無題 Name 名無し 17/03/25(土)08:08:20  No.453763

ハセガワ 1/48 川崎 キ45改 二式複座戦闘機屠龍 丙/丁型“本土防空戦
三菱や中島ほど人気はないけど、それなりに個性がある。
そんな川崎の機体が好きな人集まれ! '`ィ(´∀`∩
 
ちなみに川崎って液冷式が好きなのに、どうして二式複戦などの双発戦闘機はみんな空冷式を採用したのだろうね?(´・ω・`)
空戦 飛燕対グラマン―戦闘機操縦十年の記録 (光人社NF文庫)
田形 竹尾
光人社
売り上げランキング: 137,644

無題
Name 名無し 17/03/25(土)08:08:43  No.453764      
あと三式戦の「ハ40」はDB601のラ国品なのに、モーターカノンを採用しなかったのはなぜだろう?(´・ω・`)
DB601を積んでるのにモーターカノンを積まないなんて勿体ない。
三式戦のプロペラ軸内に20mm、30mm、37mmと空想すると…。

無題
Name 名無し 17/03/25(土)08:51:55  No.453765
三式戦闘機のエンジンは倒立式、それにより同軸銃は組み込み出来ない。
BF109みたいな正立V型エンジンなら間に可能、欠点としてギアにより推進軸を上げなくてはならない、94式だったか上げない正立エンジンは下すぎてプロペラを拡大できにくかった。

倒立エンジンはシリンダーパッキンの精密及び耐久性がないと上部の潤滑油が漏れてしまう、飛燕の稼働率が低かったのは想像に難くない。

無題
Name 名無し 17/03/25(土)10:25:30  No.453769      
http://may.2chan.net/39/src/1490405130233.jpg
>>BF109みたいな正立V型エンジン


あの、それはちょっと勉強不足以前の問題では

それはともかく俺が一番好きな飛行機はやはりこれ
去年の10月は念願かなって至福の時でした

無題
Name 名無し 17/03/25(土)21:11:35  No.453814
プロペラ同軸機銃についてマジレスすると、ハ40/140はプロペラをハミルトン・ハイドロマチック仕様に変更しているので、プロペラ軸は油圧回路として使われているから、機銃弾を通せない。DB601はVDMプロペラ仕様なのでプロペラ軸が中空。もっとも、プロペラ同軸機銃はドイツもBF109Fでやっと実用化しているので、何か技術的な問題点があって解決にてこずったのではなかろうか?

無題
Name 名無し 17/03/25(土)21:16:22  No.453815
弾をクランクシャフトの中を通すために同調機構が複雑化したのでは…

無題
Name 名無し 17/03/25(土)21:27:10  No.453818
>弾をクランクシャフトの中を通すために同調機構が複雑化したのでは…

そもそも同調機構要らないんじゃないの?
あとクランクシャフトの中じゃなくてV型のシリンダーブロックの間を通してる

無題
Name 名無し 17/03/25(土)21:46:03  No.453823
正立だろうが倒立だろうが減速機介してんだから
同軸機銃は装備できるよ
クランクシャフトにプロペラ直付けとか思ったの?

無題
Name 名無し 17/03/25(土)22:00:39  No.453825
正立V型エンジン搭載で同軸機銃装備、というとフランス機とソ連機がそうだな。どちらもイスパノスイザ・エンジンだが。そういえばロールスロイス・マーリンやグリフォン搭載機は同軸機銃を装備していないな。

無題
Name 名無し 17/03/26(日)17:28:11  No.453917
>>ロールスロイス・マーリンやグリフォン搭載機は同軸機銃を装備していないな。

過給機のレイアウト上、機関砲を置くスペースが無かったからではないかと。
しかし、過給機の性能向上の余力があり、高高度性能を大幅に上げることができた訳です。

Bf109はモーターカノン(軸内機関砲)装備の都合、過給機のレイアウトに無理が生じ大戦後半の性能向上競争に付いていけなくなった気がします。

無題
Name 名無し 17/03/25(土)21:28:30  No.453820
三式戦飛燕はすごい好きだけど五式戦は頭が重くて嫌い、でも三式戦の直系だし、うーん

無題
Name 名無し 17/03/26(日)07:49:44  No.453856
>DB601を積んでるのにモーターカノンを積まないなんて勿体ない。
Bf109Eに積んでいないのに三式戦に?
>五式戦は頭が重くて嫌い
逆だろ 空冷にして軽くなった

無題
Name 名無し 17/03/25(土)22:46:27  No.453828
主翼を厚めにして搭載するのとモーターカノンとどっちが良いんだろうか
空冷だとモーターカノンできないから前者しかないけど

無題
Name 名無し 17/03/25(土)22:47:02  No.453829
同軸機銃で大口径を一丁乗せるより、多銃主義的な方向が正解だったのかなー

無題
Name 名無し 17/03/26(日)08:36:15  No.453859
五式戦は空冷エンジンに換装したことで、冷却器が不用になり、自重が200kg程度軽くなっている。重量4000kg程度の機体で5%の軽量化は大きく、上昇力は3式戦より良くなっている。最高速は抗力が増えたので低下したが、実戦ではむしろ上昇力(加速力)が良くなったことが喜ばれた。機体の頑丈さは相変わらずなので、急降下でP-51を追尾出来たと檜与平少佐の回想録にある。

