無題 Name 名無し 17/04/13(木)06:15:13 No.1209979
日本の真珠湾と言われたトラック泊地
さぞかし激戦があったと思いきや敵中で孤立したまま終戦まで日本軍の拠点として残ったとの事
戦艦武蔵以下の連合艦隊主力30隻以上がいたらしいのですが
これらは米軍の空襲の危険が高まったら日本本土、空母部隊はパラオへ退避してしまったそうです
なんでトラックの戦力を全て後退させなかったのですか?
トラック大空襲―海底写真に見る連合艦隊泊地の悲劇
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無題 Name 名無し 17/04/13(木)22:04:47 No.1210042
ラバウルに台湾にシンガポールと、日本軍が駐留したまま終戦を迎えた重要拠点は幾つもある
支那戦線に至っては、100万の陸軍が優勢なまま終戦を迎えている
制海権を失う事で、有力な部隊が本土決戦のために帰国する事もできず
各地で孤立遊兵化したのも日本の敗因のひとつよ
無題 Name 名無し 17/04/13(木)23:59:29 No.1210058
>制海権を失う事で、有力な部隊が本土決戦のために帰国する事もできず
>各地で孤立遊兵化したのも日本の敗因のひとつよ
末期じゃ食糧不足で口減らしのために逆に大陸に送ってる始末だがね
無題 Name 名無し 17/04/14(金)00:40:16 No.1210062
>支那戦線に至っては、100万の陸軍が優勢なまま終戦を迎えている
終戦時、名前だけとしても存在した陸軍師団のうち
中国戦線には50番以降の師団(例外有り)が存在していましたが
そのうち真面に稼働出来たのは50番台や60番台の一部、104、106、108師団や110師団程度で、後は装備も行き渡らず、定員割れも甚だしかったようです(・w・;
(北京の戦車師団は除く)
無題 Name 名無し 17/04/13(木)20:44:33 No.1210020
まずはトラック空襲でググってから書き込もうか
無題 Name 名無し 17/04/14(金)05:33:27 No.1210067
>>まずはトラック空襲でググってから書き込もうか
ググって書いたんだけど・・・
艦隊主力30隻以上が退避できてるのだから制海権を失ってはいないはずなのに
約50隻の各種の補助艦船はそのままにし
結果、沈没商船の合計は20万総トンで、これは当時の日本の保有船舶の4%
補給された最新の零戦52型100機も戦わずに破壊されたそうです
空襲直前まで料理屋で宴していたとも、書かれていまして
印象としては、戦争を舐めてる深く考えてないって感じなんですけど
無題 Name 名無し 17/04/14(金)16:03:50 No.1210120
基地司令、連合艦隊と根拠地隊、航空隊、護送船団、縦割りで誰が何を仕切ってんだか把握してない。
=本当の危機に対しては、俺達じゃない誰かがちゃんと対策取ってんだろう、と自身の仕事に邁進する。
権限もなしに互いの仕事に口出しするのは、仕事を妨げる行為。
不確実な危機に、立場なしに警戒を唱えるのは、落ち着きが無い行為とみなされる。
311(もしかしたら、後から見た今日かもしれない)と一緒で、冷静バイアスがかかるから尚更。
それでも、誰でも危機感を共有できる様な、空襲が確実に予見できる機材(当時の日本には東京にすらない)があれば…だが、上記の通り、現地からそれを主導できる強力な立場の人が居ない。
当然、最上層が仕事をしないから、そういう事になってるんだけど、平時の能臣がないないづくしの戦争やってりゃあねえ…。
連合艦隊が出ていったのは、行動の自由度が高くて、判断できた人の権限で行動できたからじゃないのかね。
無題 Name 名無し 17/04/14(金)18:08:10 No.1210131
というかトラック空襲は事前に察知してたよね
捕虜から正確な時刻まで聞き出して
無題 Name 名無し 17/04/14(金)18:35:40 No.1210133
大本営参謀だった吉田俊雄海軍中佐さんの手記によると、一応大本営では1943年末頃からもういい加減トラックもヤバイから連合艦隊は同泊地を出てパラオ以西に移動するように、と督促してはいたんだそうで
そして1944年1月7日と2月4日に米偵察機がパラオ上空に現れるに至って、空襲は必至とみて1月末と2月初めの2回に分けて連合艦隊主力をパラオとスマトラのリンガ泊地に移動させてるんですが、コレはすでにストックの乏しいトラックより燃料事情に恵まれた所で訓練させる意図もあったとの事
更に戦史叢書によれば、1月30日には古賀峯一連合艦隊長官により「T作戦警戒」も発動され、トラック諸島は以降連合艦隊主力が離れた後も警戒態勢を取り続けているんですが、逆に実際の来襲(2月17日)のかなり前から警戒態勢を取り続けた事がある意味裏目に出まして、16日に警戒態勢が緩められた際、上層部に限らず少なからぬ将兵さん達が長期の緊張を解きほぐす憂さ晴らしに出かけた、なんて証言が残っちょるそうです
