無題 Name 名無し 16/08/25(木)16:14:02  No.1186025

写真で見る日本陸軍兵営の食事 

http://cgi.2chan.net/f/src/1472109242507.gif
ホンマかいな

<参考>
http://alinamin.jp/tired/topics/08.html

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無題
Name 名無し 16/08/25(木)16:55:04  No.1186035
実際には海軍でも「パンや麦なんて食ってられっか!」と白米信仰が勝って結局脚気が増えるという
つかWW2戦中でも完全に根絶できなかったのか…

無題
Name 名無し 16/08/25(木)17:02:25  No.1186036
パンじゃなくて麦飯じゃね?
なんか企みを感じるわ
白米だって食い過ぎが原因じゃねえよ

無題
Name 名無し 16/08/25(木)17:05:04  No.1186037
副食が貧弱だったから白米に麦を混ぜて不足分を補おうってだけだから

無題
Name 名無し 16/08/25(木)18:03:59  No.1186039
実際パン食にしてみると普段は上官に絶対服従の水兵からも「パンじゃ仕事する力が出ません」と苦情が来る始末
しかし握り飯と沢庵でも渡しておけば大人しくなるから扱いは簡単w

無題
Name 名無し 16/08/25(木)18:10:01  No.1186040
きちんとコメと麦の比率が決められていたが、そこはどうしても米の方が多くなってしまい、結果、「デッコ」することに。

無題
Name 名無し 16/08/25(木)18:12:14  No.1186041
小学生の頃学校行事で見に行った映画では白衣の化学者が登場して「米飯食がいかに頭と体に悪いか」を解り易く解説してくれたもんだ
まだ米飯給食なんて夢にも考えられない時代

無題
Name 名無し 16/08/25(木)19:19:21  No.1186065
>小学生の頃学校行事で見に行った映画では白衣の化学者が登場して「米飯食がいかに頭と体に悪いか」を解り易く解説してくれたもんだ
>まだ米飯給食なんて夢にも考えられない時代

それって米国占領時代&直後の、米国余剰小麦日本向け輸出促進キャンペーンがあったころの話じゃねーかw

一体何歳だよw

無題
Name 名無し 16/08/25(木)19:24:47  No.1186068 
>一体何歳だよw
年寄りには違いないけど昭和40年代生まれだよ

無題
Name 名無し 16/08/25(木)18:16:58  No.1186042
海軍は早いうちから兵食改良でパン食導入して各艦にパン焼き設備導入して小麦粉支給してはいるがやはり非常に不評で支給の粉投棄してコメに積み替えて出港する艦長すらいた
日本人の異常なまでのコメ至上主義、白米信仰てやっぱ江戸幕府の政策が元凶なのかね

無題
Name 名無し 16/08/25(木)18:19:44  No.1186043
政策って言うなら大和朝廷そのものが水田稲作振興事業団みたいなものだったし

無題
Name 名無し 16/08/25(木)19:12:59  No.1186062
>政策って言うなら大和朝廷そのものが水田稲作振興事業団みたいなものだったし
多種多様な米作から白米至上になったのは江戸時代の石高制偏重と農政の結果だぞ
江戸以前は白米赤米、早稲晩稲バラバラの米を多種作ってたのが普通

無題
Name 名無し 16/08/25(木)19:08:21  No.1186058
白米だけですとビタミンB1不足によって脚気の症状が出たらしいですね
海軍は比較的早く麦米混合で出していて患者は少なかったとのこと
陸軍も麦米混合の食事(1食辺り米200g 麦62g)を採用したんですが支那事変以降は食糧不足から3食中1食にパン(300g)か、うどん(500g)に変更されています
但し、それさえ難しく部隊によっては「満蒙食品」(米と栗、若しくはコウリャンの混合)になっていたそうです

まあ支那事変を境に正規17個師団が急速に51個師団に増えましたから仕方が無い事なのでしょうけど(・w・;

無題
Name 名無し 16/08/25(木)19:09:58  No.1186060
森鴎外のせいで日露戦争で陸軍に大量の脚気をだしたとかは有名だね
結果論だが

無題
Name 名無し 16/08/25(木)19:41:06  No.1186074 
1472121666532
日本海軍で、有名な高木兼寛さんが軍艦「筑波」で洋食による脚気防止実験を行ったのが明治17年ごろからなんですが、ほぼ同時期、陸さんでも大阪鎮台軍医部長だった掘内利国さんという方が、明治17年12月から一年間、大阪鎮台で試験的に主食を米6分・麦4分に改めて支給して、明治17年の脚気患者数の割合が兵1000人に対し353人だった所を、明治18年にはわずか18人にまで減少させることに成功してたりするんだそうで

