無題 Name 名無し 17/01/09(月)08:39:38  No.1200824

伊勢型戦艦―航空打撃力を有する世界で唯一の航空戦艦 (〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ (26))
某スレのため航空戦艦を調べてましたが
伊勢は燃料不足のため呉で浮き砲台となったところに空襲を受け戦死者は573名になった事を知りました

ちょうど「この世界の片隅に」を観た事もあり
裏でこんな出来事があったんだなぁと感慨深いものが

大和は華々しい出来事で知っている人も多いでしょうが
身動きが出来ないまま戦った人達も、もっと知られてもいいんじゃないでしょうか?
紫電改のマキ(7)(チャンピオンREDコミックス)
野上 武志
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無題
Name 名無し 17/01/09(月)08:57:49  No.1200825
レイテで立派に囮を務め生還しその後の北号も成功させ戦後は復興の礎になった伊勢日向の方が戦後まで秘匿された大和より華々しく思えるが?

無題
Name 名無し 17/01/09(月)09:18:57  No.1200827      
1483921137465
最近はゲームのおかげで一般層でも知る人が増えてるのと違うん

無題
Name 名無し 17/01/09(月)09:42:50  No.1200829
>>最近はゲームのおかげで一般層でも知る人が増えてるのと違うん

自分が初ってゲームで伊勢を見たときは主砲でも航空機でもなく海面を覆いつくほどの魚雷で攻撃してくる伊勢でした

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:12:30  No.1200833
>自分が初ってゲームで伊勢を見たときは主砲でも航空機でもなく海面を覆いつくほどの魚雷で攻撃してくる伊勢でした

自分も五千五百トン軽巡洋艦が百発以上の魚雷を放ってきたのをWSG2で見ました

無題
Name 名無し 17/01/09(月)11:55:01  No.1200832
昭和20年7月24日か28日の対空戦で最後に3式弾を撃って
水圧ゼロ、電圧ゼロになって主砲を振りかざした状態で停止した話はジーンときた。

この辺、詳細をおながい

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:16:53  No.1200835
>昭和20年7月24日か28日の対空戦で最後に3式弾を撃って水圧ゼロ、電圧ゼロになって主砲を振りかざした状態で停止した話はジーンときた。

終戦後に解体されることになった伊勢か日向か利根が主砲を振りかざしているのをみて「まだ戦うつもりなのか」って乗員の人が涙したって話は聞いたな...

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:31:20  No.1200841      
1483932680574
>「この世界の片隅に」


劇中で1945年3月19日の米艦上機による呉軍港初空襲のシーンがありますけれど、当時呉に向って米空母を飛び立った攻撃隊の人達の懸案は、在泊艦艇や防空戦闘機の反撃の他に「目標周辺に対空重火器160門」という情報参謀からの情報だったんだそうな

実際、当日朝最初に呉軍港に殺到した空母「バンカー・ヒル」航空隊は目標上空で

「色彩豊かで正確無比な対空砲火の弾幕」

に出迎えられたそうで、赤、黄、緑、紫、また黒の炸裂煙が晴れた空を華やかながら恐ろしく彩っていたんだとか

この辺、劇中でも非常に印象的な描写でしたよねw

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:33:59  No.1200842     
https://cgi.2chan.net/f/src/1483932839680.jpg
空母「ホーネット」のTBM飛行隊は

「3月19日は当飛行隊が存在する限り、色彩豊かな対空砲火の夢魔の記憶として残るであろう」

…なんて戦闘報告に記述してるそうなんですが、この激しい対空砲火を冒して突っ込む米機にとって最大の目標になったのはやはり在泊空母(「天城」「葛城」「龍鳳」「海鷹」)だったそうで、「バンカーヒル」飛行隊ではF4U隊が「龍鳳」にロケット弾命中を報じているほか、SB2C艦爆「ヘルダイバー」11機が空母(「葛城」?)1隻に4弾、戦艦(「榛名」)に1弾の命中、TBM「アベンジャー」14機は空母2隻に6発の命中弾をそれぞれ報告しておるんだそうで

ただしその代償にSB2Cの内6機が対空砲火で被弾し、1機が撃墜されたほか、不時着水した1機では溺死者1名を出しているんだとか(TBMは全機帰還)

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:34:29  No.1200843      
https://cgi.2chan.net/f/src/1483932869472.jpg
一方この空襲を呉工廠岸壁の大クレーン下に繋留されていた軽巡「矢矧」から眺めていた方の手記によりますと、当時の様子は

「軍港をかこむ峰々の砲台から、ポッ、ポッと黒い煙と火線が怒り出したように火を吐き始めた。
呉港内には、大小百隻近い艦艇が入港していた。艦爆塔載艦に改造された戦艦「伊勢」と日向は「矢矧」の左艦首近くのブイに繋留され、その近くには空母「千歳(ママ…恐らく『海鷹』?)、さらにその先に新鋭の空母「天城」「葛城」。戦艦「榛名」は、工廠内の繋船池につながれ、工廠の屋根越しにマストの尖端が見える。巡洋艦「利根」も、「大淀」も、いずれも修理中なので、身軽に出港できない。幸いなことに、「矢矧」の属する第2艦隊の旗艦「大和」と他の数艦が、かなたの柱島水道に在泊中であった」

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:35:37  No.1200844      
https://cgi.2chan.net/f/src/1483932937351.jpg
「陸上砲台につづいて、これらの在泊艦船が、いっせいに砲門を開いた。轟然たる発射音が耳を圧し続ける」
「いうまでもなく、敵機の狙いは空母だ。港内奥深くひそむ「千歳(ママ)」に、どっと殺到してきた。その道連れとなって、「伊勢」「日向」にも、つぎつぎに敵機が急降下してゆく(略)「榛名」から轟然たる音響とともに黒煙が噴き上がった。爆弾が命中したらしい」
「『天城』『葛城』の噴進砲から、シューッ、シューッと24発のロケット弾がほとばしり出る。それが命中したのか、敵の2、3機から、ボーっと黒煙が噴き出された。そして、その勢いのまま海面に激突して大きな水しぶきをあげた」

…そうでして、この辺り日米の戦闘記録の内容はよく一致しておる感じですな
因みに対空砲火で被弾したSB2Cがそのまま「千歳(ママ)」に突入したのを見て

「敵も勇猛だ。まったく、日本の特攻機の体当たりを、まのあたりに見せつけられた思いだった」

…んだそうな

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:37:05  No.1200845      
https://cgi.2chan.net/f/src/1483933025494.jpg
結局

「(米軍機)20機ほどが叩き落とされて、港内の水面に突入し、その他で撃墜されたものを合わせると、撃墜敵機は約30機に達した」

ものの、

「工廠内にも、数十発の爆弾が落とされていた。多数の建物は屋根を吹き飛ばされ、鉄骨がむき出しになっている。いたるところから、ゆらゆらと黒煙が立ち上っていた(略)防空壕にじっとしておればよいものを、こわさのあまり逃げ出した女子挺身隊員4名が、機銃掃射のためにたおれた。まったく、我が機動部隊の真珠湾攻撃をしのばせる光景であった」

…んだとか

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:38:50  No.1200846      
https://cgi.2chan.net/f/src/1483933130406.jpg
同日の米空母艦上機の実際の損害は、米軍側記録によれば

(1)対戦闘機(343空の「紫電改」ですな)戦闘によるもの
・戦闘機14機内(被弾不時着水&被弾後海上で搭乗員が落下傘で脱出したもの2機、着艦後廃棄4機)
(2)対空砲火によるもの
・戦闘機4機(飛行場攻撃で墜落2機、海上不時着1機、機体廃棄1機)
・爆撃機11機(被撃墜8機、不時着水3機)
・攻撃機2機(被撃墜1機、不時着水1機)
(3)燃料切れによるもの
・戦闘機3機

