無題 Name 名無し 17/02/23(木)07:09:15  No.1205663

ハセガワ 1/72 飛行機シリーズ 日本陸軍 九九式襲撃機&九九式双発軽爆撃機 鉾田飛行学校 プラモデル 02211

キ48こと九九式双発軽爆撃機ですが
運用していたわが日本軍側では故障も少なく使いやすいと運用面でとても好評でしたが
反対に連合国側では操縦席と燃料タンクなどが一点に集中していてたやすく落とせるカモという評価で敵味方で評価が全然違っていて面白い機体ですね
そんな日本陸軍爆撃機(襲撃機、攻撃機も)スレなんてどうでしょう

無題
Name 名無し 17/02/23(木)16:39:52  No.1205675      
http://cgi.2chan.net/f/src/1487835592639.jpg
キ48Ⅱは、TAIC(米海軍航空技術諜報部作成文書)の1944年12月版では比較的評価は高かったようで
「リリイ2(キ48Ⅱ)は重装甲でパイロットだけでなく射手を後方から守る防弾鋼板を装備している」との文章と共に、その配置図まで掲載してたりします(・w・
また丙型の武装強化も早々に情報として掴んでいて「12.7㎜機銃を含む武装強化が実施されている」と警報じみた文章も・・・

無題
Name 名無し 17/02/23(木)17:48:38  No.1205679
よく調べて友軍に有益な情報流してて偉いな米軍

無題
Name 名無し 17/02/24(金)20:01:50  No.1205737      
>評価が全然違っていて
99双軽装備だった飛行第8戦隊の空中勤務者だった方の手記で、

「ライターといわれた我々の機(双軽)は、7.7ミリ機銃1発でも、もろくも発火することがあった」

…なんて記述がありまして、これまたどっかで読んだ愛称?だなあ、なんて思った記憶があるんですが、この辺、この方が乗ってらしたのが防弾・防火装備の十分でない初期型だったのか、装備があっても当時の日本側乗員さん達には信頼されてなかったのか、実際敵の銃火の前に効果が不充分だったのか、それによって受け取る意味がまた変わってきちゃいますよねえ

因みにこの方、1944年12月7日に、B-29部隊への補給基地だったインドのミドナポール飛行場爆撃を命じられたそうなんですが、発進基地から目標まで往復で1800キロを、実戦での航続距離1600キロ程度の双軽でこなせ、という困難なミッションだったんだそうな

無題
Name 名無し 17/02/24(金)20:03:35  No.1205738      
1487934215811
この為胴体内に臨時の200リットル入りの燃料タンクが増設された他、防御機銃も全て降ろして丸腰での夜間侵攻を已む無くされたそうなんですが、この際せめてもの敵機への防御手段として「紙爆弾」なるものが支給されたんだそうで

「紙爆弾と言うのか、紙手榴弾と言うのか、正確な名称はだれも教えてはくれなかった。なにかの爆薬がつまっているらしい紙のダンゴ(赤ん坊の頭ぐらいで真黒に塗ってあったとか)には15センチほどのヒモが付いていた。このヒモを指先にくるくるっとまいて、手榴弾の様に敵機に投げつけろ、と言われて持ってきたのだが、その威力については教えてもくれなかったし、聞いてもこなかった」

…そうなんですが、ともあれいやに頼りない軽さのコレを積んで夜間、インド上空へ低空侵入していかれたんだとか

無題
Name 名無し 17/02/24(金)20:05:14  No.1205739      
1487934314488
途中で夜間戦闘機の追尾を受けたものの、幸い「紙爆弾」を投げる機会もないまま、敵地奥深くに達した所で、まず爆弾と一緒に積んできた宣伝ビラの投下を始めたそうなんですが、夜空に舞う見事な紙吹雪に見とれていた所、いきなり反転離脱する敵機の姿が視界に飛び込んできたんだそうで

一瞬ヒヤリとしたものの、一発も撃たずに反転する姿に疑問を抱いたそうなんですが、やがて思いついたのがどうやら敵さん、大量の宣伝ビラを空対空の得体のしれない兵器と勘違いしているんじゃないか?という推論でして、思いがけない「新兵器」の効果に大いに勇気づけられ、機上で大笑いしたそうですw
その実際の効果はともかく、とにかく飛行場奇襲にも成功して無事帰還できたそうなので、神ならぬカミ様の霊験あらたか…と言った所なんですが、結局「紙爆弾」の方は実際の威力は分からずじまいで終わってるんですよね

一体、どういう効果と言うか威力の代物だったんでしょかね…?

無題
Name 名無し 17/02/24(金)20:44:54  No.1205741
>そんな日本陸軍爆撃機(襲撃機、攻撃機も)スレなんてどうでしょう
旧軍の中でも一番人気の無いジャンルにあえて挑むとは

スレ画は同世代の機体にA-20ハヴォックやJu-88がいるという時点でどうしてこうなったというか
もっとやりようは無かったのかと言う気分になる

無題
Name 名無し 17/02/24(金)21:29:02  No.1205743
陸軍の要求仕様だから仕方ないんだけどね。結局、日・英・仏は第一次大戦の戦訓に縛られて、戦争のやり方が変わってしまうことを予想できなかったと。キ48は陸軍の審査官曰く「何も言う事はない」と満点評価を貰った優秀機なんだけどね。

無題
Name 名無し 17/02/24(金)21:52:35  No.1205748      
アドミラル 7223 1/72 三菱 キ-30 九七式軽爆撃機 <南方戦線>
上海事変などで活躍した九七軽爆も最後には特攻機として投入されたみたい

九九軽爆も漢口かどっかを爆撃して不時着したB-29の攻撃に向かったらしいね
そこでタイム誌のライターがちょうど見に来てたんだけど飛来した日本軍機に攻撃されて燃え尽きるB-29を唖然として眺めたとか

無題
Name 名無し 17/02/24(金)22:18:10  No.1205749      
1487942290472
>>陸軍襲撃機スレ


某掲示板の軍板でも、何故か襲撃機の話は論争の種になりづらく面白かったですね
資料が少ないのか、それとも戦闘機と違ってガチンコ対決でなく縁の下の力持ち的ポジションで、性能への認識が多少異なっても気にならないからか…

無題
Name 名無し 17/02/24(金)22:22:53  No.1205751
スレ画は早い段階で爆撃機失格の烙印を押されて哨戒や夜間襲撃などに転用されるべき機体だった
比較的似通った性能のハンドレーペイジ・ハンプテンのように

ハンプテンは大戦半ばには生産終了したが日本にはこれの後継になりそうな機体がなく結局生産継続というのも悲惨だった
要求性能が実際の戦争に適合してないのは仕方なかったとしても引退の時を見誤ったのが厳しい

無題
Name 名無し 17/02/24(金)22:35:17  No.1205753 
99双軽の寸法の7掛けだか8掛けで設計したのが屠龍だ、という設計者の話が印象に残っている。

