無題 Name 名無し 16/10/15(土)16:42:12  No.1192075

日本の軍事テクノロジー―技術者たちの太平洋戦争 (光人社NF文庫)

何もかもが開発が遅かった日本(レーダーや短機関銃など)

無題
Name 名無し 16/10/15(土)17:03:17  No.1192076
レーダーについては海軍についてうろ覚えだが
・正式化されれば改良が進まない
・艦制本部と空技廠のセクショナリズム
とかがあるとか伊58の艦長が言ってた

無題
Name FMG 16/10/15(土)17:08:55  No.1192079
>レーダーや短機関銃など
基礎産業が確立されていた欧米に比べ、チョンマゲ切ってから100年経たないおらが国の違いでござる。

無題
Name 名無し 16/10/15(土)18:43:57  No.1192091      
http://cgi.2chan.net/f/src/1476524637812.jpg
祖父の代はチョンマゲ結って火縄銃、父の代はロシアで村田銃だったような人たちが自前でこんな短機関銃を作れるんならマシなほう

無題
Name 名無し 16/10/15(土)20:08:54  No.1192105
>祖父の代はチョンマゲ結って火縄銃、      >父の代はロシアで村田銃だったような人たちが自前でこんな短機関銃を作れるんならマシなほう
むしろ兵器史では日本ほど圧倒的な進化を遂げた国ってないよね
現在では世界最高峰の軍事テクノロジーを持ってるし

無題
Name 名無し 16/10/15(土)19:56:45  No.1192103
100式短機関銃とか開戦前に陸軍の半分に配備してたら少しは違ったんじゃないか?

無題
Name 名無し 16/10/15(土)20:11:45  No.1192107
>100式短機関銃とか開戦前に陸軍の半分に配備してたら少しは違ったんじゃないか?
226事件の時に警視庁の全警察官がサーベルじゃなくて100式短機関銃持ってたら制圧できたんじゃない?

無題
Name 名無し 16/10/15(土)20:15:03  No.1192109      
大発なんてむしろ世界に先駆けた開発だと思うんだが

無題
Name 名無し 16/10/15(土)20:35:33  No.1192116      
http://cgi.2chan.net/f/src/1476531333609.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%BC%8F%E5%9C%B0%E9%9B%B7
世界に先駆けて制式化された、金属探知機に発見されないセラミック地雷。
 
苦情は受け付けません。

無題
Name 名無し 16/10/15(土)22:23:03  No.1192132
>世界に先駆けて制式化された、金属探知機に発見されないセラミック地雷。
信管にトラップ用の機能があったから対戦車のみならず対人用としても使えたりと(ワイヤーを使った遠隔爆破も可能)
見た目に反して意外と便利だったみたいねこれ
信管は野砲や迫撃砲の砲弾にも取り付けられたから砲弾の有効活用にもなったっぽいし

無題
Name 名無し 16/10/15(土)22:04:10  No.1192130      
>何もかもが開発が遅かった日本(レーダーや短機関銃など)
陸軍の100式だって導入自体は戦争に間に合ってたんだけどねぇ
生産力の問題もあったんだろうけど欧米みたいに塹壕での近接戦闘を経験しなかったのも短機関銃に興味がもたれなかった理由なんだろうか
海軍は陸戦隊でまとまった数がつかわれてたのに(警備任務が多いから?)

無題
Name 名無し 16/10/15(土)22:30:48  No.1192133
セミオートマチックライフルは結局必要だったのかそうでもないのか
そうでもないようにするために軽機関銃多めってわけではないのか?