…だそうでして、総計で戦闘機21機、艦爆11機、艦攻2機、救助された人員を除く搭乗員喪失(戦死・捕虜・行方不明)32名にのぼるそうです(日本側戦死者は軍人軍属62名、民間人29名)
爆撃・攻撃機の損害は米側によればすべて呉軍港の対空砲火によるものだったそうで
「紫電改」の戦果と合わせて、日本側の奮闘ぶりが窺われる数字ではありますですな

無題
Name 名無し 17/01/10(火)11:43:29  No.1200953
>No.1200842
劇中ではSB2Cが急降下爆撃加えるところも撃墜された一機もちゃんと描かれてるという監督のこだわり

無題
Name 名無し 17/01/09(月)12:58:02  No.1200847
>(1)対戦闘機(343空の「紫電改」ですな)戦闘によるもの
>・戦闘機14機内(被弾不時着水&被弾後海上で搭乗員が落下傘で脱出したもの2機、着艦後廃棄4機)

航空戦艦から話が逸れますが渡辺洋二さんの「日本本土防空戦」二百二六頁に
「三四三空とぶつかった米戦闘機部隊のひとつが、第123海兵戦闘飛行隊のF4U十五機である。F6F、SB2Cとともに広島呉方面に向かった彼らは、突如現れた“エキスパートパイロット“のあやつる日本機約三十機に襲われた。その操縦は米指揮官機が救援を要請するほど巧みで、たちまち二機が撃墜され、以後三十分の空戦でさらに一機を失った。日本機九機を撃墜したが、かろうしてもどった機のうち三機が海上に不時着水、着艦した機もほとんどが手ひどい被弾をこうむっていた」
と描いてあって個人的には「あれ?キルレシオおかしくない?」とか思ってましたね

無題
Name 名無し 17/01/09(月)13:37:25  No.1200849      
>個人的には「あれ?キルレシオおかしくない?」とか思ってましたね

この日第123海兵戦闘飛行隊の「コルセア」と交戦した343空の「紫電改」は、菅野直大尉直率の戦闘301「新選組」の主力約10機で、米軍の損害は渡辺氏の記述通り被撃墜2機、被弾で帰還中に機体放棄1機(搭乗員救助)、着艦後廃棄が3機(負傷1名)の計6機と要修理被弾機が5機なんですが、菅野隊はここでは1機も撃墜されておりませんので、この空戦に限っては「紫電改」および343空のパーフェクト・ゲームであったことは間違いないようです

強いぞ、我らの2000馬力!

無題
Name 名無し 17/01/09(月)13:38:46  No.1200850      
1483936726685
ただしこの日全般で見ると、第123海兵戦闘飛行隊との交戦後に遭遇した米空母「ヨークタウン」のF6F戦闘機隊との交戦で、菅野大尉含む2機が撃墜されているのを含め、「新選組」は5機もしくは6機を空戦で撃墜され、戦死3名と負傷者2名の被害を受けているのに対し、戦果は結局菅野隊の「コルセア」2機撃墜(機体喪失計6機)5撃破のみと推定されるそうですので、機体喪失数に関して言えば日米はほぼ互角(戦闘301の被弾機数がよく分からないんですが)
戦死者に関して言えば寧ろ日本側の敗北、という結果になるんだそうで

精鋭343空と言えども、まだまだ本当の意味で戦力を発揮できるのは部隊中核の一部に過ぎず、また戦力優勢の米軍に対して数的劣位や連戦と言った不利な環境下で戦わなければならなかった以上、実際の戦果が公式発表ほど華々しいモノになり得なかったのは避けがたい結果だったってことじゃないんでしょかね

無題
Name 名無し 17/01/09(月)13:49:01  No.1200851
>三四三空とぶつかった米戦闘機部隊のひとつが、第123海兵戦闘飛行隊
「源田の剣」でも可成り優勢度合いが解りますよね
ホーネット VBF17 F6F ワイス大尉 被弾、日本機と衝突、落下傘降下(捕虜)伊予灘。
ホーネット VBF17 F6F マコーミック中尉 被弾炎上墜落。落下傘降下(捕虜)伊予郡広田村。
ホーネット VBF17 F6F マシューズ少尉 被弾炎上墜落。落下傘降下(捕虜)四国西部。
ホーネット VBF17 F6F キップ大尉 被弾空中分解、戦死。松山南西。
ホーネット VBF17 F6F カー中尉 被弾墜落、戦死 伊予灘。
ホーネット VBF17 F6F ハナー少尉 被弾墜落、戦死 伊予灘。
ホーネット VBF17 F6F ムーア大尉 被弾不時着水、救助 洋上。
ホーネット VBF17 F6F プリンズ大尉 被弾、着艦時バリア衝突 機体放棄。

無題
Name 名無し 17/01/09(月)13:50:16  No.1200852 
ベニントン VMF123 F4U ウースター中尉 被弾墜落 日本軍が救出後死亡 広島県安芸郡
ベニントン VMF123 F4U ラッセル少尉 被弾墜落、落下傘降下、行方不明 戦死。
ベニントン VMF123 F4U バーンヒル少尉 被弾、海上に落下傘降下 救助。
ベニントン VMF123 F4U モブリー少佐 被弾、着艦後機体廃棄。
ベニントン VMF123 F4U キャントレル大尉 被弾、着艦後機体廃棄。
ベニントン VMF123 F4U メイヨー少尉 被弾、着艦後機体廃棄。

こんな感じだったそうで(・w・

無題
Name 名無し 17/01/09(月)14:04:17  No.1200853
なるほど...やはり米軍も大量の誤認を含んでたみたいですね
被撃墜だけではない損失も付き合わせてみたらほぼ互角の戦闘だったのでしょうね

無題
Name 名無し 17/01/09(月)14:13:32  No.1200854
スレ違いになっちゃうのでこの辺にしますけど
日本側の損失は総計でこんな感じ(・w・
左から飛行隊・名前・交戦相手・場所です

301 井上伊三郎中尉 アメリカ海軍第58機動部隊VBF10 呉付近
301 久保典義一飛曹 アメリカ海軍第58機動部隊VBF10 呉付近
301 日光安治上飛曹 アメリカ海軍第58機動部隊VF9 北条付近
407 嶋 幸三大尉 アメリカ海軍第58機動部隊VF83/VBF17 松山付近
407 遠藤司郎上飛曹 アメリカ海軍第58機動部隊VF83/VBF17 松山付近
407 竹島治彦一飛曹 アメリカ海軍第58機動部隊VF83/VBF17 松山付近
407 信田時正二飛曹 アメリカ海軍第58機動部隊VF83/VBF17 松山付近
407 中谷美弘飛長 アメリカ海軍第58機動部隊VF83/VBF17 松山付近
407 斉木世一飛長 アメリカ海軍第58機動部隊VBF17 松山付近
701 松崎国男大尉 アメリカ海軍第58機動部隊VBF17 松山付近
701 渡部幸博中尉 アメリカ海軍第58機動部隊VBF17 伊予郡中山町付近

無題
Name 名無し 17/01/09(月)14:13:54  No.1200855
701 石川菊一上飛曹 アメリカ海軍第58機動部隊VBF17 伊予灘
701 和木逸夫飛長 アメリカ海軍第58機動部隊VBF10 松山付近
407 中島満夫上飛曹 アメリカ海軍第58機動部隊VBF10、地上銃撃。 松山

無題
Name 名無し 17/01/11(水)10:23:29  No.1201074
>日本側の損失は総計でこんな感じ(・w・
米国機8機撃墜、343空損失15機って事?
タブルスコアだ。
やっぱりF6FとF4Uは強かったんだね。