無題
Name 名無し 17/02/24(金)23:09:10  No.1205754
キ96を量産してキ45改やキ48の後継にすればよかったのにね

無題
Name 名無し 17/02/24(金)23:39:42  No.1205761
>キ96を量産してキ45改やキ48の後継にすればよかったのにね
性能面でスレ画の後継が求められたころ(43年ころ)に登場可能な機体は海軍の銀河だった
川崎に生産できたかどうかは分からないがカタログ上の数値ではスレ画を圧倒してる

当時の生産現場的に、画期的高性能機に切り替えるより
機械的信頼性の高い二流機の小改良に留めた陸軍の判断は堅実だったとは思うけども

無題
Name 名無し 17/02/24(金)23:14:06  No.1205756
キ45は井町さんがやった機体が結局ダメで、後任の土井さんはキ48をベースに再設計した方が早い、ってことで作ったのが制式化されたキ45改で、「改」とは名ばかりで完全に別機なんだよね。

無題
Name 名無し 17/02/25(土)00:00:37  No.1205764
>「改」とは名ばかりで完全に別機なんだよね。
開発許可を貰うためには、いつの時代、どこの国でも同じことをやるよね。
完全に別機だったりほとんど別機だったり。
・Tu-22とTu-22M
・Su-27の原型機、T-10-1とT-10-7
・YF-17とF/A-18AとF/A-18E
・ハリアーとハリアーII
・F-16CとF-2A
・AH-1とAH-1Z
他にも何かあったかな?(´・ω・`)?

無題
Name 名無し 17/02/25(土)04:33:50  No.1205785
F-86とF-86D

無題
Name 名無し 17/02/25(土)09:08:27  No.1205793
F-86Dは最初、90番台の機種番号が振られていたけれど、調達予算の計上とか政治的な理由で86シリーズに組み込まれたという話が世傑に載っていたな。まあ、確かに主翼は86からの流用なんだが。あ、そういえばF-5EとF-5G、ってのもあったな。さすがに変わり過ぎたのと、セールス上F-5系だと売りにくいってことですぐにF-20と改名されたけど、結局売れず、試作機も3機中2機が失われるという・・・

無題
Name 名無し 17/02/25(土)09:29:12  No.1205794
>F-86Dは最初、90番台の機種番号が振られていたけれど
たしかYF-95Aだったかと…

F-15もE系はフレームの60%設計し直したらしいから別物と言っても良いのか…?

無題
Name 名無し 17/02/25(土)20:27:50  No.1205843
>F-15もE系はフレームの60%設計し直したらしいから別物と言っても良いのか…?
E系はフレーム強化して重くなった分旋回半径でかくなって
F-15シリーズの中では格闘戦向きじゃないとか

>F-86Dは最初、90番台の機種番号が振られていたけれど
>たしかYF-95Aだったかと…
同じくF-80の全天候迎撃機版はF-94として制式化されてるので迎撃機は優遇されてるんだよね
核戦争の恐怖があった50年代だし

無題
Name 名無し 17/02/25(土)09:53:39  No.1205799
モンキーモデルのMiG-23BNもレーダー取っ払われて機首の形もほぼMiG-27になってるな
J-8IとJ-8IIって見た目は結構違うけど別機と言えるかどうかよくわからん

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Name 名無し 17/02/25(土)11:18:56  No.1205803
敵に航空戦力がほとんど無かった中国戦線ならともかく
苛烈な太平洋戦線に持ってくるには力不足過ぎた
夜間作戦でもない限り使い道なし
そもそも軽爆というジャンル自体WW2中期以降は完全にオワコン
はい終了

無題
Name 名無し 17/02/25(土)15:34:16  No.1205818
朝鮮でもベトナムでも中東でもCOIN機は活躍したんだから大国の正規軍には全く役に立たないから無用ってのは極論では?

無題
Name 名無し 17/02/25(土)16:25:56  No.1205821     
>キ48
元々対ソ戦で敵基地や前線近くで、それらに対し前線野戦基地からリレー爆撃を想定してた機体です(独ソ戦での独軍機みたいな感じ)
太平洋戦線での想定外の使われ方だと仕方が無いのかも(;w;

無題
Name 名無し 17/02/25(土)17:55:21  No.1205828
洋上航法も怪しく通常爆弾の準備もないとか
大陸が陸軍の主眼とはいえ海の護りを海軍に投げすぎじゃないか?

無題
Name 名無し 17/02/25(土)18:29:54  No.1205832      
1488014994557
航空技術研究所所員として日米開戦に99双軽のテストに携わった竹下福寿陸軍中佐さん曰く

「軽爆は重爆の弟の様な物であるため、防御力を増やせば重爆と似通った設計となって機動性が損なわれ、また地上での作戦協力の為、軽やかな運動性を求めれば、逆に防御武装はお粗末な物となる(略)日本の軽爆撃機の設計はいつもこの重爆撃機の様な物と、偵察機的なものとの両方を兼ね備えていた」

「このような不徹底さは、おのずと急降下爆撃のための照準器をはじめ、装備、武器の発達を妨げる結果になった、と私は思う。戦闘襲撃機ともいうべき急降下爆撃機の出現―それは長い間の私の念願であった」

無題
Name 名無し 17/02/25(土)18:31:03  No.1205833      
1488015063711
「私がまず担当したのは、99式双軽(略)、次いで試作急降下爆撃機キ66(川崎製)であった。しかし、99双軽の次の時代を担うべきキ66は、急降下性能はよかったが、全般的には予想したほどの性能が出なかった。その上、前に述べたように軽爆撃機の思想の不統一から起った問題もあり、製作をとりやめることになった。この為、99双軽は昭和19年10月までに延べ2000機の生産が続けられ、大東亜戦争の殆ど全てにわたり善戦悪闘(略)担当者としては、このような使われ方には甚だ耐えられない次第であった」

「戦局は、日増しに日本軍にとって不利となり(略)私はこれまで飛行機の機種ばかりが徒に多く、あらゆる部門に非能率な結果を産んでいることを考えて、同機の軍首脳部参謀などにある提案をしていた」

無題
Name 名無し 17/02/25(土)18:31:26  No.1205834      
「即ち、航空機の主戦力を戦闘機、重爆撃機、司令部偵察機におき、軽爆を始め他の機種はなるべく戦闘機で代わりをするようにと話したのだが、なかなかそれを実現してくれるまではいかなかった。しかし、ようやく終戦の前になってキ102戦闘襲撃機が姿を変えて軽爆撃機として使われ出し」

