Name 名無し 17/05/07(日)19:17:45  No.1212809

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号砲って本物の大砲使ってたん?

しかしこんな変わった仕事も軍隊の管轄だったんだからおもしろいね
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無題 Name 名無し 17/05/07(日)19:48:49  No.1212811
個人用はおろか家庭用でも時計が高価な機械だった時代は長いし
寺の鐘・船の時鐘・軍隊ラッパ・午砲とか時を告げるのは結構な責任と実利あるお役目だったのでは

無題
Name 名無し 17/05/07(日)20:28:32  No.1212816      
http://cgi.2chan.net/f/src/1494156512266.jpg
固い話をすればそれこそ律令時代から暦は国家の管理という概念なんだろうな

ただ軍隊の手を離れた理由がスレ画にもあるけど
大正軍縮のあおりだったというのは意外

無題
Name 名無し 17/05/07(日)21:17:52  No.1212829
土曜日の半ドンって言葉もう使わないかな
あれは正午の号砲が語源

無題
Name 名無し 17/05/07(日)21:21:53  No.1212831      
「お昼のドン」の始まりを定めた、明治4年の太政官布告第453号によると、

「旧本丸に於て来る九日より昼十二字大砲一発ずつ毎日時号砲執行候条為心得相達候事」

…とあるそうなんですが、文中十二「字」とあるのは誤植ではなくて、翌5年の太政官布告第337号において

「来る十二月三十日を以て明治六年一月一日」

…と新暦に改めた際、二十四時間制と午前午後の時称が公に定められるとともに、「時」と改められるまで使われていた表記なんだそうで、こんなトコもなんとなく当時の御一新の空気が伝わってくる気がしますですな
因みに東京のお昼の午砲、当然音速ですから千葉の船橋で約1分、千葉市では約2分遅れて聞こえたそうなんですが、時に遠く筑波山の上でも聞こえたそうで(遅延3分30秒)
今の東京でやって再現しようとしたら、どれぐらいデッカイ音にする必要がありますかねえ…w

無題
Name 名無し 17/05/08(月)07:06:46  No.1212859
その後はサイレンかな?
大学受験の時に空襲警報みたいなサイレン鳴らすとこあったけど
無題 Name 名無し 17/05/10(水)01:52:00  No.1212995 
>土曜日の半ドンって言葉もう使わないかな
>あれは正午の号砲が語源

オレもそう思ってたけど間違いみたいよ


>半分ドンタク(休業)を略して「半ドン」となった[1][2]。
>江戸時代末期、オランダ語で日曜日を意味するzondagという言葉が長崎出島より伝わり、ドンタクと訛って休日や休業を意味するようになった[3]。
>1876年に公官庁で土曜半休となった折に、半分のドンタクなので「半ドン」と呼ばれるようになった、と新聞が報じている[4]。

無題
Name 名無し 17/05/10(水)02:19:57  No.1212996
>半ドンとは土曜日など授業や仕事が半日で終わる日のことで『半分ドンタク』の略である(半ドンのドンが、当時、正午の合図に鳴らした大砲の音とする説があるが、明治始めにドンタクという言葉が流行していることを考えると、ドンタクの略が有力である
説はあるんだね

無題
Name 名無し 17/05/10(水)16:54:27  No.1213037      
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>その後はサイレンかな?


全国の午砲が廃止される中、最後まで残っていた東京市(当時)の号砲も、昭和4年4月30日正午の1発を最後に廃止されて、翌日からサイレンに変更されるんですけれど、当時の新聞によれば

・宮城内に大音響が響くのが畏れ多い
・一発撃つのに19円の経費がかかる

…事が理由とされてるそうでして、前者なんかは60年間も撃ち続けて今頃…ってな気がしなくもないんですがw後者はまあ×365日とすれば…って感じの金額ではありますかねえ

因みにサイレン自体は当時陸軍技術本部で空襲警報用に開発していたものを流用したんだそうで、ある意味ではまたもや東京の時報は陸軍兵器の応用で、って事になったみたいですなあ