これを受けた近衛聯隊では、堀内さんを東京に招くと、2個大隊の内、1大隊には米飯のみを与えて習志野(千葉)の原を行軍させ、他の大隊には麦飯を与えて、同じ条件のもとに習志野を行軍させる実験を行ってるんですが、米食の大隊には脚気患者が多く出たものの、麦食の大隊には少なく、
『麦飯の効験ある確実なることを知られたり』
という結論に達したんだとか

無題
Name 名無し 16/08/25(木)19:43:35  No.1186076 
1472121815688
こうした顕著な結果に刺激を受けて、続いて広島の第5師団も麦飯を採用し、明治19年には東京の第1師団、20年には仙台の第2師団、21年には名古屋の第3師団、22年には熊本の第6師団がそれぞれ麦飯採用に踏み切り、24年には麦のご飯は新発田、由良、福岡の3個聯隊のみを除く全軍に普及しまして、日本陸軍内での総脚気患者数も、年間の新患者数で見て明治17年には年9793人だったものが、21年には1807人、22年には789人、24年には265人、26年には遂に113人まで減少しておるんだとか

従って、実際のところ日清戦争(明治27~28年)・日露戦争(37~38年)より「前」の段階で、日本陸軍内においても「麦飯」の採用により、脚気はほぼ駆逐されつつあった、というのが正しい所のようなんですな

無題
Name 名無し 16/08/25(木)19:45:21  No.1186078 
1472121921497
歩兵第3聯隊などでは、聯隊長大寺安純大佐以下のの指導宜しく、三食とも主食はパン、朝は味噌汁、昼は牛肉、夕は魚の副食と徹底した食事改造を行ったそうなんですが、流石にコレは米飯に慣れた兵隊さんには不評で、酒保では大福餅がバカ売れ、たまの外出日には競って飯屋でコメのご飯を搔き込む姿が見られたそうなんですがw
問題はこういう脚気対策の主食の麦飯化が、あくまで聯隊・師団という現場レベルでの対応に留まっていた事であって、陸軍のオフィシャルな規定ではあくまで主食は精米のみ、という状態のままだった事なんだとか

従って日清・日露の役に於いて、各師団が自己の裁量で麦を調達できなくなり、規定の白米食のみの支給に移るとたちまち大量の脚気患者を出す羽目になり、すでに兵食規定自体を大幅に変えていた海軍と明暗を分ける形になった、という事らしいんですが、「麦飯」という「正解」に辿り着いていた点では同じでも、その実施が言わばトップダウンで行われてた海軍と、ボトムアップだった陸軍の差が、戦時において大きく開いちゃった、って事なんでしょかね

無題
Name 名無し 16/08/25(木)20:03:31  No.1186083
当時のパンの配合や小麦の質ってのはどうだったんでしょうか
今のメーカー製の普通の食パンはBP計算で4~5%の油脂と8%程度の異性化液糖の配合が主流ですが
当時は今より粉にフスマが多くて油脂も満足に入ってなさそうであまり美味しくはなさそうな予感がします
せめてバターなら良いんですがショートニング系だと香りも無くすぐ硬くなるので…
なんかパンと一緒に砂糖も配膳されるって話もあってご飯というより「おやつ」という認識だったとか

無題
Name 名無し 16/08/25(木)20:04:00  No.1186084
日本陸軍で本格的に米麦飯が採用されたのが大正2年以降
無論これは脚気予防のためですね
また食事のレシピが正式に統一されたのが昭和5年の「軍隊調理法」という軍が発行した小冊子からでした
栄養学の観点から昭和12年に改訂されていますが短時間で大量に調理し栄養も・・・というで中身も多彩で漬け物や嘗め物(パンに付けるジャム等)から果てはハムやうどんの製法まで・・・・

食事予算は決まってますから軍医と主計将校が頭を悩ませつつ「軍隊調理法」を見ながら週単位の献立を考えて居たそうです
ただまあ、正直予算は足りなかったらしく部隊によって漬け物を作ったり裏庭で野菜を作ったりで食事内容には差異があったようですよ(・w・

Name 名無し 16/08/25(木)21:33:10  No.1186105
>食事予算は決まってますから軍医と主計将校が頭を悩ませつつ「軍隊調理法」を見ながら週単位の献立を考えて居たそうです
今の自衛隊でも一日あたりの予算が一緒だから
物価が高い都会と安い地方ではおかずに差異があるなんて話があるけど
当時も似たような感じだったんだろうか

無題
Name 名無し 16/08/25(木)20:56:34  No.1186098
1472126194663
明治も過ぎて大正の頃ともなると、米だけでなく麦の精白技術も進歩するんですが、逆に糠や胚芽の部分が以前より失われることで麦の「対脚気効果」が減少して、僅かながら再び脚気患者が増加した、なんて椿事もあったんだとかw
もっとも、この頃からビタミンに関する知見も充実してきますんで、逆に精米を意識して抑えた「胚芽米」の利用や副食の充実も図られる様になったそうで

