Name 名無し 17/04/25(火)20:02:42  No.1211275

1493118162123
銃が足りなかったとか飛行機が足りなかったというのはよく聞きますが工場はどれくらい本気で稼働してたの?
素人考えでは、人をいっぱい雇って交代で24時間フル稼働すれば前線で不足する分くらいは作れるだろうと思ってしまいます
(もちろん、パーツを供給する工場をフル稼働させないといけませんが)
日英兵器産業とジーメンス事件―武器移転の国際経済史
奈倉 文二 横井 勝彦 小野塚 知二
日本経済評論社
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無題
Name 名無し 17/04/25(火)20:56:13  No.1211285
日本には作るための資源がないから欧米の経済封鎖で戦争する羽目になった

無題
Name 名無し 17/04/25(火)21:15:45  No.1211290
>24時間フル稼働すれば
資源がいる、電力がいる、稼働する工作機械の輸入元は米英
>人をいっぱい雇って
労働者の保障、農村からの移住促進がいる
さて戦前日本にどれがあったと思う?

無題
Name 名無し 17/04/25(火)21:33:23  No.1211291      
>人をいっぱい雇って交代で24時間フル稼働すれば

川西の局地戦闘機「紫電」を生産していた兵庫の鳴尾工場なんかですと、工場では連続の徹夜作業は普通で、20日間も家に帰っていないとかもざら、リベット打ちの工員さん達は深夜になって疲れると飛行機の下に筵を敷いて横になり、目覚めるとまた打つ…なんて状況だったそうなんですが、1944年中の完成機体数を見ると

1月:16機
2月:36機
3月:50機
4月:70機

…に達していたものが、5月には一気に9機に激減しちゃってるんだそうで

無題
Name 名無し 17/04/25(火)21:40:05  No.1211292      
原因は結局部品不足、それも川西社外で生産されるエンジンやプロペラ、脚と言う官給品を中心とするモノの不足が深刻化したためで、当初生産の督促の為に派遣されていた軍需省の生産督促係の人が、居心地が悪くなって退散しちゃった、なんて話もあるんですとか

一方で軍の指定工場になった川西の工場には、1944年には5000人、45年には7000人近い工員が動員されるんですが、現場の技術者さんたちが冷静に計算した所では紫電を月産100機作るのでも3000人もいれば十分で、これらの人達全員を使うのは、単に余剰なだけでなく、教育にあたる熟練工に余計な仕事を増やして反って能率を低下させてしまう、という事で、実際には有望な人材のみに搾って教育することになり、工場内にすることのない人があぶれてる、なんて事にもなってしまったんだそうな

結局生産計画全体を統括する人若しくは組織に、部品生産上の隘路ですとか生産工程の現実的な知識がないとこういうちぐはぐ事になっちゃうみたいなんですが、この辺は今の私らの職場とかでも、同じような経験されてる方もいらっしゃるんじゃないでしょか…w

無題
Name 名無し 17/04/25(火)23:22:58  No.1211303
従軍記とか戦時中の動員体制とかそんな話を聞くたびに、今のブラック企業とやってること同じだなあとつくづく思ってしまう

無題
Name 名無し 17/04/25(火)23:31:40  No.1211304
日米開戦しても日本の工場ではしばらく定時退社してたね。

無題
Name 名無し 17/04/26(水)00:04:23  No.1211311
>日米開戦しても日本の工場ではしばらく定時退社してたね。
まあしばらくは在庫品で戦争出来るくらいの備蓄はあったでしょうからね。ましてや初期の頃は日本の勝ち戦で船も飛行機も消耗分は予想の範囲だったでしょうし。ケツに火がつくのはマリアナやガダルカナルの消耗戦で、B29の空襲と海上封鎖でとどめをさされたって所でしょうか。

無題
Name 名無し 17/04/26(水)01:56:19  No.1211322
高価な機械を大量に使っての機械生産と輸出を世界中に行って、拡大再生産を続けていたアメリカと違い、当時の日本の主な産業は、まだ繊維や玩具などの、手と小さな機械で作れる軽工業です。
ようやく、その利益で少しずつ重工業も…という段階。
金属生産も少なく、高度な工場や生産機械は、やっと片隅に、と言う段階でした。

今の、当時とは比較にならない資金と、国中が生産機械や重機に溢れた日本ですら、構想された工場が、1年後に新型車をバンバン作り出したりしないですよね。
まして当時の手作業、軽工業の日本です。
高価な工作機械も、ソレを作るための機械も、重機も国の片隅にちょっとあるだけ。
田舎の県が2年3年「がんばって」更地に巨大な機械工場が林立する世界屈指の大工業地帯が出来て、ぶん回せちゃったら、普通はちょっと眼を疑いますよね。