無題
Name 名無し 16/10/15(土)22:48:18  No.1192134
ボルトアクションよりはセミオートの方がいいに決まってるけど結果的にStG44の登場で不要になったと思う。
アメリカはガーランドのせいでM14なんて遠回りしちゃった気がするんだよね。
朝鮮戦争にAK47が出て来ればまた違ったのかもしれんけど。

無題
Name 名無し 16/10/15(土)23:18:57  No.1192138
>欧米みたいに塹壕での近接戦闘を経験しなかったのも短機関銃に興味がもたれなかった
>理由なんだろうか
日本陸軍は日露戦争で軽機関銃、短機関銃なしで重機関銃で厳重に防御されたロシア軍の陣地を攻略をするという力押しの戦術をやって大量の死傷者を出した経験があるから、短機関銃の必要性は痛感してるはずなんだけどね。
対戦相手のロシア帝国の後継のソ連も、フィンランドとの戦争で短機関銃を装備したフィンランド歩兵に苦戦をするまでは、短機関銃を大量配備しようと考えなかったから、日露戦争の戦訓は日露両国にはあまり影響を与えなかったのかもしれないな。

無題
Name 名無し 16/10/15(土)23:35:42  No.1192140
そもそも第2次大戦の短機関銃って本当に塹壕戦向けに開発されていたのかな
イギリスのステンとかもろに代用兵器だろうし、アメリカのカービンやトンプソンも指揮官向けの軽量火器扱いなんだよね

>日露戦争の戦訓は日露両国にはあまり影響を与えなかったのかもしれないな。
というか、列強全体に意外と影響を与えていなかったのかも
日露戦争だと死傷者別が銃>砲だったのがWW1だと砲>銃になってるように、この時期は銃火力に対する砲火力の増大が起こり始めていた時期のようだから、列強自体も自分たちのドクトリンを上手くまとめられていない感じ
そりゃぁ彼らを師匠と仰いでいた日本軍も迷走するよな
ってのが「砲・工兵の日露戦争」にあった
その中でも日本軍は重砲兵の拡充など、自分たちなりに出来ることはやってるんだけどね

無題
Name 名無し 16/10/15(土)23:57:50  No.1192148
>その中でも日本軍は重砲兵の拡充など、自分たちなりに出来ることはやってるんだけどね

枢軸国の野戦砲兵はドイツ、日本、フィンランドみんな優秀だった
貧乏故に人材配置で優先して優秀層を迎えたのかねぇ

無題
Name 名無し 16/10/15(土)23:52:41  No.1192144
>対戦相手のロシア帝国の後継のソ連も、フィンランドとの戦争で短機関銃を装備したフィンランド歩兵に苦戦をするまでは、短機関銃を大量配備しようと考えなかったから、日露戦争の戦訓は日露両国にはあまり影響を与えなかったのかもしれないな。


んなこたぁない
塹壕戦のブレイクスルーは高度に訓練された兵による浸透戦術でロシアは最初にこれを成したし、日本は第二次上海事変でこれを完成の域に高めたこれが現代までの歩兵陸戦の礎になっている

浸透戦術では高度に訓練された下士官指揮による分隊縦列浸透で、この際の分隊支援火器としては軽機は力というか継続戦闘能力不足で結局重機関銃を分隊が活躍している
日本は特に機関銃座破砕には擲弾を有効活用した

軽機は機関銃分隊に集中配備の方針として整備されたんだけどいまひとつ運用が定まっていたとは言いがたい

無題
Name 名無し 16/10/16(日)00:07:37  No.1192150
>日本は特に機関銃座破砕には擲弾を有効活用した
確かに、言われてみれば日本陸軍は短機関銃の代わりに擲弾を発展させていたね。
日露戦争で世界に先駆けてライフルグレネードを使用したのも日本陸軍だし、大戦時には各歩兵小隊に専用の擲弾発射機を配備していた。

無題
Name 名無し 16/10/16(日)03:05:51  No.1192167
>浸透戦術
>ロシアは最初にこれを成したし、日本は第二次上海事変でこれを完成の域に高めたこれが現代までの歩兵陸戦の礎になっている

浸透戦術って第1次世界大戦で完成されたものだと思っていましたが第二次上海事変で付け加えられた新機軸って何がありましたっけ?

