無題 Name 名無し 16/10/10(月)05:32:12  No.1191329
戦時下愛国婦人会の軍事後援活動 2 献納・慰問袋 (シリーズ愛国婦人会)
第二次大戦以前の戦闘食や慰問袋について語ってみたりしませんか?
慰問袋をもらった兵士は届いた慰問袋の中からほぼランダムにもらっていたんでしょうか?
戦時広告図鑑―慰問袋の中身はナニ?
町田 忍
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無題
Name 名無し 16/10/10(月)08:43:01  No.1191334
どうなんでしょうね

戦中ドラマとかだと小学生とかが手紙書いたりして袋に入れているシーンとか有りましたけど指定した相手に届けられたのかな‥

無題
Name 名無し 16/10/10(月)10:04:41  No.1191338        
1476061481124
光人社の「陸軍歩兵よもやま物語」にちょうど慰問袋の分配の話が有るんですけれど

「ときたまではあったが、内地から慰問袋が届いた。ヨコ約三十センチ、タテ約四十センチの白い布袋に日用品、菓子、雑誌、慰問文などが入っていた」
「当時の国防婦人会が音頭を取って、各家庭につくらせたものを、陸軍省恤兵部へ届け、ここから各部隊へこの慰問袋は送られた」
「一人に一個であれば文句はないが、三人に一個か、あるいは一個分隊に一個の割り当てであった。こういう場合は、中身を分隊員の数にばらしてくじ引きでわけるしかなかった」

…んだとか
慰問文は大抵女性によるものだったそうで、男所帯のサツバツとした前線部隊では何よりも喜ばれたそうな…w

無題
Name 名無し 16/10/10(月)11:30:20  No.1191342
80をゆうに超えるオカンが小学生の頃、作った(作らされた)と言っていたな

中には返事をくれる兵士もいて戦後(復員後)もしばらく文通した人がいたそうだ
ある日「結婚することになりました」と手紙が来て、それっきり返事が来なくなったそうだ

無題
Name 名無し 16/10/10(月)11:48:04  No.1191344
兵‐実家間でダイレクトに届くものだと別に軍事郵便もあるから
慰問袋はランダムなんじゃないかねえ

無題
Name 名無し 16/10/10(月)12:05:50  No.1191345
慰問袋の中身には衣服とかもあったらしいけど
サイズが合わなかったりしたらやっぱり部隊の中で交換しあたったりしたのかね

無題
Name (・ω・) 16/10/10(月)12:42:48  No.1191350        
http://cgi.2chan.net/f/src/1476070968812.jpg
|ω・)紙の筒に入った羊羹と
煙草を交換してるのを
映画で見たとです・・・
羊羹おいしそうだったと
でs

無題
Name (・ω・) 16/10/10(月)12:47:36  No.1191351        
http://cgi.2chan.net/f/src/1476071256365.jpg
|ω・´)何てこと考えながら
ネットを散策してたら
こんなの見つけたとです!
羊羹は昔も今も海の男に
大人気なのかもです!!

無題
Name 名無し 16/10/10(月)13:12:33  No.1191354
下世話なソッチ方面で恐縮だが慰問の品にはパ◯パンのヌード写真もあったらしい
「ケが無い」((毛が無い)と(怪我無い))にかけたシャレだとか

無題
Name 名無し 16/10/10(月)14:22:20  No.1191356        
1476076940989
戦前、呉の軍港土産で「巡羊羹」なる秀逸なネーミングの羊羹が有ったそうなんですが
これは今の海自で再現しても「護衛羹」になっちゃいますなw

1940年頃に静岡県の臨時軍事援護部が作成した、『前線と銃後の連絡』なる当時の県民向けPR紙が残っておるんだそうなんですが、その中の「現地の兵隊さんの声を聞こう」という記事によると、慰問袋の内容に関する希望として

・団体等で一律に作られたものはその中身が多くても感激の程度が薄い。やはりこれは個人で工夫し必ず慰問文を入れて、個人の名前で送ってもらいたい
・食料品は少なくとも一ケ分隊位で分け合えるほどの量を入れて頂きたい。個人宛のものでも必ず五人なり十人なりで分け合う
・煙草と干魚等を混用すると折角の煙草が駄目になる

