無題 Name 名無し 16/11/16(水)23:25:30  No.1195719

ハセガワ 1/450 日本海軍 航空母艦 信濃 プラモデル Z03
空母って何のためにあるの?

空母を守る船は必要なんですか?
軍艦メカ 日本の空母
軍艦メカ 日本の空母
posted with amazlet at 16.11.30

光人社
売り上げランキング: 341,991

無題
Name 名無し 16/11/17(木)04:27:43  No.1195729
まだ有用性が確立されてない時代に
各国では何のために数隻も作ったのかは聞きたくはある

無題
Name 名無し 16/11/17(木)04:30:56  No.1195730
補助艦艇としての有用性はあると思ってたんじゃないかと。

無題
Name 名無し 16/11/17(木)06:35:00  No.1195731
>各国では何のために数隻も作ったのかは聞きたくはある
仮想敵が持っているから・・・というのもあるかと。

無題
Name 名無し 16/11/17(木)07:48:16  No.1195732
飛行機輸送には使えるからとか?
黎明期なら艦載機と陸上機の差がそこまでなさそうなんだけど

無題
Name 名無し 16/11/17(木)07:49:33  No.1195733      
1280px-Kaga_flight_training_1930
ワシントン条約が1万t超の航空母艦の誕生を20年は早めたと言える

無題
Name 名無し 16/11/17(木)09:54:15  No.1195743
>ワシントン条約が1万t超の航空母艦の誕生を20年は早めたと言える

運用方法が決まり切ってない時期に大型のを持っちゃったから、どの国も扱い方考えるのに相当苦労してた感がある。

無題
Name 名無し 16/11/17(木)07:58:18  No.1195736
>各国では何のために数隻も作ったのかは聞きたくはある

超ド級戦艦の長射程を活かすには高空からの航空観測が重要(WW1)

あれ?それじゃこっちが戦闘機を運用すれば一方的に敵を叩けるんじゃね?(WW1終結直後)

それされたらめっちゃやばいから、敵より多くの航空機を積もう(戦間期前期)

いっそのこと敵の空母ごと航空爆撃で沈めるなり戦闘不能にしよう(戦間期後期)

あれ?敵空母撃沈・制空権奪取のために必死こいて技術開発したのはいいけど、
これで戦艦沈められるんじゃね?(WW2初期)

航空攻撃最高や!大艦巨砲なんて要らなかったんや!(現代)

無題
Name 名無し 16/11/17(木)12:12:58  No.1195747
>航空攻撃最高や!大艦巨砲なんて要らなかったんや!(現代)

イージス艦「かかって来いやッ!!」

無題
Name 名無し 16/11/17(木)08:28:34  No.1195737
水上艦艇で決戦の海域を予測するために
偵察機が先で、それを落とせる艦戦が必要になって、その艦戦の能力向上で水上機が太刀打ち出来なくなって爆撃や雷撃できる艦上機が必要になって、という流れ?

無題
Name 名無し 16/11/17(木)12:05:28  No.1195746
ww1で長距離射程の砲撃を効果的に行うには陸上からの偵察では限界があって航空写真による観測が必須になったからな
飛行機自体の火力が低い黎明期から赤男爵が活躍し戦死する熾烈な制空権の奪い合いが発生したのもそのため

無題
Name 名無し 16/11/17(木)19:45:18  No.1195756
IRR対艦ミサイル「水平線からコンニチハ」

無題
Name 名無し 16/11/17(木)20:34:07  No.1195759      
https://cgi.2chan.net/f/src/1479382447042.jpg
>IRR対艦ミサイル「水平線からコンニチハ」

NIFC-CA「いらっしゃーい」

無題
Name 名無し 16/11/17(木)19:48:28  No.1195757
強靭な防御力と甚大な破壊力を40キロほど遠方に投射できる攻撃力をもつのが戦艦
防御力はそんなにないが強力な爆弾を人間に抱えさせて数百キロほど先に投射できる攻撃力を運用する
攻撃は最大の防御、少数の兵士の死よりも敵を叩き潰すことを優先する思想から生まれた海上戦闘システムが空母

無題
Name 名無し 16/11/17(木)20:03:21  No.1195758
従来の戦闘艦じゃ戦闘機撃墜するの大変やからね
現代はデカイ目と当たる弾が誕生して図体のデカイ戦闘艦が有利に傾いてるけど

無題
Name 名無し 16/11/17(木)20:40:20  No.1195761
航空機を運ぶのではなく巡航ミサイルを運べばいいんだ
防御は艦体に水入れて海面下に沈めるのが良いな

無題
Name 名無し 16/11/17(木)20:47:07  No.1195762
>航空機を運ぶのではなく巡航ミサイルを運べばいいんだ
>防御は艦体に水入れて海面下に沈めるのが良いな

でもそれだと索敵ができないんだよな・・・
そうや!人工衛星で敵を補足すればいいんや!

