無題 Name 名無し 16/09/16(金)04:34:46  No.1188363

1473968086210
当時与圧室完備の戦闘機など配備していなかった我が国の事情では高高度を飛行するB29迎撃では数え切れないほどの大変な苦労話があるんでしょうが
その中でも高高度迎撃するにあたりますと急に高度が上がり下がりすることが多々あると思うのですが
その際に敵機の銃撃によって身体に少しでも傷があったりすると大変なことになってしまいかねませんがその辺どうなんでしょうか?
あと、以前富士山に登った際にガイドの方に無理に登ったり下がったりすると鼓膜が破裂する恐れがあります。
と言われてしまったんですがやはり高高度迎撃する搭乗員の方々には鼓膜が破裂したりすることがあったんでしょうか?

長々となりましたが、もしよろしければ知っている範囲でかまいませんのでお教えお願いします。
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無題
Name 名無し 16/09/16(金)09:24:42  No.1188379
素人考えですが戦闘機は銃弾やミサイルの破片で穴があくことがあるので与圧しても意味が無いのでは
それで戦闘機に限らず軍用は与圧しないのでは?

無題
Name 名無し 16/09/16(金)09:26:37  No.1188380 
B29って与圧してなかったっけ?

無題
Name 名無し 16/09/16(金)09:37:34  No.1188383
キ108とかキ94Ⅱは与圧機構付きだったけど

無題
Name 名無し 16/09/16(金)14:03:03  No.1188398
>キ108とかキ94Ⅱは与圧機構付きだったけど
繭型の完全密閉式な
実際には完全密閉式なんて要らんかったらしいが
現代の軍用機は旅客機の約半分から1/3程度の与圧してる
なので高高度に上がるのにマスクが必要だし
超音速戦闘機なら0mから1万mまで1分程度だからな
更に上がるには与圧服なる物もあった
U-2なんかのクルーはまだ着てるんじゃないか?
オーダーメイドでピッタリのサイズを作ってくれるとか
戦闘機はF-104とか昔はあったが今はミサイルが射程も伸びてそこまで上がる必要がないので作ってない

>鼓膜が破裂したりすることがあったんでしょうか?
何件かあったらしい
あくびや唾飲み込む空気抜きが出来なかったせいなんだと
もっとも空気抜きできないヤツは初期の適性検査でハネたらしい

無題
Name 名無し 16/09/16(金)10:41:34  No.1188387
与圧してるB-29が弾喰らったら大変なんだろうな

無題
Name 名無し 16/09/16(金)12:35:01  No.1188393      
http://cgi.2chan.net/f/src/1473996901254.jpg
>与圧してるB-29が弾喰らったら大変なんだろうな

B-29の与圧キャビンは高高度でもカーキーシャツ一枚でも大丈夫な超絶快適空間なんだけど、その一方被弾で穴が開くと急激な気圧差により搭乗員が bombs away !!とかあった

無題
Name 名無し 16/09/16(金)21:27:04  No.1188449      
「人間はどんな事にも慣れてくる――例えば、一定の期間、理不尽で短気なボスと退屈な毎日のお勤め仕事に従ったり、低圧室で同じく退屈な長い時間を過ごしたり、ひどく気まぐれなロケット機で飛んだりすることにさえも慣れるものである」

WW2中のドイツで、ロケット戦闘機Me163に搭乗していたあるパイロットさんの手記の引用なんですけれども、実際僅か1分ほどの間に富士山よりも高い高度に与圧されない機体で上昇するという、当時気圧差と言う点では世界一過酷なお仕事だったわけですけれども、その訓練はと言うと

「それは(略)低圧室から始まった。この特殊な装置はソ連で分捕ったもので、鉄道客車の半分ほどの大きさの鋼鉄製のいかめしい代物だった」

無題
Name 名無し 16/09/16(金)21:28:20  No.1188451
「訓練の初期には、私たちは8000mまでじりじり上がり、再び海面まで降下するのに等しい、ゆっくりした、楽な一連の気圧変化に耐えていればよかったが、今はほぼ1分ジャストで8000mへ突っこみ、30秒足らずで海面の気圧へ放り出されるのだ。
こうした物凄い気圧の変化の間、私たちのはらわたは、まるで風船がふくらむような感じになって、思わず苦痛に悲鳴を上げたくなる。
もしたまたま軽い風邪でも引いて鼻をつまらせていようものなら、こういう急激な気圧の変化は、それこそ、とても耐えられない程激しい頭痛を引き起こす」

…という実にキビシイものだったそうなんですが、その甲斐あってかその後実機に乗っての急上昇訓練では、「口にも筆にも尽くしがたいほどの楽しい飛行」を味わう事が出来たんだそうで

高空の環境は確かに過酷なんですけれども、人体の適応力と言うのもなかなか…という所でしょかw

無題
Name 名無し 16/09/16(金)23:01:39  No.1188470
現在は与圧が抜けたときを想定した減圧チャンバーを利用した訓練があって、気圧が下がって室内が曇った途端、パイロットの首がガクッと落ちるんだよね
どういう現象なのかよくわからないけれども

無題
Name 名無し 16/09/17(土)01:56:01  No.1188498
>どういう現象なのかよくわからないけれども
急激な減圧で膨張する窒素によって人間風船状態になる
出さないと自発呼吸じゃ吸い込めないので腹部の膨張間を感じたら危険サイン

無題
Name 名無し 16/09/16(金)23:37:08  No.1188479
この前飛行機に乗った、高度計付き腕時計は2400mまで指してそれ以上は上がらなかったが機長の説明では10,000m上空だと言うことだった
その時軽い風邪にかかっていたので耳の奥から頭に刺すような痛みが続いて降りてからもしばらく痛かった

無題
Name 名無し 16/09/17(土)03:04:13  No.1188501
与圧は内外の気圧を検知しながら調整して
トラブルで圧が抜けた際に自壊起こすような圧力差にならんようにしてる
旅客機のキャビンと違って与圧してても呼吸は酸素マスクに頼るし

B-29クルーも敵地近づいたらさすがにマスク他装備するが
与圧を安全圏と戦闘域で調整していたかは分からん

無題
Name 名無し 16/09/18(日)20:24:18  No.1188714      
Me163を原型として、日本でも「秋水」の戦力化が計画されてたわけなんですけれど、実機の飛行前から横空や空技廠で搭乗要員の訓練は開始されてまして、こちらもドイツと同様、低圧室を用いた高度順応訓練が盛んに行われていたんだそうで、実際に訓練を受けた方の証言によると、

「もっともお世話になったのが、一万メートルと同気圧になるまで一分くらいで上昇(減圧)できる中型の物だった(略)各自の前の酸素のソケットにマスクのコネクターを差し込めば、スタンバイ、ヨーソロという事になる」

「第一回目は、一万メートルまで二十分ほどかけて上昇する。二千メートルくらい上がると、突如きりが部屋中に立ち込めて、一面のミルク色となる(略)この現象は、一番小さい低温低圧タンクでは、さらにおとぎの世界を演出してくれる」

無題
Name 名無し 16/09/18(日)20:25:10  No.1188715      
「このタンクは内部が氷点下三十度くらいになっているので、氷の霧がキラキラ輝きながら私達の周りを乱舞し、我々だけで見ているのが勿体ないような光景だった」

「そんな呑気なことを言っているのも初めの内だけで、秋水と同じ一万メートルまで三分で上昇する訓練が始まった(略)凄まじい空気の排出音と共に、精密高度計の針がくるくる回り、例の霧もあっという間に表れ、そして消えてしまった。」

「我々の方は、絶えず唾を飲み込んでいないと鼓膜がおかしくなるので、酸欠の金魚の様にアップアップしている間に、一万メートルまで上がってしまった」

無題
Name 名無し 16/09/18(日)20:25:48  No.1188716      
「そんなことをして四、五日たったある日、『全員、秋水搭乗員適格』のお墨付きを頂いた。何のことはない、今までは試されていたわけだ」

…なんて様相だったとかで、まあ当たり前と言えばそうですが、洋の東西で時を同じくして全く同じような苦労をされてたって事になりますですな

因みに
「大島少佐考案の新型酸素マスク、与圧マスクを装着しての実験も有った」
そうなんですが、
「この与圧マスクは、今の宇宙服の首だけのようなものだったが、視界が良くない事と、一万メートルではその必要もなかろうということで、二回ほど装着しただけで止めてしまった」

…んだとかなんとか…

無題
Name 名無し 16/09/19(月)05:52:45  No.1188759
やはりそういうところで技術者と搭乗員の果てしない努力があったわけですね…

無題
Name 名無し 16/09/19(月)13:37:48  No.1188782
亀レスだが腕時計内蔵の高度計は恐らく気圧高度計なので、キャビン内の与圧が高度2400m相当だったということだろう。

無題
Name 名無し 16/09/19(月)10:17:02  No.1188766 
減圧中はおならが出まくるって本当?

