くろがね四起 Name 名無し 16/09/30(金)23:53:04  No.1190080

タミヤ 1/48 ミリタリーミニチュアシリーズ No.58 日本陸軍 95式小型乗用車 くろがね四起 プラモデル 32558


http://cgi.2chan.net/f/src/1475247184314.jpg
誰も話題にしないから立てた
日本の軍用乗用車について語ろう

無題
Name 名無し 16/10/01(土)20:17:53  No.1190237     
1475320673501
スレの九五式の後継車輌として試作された
試製九八式小型乗用車、所謂 陸王軽四起(・w・
まあ試作5台に終わっちゃいましたけどね・・・

無題
Name 名無し 16/10/01(土)20:30:22  No.1190245
ボンネット部分が大きいのとエンジンが小さいせいでエンジンルームのスカスカ感が半端ない
キャビン容積を削ってまでそうする必要はあったのかな?
見た目のバンランスはいいんだけどね

無題
Name 名無し 16/10/02(日)07:18:51  No.1190295
>キャビン容積を削ってまでそうする必要はあったのかな?

空冷エンジンだから空気が流れるスペースが必要。
あともしかしたらエンジン換装考慮に入れて余裕持たせたのかも知れん
エンジンルームスカスカってのは昔の車じゃ割と当たり前ではあるけど

無題
Name 名無し 16/10/04(火)19:37:27  No.1190609
>キャビン容積を削ってまでそうする必要はあったのかな?
信頼性の低い時代のエンジン積んだ車はスカスカなくらいでちょうどいいと思う
整備性が全然違うよ(miniのエンジンルームに腕を突っ込みながら)

無題
Name 名無し 16/10/01(土)21:54:42  No.1190258
四起ばかりであまり話題にならないPX33…

無題
Name 名無し 16/10/01(土)23:11:14  No.1190274
日曜日に現地に行ってきて面白い話を色々聞いたよ。

シートは前2脚、後1脚で、助手席のみ跳ね上げて後ろに乗り込む。
ブレーキは後輪のみで前輪にブレーキ無し
ただしこの頃の車両ではこれが標準。 

エンジンにそれほど損傷は無かったが、キャブがダメだったが、ベースとなったキャブは米国のリンカートンが元になっていたのでそのパーツが使えた(新品パーツがまだ作られている!)

電装のフラマグも線を巻き直し 元は三菱電機製だがボッシュのパクリだったので、ボッシュのパーツが使えた。

タイヤはチェコ製 東欧は近代まで第二次大戦の車両が作られていたので、それに合うサイズのタイヤが作られていて
その中にくろがねに合うサイズのタイヤがあった。

ロシアでくろがねのレストアがされていて、そこと情報交換していた
ちなみに、今回の車両のホイールはロシアで作られたレプリカ

無題
Name 名無し 16/10/02(日)00:53:34  No.1190281
>No.1190274

貴重なお話をありがとうございます
たしかに東欧と四起って親和性があるというか
日本独自の技術ではなく、海外製品のパクリや共通していれば復活は望みがある
情報交換のしやすさも、ネット時代だからこそ出来たのかもしれませんね

無題
Name 名無し 16/10/02(日)02:41:53  No.1190288
へえ前輪独立懸架なんだな
常時直結かパートタイムか知らんが四駆状態なら四輪全部にブレーキかかるんじゃないかな

無題
Name 名無し 16/10/02(日)10:20:37  No.1190306      
http://cgi.2chan.net/f/src/1475371237677.jpg
こうして並べてみると曲面が多用されてて軍用車両としちゃ凝った作りになってるな

無題
Name 名無し 16/10/02(日)10:45:30  No.1190308
平面に曲げるようなプレス機材がなかっただけじゃないの?
馬力だってジープの50馬力に対し30馬力だったから曲面にして強化して軽量化のためだったんじゃないん?