無題 Name 名無し 17/04/14(金)18:38:16 No.1210134
ただトラック空襲の大惨事の後、今度は3月28日早朝にパラオ東750浬に西進する米機動部隊が発見され、中部太平洋艦隊の南雲長官はパラオ方面の厳重警戒を命じるんですが、吉田氏曰く
「パラオにいた福留(連合艦隊)参謀長は、『あわてるな。750浬なら、空襲は30日以後になる』と、港内の第2艦隊(略)タンカー4隻、輸送船21隻はそのままにした」
「29日昼頃、別の索敵機が、同じ機動部隊を意外に近い所で発見、翌30日早朝の空襲は必至と判断された。一大事である」
「連合艦隊司令部はあわてて武蔵を下り、パラオの陸上に移った(略)そんなドサクサのためか、それとも忘れたのか、2艦隊以外の艦艇や船舶の退避命令は出されず、パラオ根拠地隊が強引に退避出出港させた輸送船5隻の船団以外、空襲で全部やられてしまった」
…そうなんですが、吉田氏は内連合艦隊に配属されていたタンカー3隻の被害について
無題 Name 名無し 17/04/14(金)18:38:26 No.1210135
「中でも、このタンカー3隻の沈没が、痛かった。この3隻は、苦心折衝の末ようやく連合艦隊に配属されたばかりの優秀船で、それがパラオに着いた2日目に、3隻とも沈んでしまった。」
「(被害の)電報を見てショックを受けた伊藤軍令部次長が、パラオに飛んできた。そして報告の最後に付け加えた。
『連合艦隊ハ避難ニ関シテハ熱心ナラザルヤウ思ハル』
一ヵ月前の貴重なトラックの教訓があっても、指導部が補給・後方(ロジスティックス)に無関心で、船舶の避難に不熱心だったら、どうしようもない。ただ、われとわが首をしめるだけだ、ということである」
…と痛切に回想されてるんですが、ある意味では一応来襲の早期予報も警戒態勢の実施も行なわれていたトラックで、なぜ結果的に大損害を避け得なかったのか?という事の原因にもつながる部分があるんじゃないでしょかね、コレ
無題 Name 名無し 17/04/14(金)18:53:14 No.1210138
※訂正です
No.1210133で「米偵察機がパラオ上空に現れるに至って」と書いたのは「トラック上空」の間違いです、ゴメンナチャイ
ただ2月4日の偵察機飛来の際なんかは、17日の「本番」と同様の「空襲警報」も発令されてたそうで(夏島にあったトロモン山頂からの発煙筒によるもの)、長い警戒待機の後ですと、16日の第一警戒配備なんかも「またか…」なんて受け流されちゃう空気もあったのかもですなあ
無題 Name 名無し 17/04/14(金)21:51:17 No.1210161
日本はルーチンワークに陥りやすく、それを分析した米軍による奇襲を頻繁に許している。
こういうソフト面でも大きく水を開けられていたんだよなぁ
無題 Name 名無し 17/04/14(金)23:21:36 No.1210176
情報の収集能力や密度は、確度の判断にも関わってくるからなあ。
米軍もハワイでやらかしてるわけだけど。
基地と艦隊と根拠地部隊や輸送隊など、同じ原因で同時に多種の組織が危機に陥ることって、それまでは中々無かったのかもだが。
艦隊の危機への対処に忙殺されて、他の事を誰も考えてなかった事は、運用上の失敗だとしても、その時、どんな組織が基地に居るか、一番知ってそうな基地の指揮官が、基地と在泊部隊の安全に関する明確な権限も情報も直通で得られないって辺りに、構造的問題がありそうな。
情報が集中するのが艦隊の司令部だけだったとするなら、やはり、そういう組織の形に手を入れなかった上層部の失敗だったんじゃないかなあ。
記憶に残ってない程度の読み方しかしてないし、受け取り方の問題だろうけど、優秀な士官さんだったであろう吉田さん本だと、どうしても個人のその場の判断に無念さを感じる事が多い様な。
無題 Name 名無し 17/04/15(土)08:53:21 No.1210205
警戒態勢の緩みってのは、なかったとしても
70機対空母9隻による600機の戦力差ですもん、大同小異の結果だと思いますけどね
実際2月17日の1日で航空隊は壊滅してますし
ただ、進出してくるアメリカ軍の戦力をどう見積もったのか
防衛に失敗した責任を追及する気にはなりませんが
すくなくとも補助艦船と保管しているだけの航空機にたいしては
なんらかの対処をとる必要がありましたよね
基地司令には防衛する責任はあっても、撤退する権限はないんでしょうねぇ
日本の組織の、守勢に回ると弱いってかマイナスの決断が苦手はいつ治るんでしょう?
無題 Name 名無し 17/04/15(土)12:26:25 No.1210225
>日本の組織の、守勢に回ると弱いってかマイナスの決断が苦手はいつ治るんでしょう?