無題
Name 名無し 17/03/26(日)09:15:29  No.453864
>冷却器が不用になり、自重が200kg程度軽くなって
冷却システムとバラストのトータルじゃね?
ちと重すぎる気がしないでもない

無題
Name 名無し 17/03/26(日)13:35:43  No.453897
>冷却システムとバラストのトータルじゃね?
胴体後部のバラストと「モロコミ」の重さだね。
ラジエーター関連だけで200kgもあったら、液冷式エンジンを載せようと思う設計者がいなかっただろう。

無題
Name 名無し 17/03/26(日)13:37:03  No.453898
>三式戦闘機のエンジンは倒立式、それにより同軸銃は組み込み出来ない。
>BF109みたいな正立V型エンジンなら間に可能、
川崎の「ハ40」はDB601の純粋なライセンス品だったので、両方とも構造は倒立式V型のはずだよ。
 
DB601は当時の液冷式エンジンの中でも性能がトップクラスだったけど、構造の複雑さや工作の難しさもトップクラスで、当時のドイツの工作技術がオーパーツレベルだったから高品質を保てたのであって、当時の日本の稚拙な工作技術や冶金技術では製造には無理があったね。
例え性能がワンランク下でももう少し製造が容易なエンジンを選択していれば、日本陸軍でも液冷式エンジンの戦闘機が活躍していた可能性が多少はあったかも知れないね。
もっとも液冷式エンジンはシャフトが長大になるので、その時点で当時の日本にはアウトだったかも知れない。
信頼性の高いラジエーターも作るのが難しかったみたいだし…。

無題
Name 名無し 17/03/26(日)17:34:28  No.453918
>>例え性能がワンランク下でももう少し製造が容易なエンジンを選択していれば、

DB601Aエンジンは構造が複雑ではありますが、故に低オクタンのガソリンで高性能を発揮できた面もあるかと。
87オクタンのガソリンで問題なく1100馬力を出せた訳で、ハイオクでも92オクタンでしかない日本の場合、むしろDB601Aだったからこそ運用できた面があるのではないかと思います。

ただ、個人的にはDB601系列では無く、ユモ210系だったらもっと面白かったかな?、と妄想してます。
DB601系列は、クランクケースとシリンダーブロックの固定方法に無理があり、高回転化し難かった。
この点、ユモ210系は手堅い方法だったので高回転化・高出力化が出来、大戦後半に活躍できた面があると思いますから。

Name 名無し 17/03/26(日)19:05:36  No.453925      
1490522736165
>DB601は当時の日本の稚拙な工作技術や冶金技術では製造には無理があったね。


そうでもない。
海軍のアツタはハ40のようなクランクシャフトのトラブルに悩まされることはなかったし、メーカーに整備兵を送り、専門教育を受けさせた著名な芙蓉部隊では空冷機と遜色ない稼動率を誇っていた。

結局、彗星の低稼働率の原因は馴染みのない液冷機整備側の教育不足だったわけで。

無題
Name 名無し 17/03/26(日)19:20:56  No.453926
>海軍のアツタはハ40のようなクランクシャフトのトラブルに悩まされることはなかったし
それは愛知が生産性の差を見越して限界を下げたことによりますけど
結局は限られた生産数の艦爆の彗星にも供給量が追い付かなくて換装してるんだから結局ですやんって結果に

無題
Name 名無し 17/03/26(日)19:52:47  No.453931
>結局は限られた生産数の艦爆の彗星にも供給量が追い付かなくて換装してるんだから

艦爆としてほそぼそと少数生産するつもりが、大量生産しろといわれて問題が起きない方が珍しいのだが・・・

無題
Name 名無し 17/03/29(水)01:13:13  No.454117
>艦爆としてほそぼそと少数生産するつもりが、大量生産しろといわれて問題が起きない方が珍しいのだが

そのつもりだったなら基地航艦は陸攻だけで頑張るつもりだったんかいな。さすがに無理があると思うが。
そもそも量産に向いた機種なんか日本の戦闘機爆撃機であったのかっていう話もあるがな。

無題
Name 名無し 17/03/26(日)19:34:59  No.453927
Jumo210については、当時川崎の発動機部門の技術者だった林貞介さんの手記では、「DB601は日本での生産に適さず、ユモに切り替えよ、と意見具申したが、軍部ではやはり新奇構造が興味を引いたようで、ダイムラーベンツに決まった」とあり、トップダウンで決まってしまったみたいです。ただ、「意見具申が効いたのか、Jumo210を2基参考品として購入し、私がその世話に当たった」ともあり、一応Jumoも輸入されて、一通りの試験や分解調査は行われた模様。