無題
Name 名無し 17/05/10(水)16:55:36  No.1213038      
当初サイレンが設置された場所は愛宕山公園(現港区)、本所公会堂(現墨田区)小石川高等小学校(現文京区)の3か所で、計算上は各設置場所から周囲約7㎞の範囲までサイレン音が到達して、東京市全域をカバーする予定だったそうなんですが、翌昭和5年には丸ノ内と上野の2か所が追加、昭和7年の東京市域拡張、所謂大東京市の成立を挟んで昭和9年に13か所、昭和12年に7か所が追加され、最終的には総計25か所に達したそうです
東京市民が午報を聞き逃す心配がなくなったのは良い事だと思うんですが、先述のようにこれらのサイレンは空襲警報システムを兼ねてるわけで、東京市内にそういう施設が段々増加してく様は、今から見れば時勢の変化を反映してる感がなくもないですねえ

余談ですが「ドン」に代わって東京市民に親しまれた?正午のサイレンも、昭和16年12月8日、大東亜戦争開始の日に中止されておるんだそうなんですが、理由はと言えば

「本物の空襲警報と紛らわしいから」

…だそうで…

無題
Name 名無し 17/05/11(木)02:20:23  No.1213111
ってことは正午のサイレンが生き残っている地域は、空襲なんてくる心配もない田舎ってことかな。

無題
Name 名無し 17/05/11(木)05:24:26  No.1213112
受験の時にサイレン鳴らしてたのは東京だったよ

無題
Name 名無し 17/05/11(木)20:00:00  No.1213147
>空襲なんてくる心配もない田舎ってことかな。
東京都内じゃ今も防災行政無線網を利用した時報チャイム(夕焼け小焼けや赤とんぼ等)放送があるよ

無題
Name 名無し 17/05/11(木)07:17:59  No.1213115
号砲のシステムが巡りに巡って
現在のおじいちゃん捜索放送に役立てられてると思うと素晴らしい

無題
Name 名無し 17/05/11(木)21:38:25  No.1213158
>東京都内じゃ
23区内でも?

無題
Name 名無し 17/05/11(木)22:44:33  No.1213162
>>東京都内じゃ
>23区内でも?
随分前から有るよ
中島みゆきが六本木のマンションに越して来た頃(別れ歌)には有った島嶼地区も夏期冬期で時間は違うけれども有った

無題
Name 名無し 17/05/11(木)21:57:43  No.1213159
数年前の女児監禁事件は
解決の突破口が電話から聞こえる防災無線のチャイムだったね
町田の

無題
Name 名無し 17/05/12(金)21:40:18  No.1213210      
時報装置をいざという時の警報システムに流用する、というのはサイレン以前の「ドン」の時代にも行なわれていたんだそうで、例えば火災発生時には3発、事変には5発を発射して市民に緊急事態発生を知らせる手筈になっていたんだとか

実際のこうした非常発射された例としては、東京では明治11年の近衛兵反乱事件(竹橋事件)や、日清戦争の際、広島の第5師団が午砲を臨時発射して将校と外出中の下士兵の皆さんを至急招集したような事例が挙げられるそうなんですが、このへん今のJアラートの遠い先駆けというか、言うなれば「D(Don)アラート」と言った所でしょうか(ドヤァ

無題
Name 名無し 17/05/12(金)21:42:22  No.1213212      
因みに明治45年7月20日、宮内庁より明治天皇重体の発表があった日より、約一週間(崩御は30日)「ドン」は丸の内での発射を取り止めて、牛込区本村町(現市ヶ谷)の陸軍士官学校で野砲を発射したんだそうで

そして大正元年9月13日午後8時、明治天皇の御霊轜のご発引の際にも東京午砲は一発を発射して、改めて悲報を知らせたそうなんですが、この時この砲声を合図に自刃・殉死された、と伝えられてるのが乃木希典陸軍大将御夫妻であったり

この乃木さんと妻静子さんがご結婚されたのが明治11年、先述の竹橋事件の起きた年で、当時六本木の歩兵第一連隊長だった乃木さんも時ならぬ5発の非常号砲を聞いているそうです

無理にこじつける訳ではないですけれど、乃木御夫妻はその始まりと終わりの年に、それぞれ重大な「ドン」の非常発射が行なわれてた、ってことになりますですかねえ

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1212809.htm

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