Name 名無し 17/05/14(日)01:00:25  No.1213305

甲標的と蛟龍 (〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ―知られざる帝国海軍特殊潜航艇秘史 (35))



http://cgi.2chan.net/f/src/1494691225464.jpg
長年の疑問が20年越しくらいに解決したのでお知らせします。
昔、読んだガダルカナル島に参加した方の戦記に潜水艦による物資輸送の様子が描写されており
「海岸に魚雷の親玉のようなものが乗り上げて、扉が開いて中から海軍の兵隊が二人出てきた。(母艦の)潜水艦は逃げてしまって兵隊はガ島に置き去りだ。気の毒だ」とだいたいこのような内容だったと記憶していたのですが
この「魚雷の親玉」とはどんな兵器なのだろうかとずっと謎でした。
高級な甲標的を使い捨ての物資輸送なんかに使うとは思えないし…2人程度で動かせるならマルユのような輸送潜水艦ではないし…

「特型運貨筒」というのがその正体だったようです。
画像は特型運貨筒そのものではなくてそれに魚雷を付けた邀撃艇なのですが、なるほどこれから魚雷を除くと「魚雷の親玉」のような形になりますね。
知らない兵器があるものですね。
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無題
Name 名無し 17/05/14(日)02:22:39  No.1213314      
置き去りの二人は大変だったろうに
潜水艦に残ってても助かる保障もないが

無題
Name 名無し 17/05/14(日)08:13:35  No.1213330
そのガ島の兵隊さんは運貨筒から降ろされた物資を目にしなかったんだろうか?

無題
Name 名無し 17/05/14(日)12:37:26  No.1213354     
1494733046634
>置き去りの二人は大変だったろうに


「援軍は?」
「俺達さ!」

って事ですね分かりまs(

イ36潜水艦艦長だった稲葉通宗さんの手記に、1943年5月に呉で運荷筒の運用試験をやらされた話が載ってるんですけど、コレが無動力・無人版の大型運荷筒の方なんですよね

ガダルカナルへの潜水艦輸送は日本軍の同島撤退(1943年2月)以前の話だと思われますので、そうすると動力付きの特型運荷筒がまず実戦投入された後に、無動力の無人運荷筒の開発が進められてたって事になると思うんですが、この辺単に複数の計画が同時進行してただけなのか、それともガ島での有人版の運用成績を受けての無人版開発だったのか、がちょっと気になるんですが…どうだったんでしょかねえ

無題
Name 名無し 17/05/14(日)15:19:41  No.1213370      
ドラッグを運搬するコロンビアDIY潜水艦
https://www.youtube.com/watch?v=wCZ1CiapAlA

巡り巡って似たような手を・・・

無題
Name 名無し 17/05/14(日)16:58:32  No.1213374
魚雷の炸薬くり抜いて羊羹や缶詰でも入れて撃ってやった方が泣いて喜ぶんじゃ無いの?
魚雷は高価だから撃てないって言うならもう戦争なんか止めた方が良い状態だろうし

無題
Name 名無し 17/05/14(日)17:55:39  No.1213379
俺も長年の疑問があるんだけど、誰か真珠湾閉塞用の潜水艦の話知らない。
甲標的と並んで検討された案で、古い巡潜型ベースに肥大化させて、爆薬積んで真珠湾の水道に突っ込ませて、閉塞するって奴。
乗員は甲標的で脱出する。
最終的には甲標的が採用された。
昔なんかで読んだんだけど、真面目な本だったか仮装戦記の類の本だったか思い出せない。

無題
Name 名無し 17/05/14(日)18:18:04  No.1213381      
1494753484137
>魚雷の炸薬くり抜いて羊羹や缶詰でも入れて


IJNの伊号潜水艦乙型(発射管6門、水中排水量約3千600トン)で搭載魚雷数が17本ほどだったんだそうで、とりあえず炸薬量550キログラムの95式Ⅱ型酸素魚雷で単純に換算して550×17とし
て9千350キロ

コレに対して特型運荷筒で約20トン、大型運荷筒なら375トンの物資を塔載できたそうなので、潜水艦1隻出の輸送量、って点では運荷筒の方がやっぱり効率良いんじゃないでしょかねー