…等が挙げられておるんだとか

無題
Name 名無し 16/10/10(月)14:26:39  No.1191357       
1476077199582
支那事変の頃ですと、日本国内から中国大陸に送られた慰問袋の数は昭和12年7月の盧溝橋事件から翌昭和13年6月までの一年間で787万3470個、昭和13年7月から昭和14年6月までが688万6395個に上るんだそうですが、自身騎兵連隊の兵隊さんとして出征されてた作家の伊藤圭一さんによると

「慰問袋は、恤兵部から廻ってくるのと、民間から来るのと二種あった。恤兵部のものは日の丸を描いた包みになっていて、中身は一様に形式的であり、兵隊はあまり嬉しい顔はしなかった。民間の物は、当たり外れが多く、包みが大きいから中身がいいとは限らない。粗末な包みでも、泣かせられるような誠実な手紙の
入っているものがあった。若い女性の、手製の品や手紙の入っているものが、いちばん人気のあったのは当然である」

…との事でして、当時の前線の兵隊さんのニーズがどんなもんだったか、窺われますですな

無題
Name 名無し 16/10/10(月)16:08:13  No.1191369        
http://cgi.2chan.net/f/src/1476083293190.jpg
>昭和12年7月の盧溝橋事件から翌昭和13年6月までの一年間で787万3470個、

時期を同じくして昭和12年の夏に森永製菓が菓子50銭以上購入で慰問袋が進呈され菓子の他に中に色々積めて出せば購入店経由で纏めて軍に送ってくれるというキャンペーンを行って大ヒットしたなんて話もあったそうで

無題
Name 名無し 16/10/10(月)14:47:08  No.1191359
慰問袋の受付は軍の恤兵部が行い、前線への送料は軍が負担。数も無制限であった。
しかし、戦争が長引くと慰問袋が来る兵、来ない兵の格差が出て、かえって士気に関わる。
ということで軍は奨励から反強制的に方針変更し、職場や学校、隣組などに割り当て、宛先も不特定となった。
肉親なら心もこもるが、名も知らぬ兵隊相手ではつい手も鈍りがちで、金で済ませるようになる。
そこにミシン縫にプリント柄の袋だけを売っていた業者が目をつけ、大量生産の既製品をデパートなどで売るようになった。

無題
Name 名無し 16/10/10(月)14:51:16  No.1191360
中身は人気女優のブロマイド、時局雜誌、歯磨きセット、歯の欠けそうな固いビスケットなど兵隊をがっかりさせるようなものもあった。
内地の家族と前線に慰問袋の心が通ったのは、支那事変の中頃までであろう
しかし、この袋が取り持つ縁で除隊復員後に家族付き合いが始まったり、中の写真から縁談がまとまったりしたこともあった
昔の人は律儀で、私も学校で強制的に作らされた慰問袋に、帰還した兵がわざわざ岐阜から東京まで礼にこられ、恐縮した思い出がある。

寺田近雄著 日本軍隊用語集より

無題
Name 名無し 16/10/10(月)15:00:39  No.1191361
>No.1191359
むしろ最初が家族から個人向けっていうのは知りませんでした
ランダムになると既製品セットになりがちになるのも世の常ですね

無題
Name 名無し 16/10/10(月)15:34:28  No.1191363
>No.1191361
日露戦争に遡るそうです。前の書き込みで省いた前段部分ですが

妻が心をこめて手縫いした袋に息子が幼い字で「いもんぶくろ」と部隊名と宛て名を書き、中にはお婆さんの作った肌着や、顔なじみのご近所の女性たちが協力して作った千人針、キャラメルや雜誌「キング」など。また、持病の薬や村の氏神様のお守りといったものがあり添えられた妻子からの手紙は涙を流して読まれた。