無題
Name 名無し 17/01/11(水)17:08:34  No.1201100
>やっぱりF6FとF4Uは強かったんだね
末期のアメリカは練度も油のってるし343空の眉唾な戦果なんかありえないわなそりゃ

無題
Name 名無し 17/01/11(水)22:13:37  No.1201124
>米国機8機撃墜、343空損失15機って事?
>タブルスコアだ。
難しい所なんですが、当時343空の発進機数は63機(彩雲除く)で実際交戦した米軍機はホーネットのVBF17のF6Fが20機、エセックスのVF83のF6Fが16機、 イントレピットのVBF10のF4Uが10機、同じくVF10のF4Uが12機、 ベニントンのVMF123のF4Uが15機、ヨークタウンのVF9のF6Fが16機、 キャボットのVF29のF6Fが12機、バンカー・ヒルのVMF451(VF84の 一部も含む)のF4Uが19機の合計120機なんです
敵の数も倍の上に苦戦すると応援を呼べる米軍側では環境差もあったことでしょう
しかしながら日本の損失が15機に対して上記米艦載機軍の撃墜報告も50機と3倍以上に膨れあがっています(・w・;

無題
Name 名無し 17/01/12(木)09:34:29  No.1201147
>難しい所なんですが、当時343空の発進機数は63機(彩雲除く)で実際交戦した米軍機は

成る程、敵機は倍近かったのね。
米軍も誤認とか酷いとは聞いていたけど3倍かー。

無題
Name 名無し 17/01/09(月)15:09:06  No.1200858
扶桑も山城なんて特に悲惨だし、もうちょっと取り上げられてもいいのにね
大型艦はただでは沈ないから絶対エピソードはあるはずだし

被雷放置して突っ走ってたら浸水拡大して沈んだ金剛
注水しすぎて傾斜と逆方向に転覆して沈んだ霧島
機関全基健在だったのに誤報で自沈した比叡
とかとか

無題
Name 名無し 17/01/09(月)14:14:24  No.1200856
>強いぞ、我らの2000馬力!

晴美ちゃん「敵は何馬力なの?」「ねえ?」
晴美ちゃん、ツッコミがきっついのうw

無題
Name 名無し 17/01/09(月)17:43:50  No.1200878
>晴美ちゃん、ツッコミがきっついのうw
そのまま熟睡していたお義父さんも大概ですが
降り注ぐ対空砲の破片が怖かったなあ

無題
Name 名無し 17/01/09(月)22:56:05  No.1200913
>晴美ちゃん、ツッコミがきっついのうw

心の中で『それ一番突っ込んじゃいかんとこだよ!』と思った人は多いはず

無題
Name 名無し 17/01/09(月)15:40:42  No.1200860      
1483944042285
F6F-5とかなら同じ2000馬力だよ(ニッコリ

それはともかく、呉軍港空襲も終盤の7月28日に沈んだ戦艦「榛名」の吉村真武艦長さんの手記によると、当時の「榛名」は

「燃料もなく、カマがたけないので、訓練をするためにも陸上から電力の配給を受けなければならぬ(略)電線を艦のすぐそばまで引っ張って、わずかばかりの役に立てるというありさま」

「3月19日に艦上機の大空襲が有り、直撃弾一発をくらって(略)23名の戦死者を出した(略)15サンチ(副砲)は備後水道の陸上に持っていかれ、主砲は二コ砲塔分の兵員だけで、わずかに機銃20挺の追加があったにとどまる(計60挺弱程度)。乗員にしても、海兵出の俊敏な士官はほとんど特攻隊に出て、あとは病人か、国民兵の老人が殆どというのが、そのころの『榛名』の状態だったのである」

…んだそうで

無題
Name 名無し 17/01/09(月)15:41:19  No.1200861      
1483944079595
その後呉の対岸の小用沖に曳航されて、幾度かの戦闘の後運命の7月28日を迎えるわけですけど、

「艦の周囲は、一瞬の間に砲煙と爆煙に包まれた。しかも、陸地と艦の間がせまいため、その煙がそよともなびかないで、真黒にたてこもってしまった。対空応射はやりにくくなる、むらがる敵機も判別できぬようになってしまった」

「午前中のこの空襲で、対空見張り員はほとんどが戦死、または負傷者が続出した上、重ねて午後の来襲。『榛名』の命運はいよいよ極まったかと見えた」

…んだそうな
しかしながら

「味方主砲の一弾は、みごと敵大型機の一番機を撃墜、さらに砲台長の腰ダメ射撃(砲側照準ってことですかね)が、敵編隊の指揮官機を射ち落とした。これには敵もよほど慌てふためいたらしく、残弾を全部陸上に投げ落として、機首をひるがえして飛び去ってしまった」

無題
Name 名無し 17/01/09(月)15:41:56  No.1200862      
1483944116626
「13発の直撃弾を受けた艦は、上甲板をふっとばされ、両舷側が無残にひらいて、そこから浸水し、遂に座り込んでしまった(戦死66名)」

「水面上には(略)厳として主砲の砲身を空に向けていた。まだまだ戦うぞ、という気概そのままを見せて、乗組員たちは、甲板上にまなじりを決していたのである」

「撃墜機数は艦で確認したものだけで8機、更に見張りの報告では、敵機群が避退帰投中、相当数が海上に撃墜されたらしい(略)全員はあくまでがんばっていた。主砲はまだ健在、このままでひきさがれるか、という気概があった。そして、いんいんたる砲声は夕空に吠え続けた」

…んだとか

無題
Name 名無し 17/01/09(月)15:43:46  No.1200863      
実際この7月28日には沖縄基地からの陸軍航空隊のB-24も来襲して、重巡「青葉」撃沈を報じたものの2機被撃墜、14機損傷の損害を受けておるんだそうでして、撃墜機が「榛名」の射撃によるもの、という確証はないんですが、ほぼ戦闘機の支援を受けられなかったこの日の戦闘でも、日本側防空陣が最大限の力量を発揮したことが窺えますですな

因みに米海軍のハルゼー=サンによれば、一連の呉軍港への作戦で戦闘及び事故で失われた航空機は計133機、人員102名に上ったそうで、日本側が呉市および在泊艦艇に受けた被害の程度には及ばないものの、ほぼ連合軍が海と空を制圧しつつあった戦争末期の戦闘としては意外な多さに達しているんだそうで

日本側防空戦闘機隊、高角砲台、在泊艦艇等で戦った方々が、文字通り最後まで戦意を捨てずに、持てる力を振り絞って戦い抜いた結果ではあるんでしょうねえ…

無題
Name 名無し 17/01/09(月)15:46:14  No.1200864
>1945年3月19日の米艦上機による呉軍港初空襲

50機以上撃墜という戦果報告がその後長く信じられ、343空神話ができる契機となった空襲ですね。

源田の剣によれば343空の実際の通算キルレシオは1:2だそうです。

無題
Name 名無し 17/01/09(月)16:23:04  No.1200871
呉軍港空襲というと343空の奮戦が有名だけどその他の戦闘機隊は出なかったの?
大分とか岩国、近くの広島も軍都だから陸軍機が出てきてもおかしくなさそうだが

無題
Name 名無し 17/01/09(月)16:45:11  No.1200873
>呉軍港空襲というと343空の奮戦が有名だけどその他の戦闘機隊は出なかったの
陸軍の小月飛行場から一式戦二型3機と四式戦1機が迎撃に上がっていますね
明野教導飛行師団の山本順三少佐(航士52)と部下の桜木薫大尉(航士55)
・松井軍曹、もう一人は偶々居た空輸担当の搭乗員下川幸雄曹長だったようです(・w・
(他に8機上がった可能性が有り)
これらが対戦したのはホーネットのVF17だそうで桜木薫大尉はトミーハリス大尉に撃墜され
松井軍曹はサンドバーグ中尉から射撃され損傷し帰還、下川幸雄曹長はテイルマンEプール中尉に撃墜されていますが低空で脱出し生還していますね
他にベニントンのVF82が陸軍機の撃墜を報じてます