無題
Name 名無し 16/10/02(日)11:07:23  No.1190312
>No.1190306
キューベルワーゲンの奥にいる迷彩はシュビムワーゲン?
あとジープとくろがねの後ろにケッテンクラートもいるっぽいな
いいなこのガレージ。楽しそう

無題
Name 名無し 16/10/02(日)11:31:22  No.1190316      
1475375482105
九五式とは別に指揮官用として作られた
東京瓦斯電気工業製「ちよだ軍用乗用車6輪HS型」です(・w・
一応80台ほどが生産されて使われていました

無題
Name 名無し 16/10/02(日)11:36:47  No.1190318
3次元曲面加工は強度が出るし、なにより美しい
エアハンマーを使えば加工にもそう時間は要しない

無題
Name 名無し 16/10/02(日)11:39:30  No.1190320
フロントグリルは剣道のお面がモチーフらしいね

無題
Name 名無し 16/10/02(日)14:17:24  No.1190339
フェンダーは板を数枚、溶接してから叩き出しで曲面にしている加工しているそうです。


それと、当時はどこの国も6V電装を採用してたが
くろがねは12Vだそうです
理由はわからん

無題
Name 名無し 16/10/02(日)15:22:38  No.1190349      
1475389358861
ジープの対する日本側の回答と言うのでしょうか(・w・

トヨタAK-10、所謂 四式小型貨物車です
写真は試作車ですが量産車では前照灯は1個になる予定
参考にジープを提示されたのですが軍側からは
「ジープに似せないように」とのお達しで
可成り設計者の森本真佐男氏は苦労したようです(・w・;

無題
Name 名無し 16/10/04(火)02:25:40  No.1190534      
1475515540175
PK10九八式四輪起動車が一万台以上量産されたって本当?
詳しい情報がないから気になる

無題
Name 名無し 16/10/05(水)23:04:03  No.1190751      
1475676243218
>PK10九八式四輪起動車が一万台以上量産されたって本当?

いくら何でも、そりゃ無いと思われ。
くろがねの倍も在ったんなら、それなりに写真が残って然るべき。
ちうか、四駆スタッフカーを偵察車の倍も作るって変でしょ?

無題
Name 名無し 16/10/06(木)00:56:40  No.1190762     
>いくら何でも、そりゃ無いと思われ。

確かに、量産向けに見えないし
頑張っても数百輌作るのがやっとだと思うんだ

ただ、田中義夫著「日本陸戦兵器名鑑」で九八式が一万五千輌生産された、って信じ難い記述がある

無題
Name 名無し 16/10/06(木)05:47:01  No.1190778
>一万五千輌生産された、って信じ難い記述がある
とりあえず量産計画にそって一万五千輌分のドンガラだけ作って
エンジンも全部揃ってまともに動くのは100両未満みたいな状態かもしれない

無題
Name 名無し 16/10/06(木)08:52:29  No.1190790
>田中義夫著「日本陸戦兵器名鑑」で九八式が一万五千輌生産された

生産計画と生産実績を間違えたんだろうね

無題
Name 名無し 16/10/06(木)19:44:53  No.1190850 
単純にゼロ一個間違えたんじゃね?
毎日新聞も重慶爆撃の爆弾投下量一桁間違えてたし。

無題
Name 名無し 16/10/06(木)21:29:14  No.1190869     
>九八式四輪起動車

http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/111C0000001-82.pdf

ここのページ内の「補論・いすゞ98 式四輪起動乗用車」がちょうど生産数に対する疑問を扱ってらっしゃいますね
1万5千輌説の出所から実数の推定まで、色々面白げな事が書かれてますんで、興味のある方は是非ご一読なさってみてはいかがでしょ

無題
Name 名無し 16/10/06(木)22:32:09  No.1190881
>興味のある方は是非ご一読なさってみてはいかがでしょ

興味深い資料を紹介していただきありがとうございます。
他の軍用車の情報も載ってて読み応えがあります。どうやら『いすゞ自動車 50 年史』の270~280輌が真相に近い情報のようですね。

無題
Name 名無し 16/10/07(金)19:27:51  No.1190946      
1475836071454
今は本当にちょっとネットで調べものするだけでもとっても便利になりましたよねw
無論様々な方々の努力と厚意あってのものではありますが

