無題 Name 名無し 16/10/22(土)02:24:12  No.1192923

1477070652087
陸軍のレーダー開発
1938春  レーダーの研究を本格的に開始
1939/2 陸軍・日本電気・日本無線レーダー波受信成功
1939/5 新型送信機と大型アンテナで大規模実験開始
1940/10 ドップラー式レーダー超短波警戒機甲実践テスト開始
1941初頭 パルス式レーダー開発開始
1941/7  パルス式レーダー実験機が航空機の探知に成功
1941/9  超短波警戒機乙の試作機完成
1942/2  超短波警戒機甲開発終了
1942/6  乙試作2号機の設置工事完了、量産機の運用開始
無題 Name 名無し 16/10/22(土)02:30:20  No.1192924
一方海軍
1939   レーダーの研究開始
1940秋  観艦式でレーダー派の探知に成功
1941(前半?)ドップラー式の3号の試験を開始
1941/6  英国の戦いの影響を受けて本格的な開発開始
1941/9  パルスレーダー実験機で探知成功(陸軍の実験機と同じもの?)
1941   ドイツからウルツブルグ始め各種資料を手に入れる
1942/5 戦艦伊勢で二号一型、二号二型を試験

と、軽く検索した限りではスタートは確かに陸軍と比べても遅いですが
センチメートル波を並行開発したり13号や22号、H-6を大量整備したりと
海軍のレーダーの実戦化ペースはだいぶ早い気もしますがどうなのでしょう

無題
Name 名無し 16/10/22(土)05:28:42  No.1192928
大東亜戦争開戦で鹵獲したレーダーはどの程度両軍にとって開発の支えになったのかも気になりますね

無題
Name 名無し 16/10/22(土)12:40:53  No.1192955     
1477107653037
>大東亜戦争開戦で鹵獲したレーダーはどの程度
両軍にとって開発の支えになったのかも気になりますね

支えとはちょっと違いますがシンガポールで鹵獲された英軍の
GLmarkⅡ型はコピーされてタチ3号になり150台生産
また、フィリピンで鹵獲された米軍の射撃用レーダーSCR-268も
タチ1号(日本電気)・2号(東芝)として各10台がコピー生産されてますね

無題
Name 名無し 16/10/22(土)13:58:45  No.1192964
日本の一部の馬鹿な軍人と官僚が全くその有効性を認識してなかった。八木レーダーなど本当に素晴らしい技術があったのに

無題
Name 名無し 16/10/22(土)14:03:22  No.1192965
八木はアンテナだけどな。

無題
Name 名無し 16/10/22(土)18:45:47  No.1193006
>八木はアンテナだけどな。
宇田さん「あの....」

無題
Name 名無し 16/10/22(土)14:24:07  No.1192968      
1477113847077
日本がレーダーに関して研究を始めたのが1936年、これは英国や独と比較して2年遅れ程度で
そこから考えれば開戦時にもう少し進展してても良いように感じられますが、どうしても先入観、詰まり「送信した電波が航空機に反射して戻ってくるわけが無い」
(陸海軍・民間での1937年3月「電波研究会議」にて)や
「物を探し当てることは出来るかもしれないが、その前に自分の所在を暴露するものである」
(「日本無線史」より)との考えがあり進展ペースがスローになっていくんですけど
それでも終戦時に3~4年遅れとなっていましたから、ある程度先入観が無ければそれなりに良い物が出来ていたかもしれませんね

無題
Name 名無し 16/10/22(土)14:28:54  No.1192969
穴開けた玉に銅線を逆に入れて数珠つなぎにしようとしてたのを同軸ケーブルの代わりにしようとしてたとか
焼いた鉄をダイオードにしようとしたけど押す力や湿度で変化するからノイズばかりだった

って話が嘘なのは知ってる

無題
Name 名無し 16/10/22(土)18:32:57  No.1193002
不用意に電波を出すと逆探知されてかえって敵に捕捉されるというのは
実際その通りになってるのでは

無題
Name 名無し 16/10/22(土)18:44:42  No.1193005
向きは分かるだろうけど距離がね
三角測量できる仕組みがないと今でも無理でしょう
米軍のレーダーに対して日本側がレーダー探知機を有効に使ってたとも聞いていないし

無題
Name 名無し 16/10/22(土)19:00:48  No.1193013
>不用意に電波を出すと逆探知されてかえって敵に捕捉されるというのは
>実際その通りになってるのでは
逆探の場合は時と場所ってやつだよ別に隠密行動中はOFFで良いし
突撃じゃああって場面で索敵や命中率が飛躍的に上がるんだからね

無題
Name 名無し 16/10/22(土)19:10:19  No.1193017
>不用意に電波を出すと逆探知されてかえって敵に捕捉されるというのは
>実際その通りになってるのでは
ですので、レーダーにはそれを上廻る「利点」が有ったと言うことが無視されていたということを言っているわけですね(・w・

無題
Name 名無し 16/10/22(土)19:22:52  No.1193021
>不用意に電波を出すと逆探知されてかえって敵に捕捉されるというのは
>実際その通りになってるのでは
ドイツ海軍潜水艦の攻撃前の無線を傍受するために
イギリス海軍がHF/DF作ってたなぁ……

無題
Name 名無し 16/10/23(日)03:44:30  No.1193100
>不用意に電波を出すと逆探知されてかえって敵に捕捉されるというのは
>実際その通りになってるのでは
悪天候時や夜間に艦載機が帰ってきて、近くにいるはずなのに
母艦が見つからない状況でも、誘導電波を出すのは戦地では御法度とされていたくらいだからなぁ。

無題
Name 名無し 16/10/22(土)19:15:55  No.1193019
今でも戦車のAPS採用なんかで位置を曝露するって馬鹿にしてるやつたくさん見かけるな
新しい装備や技術に対しては保守的な国民性か

無題
Name 名無し 16/10/22(土)19:30:29  No.1193022
>今でも戦車のAPS採用なんかで位置を曝露するって馬鹿にしてるやつたくさん見かけるな
で、その性分のせいで家電、スマホ、自動運転、ドローンと新技術じゃ常に負け続けてるからなぁ(笑)

APSの電波なんかも、これだけ探知技術が発展した今となっては誤差の範囲でしかないのに

無題
Name 名無し 16/10/22(土)19:49:04  No.1193026
残念ながらこれは結果論でね
保守性が正しかったこともあるし、革新性が正しかったこともある
その判断した段階でどっちが正しいかはわからないことが多い