無題
Name 名無し 16/09/19(月)14:27:13  No.1188784
>減圧中はおならが出まくるって本当?
本当
ただし潰瘍がある場合はそこから漏れてガス溜まりとなったガスが膨張すると文字通り破裂する
潰瘍持ちの登山やダイビングはマジハイリスク

無題
Name 名無し 16/09/19(月)14:36:39  No.1188785      
>減圧中はおならが出まくるって本当?
引き続き「秋水」搭乗要員さんの手記から引用させて貰いますと

「ガスの放出回数というのは、例えば繊維質の多いものを食べて急上昇(減圧)をやると、一万メートルに達するまでに六、七回も放出することが有る」
「放出できる人は幸せで、これを出さないと腹がパンパンになって、猛烈な腹痛に悩まされることになる。おかずに牛蒡が入っていた時など(略)かわるがわるブーブーやったのでは、さぞかし空技廠の空気も汚染されたことだろう」

…との事で、まあ密閉した低圧室の中で自分や仲間の放出するガスの中での猛訓練、ってことだったみたいですな

無題
Name 名無し 16/09/19(月)14:37:45  No.1188786      
猛烈なガス噴射で一気に高高度まで駆け上がるロケット戦闘機のコクピット内で、そのパイロットさん自身も連続ガス噴射!とかちょっとユーモラスではあるんですけれどw
実際こちらの放出も上手く行かなければ、下手すれば搭乗員失神で墜落…と言う命がけな問題なわけでして、当時やはり独の情報に基づいて、肉類を中心とした消化の良い「秋水食」なる献立が用意されていたんだそうで

ある意味「秋水」隊員さん達は当時としては格段に豪華な食膳にありつけたわけなんですが、その代りそれ以外の食物摂取は一切禁止、食事の後に出るモノは大小とも提出、低圧室内での体調や献立への感想、放出の回数まで細かく記録されて、軍医の方々と共同で高高度飛行に備えたデータづくりが進められていたんだとかなんとか

如何にも高高度飛行の黎明期らしい話ではありますが、気圧順応訓練も含めて、かなり入念な準備が行われてはいたみたいですねえ

無題
Name 名無し 16/09/20(火)23:27:47  No.1188982
>実際こちらの放出も上手く行かなければ、下手すれば搭乗員失神で墜落…と言う

これ地上で減圧室に定期的に入れて予備的に放出させておけば本番のときに負担が少なくなったのではないだろうか?

無題
Name 名無し 16/09/19(月)15:25:45  No.1188791
>高高度飛行の黎明期らしい話ではありますが
すでにウイニー・メイが1920年代に与圧服着て高度1万m以上で世界一周してるよ
バケツをかぶった潜水服みたいな与圧服でヘルメットも浮き上がらないようにストラップで背中に引っ掛けてたが快適だったと記述してる
あと開戦前には陸軍審査部で高高度飛行の試験もやってるし
ラバウル航空隊も段々高度上げて1万mから合戦開始してる
黎明期と言うには遅すぎるよ

無題
Name 名無し 16/09/19(月)17:57:42  No.1188815     
>黎明期と言うには遅すぎるよ

確かに航空機の発展に伴って、1920~30年代ごろから与圧室を備えた機体なんかもあちこちの国で試作されちょるんですが、日本で初めて与圧室を搭載したのが、1939年頃から陸軍航空技術研究所の依頼で東大航空研究所が基礎設計を行い、立川飛行機が1940年7月から製作を開始した「ロ式B」なんだそうでして
機体自体1942年7月頃には試作機が完成したものの、肝心の気密室や与圧艤装の実験に手間取り、一号機の初飛行は1943年6月にまでずれ込んでおるんだとか

「ロ式B」の機体の胴体部分を除く他の部分については、立川飛行機でライセンス生産されていたロッキード14Lの設計がそのまま流用されたそうなんですが、その縁でと言うべきか、立川飛行機でロッキード14Lの担当者だった日村卓也さんという若手技術者さんが、「ロ式B」の気密室の設計担当に任命されたんだそうで

無題
Name 名無し 16/09/19(月)17:59:31  No.1188816      
日村さんによれば、何せ日本初のお仕事というわけで参考に出来るものがさっぱりなく、航研の研究資料の中から役立ちそうなものを漁ってなんとか試作品を造り上げると、東京・三鷹の中央航空研究所の低温・低圧実験室内に持ち込んで、自ら防寒服を着て気密室内に入り、高度1万1千メートル相当の気圧と温度(-60度)の環境下で実験を繰り返したんだそうなんですが、試行錯誤の繰り返しはやはり時間を食い、「ロ式B」の1号機の初飛行が終わった約4か月後の1943年10月13日になってようやく日本初の与圧飛行に成功、翌年の1月まで計7回の与圧飛行が繰り返され各種データの収集が行われたんだそうな

日村さん自身も試験飛行に同乗されてまして、高度9000メートルの上空から雲海の上に富士山の頭だけが覗いてる光景が非常に印象的だったそうなんですが、後に米軍のB-29の本土爆撃の際、富士山が目印にされた理由が良く分かった、なんて言葉も残されちょるそうですw

無題
Name 名無し 16/09/19(月)18:01:07  No.1188817
因みに海軍サンの方はどうだったかといいますと、元海軍技術少佐で空技廠飛行機部所属だった堀輝一郎さんによりますと

「昭和15年頃より海軍航空技術廠で(高高度飛行の)実験研究を開始したが、当時は此の研究に要する低温低圧実験室を建設したり、高度8千メートルまでの飛行実験に依り予備実験をする程度に過ぎなかった。」
「昭和17年頃、前記の実験設備が完成されたので、本格的実験研究を開始した」

…そうでして、例えば雷電及び銀河に搭載前提の気密室なんかも試作されて、低圧室内における試験まで終了してはおったんだそうな

無題
Name 名無し 16/09/19(月)18:03:28  No.1188818      
「橋本英文氏以下十数名の研究員が専心従事することとし、海軍航空技術廠の発動機、計器、医学、及び兵器各部と緊密に協力する外、陸軍、東大航空研究所および独逸と連絡を保って、昭和19年春頃には低温、低圧実験室内にて機体艤装関係の事項を実験完了し、何時でも必要に即応可能で実用性あるものを得ていた」

…との堀さんの言なんですが、「秋水」要員さんの訓練を支える体制が如何に築かれたか簡略乍らよく示されてる気がしますな

ただ結局のところ、陸海とも高高度飛行に対する体系的な研究に本腰を入れるのは開戦後の話であって、終戦で終わりとしても4年前後と言うわけでして
まだまだデータ収集と研究の途上で打ち切り、ってのが実情だったんじゃないでしょかね、やっぱし

無題
Name 名無し 16/09/19(月)22:13:06  No.1188852
こういう風に陸海軍別々に高高度研究やってるのとか見ると
やはりもう少し垣根を越えられないものかと考えてしまうね