無題
Name 名無し 16/11/17(木)22:11:14  No.1195772
そういやJLENSってレーダー波の送受信は気球がやるとして
取得データの処理は陸でやってるの?それとも気球にコンピュータ載せてる?
もっと小型化出来れば車両に搭載して移動型に出来るし護衛艦にも搭載して一人水平線射撃出来るし

無題
Name 名無し 16/11/18(金)21:08:05  No.1195825      
1479470885963
戦中大本営海軍参謀だった奥宮正武さんによると、大正10年(1921年)9月1日に臨時に艦隊航空隊が編成され、艦隊司令長官の指揮下での海上における航空戦力の運用、というモノについて実地に検証が行われたんだそうで
とはいえ当時の「艦隊航空隊」は実質横須賀基地航空隊の配置換え、参加兵力も水上機母艦「若宮(当時は水上機母艦=『航空母艦』でもありますが)」に搭載された僅か4機の水上機だけであったんだとか

しかしながら青森湾付近で行われた演習では

「航空部隊の任務は、相手の艦隊の偵察と潜水艦の発見であった。航空部隊は主力部隊に属して、之字運動中の艦隊の上空を飛んで、襲撃してくる潜水艦の発見にかなりの成果をあげることが出来た」

…んだそうな

無題
Name 名無し 16/11/18(金)21:10:06  No.1195826      
1479471006619
ただ一方では当然色々な問題点も生じたそうでして、

「飛行機が艦隊とともに行動した経験によれば、それが艦隊の戦力の一部となるためには、飛行機を変化の多い海上に下ろしたり、そこから吊り上げたりせねばならず、また刻々と代わる波の状況にどう対処するか、夜間や悪天候の場合にどうするか、など未解決のことが山積みしていることが判明した」

そうなんですが、

「貴重な研究とその後の研究とを合わせて、航空関係者は、艦隊の作戦に航空機を使用する場合には、水上機ではその機会が極めて限られていることを痛感するに至った。」

無題
Name 名無し 16/11/18(金)21:11:43  No.1195827      
1479471103374
「その結果、海上の模様にあまり左右されない為には、陸上機を甲板の平坦な軍艦から発着させることが有利であるとの説が次第に有力となってきた。このことが、我が海軍が世界初の本格的な航空母艦鳳翔を建造するに至った主因であった」

…と述べられてまして、要は日本海軍にの場合は、まず海上で航空戦力を運用する際の自然現象への対応こそが、飛行甲板を有する「航空母艦」の誕生を促した要因であるそうなんですな

ただ奥宮さんの述べる所では、この演習結果こそが「鳳翔」の建造理由のようにされておりますけれど、実際の所「鳳翔」の建造原案そのものは大正7年に既に立案され、翌大正8年10月13日には建造訓令が横須賀工廠へ発令、大正9年に起工されちょるんだそうです

無題
Name 名無し 16/11/18(金)21:14:08  No.1195828      
1479471248080
また大正7年のこの建造予定「飛行機母艦」原案では、小型水上機(水戦)は艦上の飛行甲板より出発させ水上着水で回収、大型の水上雷撃機・偵察機等は後部よりクレーンで海面に吊り降ろして運用する純然たる水上機母艦だったものが、大正9年の起工頃には大分車輪付きの艦上機の運用を意識したものに変化しているんだそうで、大正10年5月15日には「飛行機帰着甲板設備実験」訓令が下され、コレに基いて横須賀航空隊の基地内に建造中の「鳳翔」とほぼ同寸の木造甲板の実物大模型が設置されて、車輪付き飛行機の艦上運用について既にテストが行われているんだとか(実施は12月頃)

或は大正10年の「艦隊航空隊」演習の結果ってのはは、こういう既に進みつつあったより近代的な航空母艦へのの「鳳翔」の仕様変更の正しさを裏付けた、という意味で収穫があった、って事なのかもしれませんですのう

無題
Name 名無し 16/11/18(金)22:12:41  No.1195832
戦間期に陸海ともに航空勢力の充実に精力的に勤めてるのを見ると
直接あの大戦火に身を投じたわけでもないのにww1の戦訓を日本はよく理解して取り入れてるな

無題
Name 名無し 16/11/18(金)22:31:27  No.1195834
>戦間期に陸海ともに航空勢力の充実に精力的に勤めてるのを見ると
>直接あの大戦火に身を投じたわけでもないのにww1の戦訓を日本はよく理解して取り入れてるな

すでに日露戦争の旅順攻囲戦の段階で、高地(高空)からの観測の重要性が陸海軍とも骨身に染みわたっていたからってのもあるだろうねぇ

あの丘の向こうのロシア艦隊を補足するために、一体どれだけの兵と時間と国費が費やされたことか・・・

無題
Name 名無し 16/11/19(土)09:31:32  No.1195875
日露戦争の戦訓取り入れは青島要塞攻略戦で良く分かるよね。
その延長で見ると
>直接あの大戦火に身を投じたわけでもないのにww1の戦訓を日本はよく理解して取り入れてるな
というのも理解できるなあ。