無題
Name 名無し 16/10/22(土)19:50:38  No.1193028
ちなみに保守性が正しかった事例は
潜水艦の小型化、大型化に反対したアメリカ潜水艦隊上層部の判断がある
ドイツ、日本の小型潜水艦をアメリカでもって声を間違ってると言い切り
中型のガトー潜水艦を鬼のように作ったアメリカの判断は正しかった

無題
Name 名無し 16/10/22(土)23:26:10  No.1193070
>中型のガトー潜水艦を鬼のように作ったアメリカの判断は正しかった

鬼のように作れれば小型でも大型でも正しくなるんじゃない。

無題
Name 名無し 16/10/23(日)01:15:02  No.1193090      
1477152902868
ガトー級はアメリカにしては鬼のように、というほど建造されてないと思うが。

無題
Name 名無し 16/10/22(土)19:43:38  No.1193024
>日本の一部の馬鹿な軍人と官僚が全くその有効性を認識してなかった。
そういえばレーダー波だしたら敵に見つかるじゃないか
馬鹿だなあおまえ(*^▽^)/★*☆♪って笑い飛ばしてたっけ

無題
Name 名無し 16/10/22(土)20:34:43  No.1193034
>レーダー波だしたら敵に見つかるじゃないか
でもレーダー無いと敵の電波も拾えない盲状態なんだな
実際受信モードで電波の無い方向へ進路を取って警戒線突破に成功した
日本艦船もいるしな

無題
Name 名無し 16/10/22(土)20:52:36  No.1193038
レーダーだと50~240km
肉眼だと望遠鏡双眼鏡で10㎞
夜はレーダーが優位。電波出してでも
対空警戒出来た方が良いでしょう。
迎撃戦闘機を優位な高度に上げる時間が稼げる

無題
Name 名無し 16/10/23(日)12:15:13  No.1193194 
>レーダーだと50~240km
>肉眼だと望遠鏡双眼鏡で10㎞
当時は快晴なら12センチ双眼鏡とレーダー補足距離がほぼ同じだったらしい
潜水艦だと見つかる前には潜れたとか
でも悪天候じゃどうしようもなくスコールから出てバッタリ哨戒機と遭遇
潜水艦長の「帽振れ」で難を逃れたとかエピソードには事欠かないな

無題
Name 名無し 16/10/23(日)04:04:24  No.1193101
レーダーにしろ通信にしろ内容はバレずとも存在は知られるってのが現代でも常識だからな
捜索手段が限られてた当時では机上の論理からすると確かに使いづらかったかも

無題
Name 名無し 16/10/23(日)11:30:32  No.1193161
ご高説の現物が故障がちで分かり辛いAスコープな代物だもの倦厭されるのも仕方なかったんじゃね?

無題
Name 名無し 16/10/23(日)19:04:44  No.1193281
>ご高説の現物が故障がちで分かり辛いAスコープな代物だもの倦厭されるのも仕方なかったんじゃね?
実際のところAスコープの情報量はPPIと変わらないのでちゃんと情報集積すれば使えるんよ
CICの生まれた理由の一つがそれ
しかしPPIの原理、簡単なのに日本じゃ思いつけなかったというのが切ない

無題
Name 名無し 16/10/23(日)19:22:54  No.1193284
>レーダー波だしたら敵に見つかるじゃないか
レーダー波を自動判別して記録できるようになるのはまだ先の話
出力がブラウン管しか無いっていうのは人力頼りだって事で、しかも短い信号なら方向も良く確認できません
対して発振するほうは任意のタイミングで使える訳で、要するに想定外のタイミングで使うのが定石、定時化しては駄目
但し日独のレーダーは送受信のアンテナ共有の為に同期が必要で送信時間は長くなる傾向がありました
アメリカはダイプレクサを開発していたので短時間のレーダー運用が出来たわけです

無題
Name 名無し 16/10/23(日)19:49:44  No.1193287
>レーダー波だしたら敵に見つかるじゃないか
でもそれならそれで前提として逆探の技術を発達させる必要があるし、そもそも艦船じゃなく、移動しない基地なら非常に有用だし小型化して航空機に取り付けるようにすればいいし、そもそも逆探での電波察知も方向までしか分からず、位置の特定などまだまだの話だし、どう見てもその一言で退けられたと思えないんだよな

実際はセクショナリズムやら、技術の未発達で開発側すら自信をもって勧められない等
様々な要因が絡み合って電探の採用は遅れたものと考えられる

無題
Name 名無し 16/10/24(月)04:23:17  No.1193327
夜戦で探照灯使うんだからレーダー使っても良いじゃん
と誰も言わなかったんだろうか

無題
Name 名無し 16/10/24(月)05:19:25  No.1193328
探照灯を使うのは敵発見後であって、索敵に使うんじゃないよ

無題
Name 名無し 16/10/24(月)08:03:09  No.1193333
ナニをおいても前例と伝統を重んじ先輩達も
「俺達の頃はレーダーなんかにたよらなったぞ情けない」
みたいなのが邪魔したのは目に浮かぶ

無題
Name 名無し 16/10/24(月)19:02:57  No.1193374      
1944年5月にリンガ泊地に停泊中の重巡洋艦「高雄」に配属になった橋本文作という兵科候補生(当時)さんがおられまして、そのまま同艦の電測士に任命されたそうなんですが、橋本氏によれば当時高雄に塔載していた二号一型(通称21号)一基、二号二型(22号)二基の計三基の見張り用レーダーは「いずれの電探も性能が思わしくなく」早速その性能向上に日々奮闘する事になったんだそうで

とはいってもなんせ自身もこの年の3月に兵学校を出たばかり、電探に関しては在学時に2、3回手ほどき程度の講義を受けたかな…という程度で、関連のありそうな物理学や通信術の講義のテキストの類も手許になし、まずは電探取り扱い説明書を何度となく読み返す所からのスタートだったんだとか

無題
Name 名無し 16/10/24(月)19:04:23  No.1193375      
更にこうした基礎理論の学習の他に、現場では解決すべき様々な問題が山積みだったそうでして、例えば当時の電探は作動開始直後よりむしろ長時間作動させた後の方が安定して稼働する
傾向があったそうなんですが、そういう使い方をすると22号では高圧トランスが焼けてお釈迦になってしまい、次々交換となると「スペアも残り少なくなり、お手上げである」

そこで艦内の電機分隊に依頼して、長時間作動に耐えるような容量に余裕のあるトランスを自前で作って貰ったそうなんですが、「あ号作戦」前に完成したこの「高雄」自家製変圧器は見事焼けることなく長時間運用に耐え、電探性能向上に大いに役立ったんだそうな