無題
Name 名無し 17/01/09(月)16:55:33  No.1200874
>源田の剣によれば343空の実際の通算キルレシオは1:2だそうです。
最終的な撃墜・被撃墜なんですが343空の戦果は38機前後
損失は90機+6?機だそうで・・・勇戦はしたものの
中々持って損失も多かったんですね・・・・

無題
Name 名無し 17/01/09(月)17:54:24  No.1200879
今は係留中は陸電で動かすのが普通だけど
昔は違ったのかね
まあ直流電源のフネとかもあったみたいだし

無題
Name 名無し 17/01/09(月)22:01:34  No.1200904
「この世界の片隅に」今見て来た時系列が分かっているとキツイな
エンディング前で防空壕を潰してあったのがホッとしたが最後の最後で驚いてドキッとした

無題
Name 名無し 17/01/09(月)22:29:05  No.1200908      
1483968545424
戦艦の主砲動力には複数の発電機が充てられる
これがダメになると応急用の蓄電池があるが
さすがに短時間しか稼動できない

呉の戦艦たちが砲身を下げられなかったのは
この蓄電池切れによるもの

無題
Name 名無し 17/01/10(火)12:02:27  No.1200954
>陸軍の小月飛行場から一式戦二型3機と四式戦1機が迎撃に上がっていますね
最近まで53機撃墜の大戦果を信じていた身としては、実数で10機撃墜以下だったてのはショックだったなぁ。

一応、陸軍機も上がってたのね。
詳しくパイロット名までありがとう。

無題
Name 名無し 17/01/10(火)17:54:16  No.1200965
過大戦果が当たり前の報告戦果を鵜呑みにするのはなぁ

無題
Name 名無し 17/01/10(火)19:12:06  No.1200972
>過大戦果が当たり前の報告戦果を鵜呑みにするのはなぁ
まあでも陸軍はいいかげんな戦果報告で状況判断を誤ったノモンハンの教訓からかなり是正してんだよなあ。海軍はマーシャル・ギルバートでのやらかしを台湾沖で拡大再生産してるのがなんとも。

無題
Name 名無し 17/01/10(火)20:42:40  No.1200986
またいい加減なことを。
mesh氏のレスにもあるが同条件では陸海軍での戦果誤認は変わらんよ。
海軍が極端に誤認しているのは洋上作戦で陸軍とはそもそも比べるではない。
同じ洋上作戦での誤認なら米軍も普通に誤認が大きいしな。

無題
Name 名無し 17/01/10(火)20:58:00  No.1200988
ビルマ航空戦読んでたら倍以上の誤認戦果が滅多にない(まあゼロが数機ってのは結構あるがw)みたいなんで陸軍すごいなあと思ってたんだけどあれは64戦隊だけの例外事項なん?

無題
Name 名無し 17/01/10(火)21:26:21  No.1200992
ビルマ航空戦を読んでいるなら
64戦隊が戦っていた戦場は陸地の上で味方勢力圏内、地上からの連絡も密と誤認しにくい条件が揃っていたことがわかるだろう。
他の戦場であれほど恵まれた戦場はそうあるまいよ。

無題
Name 名無し 17/01/10(火)22:00:15  No.1200996
なるほど、じゃあニューギニア戦なんかじゃ陸軍も誤認がすごいってことなんだろうね?ちょっと調べてみる、いい本か資料あったら教えてくれると助かる。
あと内地で343空があれだけの誤認戦果出してるのはどういう訳なんだろうか?一応勢力圏内で地上との連絡の密さもビルマ以上じゃないかと素人ながら思うんだが

無題
Name 名無し 17/01/10(火)22:15:27  No.1200998      
第二次大戦の隼のエース (オスプレイ軍用機シリーズ)
御期待に添えるかどうか解りませんが
「第二次大戦の隼のエース」(大日本絵画)はお勧めです
残念ながらほぼ一式戦の記録になっていて他機種までは及んでみませんが非常に面白く、また資料性も高いです(・w・
このシリーズ、殆ど増刷はしていないらしく書店よりかはAmazonがいいでしょう

無題
Name 名無し 17/01/10(火)22:18:22  No.1201000      
1484054302078
こういう話は例の取り方次第で印象ががらりと変わっちゃうので、あくまで参考程度ですけれど、例えば「飛燕」装備の防空戦闘機隊として有名な飛行第244戦隊が、5式戦に改変後の1945年6月3日に九州上空で米機動部隊からのF4U「コルセア」と空戦した時のことを戦隊長小林照彦少佐さんが日記に残されてるんですが、それによりますと

「戦果。撃墜7-9機。自爆1機(山下軍曹)、未帰還2機(本多軍曹、藤井軍曹)(略)未帰還機の生還を希うや切なり。『コルセア』の性能は大して良好ならず。キ100(5式戦)を以てすれば、低空にありても絶対不敗、高位の場合には、絶対的に必勝なり。上昇性能、旋回性能ともに我がキ100は優りあり。(略)生田少尉敵機を胴体着陸せしめ、殊勲甲なり。」

…と有りまして、優秀機5式戦が損害の2~3倍の戦果で「コルセア」を圧倒した空戦であったとされてるんですな

無題
Name 名無し 17/01/10(火)22:22:05  No.1201001      
https://cgi.2chan.net/f/src/1484054525943.jpg
一方この戦闘を米軍側から見ると、交戦したのは空母「シャングリラ」所属のVBF-85「コルセア」隊で、九州上空で「トージョー」「トニー」と識別された日本戦闘帰隊と交戦、「トニー」3機撃墜、同1機不確実、「零戦」1機撃墜、1機撃破、「トージョー」1機撃墜、3機撃破を報じてまして対する損害は3機であったそうです

失われた5式戦3機に対して実際の「コルセア」の損害は3機、更にこの空戦には飛行第55戦隊の「飛燕」及び343空の「紫電改」が加わっていた可能性がありまして、55戦隊は「飛燕」2機をこの日喪失しておりますので、米軍側の戦果には更に2機が加わる可能性があるようです
(343空は「コルセア」隊との戦闘での損害はなかった模様)

244戦隊の「撃墜7~9機」の判断に対して米軍機の損害実数は3機、逆に米軍側の撃墜戦果5~6機に対しての日本側損害実数は3機ないし5機で、互角かむしろ日本側の敗北に近い結果ではあったんですが、正直似たような話は戦記読んでるとそれこそゴマンと出てきますですな

無題
Name 名無し 17/01/10(火)22:27:01  No.1201004      
余談ですが、当日出撃した343空の搭乗員さんの手記等によると、桜島上空で陸軍機(機種記述無し)にグラマンと誤認され、危うく同士討ちになりかけたそうなんですが、逆に244戦隊の5式戦を343空側が米軍機と誤認して空戦になりかけた事例もあったそうでして、菅野大尉が自ら「見本」の「紫電改」「紫電」「零戦」各1機を率いて、陸軍の知覧飛行場に味方撃ち防止の見学会の為飛んだ事があったんだそうで

著しく緊張した精神と肉体で、悪天候や疲労と言った悪条件も有り得る中、味方機ですら敵に見えるの様な誤認が普通に起こり得ていたなら、命がけの空戦での刹那の撃墜判定ならなおさら、って事になんじゃないでしょかね