むしろこの手の損切りが上手いか成功した国や組織があったら聞いてみたいわ
無題 Name 名無し 17/04/16(日)06:17:43 No.1210373
>>むしろこの手の損切りが上手いか成功した国や組織があったら聞いてみたいわ
同盟国だったドイツさんも想定と違う所から上陸されたから
やっぱり、どこか孤立して終戦まで残ったと話を聞いたような気がしましたが
調べてる途中で脱線して、違うサイト系を読んじゃったのですが
ノルマンディー上陸後も、日本と同じ制空権を取られヤーボに悩まされ続けながら
相手に損害を与えられるまで拠点で粘り、ダメなら撤退と
よく戦ってるなぁとの印象を受けました、まあ陸と海では勝手が違うかもしれませんけどね
無題 Name 名無し 17/04/15(土)14:26:01 No.1210235
パラオも含めての話になりますが、開戦冒頭のハワイと開戦から丸2年経過、しかも2か月足らずの間に2度もやらかしているトラック・パラオを同列に扱っていいものかどうか
それと武蔵などがいち早く退避しているのに、同じ連合艦隊指揮下にあり、ある意味武蔵以上にかけがえのない明石やタンカーが残置されているのは指揮系統の問題ではないでしょう
無題 Name 名無し 17/04/15(土)16:44:52 No.1210257
海大主席の誰かさんのパラオでの行為は戦犯そのものですね。
「俺らへの指揮権あんの?今更出ていって絶海で死ぬよりは、陸上のほうがまだ生き残る可能性がある。」
と船長、船員が反発したと言うのも、この人の判断の遅れが原因だろうしね。
他にも、叩けば叩くほど埃が出てくる人だし。
余談だけど、パラオで「初めて空襲の恐ろしさを知った。」
と言う司令部の記述をどっかで読んだ記憶があるけど、この人のだったのかなあ。
しかもその人は、日本にありがちな序列人事じゃなくて、山本司令部の生き残りの「最適材」として、古賀さんに請われての就任だった等、そう言った「不運」の方に現実性がありすぎて、泣けてくる所でもありますが…。
米軍「多聞もう死んでるし、山本の跡継ぎなんてもう居ねーからヤッチマイナー。」
人材を育てるのも使うのも組織の最上級の仕事だし…個人の成り立ちの不運や、日本人論で片付けると、ものすごく悲しい結論しか無いような気もするんだけどね。
無題 Name 名無し 17/04/15(土)17:19:01 No.1210260
福留繁参謀長のことか?
別に名前ボカさんでもいいよ
機密書類盗難だけでも充分重罪だし
違うなら訂正頼むよ
無題 Name 名無し 17/04/15(土)23:25:21 No.1210326
>福留繁
戦後、大井篤や千早正隆の批判に直接文句言いに行ったりと、その積極性をなぜ戦中に活かさんかの・・・
無題 Name 名無し 17/04/16(日)05:59:35 No.1210369
>福留繁
自己保身重視の日本型エリート官僚って印象しかない。
暗号漏れてたら全軍に危険が及ぶのにそれを考慮しないで否定続ける態度は高級将校の資質に欠ける
無題 Name 名無し 17/04/16(日)19:06:34 No.1210426
>ただ、進出してくるアメリカ軍の戦力をどう見積もったのか
昭和18年後半のマーシャル・ギルバートなどの諸海空戦で敵空母20隻以上撃沈して機動部隊壊滅させたことになってたから安心しきってたんじゃないの?