無題
Name 名無し 16/10/24(月)19:05:47  No.1193376     
他にも

「22号ではセンチ波発信用の磁電管、出力管の冷却装置が正常に働かない場合があり、冷却水の循環というような無線理論以前の問題を解決しなければならなかった」

「当時の電探はソケット等の接触不良や、不完全なハンダ付けなどによって機器の安定性は極めて悪かった。突然反射波が出なくなり、よくよく調べるとハンダ付けがはがれているのが発見されることもしばしばあった」

「性能向上対策の一つとして愛宕が採用しているのを、まず真似することとする。22号は電波の輻射と反射波の受信にそれぞれ一個のラッパを用いている(略)このメガホンを継ぎ足して大きく長くする(『何となく性能が向上したように感じられる』程度の効果だったそうですが)」

無題
Name 名無し 16/10/24(月)19:06:41  No.1193377      
「22号は左右両舷に一基ずつ装置されていて、その旋回範囲は160度くらいである(略)旋回範囲の極限(艦首尾方向)になるとリミットスイッチによって旋回が止まるようになっている(略)この一段しかないリミットスイッチの作動が確実性に欠けていて、往々にして極限方向になってもモーターが止まらず、(ぶつかって)ラッパの中心軸が狂ってしまうことがしばしばあった」

「方向指示盤があるので、それを見ていて極限になる前にスイッチを切るということにしていたが、CRTの監視に熱中してしまうと、この方面に注意が行き届かない。そこで、この際電動旋回をやめ、電探室に大きなハンドルを取り付けて人力で旋回したらどうかという案が持ち上がった(略)この工事が可能かどうか検討することにする(後実現)」

無題
Name 名無し 16/10/24(月)19:08:47  No.1193378      
…と苦労は続いたんですが、地道なトラブルシューティングの甲斐あって、1944年10月のレイテ決戦前頃には大分電探の信頼性は向上しまして、夜間演習では22号電探を使用して相手役の巡洋艦「利根」を32キロの距離で捕捉、その後「高雄」を見つけられない「利根」に無線電話で位置を通知してやり、艦橋首脳の皆さんたちが

『黛さん(利根艦長)、カリカリしているのではないか』

…と冗談を飛ばした、なんてエピソードもあったそうで、めでたく

「これにより夜間や霧中の砲撃でも盲ではなくなり、米艦と互角に戦えるという自信が持てるように」

なったんだそうな
ただまあ、逆に言えば電探が艦に装備されてから、実地に使い物になるまでにはかなりのタイムラグがあるというか、どれだけ手間がかかるものなのか示してる話な気もしますですなあ

無題
Name 名無し 16/10/24(月)19:12:45  No.1193379
イイ話だ。
技術は積み重ねだというのが良くわかる。

無題
Name 名無し 16/10/24(月)22:28:14  No.1193419
リミットスイッチの動作確実なものにするんじゃなくて人力でやるほうに行っちゃうんだ・・・

無題
Name 名無し 16/10/25(火)05:34:33  No.1193461
>No.1193378
出典元は忘れてしまったけど(元潜水艦長の橋本氏の回想録か学研M文庫の『潜水艦隊』あたりか?)
アッツ、キスカへの輸送作戦に投入された潜水艦が濃霧の中、浮上中に次々と米軍から一方的に撃たれて損害が相次ぎ、当時まだ性能に疑問を持たれていた日本の電探でもとにかく載せてくれ!と現場の潜水艦部隊から悲鳴が上がって
そこから潜水艦への本格搭載が始まったというエピソードが思い出される

改善・改良をあまり現場に押し付けるのも問題だけど
とにかく使ってみてトライ&エラーを繰り返すことも必要だったかもね

無題
Name 名無し 16/10/24(月)21:08:39  No.1193395
外省人「先に見つける必要があるんですか? 後手に回ってもいいじゃないですか」

無題
Name 名無し 16/10/24(月)22:38:44  No.1193422      
>外省人「先に見つける必要があるんですか? 後手に回ってもいいじゃないですか」
先んじて世界初の軍用レーダー開発したイギリスのレーダー満載状態のWW2末期のKGV級戦艦なんか見てるとやっぱ先駆者のアドバンテージは絶対的だわと思わずにいられんがな。

無題
Name 名無し 16/10/25(火)00:49:30  No.1193438
愛宕のレーダーは調子が良かったと聞いたことがあるが、そういう工夫をしていたんだね
現在のイージスシステムなどにも艦による性能差はあるのだろうか?

無題
Name 名無し 16/10/25(火)02:20:06  No.1193450     
また橋本さんによりますと

「(艦内)巡検に廻っている内に、気づいた点が一つある。左舷中甲板の一番煙突の横に一台のモーターゼネレーターが設置されている。ある夜それが運転されていて、周囲に反響する騒音は相当なものであった。これは何かと尋ねてもよく分からない。(略)調べてみたら22号電探のものとわかった。艦内の200ボルト直流電源から電探用の交流電源をうるためのモーター直結の交流発電機である」

「『これはいかん』と思う。こんな騒音発生源をもっていたら敵潜に探知されやすくなるし、さらに水測の邪魔になる。これも工作に頼んで防震装置を付けてもらう。それでも騒音は余り減らない。そこで(略)碇泊中の早朝訓練では運転しても何ら差し支えないが、潜水艦対策の為航海中の早朝訓練や薄暮時には原則として電探には電源を入れず、ただ配置について機器の整備や操作法の反復練習、命令伝達や発受信機の端末機操作の訓練に徹することにする」

無題
Name 名無し 16/10/25(火)02:21:06  No.1193452      
…との事だったなんですが、周知の通り後にレイテ決戦に栗田艦隊の出撃の際、艦隊司令部座乗の「愛宕」および橋本氏乗艦の「高雄」、「鳥海」「摩耶」からなる第4戦隊は進撃途中の10月23日黎明、米潜水艦の襲撃で「愛宕」「摩耶」を失い、「高雄」も被雷損傷してしまうんですが、この際もやはり前記の理由で「高雄」は電探による捜索・警戒は行っていなかったんだそうで

米潜水艦側が栗田艦隊の発見にレーダーを活用してたりするのを見るとちょっと惜しまれる気もするんですが、ただ橋本氏としてはやはり対潜索敵・警戒の主役は聴音(水測)兵器であって、その活動を妨げる騒音源になるとあっては使用を慎むべき、という判断もあってのことだったそうです

ともあれ、「高雄」は本隊に取り残されまま、半身不随の状態で敵潜水艦の潜む海上で再び日没を迎えるという非常に危険な状況に陥ったわけなんですな

無題
Name 名無し 16/10/25(火)02:22:33  No.1193454      
ただここで橋本氏は健在であった電探による夜間警戒の実行を進言したそうでして、