無題
Name 名無し 16/09/20(火)23:12:01  No.1188978      
>もう少し垣根を越えられないものかと考えてしまうね

「秋水」なんかは一応陸海軍共用機体としてプロジェクトが進んでおりまして、陸さんの「秋水」要員さんが重滑空機で訓練する際、海軍側から牽引用の「天山」の機体と操縦者を貸し出したりして協力してたりはするんですけどねえ

因みに陸軍審査部の「秋水」要員予定者の方々は、立川に在った第八航空技術研究所で「秋水」の急上昇を想定した耐G及び耐圧(減圧)テストを受けられたそうなんですが、この時海軍サンの搭乗員と同様、放出ガス問題に悩まされたのかどうかは分かりまへんでした…w

無題
Name 名無し 16/09/20(火)23:14:27  No.1188979      
また川崎航空機のキ108の気密室も、立川飛行機や空技廠のモノとはまた別に、川崎の井町勇技師さんらの独自設計によるものだったそうなんですが、高高度における飛行試験を実施中のある日、高度一万メートルでキャノピー開閉部がいきなり飛散してしまう事故が起きたことがあるそうなんですな

コクピット内は高度3000m程度を想定して与圧されていたのが、一瞬にして減圧してしまったわけですが、操縦者さんは冷静に予備の酸素瓶使用に切り替えて無事着地されちょります

当時、高空で敵弾を受けて、与圧が急激に抜けるとどうなるか、というのも当然データが無く、開発者さんらの懸案事項だったそうなんですが、この思わぬ実地試験のあと、件の操縦者さんは
軍医より「いい体験をしてくれた」と喜ばれた、なんて話があるそうなんですが、こういう文字通り体を張って当時の関係者さんたちが蓄積した各種データ、戦後のジェット機時代にも多少なりとて活かされてたら嬉しんいんですけれど…どうだったんでしょかね

無題
Name 名無し 16/09/21(水)18:50:55  No.1189040
>高空で敵弾を受けて、与圧が急激に抜けるとどうなるか
だから無駄な事してんじゃねーっての!
密閉式はブロワのオイル漏れでオイル蒸気が充満したりロクな事ないんだから

無題
Name 名無し 16/09/22(木)06:51:13  No.1189091      
>ロクな事ないんだから

実際、川崎航空機で試作部長も務めた土井武夫さんによると、キ108の気密室は日立製のルーツブローアーにより高度1万mで3千m相当の圧力を保持し、外気温-25℃の時でも室内は15℃程度に維持できたそうなんですが、当初は気密室内の空気が油の蒸気を含んで大分テストパイロットさんを悩ませたんだとか

「ルーツブローアーにおいては、そのローターとケースとの間を、最大でも0.2㎜とし、その狭いクリアランスを漏れる空気を遮断することによって気密を保ち、圧力を発生させている。しかし、当時の工作精度はそこまで達していなかったので、注油によって気密を保持させていた」

無題
Name 名無し 16/09/22(木)06:51:58  No.1189092 
「その為、圧力空気には油が混じり、気密室内の空気は多量の油の蒸気を含み、パイロットは呼吸困難を起こすほどであった(略)色々苦心し、最後にはコトレル油霧吸収器によって、ようやく
空気を清浄とすることができた。戦後、開発されたYS-11の空気調和装置においては(略)同じくルーツブローアーを使用しているが、このような問題は全然ない」

…んだそうで
また先述した立川飛行機の日村さん、後に自社の高高度戦闘機キ94試作の際も、やはり気密室を担当されたそうなんですが、

「他社に参考にするものが全くなかったので、とにかく気を付けたのは、およそ高度三千メートル相当とした気密室内の空気を出来るだけ外に逃げないようシールする事、霧状オイルなんかが混じりがちな空気を出来るだけ清浄にすること、気密室の重量を重くしないために板を厚くしない事。この三つだけを守ることを条件にして設計しました」

との事で、当時の試行錯誤の程が窺える話ではありますですねえ

無題
Name 名無し 16/09/22(木)09:13:29  No.1189101
>当時の試行錯誤の程が窺える話ではありますですねえ
どれだけ長文書こうともただの長たらしい言い訳にしか聞こえない
「霧状オイルなんかが混じりがちな空気を出来るだけ清浄にすること」
とか言いながら全くできていない
秋水(Me163)に密閉式生蜜室が無い時点で気づくべき

無題
Name 名無し 16/09/22(木)09:53:42  No.1189106
有人SAMも同然のコメートよりも長時間高高度で戦う事を想定したら与圧でパイロットを守ろうとするのは同然の帰結なわけで
当時の日本の工作精度の低さはどうしようもなかったとしても
エンジニアとmeshさんが責められる謂れはないからなぁ

寒さ対策は電熱服位しか無かったんですかね
気化した油が充満してたら絶縁が悪いと大変なことになりそうですけど

無題
Name 名無し 16/09/22(木)11:05:03  No.1189112      
>長時間高高度で戦う事を想定

キ94の設計主務だった長谷川龍雄さんの証言や、キ94設計説明書などによると、同機の気密室装備は

「長時間飛行しないので、酸素を併用することで、与圧は最小限にしてありました。気密室内の圧は三千メートル相当で、例え一万メートル上空で被弾しても、高圧気体酸素瓶や一人用の酸素吸入器も携帯していますし、それほど気圧差が無いので、急激な負担はかからないようになっていました」

「本機は気密室を有することは既述の通りなるも、蓋し本機の特長の一と云うべし。気密室は胴体構造と別個に有り、単座戦闘機たる為操縦者の負担が極力少なからしめ、気密程度も差程大なることを要求せず。余り長時間を飛行しない本機に於いて酸素を併用することに依りて戦闘飛行に差し支へなき最小限度に止めたり(略)気密室設計気圧差を60%の安全率をとりて0.4気圧とす」

…となってまして、当時の用兵・設計側の意図としてはこんな感じだったみたいですな

無題
Name 名無し 16/09/22(木)11:08:11  No.1189115      
またこれも前述の堀輝一郎海軍技術少佐さんの話なんですが、

「昭和19年11月21日我が零式戦闘機に依り、有明湾小長井沖に撃墜されたB-29を調査して、初めて本機の与圧室及び其の艤装の全般を知った(略)その結果として米国に於ける与圧室に対する当時の『考え方』は独逸及び我が方に比し簡略であって実用に際し、如何なる程度にて満足していたか不明であるが、完璧なものであるとは認められなかった(例えば扉、窓、砲塔、操縦索貫通部及び航法信号弾投下筒等の部が気密不完全で、空気漏洩は給気にて補っていた)」

…そうでして、意外にと言うべきか、要は当時前述のように空技廠(或は川崎や立川)で研究が進められていたモノや、ドイツで使用されている(Me109の高高度型とかについてるヤツでしょうな)気密室に対して、時期的にも技術的にも先行している筈のアメちゃんの方が実は大雑把と言うか簡略な構造である、という事が判明したそうなんですな

無題
Name 名無し 16/09/22(木)11:09:38  No.1189116     
コレは陸さんの側にも同様の感想だったみたいでして、例えば当時陸軍航空技術研究所所属だった中村良夫さんという技術者さんがおりまして、この方がその頃何をしてたかと言うと

「私が担当させられたのは、立川飛行機が試作していたキ74遠距離爆撃機の気密室内の圧力をいつも高度三千メートル相当に保つようにしてやることでした。方法は、主エンジンの補機駆動部からの動力で遠心式過給機を回して、搭乗員のいる気密室内に与圧した空気を送り込んでやるのです」

…とのことなんですが、やはりコレも苦労の連続で

「気密室とはいっても、計算どおりの完全な気密性を保つことは出来ず、実際はわずかなりとも隙間が有ってほんの少しは漏れている。これをどのように取り扱うかが問題だった」