無題
Name 名無し 17/03/26(日)20:00:59  No.453935      
渡辺洋二センセイの本だと、複戦(キ45改)の開発前に企画されたキ38双発戦闘機なんかは液冷のハ9を2基装備するデザインだったみたいで
ただキ45の開発時には陸軍側から空冷のハ20を使ってね☆と最初から指定されてたそうでして
、要はもうチューンナップを繰り返してきたハ9系列の性能向上が限界に来てた上、信頼性にも問題が出て来ていたからなんですとか
ただココで川崎の発動機部門が空冷系列に切りかえようとしても、もう中島と三菱ってライバルメーカーに大分先行されてるわけですからねえ

因みに三式戦開発の為に輸入されたDBエンジンには軸内砲対応のVDMペラも付いてきたそうなんですが、先述されてる方の指摘通りハミルトン式ペラの採用が予定されていたためモーターカノンは無しになったそうです
でもこの時点で仮にVDM&モーターカノン案を採用しても、それに見合う20~30ミリクラスの機関砲って当時の日本陸軍航空隊にはまだ無いんじゃあ…

無題
Name 名無し 17/03/26(日)20:05:50  No.453937      
>芙蓉部隊

同部隊の指揮官だった美濃部正さんが、「彗星」について自伝で語られてる所によりますと

「彗星1-P(液冷型)は、250キロ爆装(略)米敵戦闘機に劣らぬ高速機。これをGF爆撃隊が拒否したのは構造複雑、取り扱い微妙で飛行経験浅い若いパイロットでは事故が多発し、殺人機として敬遠されたからだ」
「私がこの難物を受け入れたのは、月光の生産中止と、敵の弾幕突破には高速軽快が不可欠であったからである。平時ならばGF意見が当然。性能低下しても信頼性の高い、空冷エンジン型が至当である。しかし夜戦隊にとって特攻か正常攻撃の岐路にあって敢えて死突命令を出すよりも、少々の犠牲は覚悟の1-P(液冷)型彗星を選んだのであった」
「この為、有為の若者多数事故死させたことは今も心が痛む」

…との事で、液冷「彗星」が主機材だったのは実際のところ不満ではあったそうです
ただまあ、それでも使いこなして戦果を上げたのはやはり評価されるべき所とは思いますケドねえ

無題
Name 名無し 17/03/26(日)23:02:37  No.453978
>海軍のアツタはハ40のようなクランクシャフトのトラブルに悩まされることはなかったし、
>メーカーに整備兵を送り、専門教育を受けさせた著名な芙蓉部隊では空冷機と遜色ない稼動率を誇っていた。

いやぁこの辺は陸海どっちも同じよ。陸軍より最初はマシだったとは言えアツタもニッケル不足でクランクシャフトの強度がイマイチだったのは変わらない
集中運用で整備性を上げたってのは部品の集積で良品を選出出来るからで同じようなことは陸軍でも244戦でやってる

無題
Name 名無し 17/03/26(日)23:22:55  No.453984
>アツタもニッケル不足でクランクシャフトの強度がイマイチだったのは変わらない

初耳なのでソースをどうぞ。
クランクシャフトの折損がアツタもハ40同様にあったと?

無題
Name 名無し 17/03/27(月)10:05:45  No.454012
>初耳なのでソースをどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%84%E3%82%BF_(%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3)
だな
wikiだからちと胡散臭いが全く嘘じゃないから

無題
Name 名無し 17/03/26(日)23:49:33  No.453986
芙蓉部隊はあちこちに散らばっていた液冷に習熟した整備士を引き抜いてきて稼働率を着実に上げていったそうだが
人の使い方の問題もあったんだろうね

無題
Name 名無し 17/03/27(月)01:14:13  No.453994
それと芙蓉隊はパイロットにもエンジン構造等の講義を頻繁に行って乗機への理解を深めていたとか

無題
Name 名無し 17/03/27(月)12:38:13  No.454019
Wikiとそれほど変わらないかも知れませんが世界の傑作機No.69「彗星」の号では
クランクシャフトの損壊については殆ど触れられていない反面、アツタ21型の整備上の問題点として
・右シリンダ側の点火栓汚損
・混合比不良による振動
・同、爆音不調
・搭乗員操作管制機器の不良
(701空整備士の青梅中尉の手記による)
上記が挙げられていますね(・w・

アツタ32型にも触れられていまして、これもクランクシャフトの損壊については触れられていませんが

無題
Name 名無し 17/03/27(月)12:38:35  No.454020
・右シリンダ側の点火栓汚損は相変わらず
・振動・爆音は21型より良好
・冷却機器の容量不足による水温上昇
・油温上昇
・ブースト計の振れ
・燃圧計の振れ
・回転不足
以上が挙げられています(・w・

無題
Name 名無し 17/03/27(月)12:52:48  No.454021
ただ、「クランクシャフトの強度」の話は号数は失念しましたが航空機用発動機に限らず
開戦後及び戦前の九七式中戦車や車輌のクランクシャフトの損壊の話が雑誌「丸」で何回か出ていた記憶もありますので当時の日本製発動機全てに当てはまる事では無かったのではないでしょうか(・w・

無題
Name 名無し 17/03/27(月)17:06:54  No.454034
クランクシャフトの問題は、熱処理不足と大端ベアリングの精度不良だったようですね。
当時の日本ではまだ製造技術がドイツに追い付いてなかったようです。

無題
Name 名無し 17/03/27(月)18:06:23  No.454038
>熱処理不足と大端ベアリングの精度不良
原因特定できたんだ?