こういったものは日中戦争の中期頃までだったようです。

無題
Name 名無し 16/10/10(月)16:35:59  No.1191372 
>日露戦争に遡るそうです。
従軍記者が書き送った「日露戦争で兵士が所望した慰問品」は、飲食物、予備の眼鏡かサングラス、扇子、薬、網シャツ、浄水用のハッカ明礬、殺虫散(除虫菊粉末と蚊燻)、手拭、紙等。
貰っても使い道がない物の筆頭は貴金属・金銭類だったとか。

無題
Name 名無し 16/10/10(月)15:51:21  No.1191364        
1476082281023
>大量生産の既製品をデパートなどで売るようになった


当時の軍当局の示す目安ですと、慰問袋一個の予算がおおむね一円前後で、という算段だったそうなんですが、例えば東京の三越デパートなんかでは五円・四円・三円の慰問袋セット、大阪大丸では同じく一・五円、二円、二・五円、三円、四円、六円の
詰め合わせが用意されていたそうで

昭和14年8月9日の大阪朝日新聞に、大阪高島屋が「どんな慰問品が現地では喜ばれるか?」と題した新聞広告を打っているんですけれども、その中で紹介されてる商品としては味付け海苔・氷砂糖・ラムネの素・・果実の罐詰・ハム・うなぎ・コーヒー・するめ・ウイスキー・日本酒・ゆであずき・羊羹・ドロップといった食料品から、空気枕・ハーモニカ・爪切り・石鹸といった日常品、はてはマスコット人形までさまざまな商品が挙げられていて、実際
当時のデパートにとってはなかなかの一大商機、という事だったようですな

無題
Name 名無し 16/10/10(月)15:52:35  No.1191365        
ただ同じ朝日新聞の戦地からの同時期の記事に、これらの既成慰問品に対する現地の反応も頻繁に紹介されているんですけれども、例えば

「一番目立つのは内地のデパートから発送された慰問袋で、あのボール箱の八割までは破れてしまって不完全包装の見本みたいで、ぜひとも銃後の人々に新聞を通じて注意していただきたい(略)デパートで買った品は持ち帰って荷造りをし直して欲しい」

「罐詰類等はデパートの品で良いと思いますが、一部分の品に限ってせめて中にお手製の物をいれるとか表書き位は自分でするだけの誠意は示して貰いたいと思います」

無題
Name 名無し 16/10/10(月)15:52:54  No.1191366        
「慰問袋に慰問文の入っていない時、どんなに失望するか、想像以上です」

「贅沢品だと却って反感を買うようなことも有り、又今までの様に品物を主としたものでなくなるべく家庭的、精神的なものが良いと思います」

「(送って欲しいものは)なんでもいいと言えばいいのだが、さて私が戦線各部隊で見聞きした気持ちで注文するとすれば、”心のこもったもの”が欲しい」

…等、生々しい声が結構率直に紹介されてたりするんだそうで

形だけの「慰問」は幾ら内容が豪華でも嬉しくない、って事なんでしょかねえ

無題
Name 名無し 16/10/10(月)16:24:58  No.1191370        
大戦突入して糧食や武器弾薬の輸送・供給すら逼迫したら
そりゃ戦記話に影も形も出なくなるか

無題
Name 名無し 16/10/10(月)17:08:45  No.1191377        
>糧食や武器弾薬の輸送・供給すら逼迫したら

再び前述の「陸軍歩兵よもやま物語」からですけれど

「慰問袋は前線の兵隊にわたる途中で、中身を抜き取られるのが普通であった。どうやって抜き取るのか分からなかったが、こちらが手にする時には、袋の中身は半分に減っていた」
「また、慰問袋に限らず、個人宛に送ったとしても、食品などを入れた場合は間違いなくやられるのである」
「ところが、兵隊にはあまり関係のないもの、私の例でいえば絵具とかスケッチ帖などは、やられるということは絶対になかった」

無題
Name 名無し 16/10/10(月)17:15:32  No.1191379        
「戦局が不利になり、内地も物資が不足するようになりだすと、慰問袋の数も減り、また、中身もお粗末になって行った。」
「食べ物はほとんどなくなり、あったとしても海草の干物ぐらいで、あとは、うすい雑誌かスフの手拭などであった。」
「自分たちの生活物資でさえ、もう切符でなければ手に入らない時代であったから、戦地へ送ることなどできないのは当然であろう」