…と頭を悩ませていたんだとか

無題
Name 名無し 16/09/22(木)11:12:57  No.1189117      
そしてこの問題に悩んでいた中村さんに、やはり墜落B-29の調査が命じられまして、当然B-29の室内過給機、気密室がどのようになっているか興味津々だったそうなんですが、実際に調査してみると、構造も圧力制御も思ったよりずっと簡単で、排気ターボで加給され、エンジンに導かれる空気の一部を室内過給用として分岐し、その後に空気圧をコントロールする為の簡単なオリフィス(空気の通路を細く絞った管)が設置してあるだけで、室内過給機が別に装備されていたわけではなかったそうなんですな
その為、第一回目の調査報告では『気密室装備しあるやは疑問多し』なんて結果も出たそうなんですがw
堀さんの調査結果にも有る様に、B-29の気密室といえども、わずかずつながら、色々な所から自然に空気が漏れているわけで、改めて穴を開けて圧力バランスをとってやる必要はない、というのが実地に証明されたわけでして、日頃からいかに気圧を制御するかで頭を悩ましていた中村さん、

「なにかほっとしたような気持だった」

…なんて話が残されてるそうです

無題
Name 名無し 16/09/22(木)11:16:18  No.1189118      
漏れるもんは無理にふさがなくていいじゃんYO!というある意味合理的なアメちゃんと、気密室なら徹底したシーリングを!
という日独の気質の違いのお話でもあるわけなんですが、実は立川飛行機で製作されたキ94の気密コクピットも、前作「ロ式B」やキ74、または川崎のキ108の気密室のような特別な加圧器は設置せず、エンジン用排気タービンで圧縮された空気の一部を利用する構造になっておりまして、奇しくもというかここで日米の邀撃される側とする側で同じ構造が採用されることになってたようなんですな

無論、気密室自体のシーリングに十分気を使ったのは前述の通りなんですが、この時シール材として重宝されたのが米国産のネオプレン(もしくはそれを三菱で国産化された菱プレーン)だったそうで、これまたかつて日村さんがロッキード14L輸送機の国産化に携わっていた際、燃料タンクの油密塗料に使われていて馴染み深い素材だったりするんだそうで

当時はまさか日村さんも、自分がライセンス生産する機体の母国の爆撃機を邀撃する戦闘機の気密室を作るなんて考えもしなかったとは思うんですが、まあ縁は異なもの、といった所でしょか…w

無題
Name 名無し 16/09/23(金)00:57:27  No.1189199
戦争中の許されたわずかな時間で、各国が切磋琢磨していた証拠ですな
ドイツ爆撃で甚大な人的被害を出していたアメリカが、出した結論ともはや受身の日本が撃墜された機体から得たわずかな情報の精度
犠牲者には申し訳ないが国家の総力戦だからこそ面白いドラマですな

無題
Name 名無し 16/09/23(金)11:52:45  No.1189233
>気密室に対して、時期的にも技術的にも先行している筈のアメちゃんの方が実は大雑把と言うか簡略な構造である、という事が判明したそうなんですな

変に凝ったもの作って、生産性が悪い・故障続出なものより
ある程度割り切った性能で極力簡素で生産性が良く、実用的な物のほうが軍用品としては適切ですな
とはいえ、それを実践するのには莫大な経験と大規模マニュファクチャリング能力と、「こうした方がスマートじゃね?」というひらめきがないと無理であって・・・
まあ流石アメちゃんですな

無題
Name 名無し 16/09/23(金)14:37:03  No.1189243     
>キ94の気密コクピットも、前作「ロ式B」やキ74、
>または川崎のキ108の気密室のような特別な加圧器は設置せず

漸くこの頃になって余裕というか形に嵌まらない設計が出来るようになったと言うかまあ立川だからっていうのも有るんでしょうけどねー
キ94では排気タービンの中間冷却器を思い切って廃したり、余熱をパイロットの暖房や曇り止め、果ては機銃が凍らないように
翼内まで通していたと言いますしね

余談ですがほぼ同時期にキ87の開発をしていた中島飛行機の
技術陣がキ94の与圧機構の見学に来たり、キ94の設計陣が
1943年には軍からB29の三面図(無論ボーイング関連会社から盗み出した青焼)や詳細な性能を知らされていた事など、この頃に限らず軍用機にも色々エピソードがあって面白いです

無題
Name 名無し 16/09/23(金)17:52:16  No.1189251      
B-29の気密室の場合、高度3万フィート(約9千140メートル)で8千フィート(2440メートル)、4万フィート(1万2千メートル)で1万2千フィート(3660メートル)に相当する気圧に調整されるよう設計されていましたそうで、この辺も日本側の各機体で想定してました高度1万メートルで3千メートル程度って与圧の値に近いのがちょっと面白いと思うんですけれど、損傷による減圧や機体設計の各要因を考慮の上で合理的に思考していくと、どこも大体同じくらいの結論に落ち着く、ってことなのかもしれないですなw

因みにB-29の与圧は先述のようにエンジンの排気タービンからの加圧空気を流用しておるわけなんですが、戦中日本陸軍航空隊でこの点に眼を付けて、B-29の与圧システム破壊に的を絞る戦法が考案されたことがあったんだそうで

無題
Name 名無し 16/09/23(金)17:54:31  No.1189252      
ここらへん、撃墜機の残骸調査結果が影響しておるのかは定かではないんですが、当時陸軍の機体テストの他にB-29の邀撃戦闘も行っていた陸軍審査部戦闘機隊で、与圧システムに関係していると推定された右翼内側エンジン(実際は両翼の内側エンジン)を狙い撃ちして機能不全に陥れるというアイデアが考案されたそうなんですな

与圧の利かなくなったB-29は当然高度を下げなければならなくなり、そうすれば高高度性能に劣る日本戦闘機でも、後続機が続けて有効な打撃を加えうる…という案だったそうなんですが、実際には熾烈な防御砲火を潜って肉薄する各機が、そこまで余裕を持った攻撃を行う事は不可能で、まずコクピット等の致命部を狙って自分が落とすつもりで撃つのが殆ど、とあって、折角の妙案?も実行されることはなかったんだとか

結局はアイデア倒れって話ではあるんですけれど、当時の防空隊の方々の苦心奮闘ぶりを伝えるエピソードではありますですねえ

無題
Name 名無し 16/09/23(金)18:33:50  No.1189255
>B-29の気密室の場合、高度3万フィート(約9千140メートル)で8千フィート(2440メートル)、
この数字は現在の旅客機と同程度だと思う

無題
Name 名無し 16/09/23(金)19:16:56  No.1189264
>B-29の気密室の場合、高度3万フィート(約9千140メートル)で8千フィート(2440メートル)、

現在の旅客機の与圧が大凡1万mで1300~2400m前後に相当するようになっているそうで
与圧だけから見れば殆ど快適性?はB29も一緒だったんですね(・w・

無題
Name 名無し 16/09/24(土)17:04:09  No.1189369      
>与圧

5式戦にも排気タービン装備の高高度型が有りまして、試作機が完成すると早速審査部によりテストが行われていたんですが、ある日の高高度飛行試験中の事、機体は実に快調で高度1万2千メートルに達し、片側を見れば眼下に日本海、反対を見れば太平洋と実にいい塩梅だったそうなんですが、テストパイロットさんがこの絶景をもっとよく見てやろう、と何気なく後方へ首をひねった所、その首に猛烈な痛みが走ったそうなんですな

慌てて着陸した後、医師の診察を受けても原因は分からずじまい、幸いなことに痛みは一時的で、後遺症も出なかったものの原因は知れず、あるいは首を回した時血管が捩れ、血流の変化が低い気圧の影響を受けて激痛を生んだものか…等、あれこれ考えておられたそうなんですが、戦後になってこのパイロットさんが、航空自衛隊の幕僚監部技術部に勤務していた昭和30年頃、ちょうど来日したジェット戦闘機デ・ハビランド「バンパイア」の英国人パイロットさんにこの話をすると、初めてこんな結論めいた言葉を聞かせてくれたそうなんですな