無題
Name 名無し 16/11/19(土)15:54:05  No.1195898
>直接あの大戦火に身を投じたわけでもないのにww1の戦訓を日本はよく理解して取り入れてるな
>というのも理解できるなあ。
WW1の前に機銃を大量に配備した要塞の強固さは体験していて日本以外はWW1でどの国も教訓を生かせなかった

無題
Name 名無し 16/11/19(土)16:06:01  No.1195899
>WW1の前に機銃を大量に配備した要塞の強固さは体験していて日本以外は>WW1でどの国も教訓を生かせなかった
そこにロシアは含まれますか?

無題
Name 名無し 16/11/20(日)04:15:36  No.1195960
>>WW1の前に機銃を大量に配備した要塞の強固さは体験していて日本以外は>>WW1でどの国も教訓を生かせなかった
>そこにロシアは含まれますか?
ww1ロシアの脆弱性は純軍事的な要素より国家構造の弱体化に起因する部分も多いので一言でどうとは言いにくい

無題
Name 名無し 16/11/19(土)20:43:37  No.1195928      
1479555817408
>直接あの大戦火に身を投じたわけでもないのに

大正3年(1914年)6月の新聞に、海軍省の谷口高級副官さんの談話が掲載されてるそうなんですが、曰く

「海軍は今後、航空母艦が必備の艦種となると判断しており、来年度(大正4年度)予算ではその整備を予定している。航空母艦は高速を必要とするが、戦艦のような完全武装の必要はない」

…云々と「航空母艦」の必要性を強く訴えてるんだそうで
またこの談話前の4月23日には、軍令部より海軍省へ商議「飛行機隊母艦建造の件」が出されて、至急の「飛行機隊母艦」建造の必要を訴え、間に合わなければ5~6000トンの汽船一隻を購入・
改装して欲しいと要望しておるんだそうな

言うまでもなくまだWW1勃発前の話なんですが、「谷口高級副官」は恐らく後の谷口尚真海軍大将さんと思われるんですけど、この方は日露戦争では軍令部参謀として勤務してまして、WW1前に「航空母艦」の必要性を語る谷口さんらの脳裏に旅順港の光景が浮かんでいた、というのは
如何にも有り得そうな話なんですが…実際どうだったんでしょかねw

無題
Name 名無し 16/11/19(土)20:48:46  No.1195929      
1479556126160
因みにわたくし先ほどのレスで奥宮さん談として、「艦隊航空隊」の演習参加が大正10年から、と書き込みましたけれど、その後他の本に当たると実際に初めてこの形で艦隊における航空機運用演習が行われたのは大正5年、その後6・7・8・9年まで毎年の計五回なんだそうで、従って先の自分の推測も正しい時系列に従うと的外れ、という事だったみたいですw

この時の主な訓練項目はやはり海上偵察と対潜哨戒に重きが置かれたそうなんですが、後者など
は当時欧州で猛威を振るったドイツ潜水艦の情報が多大な影響を与えていたんだそうで、言わばWW1戦訓による「対潜兵器」としての航空機を艦隊に付属させたい、という要求が「航空母艦」の艦隊配属及び発達の動機の一つでもあった、って話でもあるみたいですのう

無題
Name 名無し 16/11/19(土)20:50:58  No.1195930      
1479556258808
余談ですが大正5年の青森での訓練で、この対潜哨戒訓練中の一機が失速して海面に墜落する事故を起こすんですが、幸い乗員さん達は捜索中の「敵潜水艦」に発見・救助されたんだそうで

ただ「捕虜」として生還した一人の和田操中尉さんはこの事故で足に負傷、以後搭乗員の道を諦めざるを得なかったそうなんですが、その後海大選科学生として東大工学部に入学、航空技術に携わって後には空技廠長、航空本部長などを務めて海軍中将となり、日本海軍航空隊の成長を技術面から支えるのに大きな功績を残されております

また同じく夜間着水実験に挑戦中に事故を冒して機体を大破した大西瀧治郎という勇敢な中尉さんがおりまして、やはりこの方もその後海軍中将に昇進して、海軍航空隊育成に力を尽くしているんだそうで

今後の「航空母艦」がどうあるべきか、手探りしている現場に従事していた人達自身もまた、後に海軍航空戦力そのものを支えていく人材になってくってのも、いかにも黎明期らしい話な気が
しますですな…w

無題
Name 名無し 16/11/19(土)21:27:48  No.1195931 
本来は柔軟よ日本は
根底は柔軟

ただ一時期
と言うには少し長い気もするけどある時代のトップが腐れてた

引用元: https://cgi.2chan.net/f/res/1195719.htm

日本の航空母艦パーフェクトガイド (歴史群像シリーズ)