いずれにせよ太平洋戦争中盤以降はアメリカ軍に対しては通用しなくなってしまいますけど

無題
Name 名無し 16/10/16(日)02:31:38  No.1192163
日本軍が中国戦線で浸透戦術したっていう事実はないみたいですね。上海でも普通に対壕掘って前進してたらしいし、隠密接近しても一つ一つの壕を虱潰しにする従来の戦術で、前線をスルーして指揮所を攻撃し指揮系統を麻痺させる浸透戦術ではなかったらしい。

無題
Name 名無し 16/10/16(日)09:32:02  No.1192186
>No.1192163

突撃発起線に到達するまでは制圧射撃や壕を利用するものだし、浸透戦術って小隊レベルの話ではなくてもっと大規模な作戦だから、完全に無かったとは言い切れないのでは?
敵陣を一つも制圧せずに浸透する、なんて無理だしそれを虱潰しと評価されても。
制圧と言う概念が理解できてないのでは? 動きを封じる、反撃できないようにするだけでも制圧ですよ

無題
Name 名無し 16/10/15(土)23:57:48  No.1192147
>日露戦争の戦訓は日露両国にはあまり影響を与えなかったのかもしれないな。
ドイツや連合軍が実戦のなかで短機関銃を使ったり(あるいは使われたり)したのに対して日露戦争では短機関銃がなかったので両軍とも短機関銃の有効性とか脅威ってのを実感する事ができなかったのかも
>そもそも第2次大戦の短機関銃って本当に塹壕戦向けに開発されていたのかな
WW2で使われた物は塹壕戦用じゃなかったかもしれないけど
有効性を認識したのはWW1の塹壕戦が切っ掛けじゃないかと勝手に思ってるけど実際の所どうなんだろう

無題
Name 名無し 16/10/16(日)00:05:39  No.1192149
>日露戦争では短機関銃がなかったので両軍とも短機関銃の有効性とか脅威ってのを実感する事ができなかったのかも

日本は当時でも騎兵が機銃を運搬して機動戦を行っているし
機関銃座を破砕することにかけては重砲兵から戦車装甲車、戦銃分隊配備の重機関銃、歩兵の擲弾にいたるまで戦術の主眼として腐心して兵器開発と操典の整備を行っている

単に軽機関銃という金のかかる割に有効性が乏しいというか
威力が少ないわりに弾薬運搬に輜重を割かれる兵器の優先度が低かったというのが本質

無題
Name 名無し 16/10/16(日)00:34:29  No.1192154
>単に軽機関銃という金のかかる割に有効性が乏しいというか
>威力が少ないわりに弾薬運搬に輜重を割かれる兵器の優先度が低かった
確かにWW1が始まるまでは、重機関銃と値段はそれほど違わないのに、軽いだけが取り柄で、面制圧射撃ができない軽機関銃は不要との意見も多く、軽機関銃の開発を遅らせる要因を作ってしまったね。
しかしWW1で大規模塹壕戦が始まると、歩兵小隊、分隊レベル同士の戦闘が多発することになり、分隊でも使用できる軽機関銃の必要性を痛感することに。

無題
Name 名無し 16/10/15(土)23:54:41  No.1192145
国府軍のチェコ製ZB26に苦しめられた経験が、その後の日本陸軍の軽機関銃の開発に大きな影響を及ぼしたけど、もし国府軍が短機関銃を大量に使用していたら、日本陸軍の短機関銃に対する認識も大きく変わっていたのかな。
良くも悪くも日中戦争は日本陸軍の用兵思想に多大な影響を与えているね。