「それはラッキーだった。普通なら死ぬところだよ」

無題
Name 名無し 16/09/24(土)17:08:41  No.1189370      
ちょっと謎めいた感もある話ですけれど、当時高高度で行動する初期ジェット機の乗員さんの間で『にわかリューマチ』なる症状が悩みの種であったそうでして、これは人体関節部の関節液の中に溶け込んでいる窒素を主成分とする空気が、圧力減退で気泡上に気化して起こる、耐えがたい疼痛を指していう言葉だったそうなんですな

要は減圧症の表れの一つでありまして、スキューバダイビングやられる方なんかにはお馴染みだったりするかもですが、与圧キャビンの無い5式戦で審査部員さんを襲ったのもコレだったとすると、実際減圧症も重度となれば重大な影響を与えますので、「死ぬところだった」というエゲレス人パイロットさんの言も決してオーバーではなかったんじゃないでしょうか

因みにこの症状、飛行する前に100%酸素を吸入し続ける、『関節の脱窒素』治療法を講じておけば防止できるものだそうなんですが、当時の審査部の操縦者さん達には(恐らく)まだそういう知識も知られていないというか、むしろ文字通りその身で高空の影響を実地に検証する立場だったわけで、その苦労っぷりにはまあ、ホントに頭が下がりますですなあ

無題
Name 名無し 16/09/24(土)18:20:25  No.1189381
空気を圧縮できるタービンの開発ができてない国には無理な話だよねえ

無題
Name 名無し 16/09/24(土)18:33:21  No.1189392
>タービン
過給器とかターボチャージャーといった方が正しい

無題
Name 名無し 16/09/24(土)18:44:36  No.1189397
よく言われる排気タービンが作れないってのが
排気側のタービンが耐えられないのか吸気側の圧縮に問題があるのか装着の方法に悩んだのかわからん
決まって耐熱合金が作れなかったって書かれるということは排気側のタービンが問題でそれ以外は正常に作ってたのか?

無題
Name 名無し 16/09/24(土)18:54:09  No.1189402
>排気タービンが作れないってのが

軸受けの問題じゃないかね
日本の造機が終始苦しんだ分野だ

無題
Name 名無し 16/09/24(土)19:41:38  No.1189408
>それ以外は正常に作ってたのか?

タービンが正常に使えなかったら
それ以外も実験できないじゃん

無題
Name 名無し 16/09/24(土)20:06:26  No.1189414      
空技廠で航空機用発動機関係の業務に携わってらした永野治元海軍技術中佐さんによりますと、

「1937年に450~500馬力用のブラウン・ボベリ社(スイス)社製(ターボ過給機)を輸入して海軍と日立製作所、三菱、石川島航空の各社が之を調査研究し、夫々試作に着手して1941年に先ず日立の500馬力用が成功し、1942年には各社とも1000馬力用を完成した」

「引き続き1500~2000馬力用の試作を進めると共に、当時入手困難となっていたニッケルを含まないマンガン・クローム耐熱鋼の実用化に成功し、1943年には三菱、日立の量産設備も整備せられて(略)こうしてタービン過給機は実用型式を完成すると共にかなりの生産能力を持つようになった」

…そうなんですな

無題
Name 名無し 16/09/24(土)20:10:03  No.1189416
ただし、

「之にともなうべき艤装関係の研究は未だ不充分であり、全般的に実用経験不足で容易に普及は出来なかった」

「高圧縮の為の給気温度上昇は充填効率を低下し、且つノッキングの因ともなるので給気冷却機を用いる必要が有るが、小型高能率の給気冷器の発達が不充分で機体艤装が不手際であると大きな抵抗部分をエンジンナセルに加えることになる」

「高高度シリンダ冷却の問題は永らく検討せられてはいたが実際に過熱問題にぶつかると妙案がなかった。コロナ放電防止の為の密閉加圧通気式点火電路系は未だ未熟で元々不調の多い点火系に又厄介な問題を加えた」
「只でさえ厄介な排気管系が高圧高温になってエンジンナセル周りの艤装は困難を極めた」

無題
Name 名無し 16/09/24(土)20:11:39  No.1189417      
「当初、既成型式の飛行機を排気タービンによって性能向上する計画がかなりあったけれども、之等艤装問題から不細工なエンジンナセルが却って低高度性能を著しく損ない、整備上の恐るべきトラブルが予期せられることと合わせ考えて実行は見合された」

「戦争末期の試作飛行機には排気タービン又は機械駆動の二段過給エンジンを装備するものがかなりあったけれども、いずれも実用期に入るのはかなり先のことのように見えた」

「相当数をストックせられたタービン過給機は、こうしてそのまま倉庫の埃を浴びる始末となった」

…との事でして、要はまあ、排気タービンそのものは取りあえず有っても、それを実際の航空機に取りつけて運用する為の設計や補機、運用に関するノウハウが未だ未熟だった事こそが、より重大な問題だった、って事みたいですのう

無題
Name 名無し 16/09/25(日)10:18:41  No.1189523
>コロナ放電防止の為の密閉加圧通気式点火電路系は未だ未熟で
撃墜したB29を調査して技術者がプラグの碍子が10mm長いのを発見してる
量産まで至らなかったようだが、まさに
>ある程度割り切った性能で極力簡素で生産性が良く、実用的な物
だな

無題
Name 名無し 16/09/25(日)07:00:57  No.1189503
高高度だと冷えてるから冷却なんて考えなくていいと思ってたわ

無題
Name 名無し 16/09/25(日)13:19:25  No.1189537     
>高高度だと冷えてるから冷却なんて考えなくていいと思ってたわ

キ94設計主任の長谷川さんがまさにこれに関する当時の事情を語られておられるんですが、

「高高度に行くと、外気温度はマイナス数十度になるので、エンジンの冷却は簡単だろうと思って、クーラーの容量を小さくしがちなのですが、ところがこれが大きな間違いのもとで、かえって大きくしなければならないのです。過給機があるから馬力が出てるので潤滑油の温度は上がるにもかかわらず、空気は薄くなっているので、かえって冷えにくいのです。みんなここを勘違いして設計して、実際に飛ばしてみた後になって四苦八苦したのです」

未知の領域や性能を見込んで造った試作機を実際に飛ばしたら、計算上想定していなかったような新たな問題が噴出して大わらわ、とか今でもちょこちょこ聞く話ですけれどw
技術者さん達が直面する苦労の種は何時の時代も尽きないってことですかねえ

無題
Name 名無し 16/09/25(日)11:18:21  No.1189526
二段式の過給機付けた機体はどれだったっけ
日中戦争あたりで出ていたような
うろ覚えだと
一段だけでは高度5500m
二段だと9000mまでいける。みたいな
海軍の陸攻だろうか?

無題
Name 名無し 16/09/25(日)11:33:21  No.1189527
栄あたりは1段でもだいぶ馬力奪われてるなあとなる一方、よその国では2段スーチャーだと馬力取られるからつけないほうがマシとはならなかったようだけど
あれは栄や金星が素でパワー不足なだけで大排気量大パワーなエンジンなら2段でも問題ないのかな

FM1は1段にして低高度性能上がったようだけどあれは軽量になったおかげみたいし

無題
Name 名無し 16/09/25(日)13:30:44  No.1189539      
>二段式の過給機付けた機体はどれだったっけ

前述の永野氏の手記によれば、

「高高度用には二段遠心式(過給機)が必要となり終戦当時誉、ハ-43、42等に二段過給機が試作せられ」

たものの、

「機械駆動二段過給といえども(排気タービン過給機と)同様の未経験状態で、結局二段過給の実用分野は日本では未だ開拓の緒についたばかりと云う有様であった」

…そうでして、「日中戦争あたり」が日米開戦前の支那事変の頃の話だとしますと、まだ二段式過給機を付けた実用機は、日本では試作も含めて存在していなかったんじゃないでしょか