無題
Name 名無し 17/03/27(月)19:45:15  No.454053
>クランクシャフトの問題は
愛知航空機研究家の渡辺哲国氏の話ではアツタ21型の不良の件は全く触れていないのですが
アツタ32型生産の立ち上がりが遅かった「一部」原因として私説としながらも
(一般的にはローラー軸受けを使っているクランクシャフトピン軸部の剥離不具合説とされているが・・・と前置きの上)
「出力向上によるクランクシャフトピン軸部の剥離及びローラーのピッチング」
「材料がニッケルクローム鋼からシリコンマンガンクローム鋼に変わった事により焼き入れ性が悪化(浸炭部3㎜の確保が出来ず焼き割れの発生)」
「軸部研削割れの発生(上記材質変更及びクランクシャフト機械加工上の問題)」
の、問題があったとしていますね(・w・

無題
Name 名無し 17/03/28(火)00:36:03  No.454079
>陸軍より最初はマシだったとは言えアツタもニッケル不足でクランクシャフトの強度がイマイチだったのは変わらない

こんな書き方をするから
さぞアツタでもクランクシャフトに爆弾でもかかえていた新史料でも出たかと思えば、ただの難癖じゃないか。

無題
Name 名無し 17/03/29(水)06:51:15  No.454122
彗星って問題はエンジンにしかなかったん?
なんか電動装置とか色々新機軸なギミックあったみたいだけど空冷にしたら稼働率低下を抑えられたのなら
エンジン以外の取扱はまあまあなんとかなっていた?

無題
Name 名無し 17/03/29(水)14:13:52  No.454132
>問題はエンジンにしかなかったん?
可動部のカバーとか全体的に試験機の名残を持ってて愛知が泣いた程だったから
零戦もそうだが「艦上機だから少量生産」が念頭にあったみたいね

無題
Name 名無し 17/03/29(水)18:06:36  No.454136
空技廠は量産設計に慣れていないうえに、設計主務者は象牙の塔に籠る学者だったので、変に考えすぎて過剰品質な(コスト度外視の)設計だったらしい。彗星の場合、愛知で設計変更した部分は数百か所に上ったそうだ。例えば、軸の接合箇所に彗星では自在継手を使っていたそうだが、戦後、日本でオーバーホールされていたT-34メンターが同様の部分にスプリングジョイントを使い、2、3箇所の押さえで済ませているのを見て、山名さんは「開いた口が塞がらなかった」と語ったとか。

無題
Name 名無し 17/04/01(土)00:27:35  No.454252      
1490974055706
二式複戦のエースと言えば樫出勇の活躍が有名だけど、こういう人にはもっと高性能な機体に乗せてあげたかった。
弘法は筆を選ばずとは言うけれど…。

無題
Name 名無し 17/04/03(月)01:02:34  No.454388
>こういう人にはもっと高性能な機体に乗せてあげたかった。

普通にキ96を量産すればよかったんだよw

無題
Name 名無し 17/04/03(月)05:47:39  No.454395      
http://may.2chan.net/39/src/1491166059942.jpg
>こういう人にはもっと高性能な機体に乗せてあげたかった。


制式化されなかったけど200機以上造って実戦も経験してるんやで

双発戦闘機の開発に失敗して
たった1機の天雷がたった1回しか出撃できなかった(しかも会敵せず)海軍に比べれば・・・

無題
Name 名無し 17/04/03(月)21:02:04  No.454422      
1491220924751
戦時中ドイツに滞在していた佐貫亦男さんの回想記に、1941~43年頃に、ベルリンの日本陸軍駐在武官室で、DBエンジン用のクランクシャフトを出来るだけ多数購入して潜水艦で送れ!という要請が来ている話を聞いて、この期に及んで未だ加工に手擦ってるとは?と耳を疑った、なんてエピソードが有りましたですな
その後佐貫さんは、陸軍の命でDBエンジンの組立工場及び下請け部品工場も見に行くんですが、どうしてドイツさんは日本で出来ない大量生産を易々と成し遂げてるのか?と言えば、結局下請け会社にまでちゃんとした鍛造プレス機や研磨盤といった工作機械や検査機器が揃っていて、それを活用した一貫した生産ラインがちゃんと出来ているからという、いわば当たり前の事をやってるからであった、というのが佐貫さんの結論だったんだそうで

逆に言えばそうした体制のない日本でDBエンジンの生産に支障を来すのは当然で、

「日本は戦争に負けるべくして負けたのである」

…とバッサリ斬り捨ててらっしゃったり

無題
Name 名無し 17/04/03(月)21:02:43  No.454423      
1491220963591
因みにスレ内で先に名前の出てます、DBよりユモの採用を主張した川崎航空機の林貞助技師さん曰く

「DB601の特徴であるコンロッド大端部のローラーベアリング(略)のローラーの角の部分を顕微鏡写真に撮って国産のとくらべてみると、ドイツのは自動研磨盤か何かでやったらしく、角は綺麗に丸くなっていたが、日本のは女子工員が手作業で研磨をやっていたので、角が立っていた。しかも、その立ち方が一個ごとに違っていた。これではベアリングに荷重がかかった時、荷重のかかり方が一様でないから、きつく当たった所の金属結晶が破壊されて、故障の原因になることが分かった」