無題 Name 名無し 17/04/16(日)19:34:56 No.1210429
>>アメリカ軍の戦力
空襲を受けている間は無線も使えず、指揮も何も出来なくなった。
コレほど手も足も出なくなるものか、初めて思い知った。
みたいな連合艦隊司令部の誰かの言葉があるくらいだから、かなり不利だが水上戦みたいに戦える、位に思ってたんじゃないのかねえ。
無題 Name 名無し 17/04/16(日)21:07:20 No.1210435
山本さんの後任に着任したばかりの古賀峯一連合艦隊司令長官さんが、昭和18年5月8日にトラックに停泊する旗艦「武蔵」艦上で行った訓示によると
「すでに日本海軍の兵力は、対米半量以下に低下した。その上、ラバウル陸上航空戦(『い』号作戦)の結果、決戦兵力の精鋭を多数失い、仮に我が軍の企図する迎撃作戦を行い得たとしても、勝算は著しく低下し、3分の勝ち目もない(略)海軍の作戦に関する限り玉砕戦法を行い、われ斃るるともなおかれに大損害を与え、時を稼ぐ以外に方策はない。結局、戦局打開の道は、他の正面の支作戦は顧みず、ひたすらマーシャル、ギルバートの線を迎撃線とみて、艦隊決戦を企図する事である」
…との事で、古賀長官としては、敵味方の戦力格差は既に絶望的なモノと十分認識した上で、むしろそれ故に東太平洋正面から来襲する米艦隊との決戦に死中に活を見出すしか方策はない、という考えだったんだそうなんですな
無題 Name 名無し 17/04/16(日)21:08:02 No.1210436
もっとも、実際にはこの訓示の僅か4日後には遥か北方のアッツ島に米軍が来襲、古賀さんは急遽「武蔵」以下の連合艦隊を引き連れて内地に急行して、以降アッツ玉砕、キスカ救出作戦と北方への対応が就任後の初仕事になっちゃうんですが、その間に今度は留守にして来た南東方面で、6月30日にソロモン中部のレンドバ島および東部ニューギニアのナッソウに米軍が上陸、南東方面艦隊からの至急の救援要請が届く、といった有様で、古賀さんとしては着任早々東太平洋における艦隊決戦の準備どころか、顧みない筈だった支作戦方面の対応に追われるハメになってしまった、という状況だったんですとか
もっとも、内地に帰投した機会を活かして、司令部要員の編制や軍令部との作戦指導についての打ち合わせ等も行なわれるんですが、そんな中で7月16日に軍令部で古賀連合艦隊司令部の面々を含めた会合の席上、軍令部情報部第5課(アメリカ班)の先任部員実松譲中佐さんより、次のような状況判断が伝えられたんだそうな
無題 Name 名無し 17/04/16(日)21:14:07 No.1210438
「米海軍は今、膨大な艦艇の建造を進めている。主力はエセックス型の空母である。彼らがこの有力な空母部隊を遊ばせておくはずはない(略)大機動部隊群をフルに活用しようとすれば、広い作戦海域が必要で、その他天象地象から考えても、中部太平洋以外に適当な場所はない。かれらは、機動部隊の整備が終わり次第、わが内南洋諸島に対して攻勢を開始するだろう」
…というこの見積もり、古賀長官の当初の目論見とも一致するものだったわけなんですが、実際には軍令部および連合艦隊司令部も、南東方面こそ米軍の主反攻方面と見積もり、その対応第一の方針が決められたんですとか
そして南東方面の戦場にトラックに在泊していた水上艦艇戦力や空母艦上機戦力をつぎ込んだ直後に、中部太平洋のギルバート諸島に米機動部隊が来襲したのが昭和18年11月、というんですから、結局一大決戦の準備どころか、各方面に次々来襲する米軍への対応だけで精一杯だったわけで、こんな中でトラック他の防御体制構築まで気が回ったか、というと…って所もあったんじゃあないでしょかねえ
無題 Name 名無し 17/04/16(日)22:09:16 No.1210443
>空襲を受けている間は無線も使えず、指揮も何も出来なくなった。
>コレほど手も足も出なくなるものか、初めて思い知った。
wikiによると日本側観測で2月17日で9派、18日で12派の艦載機襲来を確認とある
ミッドウェー海戦時の南雲機動部隊ですら、第2派を出すかどうかが後世まで論争になる日本とはやはり格が違う
日本側じゃ空襲といっても自分達がやる側として想定するくらいの1~(多くて)3派程度の認識しかなかったかもしれない
無題 Name 名無し 17/04/17(月)23:00:54 No.1210520
>wikiによると日本側観測で2月17日で9派、18日で12派の艦載機襲来を確認とある
>ミッドウェー海戦時の南雲機動部隊ですら、第2派を出すかどうかが後世まで論争になる日本とはやはり格が違う
米海軍は各任務部隊ごとに編隊を組ませて
五月雨式に進撃させているのをそれぞれ1派2派と数えているので一概に比較はできないよ。
無題 Name 名無し 17/04/17(月)01:07:32 No.1210457
