日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い4 精神論」

文:YSW

訓練について

 今回は訓練の中でも精神鍛錬について説明します。といっても今回はあまりペリリュー島の戦いに関しては出てきません。

 
歩兵の育成についてもっとも重要であるのは実戦ではなく訓練です。
 訓練によって直ぐに戦場では死んでしまう弱兵も訓練によって強兵になることが可能です。パラオ島地区集団ではどのようにしてアメリカ軍の精鋭である海兵隊と熾烈な戦いを繰り広げることができる強兵に育て上げたかを読み解いていきます。

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 サイパン作戦の大勢が決した7月31日に第三十一群司令部は敵情を判断し備作命甲第九号に基づく防備上の根本的な方針をできるだけ早く具体的にすることを指示します。
 これによりパラオ地区集団は「決勝訓練の指示」を出すことになります。[1-1] 

 決勝訓練の指示において重要視された事は以下のものでした。

・サイパン戦における経験を余すところなくこの戦いに用いること。
・敵の艦砲や空爆の下でも敵が上陸するまでに戦力を損耗させないこと。
・上陸した当日の夜、一番防備の薄い時に一挙に夜襲をかけて海岸堡をせん滅すること。
・奇襲強襲各種兵器資材の工夫と整備を徹底すること。

 
この三番目の項の海岸堡覆滅は次回にも多く出てくるものですが、これは「島嶼守備部隊戦闘教令(案)の説明」の第一章戦闘準備の第八「戦闘指導要領」六のロ「敵の上陸点に対しては速やかに主力の上陸点を判断し、該地点の敵を殲滅するにいっさいの努力を傾注するを要す。」[3-1]から来るものと考えられます。しかし夜襲という点に関しては同章の 第四十三 直接配備「敵の上陸にあたりて~中略~敵の行動困難なるの機に乗じ、猛烈ある射撃と果敢なる逆襲とを反復実施すること緊要なり」[3-2]とあります。これより夜襲するという考えに至ったのでしょう。

 そしてこれらのことを踏まえ以下のような訓練を開始します。
「精神鍛錬[1-2]
・艦砲、空爆の威力限界を認識させ、一兵、一軍属に至るまで、これに動じない心構えを作ること。また戦闘前・中かかわらず無意義に暴露して、その損傷をこうむることなく、全員敢然として地形地皺、敵の砲火の間を利用し、匍匐しつつも任務完遂に突進する気迫を確保助成すること。
・パラオ地区の決戦においては「快勝か」「全滅か」全将兵の運命はどちらか一つであることを胸に刻むこと。快勝は敵上陸の当日の夜に全員決死の覚悟で、戦友の屍を乗り越え、翌日払暁までに敵塵殺の目的を完遂する時にのみ獲得される。繰り返す。機を失った決死玉砕の覚悟は、およそ快勝道とは程遠いものである。
・われらの玉砕はたやすく、要域確保の責と戦局打開の任は重大である。すなわち、われらの要域が敵手に帰した場合は、たとえ全員玉砕しても必ずしも戦局打開に寄与できないことを鑑み、前述の物心両面にわたる統合戦力の発揮などその準備と訓練に関し一刻の猶予、遅滞もあってはならない。
・兵科将校はもちろん獣医、軍医、主計、兵技等、名前に将校とつくものは戦闘員・非戦闘員問わず、一員の例外も無く、各々少数の部下を率いて決死斬込となる決意と準備訓練を強化すること。
「戦場はすでに死地なり」、集団が死地に活路を求める方策は、各員に重要なのはとりわけ決死断行にあることを銘肝すること。」

 
以上が精神鍛錬の項における記述です。
 玉砕の禁止はもとより、ここにいる部隊の運命、つまり足止めのための駒であることを認識しているということに驚きます。また全体的にも一般的な日本陸軍の印象である楽観論は欠片も見られず、むしろネガティブなものが目立ちます。
 タラワの戦いにおいて海軍陸戦隊が全滅したことが伝わってきているのは確実であるし、また戦況の悪化は日々の補給からもわかる為でしょうか。

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(画像出典 Wikipedia タラワの戦いより)
カモフラージュがとてもおしゃれな海兵隊員。最近のバッグやレインコートでもよく見る。しかしいる場所は渋谷の街中ではなく、地獄だった。

 さて、おさらいと言いますか丁度精神鍛錬という項目でもありますし、日本軍の精神論について少し話をしようと思います。
この読者投稿を見ている方々はもちろん一般の人々にとって旧日本軍は精神論に荷重しすぎて負けた(もちろんロジスティクスも大きくかかわっていた、と知っている読者が殆どという事もわかっていますが!)という論調が大きいですし、自分も影響の大きい小さいを除けば合っているとも思います。
 しかし皆さんはその「精神論」的な戦術の説明を見たことがあるでしょうか。上の精神鍛錬においてはとても精神論的な気合をもってどうにかするというような記述は見られませんし、玉砕に関しても否定的です。という事で精神論真っ盛りである(と思われている)支那戦線で行われた演習後の意見交換に関してここで紹介します。

意見
 夜間のソ連軍戦車部隊に攻撃するという考えは自分も同じだが、自軍戦力である歩兵一個中隊をもってして戦車一個大隊を撃滅することが出来るというように考えるのは、ソ連軍戦車の夜間防御力を軽視しているのではないか。車陣の独立性(一個の部隊で砲兵能力や対歩兵能力、対戦車能力を保持しているということだろう)と夜間逆襲の可能性、装備火砲口径増大による近距離火力の強烈化について慎重な検討を必要とする。(この場合訴えているのは夜襲部隊の装備の拡充というよりも人員増備を指すのだろう)[2-1]