「高雄を始め護衛の両駆逐艦(『長波』、『朝霜』)が頻繁に通信電波を輻射しており、その位置、行動は秘匿できない。それならば積極的に電探を活用して敵潜を近寄らせない事が必要であるとの考え」

…により、搭載電探をフル活用して対潜哨戒を開始したんだそうな
(因みに司令塔を出している潜浸状態の潜水艦ならば5~6キロメートルで探知できたとの事)

実際米軍側の記録によると、「愛宕」らを沈めた米潜「ダーター」「デース」の2隻はなお執拗に「高雄」にトドメを刺す機会を窺っていたものの、しばしば日本側のUHF(電探の)輻射電波を感知した為に近寄ることが出来なかったとされておるんだとか

無題
Name 名無し 16/10/25(火)02:23:29  No.1193455      
この辺戦いの妙というか、なまじ自身がレーダーの有効性を知ってて、その検知方策も持っている分、当然敵方が使用してきた時にその危険性を強く意識せざるを得ない、って事なのかもですが、その後「高雄」を先回りしての攻撃を企図した「ダーター」はその運動中に岩礁に座礁、艦を放棄せざるを得なくなるという顛末になるわけでして

或は米側の攻撃を躊躇させたこの電波、「高雄」護衛に残った「長波」若しくは「朝霜」からの物であったのかもしれませんが、仮に「高雄」の電探だったとすると、見事橋本電測士の企図通り自艦の防衛に役立っただけでなく、ある意味姉妹艦と自分を傷付けた米潜水艦にインガオホーの一矢を報いた、って話になるのかも知れませんですな…w

無題
Name 名無し 16/10/25(火)04:25:40  No.1193459
日本軍はパラボラアンテナは思いつかなかったのでしょうか?
後知恵かも知れませんが、受信面積を増やそうとすれば直感的に思いつくと思うのです
八木宇田アンテナとなるとちょっと直感的ではないので
たくさん並べた方がいいよね?
はなんとなくわかるけど

無題
Name 名無し 16/10/25(火)05:49:44  No.1193462 
パラボナアンテナはセンチ波クラスの受信に適する物だからなぁ。
日本のレーダー開発が遅れた原因の一つが、長い事メートル波に重点を置いて研究してたからな訳で、時期的にも難しいんじゃないかな?
そもそも参考にしたドイツの電探からしてメートル波重点だったし。
ドイツのセンチ波レーダーの開発は日本より遅いくらいな訳で、参考にした所が悪かったとしか言いようがないなぁ。

無題
Name 名無し 16/10/25(火)10:20:34  No.1193475      
>日本のレーダー開発が遅れた原因の一つが、長い事メートル波に重点を置いて研究してたからな訳で
逆探だと逆にセンチメートル波対応のものから実用化されてったんだっけ?
(ラケット型空中線のE27)
後に米軍がメートル波の電探使いだしたということでドイツ製のMetoxを導入したような・・・

無題
Name 名無し 16/10/25(火)14:25:36  No.1193486
後期に登場した米軍のメートル波レーダーってなんだろう?
基本的に波長は短くなっていく方向で、センチ波から今はミリ波やマイクロ波だけど……。
米軍のレーダーって、すごいすごいと言う話ばかりが先行して日本語の資料ほとんどないからなぁ……。

無題
Name 名無し 16/10/25(火)15:37:32  No.1193492
>米軍のレーダーって、すごいすごい
「伊58潜帰投せり」だとインディアナポリス裁判の時
「潜望鏡どころか大きな箱が浮いていても探知できない」
って証言がある
潜望鏡が引っかからないかビクビクしながら上げてた橋本元艦長もガッカリしたそうだ

無題
Name 名無し 16/10/25(火)15:33:41  No.1193491
対空見張りだけなら短波より到達距離が長くて
高出力での発振も楽なメートル波でよい
射撃管制には使わないのでセンチ波とパラボラ使ってビームを細く絞る必要もなく
古典的なマットレスタイプのアンテナでぶっとい電波の網をひろげて目標を効率的に探知できる
米軍だとCXAM~SKレーダーの系譜 波長1m~1.5m

水上目標探知になると海面との識別が必要になるので解像度のあるセンチ波の出番になる
高出力・安定の発振はだんだん難しくなってくる
二号二型だって使用波長こそSGと同じだけど出力が1/25でしかない

無題
Name 名無し 16/10/25(火)18:15:35  No.1193497
>日本軍はパラボラアンテナは思いつかなかったのでしょうか?
タチ24号とか2号3型電探はパラボラを採用してるけど参考にしたのがウルツブルグのそれだからな

無題
Name 名無し 16/10/25(火)20:00:38  No.1193512      
>逆探だと逆にセンチメートル波対応のものから実用化されてったんだっけ?

IJNの電探開発の元締めでした伊藤庸二技術大佐さんによると、逆探の開発も電探と同様、超短波(75~400㎝)とマイクロ波(3~75㎝)に分けて実施されておったそうでして、E27は前者の超短波用の逆探として日本電気と七欧電気で製造されたものになるんだとか

横須賀工廠の通信実験部長だった谷恵吉郎技術少将さんによれば、現場からの強い要望で、実用品としては未だ未熟な面があったものの、一九四三年秋から量産が開始されたそうでして
空中線は金網製の円筒形全方向性のものと、ラケットの指向性のものが使用され、高周波増幅部は探知すべき75~400㎝の波長帯を4区分して、各波長帯ごとの増幅器を取り替えることで探知電波の波長切り替えを行う構造だったんだそうで

無題
Name 名無し 16/10/25(火)20:01:36  No.1193513      
コレだといちいち不便ですし、アメちゃんの側も(日本の逆探を警戒して)短時間の電波照射に切り替えるようになってきた為、4セットの増幅部をダイヤル切り換えに改良したのが1944年4月頃で、コレを以てほぼ最終的なE27完成形とするそうなんですが、
実際には1943年7月のコロンバンガラ海戦で駆逐艦「雪風」もしくは軽巡洋艦「神通」の装備した逆探が効果を発揮したという記録もあって、「一九四三年秋」以前より実戦投入はされていた模様なんだとか

次にマイクロ波(㎝波)対応の逆探についてなんですが、こちらの開発はIJN自前のマイクロ波電探である22号の改良と密接に連動しているんだそうで

例えば22号は当初受信装置にもマグネトロンに局部発振させるスーパ―再生受信方式を採用していた為、受信性能がどうしても不安定となる宿痾を抱えていたんだそうなんですな