…たそうなんですが、そんな竹下さんが自身の念願だった戦闘襲撃機に当たるもの、としているのが、昭和20年に計画されたキ119だったんだそうで

99双軽と同じ川崎担当で設計者も同じ土井武夫さんのこの機体、4式重爆「飛龍」のエンジンを積む単発単座機で、スパルタンなフォルムがなかなかカッチョイイんですけれど、何となく愛嬌すら感じられるような双軽から、ラ○ザップ並に贅肉をそぎ落したようなその姿を見ると、ある意味大戦で直面した戦訓の厳しさの程が、感じられる気もしますですなあ

無題
Name 名無し 17/02/25(土)22:14:20  No.1205852
>(独ソ戦での独軍機みたいな感じ)

ドイツ機と比べると爆弾搭載量がずいぶんと少ない(Ju88の6分の1、Bf110の2分の1)ので効率が悪い気がしますが、これは問題とされなかったんでしょうか

無題
Name 名無し 17/02/25(土)23:00:05  No.1205865
>ドイツ機と比べると爆弾搭載量がずいぶんと少ない
まあ確かに全体としてみれば少ないですよね(・w・

但し空くまでも軽爆撃機でしたし同じ使用前提の重爆撃機(九七式重爆撃機)も有りましたので
どちらかと言えば単発軽爆撃機の延長線上で開発されたものでは無いのかなっと
搭載量の少なさは回数でこなす・・・って感じですね

無題
Name 名無し 17/02/25(土)22:40:47  No.1205856
日本軍の爆撃機って航空撃滅戦指向が強いから、軽くて嵩張る焼夷弾とか小型爆弾前提だからカタログスペック上はしょぼくなってしまうそうな
そりゃぁ機体規模に比べて搭載量が少ないってことは、その分が何処かに費やされているって考えるべきだわな

無題
Name 名無し 17/02/28(火)10:11:42  No.1206075
>>ドイツ機と比べると爆弾搭載量がずいぶんと少ない
減った分は航続距離とかに回されてるんじゃなかった?
基本島国だし海から攻めるしかないしね

無題
Name 名無し 17/02/28(火)23:24:21  No.1206157
>減った分は航続距離とかに回されてるんじゃなかった?

Ju88と比べると
九九式双発軽爆撃機が2400km
Ju88が2430km
でほぼ同じですね

無題
Name 名無し 17/03/01(水)02:52:18  No.1206168      
1488304338672
Ju88と比べてる人は双発とはいえ、機体規模が全然違うのを理解しないと
キ48
全長 12.88 m全幅 17.47 m全高 4.32 m翼面積 40.0 ㎡自重 4,550 kg

Ju88A-4
全長 14.36 m全幅 20.08 m全高 5.07 m翼面積 54.7 ㎡自重 9,860kg

銀河
全長 15.00 m全幅 20.00 m全高 5.30 m翼面積 55.0 ㎡自重 7,265kg

キ67
全長 18.70 m全幅 22.50 m全高 5.60 m翼面積 65.0 ㎡自重 8,649kg

無題
Name 名無し 17/03/01(水)07:54:43  No.1206178
>Ju88と比べてる人は双発とはいえ、機体規模が全然違うのを理解しないと
しょーがないじゃん。(´・ω・`)
ドイツにちょうど同じ大きさの爆撃機がなかったんだから。
大きさと運用方法が似てればいいじゃないか。
しかし爆撃機以外ならBf110がスペックが近いな。
やはりこのサイズだと戦闘爆撃機として開発したほうがよかっただろうな。
 
キ48-II
全長 12.88 m 全幅 17.47 m 全高 4.32 m 翼面積 40.0 ㎡ 自重 4,550 kg
 
Bf110C-4
全長 12.07 m 全幅 16.27 m 全高 3.49m 翼面積 38.4 ㎡ 自重 5,090 kg
 
Pe-2
全長 12.66 m 全幅 17.16 m 全高 3.42 m 翼面積 40.5 ㎡ 自重 5,875 kg

無題
Name 名無し 17/03/01(水)22:27:34  No.1206232      
1488374854424
>やはりこのサイズだと戦闘爆撃機として開発したほうがよかっただろうな。


そもそもの開発動機が「ソ連のSBええやん!うちも欲しい!」だから
航空技術の進歩で戦闘機が大型化してくると
双発戦闘機→夜間しか使えないから昼間は爆撃機や雷撃機の代わりで搭載量の小さい小型双発爆撃機はいらない子に・・・

機体規模だとSB、Pe-2、月光、ボーファイターあたりがほぼ同じ

無題
Name 名無し 17/03/03(金)08:57:23  No.1206305
>やはりこのサイズだと戦闘爆撃機として開発したほうがよかっただろうな。
この辺の機体の大きさを見てスカイレーダーのサイズを知ると笑う
なに単発なのにあのデカさ

無題
Name 名無し 17/03/03(金)19:05:05  No.1206329
>なに単発なのにあのデカさ
零戦もデビュー当初は「艦攻みたいな大きさ」って言われたんだぜ

無題
Name 名無し 17/03/03(金)00:00:52  No.1206289
>機体規模が全然違うのを理解しないと

当時の日本では使えるエンジンや飛行場設営能力の制約からこれ以上のサイズの機体は現実的でなかったということなら致し方ないですね

無題
Name 名無し 17/02/26(日)00:21:01  No.1205869
>日本軍の爆撃機って航空撃滅戦指向が強いから、軽くて嵩張る焼夷弾とか小型爆弾前提だからカタログスペック上はしょぼくなってしまうそうな

もしかして250kg爆弾や500kg爆弾は積めない小型爆弾専用機だったのでしょうか

無題
Name 名無し 17/02/26(日)11:20:46  No.1205894
>もしかして250kg爆弾や500kg爆弾は積めない小型爆弾専用機だったのでしょうか
スレ画の九九双軽でいえば、最大400で100×4、50×8、15×24だったようです。
同時期?の九七重爆だと500×2、250×4からとなるので、確かに小型爆弾専用といってもおかしくはないかもしれませんね。
ただ……地上の航空機を撃破するのが前提の航空撃滅戦に限れば100キロどころか15キロでも十分だったのではないでしょうか。
そもそも、大重量の爆弾を積んでも、日本陸軍の仮想戦場満ソ国境で狙うべき標的があったのでしょうか?
大都市がひしめき合う欧州と違って戦略爆撃の対象となる都市の少ない満州で運用するのが前提である限りは、日本陸軍が英国空軍のように大重量の爆弾搭載量を優先して要求することはあり得なかったとおもいます。

無題
Name 名無し 17/02/25(土)23:03:34  No.1205866
短距離行ならスツーカの1800kg爆弾みたいにオプションあってもよかったのにな
特攻でのさくら弾飛龍や80番三座水偵みたいにやろうと思えばやったあたり無茶は効くんだろうけど
離陸滑走距離や路面状態にショボい野戦飛行場を想定して慎重を期したかケチったか