因みに元日本海軍主計中佐だった瀬間喬さんによると

「海軍においては士官の昼食は洋食であったのでもちろんであるが、兵食も昼は原則としてパン食であった。ところが士官はパン食を嫌わないが、兵員はどういうものかこれを嫌い、特に下士官、古参の兵にその傾向が強く、食べ残したりパンの中の柔い部分だけをえぐり取ったようにして食べ、縁を残したりするので、どうしてパンを完全に食べさせるかということがいつも問題になっていた」

無題
Name 名無し 16/08/25(木)20:58:04  No.1186099 
「艦隊の泊地では昼食の終わった後の軍艦の周辺にはパン屑が一杯浮いていた。昭和11年の暮れ、特務艦で片路一ヶ月かかってロスアンゼルスに行ったが、艦が出港すると約二日間、常にカモメの群れが艦尾を舞って飛び廻り、浮いているパンくずや残飯類をつまんで食べる有様がみられたが、驚いたことには12年の1月末に横須賀に帰投する二日前になると、誰が知らせるのかと思うほど又カモメの一群がやってきて艦尾付近をつきまとっていた」

…なんて状況だったそうなんですが、実は同じころアメリカを越えてさらに大西洋の先、ドーバー海峡でもエゲレス海軍の潜水艦が、フネの周囲の海面に盛んにパンをばら撒いていたんだとか

無題
Name 名無し 16/08/25(木)20:59:21  No.1186100 
こちらもやはりロイヤルネイビーの水兵さんのパン嫌いの所為…ではなく、英海軍としては別の目的が有りまして、ともあれ毎日せっせと浮上してはパンをばら撒く内に、やがて英仏海峡のカモメさん達の間には、この水中から浮上してくる変なヤツの所に行けば餌がもらえるぞ!という評判がばっちり広まりまして、ついには水中に潜航中の潜水艦を見つけると、その上空で群れ集まって待機するようにまでなったそうなんですな

さて勿論、カモメに潜水艦の国籍なんて見分けは付きませんから、やがて戦争が始まり
密かにドーバーに独軍のUボートが侵入してくると、同じようにその上空に群集するわけでして、かくてエゲレスの対潜部隊は、その鳥柱を目印に相当数のUボートを捕捉することに成功した、と伝えられております

いわば生きた早期対潜警戒機網、と言ったところでしょか…w
無題 Name 名無し 16/08/25(木)21:40:03 IP:240d:1a.*(ipv6) No.1186107 del
>かくてエゲレスの対潜部隊は、その鳥柱を目印に相当数のUボートを捕捉することに成功した、と伝えられております

動物の戦争利用の類は意図した結果の出るほうが稀なので
眉唾だなぁ

無題
Name 名無し 16/08/25(木)21:39:23  No.1186106
白米至上主義っていつからなんだろ?
そりゃ玄米ばっかりの時の白米は貴重かもしれんけどおかず食いたいって欲求を持たないのかな?
肉や魚みたいなおかずはほぼ手に入らないが白米ならなんとか手が届くとかそんな話なんだろうか・・・

無題
Name 名無し 16/08/25(木)22:51:29  No.1186120
>おかず食いたいって欲求を持たないのかな?
語弊がありますけど食事事情が現在と全く異なるんです
ちなみに大正10年のとある時期の第三十三連隊の内容なんですが

朝:米麦飯2合、味噌汁、漬け物
昼:米麦飯2合、煮込みうどん、漬け物
夕:パン300g、シチュー、砂糖(嘗め物)

こんな感じですがシチューは現在とは違い
ラードを煮立てて小麦粉を入れてルウを作り肉野菜を入れて塩・胡椒で味付けしたモノです。
それはともかくとして夕飯はパンですが、それでも1日4合、基本は1日6合です
少なくとも私は1日6合は無理・・・大ドンブリで3杯は想像を絶しますが食事に関しては「こう言う時代」だったんですね

無題
Name 名無し 16/08/25(木)23:28:55  No.1186125
好き嫌い以前にバランスよく食べるっていう概念自体がなかったんだろうな。

あと、
>ラードを煮立てて小麦粉を入れてルウを作り肉野菜を入れて塩・胡椒で味付けしたモノです。
こんなの絶対食えない。

無題
Name 名無し 16/08/26(金)00:07:58  No.1186134
>こんなの絶対食えない。
所が、そのシチュー、戦史研究家の藤田昌雄氏によりますと
「なかなか美味しくシンプルながら立派にシチューであった」だそうですよ(笑)

御飯の件ですが米麦飯ばかりと言う訳では無く五目御飯や肉飯などもあり
野戦時でも油揚げ飯・大根飯・甘藷飯・福神漬飯等が出されています
何回も言いますが、それでも1食2合は凄いモノですね

無題
Name 名無し 16/08/26(金)00:12:08  No.1186137
>3杯は想像を絶しますが食事に関しては「こう言う時代」だったんですね
洋の東西問わずそんなもんよ昔の庶民食なんて
一般人の食い物史とかパンか米の違いくらいで糖質大量
異様に多様性がある状態が今現在の自分等から見てあり得ねーとおもってるだけ