無題
Name 名無し 17/04/26(水)01:58:39  No.1211323
アメリカが日本に叩きつけてきた物量は、世界屈指の大工業地帯の、機械生産を理解し(工具部品の規格化、機械化、工作精度による熟練者調整不要化等。)
世界中を相手に商売して拡大し続けてきた、膨大な蓄積による生産力の結果です。
日本もあれで、すごく「がんばった」結果なんじゃないでしょうか。
そして仮に、倍がんばっていたとしても…。

あ、そういや、いい動画がありましたっけ。
これだけでよかったかな。


工業生産で見る世界史
https://youtu.be/V-3emf5f2PY

無題
Name 名無し 17/04/26(水)02:09:08  No.1211324
以前も書いた記憶があるけど
当時の増産増産の風潮を満たすために人をかき集めて工場へ送り込むまでは良かったものの
工場の方で受け入れ態勢がなく宿舎も工場自体も足りず廊下にまではみ出して工作させたということでその上ほとんどが未経験の若い人たちだったので育成に苦労したそうです

結局は作っても不良品の率が上がっただけだったそうですが全体の生産数を倍増すれば
結果的に完成品の量は増えるという計算でこの体制は継続されました
これらの生産品は受け取った部隊で再整備しないとまともに動かないものが多く
軍側の負担も増したのはいたしかたないことだったのです

無題
Name 名無し 17/04/26(水)07:06:08  No.1211332
戦前から在って軍にも物品を納入していたうちの会社は入社すると真っ先にQC教育を受けるんだけどやっぱ規格化の話がメインになるね
占領下前は加工機械や会社ごとに製品規格がバラバラでネジ1本でも組み付けるのに渋いのがあったり緩いのがあったりで苦労していたらしい

生産設備もお粗末だったが職人的ドンピシャなものではなくて寸法規格を統一(校正的に)し
公差範囲を定めた量産に効く生産という懸念が昔の日本にはなかったっぽい

無題
Name 名無し 17/04/26(水)16:00:45  No.1211379
>寸法規格を統一(校正的に)し公差範囲を定めた量産に効く生産という懸念が昔の日本にはなかったっぽい
戦前も規格はあったがそれぞれ専門分野で別れてたっぽい
つまり船のネジと飛行機のネジじゃあ
径は同じでもピッチが合わないとかじゃね?

無題
Name 名無し 17/04/27(木)07:18:55  No.1211486
>寸法規格を統一(校正的に)し公差範囲を定めた量産に効く生産という懸念が昔の日本にはなかったっぽい
それをきっちり出来たのがアメリカだけだったという話に収束する。

無題
Name 名無し 17/04/26(水)09:30:03  No.1211339
1938年世界工業生産高に占める列強各国の割合
アメリカ28.7%
ソ連  17.6%
ドイツ 13.2%
イギリス 9.2%
フランス 4.5%
日  本 3.8%
イタリア 2.9%
こんなんで米英中豪まとめて相手に戦った日本は勇敢を通り過ぎて無謀。当時のエリート軍人もほぼこの実情知ってて反対したけど場合によっては国民に銃突き付けてでも開戦しないで欲しかった。その場合今よりは領土保全出来てた
まあその場合朝鮮半島と言う難題も付いて来るが

無題
Name 名無し 17/04/26(水)11:25:39  No.1211351
ウチの爺さんリベット工 45年に入ると部品が入って来なくなり
ヒマな日が続いたってさ

無題
Name 名無し 17/04/26(水)20:12:22  No.1211415      
1937年に九州大学の工学部を出て、日立製作所に就職された奥村正二さんと言う方が、戦中

・日立戸塚工場(自動車の電装品、砲弾信管)
・日立工作機(フライス盤、研磨盤)
・日産自動車横浜工場(軍用トラック、練習機用航空エンジン)

…等で勤務して、それぞれの製品の戦時生産に関わった際の思い出を手記にされてるんですが、

「(戦争初期)先ず現れていた生産の隘路は労働力の不足である。日課事変中軍需景気を謳歌して簇生してきた中小工場、いわゆる町工場は移動防止冷令、賃金統制令もものかは、二重封筒で法外な高賃金をばらまき熟練工の引き抜きをやった。引き抜きと応召で大工場の基幹工員は激減していた」