序にこちらはアジ歴で「九八式四輪起動乗用車」で検索すると出てきます
「戦車第16連隊歴史」
昭和15年頃から満州で編成に着手しはじめたこの部隊、手始めにというか最初に貰っってる車両が「シボレー」指揮自動車が1輌、94式6輪自動貨車(トラック)が15輌、94式(=95式?)4輪起動小型自動車が5輌、軽修理自動車が1組、となっております

無題
Name 名無し 16/10/07(金)19:29:32  No.1190947      
1475836172268
んで翌年早々に「九八式四輪起動乗用車」1輌が交付され、主力機材の95式軽戦車の配備も始まって、部隊が段々拡充していくんですが、国産トラック及び小型自動車の代替に「シボレー」トラック及び乗用車が配備されてたりしまして、昭和17年になってから「車種統制の為」シボレートラック20両を返納して94式トラックの交付を受けて、「茲に於て聯隊の自動貨車は94式一種に統一せられたり」する辺りも、当時の状況が垣間見える感じで個人的には面白かったんですが、そんなこんなでようやく誕生した「戦車第16連隊」で、昭和18年に入って聯隊主力が出動態勢を取った時の編成表も記載されてるんですな

無題
Name 名無し 16/10/07(金)19:31:55  No.1190950      
1475836315183
コレによると

「聯隊本部(51名)」に対して戦車3輌、(指揮)乗用車1輌、小型乗用車2輌、トラック3輌
「第一中隊(81名)」に対して戦車14輌、小型乗用車1輌、トラック5輌
「整備中隊(46名)」に対して戦車1両(力作車代用との由)、小型乗用車1輌、トラック8輌、修理車1組(2輌)

第2中隊他の残置人員車輌は取りあえずおいて戦車が計18両、大型乗用車1輌、小型乗用車4輌、トラック他18輌という構成で、勿論この一例だけで全てを判断するのも早計とは思うんですが、大型(指揮乗用車)と小型乗用車、トラック各車に対する当時の数的ニーズの程度が窺えるというか、確かにコレなら指揮乗用車が他の車種に比肩する、若しくはそれより大幅に多く生産された
筈はない、ってのは妥当な推論に思える数字ですな…w

無題
Name 名無し 16/10/08(土)15:04:33  No.1191065
三菱もPX33なんてスタッフカー試作してたね
正式化されなかったけど

無題
Name 名無し 16/10/08(土)21:54:13  No.1191146      
1475931253678
ノモンハン事件関連の書籍で当時の写真等見てますと、日ソ両軍とも国産車と共に大量のフォードやシボレーといった米国製乗用車・トラック(又はそれらベースの派生車輌)使用してるのが見て取れたり

昔紛争地域でTOYOTAの民間車が改造されて対抗勢力の双方に使用されてるのが「トヨタ戦争」なんて揶揄されたことも有りましたけれどw
それに倣うなら差し詰め「フォード戦争」とでも言うべきというか、石を投げればアメ車にあたる、って時代だったんでしょかね…w

無題
Name 名無し 16/10/10(月)20:33:52  No.1191427      
日本のフォードは基本的に「徴用」。
自動車製造事業法のせいで、その国内生産車も39年に途絶える。

一方、ソ連のフォードはガチで「制式」。
但しそこは社会主義のソ連だけあって、パリパリの最新モードだった34年型の譲渡を受けると41年まで殆ど変えずに作り続けた。(以降はジープ系のGAZ67に移行)
軍用車両オーソリティーの大塚氏曰く、「新車の時からボロに見える」のも当然っちゃー当然。

無題
Name 名無し 16/10/10(月)20:42:53  No.1191429      
1476099773508
ゴーリキー自動車工場(GAZ)はフォードのクローン工場だった訳だが、そこはやっぱりソ連なんだな。
「シャシーが有れば出来るがな」とばかり、4駆にしないまま装甲車に着せ替え採用。
自国の道路事情を知ってて、よくもこんな不精ったらしいソリューションを…
「数《GAZ》合わせだからコレでいーんだよ」