キスカ救出作戦って、上手くいった撤退戦だけど
救出作戦の考案、実行は木村少将に一任されてるわけだし
古賀さんがトラックの補助艦船の退避まで、言及しなきゃ動けない、責任があるとは到底、思えない
米軍の進行が早くて忙しいのは確かだろうが
それが理由にはならない、誰かが自分の範囲でやるべき事を怠ったもしくは、組織的欠陥があって、その判断材料も届かない指示が出来ないという状態な気がするが
無題 Name 名無し 17/04/17(月)16:53:00 No.1210489
長期の現場トップで航空戦争を組み立ててた山本さんが居なくなって、現場の全体像を俯瞰してた人が居なくなって、よく分かんなくなった。
多聞さんを失い、山本さんが頭張ってた航空戦組は上層部の理解者(実践者?)も激減。
古賀さんは内勤、山本さんから引き継いだ幕僚は、ごく普通に、航空戦が分かってない。
そこへ来て、立て直しの暇を与えまいとするかのような米軍の連打。
組織の再編に忙しく、誰が何を担当しているのかはなおさら不明瞭に。かなあ。
>>自分達がやる側として想定するくらい
避難した壕?からは、全体の状況はさっぱりつかめず、連絡設備は即喪失、…と、初撃からタダの避難者状態かな?と言う内容だったような記憶が。
津波に襲われた自治体と同じような状況だったのでは…
確か、数時間の間とあったから、そのまま数波食らったのかも。
味方の状態も整理できてないのに、米海軍の新ドクトリンの破壊力の想定や対応が全く無いまま、ラッシュからアッパーカット食らったという感じですかね。
当事者以外では、これでは大変なことになると思ってた人も居ると思うんだけど、それを拾える組織でもなく。
無題 Name 名無し 17/04/19(水)19:56:04 No.1210694
米戦史家のモリソン=サンに言わせれば、トラック空襲は
「第2次大戦中の最も成功した空母戦の一つ」
…だったそーなんですが、その所以は単に奇襲に成功したというだけでなくて
・(米)空母部隊による相手根拠地に対する急襲戦法を定型化させた。黎明時に、まず戦闘機隊により敵邀撃戦闘機と地上機を攻撃して、敵の反撃力を壊滅させ、次いで日の出後に、雷・爆撃機をもって地上機と地上設備を攻撃、その次に在泊艦船を攻撃する
・空母が戦艦に代わって艦隊の主力の地位に付き、無限の威力を潜在的に持っている事を示した
・雷・爆撃機にレーダーを搭載して、敵在泊艦船に対する夜間攻撃を行った
無題 Name 名無し 17/04/19(水)19:56:38 No.1210695
…という各点で、以後の米機動部隊の襲撃のテンプレの元になる戦訓をもたらしたから、なんだそうで
実際午前5時にトラック上空に殺到してきた米軍の第一波は空母「バンカーヒル」「エンタープライズ」「イントレピッド」「ヨークタウン」「エセックス」の5隻から発進したF6Fのみの戦闘機隊だったそうなんですが、これは空母部隊指揮官ミッチャー少将自らの発案によるもの
また17日深夜というか18日未明、空母「エンタープライズ」より12機のレーダー装備のTBF-1Cが発艦して、レーダーを活用して在泊艦船に夜間低空爆撃を行っているんですが、こっちはハワイでレーダー学校を開設した無線技術者のヘンリー・ルース大尉サンと、「エンタープライズ」爆撃隊員で夜間計器飛行の研究者だったウィリアム・マーチン大尉サンらを中心に、トラック空襲の一年ほど前から研究が行われ、上層部に提案されていた戦法なんですとか
言わばまあ、いよいよ整備された多数の空母と艦上機戦力と、それまでに蓄積された戦訓から導かれた新戦法とが合わさって行なわれた、初めての大規模作戦であったみたいなんですな
無題 Name 名無し 17/04/19(水)19:58:46 No.1210696
因みに米軍の第一波のぐらまん72機に対して発進した日本側戦闘機は204空の31機を主力とした35機、機数で2倍のハンデの上に最初の1機が離陸したのが4時45分という遅れも有って苦戦に陥り、第一回の空戦が終わった時点で204空だけでも31機中約20機と18名を失い、敵が戦闘機のみだった為地上被害は少なかったものの、以後の空戦での日本側の反撃力はほぼ失われてしまうんですよね
仮にこの第1波の戦闘機72機をフンサイして出鼻を挫くとして、必要だった機数を逆に敵の倍の140機とすると、(警報の遅れは置いといて)、40機は実際に島に居た部隊として、もう約100機の戦闘機隊が必要になるわけで
機材はラバウルに補充予定の新品の52型が100機以上あったから何とかなったと強引に仮定して(棒)問題は敵機の邀撃がこなせる練度の搭乗員を100人、トラック防衛の為だけに同島に拘置しておかなければならないんですけれど、先述の様に虎の子の空母艦上機搭乗員まで南東方面に投入していた当時に、(まだ)直接敵機の攻撃に晒されていたわけではないトラックにそれだけの戦力を貼り付けておけたかといいいますと…むむ…