しかしそれにしても、しょうがない事ではあるかもしれませんが、せっかくの新鋭5式戦なのに、米側には新型機と気づいて貰えてないんですねえ…w

無題
Name 名無し 17/01/10(火)23:18:13  No.1201021
>「第二次大戦の隼のエース」(大日本絵画)はお勧めです
ああ、あれはいい本ですよね。ビルマの面々の記事読んだとこで放置中で書斎の本の中に埋もれてると思うんだけど今度発掘して来ますw確か南郷少佐なんかも載ってましたね。
>互角かむしろ日本側の敗北に近い結果ではあった
あらー、五式戦語る上で欠かせない244戦隊対コルセアのエピも日本側不利の戦果ですが。やっぱビルマの精度が異常なんでしょうね。くさっても内地だから地上観測班なんかによる戦果確認の精査はしっかりしてそうに思ってたんですが。

無題
Name 名無し 17/01/10(火)23:49:05  No.1201038      
>あらー、五式戦語る上で欠かせない
他にも、出撃規制が掛かっていた状態で訓練を理由にした出撃
つまり1945年7月25日の八日市上空の空戦でも日本側報告のF6F 10機撃墜
損失2機だった訳なんですが損失摺り合わせだと撃墜2機、損失2機になります(・w・
これに関しては誤認は知格、互角だった訳ですけど・・・
この日から小林戦隊長には見張りが付いて終戦まで空戦が出来ない状態に(;w;

無題
Name 名無し 17/01/10(火)22:48:52  No.1201010     
ニューギニアはいまだにまとまってる文献ないねぇ。
一時期やってたガ島への攻撃では陸軍の戦果誤認は海軍と変わらないレベル。

343空だけでなく、本土防空戦では日本の国土が狭い以上、すぐに洋上に出てしまうので地上激突まで確認できることは少ない。
343空の初陣にしても戦闘空域は豊後水道上空がほとんど洋上での交戦になっている。
また、数的、質的劣勢の日本側は敵機に弾を当てても最後まで目で追ってるヒマはほとんどない。

無題
Name 名無し 17/01/10(火)22:51:58  No.1201012
>海軍はマーシャル・ギルバートでのやらかしを台湾沖で拡大再生産してるのがなんとも。


台湾沖は相手が艦艇だからな。
艦艇相手だと特に過大報告になりやすかったのかな?

無題
Name 名無し 17/01/10(火)23:08:53  No.1201016
>艦艇相手だと特に過大報告になりやすかったのかな?
基本的に悪天候時の夜間攻撃で、オマケに照明弾投下機との時間も合わず照明弾が消えたあたりの突撃になったようですしね(・w・;
ただ比較的早めに「撃沈は1隻もなく損傷艦多数程度では無いか」とは気がついてたようなんですが天皇陛下からのお褒めの言葉や提灯行列が行われたりで引っ込みが付かなくなったようで・・・・
一番の被害者は、それらを知らされず戦果を鵜呑みにしたフィリピンの日本陸軍では無いでしょうか・・・

無題
Name 名無し 17/01/10(火)23:05:57  No.1201014
どのお船だったか、対空戦闘を凌いだ後、戦果はどうだったかと思ってたら
地元のおっちゃんが野菜を差し入れに来て
「山の向こうに敵機落ちとったで、あんたらようやった」と…

無題
Name 名無し 17/01/10(火)23:23:47  No.1201024
>過大戦果
穴吹軍曹のビルマ航空戦の回顧を見ていると敵機を撃墜した、と判断するのに立ち上る煙を一つの基準にしてるのが分かる
例えば空中戦になって煙3本上がってるのを確認、味方全機帰還なら3機撃墜、と
しかし、米英軍機は被弾して急降下してもその過程で機体の火災を消火する等して態勢を立て直してるパターンも多い、襲撃されたら急降下で回避、は一つのセオリーだし尚更

無題
Name 名無し 17/01/10(火)23:46:04  No.1201035
>台湾沖は相手が艦艇だからな。
>艦艇相手だと特に過大報告になりやすかったのかな
ブーゲンビル・ギルバート・マーシャルの諸海空戦も相手は艦艇ですよ。戦果報告は以下の通り
1943年11月5日-12月3日
ブーゲンビル島沖航空戦
敵正規空母7隻撃沈
1943年11月21-29日
ギルバート諸島沖航空戦
敵正規空母8隻撃沈
1943年12月5日
マーシャル諸島沖航空戦
敵正規空母2隻撃沈
まあこの時も悪天候下の攻撃や薄暮攻撃での戦果誤認が著しく多かった様ですが。

無題
Name 名無し 17/01/11(水)20:10:42  No.1201113      
1484133042310
>艦艇相手だと特に過大報告になりやすかったのかな?


台湾沖航空戦ですと陸軍の4式重爆「飛龍」装備の飛行第98戦隊も米機動部隊攻撃に参加してますんで、この戦隊の戦闘の経緯を追っかけてみますと、まず10月13日に米機動部隊来襲の情報を受けて沖縄の北飛行場に展開した後、夜間照明雷撃を企図してまず午後6時から触接・照明隊の電探付き「飛龍」8機、続いて一時間後に戦隊長高橋太郎少佐さん直率の雷撃隊12機の計20機が出撃したそうなんですな

ただ結論から言いますと、この攻撃では触接・照明隊と雷撃隊の連携がうまく取れず、雷撃隊は敵艦隊を発見できないまま燃料切れで帰還、更に触接隊に至っては帰還命令の伝達に不備もあったためか8機全機が未帰還となり、雷撃隊にも生じた未帰還機と合わせて結局当日の未帰還計11機と、全く戦果を挙げられないまま戦力に大打撃を受けるという、なんとも幸先の悪い「飛龍」の初陣になってしまったんだそうで

無題
Name 名無し 17/01/11(水)20:13:04  No.1201115      
1484133184209
それでも翌14日には台湾に不時着した後帰還した機も含めなんとか16機を揃えて、改めて米機動部隊への攻撃再興を図るんですが、先述の様に夜間雷撃戦法の肝だった触接・照明隊が前夜に全滅してしまったため、16機全機を雷撃隊として、それまで猛訓練してきた夜間攻撃ではなく、薄暮攻撃に切り替えて出撃したところ、今度は首尾よく米艦隊を発見して雷撃を掛けておるんだそうで

ただし米艦隊の対空砲火は非常に激しく、戦場で16機中12機が失われたほか、台湾まで辿り着いた後墜落した2機と、沖縄の基地付近で不時着水した1機の計15機の損害を出し、結局二日間で26機もの損害を受けて、戦隊の残存機は僅か2機にまで減少してしまったんだそうな

無題
Name 名無し 17/01/11(水)20:14:05  No.1201116      
1484133245487
因みに台湾沖航空戦での戦果誤認を、当時早くから認識して指摘されていた堀栄三情報参謀さんの手記に、当日の様子を記した部分があるんですが、次々ともたらされる「戦果」に沸く沖縄の基地で、この日の攻撃には参加しなかった98戦隊の高橋戦隊長さんが

「参謀!買い被ったらいけないぜ、俺の部下は誰も帰って来てないよ。あの凄い防空弾幕だ、帰ってこなけりゃ戦果の報告もできないんだぜ」

「参謀!あの弾幕は見た者でないとわからんよ、あれを潜り抜けるのは10機に1機もないはずだ」

…と一人浮かない顔で沈みこんでいたそうで、海軍の帰投搭乗員さんからの状況聴取と合わせて
堀さんが実際の戦果が報告ほどではない、と判断するに至った根拠のひとつになったんだそうで

無題
Name 名無し 17/01/11(水)20:14:55  No.1201117     
1484133295214
ただこの航空戦が終わって程ない10月16日の、日本陸軍戦争指導班の機密作戦日誌では