無題
Name 名無し 16/10/10(月)21:00:48  No.1191432      
1476100848766
乗用車には機銃砲塔、ではトラックがベースなら…

GAZトラックは戦車砲塔を載せちゃうんだねー、ソ連らしーよねー。
勿論、全輪駆動化なんてしないよ、しなーい。
まさに数合わせにうってつけ。
戦車代わりに投入されて、ボコスコに消耗しちゃうフォードの血族。
いやー、ホントにソ連らしーわ。

無題
Name 名無し 16/10/10(月)21:20:24  No.1191434      
http://cgi.2chan.net/f/src/1476102024045.gif
でも、初戦の損耗にへこたれないっつーのもまたソ連。
GAZエンジンは偵察系軽戦車の心臓となって紆余曲折の末、2基連結でSU-76の機関室(兼操縦室)に収まるのねん。
この車輛をもー、作るわ作るわw

但し、戦車の代用として前線にジャンジャン投入されて、ドバドバ消耗したという顛末はあまり変わりが無かったそーな。

無題
Name 名無し 16/10/12(水)06:06:35  No.1191596
>但し、戦車の代用として前線にジャンジャン投入されて、ドバドバ消耗したという顛末はあまり変わりが無かったそーな。
乗ってた人のインタビュー

―あなたの連隊では、自走砲はどの程度の損害を出していたのですか?

 戦争の最後の年、クルーの中で生き延びることができたのは25%以下です。ご存知でしょうか、自走砲というのは歩兵を火力で支援するための兵器なのですが、実際にはしばしば敵陣の真正面から攻撃させられたのですよ。軽自走砲にはしっかりした装甲なんかありませんし、射撃角度も制限されています。全体に、戦争の終わり頃になると戦車隊は著しく撃たれ弱くなっていました。私たちは惜しまれもせず、守られもしなかったのです。そもそも、一般の兵隊が大事にされたことなんかありませんよね?…

無題
Name 名無し 16/10/10(月)21:35:47  No.1191438      
>日本のフォードは基本的に「徴用」。

ノモンハンに動員された野戦重砲第7連隊所属の自動手だった方の回想によりますと、当時の状況は

「部隊が出動するにはまず兵器、それに被服糧秣の受領である。少佐が長になり、東京都内で車を徴発し(現在と違って日本の工業力は弱く、ちょっとした動員でも民間のものを当てにしなければならなかった)民間の車をカーキ色に塗り替え、塗料も乾かぬ車両が営庭にあふれるほど並んだ」

…んだそうで

無題
Name 名無し 16/10/10(月)21:36:53  No.1191439      
因みにこの方、連隊長乗用車の運転助手を務めてらしたそうなんですが、車種はビュイックの32若しくは33年型で、「2・26事件では湯河原の牧野伯爵襲撃に使用されたもの」だったそうなんですな

そこでチョッと2・26事件の本で調べてみましたなら、実際当時叛乱軍に野重7所属の田中勝という中尉さんが参加して、事件当日午前2時30分、砲兵軍曹川原義信さん他12名の兵に起床を命じて、演習と称して連隊の軍用自動車一輌、自動貨車三輌、側車付自動(2輪)車一輌を持ち出しておるんだそうで、これらの車両がその後の重臣襲撃に使われておるんだとか

ただまあ、自動車に罪はないですからw事件後には無事連隊に復帰して、使用され続けていたということのようで

無題
Name 名無し 16/10/10(月)21:39:34  No.1191440      
1476103174329
このビュイックがノモンハンの戦場に持ち込まれたかどうかまでは分からなかったんですが、仮にそこで使用されていたとしても、野重7連隊は戦闘の終盤にソ連軍との死闘の果て、連隊長命令で全車両を焼却、砲の全てと人員の大半を失って壊滅しておりますので、その時点、或はそれまでにはノモンハンの草原のどこかで最期を迎えてるはずでして