無題
Name 名無し 16/10/16(日)00:44:27  No.1192155      
>良くも悪くも日中戦争は日本陸軍の用兵思想に多大な影響を与えているね。
日中戦争と言えば以前にここだか裏にたったスレで日本軍が編集した日中戦争の教訓が紹介されてて
その中で「一般小銃手の射撃は効果がないし火戦に参加させても損害が増えるだけなので突撃のみに使用する」とか
「戦場での射撃は殆どが狙撃的な射撃だった」
と言う物があってその結果として射撃戦は軽機関銃と狙撃手を主力にしていくと言う方針になったそうだけど
生産力の無さに加えてこういった戦訓も短機関銃が軽視される原因になったのかも

http://gunji.blog.jp/archives/1059357709.html

無題
Name 名無し 16/10/16(日)01:45:56  No.1192158
日本の場合主戦場が中国大陸やシベリアで、広大な平原での戦闘に短機関銃持ってってもしょうがないという理由もあったし、ソ連軍が短機関銃を活用したのは精度よりも構造が簡単ですぐ作れて何よりも訓練をきちんと施さなかった新兵にも使えたこと、
そして機械化やタンクデサント戦術で遠距離の(といっても数km)陣地に急速に肉薄して制圧する戦術が使えたことが理由か

あと、分隊規模での臨機応変な対応が練度不足でソ連軍では不可能だったため、兵士一人ひとりの戦意を失わせない、突撃を受けてもメクラ撃ちで当てられる可能性がある短機が精神安定剤になっていたかも。素人に銃剣突撃やよく狙って撃つなんて無理だし
日本軍が擲弾筒や制圧射撃に優れていたのは他の人が書いてるとおり。WW2の頃は各国の事情が影響大きくて一律に語れない

無題
Name 名無し 16/10/16(日)07:15:36  No.1192176
短機関銃はヨーロッパでも射程が短いので困った場面は多くあったしね

無題
Name 名無し 16/10/16(日)08:01:55  No.1192177      
>日露戦争の戦訓は日露両国にはあまり影響を与えなかったのかもしれないな
>というか、列強全体に意外と影響を与えていなかったのかも

旅順要塞の攻囲戦では、日露がお互い塹壕を掘って対峙した訳ですけれども、その際お手洗いは塹壕戦の末端に穴を掘って臨時の便所と為していたそうなんですな
しかしながらロシア兵による狙撃の危険からやむを得ずその場で排泄を行うのが常となり、暑さや降雨と相まってジゴクめいた惨状を呈したそうなんですが、いつしかこの始末に困る代物を紙や布に包んでロシア軍陣地に投げ込む「汚物投擲」や「投擲人(自粛)」が頻繁に行われるようになったんだそうな

この投擲人●も英仏の観戦武官によって報告されてるんだそうなんですが、後にWW1でも排泄物を瓶に詰めて投擲する「手投人●瓶」が塹壕戦で使用されてるんだとかで、仮にこの種の生物(化学?)兵器の先ベンを付けたのが日本だったとしたなら、一体なんという恐ろしいパンドラの箱を開いてしまったのでしょうか(棒

無題
Name 名無し 16/10/16(日)10:17:23  No.1192193
攻城戦では汚物の投擲は大昔から行われていたはず
他にも投石機による死体の投擲がありますわね

無題
Name 名無し 16/10/16(日)10:38:31  No.1192199
>他にも投石機による死体の投擲がありますわね
疫病で死んだ人間とか動物の死体を投げ込んでたんだよな
一種の生物兵器みたいなもんだけど毒ガスも紀元前にスパルタ軍が亜硫酸ガスを使ってたりとBC兵器って意外と歴史があるんでびっくりしたわ

無題
Name 名無し 16/10/16(日)10:32:13  No.1192195     
ウ●コグレネードは余談ですがw日露戦争には欧米各国の武官が視察に来てたのと同様、WW1の際は日本から欧州戦線に観戦武官が派遣されまして、戦後はその所見や観察が纏められた膨大な資料が残されてるそうなんですが、その中の「世界大戦の戦術的観察(1926年)」によりますと