無題
Name 名無し 17/02/26(日)00:51:28  No.1205870
九九双軽爆は「飛行機」としてはよくできていると思うけど、「爆撃機」としては色々と物足りない機体だと思う。
爆撃機が生き残るために有効な、頑丈さや防弾性能、防御火器、速度性能のどれかが突出しているわけでもなく、肝心の爆弾搭載量についても戦闘機レベル。
航続距離以外のすべての性能が中途半端で、実戦に耐えられる水準ではない。
機体寸法、翼面積、エンジン出力がほぼ等しいソ連のPe-2と比較してみても速度と搭載量で大きく差を付けられていた。

>搭載量の少なさは回数でこなす・・・って感じですね
本機は爆弾搭載量の少なさを反復攻撃でカバーするという、日本陸軍特有の爆撃機思想に基づいて設計されているけど、地面続きの大陸ならともかく、作戦距離の長い南太平洋戦線でそれをするのは無理があったね。

無題
Name 名無し 17/02/26(日)02:07:50  No.1205875
>搭載量の少なさは回数でこなす・・・って感じですね

普通は出撃するたびに敵の迎撃で稼働機は減っていきますから、同じ成果を上げるのにより多くの出撃回数を必要とするなら、その分多くの機体と搭乗員を用意しなければなりませんが、果たしてそういう体制になっていたのかどうか

無題
Name 名無し 17/02/26(日)07:52:55  No.1205882
日本陸軍の航空撃滅戦のキーコンセプトは敵拠点の反復打撃
つまり飛行場への爆撃を繰り返すことによって敵航空戦力の終局的無力化を目指すものです
現代の目からみてちょっと信じがたい考え方だけども、とにかくそうだったので既にほかの方が述べたとおり、重爆は速度・航続力が重視され爆弾搭載量は相対的に軽視されていた
実際にこれ(飛行場爆撃)がマレー戦線で成功していたため大戦後期に登場する重爆も当然このコンセプトに縛られてたと

無題
Name 名無し 17/02/26(日)11:46:32  No.1205898
>大戦後期に登場する重爆も当然このコンセプトに縛られてたと
そうですね(・w・
基本的にはそれ以前の「軽」爆撃機のコンセプト、つまり地上軍直協型で味方への妨害が予測される敵飛行場襲撃や敵地上軍襲撃が主任務です
太平洋戦争時で広大な太平洋を作戦域とするには少し無理があったんでしょうねー

まあその点は海軍も十八試陸上攻撃機に至ってもなお「艦隊決戦」の呪縛から抜け出せないで居ましたので同様だったんですけど・・・

無題
Name 名無し 17/02/26(日)01:07:03  No.1205871
4式重爆でさえ最大800㎏爆弾一発って言う貧弱な搭載量に驚いたことがあるんですが反復攻撃前提のドクトリンは太平洋戦争の戦訓を得てなお変わらなかったってことなんですか?

無題
Name 名無し 17/02/26(日)12:47:32  No.1205903
>4式重爆でさえ最大800㎏爆弾一発って言う貧弱な搭載量
翼に増槽/爆弾架増設した型だと胴体+両翼で500kg三発いけるようになるから
爆弾槽や懸吊装置次第ではあるんだけどね

無題
Name 名無し 17/02/26(日)23:52:57  No.1205958 
>4式重爆でさえ最大800㎏爆弾一発って言う貧弱な搭載量
搭載量は、離陸重量-自重で5tぐらいあったはず。
搭載量と兵器搭載量や爆弾搭載量がごっちゃになってる人が多い気がする。

無題
Name 名無し 17/02/26(日)08:14:36  No.1205886     
1488064476303
>太平洋戦争の戦訓を得てなお変わらなかった


4式重爆っていうと戦争末期の機体のイメージが強いですけれど、実際に機体設計のための基礎研究が始まるのが昭和14年末、15年9月に試作内示で16年2月に正式な仕様書発行ですから、思想的には戦前のモノによる設計、ってことになるんじゃないでしょかね?

4式重爆設計主務だった小沢久乃丞技師さんによれば

「常用高度は2千~7千メートル、行動半径は巡航速度で2時間の余裕をみて、正規1千キロ、過荷重では爆弾を減ずることもなく増槽も使用せず、千5百キロの半径、最大速度は550キロ(略)爆弾搭載量正規700キロ(爆弾倉内)(略)5千~6千メートルの高度から急降下して計器速で600キロ程度を出し、地上近くで爆弾攻撃あるいは銃撃も行ない得て、超低空を『垣根越し飛行』をして、地上火器よりの損害を少なくする」

無題
Name 名無し 17/02/26(日)08:16:34  No.1205887      
1488064594406
…のが仕様書のポイントだったそうで、まだ97式シリーズが主用だった時期を思えばかなり意欲的な要求で、戦闘機並の速度と重爆の行動半径、急降下爆撃も出来る運動性を、ってのなら、爆弾搭載量は自ずから限度があるというか、必要最小限の範囲なのは已む無しなんじゃあないでしょかw

ただまあ、戦前のIJA航空隊でも戦略爆撃の任務に耐えられるような機体運用が考慮されなかったわけではなく、1930年代初等には対ソ・対米戦両方に使える爆弾二トン塔載の大型重爆として92式重爆なんてゲテモノが作られてますし、先述の小沢さんなんかは1939年にJu90旅客機の重爆化の為、ドイツ出張する予定だったんだそうで
更に1939年には米国ボーイング社にB-17販売を打診、1940年には海軍サンの「深山」の陸軍仕様キ68で遠距離爆撃機戦隊を編成する計画もあったんだとか

ただ結局これらの超重爆導入計画が悉く上手く行かなかったことが、後年の対米英戦で日本陸軍爆撃隊が、機体性能以上の任務を負わされて苦戦した一因、ってことになるんでしょかね

無題
Name 名無し 17/02/26(日)12:20:31  No.1205900
都市まるごと焼き払うのだけが戦略爆撃じゃない
発電所・工場工廠・操車場・橋梁をピンポイントで狙うのも効果高い
実際日本陸軍もわざわざ要塞砲をシベリア鉄道の鉄橋に向けて設けてるわけだし

敵トーチカも工兵にゴリアテもどき装備させるくらい対策苦慮してたなら大型爆弾の水平精密爆撃って王道でよかろう
おおむね満ソ国境線の分布で敵地深くまで飛んでいく必要もないし

無題
Name 名無し 17/02/26(日)12:37:49  No.1205902      
F-2が一式陸攻の子孫という俗説に則ってみた場合
ASM装備化前のF-1が九九双軽の子孫に思えて来る

無題
Name 名無し 17/02/26(日)18:37:20  No.1205929
>ASM装備化前のF-1が九九双軽の子孫に思えて来る
んじゃF-104配備後のF-86Fは九七軽爆や襲撃機?