…という状況であったそうで
この辺、他の方々が紹介されてる話とも重なるんですが、色々カナシイ話ではありますな

無題
Name 名無し 16/10/10(月)17:11:26  No.1191378
海外の軍隊にはこういうのが無いんですかね
wikiも日本と朝鮮のものしか取り上げられてないですし

無題
Name 名無し 16/10/10(月)17:22:31  No.1191381        
ドイツ軍の旗色悪くなってきたころ戦地とやりとりする小包の制限重量が減らされたって話はどっかでみたがな
慰問品のヌードブロマイドは『フォッケ=ウルフ迎撃隊』って戦記小説に出てきた覚えが
小説だが元戦闘機パイロットが経験もとに書いたもんなので実際そういうものがあったか

無題
Name 名無し 16/10/10(月)18:18:10  No.1191394
もしかして日本の「慰問袋」がわざわざwikiにあるのは、なにか戦争者のアニメか作品が向こうで有名になっていて、それでわざわざ取り上げられたのかも
comfort bagで画像検索かけても用語の使われ方としてそれらしいものが少ない

無題
Name 名無し 16/10/10(月)18:37:39  No.1191400        
>海外の軍隊にはこういうのが無いんですかね

厳密に言えば家族からの軍事郵便であって「慰問袋」との区別が曖昧だとは思うんですが、例えば「誰にも書けなかった戦争の現実」という本ではにWW2の欧州戦線での話として

「海外の兵士を慰問するため、故国からは小包を送ることが出来た。母親からは食料品、靴下、父親からは本、というのが当時のお定まりのパターンである」

…として、例として撃墜されてドイツの捕虜収容所に入れられたあるエゲレスの爆撃機乗員さんが、「三か月間読み物なしで我慢した後」故国の父親からシェークスピア全集他の大量の書物を送られて、歓喜した話が紹介されてたりします

無題
Name 名無し 16/10/10(月)18:39:56  No.1191401        
因みに1943年以降の米軍の話として、「文学的志向のあるアメリカ兵」の為に、版権元の出版社が集まって構成される戦時図書評議会が、点数1322点、発行部数合計2200万部に及ぶ「兵隊文庫」を配布した話も載っております

コレは海外に派遣されている軍人のみ対象で、国内市場には流通させず、終戦時には全て廃棄する、という条件で無料の読み物を提供しよう、という試みだったそうでして
例えばノルマンディ上陸作戦時には船に乗り込んだ兵士さん達に1冊ずつ配られたりしたそうなんですが、ともあれ活字に飢える前線では大いに喜ばれたんだそうな

因みに日本の慰問袋でも雑誌や小説と言った読み物は歓迎されたそうなんですが、所謂戦争文学は人気がなかったそうで、その理由はと言えば

「それ以上に現実を知っているから」

…むぅ、さもありなん…

無題
Name 名無し 16/10/12(水)04:29:27  No.1191593        
http://cgi.2chan.net/f/src/1476214167709.jpg
>> 海外の軍隊にはこういうのが無いんですかね

>「海外の兵士を慰問するため、故国からは小包を送ることが出来た。母親からは食料品、靴下、父親からは本、というのが当時のお定まりのパターンである」
世界一有名なユダヤ料理屋のキャッチフレーズはこのネタで、WWII当時に店主自らが始めた
他に有名なところで、指輪物語のトールキン先生は暗号解読の傍ら空軍の息子にせっせと草稿を送ってたとか

無題
Name 名無し 16/10/10(月)19:16:32  No.1191409
>因みに1943年以降の米軍の話として、「文学的志向のあるアメリカ兵」の為に、版権元の出版社が集まって構成される戦時図書評議会が、点数1322点、発行部数合計2200万部に及ぶ「兵隊文庫」を配布した話も載っております
イギリスのペンギンブックスも前線兵士への本の配付をしてて
聖書が一番人気だったとか

無題
Name 名無し 16/10/10(月)19:20:06  No.1191410
大戦中の潜水艦ものとか読んでると乾燥野菜や缶詰の話出てくるけど基本的に不味かったんだろうなあとか思ったり。

ポパイのほうれん草の缶詰ってそれ食えっていう啓蒙だよね?