…なんて事もあったそうで

ライセンス生産を完全にこなそうとするなら、要は模倣先の工業生産環境そのものまで再現しないと結局は行き詰まるって事なのかもですが、そう考えるともう川崎とか愛知一社でどうこう出来るレベルの話じゃなくなっちゃいますよねえ…

無題
Name 名無し 17/04/03(月)23:57:07  No.454456 
液冷式レシプロエンジンの製造でさえ、このような苦戦ぶりだったんだから
もう少し戦争が長引いて、ジェット戦闘機が主力になるような状況になってたら
ターボジェット・エンジンの製造で益々苦労するハメになったんでしょうね…。

無題
Name 名無し 17/04/05(水)18:23:52  No.454575      
1491384232360
>ジェット・エンジンの製造で益々苦労する


戦中空技廠で日本初のジェットエンジンの開発・実用化に当たった永野治海軍技術中佐さん曰く

「アツタではDBに倣って多列ローラ軸受を用いたが、ローラの精度を保持することがなかなか難しく、ローラの破損とクランクピンのピッティングがしばしば起こって悩んだ」

「過給機扇車軸受も回転が20000rpm以上にも達するのでなかなか難しく、初期には球およびコロ軸受が一般に用いられたが故障が多く、高性能星形エンジンではライト社の設計を模してケルメットの平軸受が多く用いられた。一般に球及びコロ軸受の国産品は故障が多く、其の精度保持に関係者の不断の苦心がはらわれた」

無題
Name 名無し 17/04/05(水)18:24:07  No.454576      
1491384247745
「日本では高速で高推力に耐える深溝型の球軸受が普及していなかったので設計上不便があった。鹵獲アメリカエンジンのプロペラ推力軸受に内輪二つ割りの深溝型が使ってあり、1939年に輸入したユモ207の排気タービン軸受にも外輪二つ割りの深溝型が使ってあって、いずれも小型に収まっているのを見て我々は羨望したものである。此のことはジェットエンジンの設計には重大な問題で、終戦直前のネ20タービンジェット試作に際して惨憺たる苦心を払わねばならぬ結果となった」

「軸受の生命を左右する潤滑油は1937年頃からは主としてアメリカ製テキサコの120番を用い、終戦当時迄主として輸入ストックに頼っていた」

…んだそうで

ヒコーキはあるゆる工業分野の製品の集大成ですから、色々な国の優秀品と縁が深いわけですが、戦時にその繋がりが切れるとエライ目にあう(あった)わけで、結局良い兵器開発の為には平和が一番!ってことなんでしょかねえ…w

無題
Name 名無し 17/04/05(水)19:51:29  No.454586
>ターボジェット・エンジンの製造で益々苦労するハメになったんでしょうね…。
部品点数も少ないし摺動面は軸だけなんだが
耐熱材が入手できんからすぐ寿命だろね

無題
Name 名無し 17/04/05(水)20:29:37  No.454588
耐熱性が高く、強度が高く、粘り強い
そんな代物は加工する側にとっては大変だから

無題
Name 名無し 17/04/06(木)00:45:51  No.454599
>「受の生命を左右する潤滑油は1937年頃からは主としてアメリカ製テキサコの120番を用い、
>終戦当時迄主として輸入ストックに頼っていた」
こりゃ驚いた!  ∑(´Д`;)ガガーン
こんな状態でよくアメリカと戦争しようと思ったもんだ…。

無題
Name 名無し 17/04/06(木)19:44:47  No.454641 
潤滑油だけじゃなく、真空管も開戦前に輸入したRCAやGEの製品を使って無線機や電探を作っていた訳でして・・・。

無題
Name 名無し 17/04/06(木)21:27:02  No.454652      
1491481622264
日米開戦直前の1941年3月に、「東京航空計器株式会社(現在も自衛隊機の装備製造を請け負ってる所ですね)」で入隊前に勤務されていた佐々木晃陸軍少尉さんの回想によると、同社の上司さんに

「この会社は軍需会社だ。しかし、現在この会社で作っている航空機の計器に使っているボール・ベアリングは、すべて米国製だ。日本軍が上海に上陸した時、米国から蒋介石政府に送られた工作機械とボール・ベアリングはすぐ手に入れた。優れた工作機械は、三菱重工業とわが社で分けた。ボール・ベアリングは、わが社ですぐ使っている。残念ながら、日本にはこれほど精密な製品はまだできない。だから米国製のもののストックがあるうちはよいが、それを使いきってしまったら、あとの補給のめどが立たない」

…と説明を受けたそうでして、仮に対米戦になれば、工業基盤の弱い日本は先ず航空機生産の分野で劣勢に立たされるだろう、とも聞かされたんだそうで

無題
Name 名無し 17/04/06(木)21:29:15  No.454653      
ただまあ、技術後進国が貪欲に先進国からの導入に努めて自国水準を高めようとするのは当時の世界中どこでも変わらない風潮であって、似たようなお話は色々あるわけでして