「昨日陸軍第98戦隊(15機(ママ))の攻撃に依り左の戦果を挙げたり、空母3(大型1、小型2)戦艦1、巡洋艦2を轟撃沈せり、陸軍雷撃機の初陣として、此の赫々たる戦果は将に空前絶後なり」

…と記されてるんですな
わずか16機(若しくは15機)の雷撃機で、空母3隻、戦艦1隻、巡洋艦2隻を一回の出撃で沈めたというなら、確かに「空前絶後」の大戦果には間違いないんですが、実際どうだったかは皆さんよくご存じの通りなわけでして

先述の様に現場では16機中15機が帰らず、まともな戦況報告も当然ない中、戦隊長ですら自隊の戦果に疑問を抱いていたような状況だったはずが、なぜかいつのまにかこういう景気の良い数字が挙がって上層部では有頂天、というヒドイねじれが生じていたというのは、考えようによってはやっぱりオトロシイものがありますですのう

無題
Name 名無し 17/01/11(水)22:30:00  No.1201126
スレ違いになりそうですが台湾沖航空戦で陸攻と銀河の攻撃により大破した二隻の巡洋艦はそれぞれ重巡洋艦キャンベラ2と軽巡洋艦ヒューストン2
ヒューストンとキャンベラって過去にも戦没してるから不運な名前なのかも知れんですね...

無題
Name 名無し 17/01/12(木)01:01:54  No.1201137
三四三空は戦闘機同士の会戦は初戦のみがよくとりあげられるけど、全会戦をみると明らかに劣勢で、特にF6F相手には完敗だったと言わざるをえない。

無題
Name 名無し 17/01/12(木)01:02:59  No.1201138
双方の損失数からみた三四三空vsF6F・F4U の全会戦戦績
最初の数字は出撃数 ()は損失数
63(15)VS 67(14) 米軍はF6FとF4U
34(10)VS 48(2) 米軍はF6FとF4U
2(2)VS 1(0) 米軍は全機F6F
32(9)VS 28(2) 米軍は全機F6F
36(6)VS 14(0) 米軍は全機F6F
21(2)VS 32(4) 米軍は全機F4U
28(1)VS 不明(0)米軍はF6FとF4U
21(6)VS 不明(4)米軍はF6FとF4U
31(4)VS 9(2) 米軍は全機F4U
20(4)VS 8(1) 米軍は全機F4U

米軍の損失数は不時着or帰還後廃棄したものを含めるが、日本軍側は帰還廃棄は不明なので含めず。「源田の剣改訂版」より

無題
Name 名無し 17/01/12(木)23:08:58  No.1201203
>米軍の損失数は不時着or帰還後廃棄したものを含めるが、日本軍側は帰還廃棄は不明なので含めず。「源田の剣改訂版」より
帰還後廃棄なんてオマケ的なものは含めずに
純粋な損失数で日本側が勝った、と言える空戦は本土防空戦だとどれくらいになるんだろう

無題
Name 名無し 17/01/12(木)21:16:53  No.1201184
>31(4)VS 9(2) 米軍は全機F4U
これはコルセア大健闘だね

無題
Name 名無し 17/01/11(水)23:12:16  No.1201130
吉田俊雄さんの本のどれかだったと思うけど、
台湾沖の大戦果にわく赤レンガで、祝勝会だってんで白いテーブルクロスまでかけて用意してたけど、その日の夕方には
「これはどうやら…」
と言うので、全部片付けられたと言う話があったな。
対外的には取り消しできなくて、コレは大変なことになる、と。

無題
Name 名無し 17/01/12(木)21:36:24  No.1201185      
https://cgi.2chan.net/f/src/1484224584189.jpg
>コレは大変なことになる

呉軍港の45年3月19日の空襲時に、戦艦「大和」以下の第2艦隊も交戦した話が「矢矧」乗員さんの手記にありましたけれど、駆逐艦「冬月」のある水兵さん曰く

「戦闘機50機くらいと交戦した時、大和と一緒にいて、敵を寄せ付けなかったので、我々の戦隊は、飛行機には強いと思っていた」

…そうなんですが、結局この時2艦隊は米艦上機約70機と交戦して、艦隊全体で敵艦爆3機の撃墜を報じておるんですけれども、駆逐艦「涼月」砲術長さんの回想によると、この戦闘の後「大和」で行われた研究会の結論はちょっとキビシイもので

「涼月、冬月の防空駆逐艦を除いては、一般駆逐艦の対空兵装は貧弱であって、輪形陣の防空には、大きな期待をかけることはできない。大和自身の防空砲火すら戦果を上げ得ない。」

…というものだったんだそうで

無題
Name 名無し 17/01/12(木)21:37:44  No.1201186      
1484224664084
同じく駆逐艦「浜風」砲術長さんの手記によると

「駆逐隊の12.7サンチ主砲は対空射撃に対しあまりにも粗末にして、防空駆逐艦はともかく、特型駆逐艦においてその4式射撃装置はきわめて精度不良、特型以降の駆逐艦に於いて、対空射撃には全量射撃を使用するのやむなき状況。また25ミリ機銃は、各駆逐艦とも単装には余り期待を掛けられず、かつ連装機銃にありても、従動照準器を有せざる結果、対空射撃効果の発揮にはなお前途遼遠なるものありたり。当日の戦闘において最も活躍すべき大和においてすら、目覚ましき戦果を挙げ得ず、将来の戦闘に多大の危惧を抱かざるを得ざりき」

…とありまして、うちの艦隊の対空戦闘はまったく冴えんのう!というか、全般に戦果評定が誇大になりがちだった我がIJNにしては、ある意味珍しいくらい悲観的な空気だったみたいですな

無題
Name 名無し 17/01/12(木)21:39:31  No.1201187      
1484224771000
ともあれそれでも泣き言は言っておられませんから、以後対空戦闘に重点を置いて、モノのない不自由な状況なりに猛訓練が行われたそうなんですが、その甲斐あってか(?)呉発空襲の10日後の3月29日早朝、伊予灘を航行中だった第2艦隊は接近する航空機編隊を発見・砲撃して見事「2機撃墜」の戦果を報じておるんだそうで

ただ問題はこの機体が実は343空の「紫電改」であった事でして、当時第5航空艦隊司令長官だった宇垣纏中将さんはその日記に

「同隊は敵戦闘機邀撃の為松山343飛行隊の戦闘機2機を撃墜するの”偉功”を奉せり。慎重を要す」

…とチクリと書きつけてたりするんですが、実際には「撃墜」された「紫電改」は全機無事でして、不幸中の幸いと言った所なんですケド、ある意味では機種・戦果の誤認と合わせて、またもや冴えんオチが付いちゃった!って話でもあるのかも知れませんですな

無題
Name 名無し 17/01/12(木)21:41:47  No.1201188      
1484224907484
ただその8日後に第2艦隊は沖縄に向けて出撃、米艦上機の攻撃で壊滅しちゃうわけですけれど、この時の米軍側の損害が被撃墜6機、損傷52機(着水1機、修理不能放棄5機を含む)
実際に日本艦隊との戦闘で失われた米軍機は廃棄分まで含めて12機になるわけですけれど、対して戦闘後の2水戦司令官より発せられた戦闘概報で報じられた戦果は敵機撃墜19機(沈没艦分を含まず)、別に「大和」の戦果として撃墜3機、撃破20機

計で撃墜22機以上、は明らかに過大ではあるんですけれど、この日第2艦隊を襲った米艦上機は総計309機

3月19日に呉を襲った機数が350~360機ほどであったそうですので、言わばその時とほぼ同程度の敵戦力と今度は味方の防空砲台、「紫電改」の支援なし、より少ない僚艦数という条件で戦ったわけでして、それでその戦果実数が呉空襲時(34機)の3分の1を超えてたというならば、むしろ健闘と称えられるべき話になるんじゃないでしょか…