或は出征せずに、国内のどこかでヒッソリとスクラップになったのかもですが、二つの歴史的な大事件の双方に影で関わったアメ車の最後?なんて書くと、ちょっと面白い話に感じられてくるような気もします…w

無題
Name 名無し 16/10/10(月)21:53:05  No.1191444
日本は民間のトラック購入に軍が助成金出して有事の際にそれを徴発する制度があったよね

無題
Name 名無し 16/10/10(月)22:51:52  No.1191460      
1476107512972
幕僚車の中でも、徴用でない制式の6輪フェートンは相当にレアだった筈。

>ノモンハン
ひょっとするとこの1枚はNo.1191440画のビフォー状態だったりしてね?

無題
Name 名無し 16/10/12(水)20:33:50  No.1191638      
野口亀之助さんという関東軍参謀さんがおられまして、ノモンハン事件の際は日本側唯一の機甲戦力だった安岡戦車団への配属参謀として行動を共にされてるんですが、その回想が色々と興味深いものだったりします

「(作戦開始前の移動・集結時)主力部隊も逐次到着してくる。万事好調。私は思わずニヤリと安堵したが、とたんに、ハッと胸を衝かれた。来るのも来るのもみな戦車で、自動車が一台も来ない。途中、数キロにわたる徹底した悪道があって、トラックの通過を阻止していたのだった。迂闊だった。戦車燃料の輸送途絶。これから私の一世一代の苦しみが始まる。その模様は、次の会話でご賢察を請う事にする」

無題
Name 名無し 16/10/12(水)20:34:49  No.1191639      
先遣隊長(軽戦車連隊長)玉田大佐
『野口参謀、燃料をどうします。●●中尉はその為に戦死した』
野口参謀
『それはいったいどういう意味です?』
玉田
『戦車は燃料を食うから偵察には使えないのだ。斥候は蒙古軍の馬を借りている。戦車将校が乗馬で敵の戦車に追い回され、蹂躙される無念さ…それを見ていて手も足も出ないわしの気持ち…』

「二人とも、何も言えなくなった」

無題
Name 名無し 16/10/12(水)20:35:37  No.1191640      
「やがて全将兵の一念が通じてか、自動車が通りはじめた。練達の部隊長甲斐大佐の率いる自動車連隊は、神のような働きを示した。戦列部隊の自動車も、一時後方に回って燃料集積に努めた。夜も昼もない(略)目前のハルハ川渡河材料の運搬が控えているのであるが、燃料が先決である。最悪な場合には、貴重な戦車の一部を橋脚にしてでも渡河しようと、私はひそかに覚悟していた」

「前進中に編組の変更が命ぜられた。(自動車)乗車歩兵大隊は燃料不足で徒歩追及中、その代わりにY歩兵連隊が配属された。ついで我が機械化野砲は射程が大きいという理由で、小松原兵団の渡河掩護部隊に編入され、その代りに輓馬砲兵連隊が配属された」

無題
Name 名無し 16/10/12(水)20:37:28  No.1191641      
「これで戦車以外の部隊は、全部普通師団と同じものに変えられてしまった。そしてこれらの新配属部隊は、ハイラルからの長途の徒歩行軍で疲労はなはだしかった」
「支隊としては、速度を主とすると、全支隊の綜合戦力の統一発揮が出来ず、また戦力の綜合を主とすると、時間的に任務の達成に間に合わない」

「(砲兵連隊は)水の不足と過労にあえぐ馬に野砲を曳かせて、大平原を突っ切り、一時は戦車連隊と同線にまで進出した」

そうで、まあ当時の苦労っぷりが生々しく伝わってくるんですが、結果としては安岡支隊の攻撃は戦車隊のみが突出する形になり、戦車第3連隊長吉丸大佐他多数の死傷者と戦車に大損害を出して頓挫してしまったんだそうな