無題
Name 名無し 16/10/10(月)21:27:59  No.1191436
>大戦中の潜水艦ものとか読んでると乾燥野菜や缶詰の話出てくるけど基本的に不味かったんだろうなあとか思ったり。
「伊58潜帰投せり」だと
三つ葉の他は誰も食べない。特に里芋の缶詰は灰のように不味い事おびただしい
と書いてあった

無題
Name 名無し 16/10/10(月)19:35:31  No.1191413
ビートルズに親しんでいるとギデオンの聖書を知るわけですが
軍人に聖書が不足なく配布されるのはまだまだ時を待たねばならなかったのですね
損害が予想される作戦の前に、軍属の宣教師が説教をおこなって熱烈に受け入れられた描写がどこかであったような

無題
Name 名無し 16/10/10(月)21:22:30  No.1191435
陸軍は基本郷土連隊だから、その地方から地元編成の連隊に送られる慰問袋も多かったそうな。
ピンポイントで郷土の便りや季節の名所の写真、地元学校生徒からの便りなんかが入ってて、完全ランダムのより好評だったとか。
個人じゃなくて連隊宛に、地元の近況を知らせる短編映画みたいなのを送って上映会をしたとも。

無題
Name 名無し 16/10/10(月)22:07:32  No.1191447        
http://cgi.2chan.net/f/src/1476104852909.jpg
聖書の話が出たので現代の「迷彩聖書」
薄いからダイジェストでしょうけど

無題
Name 名無し 16/10/10(月)22:38:23  No.1191456        
1894年からの日清戦争で、松山の歩兵22連隊の軍曹として従軍した濱本利三郎さんという方の手記が残されてるんですが、当時まだ慰問袋こそ存在はしなかったものの、大国清相手に近代日本が初めて本格的に戦う対外戦争とあって国民の士気も高く、やはり恤兵部を通じて多くの物品が寄せられたそうなんですな
ただ濱本氏によれば

「当時国民が金銭品物を従軍者のため全力を尽くし恤兵部へ寄附せしは感謝の至りで、大いに従軍者を鼓舞、激励したるに違いない」

とするも、

「しかし寄附せし物品は、第一線で戦闘に血を流しつつある軍人の手に渡るは実に十中の一、二に過ぎない。多くは彼方にある守備隊、非戦闘員、あるいは人夫達の腹を肥やすのである。また不正の種となるのだ」

無題
Name 名無し 16/10/10(月)22:39:11  No.1191457        
「現に(終戦後)凱旋帰国の際、金州なる某兵站部に至りし時、人夫頭、通訳等は我々に送られし手拭を綴りて単衣を作り着し居るのを見た。実に奇怪至極」
「箱入りの堅パン、ビスケット、酒、あるいは干物類缶詰、佃煮類は積もりて山をなし(略)この酒、この菓子が(戦闘中の前線で)あれば、と愚痴をこぼす連中もあった」

「国民の愛と同情をもった恤兵品は日本で思うほど支給されなかった。これには種々なる事情もあり、運搬上の支障もあろうが、とにかく、銃後の人々が戦争熱に煽動せられ、半狂人になってくれるよりも、一郡あるいは一村内において、貧しき従軍者の家族を扶助し、後顧の憂いを除いてもらえたら」

…との思いを禁じ得なかったんだそうで
何と言いますか、前線と銃後の埋めがたいギャップに悩むのは、もうこの頃からヘイタイさんの普遍的な悩みになってたりするんでしょかね

無題
Name 名無し 16/10/10(月)23:07:03  No.1191462
中抜きされる構造って、現代も変わってないのね

純粋な慰問であれば追跡調査も可能だっただろうけど、後に義務化されてはそりゃ贈る側もモチベ下がってしまうわな。どうなったか調べる気にもならない。フランクリン北極探検隊の時は奥様の執念があってこそ不正が発覚したわけだし、そういう素地が平時から無ければ、付け焼刃で日本がやってもこうなってしまう