無題
Name 名無し 16/10/25(火)20:01:59  No.1193514     
これが1943年11月、海軍技研で研究に協力していた東大理学部の大学院生で霜田光一さんという方の努力で開発された高性能の鉱石検波器により、44年1月には22号の受信装置がオートダイン方式に、ついで7月にはスーパーヘテロダイン方式に改善され、性能の安定に一役かったそうなんですが、これらの研究成果は並行して逆探開発にも活かされ、霜田氏によれば44年1月に千葉の富津海岸で行われた試作逆探の試験では、23キロ離れた芝浦から送信される22号電探の電波へのSN比は10倍近くも有り、約10倍の利得を持つ受信空中線の電磁ラッパを取り除いても十分に受信感度があったんだそうで

前述の谷恵吉郎少将によれば、1944年末頃より波長20~3㎝帯域は電磁ラッパ型空中線、75~25㎝はラケット型空中線で受信する、鉱石検波式のマイクロ波逆探が月産約70台ずつ生産され、艦船に搭載されたそうなんですが、関係者の手記によってはドイツの「メトックス」のデッドコピーとされるこの逆探にも或はこの研究結果が反映されてるのかもですが、結局日本でもやはり技術的に困難なセンチ(マイクロ)波逆探の実用化は後になってた、って事みたいですのう

無題
Name 名無し 16/10/25(火)19:35:03  No.1193509
ミリ波・マイクロ波は日本が開発と聞いたことがあるんだがガセ?

無題
Name 名無し 16/10/25(火)20:54:37  No.1193524
>ミリ波・マイクロ波は日本が開発と聞いたことがあるんだがガセ?
日本は200MHz以上のVHF帯ではほとんどまともに動作するものを作れませんでした。
というのもエーコン管以上の高周波管が無かったからです。
600MHzのウルツブルグのコピーはドイツ製真空管のコピー成功まで進行しませんでした。
マイクロ波では、まずマグネトロンの発明は1921年のA. W. Hullです。
キャビティマグネトロンの発明が日本が最初で1938年、翌年イギリスで、更にその翌年にはソ連でも発明されています。
問題は、日本にはマイクロ波コンポーネントが基本的に発振管であるマグネトロンしか無かった点です。
1941年にイギリスからマグネトロンを手渡されたアメリカには、前段増幅管である進行波管がありました。局発用のクライストロンもアメリカにはありました。
高周波同軸ケーブル用のポリエチレンも、高周波用のコネクタもありました。
ベル研は高純度シリコンをカプセルに詰めた物を生産しました。ただの鉱石検波とは性能が随分と違った筈です。

無題
Name 名無し 16/10/25(火)22:49:19  No.1193534
>ベル研は高純度シリコンをカプセルに詰めた物を生産しました。ただの鉱石検波とは性能が随分と違った筈です。
戦後のトランジスター開発に繋がる基本的な技術が既にあったんだね

無題
Name 名無し 16/10/26(水)04:11:59  No.1193556      
>高純度シリコンをカプセルに詰めた物
「海軍技術研究所」にも、霜田さんが研究中、全国から取り寄せた天然鉱石の内黄鉄鉱とシリコンがマイクロ波に適当、と分かったもののシリコンの純度を上げる方法が分からないので黄鉄鉱に絞った、なんて話がありましたですな

因みに他の方が既に上げられておられますけれど、橋本以行中佐さんの手記によりますと、1943年5月ごろからのキスカ島方面の北方緊急作戦の頃には、ちょうどイ158潜水艦長として艦載電探の装備試験に従事していたんだそうですが、残念ながら性能や艤装その他の点からも成績は思わしくなく、それでもその将来性を見抜いた橋本氏は

「とにかくこの戦勢上(電探)兵器の完全発達を待たずに採用し、装備に着手しながら改善していけば、現在のような全くの盲目で暗夜や霧の中にいるよりはマシだ」

…と主張したものの、遂に「成績不充分の故により不採用と決定された」んだそうな

無題
Name 名無し 16/10/26(水)04:13:00  No.1193557      
やがて北方作戦が始まると、

「霧の多い北方にこそ電探装備の(自分の)艦が行くべきだと言ったが、後のいろいろの実験を急ぐのでついに残ることになった。」

「出ていく艦の若い士官に『電探さえあったらと思う時が有ったら、沈む前に電報を打てよ。黙って沈むなよ』と電探が採用にならなかった不満もあって冗談に言ったのだったが、幸か不幸か冗談が当たって、僚艦伊一五七潜は座礁のうき目にあった」
「電探があったらこんな羽目には陥らなかったろう。その他にも同時に北方に作戦した潜水艦は、みな霧中に電探がないため盲目行動を繰り返し、優秀な電探を持つ米艦艇の為に赤子の手をねじるようにやられたのであった」

「(伊7潜の撃沈について)全くの盲人と目明きの戦いで、敵は霧の中からでも正確に我に向かって撃ってくる(略)即日潜水艦による撤収作戦は取りやめとなって、駆逐艦による一挙の撤収が実施されて成功した」

無題
Name 名無し 16/10/26(水)04:13:27  No.1193558      
…という有様だったそうなんですが、この際窮余の一策として前述のように配備されつつあった逆探が北方に向かう潜水艦に装備されたそうなんですな
ただコレも橋本氏に言わせれば(ただし北方作戦終了後1944年頃の回想)

「なるほど理論的には、潜水艦は敵に受信される恐れのある電波探信儀はなるべく使用を控えて、敵が電波を出しているのを捉える受信専門の電波探知機(逆探と略称)を主用すべきだ、との理論家も潜水艦長にあったが、大多数は受信率の少ない逆探より、電探を主用して積極的に完全に捉える方がよいと考えていた。逆探はすでにキスカ作戦で落第済である。けれども現実に装備しているのはドイツから教わった逆探のみである」

…と散々な評価だったりするんですけど、一つには北方作戦時はまだマイクロ波に対応した逆探がなく、従っておそらく米艦が霧中での射撃に使用したSGレーダー(マイクロ波)に無力だったこともその一因だったりするんじゃ?という事だそーで

無題
Name 名無し 16/10/26(水)04:14:11  No.1193559      
ただ橋本氏には「落第生」の烙印を押されちゃったE27逆探ですが、1943年12月に、内地からシンガポールへ向かう重巡「青葉」が、バシー海峡で敵潜水艦の発する(レーダー)電波を逆探で捉えて難を逃れた事例が、海上護衛隊総司令部によって「電波探知機を利用した敵潜回避」と題した戦訓資料として配布されてたりするんだとか

前述の通り、まだこの時期のE27は操作の煩雑な初期型だったはずなんですが、逆探感知後に浮上しているのを発見した敵潜水艦の位置から推定した探知機の誤差は約5度となかなか優秀だったんだとか