無題
Name 名無し 16/10/12(水)20:39:15  No.1191642      
コレについて野口参謀は

「私はかつて(吉丸)大佐の部下であった頃、戦車単独盲進を常々戒められていたことを思い出す。大佐は精悍ではあるが、決して猪武者ではない。ただ対岸に悪戦苦闘を続ける小松原兵団主力にたいする安岡支隊の責任を支隊長の身になって考えられた結果、人事を尽くした上の攻撃前進であった。後日、東京から教訓を求めに来た人々の中には、単に結果から想像して『歩、砲(と)分離して戦い、損害を大ならしめた例』とか称して非難される向きもあったが、士の心の解らぬも甚だしい」

…と述べられてるんですが、結局そうした悲劇の素は常に付きまとった補給・輸送能力にまつわる問題によるものであったわけでして、戦車隊という言わば「花形」がその能力を存分に発揮する為に、多数のソフトスキン車両からなる「裏方」がどれだけ大事なのかってのを非常によく示してる気がしますのう

無題
Name 名無し 16/10/12(水)21:34:17  No.1191651
八九式乙以降の戦車は軽油で自動車部隊はガソリン、ただでさえ輸送能力は低いのに2系統の燃料で戦車を優先させたら自動車の燃料不足は深刻になるよなぁ

無題
Name 名無し 16/10/12(水)22:39:46  No.1191659
http://www3.nhk.or.jp/news/cameramanseye/2016_1012.html
復活 幻の4駆
昭和11年に世界で初めて量産された幻の4輪駆動車「くろがね4起」。復活までの舞台裏を取材しました。

きれいに復活しましたな

無題
Name 名無し 16/10/13(木)19:24:35  No.1191769
燃料不足だから、軽油でも走るディーゼルを広く採用したんだよ。
輸送の前に生産が心許ないんだ。

無題
Name 名無し 16/10/13(木)22:22:24  No.1191809      
ディーゼル化の話題ついでに、これも見とくとオモチロイよ。
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/111C0000001-73.pdf

百式統制ディーゼルの以前に池貝式とでも言うべき統制モデルが存在し、東京自動車工業(いすゞ)でも作ったなんて耳寄りな話。
37年から39年の短い期間だったようだが、足掛け3年で正味は2年と勘定しても、本家池貝の生産数が500台程って…
実にほそぼそとしたつましい実態が泣けてくる。

東京自動車工業は41年からヂーゼル自動車工業と名前を改めて自動車製造事業法によるディーゼル自動車独占会社になる訳だが、その「ヂーゼル」さんトコでのディーゼル比率が1割に満たないとか

ハ号以降、ディーゼル化を果たした戦車とは全く事情が違うんだね。

無題
Name 名無し 16/10/14(金)21:09:23  No.1191960      
1476447015785
真珠湾攻撃に空母「加賀」の戦闘機隊先任分隊長長として参加して、終戦時は「紫電改」装備で有名な343空の飛行長を務めていらした志賀淑雄海軍少佐さんの当時の体験談で、終戦後進駐してきた米軍を迎えた時の事なんですが、

「大型輸送機が着陸して、中からジープがおりてきた。ああ、これがジープというやつか、と(略)一番偉い大佐が運転をはじめた。これには驚きました」
「アメリカの士官が、”How many transportations do you have ?”これは分からなかった。たまたま横にいた予備士官が、『トラックの事ですよ』と教えてくれて、ああそうか、と軍需部に電話して『六台ある』」

無題
Name 名無し 16/10/14(金)21:10:15  No.1191961      
1476447015785
「そしたら彼がピッとホイッスルを吹いて、兵隊が十四、五人集まってきました。それを端から六人選んで、トラックを取りに行かせた。負けたな、と思いましたね。日本では専門の運転手じゃないと車の運転なんて、出来なかったですからね」

…という事があったそうなんですが、当時の我が日本軍というかIJNで自動車の運転手さんてそんな貴重品だったのかしらん、と初めて読んだ当時から気になってたんですけれど、その後光人社の「海軍よもやま物語」の中に、「自講員」なる掌編が有るのを見つけまして以下はそこから引用であります