WW1の欧州各国は携帯聖書を配布してたんでしょうか。アメリカ軍は配布していたらしいですが

無題
Name 名無し 16/10/11(火)21:20:11  No.1191543
>中抜きされる構造って、現代も変わってないのね
そもそも、中国大陸(に限らず日本以外のほとんどの国)ではまともな「輸送」なんて無理なんだよ
まともに貨物や旅客輸送できるシステムを構築できたらそれだけで人類社会の勝ち組なのさ

輸送中の荷物の中抜きは、実質的に日本の支配下にあった満州国でも普通に行われていて
満州で客死した私の祖父の遺品も、日本に着いた時には鞄の中にシャツ1枚しか残っていなかったそうですよ

ちなみに↑この実体験により祖母は死ぬまで
中国人=人類の恥という扱いをしてまして、曾孫の代まで
あいつらを絶対に信用するなと教育していました

無題
Name 名無し 16/10/10(月)23:33:05  No.1191465
郷土部隊ってことで地元のニュースを記載した特製の新聞(「郷土だより」的なもの)や手紙ってのは喜ばれたようだね

一般的な新聞を送ることもあったんだけど、日清日露戦争頃からは戦捷記念祝賀なんてのがしょっちゅう行われていて
明治期の新聞には「何人がどこどこで祝宴を云々」「娼妓が日赤看護婦の扮装をなし行列」「酒何石消費」だとか結構具体的な記事が沢山載っていたり、旅順攻囲戦の祝捷会を明治37年8月から準備してたり(なお旅順陥落は明治38年正月頃)、戦争を理由にしてお祭騒ぎや飲み喰いしたくてウズウズしてるんじゃ、と思えてくるような状態になってる

そういう記事を見た兵士は「俺ら必死で戦ってるのに…」とベトナム戦争とアポロ13号のあの言葉を思い出すような結果になった

無題
Name 名無し 16/10/11(火)00:15:07  No.1191472 
慰問袋に手紙を入れると喜ばれるのは判っても、なにをかいたらいいかわかんないって人向けに、慰問文の書き方、なる本もあった。古本屋にあったんだけど、定価1円だったと思う。かつ丼が35銭だったことを考えるとちょっと高い。
ちなみに古本屋で1万円だったので買わんかった。。。

あと子供の時、慰問文を書かされたけど何を書いていいかわからんので、兄弟げんかをした話を書いたら、現地で大うけした、と返事がきたなんてことも。皆、家庭を置いて前線に出ていたからかなぁ、としみじみ。

無題
Name 名無し 16/10/12(水)16:06:27  No.1191628
>あと子供の時、慰問文を書かされたけど何を書いていいかわからんので、兄弟げんかをした話を書いたら、現地で大うけした、と返事がきたなんてことも。皆、家庭を置いて前線に出ていたからかなぁ、としみじみ。
いい話だなぁ。戦地で日常に飢えてたんでしょうね
って実体験なんでしょうか

無題
Name 名無し 16/10/12(水)16:45:58  No.1191630
内地では他愛もない話が戦地では慰めになるんだろうね

無題
Name 名無し 16/10/11(火)17:40:48  No.1191527
中々興味深いスレですな
当時は、民間が軍に協力的だったという事を裏付ける証拠でもありますね
海軍は飛行場や工廠の建設時、地元民に色々と融通を利かせたとの事なので、そういう軍側の配慮もあって、色々と民間も協力してくれたのかもしれませんね

無題
Name 名無し 16/10/13(木)18:51:54  No.1191755       
前述の濱本軍曹さんのちょうど10年後、今度は日露戦争に出征した茂沢祐作という伍長さんの従軍日記がやはり書籍になってるんですが、他の方のレスの通りこちらでははっきり「慰問袋」の名称が出てくるようになって来まして、例えば