無題
Name 名無し 17/04/26(水)20:12:47  No.1211416      
1493205167911
「急激な増産計画を押し付けられた大工場では、質の問題は第2として先ず量的に労働力の圧倒的な不足を示した。この間隙を埋めるために、大規模な企業整備と徴用が数次に渉って強行され、呉服屋の番頭や町の理髪師、村の青年等が大量に工場ヘなだれ込んできた。職場の気風は一変した。自分の腕を誇とする職人気質は影をひそめ、転業前の収入と現収とを比較して終日愚痴をこぼす人や、製品の量や質に全然無関心にのんびりと一日を過す農村人のかもし出す雰囲気が支配的となり、従来の生産を維持することが極めて困難となった」

「敗色濃厚となった中期から末期にかけては労働力の量的過剰と質的低下とが問題であった。戦争の真最中に労働力が余るとは不思議な話であるが、軍および官僚の統制技術の拙劣さは労務動員計画に於て何人にも明らかな不合理を敢えて強行した」

無題
Name 名無し 17/04/26(水)20:13:18  No.1211417      
1493205198227
「当時の大工場に働いていた勤労者の種類を挙げると、本工、徴用工、学徒、女子挺身隊、軍隊、季節工、囚人、俘虜等(略)この多種多様な労働力の根幹となるのは、云うまでもなく昔からその工場に定着している本工である。ところがこの本工が戦の初期、労務調整法や総動員法の未発動の時に激しい引抜きで町工場へ分散してしまったのに加えて、その後重要工場の招集免除申請などおかまいなしに、次から次へと波状攻撃してくる軍事召集でその数は激減し、本工対その他の勤労者の比率が1対10以上になっている例が多かった。」

「現場の実情を知らぬ軍官の統制機構は、紙上計画に従って員数だけ揃えれば足れりと(略)次から次へと莫大な未経験工を注入した。材料の続いている間はまだしもであった。材料がとぎれ勝ちになるにつれて何の仕事もなくただ単にぶらぶらと工場で一日を過すに過ぎぬ人間の数が増えていった」

…んだそうで

モノづくりの現場は付け焼刃の方策で成果が出るほど甘くはない、って事だったんでしょかねえ

無題
Name 名無し 17/04/27(木)06:23:28  No.1211484
ドイツですら自動小銃への移行はおろか制式小銃も拳銃も最初から最後まで足りないまんまだったし
工作機械といっても当時は型を使ったプレスや鋳造鍛造でなく切削加工がメインなので
工員の腕次第にもなれば公差も大きくパーツの擦り合わせ工程も必要になって増産かけようにもなかなか

無題
Name 名無し 17/04/27(木)08:13:54  No.1211489
それを言い出すとマザーマシンが足りなかったという方向へ話が行きますが
それは工場の稼働の問題とは別なので
やはり人事面の不足が大きく熟練工を徴兵してしまうなどの不手際こそ責められるべきかと

無題
Name 名無し 17/04/27(木)08:39:18  No.1211492 
口紅生産工場が一夜にして薬莢生産工場にかわった某国のようにはいかないねえ

無題
Name 名無し 17/04/27(木)11:46:17  No.1211501      
工業能力の問題点は良く語られるけど
実際に日本の指導部、特に軍が自国の能力に関して、どう考えてたかというと、実はどう逆立ちしても欧米に勝てないってことを、かなり前から認識してたのよね

その結果が補給軽視・人命軽視になる訳で・・・

無題
Name 名無し 17/04/27(木)14:05:39  No.1211513 
むしろ、徴用工の大量導入に伴って規格化が浸透して行った。
そうでないと仕事にならん。

無題
Name 名無し 17/04/27(木)15:19:30  No.1211516
動員で来た女学校の生徒の作ったものは実際には未使用のまま

無題
Name 名無し 17/04/27(木)15:46:38  No.1211519
近江絹糸は動員の女学生だけで零戦組み上げて実際飛ばした。

無題
Name 名無し 17/04/27(木)18:23:09  No.1211547      
1493284989258
>当時は型を使ったプレスや鋳造鍛造でなく切削加工がメインなので


当時の生産現場での、技術的な点での問題についても奥村さんは語られてるんですが

「軍需工場は急激に膨張し、設備工作機械の数も飛躍的に増大した。戦前米国から輸入しておいた機械は全体の需要量から見る時は一小部分たるにとどまり、大部分の設備の充足は日華事変後急速に膨張した我が国の工作機械工業にまたねばならなかった。工作機械工業については政府も相当な助成策を講じてきた。日華事変中には工作機械製造事業法が制定され、優秀業者が許可会社として指定されて国家の保護を受けていた(略)5大重点産業(航空機、造船、アルミ、鉄、石炭)に準ずるものとして資金、資材、労務等の優先割り当てを受けていた」

「それにも拘らずかくして生産された国産工作機を米国からの輸入工作機と対比した時、何と大きな差が現れたことだろう。国産機械の摺動面の一年間の摩耗は米国機械の摩耗の十数年分に匹敵した。精度は1、2ヵ月で急速に低下した」