無題
Name 名無し 17/02/26(日)14:21:03  No.1205909      
1488086463494
93式(1933年制定)の時には双発重爆(キ1)双発軽爆(キ2)単発軽爆(キ3)が同時に計画されて、そのまま全て制式化されるって事になっちゃってるんですがw
一応最大1.5トンになる大搭載量を活かして「主として威力を要する目標又は主要施設の破壊」に任ずる重爆と、「威力を要さない施設、軽易な施設の破壊」及び「地上部隊の破壊」を目的とする軽爆でお仕事を手分けする、という目論見があったんだそうでして、軽爆が単発双発の2種なのも、航続距離その他の性能が良い方がいいやん!という陸軍省器材課の主張(双発案)と、運用経費や戦力維持を考えたら単発機だろ?という参謀本部の主張の双方に理あり、とした結果の折衷であって、実際の運用は双発軽爆を編隊長機、単発軽爆を僚機とする混合編成とすることに決められたんだそうで

言わばまあ、飛行性能はそれなりでも大型爆弾を積める重爆と、小型爆弾前提で搭載量は少ない代わりに、軽快な飛行性能でより地上作戦への直接支援を目指す軽爆と言う性格付けは割と早くから有って、それが後々まで各所に影響を残したって事みたいですねえ

無題
Name 名無し 17/02/26(日)14:24:00  No.1205910      
1488086640257
因みに大東亜戦争開幕後の1943年1月に、陸軍航空本部が今後の新機種の開発目標案を纏めているんですが、爆撃機は急降下爆撃機・爆撃機・近距離爆撃機・遠距離爆撃機を計画するものとして、この内「主として独力長遠の距離に進攻し戦略並びに政略上の要点を攻撃して戦争の指導を有利ならしむ」遠距離爆撃機では、独力で敵戦闘機を排除できる防御性能、8千~1万2千メートルの常用高度、標準で2トンの爆弾搭載量が求められてまして、要はコレが開戦後の数々の教訓を受けて求められた性能、って事になるみたいなんですな

ただ軍から試作を命じられた川崎さんちで、またも土井武夫技師さんを主務に1943年6月から早速4発遠距離爆撃機キ91の開発作業に入るんですけれど、一号機の完成が1946年6月完成という見込みで、実際の経緯も45年2月には試作中止になってるんですが、要はいくら実戦の戦訓を取り入れるといっても、数年かかるのが当たり前の航空機開発ではそれが間に合うとは限らないんですよね
結局は開戦前の蓄積の量が一番モノをいうわけで、その意味ではお流れになった計画の数々が悔やまれる話、ではある気がいたしますですな

無題
Name 名無し 17/02/26(日)18:20:39  No.1205928
結局のところ、要求のメリハリというよりエンジンパワーを燃料に割り振るか、内部の設備や人員に割り当てるか、爆弾搭載に割り当てるかだ。
カタログ搭載量800kgの飛龍でも3t爆弾の搭載実績あるからね。ちなみにそれは燃料半分にしての運用。

いずれにしても結局エンジンだ。五式戦闘機が積んでた1500馬力級の金星 ハ112-II型 四発の爆撃機とかあったら結構活躍したかもね。
大重量の四発を運用するには南方標準の人力で作った貧相な日本の飛行場じゃダメだし、本土しかないけど。
結局戦争は兵站で決まるわけですな。

無題
Name 名無し 17/02/26(日)18:41:52  No.1205930 
97式飛行艇が光4発から金星4発なんだし
秀作として金星50型1300馬力4発で試作してもよかったんではないのかな
マンチェスタ2発→ランカスター4発もあるわけで

無題
Name 名無し 17/02/26(日)19:30:16  No.1205931
マンチェスター→ランカスターは、バルチュアエンジンを信用していなかった設計者のチャドウィックが「こんなこともあろうかと」なノリで改設計案を用意していたのが大きい。

無題
Name 名無し 17/02/26(日)19:30:19  No.1205932      
97軽爆の情報が少なくて泣ける。
ビルマ航空戦でも代表的な97軽爆隊だった31戦隊関連の戦記はほとんどないし。(ビルマ航空戦という本に箇条書きに記されてるだけ)。地味すぎるのかなあ。
光人社から戦記物が出ている第8戦隊(99双軽)や14戦隊とは対照的だ。
No.1205737あたりのmesh先生のお話は、おそらく第8戦隊の河野憲二氏の戦記(光人社「陸軍重爆戦隊奮戦す」)から引用したと思われますがどうでしょうか。

無題
Name 名無し 17/02/26(日)22:29:06  No.1205946
>97軽爆の情報が少なくて泣ける
陸軍爆撃機隊の話はそもそも人気が無いし
97軽爆も98軽爆も生産を早々に打ち切ったせいで機数が少なく逸話も少ないってのもあるんじゃないかと
陸軍はこの種の単発爆撃機に早い段階で見切りをつけて直掩任務を99襲撃機に拠点攻撃を99双軽に統合してしまった

大戦後半の敵制空権下で曲がりなりにも任務をこなせるとしたら
単発で戦闘機寄りの特性を持つ爆撃機(イメージとしては彗星または流星)だろうけども
陸軍爆撃機隊はそっち方面には進化しなかったんやな

無題
Name 名無し 17/02/27(月)12:01:04  No.1205979
>単発で戦闘機寄りの特性を持つ爆撃機(イメージとしては彗星または流星)だろうけども
>陸軍爆撃機隊はそっち方面には進化しなかったんやな
その程度なら単発戦闘機に爆装させりゃいいと
思ってたんでは

無題
Name 名無し 17/02/27(月)12:36:49  No.1205984
>その程度なら単発戦闘機に爆装させりゃいいと
>思ってたんでは
戦闘機は日独共に急降下制動板(エアブレーキ)が無いから
基本的に緩降下爆撃じゃないと無理だと聞いた

無題
Name 名無し 17/02/28(火)00:11:47  No.1206045
>戦闘機は日独共に急降下制動板(エアブレーキ)が無いから
>基本的に緩降下爆撃じゃないと無理だと聞いた
陸上目標を攻撃する場合は、実は急降下爆撃は必ずしも必要ではないと後から気づいたけどね。
九九式襲撃機も緩降下爆撃だったけど、軽快な運動性と防弾装備のおかげで評判がよかった。
米英独も戦争後半ではヤーボが活躍していたのもその証明。

無題
Name 名無し 17/02/27(月)12:46:03  No.1205985
標準で250kg2発くらいの爆装できるけど
照準器は射撃用のままなんか補正して緩降下爆撃につかってたらしいが精度はまあお察しだよね

無題
Name 名無し 17/02/27(月)13:55:00  No.1205988      
>陸軍はこの種の単発爆撃機に早い段階で見切りをつけて直掩任務を99襲撃機に拠点攻撃を99双軽に統合してしまった
九八直協のこと少しでいいから思い出してやって欲しい

無題
Name 名無し 17/02/27(月)15:57:58  No.1205995
二式複戦も百キロ爆弾二発をかかえてビアク島の米軍上陸部隊に攻撃加えたらしい