「天より給わりし慰問袋は、突如として我が手に入れり。表には東京市日本橋区新材木町一番地寄贈者杉村本店にて石田高吉と記し(略)日本橋婦人会の取り扱いである。中には縞ネル(イタリヤ)一切れ、清心丹(四十五粒入)一袋、楊枝(竹)一本、歯磨き粉
(ダイヤモンド)一袋、、鉛筆一本、半紙一帖、絵葉書(六枚)一組が入れてあった。私は何と言ってよいか分からぬ。ただ、『今までにないよいものをもらった』と喜んだのである」

無題
Name 名無し 16/10/13(木)18:53:05  No.1191756        
「舎内は実に割れそうに賑やかである。オイ、君のには美人絵葉書があるなあ。僕のを見ろ靴下に鉛筆さ、また巻紙に封筒、筆に手帳、おお、多々的好々(ターターデーハオハオ)だなあ。そうか、君は一番多く手紙を出すからよいのが来た、ちょうどお似合いだよ。などとまるで子供がお土産でももらったように、いやそれよりも一層喜んだのである。見ない人には吾々の喜びはとうてい知ることは出来ない。その他に手拭一本と絵葉書一枚をもらった。明日さっそくお礼状を出してやろう。今夜は実に楽しい一夜ではあることよ」

…という、なんとも微笑ましい描写が随所に見られるものになっております

無題
Name 名無し 16/10/13(木)18:56:05  No.1191757        
また

「新潟婦人教育界から慰問袋を寄贈になったのが、今日分配になったが、分隊へ六ヶしか来ないので、新参者にのみ配った。その体裁は多く更紗の五寸一尺ぐらいの大きさの袋に打ち紐を付けた袋で、その中に日用品を入れたのであったが、東京の寄贈と違い、表へ品物の名や員数が記していないので、開いてみねば分からず、大いに興味が高かった。中には新津や新潟の芸妓の写真と、受領者に宛てた艶めかしい手紙などが入れてあったのがあったので、舎内は一時割れるばかりの騒ぎであったが、しばらくするとみなが返事を認めるために、そろって筆を執ったのでようやく静かになったが、兵隊は無邪気なのであるか、俗物が多いのであるか、可笑しい」

…なんてこともあったそうで

今からもう110年以上前の光景なわけですけれど、まあ男だものね!しょうがないですよね!!

無題
Name 名無し 16/10/13(木)22:34:37  No.1191811
それぞれ中身が違うって、規格化されてなかったんですね。

無題
Name 名無し 16/10/13(木)23:13:42  No.1191821
ある程度揃ったセットもあったみたいだけど、各自で思い思いに詰めるのも多い。
お餅が入ってたけど、届いた時にはカビだらけで食べられなかったみたいな例も。

無題
Name 名無し 16/10/14(金)05:25:56  No.1191853
>お餅が入ってたけど、届いた時にはカビだらけで食べられなかったみたいな例も。
善意なんだろうけど届くまででも何日かかるか分からないんだし…

今でも災害が起きて救援物資に生物混ぜて送って全部駄目になったとか
食べられもしない千羽鶴は迷惑だいや気持ちが大事だとか論争になったりするよね

無題
Name 名無し 16/10/14(金)05:51:17  No.1191858 
>食べられもしない千羽鶴は迷惑だいや気持ちが大事だとか論争になったりするよね
敵地に空挺降下して孤立無援
食料弾薬も底をついたところで友軍の補給物資投下が!!!
喜び勇んで駆け寄り開封するとどの箱にもびっしりと千羽鶴がが.......