「火力対肉弾の戦法は、今日より見る時は其不合理なる事、敢て喋々を要せずと雖も、(第一次)大戦前に於ては之を不合理と認めざりき(略)日露戦争に於ける日本軍隊は能く精神力の偉大なることをを立証せりと雖、肉弾が能く近代的火力を駆逐したりと称するよりは、寧ろ日本軍の精神力が露西亜軍の夫れを凌駕せりと謂うを至当とすべく、表面に表われたる現象を以て、直に肉弾が火力を駆逐しめたりとなすは誤なること、言を俟たざるなり」

無題
Name 名無し 16/10/16(日)10:33:01  No.1192196      
「日本軍の肉弾主義は幸か不幸か日露戦争に於て散開戦術の矛盾を明確に暴露するに至らざりしなり故に、精神力が相伯仲せる欧州戦(略)に於て、右の如き特殊現象が破れ、偉大なる火器に直面して肉弾を以て戦はんとする旧歩兵戦術の、不合理にして既に近代戦に於て適合せざることを適確に証明するに至りしは誠に当然の事に属す」

…とありまして、要はまあ、日露戦争の教訓を学んでいたはずの欧州の軍隊がなんで
お互いの戦いでまた屍山血河の惨状を呈したのか?ってことに対する回答なんですけれど、
この時点で日露の戦いは物理的な火力は精神力に勝るという普遍的な近代戦の原理を
翻すものではない、って冷静な分析はちゃんと陸軍部内にあったわけなんですな

無題
Name 名無し 16/10/16(日)10:33:31  No.1192197      
この論文の最後には、結論として日本軍の将来のあるべき姿も描かれているそうなんですが、

「将来戦に於ては(略)敵の火力至大なるを以て戦場に於ては一名も敵に暴露して前進することを許さざらん。斯の如き時代に於ては戦闘群の人員は益々減少し、各人は遊動性を有し、自働兵器を備えたる個人用装甲車の内部に全然隠蔽するに至らん」

「空中に於ては既に今日迄著しき発達せる航空兵力が空中権を争奪せる時、地上に於ては大小各種の装甲兵種が雌雄を決せんとせるべしとの想像は数十年を出ずして実現さるべきものと考えらる」

個人用のパーソナルハイテク装甲車なんて今の自衛隊でも支給されてないような装備です
けれどもw今から90年前、当時の日本軍内全ての人とは言いませんけれども、こういう先進的思想自体は普通に存在してた、という事みたいですな

無題
Name 名無し 16/10/16(日)10:43:30  No.1192200
>お手洗いは塹壕戦の末端に穴を掘って臨時の便所と為していたそうなんですな
そういえば以前、旧ユーゴ出身で戦争経験のある人と話をする機会があったけど、陣地を維持する上で一番大切な事は「メシ、水、便所の確保」だと言ってたな。
たとえ面倒でも、きちんとした便所を作らないと衛生面や、士気の面で悪影響が出て、陣地を維持することができなくなるそうだとのこと。
ちなみに彼がどこの戦場にいたのかは、私のヒアリング・スキルがいたらなくて地名が上手く聞き取れなかったので分からないまま。

無題
Name 名無し 16/10/16(日)14:17:53  No.1192213      
大戦中、アメちゃんは非常に熱心に日本軍の研究を重ねてまして、それは日本人の習慣や文化形態にまでおよんだそうなんですが、その成果?のひとつに「日本人は小便は集団でするが、大便は必ず一人でする」というものがあったそうなんですな

コレを利用して、屡々野●の為に集団から離れた日本兵を襲撃して捕虜にする、なんて事もあったそうなんですが、この習慣を詳細に分析したアメリカ軍情報部は、つまり日本人は礼儀を尊び他人に迷惑を掛けぬ自己犠牲に富む民族である、だからこれは他人に大●の匂いを嗅がせないためである、よって