無題 Name 名無し 17/04/19(水)20:33:21 No.1210697
>先述の様に虎の子の空母艦上機搭乗員まで南東方面に投入していた当時に、(まだ)直接敵機の攻撃に晒されていたわけではないトラックにそれだけの戦力を貼り付けておけたかといいいますと…むむ…
しかも「敵が来た。すぐ上がれ」なんてのは即時待機の迎撃機だけで大半は燃料、弾薬の補充や暖機運転などをこなさないと離陸もできない。
さらに100機を超える数での戦闘訓練はやっていないので
ラバウルのように部隊ごとの隊長が各自判断して空戦をしなければならない。
軍ヲタでも機動部隊側のメリットの大きさをあまり理解してない人が多いんだよね。
無題 Name 名無し 17/04/19(水)22:13:52 No.1210704
当初、米軍のマリアナ攻略は10月予定で計画を立てて居たそうなんですが
このトラック空襲やヤルート空襲の結果、米軍の判断は「あれ?意外とこの方面(日本軍の主力航空兵力であるはず)の日本基地航空兵力って意外と弱くない?」って事で四ヶ月も繰り上がった一つの要因になったそうで・・・このあたりは日本軍にとって踏んだり蹴ったり(・w・;;
無題 Name 名無し 17/04/21(金)21:28:45 No.1210860
>ラバウル
トラック島空襲のちょうど一月前の1944年1月17日、ラバウル基地も陸海軍機合計117機の米軍機による攻撃を受けているんですが、この時僚隊の253空と共に邀撃に当たったのがやはり当時はまだラバウルに展開していた204空だったんだそうで
米軍機117機の内戦闘機はP-38/F4U/F6Fが合計70機、日本側は204空が43機、253空が36機の計79機の零戦、とほぼ同程度で、早くから情報を得て離陸し、編隊を組んで待ち受けていた体制の有利さも有って、204空の岩本徹三飛曹長のF4U・4機とP-38・1機、前田英夫飛曹長のP-38・4機と艦爆1機のそれぞれ5機確実撃墜を筆頭に戦果報告が相次ぎ、しかも出撃した全機が帰投しましたので空戦自体は日本側の完勝に終わるんですが、一方米軍の損害実数をみると12機の内10機までが戦闘機で、この犠牲のもとに突入した米艦爆・艦攻隊の攻撃により、ラバウル港内に停泊していた輸送船等4隻、1万7千トン余りが撃沈されてしまったんですとか
空戦で勝利した場合ですらコレですから、トラックの惨状はなおさら、って所なんでしょかね
無題 Name 名無し 17/04/21(金)21:30:23 No.1210861
その後1月末に消耗した204空はトラックに後退して再編成する事になり、その交代として陸揚げされた艦隊航空隊(第2航空戦隊)がトラックから入れ替わりに進出してくるんですが、204空の搭乗員全員が後退した訳ではなく、岩本さんなんかは253空に編入されてそのまま最前線での勤務を続ける事になったんですとか
ただ結果的にはコレが運命の分かれ目で、トラックに後退して3週間も立たない内に米機動部隊が来襲して、先述の前田飛曹長さんなんかは第一波の邀撃に上がっての空戦中、弾薬補給の為一回着陸した際、F6F2機撃墜を報告して、再び飛び上がった後未帰還となってしまったそうな
1月17日の一日5機撃墜の殊勲者の内、最前線に残った方が生き延びて、後退した方が先に戦死する事になっちゃったわけですが、ラバウルに全力を傾注してる最中に横腹に新たな敵(米機動部隊)を迎えることになっちゃった、当時の状況自体を象徴するような話でもあるかもですなあ
無題 Name 名無し 17/04/22(土)06:37:11 No.1210911
同数でもトントンなのにトラックに70機で出撃って事は
新品の52型100機を合算したら倍の戦力なので
アメリカの偵察ですでに戦力じゃなく物資と看破されてたのか
キスカで孤立した6000人より多い
1万5000人がトラックで孤立してるんだけど
全員で逃げたら即刻追撃されて
1月17日が日本海軍の命日になった
トラックは連合艦隊主力を逃がすための囮となったのだ
ってカッコいい解釈は成り立ったりしないのかね
無題 Name 名無し 17/04/22(土)19:19:20 No.1210976
1938年の登録商船隻数
日本 2187隻 500万7000t
米国27155隻1226万8000t
英国17249隻1070万2000t
輸送部隊もちゃんと比率5:5:3にして貰わないと(泣
無題 Name 名無し 17/04/24(月)15:37:06 No.1211165
>米国27155隻1226万8000t
平均500トン以下って小さくね?
無題 Name 名無し 17/04/25(火)14:23:10 No.1211251
>平均500トン以下って小さくね?