例えば川崎航空機の発展を支えたのは独BMWから導入した液冷エンジンだったわけですけれど、同系列のエンジンはソ連でもライセンス生産されて、航空機および戦車に塔載されたんだそうで

そして日独ソの関係は日独防共協定から独ソ不可侵条約、三国同盟、日ソ中立条約、独ソ開戦、日ソ開戦…と目まぐるしく友好と敵対の間を行き来するわけですから、従ってノモンハン事件の頃なんかは日本の川崎製95式戦やソ連のTB-3重爆、BT-7快速戦車なんかが大元は同じベンベのエンジンを積んで対峙する、なんて事になっていたり

技術に国境はないとはいいますが、ある意味ではドイツさんの弟子同士の同門対決でもあったって事なんですかねえ…w

無題
Name 名無し 17/04/07(金)03:27:31  No.454693
五式中戦車も同じエンジンだっけ

無題
Name 名無し 17/04/07(金)08:02:36  No.454699
マウスもBMWエンジンを2基積んでたな。旧式化、もしくは航空機用としては不適格判定されたエンジンを戦車に流用するのは世界的な傾向だったのかも?M3スチュアートの星型空冷ディーゼルエンジンとかもそうだし。

無題
Name 名無し 17/04/07(金)09:31:37  No.454703
>戦車に流用するのは世界的な傾向
しかしリバティエンジン
お前はダメだ

無題
Name 名無し 17/04/08(土)00:51:11  No.454742
ある本に書いてあったんだけど直列エンジンの最終テストのときに水入れ忘れて焼き付いて量産は栄に持っていかれたとか・・
本当なのかな??

無題
Name 名無し 17/04/08(土)02:18:27  No.454743      
1491585507460
91式/95式重戦車のエンジンもBMW製の液冷航空機用エンジンだったりするんですよね
しかもやっぱりライセンス生産に当たったのが川崎さんトコという

因みに川崎製で個人的に好きな軍用機で87式重爆と言うのがありまして、やっぱりBMWのエンジンを串型双発に装備したこの機体、戦間期の設計らしく各空中勤務者さん達の座席はほぼ吹きっ晒しで、冬季の飛行中には冷気が骨身に堪えたそうなんですが、唯一、両エンジンの間に挟まれる形の機関士席だけはそんな時でも暖かく、夏服で勤務できたそうですw

ただ、同席への交通は機体表面設置の梯子のみでしたから、昇降中悪気流に煽られて投げ出された機関士さんが後部プロペラに巻き込まれて…なんて痛ましい事故も発生した事もあったんですとか

無題
Name 名無し 17/04/08(土)02:19:36  No.454744      
1491585576630
ただそれでも全金属製単葉、日本陸軍にとっては輸入機でない初の国産重爆で、製作を命じられた川崎造船(当時まだ航空機部門も独立してなかったそうで)にとってはその後陸軍御用達の航空機メーカーとして大成するきっかけの一つであったりするんだそうなんですが、実際の所エンジンのみならず、まだ機体設計自体も独側に依存せざるを得なかったのが実情だったんだそうで

ただこの時来日したリヒャルト・フォークト=サンら独設計者さんらの下に就いて、航空設計の何たるかを懸命に学んだのが後に川崎のエース設計者になる土井武夫さんらで、その後経験を積んで遂には完全な独自設計の機体を送り出してくんですよね

そう思ってみるとこのスタイルもなかなか感慨深く見えてくるんですが、一方機体自体に比してエンジンについては、結局日本独自のモノまで達する前に時間切れしちゃった感も有りますですのう

無題
Name 名無し 17/04/08(土)07:39:22  No.454750     
http://may.2chan.net/39/src/1491604762411.jpg
>87式重爆と言うのがありまして、やっぱりBMWのエンジンを
串型双発に装備したこの機体
もしやと思ったらやっぱりドルニエ社の設計だったんですね。
Do.Jからシースターまで続いた同社の飛行艇のスタイルはユニークで格好良いですね。
Do335のユニークすぎる機体形式も、飛行艇のエンジン配置から発想したのかな?と考えると、納得できるものがあります。
そんなドルニエ社も今はもうなくなってしまったんですよね。
残念というか、勿体ないというか…。

無題
Name 名無し 17/04/08(土)07:41:14  No.454751      
1491604874410
>リヒャルト・フォークト

自由すぎる飛行機設計者のフォークト博士の弟子にしては土井武夫さんは常識的な設計者になりましたね。
フォークト博士、日本滞在中は猫をかぶっていたのかな?