無題
Name 名無し 16/09/25(日)13:32:25  No.1189540      
ただ陸攻の話ですと、支那事変の最中に大陸では主機材の96式陸攻が21型から23型に更新されたんですが、当時から終戦時まで約8年間陸攻部隊で戦った巌谷二三男さんによりますと、

「23型が従来の21型と異なる主な点は、馬力の増大、航続力増進などが挙げられるが、最も用兵上重要な点は、上昇力の向上と高高度性能の格段の進歩であった」

「陸攻が援護戦闘機を随伴できない奥地侵攻を強行する為(略)対空砲火を顧慮しても、なるべく高高度飛行が容易であることを現地では希望していた」

「昭和14年までは21型を使用していたが、この型では大編隊行動がとれる限度は5500メートル付近(計器高度)であった。この程度の高度では(略)戦闘機による被害は侮りがたい数値を示していた」

無題
Name 名無し 16/09/25(日)13:33:25  No.1189541      
「23型を使用していた(略)航空隊は(略)高度6000メートル以上、7000メートル付近で行動していたので、中国戦闘機は邀撃意の如くならず、5000メートル付近で歯ぎしりしているという形であった。従って、我が陸攻隊は殆ど敵戦闘機の妨害を受けることなく、ゆうゆうと高高度爆撃を実施し得た」

…そうでして、自身は未だ21型装備の部隊だった巌谷さん、23型で作戦する同僚に『低高度部隊』の奮戦ぶりを眺めていてやるぞ、なんてからかわれたそうなんですがw
21型と23型のこうした高高度性能の差は、つまるところ21型の「金星」41・42型エンジンの離昇出力1000馬力が23型の金星51・52型では1300馬力に強化された事に加え、一段二速の高高度飛行に備えた新型過給機が装備されたことによる所が大きかったそうなんですな

或はこの事じゃあないかと思うんですけれど…どうなんでしょ

無題
Name 名無し 16/09/25(日)13:59:31  No.1189544
エンジンもだけど、タービンそのものの過熱損耗も問題だったよね。
なにせ熱排気以外浴びせられないから、冷えると言う工程が全然ない。
これに米軍がどう対処したかというと、行き着いた先は
「ほぼ使い捨て同様に交換しまくる。」
時期によるのかもしれないけど、少なくとも日本軍にこの手は…

無題
Name 名無し 16/09/25(日)17:40:35  No.1189568
>「ほぼ使い捨て同様に交換しまくる。」

その話B-29だとよく聞くんですが、他のターボ使用機(B-17、B-24、P-38、P-47)に関してそういう記述を見たことがないです。
B-29限定の話なんですかね。

無題
Name 名無し 16/09/25(日)21:36:51  No.1189592
>B-29限定の話なんですかね。

エンジンごと交換じゃなかった?

無題
Name 名無し 16/09/26(月)03:59:36  No.1189633
>その話B-29だとよく聞くんですが、他のターボ使用機(B-17、B-24、P-38、P-47)に関してそういう記述を見たことがないです。
>B-29限定の話なんですかね。

排気タービンがどうのといよりB-29のR-3350の話かな多分。このエンジンは高い出力と機体設計がいささかミスマッチだったのもあって冷却が追いつかず信頼性にちょっと問題があった。タービンもナセル内に押し込んでるし余計に熱問題は深刻だったらしい
他は割と艤装スペースに余裕もあるから冷却には余裕があったのかも。外装にタービン丸出しだったりするし

無題
Name 名無し 16/09/26(月)16:24:10  No.1189662
>B-29のR-3350の話かな多分。このエンジンは高い出力と機体設計がいささかミスマッチだったのもあって冷却が追いつかず信頼性にちょっと問題があった。
R-3350は通称火炎放射器だからなぁ。
元々冷却悪い上にマグネシウム合金多用してるから、大層よく燃えたそうな。
双発と四発の違いはあるにせよ、誉搭載の銀河より稼動率悪いという……。

無題
Name 名無し 16/09/26(月)21:29:25  No.1189686
>双発と四発の違いはあるにせよ、誉搭載の銀河より稼動率悪いという……。
エンジン多い方が安心と思ったが違ったのか・・

無題
Name 名無し 16/09/26(月)22:09:12  No.1189687      
>エンジン多い方が安心と思ったが違ったのか・・

被弾などでエンジンが止まったときは多い方が安心だろう。
しかし、エンジン1基の稼働率を70%とすれば、双発機は50%、4発機は25%に下がり、出撃機数は減る。
また、作戦途上に1基でも不調になれば編隊を維持するのが難しくなるので任務放棄して基地に戻るから作戦参加機数も減ることになる。

無題
Name 名無し 16/09/26(月)22:11:35  No.1189688
>双発と四発の違いはあるにせよ、誉搭載の銀河より稼動率悪いという……。
>エンジン多い方が安心と思ったが違ったのか・・
飛んでてひとつエンジンが停まったら即片肺の双発に比べたら四発はまだ飛んでいられる余裕があるけど
飛ばす前の話たと四発だとエンジン整備の手間は単純に双発の2倍だから…

無題
Name 名無し 16/09/26(月)23:07:18  No.1189694
>双発と四発の違いはあるにせよ、誉搭載の銀河より稼動率悪いという……。
     
稼働率が低いのならばたくさん作って配備すれば良いのじゃ

無題
Name 名無し 16/09/27(火)04:04:02  No.1189709
>稼働率が低いのならばたくさん作って配備すれば良いのじゃ
そしてサイパンには廃棄されたエンジンの山が…どこかで写真みたはずなんだけど

無題
Name 名無し 16/09/26(月)23:40:24  No.1189698      
>エンジンごと交換じゃなかった?
>このエンジンは高い出力と機体設計がいささかミスマッチだったのもあって冷却が追いつかず信頼性にちょっと問題があった。タービンもナセル内に押し込んでるし余計に熱問題は深刻だったらしい

なるほど排気タービンそのものは一応実用レベルの耐久性を獲得していたものの、B-29では設計が野心的過ぎてエンジンっ周り丸ごと高頻度での交換を余儀なくされたということなんでしょうか。

ただそんなR-3350もA-1スカイレイダーやP-2ネプチューンに搭載されて1970年代まで第1線で使われ続けるわけですからわからないものですね。

特にA-1なんてB-29みたいな繊細さとは無縁のタフな機体のイメージがありますので初めて知ったときは意外に思いました。

無題
Name 名無し 16/09/27(火)01:46:01  No.1189706
同じR-3350系列エンジンでも、B-29に積んだのはR-3350-23で
A-1のは改良型のR-3350-26WAだから、色々改善されてるのでは?

無題
Name 名無し 16/09/28(水)00:57:37  No.1189815
>B-29に積んだのはR-3350-23で
>A-1のは改良型のR-3350-26WAだから、色々改善されてるのでは?