(運用する潜水艦の運動性低下の面とかは置いて)

因みに艦艇研究家の石橋孝夫さんがガ島への潜水艦輸送についてまとめた所によりますと、特型運荷筒がガ島へ初めて到着したのが1943年1月22日(伊20潜)、揚陸物資は18トンだったそうで

無題
Name 名無し 17/05/14(日)18:21:29  No.1213382     
1494753689676
以後輸送作戦の状況は

・1月25日 運荷筒 18トン 伊16潜 /ドラム缶 12トン 伊9潜(米魚雷艇の妨害で3分の2のみ)
・1月26日 運荷筒 18トン 伊18潜
・1月27日 ドラム缶 15トン 伊2潜(敵哨戒艇の出撃で一部揚陸中止)
・1月28日 ドラム缶 10トン 伊17潜(敵機の制圧で一分揚陸不能)
・1月29日 伊1潜(敵哨戒艇と交戦沈没、揚陸失敗)
・1月30日 伊9潜(敵魚雷艇の出現で揚陸失敗)

…となっていますそうで、スレ主さんの読んだ回想記の著者さんは都合3回行われた特型運荷筒輸送のどれかを見た、ってことになるんでしょかね

なお運荷筒操縦者の人は次に来た潜水艦に回収してもらう手筈だったみたいですが、これを見る限りは3回とも直後の回でほぼ揚陸成功してますので、まず全員無事回収されてるんじゃあないでしょか…されてるといいなあ…

無題
Name 名無し 17/05/14(日)18:54:24  No.1213384
ガ島って何のかんの言って撤退に成功したのよね

無題
Name 名無し 17/05/14(日)20:29:04  No.1213391
運砲筒とかもあったよね
あれは有人だったか

無題
Name 名無し 17/05/14(日)20:50:52  No.1213394
甲標的を改造して物資を一度沖合いから沿岸へ運んだだけで使い捨てにするなんて
日本軍としてはかなり贅沢ではなかろうか。

無題
Name 名無し 17/05/19(金)00:32:50  No.1213765
>甲標的を改造して物資を一度沖合いから沿岸へ運んだだけで使い捨てにするなんて
ドンガラは確かに甲標的だけど
肝の機関は旧式の八年式魚雷か何かの流用だったのような

無題
Name 名無し 17/05/14(日)21:30:53  No.1213398      
http://cgi.2chan.net/f/src/1494765053996.jpg
>運砲筒


輸送潜水艦各種や戦争末期の水中高速小型潜水艦(波201型)を設計された寺田明海軍技術少佐さんが、ガダルカナル島撤退直後の1943年3月からラバウルの第8工作部に派遣されて、現地で潜水艦に依る輸送作戦(主にニューギニア方面)を技術面で支えてらしゃるんですが、曰く

「乙型の伊38潜(艦長安久中佐)は6月からラエ輸送に従事した。本艦には特別に大砲を輸送する運砲筒塔載設備があって、12月12日までの出動23回で、合計753トンの輸送に成功した」

「砲は全て陸軍砲で、一度に15㎝榴弾砲1門、10㎝榴弾砲2門、10㎝加農砲2門、山砲10門、8㎝砲1門、37mm速射砲4門、弾薬28トン、他に米袋13.6トンを輸送した(『一度』と有りますが累計の数字ですかしら)」

無題
Name 名無し 17/05/14(日)21:31:10  No.1213399      
http://cgi.2chan.net/f/src/1494765070844.jpg
「運砲筒は(昭和)17年秋、呉造船実験部長の片山有樹造船少将が提案されていたので、大要は承知していた」

「推進機関に魚雷2本を流用した双胴船で、円筒形の船体は潜水艦と同じ耐圧強度で、中に推進用高圧気蓄器がある。耐圧円筒内に重量調整タンクもあるが、空所が大きく、補給物件の搭載も出来た」

「全長約44m、幅4.35mで、後部に操舵席があり、陸軍の兵器の場合は陸兵が運転した」

「呉で建造に従事した但馬技術大尉は、安芸灘で運砲筒を搭載した伊38潜でラバウルに着いた。操縦員の訓練を陸兵と海兵に2週間実施したが、陸は船舶部隊で、海の新兵より格段の技倆差があった。実際には海軍砲の輸送はなかったので、すべて陸兵2名で実施された」