>九八直協のこと少しでいいから思い出してやって欲しい
九八直協も襲撃機的な運用されたのか...知らんかった

無題
Name 名無し 17/02/26(日)20:56:36  No.1205935
九七軽爆の埋め合わせが九八軽爆らしいけど九八は液冷だから整備員泣かせだったらしいね
でも両方とも太平洋では早くに引き上げられたからそれほどの問題にもならんかったのかな

無題
Name 名無し 17/02/26(日)22:30:49  No.1205947
爆撃機の開発はとにかく金がかかるからねえ
B-17なんてアメリカ議会からも金の使い過ぎで叩かれたくらいだし

無題
Name 名無し 17/02/27(月)07:05:29  No.1205972
英米の重爆も搭載量維持するなら燃料減らさないかんかったし、任務と運用を考えれば、中国大陸を主戦場、仮想敵をソ連としていた旧陸軍の爆撃機に対する要求仕様としては特におかしくもないし、合理的だったのだろうと思う。
隼や鐘馗のカバーの下で飛行場と前線を往復してソ連のタンクデサントに反復攻撃を繰り返す99双軽。
そんな絵面やね。

無題
Name 名無し 17/02/28(火)00:15:07  No.1206046
>任務と運用を考えれば、中国大陸を主戦場、仮想敵をソ連としていた旧陸軍の爆撃機に対する要求仕様としては特におかしくもないし、合理的だったのだろうと思う。
ノモンハン戦のような満蒙国境地帯での戦闘が当機の仮想戦場とするならば、想定される戦闘内容はちょうど欧州の東部戦線のような感じになるだろうか?
当機に機体寸法や性能の近いドイツ爆撃機といえば、Ju88が相当すると思うが、実際の東部戦線ではJu88も相当数がソ連戦闘機に喰われているのが実情で、より性能が劣る当機が満蒙国境地帯で本来の目的を達成できたとは思えない。
残念ながら開戦直後に奇襲攻撃で、一時的に航空優勢を実現できたとしても、その後のソ連空軍の反撃によって見る見るうちに航空優勢を失い、史実の東部戦線のJu88以上の苦戦を強いられたのではないだろうか?
当機は速度と航続性能はそこそこあるものの、機体強度、防弾性能、防御火器の類は貧弱な部類に属するので、雲霞の如く押し寄せるソ連戦闘機の迎撃から生き残るのは極めて困難なように思われるが…。

無題
Name 名無し 17/02/28(火)23:32:23  No.1206159
> 当機は速度と航続性能はそこそこあるものの、機体強度、防弾性能、防御火器の類は貧弱な部類に属するので、雲霞の如く押し寄せるソ連戦闘機の迎撃から生き残るのは極めて困難なように思われるが…。
結論から言って、雲霞のごとき戦闘機群から爆撃機が生き延びるのはどんな機体でも非常に困難という身も蓋もない話なんじゃないですかね
大雑把に言って、米軍4発機が異常なだけで、他の国の爆撃機は程度の差はあれども大差ない
そこは問題ではないと思うんですね

問題なのは、雲霞のように戦闘機を量産して後から後から戦線に投入してくるだろうソ連を相手に陸軍はどう戦うつもりでその結果どうして99双軽みたいな機体を作ってしまったかという話だと思う

そういう目で見ると、97重爆はまあ分かるし、99双軽は余り理解できないけど
どこで間違えたかはなんとなく分かる気がする

無題
Name 名無し 17/02/27(月)19:51:24  No.1206010      
1488192684034
>陸軍重爆戦隊奮戦す


個人的にはあの本で一番興味深かったのは対空打ち上げ阻塞弾の話でしたり
実戦での使用体験談は他で読んだが無いんですけれど、このタイトルでそんな話が収録されてるとは思ってもいませんでしたw

97式軽爆でノモンハン紛争を戦った空中勤務者の方の戦記も収録されてましたけど、その中で「わが97式軽爆の心臓部である三菱金星850馬力のエンジンはすばらしい信頼性があった」という一文があるんですが、実際には機体は三菱でも発動機は「金星」ではなく、中島製のハ5なんですよね

記憶違いなんて戦記ではよくある事ですから、重箱の隅をつつくようなつもりは毛頭ないんですけれど、中島、若しくは三菱の関係者の方が読んだらちょっと複雑な気分になるんじゃないでしょか…w

無題
Name 名無し 17/02/27(月)19:53:08  No.1206011      
1488192788509
因みに余談ですがノモンハンから数年後、そろそろ大東亜戦争もオシマイと言う時期に、満州の第2航空軍(羽兵団)では大分怪しくなってきたソ連軍の動きに備えて、いざという時には遠くバイカル湖南方のシベリア鉄道鉄橋を爆破して、敵の輸送を妨害しよう、という計画が立てられていたんだとか

しかしながら先に南の方が逼迫する戦況の中で、当初予定されていた戦力が転用され、急遽穴埋めとして「羽攻撃飛行隊」なる部隊が編成されたんだそうですが、第1中隊は97式重爆、第2は97式軽爆、第3は99式双軽、と正直旧式機の寄せ集m…使い慣れた機材中心の混成部隊だったのはしょうがないとしても、部隊完結はよりによってというか8月15日を予定していたんだそうで

無題
Name 名無し 17/02/27(月)19:56:19  No.1206013      
1488192979500
従って8月9日のソ連の対日参戦を受けても、準備不足で作戦実施はならなかったんですが、それでも15日には第2中隊の97式軽爆数機が揃い、第2航空軍司令部の正式な停戦命令も届かない中、押し寄せるソ連軍攻撃に出撃すべし!と部隊の意見も一致したんだとか

ただ爆弾倉内に爆弾を吸着する為のバッテリーが無く、自分が爆弾を抱いて行きます!という整備員さんの提案もあったものの、とにかく予備のバッテリーを調達しようとしている内に、遂に武装解除となってしまったんだそうな

旧式機の97式軽爆が、陸軍爆撃機隊最後の出撃機としてその掉尾を飾る事は遂にならなかったわけですけれど、そもそも当初の計画では、発進地から目標までの距離は1600キロ、航続距離1900キロの97軽爆はじめどの機種でも往復は不可能で、実質的な特攻作戦の色合いが強かったんだそうで

ある意味、実現しなかったのは不幸中の幸いだったかも知れませんですねえ

無題
Name 名無し 17/03/01(水)17:19:40  No.1206201      
飛行第90戦隊で99双軽を駆って中国大陸で戦い、8月15日には張家口に来襲したソ連戦車部隊攻撃にも参加した喜田保少尉さんの回想によりますと、辛くもソ連の捕虜になる事は免れたものの、戦後は抑留されて中国軍パイロットの教育係を務めさせられちゃったそうなんですが、その際漢口に駐留していた米陸軍パイロットさんらと色々親交を深めたんだそうで