無題
Name 名無し 17/04/27(木)18:24:01  No.1211548      
1493285041423
「カタログにある最大回転数を出すと機械は振動し、軸受は過熱した。同番数の舶来機が十分耐え得る重切削に於て、国産機は振動し換歯車は折損したり曲ったりした。油圧ポンプや電気部品は故障が続出した。材料の不良、加工の不正確、これに起因する耐久力及び精度の不足が歴然としていた。最も寒心に耐えぬのは歯切機械であった。精密な歯車の多量生産は米国からの輸入機械に頼る外ない実情であった」

「工作機械に使用する切削工具類も全く同じ状態であった。米国製ドリルが楽々と穿つ孔を和製のドリルは数倍の時間を喰い、次から次へと折損してゆくというような例が多かった。材質が悪いなりにも国内で補充のできるものはまだしもとして、自給困難或は自給不可能のものも多かった。歯切工具はその典型で、例えばカサ歯車用のグリーソン・カッターは終戦まで製造に手をそめる業者はなく、使用者は戦前の輸入品を虎の子にして食いつないできた」

無題
Name 名無し 17/04/27(木)18:25:42  No.1211549     
1493285142284
「切削油、潤滑油の不足及び質の低下も大きな問題であった。日華事変中はこれも米のペンシルバニア産のもので賄い、対米戦開始後も一年位はそのストックを食いつないでいた。しかし昭和18年後半に於ては既に水で希釈した切削油を用い、若干の作業には水のみを使用している例が多くなっていた」

「潤滑油に至っては全く対策が立たなかった。機械は正直だから潤滑面へ油が回らなかったり、油の質が悪かったりするとすぐ焼付いて故障を引き起こす(略)ところが米国の工作機械と雖も輸入後潤滑油に認識のないものが色々な油を給油してきたために、給油系統は例外なく故障して居り、至る所からこの『血の一滴』が遠慮なく漏洩していた」

「国産工作機に至ってはこれに輪をかけたようなもので(略)工場の床面はどこも例外なく年中油で湿っていた」

無題
Name 名無し 17/04/27(木)18:26:31  No.1211550      
1493285191156
「生産の隘路は戦局の進展と共に次々と変化した。初期には資材はあるが機械加工能力が不足して工作機械の拡充に力が注がれた。中期には機械加工能力は足りるが、鋳造品、鍛造品等の粗形材生産能力が不足という障害にぶつかった。末期には銑鉄、鋼材、アルミ等の素材が間に合わなくなり、機械工場の設備は漸次遊休化して敗戦の過程をはっきりと示した」

「末期に素材が著しく不足したのは大陸及び南方との交通を遮断されたため、もともと資源の乏しい日本の経済力がはっきりと露呈されたわけである」 
    
…と纏められておられたり

こんな話読んでると思うんですケド、今の私らが毎日の生活で種々の工業製品を問題なく使えてるのなんかも、それに関わる実に多くの方々の品質維持維持の為の努力の蓄積あってのもの、ってことなんでしょうねえ…w

無題
Name 名無し 17/04/27(木)19:05:00  No.1211557
現代の我が国で教訓にすべきことはあるのだろうか。

無題
Name 名無し 17/04/27(木)19:53:42  No.1211580
高度な製造技術を持つ現代日本だって資源そのものは輸入に頼ってるでしょ

無題
Name 名無し 17/04/27(木)20:02:12  No.1211583
生産性上げる努力よりサービス残業で帳尻合わせようとする辺り全く成長していない

無題
Name 名無し 17/04/27(木)20:03:14  No.1211584
実はアルミ、ジュラルミンの類は機体メーカーが開戦直後に不足を予想して余剰分を確保してたんで全く困らなかったと云うオチがつく
いや「ナイショの余剰分どうやって隠しとくか?」に会社幹部が悩まされたかもね
終戦直後にアルミの鍋、釜生産して糊口をつないだのはこの余剰分だったりする

無題
Name 名無し 17/04/27(木)22:46:22  No.1211641      
http://cgi.2chan.net/f/src/1493300782468.jpg
工作機械製造事業法が日華事変の最中?と思ってwikiってみたらアララ、ホントに昭和13年だたーよ。有名な自動車製造事業法がちょっとだけ早くて昭和11年。同時じゃなかったのか…

零戦の開発は十二試って位だから正式には昭和12年スタート
(仕様決定はその前年っぽいね)。プロペラハブはハミルトンの恒速ペラ(米製)。これはライセンス購入が間に合った。が次の後継世代機になるともーいけない。禁輸を食って油圧ピッチペラが買えないんだな。そんで日本楽器の佐貫亦男サンが欧州で右往左往、という顛末は以前にも紹介されてたね。アメちゃんにしてみれば、日本を締め上げるのは訳無いコトだったんだなー。

画像はグリーソンの歯切盤。

無題
Name 名無し 17/04/27(木)23:53:41  No.1211664
よく熟練工を徴兵して……って言われるけど、末期ドイツみたいに50代でも引っ張った国はともかく、日本は概ね20代まで、末期に30代半ばまでくらいしか兵隊にとってないだろ?
熟練工って40代50代じゃないの? そんな歳の人兵隊にとらないよね?