無題
Name 名無し 16/08/26(金)12:00:29  No.1186179 
>「なかなか美味しくシンプルながら立派にシチューであった」
ゴボウと白ネギと牛肉のシチュー(味付けは塩胡椒に醤油)は「戦場の衣食住」みて作ったことあったっけ(5年以上前かな?)
普通に食える味だったと思う
>>ラードを煮立てて小麦粉を入れてルウを作り肉野菜を入れて塩・胡椒で味付けしたモノです。
>こんなの絶対食えない。
ルーはもともとバターを鍋で熱して溶かして小麦粉を加えて作るものだから市販の固形のチョコレートみたいなの買うよりこっちのほうが本格的だったりする
うちのママンもシチュー作るときは市販のルー使わないで具を炒めるついでに小麦粉ぶっこんでα化したらミルクなり水なりいれて煮込んでる
おいしいですよ
ちなみに今一人暮らしの自分はこはんを炊くときは麦飯にふすまを加えて炊いてます
特に変な味もにおいもせずお通じが良くなるのでオススメ(自衛隊の戦闘糧食は用足しの頻度を減らすためわざと食物繊維少な目のメニューにしてると聞いたけどどうなんだろ?イタリアのレーションには必要に応じて使えるようにふすまのタブレットが分けてついてるそうだし…)

無題
Name 名無し 16/08/26(金)16:13:44  No.1186206
>3杯は想像を絶しますが食事に関しては
>「こう言う時代」だったんですね
先進国でも20世紀半ばすぎまで庶民は一日に必要なカロリーを取ることが食事の第一目的で
バランスの良い食事とか食料生産が飛躍して様々な食材が安価に供給されるようになってからの話

今でも一番安価に手に入る食材は穀物などの炭水化物で
糖尿病は貧乏人がかかる病気(必要な栄養の殆どを炭水化物でしか取れない)になってしまってる

無題
Name 名無し 16/08/25(木)21:49:44  No.1186110 
1472129384014
日本軍は米だけ持ち歩いて副食は現地調達が常だからな
兎に角米だけ持ってれば良いだろって感覚だな

無題
Name 名無し 16/08/26(金)00:30:22  No.1186142
>日本軍は米だけ持ち歩いて副食は現地調達が常だからな
日本陸軍は元々建軍時には国内治安軍でしたので
「現地調達」というものが支那事変以前には普通に内部でも文書化されていました
その後は「地元民へ友好且つ効率的に現地調達」が部隊毎に行われています。
この時期はまだまだ強制徴発は殆ど無く中国に置いても日本砲艦が地元住民から肉や野菜を買い上げている姿が多々見られたそうで陸軍も同様でした(例外はあったでしょうが)
初の海外出征である台湾出兵時に痛い目に遭ったのでロジスティックに関してはそこそこ進展はあったようですね

無題
Name 名無し 16/08/25(木)21:53:54  No.1186113
実際に白飯がっつり月月火水木金金な生活を送ると分かるけど
米はデンプンの塊で全部糖分に変わってしまいそうな気がするけど
実は難消化性のデンプンがあって、ハードな生活だと便秘になりがちなのが米だと不思議とお通じが良くなる。これマジで重要。

無題
Name 名無し 16/08/25(木)21:54:39  No.1186114
国内生産するにしても多湿に弱いパン用の春播小麦より既存の水稲の方が作りやすいのもあるよね
麦飯に使う大麦や麺用の秋播小麦は裏作に適してた分良かったがパンに合うだろう具材や軍板的に言えば嘗め物だって材料やその生産の時点で当時の米飯のそれより手間は掛かるし

無題
Name 名無し 16/08/26(金)11:46:36  No.1186178
当時は「腹いっぱい食えて暗くなると寝かせてもらえて日が昇るまで起きなくていい」って貧農の次男三男からしてみれば羨望の的だったそうですからね軍隊生活は

無題
Name 名無し 16/08/26(金)12:47:54  No.1186187
戦場の衣食住 と 陸軍いちぜんめし物語 は太平洋戦争当時の食の話で面白いかな

最近は漫画だが巻しっぽ帝国というのが色々と面白そうだ

無題
Name 名無し 16/08/26(金)13:17:32  No.1186189
昭和12年12月の2週間に50名の兵士に行軍や戦闘演習を行わせて食事と体重等の関連を調査した「実兵50人を以てせる軍用糧食の栄養、人体実験の研究」をざっと見すると一日平均3585kcal(主食から2993kcal、副食から592kcal)で体重が63.3kgから62.8kgに微減してる
米は1合が約150gで6合だと900g
澱粉モノは大抵100gで約350kcalだから900gだと3150kcalなので、重度の肉体労働をする兵士に6合メシは贅沢ではなく必要なものだったんだなぁ、と