無題
Name 名無し 17/01/12(木)22:49:02  No.1201195
「同隊は敵戦闘機邀撃の為松山343飛行隊の戦闘機2機を撃墜するの”偉功”を奉せり。慎重を要す」
>…とチクリと書きつけてたりするんですが、実際には「撃墜」された「紫電改」は全機無事でして、

実際に対空射撃を受けた343空側の記録によれば、
「戦闘四〇七紫電改の一隊が黎明哨戒に発進した。編隊が伊予灘釣島海峡付近上空2000mに達したとき、いきなり高角砲の弾丸が編隊を囲んで炸裂し、搭乗員は度肝を抜かれた。爆風に煽られて編隊の2機がたちまち1000mほど落下したが危うく墜落を免れた。第二艦隊旗艦戦艦大和以下第二水雷戦隊の対空砲火であった」

無題
Name 名無し 17/01/12(木)22:54:02  No.1201196
続き、「強い煽りを受けた本田飛曹長はすぐに味方識別のバンクを振って日の丸が見えるよう大和に向かって急降下した。編隊指揮官は艦隊の航行を予期しておらず、艦隊も紫電改の哨戒出動を知らされていなかった。一斉射撃の弾幕は松山基地からも望見された。紫電改は全機陸地に向けて急降下避退し、やがて基地の指示で着陸した。編隊の1機中尾秀夫上飛曹も驚いたが、同時に対空砲火の「正確さはさすが」と感心した。弾片を受けた機が2、3あったが幸い大事に至らなかった」

無題
Name 名無し 17/01/12(木)23:00:32  No.1201198      
https://cgi.2chan.net/f/src/1484229632476.jpg
最後、
「搭乗員は思わぬ誤射に憤慨し、源田司令は艦隊に抗議電を打った。(中略)-航空隊司令ヨリノ厳重抗議ニ対シ、艦隊司令長官名ニテ返電ス「警戒航行隊形ニアル艦隊針路ニ無断侵入スル航空機ハ、敵味方問ワズ、全機撃墜ガ当然ナリ」

無題
Name 名無し 17/01/15(日)17:08:43  No.1201560
>No.1201198
この件って撃った側は日本機って解ってて撃ったんですね

無題
Name 名無し 17/01/15(日)18:51:04  No.1201574
敵味方不明なら問答無用で撃ち墜とす。
味方機であっても艦隊の前に出て来る方が悪いって意味だよ。

無題
Name 名無し 17/01/12(木)22:16:11  No.1201191
詳しく知らないのですが,そもそも何で戦闘機の護衛がつかなかったんですかね。>大和特攻

護衛があれば結構違ってたんじゃないかな。

無題
Name 名無し 17/01/12(木)22:38:11  No.1201194
>詳しく知らないのですが,そもそも何で戦闘機の護衛がつかなかったんですかね

もう余力がなかったんだよ

無題
Name 名無し 17/01/14(土)15:59:30  No.1201402
>詳しく知らないのですが,そもそも何で戦闘機の護衛がつかなかったんですかね
4月6日から菊水一号~十号作戦(4月1日「全機特攻化」決定)の為、第二艦隊護衛の余力が無かったという話がありましたが、どうなんでしょうね(・w・
一応、五航艦の零式艦上戦闘機が途中まで護衛に付いたと言う話もあります
但し、これも意見が分かれているようです

無題
Name 名無し 17/01/14(土)23:20:25  No.1201462      
1484403625865
>そもそも何で戦闘機の護衛がつかなかったんですかね

第2艦隊特攻出撃の当日、米機編隊の来襲前の午前6時から10時までのみ、第5航空艦隊の戦闘機(零戦、203空・352空・大村空)が上空直衛いついてくれてるんですけど、2艦隊の宮本参謀さんによると

「作戦計画としては、沖縄まで護衛機が付く筈であった。しかし航空兵力が非常に弱体化してしまったため、それが出来なかった」

…との事なんですが、一方で連合艦隊側の三上参謀によれば

「此の第一遊撃部隊を無事沖縄まで進出させるには、当然充分な対空直掩が前提となるが、その役目を担当する第5航空艦隊は、特攻兵力を出すのが精いっぱいで、とても大和を守る力を割く余裕がない。」

無題
Name 名無し 17/01/14(土)23:21:36  No.1201463     
1484403696907
「もし余力があったとしても、味方を守るよりは、特攻機の護衛に回す方がまだしも有効だというのが、5航艦の幕僚の大勢を占める意見であったが、宇垣(5航艦)長官は”武士の情け”で、機数は多くなくても戦闘機の足が届く限りは、伊藤中将を護衛しようと自分の責任で決断された」

…と、このなけなしの直掩機が派遣された背景を語られてるんですが、同じ連合艦隊の市来崎通信参謀さんによれば

「航空部隊は(4月)6日、7日に各種の特攻機をもって敵機動部隊を全力攻撃し、相当の戦果はあがったものの、損害も大きく、遊撃部隊の上空直衛隊の派遣も思うに任せなかった」

無題
Name 名無し 17/01/14(土)23:24:37  No.1201464      
「第5航空艦隊司令長官・宇垣纏中将が連合艦隊司令部に来て、いろいろと対策を協議したが、けっきょく、無い袖はふれぬ結果となってしまったのは誠に残念で、直衛を待望しながら丸裸で進撃する遊撃部隊の事を思うと、まさに断腸の思いであった」

…そうでして、前述の二人の回想を裏付けているんですが、

「大和から敵機の大群来襲の報が有り、報が有り、いよいよ来るべきものがきたかと暗黙となったが、運を天にまかせるほかにどうする術もなく、ただ航空特攻部隊による敵機動部隊攻撃の成功に望みをたくする他はなかった」

…ともありまして、要は「大和」以下の水上特攻隊と同時に行われる航空特攻の成果次第では、水上特攻隊への支援となりうる、って判断もあった、って事ではありますのう

無題
Name 名無し 17/01/15(日)02:57:23  No.1201475
九州から沖縄まで、何もなくても20時間位かな。
ずっと飛んでいられるはずもなく、交代制で援護しないと行けない。

米機動部隊はざっと1000機を超えていて、電子戦など情報収集能力、指揮能力も高く、加えて攻める側なので何時でも敵を超える数と時間を選べる。
守る側は、この数と柔軟性に対応するために、相当の数をいつでも貼り付けておかないと、結局押しつぶされるだけ。
五月雨式のゲリラ戦術での奇襲ならまだしも、(コレもできなかった訳だけど)最盛期ですら難しかったガチガチの航空決戦を、準備万端で集結した敵機動部隊に、こっちから接近していく不利な形で挑むことになる。

無題
Name 名無し 17/01/15(日)04:21:23  No.1201480
ああ航空劣勢が決定的なこの状況じゃ水上部隊に敵の目向いてる隙に航空特攻に全振りで勝負って判断も理があるわな。結局この時の航空部隊の戦果ってどのくらいなんだろね?水上部隊と航空部隊の戦況を並列して並べてもらえるとわかりやすくなりそうだが。それぞれ別の物語として聞かされてきてしまってるのでどうも相互の時間軸の関係がよく解ってないなあ俺。

無題
Name 名無し 17/01/15(日)17:01:40  No.1201559
>そもそも何で戦闘機の護衛がつかなかったんですかね
予定では雨が降るはずだったんだよ。
結果は低く重く垂れ込めた雲という、艦隊側に最悪の天候になったけど。