無題
Name 名無し 17/04/28(金)06:58:19  No.1211715
大戦時代の日本の兵器や内燃機関を展示場とかで観ると
「国が総力を上げて造った物がこの程度なんだ…」と愕然となる
(特に今や御家芸になっているエンジン類とか農耕機とか
発電機にでも使うのかな?と思えてくる代物だし・・)

無題
Name 名無し 17/04/28(金)12:03:04  No.1211737
当時、エンジンを作れる国なんて数か国(アジアでは日本だけ)しかなかったから
そう腐るハナシでもながなw

無題
Name 名無し 17/04/28(金)12:56:47  No.1211746      
>「国が総力を上げて造った物がこの程度なんだ…」と

現在の尺度で測るとそんな評価だが、大戦中といえば(徳川の)将軍様が大政奉還して七十年ちょいだからなぁ・・・
戦前・戦後とも世界史的には日本はチート扱いなんだが
相手もそれ以上のチートだったというお話

無題
Name 名無し 17/04/28(金)16:36:46  No.1211755
>>熟練工
よく出る話だし、実情と理想で色々と意見はあるんだろうけど、規格のみならず、素材や各工程の精度を上げて、熟練工による調整をできるだけ排除しなければ、生産数競争には勝てなかったってのは、事実じゃないかな。
少なくとも、相手さんは達成していたわけだから。

ご婦人なんかが就労した時でも、簡単な工程でライン作業というものを経験していく所から、コツや技術な必要な難易度の高い作業まで、段階を踏む教育システムで、工場の大半は回せていたし規模拡大できていたと言うから。
タミヤバンダイのプラモを作るのと、ガレージキットを作る違いと言うと極端かな。
んで、優れた経験のある人たちには、更に難しい物を作ってもらう余裕も出来るので、差は更に開く…。
日本だと、機械ない、精度ない、仕切れる量産を理解したベテラン労働者もいない。
重工業の熟練工も、まだ顧客が少なく規模がないから、少数生産で見事な手わざで回してる段階だったわけで。
手業に誇りこそあれ、量産システムの回し方は知らないし、(こんなんで量産出来るわけがないとわかるのも加わって)積極的でない事もあったとか。

無題
Name 名無し 17/04/28(金)19:55:03  No.1211770
日本の戦中の軍需生産について、佐貫亦男さんの名言があるので引用させてもらう。
「近代戦とは、百発百中の大砲を千門万門と揃える闘争である。一人の名人が、ガタガタ旋盤で百発百中の大砲を一門作っても仕方ないのである」

無題
Name 名無し 17/04/28(金)20:15:49  No.1211775
悲しくなってくるな

無題
Name 名無し 17/04/28(金)20:33:27  No.1211778
>悲しくなってくるな
大戦時の日本の工業力はどうにかならなかったのかって話はいつも無慈悲な現実を突きつけられて「結局どうにもならない、戦争そのものよりも戦争しなければいけないような状況になったことが間違いだった」に収束する。
しかもその失敗は現代でもほとんど生かされていないっていう現実だからな。
悲しくもなる。

無題
Name 名無し 17/04/28(金)21:41:24  No.1211788      
1493383284995
>熟練工って40代50代じゃないの?


「中島飛行機エンジン史」によると、中島のエンジン工場で働く現場の作業員さんはよそで既に技術を身に付け「成業職」として入る人と、見習工として入った後に経験を積んで「成業」し熟練工となる言わば生え抜きの人の二通りだったそうなんですが、後者の場合、普通は高等小学校卒(15歳)で入って、3年ほど経過したところで一人前になる、ってのが普通だったそうで
今の私らの感覚で想像する「熟練工」とはちょっと違うというか、下手すればティーンエイジャーの「熟練工」さんも居た、って事みたいですなw

