日本陸軍が行った後期防衛戦闘について  
「日本陸軍、破滅の道をひた走る ペリリュー島の戦い2 嵐の前の静けさ1~パラオ地区隊の防御準備」

文:YSW

 今回はパラオ地区隊の基本的な防衛陣地構想と戦術構想について紹介、考察します。

1
(秋田県立図書館所蔵 戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈2〉付図第六)

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パラオ地区守備隊の計画
 
 パラオ地区の防備計画のうちもっとも重要視されたものは航空基地群でした。
 これは捷一号作戦のための反撃兵力とする航空部隊のためでした。しかしこの時点で航空戦力は壊滅し、残った爆弾は地雷として使われたりするのみなのに戦闘指導の大綱 1によると「敵に航空基地を与えないために敵攻略部隊を絶対に水際でせん滅すること」と指導します。
 しかし2においては航空基地防衛に際し「少しでも敵を利用させないようにすること」と言い、また3での敵航空機攻撃に関しては対空砲により撃破すること。となんとも悲しい現状を語っています。[1-1]

 
この航空基地の過剰なまでの防御姿勢はこの時期の防御教令である「島嶼守備部隊戦闘教令(案)」の第一章にある「守備部隊の威力圏」において書かれる守備隊の勢力圏は一般的に占領地帯と機動地帯(緩衝地帯として設ける)に分け、占領地帯は施設地帯と防御地帯に分けるとしています。
 このうち占領地帯は敵砲撃の及ばないところ。つまり内陸20km以上を指します。そして今回のような守備隊の兵力が少ない場合は施設地帯全般を守ることが不可能であると考えられるため飛行場と港湾部を重点的に守れ。としているのです。

2
(日本陸軍式 島の守りかたP29より)
港湾を守ることを重要視しているのがわかる。

 しかし狭い島内にこの通りに陣地を引くことは不可能なので、米軍の攻撃の対応については基本的にできるだけ砲爆撃に耐えられる陣地を作る(後述)また陣地は複郭陣地とするようにし、敵の一部が上陸しても長期持久できるようにし逆襲上陸部隊を待つ。というものでした。
 この逆上陸部隊は海上機動旅団※1の事と思われるでしょうが、輸送隊のみであり第十四師団第十五連隊第二大隊だけが各島に増援として約束されていました。

 
これらの事から気付いた読者の方もいるかもしれません。そう水際は防御地帯であり機動地帯なのです。
  もちろん陸軍側でも水際撃滅の限界は見えていたため8月19日にだされた大陸指第2130号別冊の「島嶼守備要領」において「兵力の関係により当初より飛行場、港湾等のみを防御する場合は専守防御の要領にものとす」[2-1]や「砲爆撃による損害の減少を図るため海岸より適正後退して選定するを可とす」としています。[2-2] (この記述について詳しくは次回)


築城計画

 防備計画における「パラオ地区集団築城計画」[1-2]は次のようになっていました。

1 常時、敵の来攻に対処しつつも、すみやかにまず敵の上陸企図、つまり上陸部隊を粉砕し、合わせて予想される熾烈な砲爆撃から人員資材を守るために築城施設を構築し、補備と増強に努めること。
 またこれらの陣地は巧みに活用し、また創意工夫をもって遅くとも昭和19年10月中旬までに難攻不落の島嶼要塞として使用できるようにすること。

2 アンガウル・ペリリュー両島は特に重要地区とし、特に強力な陣地にすること。このためセメント、鋼材、石材などの資源をもって築城素質の強化を図るとともに岩盤部を利用し地下施設を完成させ、砲爆撃に対抗する。

3 各地区隊は遅くとも昭和19年10月20日までに所定の永久築城を完成させるものとする。

4 築城は三期に区分し、各期とも漸進構築法により逐次増強する。
 第一期は上陸直後(これは米軍ではなく日本軍のこと)から一か月でおおむねの野戦築城を行う。
 第二期は第一期から引き続きおおむね二か月で野戦築城と一部陣地の永久築城化。
 第三期は第二期以後昭和19年10月中旬までに先ほど書いた資材をもって陣地を構築すること。
 掩蔽部はコンクリート、粗石製、または洞窟式とし、陣地要部は堅固なる地下編成とする。
 水際障害と対戦車障害並びに偽陣地、偽工事(偽砲や偽兵など)を徹底して大規模に行う事。