「気楽に敗戦国の少尉を旧友に接するように相手にしてくれたのは、実に意外なことであった。珍しい航空食なども御馳走になった。つい先ごろまで眼の敵にして戦っていたのが全く嘘のようである」

「ある日、親しくなった一人のB25爆撃機パイロットが、99双軽を操縦させてくれと申し出て来た(略)引き換えに私もB25を操縦させてくれるなら、と交換条件を持ち出した。すると意外にも、即座に了解したのには驚いた」

無題
Name 名無し 17/03/01(水)17:20:20  No.1206202      
「空中操作は全て彼の好きな通りにさせ、約一時間の空中散歩の後着陸した(略)米軍パイロットは、99双軽は操縦性の良い飛行機だとほめてくれた。だが、パワーが足りないな、と正直に感想を述べていた(略)無理もない事だった」

「米軍パイロットと同じ空中操作を(B25で)やってみたが、機は意外と重い感じで99双軽のような軽快性はなかった。だが、力強いパワーと上昇力には感心した。何ともいえぬ満足感が体中を走った」

「電探や無線設備も立派なものが設備されており、とくに電気系統はすばらしく、セルも一発でプロペラを廻してエンジンをかけるとは、進歩していると感心した(略)当時の日本では脅威とも思える事だった」

…そうで、和やかな日米交歓の情景が目に浮かぶんですが、差し詰め日本の売りが身軽さと素直さなら、アメちゃんの長所はパワー!&エレクトロニクスだった、って所でしょか…w

無題
Name 名無し 17/03/01(水)18:22:47  No.1206205      
1488360167158
>>喜田保少尉さんの回想


B-25はその強力な防御武装に目が行きます。
あの機体規模で連装動力銃座、尾部連装、またタイプによっては遠隔操作式の垂下銃塔。

G・H型では機種に重武装を配し、猛獣のマウスペイントを施して超低空で強襲を繰り返すなど豪快な限り・・・

アメリカ人の好みそうな機体です・・・(ステレオタイプ)

無題
Name 名無し 17/03/01(水)19:00:44  No.1206212      
1488362444659
>超低空で強襲を繰り返すなど豪快な限り


もうご存知だったら恐縮なんですけれど、こんな映像も残ってますですね
超低空で日本軍基地を強襲しつつ75ミリ砲をドカドカ撃ちまくるミッチェル=サン


https://www.youtube.com/watch?v=cEek5IvGYKg

75ミリ砲積むのは日本でも4式重爆で最初対空用、後に地上攻撃用としてやりましたけど、やっぱりこんな感じだったんですかねえ

しかしなんというか見ているともう、こういう発想する事自体がマッチョ脳としか思えn(

無題
Name 名無し 17/03/02(木)07:48:04  No.1206244
B25の75mmって専用のコンパクト軽量砲らしいけど
日本側の砲って機載のためになにが変わってるん?

無題
Name 名無し 17/03/02(木)12:08:22  No.1206253      
http://cgi.2chan.net/f/src/1488424102629.jpg
B25のは専用砲っていうより戦車砲の改修型ですね(・w・
G型もH型も型式は違いますが元々は戦車砲だったと思います
キ109のホ五〇一の場合は八八式高射砲の改修型です
しかし、このホ五〇一、発射反動重量が4tも有ったそうで
九九式二〇粍機銃の発射反動重量が800kg~1t、五式三十粍機銃が1.5tとか言われてますのでとんでもない代物ですよね・・・・

無題
Name 名無し 17/03/02(木)14:04:04  No.1206260
>B25のは専用砲っていうより戦車砲の改修型ですね(・w・
いえ、B25用を戦車砲に転用しています
その証拠に、航空用で必要だった砲身途中の段差が(流用だった為)M24初期生産型には存在します
その後の生産型では、その段差が必要ないのでなくなっています

無題
Name 名無し 17/03/02(木)15:51:16  No.1206264      
1488437476770
>日本陸軍爆撃機(襲撃機、攻撃機も)スレなんてどうでしょう

連合軍コードネーム「Mikado」
名称(連合国側妄想)「九八式重爆撃機」
あまり後先考えずに購入したように見えますよね(・w・;

無題
Name 名無し 17/03/02(木)17:14:43  No.1206265
結局敵地深く進攻して都市爆撃なんて想定外の任務やらせて
損害積み重ねたりわざわざ泥縄で輸入までしたりするなら机上プランの段階で考慮しとこうや…

無題
Name 名無し 17/03/03(金)10:17:45  No.1206306      
1488503865363
個人的には好みなんですが
色々あって現地評価が高く無いですね(・w・
ちょっと可哀想な百式重爆撃機

無題
Name 名無し 17/03/03(金)16:51:28  No.1206317
>百式重爆
終戦間際にすでに前線から退いてる百式重爆なんですけど
九七式重爆は未だに前線で使われていたりと
本当に最後の最後まで不憫な子だというのがわかりますね

無題
Name 名無し 17/03/03(金)22:44:17  No.1206353      
1488548657796
>百式重爆

わが父の愛機
父は戦後、「エンジンは三菱に限る」と初期型のコロナに三菱のエンジンを載せて乗っていた
スバルには生涯関心を示さなかった

無題
Name 名無し 17/03/03(金)17:47:50  No.1206321     
1488530870699
日本陸軍がイ式重を緊急輸入を決めた昭和12~13年頃の事情について、航空総軍参謀等を務めました佐藤勝雄陸軍中佐さんが語られてる所によりますと

「当時は対ソ作戦が陸軍の作戦計画でした。従って航空兵器も対ソ作戦を主に考えた。地上直協であろうが、制空戦であろうが、航空撃滅戦であろうが、みな対ソ戦でした。ですから、飛行機の足は大した問題ではなかった。チタまで行っても、せいぜい500キロなんです。ところが、そういう考えが固定していたから、支那事変や大東亜戦争に入ってくると大変なことになった」

「私が陸大の学生の頃―昭和12年からですが(略)藤室良輔という戦史教官がおられて、陸軍航空を罵倒するんです」

無題
Name 名無し 17/03/03(金)17:48:46  No.1206322      
1488530926619
「陸軍の重爆は、どこに行っちまったんだ、飾り物じゃないか。海軍を見ろ、南京でも漢口でも爆撃する。陸軍の重爆は、だらしがない。いや、ないんじゃないのかとね。私は、あまり癪にさわるので、陸軍の重爆(93式ですね)の航続距離をご存知ですか、せいぜい500キロ、大体、300キロくらいを基準に作られている。こんな足の短い重爆を作ったのは参謀本部さんではないですか、とこう言ったわけです」

「出来るように初めから作られた飛行機なら、大いにやりましょう、と言って藤室さんの立場をなくしてしまったわけです。それで、えらく睨まれましてね」

…との事で、謂れの無い身内への中傷にヒートアップして熱弁を振るってしまったみたいなんですがw
海軍との張り合いは兎も角、当時の陸軍重爆隊と言うか陸軍航空全体の機材整備事情の様子を伝えるエピソードではあるんじゃないでしょかね