「日本人は●便の匂いが嫌いなのではないか」

…という結論に達したんだとか

無題
Name 名無し 16/10/16(日)14:20:27  No.1192214      
じゃあアンタらはウ●コの匂いが好きなんかい!って当然のツッコミはとりあえず置くとして、これに基いて米情報部では科学技術の粋を尽くしてある秘密兵器を完成させたそうでして
「大●チューブ」というそのまんまなネーミングのこの新兵器、その中身は猛烈な●便臭を発生させるも、水または石鹸には溶けず、ただしドライクリーニング溶液にだけ溶解する厄介な化学合成液で、1943年頃から主に中国戦線で密かに現地の協力者に供与されると日本兵(なるべく将校)に対するある意味テロ攻撃に盛んに用いられて

「中国民衆の間に、密かに日本兵を笑いものにする話題を提供し、日本軍の威信の低下の促進に役立った」

…そうでして、まあ正直科学技術の進んでるのにも使い方が有るだろう?って所なんですが
ある意味では、連合軍得意のオペレーション&リサーチの逸話の一つってことになるのかも知れませんですな…w

無題
Name 名無し 16/10/16(日)17:29:42  No.1192239
>「日本人は●便の匂いが嫌いなのではないか」
アメリカ人は好きだったのかな

無題
Name 名無し 16/10/16(日)18:10:02  No.1192253
西部戦線異常なしで、ドラム缶の便器を野原に持ち出して、戦友と無駄話しながらクソするのが楽しみだった描写があったな
余談だが、西洋の王族は玉座造りのオマルに腰掛けて謁見するのが親愛のしるしだった時代があったとか。つまりウォースパイトは

無題
Name 名無し 16/10/16(日)18:41:57  No.1192257      
先に日露戦争の時の日本陸軍のウ●コ手榴弾の話をしましたけれど、一方でもう少し微笑ましい話も残っておりますそうで

ある戦線で高地に造られた監視哨が、日露両軍の争奪戦の的になったことが有りまして、夜はロシア軍が占領していたのを朝には日本軍が取り返す、というような事が繰り返されていたそうなんですが、そんな最中に何度目かの奪還に成功した日本側が、ロシア兵の置手紙を見つけたそうなんですな

曰く、日本軍は我が軍の捕虜を虐待していると聞く、どうかそんな事はやめて欲しい…という内容だったそうなんですが、そこで早速我が軍はそんなことをしていない、露軍の捕虜はこの通り日本国内で厚遇されている…と証拠の写真も付けて、次にロシア側に追い出された時にw同じように置手紙をしておいたんだとか

無題
Name 名無し 16/10/16(日)18:43:55  No.1192258      
そして同時にこの時、日本酒の数瓶を残すとともに

「露軍は占領中この場所にどこでも脱●するが、その不潔と不快が甚だしいので以後はそういう事は慎んでほしい」

…旨、要望書を添えて退却したそうなんですが、その後またまた日本側がこの監視哨を奪回してみますと、今度は前回と打って変わって綺麗に清掃してあり、なおかつ捕虜厚遇と日本酒の御礼か、幾らかの貨幣が置かれていたんだそうな

公共の場での戦闘は、マナーとルールを守って清潔に行いたいものですな(棒

無題
Name 名無し 16/10/16(日)19:26:58  No.1192266
コレも先の大戦中、アメちゃんが極秘裏に開発したひみつへいきの話なんですが、見た目が小麦粉そっくりの爆薬、というモノが有りまして、外見だけで無く実際に小麦粉と同じく加えて水を加えて捏ねて過熱しても爆発しないでパンやビスケットに焼きあがるという、ある意味擬装爆薬としては最適の代物だったそうなんですが、唯一つ、●ンコの匂い成分の一つである「スカトール」と化学的に反応して爆発するという、妙な特徴もあったそうなんですな

コレが狙ってやったのか偶然の産物だったのかは不明なんですが、ともあれコレも完成するとアメリカから当時の蒋介石政府顧問のマイルズ海軍少将を通じて国民党軍の手に渡り、各種の破壊工作に使用されることになったんだそうで