無題
Name 名無し 17/05/14(日)21:32:10  No.1213400      
1494765130050
「(後続の)運砲筒は輸送船でラバウルに操縦員の訓練中に到着したが、建造された50隻の到着率は約半分であった」

…そうで

因みに伊38の安久榮太郎潜水艦長さん、戦前から大酒のみの素行不良で有名で、何度か海軍を首になりかけてるんだそうなんですがwまた一端乗艦すれば作戦中一切禁酒、際立った指揮ぶりを発揮するというフィクション作品ばりの人物で、これらの輸送作戦の功績により昭和天皇にも拝謁、連合艦隊司令長官より感状も受けているという、言わば潜水艦輸送のプロフェッショナルだったみたいなんですが、運砲筒とも縁が深かったんですねえ…w

無題
Name 名無し 17/05/14(日)21:33:11  No.1213401
けっこう積めるんだね運砲筒

無題
Name 名無し 17/05/16(火)20:09:51  No.1213556      
1494932991072
徴用船舶に曳航させる用の曳航油槽船はよくて半潜没だからご覧の有様
無人とはいえいい的にしかならない

無題
Name 名無し 17/05/16(火)20:09:10  No.1213555      
1494932950338
>けっこう積めるんだね運砲筒


運砲筒の実際の設計に当たった堀元美海軍技術中佐さんによると、搭載貨物量は15トンとの事ですので、寺田さんの記述だと一回の輸送量としては多すぎるんですよねw
仮に潜水艦本体にも若干の物資を積んだとしても、個人的にはやっぱり累計の輸送量では、と思うんですが

因みに堀さんの運砲筒開発時の回想によると

「ニューギニア方面で陸軍部隊が上陸しても、敵の航空機がいつも飛んでいるので大砲を持って行くことが出来ないで困っている。そこで潜水艦で陸軍砲を運ぶ方法が必要なのだ(略)日本海軍はすでに特殊潜航艇を真珠湾まで運び、その後、特型運貨筒というものも運んでいる。今度は陸軍砲を運ぼうというのだ」

無題
Name 名無し 17/05/16(火)20:10:15  No.1213557     
1494933015192
「図面が出来上がった(略)そこで私は造船設計の潜水艦担当部員である緒明技術大尉と一緒に大阪の陸軍造兵廠に出かけた(略)15サンチ榴弾砲や野砲などを見せてもらい、各部の寸法重量や運搬の要領などを調べたのである」

「計画を進めるのに名前がないと不便だ。仮の名称は『戊標的』ということになってしばらくこの名前を使った(略)このほかに特殊艇には『何々金物』というシリーズも出来た。戊標的はその後正式の名称として『運砲筒』と呼ばれることになる」

「耐圧筒は親潜水艦の敵前行動に支障のないように約100メートルの安全潜航深度とした。大砲の弾薬は耐圧筒の一部に納める。(エンジンの)魚雷は燃料を使えば長距離走れるが、潜水艦の甲板上で長時水中を運んだものをいきなり暗夜発動(略)不適当だから、高圧空気そのままで魚雷のエンジンを動かし(冷走)」

無題
Name 名無し 17/05/16(火)20:10:41  No.1213558      
「最初の一隻が出来上がると早速実験である。陸軍砲は大阪から送られて呉工廠に到着した。(略)特殊潜航艇の製造工場の出来ていた倉橋島の奥の内という湾へ大砲を持って行って、水上航走の実験をする」

「魚雷は40ノットぐらいで走るものだが、運砲筒は5ノット前後だから、プロペラだけは低速向きのものに取り替えた。冷走でも5ノットで6千メートルは走ることが出来る」

「大阪で貰ってきたデータによって、陸軍が運びたい兵器がどのように積みうるか、大砲には弾薬と弾薬車がセットになっているので、砲の種類によって次のどれかになることに考えられていた」