無題
Name 名無し 16/08/26(金)14:26:13  No.1186195
ふすまって何かと思ったら、小麦の糠の事なのか
確かに脚気の予防などに必要な栄養素は詰まってそうだ

最初の話に戻すと、
戦中の陸軍は各自飯盒炊爨、海軍は食堂なのも大きかったと思う
(個人の携行量をほぼ無視できる)
長期航海になると缶詰などの他にもある程度はバランス良く食べられるし
(卵なども含む)

無題
Name 名無し 16/08/26(金)16:49:52  No.1186210
>戦中の陸軍は各自飯盒炊爨、海軍は食堂なのも大きかったと思う
>(個人の携行量をほぼ無視できる)
陸軍だって炊事班がまとめて調理する給食システムだよ
個人で飯炊きなんて非効率なことよっぽどの事がない限りやらない
飯盒はまとめて調理したものを個人単位に小分けするための器なんだから

無題
Name 名無し 16/08/26(金)22:58:05  No.1186261
>陸軍だって炊事班がまとめて調理する給食システムだよ
システム的にはそうで、支那事変では後方の輜重部隊がオニギリ2個(各1合×2)に漬け物を竹皮包みや新聞紙で包み前線へ投げながら供給していたそうなんですけど、そこで名付けられたのが「手投飯」という名前でお分かりの通り「手投弾」の言葉を飯に当てはめて居たわけです(笑)

但し野戦時や太平洋戦争時には輜重部隊の少なさから兵自体が炊飯をする場合が多くなり部隊には米と漬け物の類いを供給し自炊推奨になっています

まあ上記したんですが平時17個師団が51個師団に膨れあがって輜重部隊の増設が全く追いつかなくなっていたので仕方が無いって言えば仕方が無いんでしょうけど・・・

無題
Name 名無し 16/08/26(金)15:32:01  No.1186202
白米じゃなくて七分搗きにするだけでも大分変わるのに。
末期陸海軍では半搗き~七分搗きになったけど、事情はちょっと違うかも。

無題
Name 名無し 16/08/26(金)18:46:38  No.1186228
>白米じゃなくて七分搗きにするだけでも大分変わるのに。
>末期陸海軍では半搗き~七分搗きになったけど、事情はちょっと違うかも。
一般人でもそういう米を配給されたら一升瓶やビール瓶に入れて木の棒で搗いてでも白米にして食べようとしたもんだ

無題
Name 名無し 16/08/26(金)21:10:04  No.1186246 
>木の棒で搗いてでも白米にして食べようとしたもんだ
実際に米が不味いと食えたものじゃないからな
貧乏している頃にコクゾウの湧いた米とか古々々米とか犬米(割れたり青みがかった米)とかタイ米の米飯とか食った事があるけど炊飯した米がマズいとそれだけで食事が台無しになる
でもパン(パンの耳)には変えられずとことん日本人だと思う

無題
Name 名無し 16/08/26(金)15:43:50  No.1186203
太平洋戦争開戦以後は海軍でも「食堂による食事」は難しくなっていたようで(特に第二段階作戦以降)
雑誌「丸」の古い号ですが「山岡荘八対談」での栗田健男氏がレイテ沖海戦を主題として色々と語っておられます

まあ集団で補給地に到着出来る海軍とは違って陸軍は全て目的地へ持っていかないと行けない状況だったんですが
どうもこれに関しては海軍が理解せず陸軍側が説明や実行に苦労した話も残っていますね

無題
Name 名無し 16/08/26(金)17:55:17  No.1186224
日本人は米好きおおいからねえ
同じ耕地面積なら小麦より米の方が獲れる総量のカロリーは高い(その分耕作に水を多く使うが)
結果、乾燥した荒れ地で小麦しか作付け出来なかったヨーロッパより、水が多く米作のアジアの方が人口が多くなった

無題
Name 名無し 16/08/26(金)20:55:45  No.1186242
IJNでは大正10年から昭和6年にかけて、兵食研究調査委員会を設けて海軍糧食に関する各種研究を進めていたそうなんですが、それによりますと

「実験の結果によると、海軍主食品では、白米は脚気予防力はなく、生麺麭(パン)は予防力が甚だ少なく、圧搾麦(割麦)は予防力が相当ある。また、胚芽米(精白胚芽米)は胚芽75%以上のものは予防力が十分あり、胚芽米50%以下の物は予防力が少なく、米麦飯、胚芽米飯は炊くことにより予防力を殆ど失わない。海軍の白米は名称こそ白米としてあるが、殆ど全部精白胚芽米を供給しているので、実際基本食のビタミン含有は脚気予防量の約三倍になっている。
基本食の白米を名実ともに精白米にしても、その他の副食品が充分摂取されればビタミン含有量が予防量の約2倍以上あるのであるが(略)主食品脚気予防主義方針をとっている次第である」