因みにまたまた奥村さんの手記から引用させて頂きますと、

「日本鋼管の白石社長が(戦中)新聞紙上で次のような声明を出していたことを私は今でもはっきり記憶している」

無題
Name 名無し 17/04/28(金)21:43:17  No.1211789     
1493383397281
「『職場から招集されて出ていった熟練工を全部返してくれ。そしたらそれに数倍する徴用工を全部お返ししてしかも現在以上の生産を必ず挙げて見せる』と氏は豪語した。現場を知る人の声として私は心から共鳴した」

「更に我慢の出来ぬことは手不足で困っているという農村から青年達が徴用されて続々と工場へ送り込まれて来ることだった。都市では(略)労働者が、工場を休んでは買い出しに家庭農園のの耕作にと狂奔しているというのに何故農村からさらに徴用を行わねばならないのか」

「そして招集された熟練工が軍服を着て穴掘りをやり、工場では腹をすかせた未経験工がだぶついているという状態が終戦まで続いて行った」

無題
Name 名無し 17/04/28(金)21:44:36  No.1211790     
「労働力の中で勤労学徒は他の如何なる労働力よりも大いなる役割を果たした(略)彼らの若さと純真さとによるものである。だが学徒動員計画に於ても(略)甲地の学徒が乙地の工場で働き、乙地の学徒が甲地で働いているといったような例が多かった」

「一年間は留まる筈の学徒が突然全部引揚げて他工場へ移動するというようなことが多かった。極端な例としては一日乃至一週間というような短い期限付きで大量の学徒が動員されてきた。機械工場の作業は単純労働ではない。一つの作業に習熟するにも少なくとも一月位の期間は欲しかった。動員された労働力が戦力化するのはそれから後のことである」

「彼らは主役ではなくお手伝いの気持ちでやって来た。頻繁な配置転換の外に試験期になると潮が引くように全員が一斉に引き揚げていった」

無題
Name 名無し 17/04/28(金)21:45:50  No.1211791      
1493383550971
「広大な工場に人影はまばらになり生産は中絶状態になった(略)要するに大工場では明らかに過剰労働力がだぶついていたにも拘わらず、この労働力は定着していなかったために十分戦力化されなかった」

…そうなんですが、結局「素人では成果が上げられない」という意見と、「素人も使わないと成果が上げられない」ってのは戦時下の生産現場ではどちらも正しい面があるわけなんですが、そのバランスの兼ね合いをうまく取れる人がいないと、結局関わる人全てにとって不幸な結果に陥っちゃう、って事なんでしょかねえ

無題
Name 名無し 17/04/29(土)00:26:18  No.1211800
>「更に我慢の出来ぬことは手不足で困っているという農村から青年達が徴用されて続々と工場へ送り込まれて来ることだった。
このへん農業国から工業国へ転換に失敗した戦前日本の状況が見える
農村で人手が足りない(人件費が安いから機械化が進まない)
移住の自由がない(旧民法では戸主の権限絶大で個人の自由がない)
…みたいな理由で転換に失敗し、分配リソースを海外に求めざるを得なくなって結局戦争
しかし戦争にリソースを取られるというなんという堂々めぐり

無題
Name 名無し 17/04/29(土)11:36:23  No.1211843
>銃が足りなかったとか

日本とドイツで機関銃の生産数を比較すると

九六式軽機が4万1千丁
九九式軽機が5万3千丁
九二式重機が4万5千丁

MG34が57万丁
MG42が42万丁

まさにけた違いですね

ドイツはこれでも足りなくて占領したチェコのZB26なんかも使ったようですが

無題
Name 名無し 17/04/28(金)22:28:47  No.1211793
戦前から総力戦の算段をしておけば・・・といいたいところだが、日本の場合すでに支那事変で総力戦に突入してたんだよなぁ。

総力戦研究所を大規模にしたものを戦前から陸海政府共同で組織しないと。
ムリだな

無題
Name 名無し 17/04/29(土)19:39:16  No.1211892      
1493462356922
>戦前から総力戦の算段をしておけば


1935年秋ごろに日本陸軍参謀本部作戦課長だった石原莞爾サンが、「日満財政経済研究会」なる調査立案機関を設立してるんですが、中心人物だった宮崎正義さんの名から「宮崎機関」とも呼ばれたこの組織の目的は「日満経済5ヵ年計画」の作成だったそうで

要は石原サンの考える、欧米諸国と渡り合えるだけの国力増大実現のためのシンクタンクみたいなものでして、1937年に閣議決定された「重要産業5ヵ年計画」なんかも、宮崎機関の原案が参謀本部→陸軍省→政府、という流れで提出されたものだったんだそうな

その宮崎機関が1936年に提出したの立案・調査資料の一つに「航空機製作工業の研究」というのが有りまして、その中には「戦時生産2万台を目標とする生産能力拡充策」なるものも含まれているんですとか