無題
Name 名無し 16/10/16(日)19:27:53  No.1192267      
その標的の一つに、南京郊外のある橋梁が選ばれたんですが、この橋の破壊工作を命じられた工作員サン、ラーメン屋の屋台を仕立てると小麦粉爆薬を麺に仕立て、鍋で煮たてながら気を窺っていたんだそうな

程なく日本軍の歩哨がやって来たものの、鍋の中身を知ると警戒心を解き、店主(の工作員)が進めるラーメン(状の爆薬)を機嫌よく啜った後に立ち去ったので、そこで鍋の湯を捨てて麺を練り固めると、橋脚に貼り付けて電気信管で着火し、首尾よく標的の爆破に成功した――という報告がこの爆薬の開発者さんにも届けられたそうなんですが、よく考えれば人間の消化管の先には当然ウン●も詰まっておるわけでして、当然何も知らずに日本の歩哨さんが食べた小麦粉爆薬はやがてそこでスカトールに接触したはずなんですな

無題
Name 名無し 16/10/16(日)19:29:37  No.1192268     
何も知らぬ内に爆・発・四・散・!したであろうと思われる、この名も知らぬ日本兵さんの最期を想像して、開発担当者サンも思わずその冥福を祈ったそうなんですが、差し詰めコレも人間の叡智と絶え間ない努力の結晶が容赦ない殺戮行為に全振りされる、人類の歴史に刻まれた戦時下の愚行と悲劇のエピソードの一つ、と言う所でしょうか(棒

残酷!殺人的爆薬拉麺之巻!!

~終劇~

無題
Name 名無し 16/10/16(日)19:32:35  No.1192269
歩哨の任務中に勧められたとは言え屋台のラーメンを食べるとは軍紀が弛緩してないか?

無題
Name 名無し 16/10/16(日)20:25:57  No.1192280
というか外観上は小麦粉っぽいとしても味とか食感は大丈夫なの

無題
Name 名無し 16/10/16(日)21:30:18  No.1192321 
小麦粉にヘキソーゲンを混ぜたものを小麦粉同様に調理できるらしくて、クッキーやケーキに加工したものを再び水を加えて練り固めてプラスチック爆弾みたいに使えるっていうのは聞いたことがあるけど、ヘキソーゲンが劇薬なので絶対に食べてはいけないって。

無題
Name 名無し 16/10/17(月)03:35:30  No.1192349
ダイナマイト食べた話しはよく聞くけど…

無題
Name 名無し 16/10/17(月)05:42:52  No.1192351
戦前や戦時中は「当時の技術水準や産業基盤では実用化出来なかったから断念した」という装備はたくさん聞くが、技術もカネもあるのに防衛に回さない現代日本というのはどうなんだろうと思う
(未だ現役の74式戦車や少ない調達数の10式戦車を眺めながら)

無題
Name 名無し 16/10/17(月)17:21:39  No.1192408
>技術もカネもあるのに防衛に回さない現代日本というのはどうなんだろうと思う
必要がないだけだろう

無題
Name 名無し 16/10/17(月)17:53:09  No.1192412 
>技術もカネもあるのに防衛に回さない現代日本というのはどうなんだろうと思う
>(未だ現役の74式戦車や少ない調達数の10式戦車を眺めながら)
金が無いから300両体制になった訳で…
陸軍国のロシアすら大幅削減しているご時勢なんだし

無題
Name 名無し 16/10/17(月)18:22:42  No.1192416 
調達コストだけで見ると90式や10式って74式の2倍か3倍くらいしてるから投資額としては変わってないんだけどな
乗員削減等やらの維持コストは置いといて