…そうで、脚気対策の入念さが見てとれるんですが、意外にもというかパン食に既にあまり魅力を感じていないようなんですな

無題
Name 名無し 16/08/26(金)20:57:18  No.1186243 
前出の瀬間海軍主計中佐さんは、昭和17年に海軍糧食規定額の規定が『パンは適宜米麦に換給することを得』と改正されたことに触れて

「極端に言えばパンは全然使用せず米麦食のみでよいことになったのである」
「艦船部隊で自ら生パンを作るという事はまずない(給糧艦等は例外として)。軍港の各軍需部には生パンを作る設備はあったが、これを作ることはなく殆ど乾パンを作っていた。従って軍港で艦船部隊が生パンを受け入れる時は糧食供給請負人から調達していた」
「長期航海の時生パンを搭載すれば保存期限に問題があるばかりでなく(日露戦役においては青カビの発生に苦慮した)、著しく格納場所をとるため適当とはいいがたく(略)農漁村出身者の多い兵員はパン食を好まなかったためと生パンの脚気予防効果が著しく低い事が分かった為もあり、実質上廃止に近い措置をとったのではないかと思う」

無題
Name 名無し 16/08/26(金)21:00:01  No.1186244 
…とも述べられてるんですが、同年の改正では他に

「従来は4大節及び海軍記念日は一食に限りパン又は米麦に代え、精米200グラム、豆40グラム(赤飯ですな)を支給することが出来ていたが、赤飯の代わりに精米240グラムを支給し『銀飯』を供食できるようになった」
「毎月2回以内、一食宛に限りパン又は米麦に代え精米80グラム及び糯米160グラムを給することが出来る様になった」
「戦闘応急調理に際し、必要に応じ(略)米麦に代え精米240グラムを給する」

…と、他にも兵員に「銀飯」を供給できる色々変更が追加されてるんだそうで

要はまあ、パン食で脚気を克服しよう、ってのは確かに初期のIJNで行われた試みの一つではあったんですが、実際には脚気や栄養学に関する知見が深まると兵食改善はむしろ米食回帰の方向に向かっていたようでして、その意味では「パン食の日本海軍」という評価は、割合早々に妥当でなくなっていた、と見る事も出来る気がしますのう

無題
Name 名無し 16/08/26(金)21:40:18  No.1186250
野菜を摂取するのが望ましいんだろうけど、昭和30年代以前は生鮮食料品は貴重だったらしいからなあ。

無題
Name 名無し 16/08/27(土)00:31:20  No.1186273
麦はパン焼き釜を作る必要がありどうしてもある程度後方からの供給になる
粥にする方法もあるが一食ずつ個人で炊いたという話はあまり聞かない
ローマ兵は粥ばかり食っていたそうだがやはりまとめて煮たのだろう
ベトナム戦争の時ベトコンは炊飯ではなく米を粥にしたという
そのほうが吸収効率が良いらしい

無題
Name 名無し 16/08/27(土)21:07:02  No.1186433 
1472299622818
大東亜戦争に突入して暫く経った昭和17年9月28日に、日本海軍大臣から発せられた示達によりますと

「南方地域(仏印、マレー)にある艦船部その他海軍各部に勤務する者には規定に拘らず、麦を米に換給して差し支えない。その麦に代わる米は(南方)現地に於いて調達して使用せよ」

…とありまして、要は南方部隊では主食に麦を混入しなくてもよろしい、という事になったんだとか

コレは当時、既に輸送船舶の欠乏から内地の食糧事情が逼迫している一方で、仏印等の港には輸出すべき米の滞貨があり余っている、という状況によるものだったんですが、外米とはいえ、遂に大っぴらに米100%の銀シャリにありつける、ってのは結構喜ばれたんじゃないでしょうかw

無題
Name 名無し 16/08/27(土)21:08:30  No.1186434 
1472299710322
言わばまあ、70年前の日本海軍の兵隊さん達もこの時日本米と外米の「ブレンド米」を主食とする事になった訳なんですけれども、米のみの主食となれば当然心配されるのはやっぱり脚気の発生…というわけで、大臣の示達と同日に、海軍省軍需局長と同医務局長の連名で各艦隊の参謀長あてに『精麦換給に関する件』として、

「精米使用の場合には特に混汁用『ビタミンB1食』規定量の支給を励行せしめられ度、尚精米そのものも成るべく七分搗米等を使用する如く今後に於いて指導方取計相成度」

…という、細やかな心づかいがなされてるんだとか

無題
Name 名無し 16/08/27(土)21:09:45  No.1186435 
1472299785063
一方この数年後、戦局も大詰めに差し掛かった昭和20年8月に海軍次官から、関係庁長官あてに『主食品節減並びに備蓄に関する件通牒』なるものが出されてまして、「麦不作による収穫減や満鮮糧穀予定量が極めて不如意等の為」、日額で540(480)グラム支給されていた米と、180(160)グラムの麦をそれぞれ480(430)グラムに減額することが定められたんだそうで(()内は内地額)