無題
Name 名無し 17/05/16(火)20:11:23  No.1213559      
・89式15サンチ・カノン砲ならば 1門
・96式15サンチ榴弾砲ならば 3門
・92式8トン牽引車ならば 2輌
・96式10サンチ・カノン砲ならば 5門
・20サンチ榴弾砲ならば 2門

「大浦崎で筒と陸軍砲を載せた潜水艦は安芸灘に出動して試験潜航を行った。たしか0.5トンぐらいの過浮量になっただろうと思うが、潜航にはなんの支障もなかった」

「実験は極めて順調に完了した(略)片山技術少将から最初に提示されたのは昭和17年の11月中だったが、実験の完了は18年の3月上旬で、平時なら決して遅くはない仕事ぶりだったが、前線では大砲の到着を待っているのだ。呉工廠はただちに新訓令に基づいて建造に入り、4~5月の間に30隻を完成(略)ニューギニアの海岸で、陸軍砲の輸送が成功し、現地の部隊に大いに喜ばれたという話を、そちらに行っていた但馬技術大尉から聞いたのはずっと後のことであった」

無題
Name 名無し 17/05/16(火)20:12:25  No.1213560     
1494933145209
「ともかくも役に立つ新しい要具が出来上がったということは、決して喜ばしくないことではない。しかしこんな能率の悪い戦いをやっていて勝てるのであろうか。貴重な潜水艦を何週間も戦闘任務から外して、たった数門のカノン砲を戦場の部隊に届けることで、どれだけの戦力増強になるというのだ」

「しかし私たちは、その真相を認識することなしに、目前の任務に追われながらその日その日を送っていた」

…んだそうで

犬猿の仲だったエピソードばっかりの陸海軍の協同計画としては、かなりうまく行った部類の話じゃないかとは思うんですが、まあ結果的にはそういう評価になっちゃうんですかねえ…

無題
Name 名無し 17/05/17(水)12:51:35  No.1213619
運砲筒だと大砲は運ぶ時むき出しなんだっけ
陸揚げした後錆びたりしないのかな

無題
Name 名無し 17/05/17(水)21:34:07  No.1213673
潜水艦の艦載砲もむき出しだからね
グリースを厚く塗るとかするんでしょ

無題
Name 名無し 17/05/19(金)20:58:44  No.1213819
>潜水艦の艦載砲もむき出しだからね
砲口栓も取り外しちゃったね
一発目は砲が冷えてるから
どうしても射程が短めになったらしいが
二発目以降は通常通りだそうで

無題
Name 名無し 17/05/21(日)05:02:51  No.1213940
>潜水艦の艦載砲もむき出しだからね
>陸軍の野砲は防錆仕様なんで海水に浸かってもある程度大丈夫

ありがとう
てっきり水揚げしたら分解して洗浄とかしなきゃいけないのかと思ってた

にしても結構潜水艦輸送作戦って苦労の連続なんだねえ…

無題
Name 名無し 17/05/17(水)22:23:04  No.1213680
堀元美さんの話だと、陸軍の野砲は防錆仕様なんで海水に浸かっても
ある程度大丈夫なんだとさ

無題
Name 名無し 17/05/18(木)21:24:40  No.1213751      
1495110280954
>堀元美さん

堀さんも運砲筒以外に運貨筒の開発にも関わっておられたんですが、当初は「平目」と仇名された長さ5メートルほどの木製模型を、汽船で曳く実験を繰り返してデータを集める内に実物が出来上がり、今度は「U標的」と略称することになったそうで
愛媛県三机(開戦前の甲標的隊の訓練基地)での実物曳航試験も成功して、今度は再び呉に戻り
潜水艦での曳航試験に移るんですが、当時呉勤務の橋本敏郎という技術中尉さんの勤務録には

(1943年)
5月1日 呉工廠にて、大型運貨筒一号を見学す
5月4日 P施設(大浦崎分工場)にて、大型運貨筒一号の潜没試験を見学す
5月7日 安芸灘にて、潜水艦イ159による大型運貨筒一号の曳航試験を見学す
5月17日 大型運貨筒二、三号の進水準備、二号進水す
5月18日 三号進水す