無題
Name 名無し 17/04/29(土)19:40:13  No.1211893      
1493462413432
こちら国立国会図書館のデジタルアーカイブにも収録されているんですが、航空機生産については機体とその発動機の場合とに分けまして

「機体の場合に於て生産能力は、設備の制限を受けること少く、どの程度の職工を利用し得るかと云う人的要素によって制限を受けることが寧ろ大である」

「増産計画には職工の体力が問題(具体的には残業の連チャンに耐えうるかってことだそうで)」

…とする一方、発動機については

「機体の場合と異なり、熟練工を他の機械器具工業より容易に補充することが出来るから、生産能力は人的要素よりも寧ろ機械設備に左右される」

…と結論付けていましたり

無題
Name 名無し 17/04/29(土)19:41:47  No.1211894      
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報告書では1942年に戦時となった場合を仮定しているんですが、同年に2万機の航空機生産を実現する為には、まず機体については開戦後3ヶ月までに職工数を4倍に増加して、作業能率を3.5倍とし、また労働時間を14時間とすることにより更に8%の増産として、合計で3.8倍の増産、42年の「平時」生産能力は3900機に達している予定でしたから、コレで機体1万5千機弱の製造能力を得られる、と想定しております(日本国内)

次に発動機については、42年「平時」のエンジン生産能力を5100基程度と見積もって、コレを昼夜交替作業による操業時間延長(13時間→20時間)によって1.54倍とし、更に自動車工業や内燃機工業の転換生産で3000基を追加し得るとして、計1万1千基弱の生産を見込んでいるんだそうで

資料が作成された1936年「現在」の日満の航空機生産能力と比較すると、1万5千機は生産数で9.2倍、生産能力は5.8倍に当たりますから、まだ支那事変も始まらず、大東亜戦争の約5年前に作成された案としては、結構野心的な計画ではあったんじゃあないでしょか

無題
Name 名無し 17/04/29(土)19:43:12  No.1211895      
1493462592489
ただ内容の詳細については、基本生産ラインの機械的な改善より、職工数や残業時間の増加と言った単純なマンパワー増強で解決するとしている所や、エンジン増産のための技術者増員について、他工業から安易に増強し得る、と想定している点等は後の展開を知ってるとやや甘い想定だったと知れるんですが、ある意味では開戦後現場の方々が呆れるくらい大量の雑多な臨時職員さん達が軍需工場に送り込まれてきた政策も、以前からの研究結果を踏まえての事だったのかも知れませんですな

ただ、宮崎機関の想定通りでも、42年の時点で戦時増産率は機体は3.8倍に対してエンジンは約1.5倍しか伸びず、合計生産能力が1万5千機に対して1万1千基なわけでして、余りにバランスが悪いんですよね

日米開戦5年前の時点で、機体そのものより製造設備に依存する率が大きい、とみなされてたエンジンの生産増大困難が、航空機戦時生産のボトルネックになる、ってのは、結果的に見たら正鵠を得た予測になってたりしないですかね、コレ

無題
Name 名無し 17/04/30(日)00:01:04  No.1211938
当時の日本の工業力と技術力では動員された即席工員でも高い精度を維持できる単能工作機械とラインが作れなかったからこそ熟練工が必要とされたってことなんだろう
工業力が高ければ高いほどいわゆる職人と呼ばれるような熟練工は必要なくなる

無題
Name 名無し 17/04/30(日)00:02:48  No.1211939
補足
あくまでも大量生産する場合のことね

無題
Name 名無し 17/04/30(日)11:05:22  No.1211975
>当時の日本の工業力と技術力では動員された即席工員でも高い精度を維持できる単能工作機械とラインが作れなかったからこそ熟練工が必要とされたってことなんだろう

工場内作業系の人材派遣やってる人間だけど、今でも現場では「熟練工」を求めてるよ
もっとも機械操作や精度のスキルうんぬんとかじゃなくて、仕事そのものの経験やリズムがちゃんと体に染みついてる「現代版熟練工」を求めてる
つまり、今日からでも何も指示しなくてもちゃんと一人前の仕事ができる人間

そんな人間いませんよ!ある程度の期間教育して下さいよ!と言っても、工場側は「忙しいから教育してる暇が・・」とか渋る
で、結局人が集まらなくて生産性ダウン
切羽詰まって人入れても、新人のマネジメントができてないから游兵が生まれちゃって生産性ダウン

人のマネジメントの点においては戦前も現代もあまり変わらん

無題
Name 名無し 17/04/30(日)11:24:12  No.1211978
熟練工の定義よりも工場側が必要な人材を問答無用で引き抜く人事に問題があると思う
現場で認められた職工なら徴兵忌避できるような制度があっても良かったのではないかと
ただそうすると工場の発言権が大きくなって徴兵が上手くいかなくなる恐れがある