大きいのも小さいのも有るでしょう。そして商船はすぐ沈むので5万トン級とかでかいので揃えるのは危険
アメリカのやり方が正しい
無題 Name 名無し 17/04/25(火)17:51:54 No.1211264
>平均500トン以下
船舶登録した商船すべて入れてんのかね
500tの平均という事は500t以下が多数あるという事。
五大湖や河川用の小舟まで計上してんのかも知れない。
無題 Name 名無し 17/04/25(火)21:13:49 No.1211289
五大湖の外輪船だって軍務に就くし
一方では琵琶湖の遊覧船すら敵艦船識別用の資料に掲載していたという凄まじい徹底ぶり
無題 Name 名無し 17/04/25(火)22:27:18 No.1211296
>1938年の登録商船隻数
>日本 2187隻 500万7000t
>米国27155隻1226万8000t
41~45年の日米船舶建造トン数
日本 約300万トン
米国 約3300万トン
国力10倍差は伊達じゃない
無題 Name 名無し 17/04/26(水)14:32:56 No.1211362
>1938年の登録商船隻数
>日本 2187隻 500万7000t
>米国27155隻1226万8000t
同基準の比較ではないっぽいな。
無題 Name 名無し 17/04/26(水)18:43:44 No.1211407
>1938年の登録商船隻数
>日本 2187隻 500万7000t
>米国27155隻1226万8000t
最初は何だ約2,5倍程度か騒ぐほどじゃないな、と思わせておいて開戦して本気出すと一気に10倍以上になるとか1枚も2枚も上手と言うか…
無題 Name 名無し 17/04/23(日)10:09:15 No.1211026
>カッコいい解釈は成り立ったりしないのかね
実際連合艦隊の主力艦艇が居ても制空権のない状態じゃあただの好餌でしたでしょうし、企図してた艦隊決戦の目途も立たず、トラックへの兵站輸送の負担を増やすだけ、となればさっさと退避させちゃおうってのは間違ってはいないんですよね
ただ、トラック空襲の直前までまがりなりにもラバウルが米航空隊の猛攻をしのげてたのはトラック経由の補充があったからなわけですから、南西方面でラバウル基地を維持し続けて、米軍の反攻を防ぐ!という方針が維持されてる限り、艦艇はともかく補充用の機体や錬成航空隊をトラックに置いておくのは重要と言うか不可欠なわけで
また南西のみならず、中部太平洋の陸上防備にかなりの陸軍部隊が各島嶼に展開していましたから、これらの部隊に物資人員の補給を行う輸送船舶を引き上げる、ってのはそこでそのまま枯死してね?と言うのと同義でして
無題 Name 名無し 17/04/23(日)10:12:07 No.1211027
従って連合艦隊主力の退避後も、これらはそのままトラックに残されたのはあながち兵站部隊保全への軽視から、ってだけではないんじゃないかとも思うんですけれど、問題は最前線の維持の為に維持していたトラックと言う根っこそのものがウィークポイントになってしまう事で、その防備戦力まで整備する余力がなかったというなら、遅かれ早かれアメちゃんに其処を衝かれるのは必然だったのかもですな
因みにトラック被災後、3月に行われた現地戦訓調査の調査委員長大森仙太郎海軍少将さんらによる結論は
「大局的に見て、この少ない兵力を以てあの大攻撃に対処するには、誰が作戦指導をしても大同小異の指導であろう」
…というものだったそうで
ある意味当然と言えば当然な結論なんですが、そう言っちゃうともうその後の日米戦自体の経過全てに当てはまっちゃう訳ですからねえ…
無題 Name 名無し 17/04/24(月)17:57:02 No.1211167
>>「大局的に見て、この少ない兵力を以てあの大攻撃に対処するには、誰が作戦指導をしても大同小異の指導であろう」
>>ある意味当然と言えば当然な結論なんですが、そう言っちゃうともうその後の日米戦自体の経過全てに当てはまっちゃう訳ですからねえ…
悲しいかな、まさにその通りであって、まことに正しい言葉であったと言わざるを得ない。
対米戦はまさしく日本のトラウマであって、多くを悔い、そして学ぶしかないだろう。
無題 Name 名無し 17/04/23(日)12:58:18 No.1211048
場所忘れたけど迎撃戦に
「指揮する士官いないから待て」
で地上で撃滅させられちゃたりしたよな
ホント後期の日本軍て最悪だよな
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1209979.htm
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コメント
それ以前に日本は米に対し攻撃し続ける
国力がなかったからどうやっても勝てなかったんだよね。
ガダルカナル攻防もそんな感じか
時機をみて航空決戦とか戦力育成を待ってとか一応言ってるけど、陽動に全部引っかかって主戦力引きずり出されていいように消耗させられて
大局的な戦略眼てのがまるっきり感じられない
日清日露の頃からみられる日本の際限なき攻勢思想だな
とった後に守る事を考えていない
とった寸土を守る為、さらに隣接する地に攻勢を繰り返す悪循環
自身の戦力をわきまえず戦力を過大に越えた領域を得たところでそれを守れって無理
この南洋艦隊の規模とその担当戦域の広大さとかね
そら各個撃破されます
一旦引いて敵戦力を優位な場所に誘引、陽動しつつ戦力集中で弱いところを各個撃破するゲリラ戦術的な発想とか他国では見られたのに