…とあるそうで、スケジュール進捗の程が窺える感じがしますですな

無題
Name 名無し 17/05/18(木)21:25:11  No.1213752      
堀さんの回想によりますと、

「5月22日、いよいよ大型運貨筒を潜水艦で曳いて潜航する実験が行なわれることとなった。指定されたのは(略)慣熟訓練中の伊号第37潜水艦だった。早朝に呉を出港し、安芸灘の大浦崎で曳船から運貨筒を受け取り、伊予灘に出て曳航しながら潜航する(略)実験は2日間にわたって行われ、すべて順調に経過して、成功と認められた」

「呉に帰ってみると、早くも出撃命令が来ていた。(略)戦局急迫を告げているアリューシャン群島アッツ・キスカ方面に対し大型運貨筒をもって補給を実施せよというのである(略)伊号第36潜水艦が指定されていた」

「2日間の大型運貨筒曳航実験を順調に完了したといっても(略)荒波の海上を航走して行くにはまだ何事が起こるか分からない。そこで呉工廠では私にこの潜水艦に乗って付き添って行けという事になった(但し途中大湊で退艦予定)」

無題
Name 名無し 17/05/18(木)21:25:56  No.1213753      
「30日の朝、本格的な曳航を始めようとして、伊36潜はディーゼル・エンジンを起動した(略)艦は急にグーンと前に出た。運貨筒は100メートルほど後方に浮かんでいたが、まだ全然停止状態である。したがって離脱装置にもまったく荷重がかかっていない(略)無張力から急にショックがかかったときの機能が十分でなかったとみえて(略)曳索のシャックルが離脱してしまった(略)筒の小さなハッチはみるみるうちに取り残されて遠ざかっていく」

「こんな不安な点が発見されては(略)改造しなければ曳いて出撃することはできない。艦長と私は協議をして(略)再び艦首を回して呉に向うのであった」

「呉に帰って見ると、万事休す、アッツ島はその日の明け方玉砕全滅したという知らせが来ている(略)大型運貨筒の北方派遣は取りやめとなり、間もなく水上艦船による曳航で、初めの予想どおり南方に送られることとなるのであった」

無題
Name 名無し 17/05/18(木)21:26:26  No.1213754      
海底十一万浬 (文庫版航空戦史シリーズ (46))
なお、伊36潜水艦長だった稲葉通宗さんの手記には同実験・出動について

「実際に曳航実験をやってみると、潜航して曳航するのはまず成功だったが、浮上して主機械航走を始めると曳索が切れる。ワイヤーを太い丈夫なのにすると、こんどはその重さの為に、上手く潜ってついて来ない。」

「何度やり直しても、成功しない(略)百万研究手直しを重ねたが、3日間にわたる実験で、『実用に適せず』という結論が出てしまった(略)伊36潜は、急いで出撃準備をして、6月7日(略)北方部隊基地である幌筵水道に向った」

…とありまして、若干描写の異なる点はあるんですが、要は焦ると人間ロクなことはないというか、折角の「運貨筒」のデビューは結局なんとも冴えん結果に終わってしまった、という事のようですなあ

無題
Name 名無し 17/05/19(金)09:44:35  No.1213779
ただの運荷筒なら金属のシンプルな構造だし一番安く上がるのかなあ
引っ張る方はやっぱり大変そうだけど

無題
Name 名無し 17/05/20(土)02:18:07  No.1213848      
1495214287406
>引っ張る方はやっぱり大変そうだけど


前述寺田明海軍技術少佐さんの回想によりますと、アッツ島輸送がご破算になった後、南方に転用が決まった大型運荷筒が貨物船に曳かれて平野技術大尉とともにラバウルに入港したのが1943年10月ごろ

トラブルシューティングにそれだけ時間を食ったって事だったのかもですが、ともあれ10月12日には早速、ラバウル現地で潜水艦による曳航航走、及び離脱装置のテストが実施されたそうなんですが、この担当に指定されたのがまたもや伊38潜水艦だったんだそうで

既に運砲筒で輸送実績を着々と重ねて、輸送のプロともいうべき働きっぷりだった伊38潜に、新たな新装備として貨物375トンを搭載できる大型運貨筒が加われば実に心強い事になったのかも知れませんけれど、折悪しくこの日はたまたま米軍側が初のラバウル大規模空襲に踏み切った日でありまして、米陸軍機(B-24、B-25、P-38)を中心として349機という大編隊の空襲により、ラバウル地上基地および湾内停泊中の艦船が甚大な被害を蒙っているんですとか