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(画像出典 Wikipedia T34(戦車)より)
想定される戦車の一つであり、最近でもユーゴスラビア紛争で使われたりしているT34-85。最近ではウクライナ動乱でも出現し戦車マニアの話題をかっさらっていった。

https://www.youtube.com/watch?v=9Fe4YI2N4ME
(動画出典 Youtube「Ukraine War :T-34/85 of Novorussian forces-/-Guerra Ucraina Carro T-34/85 esercito del donbass」より)
スラットアーマーが輝いて見える。

回答(長勇少将が以下すべて回答)
 敵の夜間防御力を軽視しているわけではないが、火網の混乱と士気が低下する時を機に乗じようとするものであり、兵力の増大には全く同意することは出来ない。夜戦の本質は兵力の多寡で勝敗を決するものではないからである。本戦法は皇軍独特の崇高な大和魂に期待する戦法であり、兵力の多少は考慮していない。すなわち本攻撃をと決行せんとする部隊は潜入奇襲を主義とする挺身または斬り込み斥候群的性質のものであり、本攻撃に参加する将兵に対しては「忠則尽命の大節すなわち忠魂の権限と『虎穴に入らずんば虎児を得ず』体の積極的気魄」とを極度に要求し始めて決行できるものとする。したがって全員の玉砕も辞さず、損害の多寡は論ずるところではない。ただ最後に生存する一名に至るまで決死敢行し攻撃の達成を期するもので、唯心主観に立ち、唯物的敵戦力を圧倒戦とする皇軍独壇場の夜襲しそうに出るものである。従って敵の防御火力に応じ、攻撃の兵力をさらに増大するう思想は本戦法では採用しない、敵火網の混乱と精神的に恐れを抱いた機をとらえ敢行しようとするしそうである。
[2-2]

 すっっっっっごい旧軍的ではないでしょうか。少し中略とかを入れようと思ってのですが入れるところが全くなかったのでほぼ本のまま書いてしまいました。
 さてみなさんはこの問答についてどう考えたでしょうか。その考えを持ったまま次の問答をどうぞ。

意見
 対戦車戦闘の根幹たる部隊を何に求めているのかを承りたい。

回答
 我が火砲装備優秀なる場合は火砲部隊であるが現時のように我が火砲装備が甚だしく劣勢(中略)なる場合にあっては歩兵部隊である。[2-3]

 これを踏まえて以下の意見が出された。

意見
 現状においては対戦車地雷の装備が僅少なのでこの場合の戦闘方について研究記述されたい。

回答
 教令に示してある程度の火薬装備は増備されているのを前提としている。戦車地雷が増備されあく手も火薬が増備されればこれにより地雷を作成、使用する。火薬も増備されず、現装備のようにソ連軍の約一分隊の火薬のみで近代戦の対機甲戦を実施しようとするのは無謀であり、ノモンハンの悲劇を繰り返すものだ。[2-4]

 さて、如何でしょう。
 一番最初と全く違う、理知的な応答と思いませんか?
 書いている方も同じ、相手も同じ、時期も同じ。なのに何故これほどまでに違うのか。
 これは夜襲が最後の手段であるからです。しかし戦車部隊を攻撃する兵器は足りないし、性能は相手に劣る。戦車一個大隊に歩兵一個中隊で勝てるとは思っていないのです。この時期、南方から送られてきた強大な戦車の情報、また友邦ドイツから送られてくる次々の新型戦車の数々。この結果一番最初のような文になったのです。
 その反面、タラワの戦いである程度とはいえ、米軍に損害を与えることが出来た日本軍は自らの兵器で効果的な反撃をすることが出来ることを証明することが出来た。この認識が大きく違う一番の点ではないでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=NADhmitPWU0
(動画出典 Youtube「【カラー】日本軍 フィリピン・ルソン島配備 九七式中戦車・九五式軽戦車」)

 演習に参加した仮想ソ連部隊であった戦車第二師団。この動画はルソン島の部隊であり、この後壮絶な全滅をすることとなる。

 
この応答は佳木斯(チャムス)演習の後に行われたものです。
 応答の中にはソ連戦車の主火砲が75mm以上の口径と強化され、照準装置も改良され、命中精度や発射速度も大きく向上しているのにどう対応するのか。という南方戦線でも起こっていることに関して質問しています。

 
これに対し、長少将は「対策は肉攻と砲兵の対戦車短切闇討射撃により講じられる」と答えています。この対戦車短切闇討射撃とは自軍砲兵を秘匿し、敵軍戦車が前方を通り過ぎた後に敵戦車側面を撃つ。というものです。これは沖縄の嘉数の戦車戦が有名ですが、それ以外にも南方戦線各地で多用されたものです。
 日本陸軍には優秀な将校は少ない、と言われることがあります。その一番の理由は優秀であるからこそ立ち向かいそして死んでいったのかもしれません。


引用・出典
1-1 戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦2 P131
1-2 P132
2-1
米軍が恐れた卑怯な日本軍 P177
2-2 P178
2-3 P172
2-4 P173
3-1 日本陸軍式 島の守りかた P32

3-2 P73

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