無題
Name 名無し 17/01/15(日)19:39:06  No.1201580      
1484476746651
>結局この時の航空部隊の戦果ってどのくらいなんだろね

例えば「大和」以下の第2艦隊突入前日の4月6日には、海軍の「零戦」約120機と陸軍戦闘機約40機の支援、27機の黎明攻撃隊(通常攻撃)の支援を受けた海軍約210機と陸軍約80機の特攻機が出撃して、未帰還海軍178機(内特攻機162機)陸軍50機(特攻機のみの数字)と引き換えに、米軍艦船34隻に被害を与えちょります

陸海計で400機以上を集中した日本特攻戦史上でも最大の日本側のマスアタックは、邀撃する多数の米軍戦闘機隊と錯綜して米側戦闘機管制官の皆さんを混乱させまして、コレが空前の大戦果にも繋がったわけなんですけれど、戦果の内訳は駆逐艦・輸送船・掃海艇等の小艦艇に集中しておりまして、空母は軽空母「サン・ジャシント」が損傷したのみに終わってるんだそうで

従って、翌7日に第2艦隊を迎え撃つ米軍の空母若しくは艦船攻撃兵力自体はほぼ健在のままだったわけなんですな

無題
Name 名無し 17/01/15(日)19:39:51  No.1201581      
1484476791297
そして第2艦隊突入当日の4月7日にも航空特攻は行われてるんですが、特攻機の出撃機数は海軍53機、陸軍24機と前日に比して大幅に減少しているほか、直掩に当たるべき戦闘機隊も前日の戦闘で機材人員共に疲弊して可動機減少、と言わばまあ明らかに息切れの状態だったようで

ただそれでも裸で進攻する海上特攻隊にはこの「大戦果」は心の支えだったようで、沖縄に向けて出発した4月6日の午後7時50分、「敵戦闘機の大部分は我が軍の敵攻撃に牽制誘出され、沖縄特別攻撃隊は大部分奇襲に成功せる如し」と、中央からの情報が2艦隊の各艦に伝達されたほか、4月7日午前0時には連合艦隊より、6日の航空特攻で米機動部隊が空母含む数隻沈没で甚大な被害を受けた模様、との情報も受けちょるんだそうで

従って、7日11時40分、米軍機の攻撃が始まる1時間前ほどの第2艦隊の敵情判断は

「敵艦上機の来襲必至と予期するも、小雨模様の悪天候、及び既得の敵情に鑑み、その機数大ならざるべし」
「味方特攻第一次攻撃の成果に対し関心切なり」

無題
Name 名無し 17/01/15(日)19:40:41  No.1201582      
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…というもので、前日及び当日の航空特攻の成果に期待していた事が窺えるものになってるんだそうな
結局、このほぼ一時間後には前日大被害を受けていたはずの米機動部隊から飛来した大編隊に襲われて、2時間弱の戦闘で「大和」以下5隻を失って2艦隊は壊滅しちゃうわけなんですけれど、この艦上機が2艦隊への攻撃を開始し始める直前の午後12時12分、米正規空母「ハンコック」に特攻機1機が突入、甲板上に駐機していた艦上機を燃え上がらせて、戦死63名、戦傷82名の被害を与えておるそうです

ただ残念ながら、「ハンコック」からの第2艦隊への攻撃隊は10時30分ごろから既に発進済みで、そういう意味ではこの特攻戦果も「大和」以下への掩護にはなり得なかったんですが、皮肉にもというか、この日「ハンコック」からの攻撃隊は情報や索敵の誤りが重なって目指す日本艦隊と会敵できず、空しく長時間洋上を捜索の後、夕刻になって傷付いた母艦に帰投したんだとか

誤謬や錯誤は戦場の常とはいえ、それに振り回される前線の兵隊さん達の苦労っぷりは、日米問わずお気の毒ではありますのう

無題
Name 名無し 17/01/16(月)04:43:48  No.1201631      
1484509428840
ああ有名な炎上するハンコックの写真はまさに大和の沖縄特攻と同時進行だったんですか。全力攻撃は前日の4月6日だったようですが翌日なら水上部隊への航空攻撃をかなり抑制できてそうで惜しいですね。まあそれだけの損害があって当日も危険だったからこそ大和への迎撃に一旦は戦艦部隊を派遣して航空勢力を手元から離すまいとしたのかも知れませんね。ありがとうございました。

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Name 名無し 17/01/16(月)17:11:21  No.1201676      
点と点の出来事が意外な所で繋がってたりするのは歴史の面白いところだと思うんですけれどw
例えば3月19日に呉を襲った米艦上機部隊の内に、正規空母「ベニントン」所属のSB2C艦爆隊(11機)が有ったんですが、この艦爆隊所属のヒュー・ウッド海軍少佐という方が当日、YAMATO攻撃の指揮権を自分に与えて欲しい」と土壇場で提案、許可されてるんだそうで

ウッド少佐が「YAMATO」にこだわる理由というのが、去る1944年10月のフィリピンで、「大和」以下の栗田艦隊に散々に追い回されたスプレイグ少将の護衛空母艦上で親友が戦死していたから、だそうでして、言わば「YAMATO」は親友の仇の象徴だったわけですが、この日の戦闘で「ベニントン」の艦爆隊はウッド少佐の戦果も含めて「YAMATO」に3~4発の直撃弾を与えたと報じたものの、実際には命中弾はなく、ウッド少佐も帰路に「YAMATO」が依然健在であることを知らされて失望したそうなんですが、のみならずウッド少佐の部下の一機が対空砲火で撃墜され未帰還となっております(ドナルド・ウォーデン大尉機、不時着水して乗員2名は捕虜に)

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Name 名無し 17/01/16(月)17:13:58  No.1201677      
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ウッド少佐の仇討ちも、第一ラウンドは完敗と言った所で(ただし当日の日本海軍艦艇被害記録によると、「大和」は至近弾で方位盤の防震装置を損傷)、「コルセア」飛行隊の343空との苦戦もあって、或はこの日は「ベニントン」にとっての厄日だったのかも知れませんが、その後4月7日の第2艦隊邀撃戦に於いて、米艦上機攻撃隊第一陣の中に再び空母「ベニントン」の艦爆隊が含まれていたんだそうで

しかも、当日「YAMATO」への攻撃開始は当初空母「ホーネット」所属機が最初と定められていたものの、機上レーダーを活用していち早く雲上から2艦隊を発見した「ベニントン」艦爆隊が急遽先陣を命じられて、

”Sugar Baker Two Chary(=SB2C), Take the BIg Boy !”

…ということで午後12時30分より、再び「YAMATO」に向けて全機が次々に急降下したんですが、この時真っ先に「大和」に突っこんだのがウッド少佐機だったんだそうな

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Name 名無し 17/01/16(月)17:14:49  No.1201678      
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米側はこの攻撃で4発の爆撃を主張(ただし同時に「バンカーヒル」の「コルセア」も大和を爆撃してるそうな)
一方日本側戦闘詳報では12時41分に後檣付近に中型爆弾二発が命中、後部射撃指揮所、二番副砲、13号対空電探を破壊されており、米側の戦果とほぼ一致しておりまして、いわば大和撃沈に続く一連の攻撃の魁になったのが「ベニントン」艦爆隊だった、というのはちょっと因縁めいてますが、同時にこの攻撃で再びSB2C一機が「大和」の必死の反撃により撃墜され、搭乗員2名が戦死されてるそうです

当たり前の事ですが日本側には日本の、アメちゃんにはアメリカ側で色々な人々の様々な思惑や人間模様が有って、それが交錯するのが戦場なわけでして、その結果は私なんかにはかなり興味深いものなんですケド、時々ちょっと物悲しい気分になっちゃうものだったりしますですなあ…

引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1200824.htm

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