無題
Name 名無し 16/10/17(月)19:25:50  No.1192420
金がないのもあるけど大規模な着上陸侵攻の可能性が低下した(無くなったのではなく)という建前もあるしね
この点は日本だけでなく欧米の軍縮の理由にもなってる
他にも状況的に航空機や艦艇やBMDに力をいれたいとか色々
何にせよ金には限りがあるから優先順にを決めて投入していかんとならんわな

無題
Name 名無し 16/10/17(月)19:49:17  No.1192426      
>ダイナマイト食べた話しはよく聞くけど…
pancake bomb 、若しくはAUNT JEMIMA bombで検索しますと、恐らく同じ爆薬の話がチラホラ読めますので、興味が沸いて今ちょっと暇だ、という方は試しにどうぞw


http://www.military-history.org/articles/back-to-the-drawing-board-aunt-jemima.htm

因みに私がこの小麦粉爆薬の話を初めて読んだのは児島襄せンせいの著書だったんですけれど、阿川弘之さんの本で児島氏との対談を収めたものの中に、これらを含む日米の秘密兵器開発について語ってる部分が有りまして、ちょっと面白いので引用させて頂きますと

児島
「市ヶ谷の戦史室にある資料で、(日本陸軍)参謀本部が作成した『敵の未だ企図せざる奇襲決戦兵器』というリストが有るんです」

無題
Name 名無し 16/10/17(月)19:50:23  No.1192427      
児「これは1942年8月15日でわりに早いのです。ここには二年以内に実現を要望するものと、数年以内に実現を要望するものと、やや遠き将来において実現を要望するものと三つあるんです(略)数年以内というのは、超長距離飛行機とか、特殊気球、つまり、太平洋横断気球」
阿川
「それは作ったですね、風船爆弾」

児「それからパナマ運河閉塞手段。耕作地を焼土(ママ)たらしめるべき薬品。敵側の交戦意思をなくさせるための神経戦兵器(略)やや遠き将来というのは、これはまたひどいので、敵民族殲滅兵器というのがあるんですよ。人体の局部器官内のいずれかを不能ならしめるべき薬品または兵器。視覚、聴覚、生殖器、嗅覚…」

阿「生殖器を不能にして百年ぐらい待っていれば敵の民族はいなくなるわけだな(笑)

無題
Name 名無し 16/10/17(月)19:51:08  No.1192428      
児「その他、努めて早く実現するべきものとして、木製ドラム、ゴム製のドラム缶」

阿「えらいみみっちくなるな(笑)」

児「それから、ガソリン代用のゴム油、固形ガソリン、水中メガネ、それから夜間メガネとかですね」

阿「夜間メガネのことは僕なんかも耳にしておりましたね(阿川氏は元海軍予備士官)

児「アイディアという面では、OSS(米国の戦略諜報局)と日本と比べてみますと、多少みみっちいところはありますけれども、やはり考えることは考えるわけですね。」

無題
Name 名無し 16/10/17(月)19:52:14  No.1192430      
児「だけれども、それを実際にやるかやらないかという点になると、態度の上で大きな違いがあったと思いますね。もちろん国力の差で、日本は作ろうと思っても作れないということもあるでしょうけれど」

阿「一つは意志の問題ですね。しかし、なにしろ総合的国力が20対1ぐらいだったし」

児「結局はそういうことなんだけど、やっぱり口惜しいという気持ちはありますね(笑)」

…との事なんですが、結局まあ、ウン●臭カプセルも拉麺爆弾も今の時代の私らからすれば笑い話の種でしかないんですが、当時の文字通りの国家総力戦の中で、如何に敵にダメージを与えるかという目標に、それこそウ●コからウランの核分裂まで本気であらゆる可能性に取り組んで、なおかつそれを実現させた、という点では、ある意味では確かに当時のアメちゃんの他に抜きんでた強さの証でもあった、って話になるんでしょかねえ…w

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1192075.htm

砲・工兵の日露戦争: 戦訓と制度改革にみる白兵主義と火力主義の相克