1947年に配備が始まった最初の量産型に搭載されていたのはR-3350-24WでR-3350-23に比べると300馬力出力が向上していますが、その他の改良点は不明です。
R-3350-26WAは4番目の量産モデルから搭載されたエンジンになります。

無題
Name 名無し 16/09/26(月)02:14:00  No.1189628      
ドイツ空軍のJu86爆撃機の派生型で、エンジン排気駆動の二段遠心式過給機を付けたユモ207ディーゼルエンジンと自動調圧の与圧室を備えたJU86Pと言う機体が有りまして、1940年2月に初飛行したこの機体、以降高高度からの爆撃・偵察ミッションに従事して発展型のJu86Rともども、エゲレス空軍の高高度型スピットと高度1万2000~1万3000m辺りで銃火を交えてるんですが、このJu86Pのユモ207エンジン、実はターボ過給機ともども日本に輸入されたことがあったようでして、前述空技廠の永野さんの手記にもごく簡潔ですがその話が載ってたりします
内容的にはターボ過給機に関する部分は殆どないんですけれど、ちょっと興味深い部分も有りますのでまた引用させて頂きますと

無題
Name 名無し 16/09/26(月)02:14:46  No.1189629      
「過給機扇車軸受も回転が20000rpm以上にも達するのでなかなか難しく、初期には球及びコロ軸受が一般に用いられたが故障が多く、高性能星形エンジンではライト社の設計を模してケルメットの平軸受けが多く用いられた。一般に球及びコロ軸受の国産品は故障が多く、其の制度維持に関係者の不断の苦心が払われた」

「日本では高速で高推力に耐える深溝型の球軸受けが普及していなかったので設計上不便があった。鹵獲アメリカエンジンのプロペラ推力軸受に内輪二つ割りの深溝型が使ってあり、1939年に輸入したユモ207の排気タービン軸受にも外輪二つ割りの深溝型が使ってあって、いずれも小型に収まっているのを見て我々は羨望したものである」

無題
Name 名無し 16/09/26(月)02:16:12  No.1189630      
「この事はジェットエンジンの設計には重大な問題で、終戦直前のネ20タービンジェット試作に際して惨憺たる苦心を払わねばならぬ結果となった」
「軸受の生命を左右する潤滑油は1937年頃からは主としてアメリカ製テキサコの120番を用い、終戦当時迄主として輸入ストックに頼っていた」

…んだそうで
軸受の問題については既に指摘されてる方がいらっしゃいますけれども、排気タービンに限らず、広範に基礎的な部分で質量ともに十分な下地が用意されてるってのは、結果的には様々な分野で役に立つと共に、それらの相乗効果でなり立っている軍用機の性能発揮を支える上で非常に重要なことなんでしょうね、やっぱし

無題
Name 名無し 16/09/26(月)10:32:03  No.1189643
>軸受の生命を左右する潤滑油は1937年頃からは主としてアメリカ製テキサコの120番を用い、終戦当時迄主として輸入ストックに頼っていた

潤滑油は冷却も担当するし、重要だよな。
それを輸入ストックに頼っていたのか。
つくづく旧軍のスペックって当てになんねえな。

無題
Name 名無し 16/09/26(月)13:03:00  No.1189651
カタログスペック詐欺は、まあどこの国も似たようなものだよ。
燃料減らしたり弾薬抜いたり継ぎ目テーピングしたりのドーピングはどこもやってる。

無題
Name 名無し 16/09/26(月)16:12:43  No.1189661     
そういう「故意の」差ではなく、基礎工業力に起因する予定外の差のことを言ってるのでは?

製造された時期による精度の違いや整備状況によって大きく性能は変わるから。

流星の本を読んでいて、カタログスペックでは彗星570km/h以上 流星550km/h以上とあるのに流星に乗り換えた搭乗員たちが「彗星よりも速度が上がった」と証言していてそういうものかと納得してしまったね。

無題
Name 名無し 16/09/27(火)23:28:56  No.1189802      
戦中、日本陸軍の航空技術研究所で色々な機種のエンジン審査を担当されてた田中次郎中尉さんによりますと、

「三菱と中島のエンジン部門を比較すると、三菱は技術提携したプラット・アンド・ホイットニー社のワスプ・エンジン、中島は同じくカーチス社のサイクロン・エンジンをそれぞれ引き継いでいた。中島製は小型で性能は出るが、信頼性に欠ける。三菱製は信頼性は高かったが、図体がデカかった」

…そうで、或は中島も「師匠」のライト社に倣う中で、その悪い所まで引き継いじゃってたりするのかもですな

それにしても戦争末期の状況ってのはライト社製エンジンを積んだB-29の大群が、誉や栄を生産してる中島飛行機の工場に爆弾を落としにやってくるわけで、なんとも酷いセンセイの仕打ち…なわけですケド、こういうのもある意味師弟対決と言うんでしょうか…w

無題
Name 名無し 16/09/27(火)23:30:58  No.1189803      
因みに1942年頃、日本初の本格的な高高度戦闘機たるキ87の開発が始まった時の話だそうなんですが、機体の基礎設計を担当した渋谷巌さんによれば、性能発揮の肝となる排気タービンの設置位置の点で、屡々設計主務の小山悌と衝突したんだそうで

「キ87の基礎設計を進めて、三面図は私と部下で描いたのですが、小山技師長もつきっきりでした。ところが、描いても描いても小山さんは気に入らず、首を縦に振ってくれなかったんです」

これはスレ内で触れられてる方もおられますが、要はシステム上排気タービンは高温の排気ガスで過熱する事になりますので、渋谷さんとしてはこれを機体後部下部に設置することでエンジンと排気タービンの距離を開けて、タービンのファンに当たる排気ガスの温度が下がる様な配置にしたかったそうなんですな

無題
Name 名無し 16/09/27(火)23:32:00  No.1189804      
これに対し小山さんの方は

「排気タービンを機体の下部に装着すれば(略)被弾した時、漏れた燃料が高温の排気タービンの熱で引火し、乗員に危険が及ぶ。だから胴体の横に取りつけるべきだ」

…という意見でして、これは小山氏が自身が設計した97式戦闘機がノモンハン紛争の空戦で被弾した際、胴体内タンクの火災でパイロットが大分火傷を負った…という苦い記憶からだったそうなんですが、結局最終的には小山さんの案が通り、キ87の排気タービンは機首エンジン直後の側壁に設置されることとなったんだとか

無題
Name 名無し 16/09/27(火)23:33:11  No.1189805      
ところが試作機が完成していざテストが始まると、渋谷さんの懸念通りというか、胴体横の排気タービンへ吹き付ける排気ガス温度が高すぎて過給機の損傷を招き、結局2号機では胴体下側への設置位置変更が決まるんですが、他にも続出した技術的問題や、戦況の変化等もあって、結局はキ87自体お蔵入りと言う結末になってしまったんだそうで

軍用機の搭乗員ってのは、合理性を突き詰めて考えれば機体の運用に必要な要素の一つに過ぎないわけですけれど、逆に言えばその性能発揮の為に重要な部品であるニンゲン様が身体的、或は精神的制約から十分な能力を発揮できないような設計ってのもまた良い設計とは言えないわけでして

この場合も渋谷さんと小山さん、どちらの設計へのアプローチのやり方も決して間違いではないわけなんですけれど…

難しいものですねえ

無題
Name 名無し 16/09/28(水)20:41:52  No.1189889
キ87は捕獲したP-40を真似た主脚引き込み機構も不調で、どのみち物にならなかったような気がする。
そういえば、ヘルキャットの試作型、XF6F-1もエンジンはR-3350だったけど、熟成不足で不調だったとかで生産型はR-2800に変更されたんだっけ。

無題
Name 名無し 16/09/29(木)00:00:07  No.1189908
>ヘルキャットの試作型、XF6F-1もエンジンはR-3350だったけど

いえ、XF6F-1のエンジンははR-2600でした

無題
Name 名無し 16/09/29(木)09:04:10  No.1189924
>キ87は捕獲したP-40を真似た主脚引き込み機構も不調で、どのみち物にならなかったような気がする
回転引き込み脚自体は十一試艦上爆撃機で採用されてるんで真新しい奇をてらった方法でもないんだよ

無題
Name 名無し 16/09/28(水)22:42:21  No.1189895      
日米に限った話ではないですけれど、互いが死力を尽くす戦時中には当然モノにならないまま消えていったアイデアなんてのは山ほどあるわけでして、例えば日米開戦直後の1941年12月中旬、中島飛行機のエンジン部門所属の技師さん達から、高高度での高出力発揮の為のアイデアとしてエンジンへの酸素噴射が提案されたそうなんですな

陸海軍の承認を受けて「サ号実験」と命名されたこのプラン、気体の酸素ボンベは被弾爆発の危険があるというわけで、低温で液化した酸素を真鍮製真空二重壁構造の「魔法瓶」に積めて
携行するもので、酸素の消費量はおおむね一馬力一時間当たり0.8キロを要する計算で、実際の携行量は100キロ程度として300馬力20分程度の短時間、いわば実際に敵機と交戦する短時間の間に絞って出力を向上させるというものだったんだとか