無題
Name 名無し 17/04/08(土)10:57:00  No.454753
>土井武夫さんは常識的な設計者になりましたね
というより合理的(悪く言えば手抜き)な設計者かとキ45の改造にキ48の主翼持ってきたり
YS-11試作機も上反角改造に板挟んだり

無題
Name 名無し 17/04/08(土)23:15:18  No.454777      
>夏服で勤務

これで思い出したんですが、シベリア出兵の時、分捕ったロシア軍機をブイブイ飛ばしていた四宮清さんという方がおられました。
でも上空は死ぬほど寒いので操縦席にエンジン排気を回して暖をとるようにしてもらった処、一酸化炭素中毒で本当に死にかけたとか。

無題
Name 名無し 17/04/08(土)23:45:26  No.454778      
1491662726063
>Do335のユニークすぎる機体形式も、飛行艇のエンジン配置
から発想したのかな?と考えると、納得できるものがあります。
実際その通りで独機研究家の国江隆夫氏もDo335の話の中でDo14や18のタンデムエンジン配置を踏まえた上でDo335の延長軸で後部のエンジンを廻す方式への進化を語っています(・w・
これってドルニエの特許(1937年8月特許取得)なんですよね
またほぼ同時期(航空省のDo335の開発指示は1942年)の1937年にはDo335の雛形とも言うべきP59-4と言う試験機を計画していましたし
並み居るメーカーを押しのけてDo335が選ばれたのも推して知るべしという所でしょうか(・w・

無題
Name 名無し 17/04/09(日)14:24:28  No.454822      
1491715468954
土井さんによればフォークト=サンの指導は厳しく、修正で真黒になった図面を突き返されては

「畜生、いつか殺してやr(嘘)」

…と意気込む毎日だったそうなんですが、その後フォークト氏が帰国して、陸軍からの制式機受注も一時期途絶えて、航空機部門は機体/発動機部門とも三菱機の転換生産でしのぐ、という苦境に陥った時に川崎の技術陣を支えたのも

「我々には、フォークト=センセイから受け継いだ技術がある!」

…という想いだったそうですw

無題
Name 名無し 17/04/09(日)14:27:14  No.454823      
1491715634108
因みにフォークト=サンが帰国した翌年の昭和9(1934)年の「アサヒカメラ」6月号に、今のキャノンの前身である精機光学研究所の広告が掲載されているんですが、

「潜水艦は伊号、飛行機は92式、カメラはKWANON、皆世界一」

という謳い文句の内、92式はフォークトさんの置き土産の川崎製92式戦闘機の事なんですが、その発動機はやっぱりお馴染みのBMWの液冷エンジン
伊号潜水艦も元はと言えばそのルーツはWW1後に海軍の依頼を受けた川崎造船所社長の松方幸次郎社長が、ドイツで計画されていた巡洋潜水艦U142の設計を元に、ゲルマニア社から招聘したテッヘル博士らの協力で大正15年に完成させたイ1であって、その機関も独MAN社製だったりするんですよね

奇しくもカワサキが海と空で当時の日本が世界水準に達する立役者になった!って事みたいなんですが、その内情にあった独技術者の協力・技術導入の経緯も、両方で似かよってたみたいですねえ

無題
Name 名無し 17/04/09(日)23:03:47  No.454842
>KWANON
昔から【Canon】じゃなかったんだ! Σ( ̄ロ ̄lll)
父の代からカメラはCanonばかり買ってたのに知らなかった!

無題
Name 名無し 17/04/11(火)10:58:34  No.454943      
>昔から【Canon】じゃなかったんだ! Σ( ̄ロ ̄lll)
大元は精機光学研究所、そしてカメラのブランド名が社名へと

http://takayama78.jp/buy/6944.html

無題
Name 名無し 17/04/09(日)23:33:31  No.454843
未だキヤノンをキャノンって言う人がいるのに驚いたw

無題
Name 名無し 17/04/10(月)02:46:33  No.454856
キヤノンと書いてキャノンと読む定期
CM見たことないんかな?キャノンと発音しとるやんな

無題
Name 名無し 17/04/12(水)06:23:48  No.454978
そう言えば今はなきカメラメーカーの【ブロニカ】の以前の社名は、創業者の吉野善三郎(よしの・ぜんざぶろう)の名前から取った【ゼンザブロニカ】だったそうな。
他にも企業名などの意外な由来とかあるかな?

無題
Name 名無し 17/04/12(水)11:34:33  No.454999
そもそも「言う」なら発音だからキャノンで合ってるよな


キューピーと書くとキユーピーだ
富士フィルムと書くと富士フイルムだ
オンキョーと書くとオンキヨーだ
・・・

枝葉末節の最たる例だねぇ

無題
Name 名無し 17/04/10(月)09:17:10  No.454878
「KWANON」の日本語表記は「観音」で、仏の名前から取ったもの。「キヤノン」のブランドは「カンノン」が訛ったもので、輸出に際して欧米人が発音しやすいように変えたという説もある。アルファベット表記の「CANON」は、大砲の「CANNON」との混同を避けるための措置。カタカナ表記の「キヤノン」も同様。

無題
Name 名無し 17/04/10(月)16:57:52  No.454894
これは結構前のオーディオビジュアル関連雑誌(名称失念)に書いてたんですが
Canonの「日本語表記」は「キヤノン」で「発音」は「キャノン」だそうです(・w・
経緯も書いてた気がするのですが、そこまで覚えてませんでした・・・
ただ、確かCanonの開発部らしいかたのインタビューでしたので
これで間違い無いのではないのかと(・w・;