結局「逆探論」も「電探論」も探せばどちらも役に立った事例が見つかるというか、優秀なものを両方装備するのが望ましい、って無難な結論に落ち着くのかもですな…w

無題
Name 名無し 16/10/26(水)09:29:59  No.1193570
話を聞いていると逆探の成功例は「難を逃れた」みたいな話ばかりで攻勢には向いてないんだね
失敗すると撃沈されて話すら残らないしね

無題
Name 名無し 16/10/26(水)10:58:31  No.1193576 
逆探は方位はわかっても距離は簡単には出せないので、射撃管制には向かないもんな。

無題
Name 名無し 16/10/26(水)11:32:13  No.1193578      
>結局「逆探論」も「電探論」も探せばどちらも役に立った事例が見つかるというか、優秀なものを両方装備するのが望ましい、って無難な結論に落ち着くのかもですな…w

日本潜水艦の出したレーダー波が探知され、撃沈に至ったケースがあったので、日潜は逆探使用をメインにしたという話があったような???
捕捉されたらオサラバ!な潜水艦と、水上艦では勝手が違うんでしょうけど

無題
Name 名無し 16/10/26(水)11:39:53  No.1193579
キスカ島からの撤退が成功したのはレーダーのおかげ。(米軍の)

無題
Name 名無し 16/10/26(水)16:09:57  No.1193590
駆逐艦の神風がセンチ波用逆探のE47装備してたけど末期も末期な時期だったんで
あちこちから入感するけど対処も出来ない感じだったっけ

無題
Name 名無し 16/10/26(水)18:43:30  No.1193607     
>日本潜水艦の出したレーダー波が探知され、撃沈に至ったケースがあった

米側に逆探を活用されて、日本側潜水艦が被害を出した具体的な事例としましては、1945年2月9日~10日に米潜水艦 バットフィッシュ (SS-310)が日本潜水艦3隻を立て続けに沈めた件があるそうでして、内呂112及び呂113潜ではその捕捉及び追跡に逆探が役に立ったとの米側の報告があるんだそうで

ただ3隻全ての攻撃において、バットフィッシュは目標への接近の為自艦の電探も併用しておりまして、逆に言えば日本側の逆探がこの米側電波の捕捉に失敗(確実な所は分からないですが)したための敗北とも言えるわけでして、この辺はまあ、技術上の優劣がシビアに勝敗に繋がる電子戦のキビシサ、って結果とも見れるんではないでしょかね

無題
Name 名無し 16/10/26(水)18:44:27  No.1193608      
因みに先に逆の事例というか、逆探で「高雄」の派手に出す22号電探他の電波を捕捉していたが故に警戒して近づけず、迂回中に座礁しちゃった米潜「ダーター」が座礁してしまった話をしましたけれど、世の中は狭いといいいますかwこの座礁・放棄された「ダーター」のレーダー調査を請け負ったのが、先述の22号電探の性能向上に功績を上げた霜田光一さんだったりするんだそうで

この時のレポート内容が以下のページで公開されてるんですけれど

http://www.yokohamaradiomuseum.com/shimodawebsite/shimoda.html
曰く

「日本の艦船用電探は受信機だけでも数十kgあって、総重量は数トンもあるのに、米軍のレーダーは桁違いに小形軽量にまとめられているのにまず驚かされた。日米の技術力の差は歴然としていた(略)潜水艦は10気圧以上の水中を潜航するのに十分耐えられるような対策が、それぞれ入念に施されている。そして敵味方識別装置を備え、レーダーのレンジは近距離から遠距離まで必要により切り換えている」

無題
Name 名無し 16/10/26(水)18:47:21  No.1193609     
「SJレーダーには、味方のレーダーの電波で鉱石検波器が焼損するのを避けるための装置まであるのにはびっくりした。全艦船が強力なレーダーを備え、集結して作戦行動するので必要になったのであろうが、より低出力のレーダーを漸く使い出したばかりの日本では、考えもしなかった。
送受切換回路については図の説明で述べたが、日本ではメートル波用の同軸型放電管はあったが、図2や図12にあるセンチ波の空洞用の切換放電管は研究も試作もできなかった。フレキシブルな導波管も、X-bandの金属製クライストロンも日本にはなかった。パルストランス、導波管、アンテナ、風防のradomeなど、日本では戦前の技術から少ししか進歩していなかったが、米軍のレーダーに使われた技術は飛躍的に進歩していた。
マイクロ波技術では(略)4分の1波長トラップの原理を応用した浮遊接触(floating contact)が使われていたが、これは日本の技術者には理解できない高度技術だった。」

…そうでして、なまじ技術に精通してる分、当時実際に先行してる側の実装に触れた際感じた衝撃の大きさが伝わってくるような感じですなあ

無題
Name 名無し 16/10/26(水)02:23:40  No.1193555 
陸軍のセンチメーター波レーダーや逆探の開発状況はどうだったんでしょうか

無題
Name 名無し 16/10/26(水)20:01:45  No.1193616     
1477479705284
>陸軍のセンチメーター波レーダーや逆探の開発状況はどうだったんでしょうか

陸軍はマイクロ波に関しては興味を持っていなかったようです。
海軍のマイクロ波レーダーは哨戒用に使うには有効距離が短く、陸上反射を拾いやすかったためだと思われます。
陸軍の哨戒用レーダー、電波警戒機乙は100MHz以下、送受信アンテナは原始的な距離を置いて送信波分離を図るもので、陸上からの反射は分離できませんでした。
更に高い周波数領域では、陸軍はウルツブルグに興味が集中していたようです。
図は占守及び幌筵島に設置していた哨戒レーダーの配置図です。米軍はこういう電子偵察をきちんと行なっていました。

無題
Name 名無し 16/10/26(水)20:08:13  No.1193618
戦時中のレーダーの話となると、日本の技術は遅れていて~という文脈で語られることが多いが、逆に言うと、実物を見てばらしてみれば、それがどんな装置でどこがどのように働き、どのような使い方を企図して設計されたものだと理解できる。
日本側にも地力はあったわけで、それほど技術レベルが隔絶していたわけではないのがわかる。
まあ、その「あと一歩」が永遠に遠いのだけど。

無題
Name 名無し 16/10/26(水)20:14:42  No.1193619
>その「あと一歩」が永遠に遠いのだけど。
まさにそれ
必要な性能を出す。形にする。使えるようにする。
少しでも物を作ったことあるなら、それをあと一歩とは言わないと思う。