無題
Name 名無し 17/03/03(金)18:01:28  No.1206325      
1488531688668
結果的に言えば、イ式重爆の導入とほぼ同時期に97式重爆も間に合って、仲良く?要地爆撃に投入されたりした結果、なんだ、うちの97式の方がイイじゃないか!やっぱり日本人ならイタ飯より和食だよねっ!って事で早々にイ式は要らない子になっちゃう、という不憫な結末に終わっちゃうわけですけれど、97式にしても当時はまだ試作機が出来上がったばかり、増加試作機で実戦部隊の数を揃えて、実戦で機材慣熟するという間に合わせっぷりなんですよね

これで97重が素直ないい子だったからまだしも、仮に岡部ださくせンせいにモデグラ誌上でイラストエッセイ連載のネタに取り上げられちゃうようような出来でしたら、イ式重爆を買ってないと当時の陸軍重爆隊は、既に生産を終了して損耗の補充は初期の旧型の中古品、性能的にも見るべきところがなく「直線不時着練習機」と自嘲された93式重爆で支那事変を戦い抜く羽目になっちゃった筈でして

そういう意味ではイ式重爆というお買い物も、保険という意味ではあながち悪い選択ではなかった気もするんですけれどね…w

無題
Name 名無し 17/03/04(土)14:39:14  No.1206410
>陸軍の重爆(93式ですね)の航続距離をご存知ですか、せいぜい500キロ、大体、300キロくらいを基準に作られている


より小型の軽爆でさえサイズを抑えなければならなかったのだから、ましてや重爆ではなおさらということなんですかね

無題
Name 名無し 17/03/05(日)22:40:26  No.1206582
>より小型の軽爆でさえサイズを抑えなければならなかったのだから、ましてや重爆ではなおさらということなんですかね
九三式辺りなら殆どが複葉だし可変ピッチプロペラだって2段式が実用化されたのが海軍の九六式中攻
航続距離が伸びる要素が少ないのよ

無題
Name 名無し 17/03/05(日)21:22:35  No.1206573      
1488716555501
昭和12年11月に、日本陸軍航空隊では航空本部長の名で「航空部隊用法」なるものが作成され配布されたそうなんですが、コレはそれまでの地上作戦を第一義とする「航空兵操典」からより空軍的運用にシフトした内容で、その運用の要義は

「航空作戦の本旨は、速やかに敵航空戦力を撃滅するに在り。然れども適時、地上作戦に協力し、或は政略攻撃を実施するものとす」

…というもので、いわゆる戦略爆撃も視野に入れたものだったんだそうですが、実際にはこれでは余りに航空隊本位である、というので修正を加えた「航空作戦綱要」が制定されまして、昭和15年2月に公布されたんだそうで

当時航空総監部典範班で「航空作戦綱要」制定に関わった岸本重一大佐さんによれば、例えば鈴木率道総務部長よりの

無題
Name 名無し 17/03/05(日)21:24:12  No.1206574      
1488716652171
「航空撃滅戦は認めるが、その目的は地上作戦協力にある。いわば、地上作戦協力の手段に過ぎぬという」意見の様に、航空部隊独自の作戦を認めない空気が根強く、結果として「航空部隊用法」よりも航空兵力の独自運用、という点では後退したものになってしまったそうなんですが、その要点は

・ソ連を敵とし、速戦速決主義
・制空権獲得を重視する。このため敵地に進攻し、敵航空戦力を空地に撃滅する
・敵地への侵攻は戦爆協同を本旨とするが、戦爆各々の独力進攻を軽視しない
・航空戦力の統一指揮、集結使用を容易にするため、空地分離制を採用することを基礎とする

…等で、「徹底した攻勢主義の採用(岸本氏)」が特徴であったそうなんですが、基本的に対ソ作戦に特化した内容は後の「大東亜戦争」突入後に「海洋作戦を考えていない、とか、航空撃滅戦など、実戦に余り出現しないような戦術原則を弄んでいる」との批判も受ける事になってしまったんだそうな

無題
Name 名無し 17/03/05(日)21:25:11  No.1206575      
1488716711775
この内「空地分離制」の意義について、大本営陸軍部や航空総軍参謀だった宮子実大佐さんが語る所を引用させて頂きますと、

「空地分離の思想というのは、昭和の初期からあり、ドイツ空軍の視察報告などでその合理性は認められるんですが(略)編制化するとなると、これは実にむつかしい」

「しかし、満州における内戦作戦では、どうしても空地分離が必要だという理由で採用が強行されたのです。」

「昭和12年頃の極東ソ連空軍兵力は、日本が満州で使用しうる兵力の3倍半、大体700機対200機とみていたんです。しかも沿海州南部地区に100機近くの遠距離爆撃機があり、これは日本本土をひとまたぎで爆撃できる。これを日本空襲に先立って叩き潰す必要が有る。」

無題
Name 名無し 17/03/05(日)21:28:28  No.1206576      
「昭和10年の作戦計画から、この先制攻撃に重点を置き、その後、内線的に機動して(略)返す刀を持って行、こういう作戦上の見地から空地分離を必要とすることになったわけです(略)そして東を撃ち西を撃ち、北を撃つというふうに作戦をやる」

…との事だそうなんですが、要はまあ日ソの国力格差が前提に有って、ソ連より劣勢の航空戦力で勝つために、少ない兵力を縦横無尽に活用する為の制度だった、って事みたいなんですな

「速戦速決」もそうですけれど、結局彼我の実力差からして長期に渡ってどっぷりと4つに組んだ消耗戦に陥ったら勝ち目はない、従って少数の戦力を如何に活用して早期決着を図るか、が対ソ戦略のキモで、機材の整備や作戦計画もそれに特化していた、ってのが大東亜戦争前の日本陸軍航空隊の実情だったみたいなんですが、逆に言えばその戦略にお役立ちでない部分については後回しにするのもやむなし、って所だったんでしょかねえ

無題
Name 名無し 17/03/06(月)20:32:43 No.1206638
>「昭和10年の作戦計画から、この先制攻撃に重点を置き、その後、内線的に機動して(略)返す刀を持って行、こういう作戦上の見地から空地分離を必要とすることになったわけです(略)そして東を撃ち西を撃ち、北を撃つというふうに作戦をやる」
日本陸軍の特異な航空撃滅戦思想がどうして生まれたのかよく分かる書き込みですね

しかしこれも、海軍の艦隊決戦思想と同様、軍備の在り方を歪め
結果として多くの将兵の生命を失わせ敗戦を早める働きをしたという意味では読むだに悲しいと言う印象が拭えない

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1205663.htm

陸軍重爆戦隊奮戦す―陸軍爆撃隊空戦記 (光人社NF文庫)