無題
Name 名無し 17/05/20(土)02:23:39  No.1213850      
1495214619705
運貨筒の実験グループも例外ではなく、大発に乗って実験に立ち会っていた寺田さんらの上に爆弾が落下、陸上から実験の経過を見守っていた現地港務部より内地に一時

「大発被爆、全員死亡」「潜水艦も大発とともに沈没」

…なんて連絡も入ったそうなんですが、実際には伊38潜水艦は素早く潜航して難を逃れており、運貨筒も無事であったそうです

ただし大発乗船者の生存者は寺田さん含む5名のみ、うち3名重傷、平野技術大尉さんも戦死してしまい、腰椎骨折の寺田さんも内地帰還を余儀なくされたそうなんですが、退院後の初仕事が今度は離島輸送用の小型潜水艦(潜輸小型)設計だったりしたそうですw

それにしてもどうにも運貨筒はツキに恵まれていない兵器というか、これじゃあもう運貨筒というより不運貨筒じゃn(

無題
Name 名無し 17/05/21(日)10:38:46  No.1213959
伊400サイズの動力付き運貨筒に炸薬をギッシリ詰めてですね

無題
Name 名無し 17/05/21(日)11:10:53  No.1213961      
1495332653012
>動力付き運貨筒に炸薬をギッシリ詰めて

陸さん「それで、ウチらのめしは誰が運んでくれるんかのう…」

個人的に気になっていた特型運貨筒乗員さんの運命なんですが、1943年1月22日の初回輸送(伊20潜)で操縦員だった後藤良忠一等水兵さんの場合、21日2000時頃潜航中の母艦より発進、敵機や魚雷艇をやり過ごし発光信号で陸上と連絡、4ノットで砂浜に乗り上げ、約一時間の揚陸作業後大発で沖合に曳航して貰い、注水弁と下部ハッチを開放して自沈、エスペランスの海軍通信隊に案内してもらい任務成功を打電

翌早朝カミンボの潜航艇乗員収容基地へ単身出発、屍累々の悲惨な密林中を、敵駆逐艦の艦砲射撃に遭うなどしながらも無事切り抜けて辿り着き、椰子小屋の中で待機

28日夜に入港してきた潜水艦へ、放置されていた鉄舟を手で漕いで辿り着いた直後、敵魚雷艇の接近で潜水艦は急速潜航、爆雷攻撃により停電・浸水するという危機に見舞われるもなんとか無事脱出

無題
Name 名無し 17/05/21(日)11:12:06  No.1213962      
リンドバーグ 1/72 日本海軍 伊号第20潜水艦 w/特殊潜航艇 甲標的
2日後にショートランド島に到着すると、ここから徴用船でラバウルを経由して、操縦訓練を受けたトラック島に復帰、現地の第4艦隊長官から直々にねぎらわれたそうです

後藤さんの母艦の伊20潜は、真珠湾攻撃に「甲標的」塔載母艦として参加した歴戦の潜水艦なんですが、ガダルカナルでも「甲標的」作戦を支援、特型運貨筒の前には「甲標的」をガ島泊地攻撃に発進させている他、マダガスカルの英軍基地攻撃も行なっているという「甲標的」と縁特に深い潜水艦だったんだそうで
後藤さんが収容を待った基地も本来は「甲標的」乗員の為に整備されたものだったそうなんですが、特型運貨筒塔載にはやっぱり「甲標的」母艦が色々都合がよろしかったんでしょかねえ

その後伊20潜は1943年8月30日、ニューヘブライズ島への輸送任務中に米軍駆逐艦の攻撃に依り沈没してしまうんですが、仮に末期まで生き残っていたら、今度は「甲標的」や特型運貨筒どころじゃなく、もっと悲惨なモノの母艦になっちゃってたかもですなあ

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1213305.htm

リンドバーグ 1/72 日本海軍 伊号第20潜水艦 w/特殊潜航艇 甲標的
リンドバーグ (2008-12-25)
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