無題
Name 名無し 16/10/26(水)20:20:57  No.1193620
対して米陸軍の据置型マイクロ波哨戒レーダーは、ビームを細くするのとアンテナ形状を工夫することで地上からの反射を拾わないようにしていたようです。
AN/CPS-1はサイパンの一番高い山の上に設置され、一基で360度全周を哨戒しました。
戦後になると水銀遅延管を使って1フレーム前の受信波形を保存しておき、反転したのを受信波に加算して、前のフレームと違う部分、つまり移動体だけを検出する仕組みを備えるようになります。

無題
Name 名無し 16/10/26(水)20:42:44  No.1193622      
>陸軍のセンチメーター波レーダーや逆探の開発状況はどうだったんでしょうか

徳田八郎衛さん(元一等陸佐、防大教授)の「間に合わなかった兵器(光人社)」によりますと、

「陸軍のレーダー開発の特徴は(略)パルスレーダーのコンセプトを正しく確立し、まずメートル波の対空捜索レーダー開発から始め、最初から難問のマイクロ波に挑まなかった点があげられる。当時、日本の電子管技術では波長が短くなるにつれ送信出力も受信感度も不安定になり、波長1.5メートルあたりが限度であったから(略)着実なレーダー開発を行なったと言える。だが米英やドイツとの違いは、最後までマイクロ波レーダーに到達できなかった、正確に表現すると、到達出来た時には終戦となっていたという点である」

無題
Name 名無し 16/10/26(水)20:43:19  No.1193623      
「もっとも陸軍の誰もがマイクロ波レーダーに興味を持たなかったのではなく、火器管制器材の能力向上を図るグループ(技術本部第二部)は海軍と同様、世界一のマグネトロンに着目し、これで発振させた20センチ波を用いた対空射撃管制レーダーを対空捜索レーダーと併行して開発したいという希望を持っていた」

「超短波では高性能の射撃管制レーダーは得られないことが予測されたが、地上型にしろ機上型にしろ、陸軍技術陣はマイクロ波の応用は研究段階に留め、超短波の波長を少しづつ短縮する方針でこれに挑んだ。しかし、試作はしたものの実用性を欠いたり、精度が不充分で量産に移行できないまま、あるいは生産工場が戦災にあったりしているうちに終戦を迎えるのである」

無題
Name 名無し 16/10/26(水)20:43:58  No.1193624      
…との事で、まず簡潔に当時の陸さんの状況をまとめているというか、最良の高射砲用の射撃管制レーダーが結局終戦間際に完成した独ウルツブルグレーダーのデッドコピー(波長50㎝)な事なんかからしてもほぼ正確な評価だとは思うんですが、それでも数少ない陸サンのマイクロ波電探として15㎝波使用の対潜水艦捜索電探(タセ2号)なんてのもあったりはしたんだそうで
ただ一応実用化まではこぎつけたものの、結局トラブル続出で「輸送船にまで回せる優秀な整備員がいなかったためであろうか」陸揚げされてしまったんだそうなんですが、そもそもマイクロ波使用の対水上捜索船上電探なんてのも、対空用のタセ1号ともども、海軍で既に開発中の各種電探と重複する計画なわけで

「後世の我々だけでなく、当時も多くの青年技術将校が不思議に思い、高官に意見具申を
試みている」

…んだそうで

え?いつもの事、ですっt(

無題
Name 名無し 16/10/26(水)20:51:48  No.1193626
「やれば出来る」ってのは技術力じゃないからなー
改良するのも、不具合や考慮不足見つけるのも、モノが出来てからの話だよ。
新しい技術ならばなおのことだよ。
水銀遅延管の話なんて、そこまでの基礎研究があったから出来たことだと思う。

無題
Name 名無し 16/10/27(木)02:18:00  No.1193673      
モノももちろんですけどヒトの問題ってのもまた大変だったそうでして、例えば前述の橋本潜水艦艦長さんはその後の戦中も潜水艦の電探装備実現に奔走されてるんですが、単純なハードウェア改善の面だけでなく、その運用する人員の質、というものを非常に重視したんだそうで

再び手記からの引用によれば、

「呉鎮守府の人事部へ行っては『潜水艦の電波兵器不成績の原因は人にある。(電探)採用後一年間、従来一人と言えども高等科修了の電測員が配員されたことがない(略)これでは(電探が)使えるかどうか、議論するのはまだ早い。やるべきことをやっていない』と人事部員を説いて、高等科卒業の成績優秀者一名の配員を承諾させ、かつ普通科の者も優秀な者を配員するように特に依頼した」

無題
Name 名無し 16/10/27(木)02:18:30  No.1193674      
「人事部の約束である高等科の電探員長たるべき者が発令されたが、なかなか着任しない。再三催促の末、やっと一月ほどして前川兵曹が来た。聞いてみると、「通信学校の教官は『人事部に話すから、この教員不足の折から行くな』と言い、人事部からは折り返し『潜水艦の方へ行け』と言ってきたので一ヶ月のびた、ということであった」

「対水上艦艇用の電探員は芝浦の研究所の実験所に皆預けてあったので、前川兵曹も直ちにあずけて、破壊してもすぐに組み立てができるくらいに徹底した再教育をやってもらうことにした。これは伊藤技術大佐の過分の好意からであった。艤装中に連合艦隊司令部主催で電測学校において艦船乗組電探員に対する特別講習があったけれども、程度が知れているので参加させなかった」

…とのことなんですが、確かにまあ、新規の装備なり機械なりが全艦隊なり部隊なりに大量配備される様になったら、機材の生産や品質管理に加えて、操作人員の育成ってのも当然大きな問題になってくるわけですよねえ

無題
Name 名無し 16/10/27(木)02:19:53  No.1193675      
またコレは「高雄」電測士の方の橋本氏の話に戻るんですがw、損傷した「高雄」がその後シンガポールまで回航されるも、修理もままならず髀肉の嘆を囲っていた所に、塔載の22号電探を両舷2基とも重巡「足柄」に移設するよう指令が下されたそうなんですな

当然橋本氏は激怒してまして

「こちらは戦力にならない落伍艦、足柄は現役の巡洋艦である。指令に従わざる得ないわけであるが、腹が立った。礼号作戦で被害を受けたからというのであれば話は分かるが、理由が気に食わない。足柄の22号が性能が悪いからだという。」

無題
Name 名無し 16/10/27(木)02:20:14  No.1193676      
「高雄では同じように性能の悪い電探を手塩にかけて能力向上に心がけ、暗夜や視界不良時の航海、射撃にも対応できるようにした。それを安易に持って行かれるのではやり切れない。乗員の練度が低ければ使いこなせないのではないかと危惧の念も抱かざる得ない。足柄の電探員や電測士は何をやってきたのかと自問する。これで高雄は修理が成っても夜間や視界不良時の警戒航行はできない。高雄はこの先どうなるのかと懸念せざるをえない」