国力戦力が劣るのに正面決戦ばかり構想しててそらあまりに賭博的でないの
アメリカとの戦争が賭博といえば賭博だけどさ、日露戦争時も国力差はそれくらいあったで
敵に攻勢の主導権を取られて、敵さんが地図を広げて「さあ、どこに攻め込もうかな」てな状況になれば、我が方は予想外の地点を攻撃されると、慌てふためいて増援を送るしかない。そしてそれは大抵悪しき「兵力の逐次投入」になってしまう…。
ある意味日本の宿命ですな。かといってベトナム戦争の北越のようにするかといえば、それもちょっと…。
そりゃ兵隊さんも休暇中くらい宴会したいだろうし、休暇と敵の空襲のタイミングが重なったくらいでなぜ文句言われなきゃならんのかと
敵と当たればいいけど空振りならただの燃料の無駄やね
日本は常に攻め続けなければならなかったのに、南太平洋海戦でパイロットと艦載機が壊滅状態。結果くう
南太平洋海戦でパイロットと艦載機が壊滅状態。結果、稼働空母数で圧倒的に勝るのにそのアドバンテージを生かせなかった。米軍相手に「守り」に入ってしまったのがね…
まあ、艦載機が足りないのは艦載機が紙装甲だからであり、紙装甲なのはエンジン技術と資源が足りないからであり、結局国力で負けてますね…パイロット育成システムも米軍は優れていた
まあここの人達にはこんなの基本知識でしかないでしょうが…
航空兵は宴会でなく休暇
服部卓四郎wと瀬島龍三wがやってきてその歓迎で幹部が宴会で、下の者もって話
すでに威力偵察などがありトラック空襲が予想される中での警戒態勢中であり、戦争舐めてんの?って感じだけどなー
先の大戦でよく見られたが、日本人によくある正常性バイアスってのが働いてんのかね
短兵急に敵戦力の殲滅を狙ったのは海軍の戦略であったけど、陸軍は長期持久戦略で
敵戦力を殲滅して早期講和の考えもわかるが、いたずらに戦域を拡大するのがそれに直結するのかってーとどうなの?て気がするが
まあ早期講和するにも三国同盟で単独講和も禁じられてるし、日清日露のように勝ち戦で講和に持ち込めるほどの人物がいたかとか、政治態勢であったかとか、仲介してくれる国や国際情勢であったかというと違ってたが
それで無視されたけど、内地の陸軍は要塞化したけど敵は米軍じゃなくて病気。
インフラは大事やね。
まあいたずらに戦線を拡大〜ってのはその通りですね
そもそも論ですが、例え米国本土に上陸するほど優勢だったとしてもアメリカは降伏or講話しなかったでしょうね…何をどうやっても勝てないという
仏印進駐で関係がああなった以上、日本から手出さなくてもあちらから始める可能性が多いにあったし、それならばやられる前にやっちまえって事だったんだろうけど
真珠湾をやらずに、南洋の拠点をどこか叩いて洋上で米軍叩いた方がもっと時間稼げたかもしれないね。
そのため日本海軍が戦前考えていた各航空基地の攻撃隊で敵艦隊を削るという戦略は、敵側であるアメリカにそこまでのリスクを負う理由が無く勢力境界線での押し合いになった
これが本スレでも言われてる日本軍が思ったよりも弱いからマリアナ攻略が4ヶ月早まったというところに繋がる
敵が待ち構えてるのをわかってて真正面から殴り込む馬鹿はいないということ
1時間単位で物事が動く陸戦と違って、日単位で行動しそれでいて勝負じたいは数時間で終ってしまう事もよくある海・空戦では敵を引き摺り込んで叩くというのは極めて難しい
海軍もそうだけど陸軍も戦力の浪費激しいなオイ
かといって後知恵でどうこう言ってもしょうがない
攻撃側は攻撃地点も時間も好きに決められる
日本が攻勢をやめた時点で主導権はアメリカにある
守勢でも有利な態勢を形成して迎撃すればいいんで、攻勢一辺倒の思考ってのはな
いずれ攻勢の限界点を超えるのは明らか、その弊害はもう紀元前から言われてる事だよなー
引き込んで戦ったのなら冬戦争でもバトルオブブリテンでも、ガダルカナル攻防ソロモン攻防なんてアメリカに引きこまれて(勝手に突っ込んで行ったとも言う)大消耗したんであって
ギルバートもそうだね
遊撃戦力としての空母機動戦力を、地上運用ですり減らして運用できなくなったのもなー
しかしその機動戦力も弱いとこを衝くのではなく、相手主力と決戦思考ってのは短絡過ぎないか
戦力が劣るなら陽動分散させて弱いとこから各個撃破がセオリーだと思うけどな
決戦自体は悪くないでしょ。MOの時点でもうちょい戦力集めて、敵空母だけに狙いを絞れば補給線だって叩けたわけだし
まあ何したって敗戦が数か月動くだけだろうけど
その日本軍が守勢で有利な体勢にあるところへはアメリカは自分が優勢を取れるまで攻め込まないようにしていたんだけどねー
強いとわかってる状態の相手に策も無しに戦いを挑みはしない、アメリカには日本に無理攻めする理由は無いし
一方が考えうる最善を尽くしても相手がそれを上回る力を持っていれば敗けてしまうんだよね
>すでに威力偵察などがありトラック空襲が予想される中での警戒態勢中であり、戦争舐めてんの?って感じだけどなー
緊張の連続で精神が摩耗してたんじゃないかな?
日本軍は将兵を前線に張り付けたままで(米軍の様に)定期的に後方での休暇を与えることは無かったから。
そういや「まりんこゆみ」に現代の自衛隊も(海兵隊との)合同演習中でさえも通常業務から解放されない為、幹部は演習期間中ほとんど徹夜だと言う描写があったけど、もしもこれが事実なら70年前から休養を軽視する姿勢は変わっていないのかと不安になる。
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