無題
Name 名無し 16/09/28(水)22:43:52  No.1189896      
越中島にあった清水低温研究所と中島飛行機の協力で製作されたこの装置、様々な紆余曲折はあったものの、地上試験を経て1943年1月ごろからは中島「月光」双発戦闘機に搭載されての飛行試験も始まり、とりあえずは期待通りの効果を発揮することが確認されまして、早速横須賀の海軍実験部に収める試作2号機の製作も始まったそうなんですが、不幸にもその最中機体内に気化して滞留していた酸素ガスと、これまた偶々漏れ出して充満していたガソリン蒸気が清掃に使われていた掃除機のモーターの火花で引火して全焼するという事故が発生しちゃったそうなんですな

その後安全性を考慮した新設計の機器開発や、液体酸素補給センター用の設備計画、人体呼吸用の小型サ号装置等の量産計画も続けられてはいたそうなんですが、機体炎上のイメージがたたったものかどうか、パイロット側からも搭載を嫌う声が上がったとかで、遂にそのままお蔵入りと相成ってしまったそうで

無題
Name 名無し 16/09/28(水)22:45:04  No.1189897     
その後月日は流れて1944年11月1日の事、この日サイパン島のイスリイ飛行場から飛び立ったB-29改造の偵察機F-13A「トウキョウ・ローズ」号は快晴の東京上空に侵入すると、約一万メートルの上空から約35分間にわたって「値段の付けられないほど貴重な数千枚の写真(カーチス・ルメイ)」を撮影すると、おっとり刀で飛び立った首都防空の陸軍第十飛行師団および海軍302空の防空戦闘機を尻目に悠々と飛び去っていきまして、「初侵入機必墜」の十飛師の方針はあえなく水泡と帰してしまったそうなんですな

その後立て続けに5日・7日にもF-13の高高度侵入は続き、、7日には陸海合計300機の戦闘機を発進させるも取り逃がす、という事態に、11月7日付けで第十飛行師団長吉田喜八郎中将サンは隷下の各飛行戦隊に対して、4機ずつの非武装軽量化機による体当たり撃墜を目指す、特別攻撃隊編成を命じております

無題
Name 名無し 16/09/28(水)22:47:25  No.1189898     
ある意味酸素の被弾爆発云々より更に危険な任務がパイロットの方々に課せられちゃう事になってしまった訳なんですけれど、実はこの手の届きがたいF-13に、11月1日の初飛来の際、ただ一機同高度まで達して併行飛行までした、なんて機体があったそうなんですな

陸軍審査部の林武臣准尉さんが搭乗していたこの機体、奇しくもというかこれが「サ号」装置搭載の一式戦だったんだそうでして、当日も同装置を使用しての高高度試験を予定していたところ、侵入してくる4発機を認め、かねて来襲が予期されていたB-29と正しく判定、「サ号」装置を使用して真横に付けると、如何にも審査部らしく、外形・飛行状況のデータ取りを始めたそうなんですが、惜しくも実弾未搭載の為、地上への警告を行っただけで離脱せざるを得なかったんだそうで

「サ号」装置自体は言わば苦肉の策でしたし、仮に実戦部隊レベルで運用しても様々な困難は免れなかったとは思うんですが、時期的には大分早期から始まっていたこの取り組み、或は展開次第では本土防空戦の様相をちょっとだけ変えていたかもしれませんですなあ

無題
Name 名無し 16/09/29(木)06:11:12  No.1189919
酸素供給装置はテスパイが「30秒で(エンジンに)ガタがきた。長時間使ってはいけない」
ってんでお蔵入りになったんだろ
長文乙

無題
Name 名無し 16/09/29(木)16:44:19  No.1189943
>酸素供給装置はテスパイが「30秒で(エンジンに)ガタがきた。長時間使ってはいけない」
>ってんでお蔵入りになったんだろ
それキ84サ号の話で30秒じゃなく30分じゃなかったっけ
「みるみる速度計の針があがるのがわかるったが30分も続けると、ガタがきてスピードが落ちた長くやってはいけない」

無題
Name 名無し 16/09/29(木)20:27:25  No.1189972
>30秒じゃなく30分じゃなかったっけ
あ?分なの?昔読んだから記憶違いだったかも

無題
Name 名無し 16/09/29(木)16:50:23  No.1189945
酸素だけだと高温になるだろうね
同時に水噴射も取り入れてはどうだろう?

無題
Name 名無し 16/09/29(木)18:18:33  No.1189951
馬力アップ、航空性能向上に亜硝酸ガス噴射とかでドイツ空軍は実用化してなかったかな?

毒性とか爆発の危険は酸素ガスとくらべどうなんだろうか?

有毒だな
Name 名無し 16/09/29(木)18:54:27  No.1189958 
ジェット燃料添加物として知られる亜硝酸イソブチルや亜硝酸イソプロピルを含む脱法ドラッグが芳香剤などの名目で一部で販売されているが[3]、乱用による急性メトヘモグロビン血症による死亡例がある[2]。動物実験による半数致死濃度(LC50。ラット、4時間吸入)は亜硝酸エチル160ppm、亜硝酸メチル176ppm、亜硝酸プロピル300ppm、亜硝酸イソブチル777ppmなどのデータがある[2]。

無題
Name 名無し 16/09/29(木)21:09:37  No.1189975      
ドイツの高高度戦闘機で使ってたのは亜酸化窒素供給装置の方でなかったでしょか?
いざとなったらニトロON!って感じでw

因みにこれは永野海軍技術中佐さんの回想になるんですが、まだ日米開戦前の1941年の春に、4年間の駐ドイツ勤務を終えた熊沢俊一という中佐さん(当時)が帰国して、ドイツの状況について最新情報を教えてくれたそうなんですが、それによるとドイツでは排気タービン過給器そのものに対しては数社が研究を行っているものの、実際には「もっと素晴らしい計画」が進行している、と云うんだそうなんですな

更に1942年初頭になると、駐日ドイツ武官と熊沢さんの交際から、ハインケル社が既に相当以前にタービンジェットによる飛行に成功したとの情報がもたらされて、

「半信半疑ながらも、何か新しい飛躍時代の胎動をあわただしく感じるようになった」

…んだとか

無題
Name 名無し 16/09/29(木)21:16:07  No.1189976      
当時空技廠では、1933年頃から排気タービン過給器の研究を続けられていた加藤茂夫大尉さんが中心となり、公称高度1万5千メートルで2千500馬力用の特大排気ガスタービン過給機YT15型なるものの試作が進んでいたそうなんですが、肝心の完成品は故障が多くて全力試験がかなわず、また差し当たりこのような排気タービンの用途も考えられていなかったんだそうで

そこで加藤大尉さん、いっそ之を改造してタービン(ジェット)エンジン化しよう!、と提案し、上司の種子島時休大佐の承認も得て、「TR」の名称で1943年頃から試験が開始されたんだそうな

ただ日本で初めてのジェットエンジン製作はやはり困難の連続で、タービン翼、軸受、燃焼室の故障が続出し、一時は民間各社も含めてそれなりの大量試作計画も持ち上がったものの、結局
「TR」系統のジェットエンジンそのものの実用化は断念されてるんだとかなんとか
ただまあコレがその後の戦後も含めた国産ジェット開発の草分けになったと考えるなら、あながち無意味だった、ってわけでもないんでしょかねえ…?

無題
Name 名無し 16/10/01(土)13:29:13  No.1190143      
>タービン翼、軸受、燃焼室の故障が続出し、

羽根の破損に悩まされる最中、たまたま訪れてた艦艇造機の人間が作ってはいけない(羽根)寸法の話を出したそうで
当の破損羽根の寸法は「160×16」、蒸気タービンでこの羽根は(破損多発するので)作るなと言われてる寸法だった

モノづくりは大変だなぁと思える話

引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1188363.htm

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