無題
Name 名無し 17/04/30(日)14:19:16  No.1211991
>>現代版熟練工
こういう人が普通にそこら辺に居て、自身や知人の選択肢にすらなっていたか、なにそれ?だったかは、社会全体からの協力が得られるか否かに関わってきそうだよね。
記事を読ませてもらうと、わかってる人は頑張ったみたいだけどな…

>>徴兵
制度設計する人の視野と経験量が物を言うんだろうけど。
ただ、福祉政策と一緒で、最初は実情にあっていても利権化したらもうおしまいだから、調査能力や時限立法などの機敏さが要るな。
個性の活用が苦手な(ある意味大半は暮らしやすい)社会だから、難しいかもね。

無題
Name 名無し 17/04/30(日)15:53:28  No.1212002      
1493535208747
>工業力が高ければ高いほどいわゆる職人と呼ばれるような熟練工は必要なくなる


中島飛行機武蔵野製作所所長だった佐久間一郎さんという方がいらっしゃいまして、この方は創業時からの生え抜きの社員で自身も言わば叩き上げの技術者さんだったんですが、戦前の米カーチス・ライト社での実習経験から、航空機大量生産にはメリケン流の流れ作業方式が一番、との結論に達したそうでして、実際戦前から戦中にかけて、中島飛行機の生産体制改善に大きな働きを果して、中島が戦中最多の航空機生産メーカーになるのに貢献されてるんですとか

佐久間さんによると、熟練工は「速成養成」でも数か月を要するのに対し、流れ作業方式では3、4週間で熟練化が可能で、作業目的が明確となる利点がある一方、デメリットとしては単調な単純作業の連続は作業者に倦怠を来し、作業時間も労働者の自由にならない事等が挙げられるんだそうで

無題
Name 名無し 17/04/30(日)15:54:40  No.1212003      
1493535280882
この辺も今でも問題になるような事柄なんですがw従って佐久間さんに言わせれば工作機械の種類も、専門機械あるいは単能機械を使用し、万能機械は作業研究のみに留めるべき、として、徹底的な分業による能率向上を目指す、としておられます

一方で同じ中島飛行機の稲葉清一さんという方が、日米開戦前の1941年3月に発表した「米国に於ける工作機械の傾向」なる論文等によりますと、アメちゃんがこのような単能機械&分業による大量生産方式をとったのは第一次世界大戦時の話で、1930年代以降の米国生産方式はオートメーション化がさらに進んで、工作機械も単一目的かつ多能な工作機械に転換されて、一回の取り付けで複数工程が完了するだけでなく、自動化により一人で数台を操作するものになっていたんですとか

勿論佐久間さんもこうした米国の様子を知らないわけではないんですが、当時の日本国内の実情に合わせて、敢て数十年遅れた方式で行かざるを得ない、という事情もあったようなんですな

無題
Name 名無し 17/04/30(日)15:56:28  No.1212004      
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因みに何度も引用させて頂いてる奥村さんの回想記によれば、

「戦時中、航空機工場を見る機会を得た人はその設備の贅沢さに驚嘆したに違いない。大量生産を要望することに於て航空機工業以上のものはなかったにも拘わらず、冶具はほとんど使用されず、罫引き作業や合せ作業が幅を利かしていた。冶具さえ作れば簡単なボール盤間に合う作業にも一流メーカーの万能ボール盤が使われた。広大な工場建屋の一棟が万能ボール盤でギッシリつまり、林立するコラムで見通しが利かぬという珍風景が不思議ともされなかった」
「その性能に於て米国の一級品に劣らぬと云われた『H精機』のタレット旋盤が、その多能性を殺して単なる突切り作業やペーパー掛け作業に使われていた。鶏を裂くのに牛刀を使っていた」

…そうなんですが、従来の熟練工に頼る方式から単能工の分業体制に切り替えるとしても、今度はそれによって既存設備の活用に問題が生じるとか、ヒトだけでなくヒトと設備のアレンジメント調整、なんて新たな課題に直面することになっちゃう訳で

ある意味貴重な経験だったんでしょうけれど、当時の苦労は並大抵じゃなかったでしょうなあ…

無題
Name 名無し 17/04/30(日)17:21:50  No.1212008
>単能工の分業体制
アメリカはそのことに19世紀の始めには気付いていた。エリー・ホイットニーのマスケット銃量産の話は有名だと思う。それが後の自動車の大量生産に繋がり、軍需生産に転用された。結局、発端は軍需だったんだと思うと、一周して元に戻った、と言うべきなんだろうか?

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1211275.htm

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