5 下の陣地強度について

6その他のコンクリートに要する骨材は早期から生産に着手し、施設は9月末までに完了するものとする。

7 ペリリュー地区隊長は地区隊長指揮所付近に特甲または特乙(強度)の集団戦闘指令所を構築するものとする。


陣地強度について

 施設要領においてペリリュー島の強度区分は甲(100キロ爆弾・十五糎砲に耐えられるもの)でした。[2-3]
 この「甲」区分の施設要領は地形と地物を利用し強度の高い洞窟式陣地の構築に努めるというもので、後期日本陸軍の構築した陣地と共通を感じさせるものでした。
 また「その他の資材を使用し素質(陣地と考えてよい)強度「甲」以上とする。特に水際障害を大規模に設ける」[1-3]ともあり、特に水際障害は海兵隊が上陸する際、大いに悩ませた一つとなります。
 陣地重要部に関しては特甲(一トン爆弾・四十糎砲に耐えられる)とし~ともありパラオ・ヤップ両島と比べてもかなり重要視されていたことがわかります。

 
何故ここまで強度に重要視されたかというと、これまでの米軍上陸時の砲爆撃に対応するためでした。
 先の「敵軍戦法早わかり」において米海軍の砲はB(戦艦)主砲・C(巡洋艦)主砲・B副砲・d(駆逐艦)主砲・B、C高角砲(実際は両用砲)に分けられて考えられており[3-1]、これらの艦船は海岸線から5km以上の位置から砲撃されるものと考えられていた。5km以遠から砲撃した場合B、C高角砲でも5km、B主砲に至っては20kmの位置に届くと考えられておりペリリュー島のような小さな島は島全域が射程に入ってしまいます。
 また実際のペリリュー島の戦いの際には海岸線1kmまで近づく艦船[3-1]も存在し、特火点の暴露や兵員への砲撃を防ぐために地下陣地は必須のものとなったのです。


3
(復刻版 敵軍戦法早わかりP37より)

 サンゴ礁でできた遠浅の海岸で海岸線1kmに近づくというのかなり度胸のある艦長という印象が出てきます。沖縄戦では座礁した駆逐艦が海岸線の砲で沈没させられているのでリスクはかなり高いはず。

 増備に関して、大陸指第千九百九十八号(昭和19年5月20日)に在パラオ補給用諸資材が第三十一軍に移管されます。[1-4]

内訳
十二糎加農砲 二門
十五糎加農砲 八門
高射砲 八門
高射機関砲 二四門
軽戦車 九両
自動貨車 約四〇〇両
牽引車 一九両
整備車 二〇両
セメント 八〇〇トン
鉄筋 三トン
鉄線 五トン
釘 六トン


 これら資材は大部分が集団に回され増加装備と独立混成旅団編成装備に充当され、集団の戦力工場に大きく寄与することになりました。しかし築城材料としてのセメントや鉄材および爆薬は大きく足りず、また弾薬も集団平均〇・五会戦分と不足していました。
 後に在パラオ海軍航空隊の全飛行機喪失に伴い爆弾の火薬を取り、陸海の肉薄攻撃や地雷製作に使用するようにしました。


4
(米軍が恐れた「卑怯な日本軍」P101より)

 太平洋上で航空隊は多々壊滅し、地上部隊は残された爆弾を有用に活用するために多くの工夫された地雷を仕掛けた。また、即席地雷はかなり有用であり、海兵隊にも大いに警戒されることになる。

 
他にも被服や燃料二万立方メートルなどが補給されましたが品目によってはなおも不足でした。

 
海も空も制されてしまっている洋島で補給は常におぼつかないものであり、コンクリートのように硬い土壌を掘って洞窟を作るなどそれこそ「汗の一滴は血の一滴」となるような努力をしなければならないのです。

 
また、この補給に書かれていない水が、いま現代、全世界で紛争の火種ナンバースリー(ワン・ツーは宗教・民族が血肉の争いを繰り広げている)である資源の中でも上位を争う水がこの戦いを地獄にする事をいまだに気付いていないのです。

 
次回はようやくペリリュー地区隊の話に入ります。


※1 陸軍の上陸部隊。現在の自衛隊の水陸機動団に当たる。上陸戦に特化した陸軍船舶隊以外にも海軍船舶隊を使用した。しかし名前通りの運用をされることはなく南の島々で果てることになる。


引用文献

1-1戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦2  P94
1-2  P96
1-3  P97
1-4 P99
2-1 日本陸軍式 島の守りかた。 島嶼守備部隊戦闘教令(案)の説明 P130
2-2 P131
3-1 復刻版 敵軍戦法早わかり≪合本≫ P37


参考文献

上記のものに加え
アンガウル・ペリリュー戦記
ペリリュー・沖縄戦記
サクラ サクラ ペリリュー島洞窟戦

ペリリュー島戦記―珊瑚礁の小島で海兵隊員が見た真実の恐怖 (光人社NF文庫)
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