…とまあ、不満芬々名のが伝わってくるんですが、まあ橋本氏らにしてみれば乗艦以来昼夜を問わず心血を注いできた電探は我が身の分身も同然、毎日コツコツとカイゼンを重ねて改修MAXにこぎつけた高雄の22号はよその素の22号とはモノが違うんじゃいっモノが!って事なんでしょうけれど、同じ装備を積んでいながら操作人員の質で艦ごとに性能が違う、じゃ確かに綜合戦力の発揮上、大きな問題ではあったんでしょうなあ

無題
Name 名無し 16/10/28(金)08:18:41  No.1193765
>No.1193609
「味方のレーダーの電波で鉱石検波器が焼損するのを避けるための装置まであるのにはびっくりした。」
というのはダイプレクサ、送信と受信でアンテナを共用するためのもので、米軍は最初の艦載レーダーから使っていました。味方のレーダー云々と言うのは副作用で、まずは自分の送信波から遮蔽するためのものでした。
原理は簡単で、送信波の位相を半波長回転させてやればインピーダンスは無限大になる、この自明の理屈を使っています。ダイプレクサには様々なバリエーションが当時からありましたが、全てこの理屈を使ったものです。
ここまで理屈を思いついていれば、放電による共鳴管の短絡で半波長分送信波をずらしたものを重ねるという仕組みは、米軍のものを見ればすぐにわかっただろうと思います。
それが判らなかった訳で、実のところ日本では、アンテナ以外で電路のインピーダンスについてあまり考えてはいなかったのだと思われます。

無題
Name 名無し 16/10/28(金)14:20:56  No.1193786
インピーダンスという概念が直感的にはわかりにくいよね

無題
Name 名無し 16/10/28(金)21:51:12  No.1193842      
>送信と受信でアンテナを共用するためのもの
1942年9月23日に、出来立てホヤホヤの戦艦「武蔵」の通信長として着任した松井宗明海軍技術少佐さんの回想によると、当時「武蔵」の艦橋トップの15メートル測距儀の上に据えられた21号電探の

「空中線は、はじめ約三ヵ月の間は、送受は別個に作動し、左舷が送信、右舷が受信用として使用したが、トラック島進出準備の時、送受共用装置が完成し、その後は両舷を送受に共用した」

…んだとか

因みにこの間のある時、同艦砲術長より

「通信長、電探は測距儀の上に載っているんだから、砲戦の時、電探も測距をやってもらえんだろうか」

…との相談を受けたそうなんですな

無題
Name 名無し 16/10/28(金)21:53:37  No.1193843      
元より見張り用の精度しかない電探では難しいと答えたもの、結局「80ミリのブラウン管で、砲戦測距のお手伝いをすることになった」そうなんですが、なにせ80ミリのブラウン菅で有効径が75ミリ、それに150キロ測距可能としてあるので距離10キロがブラウン管上では5mmの長さに指示されてたそうでして、1キロの長さが0.5mmとあっては精密な測定はやはり難しかったそうなんですが、それでも掌通信長と数日がかりで結線図を引っ張り出して改造に取り組み、なんとか目測で500メートルは読める算段を立てたそうで

ところが実際に測距してみると、どうも(光学)測距儀と800~1000mぐらいの誤差が出てしまい

「測距長、測距儀に誤差があるんじゃないか」
「通信長、冗談言っちゃあいけません。15m測距儀三本の平均値ですよ。150mもありませんわ」

…なんてやり取りがあったそうなんですが、海図で確かめるとやはり誤差があるのは電探の方だったとかで、大急ぎで技研にも報告を送ったんだとかなんとか

無題
Name 名無し 16/10/28(金)21:56:17  No.1193844      
その後松井さんは「大和」通信長を経て1943年6月に横須賀工廠通信実験部に転勤、6月下旬から「大和電波探信儀訓令実験委員」として再び「大和」に乗艦、7月中旬には伊予灘で行われた「大和」塔載電探の試験で実験主務を務めたんだそうで

当時「大和」には21号電探の他、22号および13号電探が装備されていたそうなんですが、

「技研から来ている22号の神様と言われている松村、広瀬両氏の懸命の努力もむなしく、第一日目は見事に失敗した(略)第二日目(略)森技術少佐指揮の下に22号の調整に徹宵した甲斐あって、戦艦35キロ、駆逐艦16キロ、潜望鏡5キロの成績が出た。更に射撃をやってみたら、なんと15㎝副砲の弾の飛んで行くのが5000mも見え、1万5000m射撃で、水柱も見えるではないか(略)これなら使い物になると、自信を付けて、私は「大和」と訣別したのであった」

…と述べておられます

無題
Name 名無し 16/10/28(金)21:59:00  No.1193845      
ただ原勝洋さんの「戦艦大和のすべて(インデックスコミュニケーションズ)」にもこの実験経過が紹介されてるんですが、こちらだとやや内容が異なりまして

「(1943年7月)25日~26日:伊予灘において『大和』は装備した電波探信儀の探信能力及び測距角精度実験をした。本実験では二号一型と二型追加装置(零感度方式精密測角装置)装着の性能をも検査した」

「28日:『大和』は柱島を出港、電波探信儀利用射撃の距離観測実験を実施した」
「29日:『大和』は同地を出港、電波探信儀利用射撃による左舷遠距離並行対勢射撃による第一作業では、二号二型零感度方式による間接射撃、第四作業では副砲弾水柱による弾着観測実験、近距離近対勢射撃(第ニ作業)、近距離並行対勢射撃(第三作業)、主砲弾水柱による実験(弾着観測実験・第六作業)を実施した後、平郡島沖に仮泊した」

…とあるんですが、

無題
Name 名無し 16/10/28(金)21:59:54  No.1193846     
「二号二型は、第一作業では十四から十五粁で目標捕捉した他は第四と第六作業で感度が無く不合格となり、『仮称三式二号電波探信儀二型』と呼ばれそのまま塔載された」

…となってたり

あるいは砲弾そのものや水柱まで22号が完全に捉えた、って松井さんの回想は25~26日の実験においての事だったのかもですけれど、面白いのは29日実施の実験結果表をみると、副砲弾の水柱観測を目指した第四実験、同主砲弾の水柱対象の第六実験で、先述のように22号は「感なし」と記されてる一方で、21号電探で飛翔する砲弾及び水柱の反射波が観測された、という表記があるんですよね
理論的に言えば、勿論メートル波の21号よりセンチ波の22号の方が海面上の目標の捕捉には断然向いてるはずなんですけれど、まあその辺も含めて、如何にも未だ駆け出しの艦載電探らしいエピソードな気もしますですな

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1192923.htm

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