無題
Name 名無し 17/04/10(月)18:36:43  No.454900      
1491817003066
キ…キャノンでググってもキヤノンのサイトがトップに来るし…(震え声

ドイツ技術の恩恵は機体設計指導や発動機のみに留まらず、例えば昭和6~7年頃に土井さんがドイツに派遣されていた際、ドイツ国立航空試験所(DVL)で日本から送ったジェラルミン製の主翼桁の荷重試験を行ってもらっていたそうで

また、92式戦の量産機のプロペラにはドイツ・シュワルツ式の被包式プロペラが採用されており、土井さんもベルリン郊外のシュワルツ工場で製法を実習されたそうなんですが、曰く

「材料はタンネ(樅科に属する)を使用していたので、日本でも樅を使用する事にしたが、樅は日本では主として棺桶の材料であったから、プロペラ関係者は気持ち悪がっていた」

…なんて余話もあったんですとかw

無題
Name 名無し 17/04/10(月)18:38:34  No.454901      
因みにこのドイツ滞在の際、土井さんのもとに、当時ダイムラーベンツ社で試作が進んでいたB600系統のエンジンの試運転が行われるので見に来ないか?というお誘いがあったそうなんですが、前述のようにすでに川崎はBMWと深い関係に在りましたので、立場上遠慮した、なんてエピソードもあったそうです

仮にこの時、新型のDBエンジンがどんなものか、具に土井さんが知る事になっていたら、若しかしたら後年の「飛燕」開発時に何らかの影響を与えていたかも知れませんですが、土井さんもあくまで機体設計者であって、しかも当時はまだ見習い卒業一歩手前…ってところですから
仮にこの時見学に行ったぐらいの事では、後の苦労を回避するのはやっぱり難しかったかもですなあ

無題
Name 名無し 17/04/11(火)12:38:20  No.454948
クリスマスツリーって棺桶の木だったのか…
サンタ最低だな

無題
Name 名無し 17/04/11(火)22:02:29  No.454957
>クリスマスツリーって棺桶の木だったのか…
ヒノキやキリも使ってるからなぁ・・・
まあモミが棺桶専門で使われたとか
いわく因縁でもないと怪しいなぁ

無題
Name 名無し 17/04/12(水)21:50:12  No.455027      
1492001412045
ドイツ語でタンネンベルク(樅の山)というとありふれた地名だそうで、それこそ向こうでは日本の杉の木並に身近な木だったみたいなんですが、戦前東プロシアにあった「タンネンベルク(現ポーランド領『ステンバルク』)」はWW1中、ドイツとロシアの大軍が激突した地点でありまして、ヒンデンブルク、ルーデンドルフ両将の指導よろしきを得た独側が、約十三万対五十万という劣勢ながら逆にロシア側を包囲殲滅するという快挙を成し遂げた場所として有名だったんですとか

従って独逸贔屓の日本陸軍では、欧州に留学・派遣された若手将校さんなんかが是非立ち寄って見学したいと願う、いわば殲滅戦思想の聖地詣でみたいな事が流行っていたそうなんですがw
技術的な面とはまた別の、当時の日本のドイツ指向の一面を示す話のような気もしますですね

無題
Name 名無し 17/04/12(水)21:51:05  No.455028      
1492001465742
余談ながら愛知航空機で昭和11年から99式艦爆の設計を手掛けた尾崎紀男さんによると、

「当時、愛知航空機は独逸の有名なダイムラー・ベンツ液冷発動機の技術導入をし、かつ日本での製作権をもち、液冷一本で進んでいた会社であった。従って会社の上層部としては、自社のダイムラー・ベンツ発動機を、試作艦爆機に搭載しようと考えたのは当然の事である」

「艦爆の生命と言うべき視界の点では、液冷式は問題なく優位であるが、性能の点では不安が出て来た。不安というのは、当時、生産に入ることが出来るダイムラー・ベンツ発動機(DB600ですかしら)では性能的に不利で、これの馬力向上を計画し、試作に入っているもの(DB601?)では、他社の空冷より多少優位という結論が出た」

無題
Name 名無し 17/04/12(水)21:51:29  No.455029      
1492001489220
「そこで、私の上司である五明得一郎課長に相談したところ、その場で『他社の空冷は確実な性能であり、それに比べて当社の液冷の性能は試作段階のものである。機体そのものが試作であるのに、これに搭載する発動機も試作に近いものであっては、とても短期間に本機(99艦爆)を完成することは無理だ。下手をすれば発動機と心中しかねないことになる。会社の重役には自分からよく説明するから、安心して他社の空冷式ですすめよ』と指示されてほっとした」

…なんて事があったそうです

この数年後には自社のDBエンジン(アツタ)を積んだ「彗星」を製作することとなって、結局最終的には「アツタ」を99艦爆と同じ金星系列の空冷エンジンに換装するハメになった経緯を思うと、この課長さんの見識はやっぱり大したものだったのかもですな

…でもDBエンジン搭載型99艦爆とか、見た目はちょっとカッコいいんじゃないんでしょか…w

引用元: http://may.2chan.net/39/res/453763.htm

B29撃墜記 (光人社NF文庫)
光人社 (2013-08-02)
売り上げランキング: 50,314