無題
Name 名無し 16/10/14(金)06:41:35  No.1191861        
http://cgi.2chan.net/f/src/1476394895050.jpg
>喜び勇んで駆け寄り開封すると

あの橋はちょっと遠すぎましたな…

無題
Name 名無し 16/10/14(金)11:22:35  No.1191892
>お餅が入ってたけど、届いた時にはカビだらけで食べられなかったみたいな例も。
「のらくろ」の慰問袋の話に
現地の兵隊さんに
生みたて卵を食べてもらおうと
生きた牝鶏を慰問袋に入れたら
勝手に歩き回ったとか
トンカツを食べてもらおうと
生きた豚にメリケン粉を背負わせて
慰問袋を括り付ける、なんてネタがあったな
(もちろん不許可)

無題
Name 名無し 16/10/14(金)19:01:52  No.1191933        
http://cgi.2chan.net/f/src/1476439312104.jpg
戦時下のエゲレスでの話だそーなんですが、最前線で戦う家族・友人・恋人へ送る為の御菓子として「塹壕ケーキ」なるものが定番だったそうでして、「銃後」で不足しがちだった卵を使わずに作れるのが売りだったこのケーキ、また非常に持ちの良かったそうでして、例えばフランスの前線で戦うある英兵士さん宛てに送られたものが、行き違いを繰り返して10週間もフランス中をさまよ
った挙句、とうとう英国の差出人の元に戻ってきてしまったんだとか

ところが開封してみますと「まだ完全な状態を保って」いましたので、再び包装して送り直した所、今度は無事に目当ての相手に届いて、大いに喜ばれたんだそうな

因みにTrench Cakeで検索するとレシピも出てきますので、気になる方は今年のクリスマスなど、ご家族の方々と試してみるのはいかがでしょうか…w

無題
Name 名無し 16/10/15(土)17:20:28  No.1192082
COMBATで、リトルジョンにかーちゃんがケーキを送り付けてくる話ってあったっけ

無題
Name 名無し 16/10/15(土)17:35:53  No.1192085
>行き違いを繰り返して10週間もフランス中をさまよった挙句、とうとう英国の差出人の元に戻ってきてしまったんだとか
>ところが開封してみますと「まだ完全な状態を保って」いましたので、再び包装して送り直した所、今度は無事に目当ての相手に届いて、大いに喜ばれたんだそうな
もう一度送るにしても作ってから10週もたってるんだからせめて新しいの作って送ってやれよと思うのだが・・・

無題
Name 名無し 16/10/15(土)20:15:04  No.1192110
>もう一度送るにしても作ってから10週もたってるんだからせめて新しいの作って送ってやれよと思うのだが・・・
イギリス人の料理の腕じゃ作りたてのも日が経ってるのも同じメシマズだ

無題
Name 名無し 16/10/16(日)05:23:34  No.1192172        
また茂沢祐作伍長さんの日露戦争時の手記からなんですが、文中10年前の日清戦争時との慰問品若しくは下給品の配分の仕方の違いについて触れた部分がありまして

「日清戦争の時には下給品も恤兵品もたくさんにあったそうだが、これを不規則に渡したそうだ。それに給与品も不規則に支給したので、患者などもたくさんに出たそうだ。(略)このたびの(日露)戦闘は全ての設備及び機関が整頓したので、戦闘中は給与品をよくし、駐軍中はあまりよくないかわりに恤兵品を少しづつときどき下給して慰めらるる。これは衛生上から考えたのであろうが、至極よいことである。これだけでも文明進歩の力はありがたいものである」

…なんて有るんですが、外征の大戦争も2回目ともなると多少は慣れというか諸処のノウハウが確立されていってた感じですな

無題
Name 名無し 16/10/16(日)05:24:57  No.1192173        
また

「昨夜、戦友本間重三郎君のところへ(略)慰問状に名花三妓(新潟芸者の吉田屋ヨシ、八会のヤス、今川屋モン、三名の写真)を添えて送られたので、僕は一妓の分配を受けた。戦地へ来ている兵士間には(その実将校も)婦人の写真や妙な画が(曲線の美を賞するのか)非常にもてはやされるのである。玉よけと迷信しているものもあるかもしれぬが、その実天の配剤は妙なもので、異性者を相愛する作用から起こるものらしい」

…なんて描写もありまして、女優さんや歌手の代わりにゲイシャ・ガールのブロマイドが兵隊さんのアイドルになってる辺りは時代を感じさせるんですけれどw
その後昭和に至るまで(ひょっとして現代も)戦地の兵隊さんに喜ばれるものは、本質的には何時の時代も同じだったりするのかもですな

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1191329.htm

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