鮮の方が中国より装備が優れていたのは割と知られたお話、というか冷戦終了まで北の方が質高し
毛沢東も親ソ派を粛清して権力を握ったのでスターリンとも折り合いが悪く
、朝鮮戦争の最中でもソ連は中国に対して援助を渋り、約束した航空戦力の提供も大分遅れた
後の中ソ対立の要因の一つ
https://twitter.com/moscowmk23/status/886778953322479616
ソ連的にはチマチマ撃ち合うよりも、機関銃の支援を受けながら突撃すべきだと判断したんだな。そうなればフルサイズのライフルは邪魔で、取り回しと速射性能を高めた方が良いという訳だ。
ソ連的には、ってことは西側は違うんですか?
具体的にソ連的な、冷戦下のソ連の歩兵戦術とAK-47の関わりを教えてください
横からだけどソ連世界でも早く赤軍時代から小銃の自動化に熱心だったようで
(フェドロフM1916・シモノフM1936・トカレフM1940・SKSカービン等)とまあそれぞれの完成度としてはM1ガーランドに劣るところですが
対欧州戦略において広大な地域を重砲&航空支援(もしくは核)の援護のもと機械科歩兵&機甲科を以て機動力と火力で敵を押し潰し切り開く縦深戦術に適応しつつ世界の共産圏拡大においてあらゆる気候で識字率に関係なくそこそこの技術力で作って運用出来るAK-47を使いたかったのではないかと。
一方西側(というよりアメリカ)としては対ソ戦略として出来るだけ遠くから蛸壺・塹壕に潜み航空支援&重砲の援護のもと敵を突撃破砕射撃で殲滅するという戦略の為大口径長射程にこだわるべくM1ガーランド→M14という運用になったのではないかと。
SKS配備は優良部隊に限られる話なんじゃないかな?
小銃の自動化に熱心だったそうですがそれは全体的な火力の増大を目指してでしょうか
そういった理由はアメリカ、ドイツ他も同じなんでしょうか?
また西側がM14やFALのようなフルサイズ小銃からM16等に切り替えたのはなぜでしょうか?
横コメだが、当時の西側の考えは一枚岩ではなかった。
7.62×51弾のNATO採用に当たって西側内ですったもんだしたのは
有名な話でご存知かもしれんが、イギリスはEM2と合わせて
.280ブリティッシュ弾等を開発・研究しており、ベルギー(FNハースタル)も
それらにならった方向に研究をしていた。
結局、アメリカに押し切られる形で西側各国はフルサイズ弾を
採用することになるのだが、その後に起きるベトナム戦争で様相が一変する。
濃密なジャングルでの運用ではフルサイズの小銃は長すぎ、重すぎ
反動がデカすぎ、装弾数が少ないと勝手が悪かった。
そこで、アメリカは身をもってインターメディエイト弾の有用性を痛感し
.223レミントン(5.56mm×45)弾を採用するに至る。
AK自体は確か、短機関銃の延長だと聞いたよ。ソ連の戦術は電撃戦を発展させた物で、機動力がキモになる。前進し続けなければ成り立たないので、フルサイズ小銃のような射程は必要ないと考えたでしょう。WWⅡでもPPSh-41が主力だったし、実際AK-47もPPSh-41の後継という考えだったのでは。
WW2以降は500m以下の直射を重視するように変わったって何かで読んだ。
ちょうどこの移り変わりの時代にあれこれと混乱があったんだろうな。
日本がロシアに次ぐ世界で二番目のアサルトライフル保有国にして継続配備できる当時唯一の国になることも出来たってことか!
コメントする