ただし生野菜のみはそれまでの日額520グラムが700グラムに増額されておるんですが、実際にはこの差額を支給するのは困難であるので、各部内の自給増産でまかなうのを原則とする、とされちょるそうです

無題
Name 名無し 16/08/27(土)21:11:58  No.1186436 
通牒ではその他、一般民需の配給量330グラムが今後更に一割減となることを挙げて、部下に軍民一体の「敬糧概念」を深めさせる事、空き地利用の農耕自給に努める事、無洗炊飯や咀嚼回数の増加による満腹感の増進、兵員訓練校での教員下士官兵の生徒増加食の横取りの防止や若しくは配食時の盛り付けの不公平の是正…等、こまごまと注意しておりましてまあ世知辛い事この上ないんですが、「兵員体位低下の防止上」、カロリー消費を抑える為訓練日課中の駆け足移動等の意義の少ない動作の禁止、歩行の一時間を横臥のに代えれば約100カロリーの節約が可能なため、睡眠時間および休養時間を増やす事、等も推奨されてたりするんだそうで

海軍サンの猛訓練は元来各課業の合間の移動は駆け足が当たり前、休む間もなく追いまくるのが精兵の源…とされてたのが、一転して駆け足禁止、寝転び推奨となったわけですけれど、伝統の海軍ダマシイもお手上げなこの「米不足」、私らの経験なんぞとはちょっと桁が違ったかもですな…w

無題
Name 名無し 16/08/28(日)07:46:58  No.1186482
>「極端に言えばパンは全然使用せず米麦食のみでよいことになったのである」
逆にそれまでのパン化が可笑しい位固持されてきたのが不思議…
>ただし生野菜のみはそれまでの日額520グラムが700グラムに増額されておるんですが、実際にはこの差額を支給するのは困難であるので、各部内の自給増産でまかなうのを
今の厚労省ですら一般には一日350g推奨なのに戦時でその倍
で自分たちで自給とか…

無題
Name 名無し 16/08/27(土)23:06:52  No.1186448 
うちの母親は戦中戦後も普通に米をたらふく食えたと言っていたな
地域差があるんだろうね

無題
Name 名無し 16/08/28(日)00:37:40  No.1186464 
>うちの母親は戦中戦後も普通に米をたらふく食えたと言っていたな
>地域差があるんだろうね

配給頼みの都市部の方が悲惨だった模様
うちの田舎(南九州)も米は困ってなかったが、かぼちゃの収穫時期は明けても暮れても食卓にはかぼちゃ
たんぱく源は魚村へ出向いて米野菜と物々交換

そんな調子だったそうだ。

無題
Name 名無し 16/08/28(日)00:51:20  No.1186466
爆撃や機銃掃射で鉄道や道路は破壊しつくされるからな
港は機雷をまかれ近づけない都市は陸の孤島だ
輸送手段を失った食料は生産地で出荷されること無く腐ることになる

無題
Name 名無し 16/08/28(日)05:07:44  No.1186475 
1472328464831
川島四郎さんという、日本陸軍の糧食研究の大家の陸軍主計少将さんがいらっしゃるんですが、この方が戦時中の昭和18年、婦人雑誌の「主婦の友」に寄稿した、『決戦下の日本食糧陣』なる記事があるそうでして、曰く

「日本は食糧不足国ではない。食料不始末国である。日本は本質的に食糧の不足を来すはずのない国である。ただ現今その不足を来してゐるかのやうな様相を呈してゐるのは、去る昭和14年、米の不意打ち的な不作以来、聊か周章てて上ずつてゐる形なのである。”貧すりや鈍する”で、度を失えば折角出るべき智慧も出ず、湧くべき勘考も湧いてこない」

…との事なんですが、当時の食糧不足問題解決の為に川島主計大佐(当時)が取り上げるのはまず主食のコメの「玄米化」だったりするんだそうで

無題
Name 名無し 16/08/28(日)05:11:17  No.1186476
1472328677076
「玄米の問題をこの量的充足を主題として考へねばならぬことに差し迫つたのである。この糠を玄米食の形で口に入れるとするならば、立ちどころに日本は七パーセントの主食の増産が出来たのと同じ結果になる。仮に六千五百石の米として、それに対する七パーセントは、優に五百万石近い量となるのであつて、その数の如何に膨大なるかは、実に驚くべきものがある」
「しかも玄米は洗ふ要はなく、白米は必ずこれを洗ふ。玄米は脂肪の層をかぶつてゐるから、水に洗ひ流されるものはないのであるが、白米は(略)洗ふことによって三パーセントが溶けたり、欠けたりして流出してしまふのである。合はせて一割の損失がある」

