【軍事講座】戦場のメリークリスマス  presented by Skate

タミヤ 1/350 艦船シリーズ No.30 日本海軍 戦艦 大和 プラモデル 78030

文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

【免責事項】
 この記事は季節感最優先でお送りいたしますので、学術的正確性は二の次にしていることを予めご承知おきください。あと文章のノリが過去作と異なる点も生暖かくお目こぼしいただけると幸いです。

 軟骨魚綱板鰓亜綱ガンギエイ目ガンギエイ(雁木鱏)科。
 目単位では4科32属285種、科単位でも2亜科26属238種(数字はいずれもWikipediaより)に及ぶエイの巨大なグループの一つである。
 サメと共通する特徴として、体内の浸透圧調整に尿素を利用するため、身はアンモニア臭を伴うことがあり調理時には注意が必要だが、ヒレを干物にしたものが「エイヒレ」、それを甘辛煮にしたものが「カスベ」と呼ばれ、酒の肴として喜ばれる。特に辛口の日本酒を熱燗にしたものと相性が抜群であり、寒い夜には酒が進むことこの上ない一品だが、どんな酒好きでも1943年のクリスマス、トラック島沖に居た鋼鉄製のガンギエイを見て酔いが醒めない者はいないだろう。

 そんな全長約100m、体重1,500tの巨大なガンギエイ…ならぬ米合衆国海軍潜水艦「スケート(USS Skate。SS-305)」は、年も押し迫る1943年の年末、僚艦8隻とともにトラック島を取り囲み、出入する日本側艦船の動向に目を光らせていました。
 「ダーター」「デイス」「ガトー」といった日本側にとって非常に有難くない3隻を含むこの連中の目的は、日本海軍の謎めいた新戦艦「大和」。
 ハワイの司令部より「大和がトラック島へ南下中」との緊急電を受け、待ち伏せのため配置に就いたものでした。

 「スケート」の受け持ちは北水道沖。遭遇するかどうかは9分の1の確率でしたが、天は「スケート」に微笑みます。12月25日払暁、夜明けの海上に「スケート」のSJレーダーは大型の目標を探知しました。
むろん攻撃をためらう必要はありません。襲撃を決意した「スケート」艦長ユジーン・B・マッキニー少佐の手には、ハワイの司令部から発信されたこんな電文が握られていました。
 「諸君ら。よいクリスマスプレセントを」

 しかし、SJレーダーで探知した「大和」と「スケート」の距離は25,000メートル。世の中隣の輪型陣に魚雷を命中させた某国某潜水艦の某酸素魚雷のような異常な存在もあるにはありますが(そこのスク水、お前のことだよ。)、「スケート」の搭載する魚雷の射程ではとうてい到達しない距離でした。
 艦長が攻撃を絶望視したその時、「大和」は突然右に転針。「スケート」の右舷側を反航する態勢で急接近します。潜水艦回避のためのジグザグ航法によるものだとされていますが、それが偶然「スケート」に味方しました。
 もはや艦首を回頭させている時間はありません。「スケート」艦長は即断し、より少ない動きで済む艦尾を「大和」に指向。背びれの毒針ならぬ艦尾発射管から装填済みの4本を発射し、2本の命中と判断しました(「大和」側は1本と認識)。

 これが史上最大最強の戦艦「大和」の処女喪…ゲフンゲフン、就役後初めて受ける事になった敵からの被害です。
 ただし「大和」は「スケート」からの迷惑千万なクリスマスプレゼントをものの見事にスルーしており、本人は無自覚でいたところ随伴護衛艦からの通報や、艦内の「謎の浸水」によってようやく被害を実感したような有様でした。

 トラック島到着後、詳細に「大和」の調査が行われますが、上記のように表面上の損傷は軽微だったものの、浸水の原因追求の中で装甲及び構造材配置の問題が発覚し、改善が必要と診断されます。
 この点は専門書でかねてから言及され、また最近もNHKの番組で放送されたので詳細は省きますが、ともかく修理と改修のため「大和」は内地回航が決定。正月明けの1月10日に「藤波」と「朝雲」の護衛でトラックを出港します。
 今度は米潜水艦「ハリバット」「バットフィッシュ」の2隻が「大和」を捕捉。追跡に移りますが今回は幸い「大和」が逃げ切ることに成功し、クリスマスに続いてお年玉を頂戴することは何とか避けられました。
 「大和」は1月16日呉に帰還。3月18日まで上記の修理改修と対空兵装の強化改装工事が行われます。

 ちなみに、「大和」には3か月の時間をかけられた日本海軍ですが、姉妹艦「武蔵」のほうは大変でした。
 「武蔵」が被害を受けたのは3月29日、パラオ沖のことですが(犯人は磯野カツオ…じゃなかったカツオ等のサバ科大型魚の総称タニー/USS Tunny。 SS-282)、直後に策定された「あ号作戦」では「5月中旬には南方前進泊地に全兵力集結」と要求されていたので、もう1か月ちょっとしか時間がありません。
 大慌ての「武蔵」は呉に急行、4月3日から修理に着手します(入渠したのは半月前に「大和」が出たばかりの呉工廠第4ドック。というか大和型戦艦が修理可能な空きドックはここしかない)。

 詳細な図面や資料の調査なしに述べて申し訳ないところですが、工事としては損傷個所の復旧と副砲の撤去までで、「大和」で行われた内部構造の改修は実施されなかったと手元の資料にはあります(木俣滋郎『日本戦艦戦史』)。つまりこの時以降、「大和」「武蔵」の表面の下(意味深)はやや異なるレイアウトに(以下検閲により削除)。

 また、副砲撤去跡には高角砲の砲座が設置されましたが、高角砲の搭載に至らなかったことは周知のとおりです。
 その理由は「高角砲の不足のため」と一般に説明されていますが、その不足の原因はおそらく「大和」です。半月前「大和」に6基一挙に増載した結果、呉工廠の高角砲在庫を一度に使い果たした、という意味であればその説明も誤りではありません。
 ですが、仮にも「武蔵」を主力艦として重視するのであれば、他の艦や防空砲台から転用するなり、在庫のある他の軍港に回航するなりの方法があったはずです。
 そうした方法が執られなかったのは、やはり絶対的な期限の問題。5月中旬までに「武蔵」を戦列復帰させなければならないという作戦上の絶対の要請であったと思われます。
 実際、構造改善工事と高角砲搭載工事を省略するという非常手段をもって、「武蔵」はわずか24日後の4月27日ドックから出渠、直ちに南方への出撃準備にかかりました。それでも「武蔵」が第一機動艦隊主力とタウイタウイで合同したのは5月17日、集結期限5月20日のギリギリのことだったのです。

 もしも「スケート」のクリスマスプレゼントが「大和」に命中しなければ・・・「大和」「武蔵」の修理改造のタイミングやその仕様はどのようになっていたのでしょうね。

追伸
 管理人さんへ。クリスマスに貴方のサイトを見ているだけで「あっ…(察し)」なら、25日にこんな原稿を書いている僕は何なんでしょうか…。
 
【参考文献】
木俣滋郎『日本戦艦戦史』他「大和」「武蔵」に関する著作物等。

<著者紹介>
加賀谷康介(サークル:烈風天駆)
第2次大戦期の航空戦に関する研究を行う。
代表作に『編制と定数で見る日本海軍戦闘機隊』

URL:https://c10028892.circle.ms/oc/CircleProfile.aspx