無題
Name 名無し 16/10/14(金)21:11:01  No.1191962      
1476447061991
「海軍省や鎮守府などには、高級幹部の為の自動車が無数にあった。よく、エライ人の自伝などには『急遽、鎮守府に駆けつけ…』『おっとり刀で車を飛ばし…』などと、ごく当たり前の事の様に書いてあるが、優秀な運転手がいたからこそ、そのように事が
運んだわけだし、粋な士官も『キマッテルネ、チバチャン』ということになるわけだ。勿論、人員、資材輸送用のトラックにも運転手は必要だ」

「中には、海軍に入る前の職業が運転手だったという人もいたが、これら海軍の運転手の殆どは『自講員』という課程の卒業者である」

無題
Name 名無し 16/10/14(金)21:12:50  No.1191963      
1476447170278
「自講員―正式には第○期自動車運転講習員と言って、水兵、機関兵の中から希望者を募り、一定期間ミッチリと訓練する。パイロットや軍楽兵と同じく、運転技術はいわゆるマンツーマンの教育で、ヘマをすると同乗の教官にピシリとやられる。構造、法規なども、いまの自動車学校のそれよりはるかに高い水準を要求された。その技量は運転手兼整備士というところだった」

「当時、横空にあった予科練の兵舎が霞ケ浦に移転した後、一クラス、約三十名くらいいたことがある。
『オイ、自講員てのはきついらしいな』
『そうだってよ。見ろよ、あの駆け足、われわれの練習生時代なんか問題じゃねえな』

とにかくすごい迫力であった」

無題
Name 名無し 16/10/14(金)21:13:52  No.1191965      
1476447232470
「普通科練習生教程を卒業すれば特技章を与えられ、いわゆるマーク持ちになれるが、これだけきびしい訓練をしても自講員は特技章なしで、ただ履歴に記入されるだけである。もっとも、優秀な運転手ほど同じ部隊に長く務めることができ、エライ人ともつきあえるから、色々な意味でいい思いをすることができたかもしれない(略)うらやましいと思ったことも何度かはある」

…んだそうで

そこのキミィ、日本海軍に入らないかい?
除隊後の再就職に有利な資格も、タダで色々取れるんだよ!(勧誘

無題
Name 名無し 16/10/14(金)22:19:26  No.1191971
日本は自動車がまともに走り続けられる道路が無かったことも痛いんでしょうね
幹線でも未舗装路で走るとボルトが緩んだり、タイヤや消耗品がもたなくなる
戦後育ちの親の話を聴いてもそうだったんだから、日本でモータースポーツやファンが育つわけがないし、自動車市場が発展するはずも無い
こんなに狭い日本でこれなんだから、広大な土地をもつ海外諸国のモータリゼーションに日本が叶うはずも無く。当然の事ながら運転免許も、取得して運転を楽しむ人口も頭打ちですわな

無題
Name 名無し 16/10/15(土)00:48:55  No.1192002      
それ以上に、文化そのものの違いが交通近代化のバリアーになってた希ガス。

時代劇を思い浮かべると、近世日本は圧倒的に駕籠なんだよね。
荷車は在ったけど、基本的に人は載せない。
馬も普段目にするのは荷役が主で、早馬はホント「緊急!」の用途。
罪人を運ぶのにも人夫が駕籠を担ぐくらいだ。

方や開拓劇はどうだろう。
農家村落ではほぼ全世帯に馬車があり、日曜には皆ソレで教会に乗り付ける。
子供でも当たり前のように手綱を取って運転する。

オーナードライバーが育つ素地からして、歴史を反映した隔たりが有るように思うね。

無題
Name 名無し 16/10/15(土)01:18:39  No.1192007
そんな日本でお大尽が自動車を入手して使い始める黎明期…
販売店は運転手の紹介とセットで車をセールス。
それが伴わないと実用価値ゼロなんだね。
そしてオーナーはクルマにでかでかと家紋を飾るのが常だったとか。
ウーン、これなんか大名駕籠の心意気なのかも知れないな、と。

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1190080.htm