…と、例えるなら、リンゴの皮を薄く向けばそれだけ食べられる分が増えるのに、日本人は皮を分厚く剥いておいて食糧が不足したと騒ぎ立てる、そういう所が「食料不始末国」なのだ、というのが川島主計大佐の主張なんですが、まあ当時でも「コメ不足」に動揺する人心の対策は肝腎だったみたいですのう

無題
Name 名無し 16/08/28(日)05:14:32  No.1186477 
1472328872168
実際の所はまだ日米開戦前の昭和14年の時点で、米穀搗精等制限令により食用米は、玄米とはいかなくても七分搗米と規定され、量も成人は一日二合三勺(330グラム)
カロリー換算で約1150キロカロリーと、配給頼りでは物足り無い計算で、雑穀等の混入も多かったそうでして、上記川島さんの論説もそういう世情に対応したものであったんですが
こういう変更で思わぬ効果をあげたものが一つあるんだとか

実は脚気の蔓延と言うのは日本陸海軍内に留まらず、日本社会全般で戦前から問題になっておったそうでして、大正15年には全国で一万二千以上の脚気死亡者が出ていたりするんだそうで

当時既に病理の解明は進んでいたんですが、市販の予防薬はビタミンBの精製不足から薬効が低く、信頼性の高い製品の登場は戦後になってからですから、逆に糧食の改善で脚気発生を大幅に低下させた陸海軍より、むしろ民間の方が脚気の危険に晒されるという逆転が起こっていたそうなんですな

これが有無を言わさぬ主食の粗食化により、統計によれば脚気患者数に限っては、戦中から減少が始まってるんだそうなんですが、ある意味では不幸中の幸い、といった話ではありますな…w

無題
Name 名無し 16/08/28(日)08:43:19  No.1186486
軍隊のメシとしてはパンのほうが都合のいい部分が多々あるからなあ
輸送するさいにもコメより小麦粉のほうがかさばらないし
給食のさいにも固めに焼いたパンはそこそこ日持ちするのに炊いたご飯は保存には向かない
まあアルファ化米なんてのもあるけどアレも食べるときにはなんらかの手を加えないといけないしね

無題
Name 名無し 16/08/28(日)10:09:19  No.1186495
1472346559012
明治から大正、昭和の日本海軍で、下士官兵の方々の間でいつしか作られ、語り継がれてきた海軍哀詞?、なるものがあったそうでして、細かいバリエーションも一杯あるようなんですが、一例を挙げると

「兵とは概ね貧家の二男三男にして粗食によく堪え、重量物運搬に最もよく適す。尽忠報国の念頗る厚きも、教育の程度甚だ低くして新聞を読み得ず、年四回の祝祭日に銀飯と紅白の餅を与ふれば、先ず遥か東方の洋上を拝し、君が代を唱したる後、万歳を三唱して喜々としてこれを貪り食らい、其の余すところを知らざるなり」

こういうのを兵隊さん同士の酒席で、海軍愛用の呉名産の銘酒
「千福」を茶碗であおりながら、みんなで吟じて盛り上がってたそうなんですけれど、考えてみれば日本酒も原料は米、かくも米を愛する国民にパン食を根付かせるのは、やっぱり難しかったのかもしれませんのう…w

無題
Name 名無し 16/08/28(日)16:39:19  No.1186510
玄米は消化悪いから、短時間で食事する兵隊さんには向かない気がする。
米ぬかを味噌汁に混ぜる方がいい。

無題
Name 名無し 16/08/29(月)15:09:11  No.1186551
戦前の日本人最高のご馳走と言ったら銀シャリでしたからね(涙)
とある海軍部隊で健康のため、麦飯こさえたら非難の嵐で仕方なく銀シャリしたそうです

戦前日本男児は、祖国に対して従順純朴であったものの、「軍隊に行けば銀シャリたくさん食える」という思いで進んで志願したそうです
厳しい訓練にも粗末な住環境にも、過酷な任務にも文句を言わない兵隊さんに対して、「せめて銀シャリだけでも食わせてやりたい」という主計科の人達の人情は察して余りあるような気がします

無題
Name 名無し 16/08/29(月)15:34:08  No.1186555
>軍隊に行けば銀シャリたくさん食えるという思いで進んで志願した
しかし新兵は全員のお茶汲みして尚且つ最初に食べ終わって片付けなので味わう暇もなかった
と戦艦霧島勤務時代を思い出した坂井三郎が書いてる

無題
Name 名無し 16/08/29(月)16:52:57  No.1186558
海軍は麦飯でしょう坂井さん。
規定で2:1の所、2.5:0.5くらいで炊く事が多かったみたいだけど。

無題
Name 名無し 16/08/29(月)17:48:37  No.1186562 
1472460517491
>川島四郎さん

前記記事の引用の続きになるんですけれども、

「関東大震災時において玄米を東京市民に配給し、多くの下痢患者を出したといふ一事をもつて、今なほ玄米の不消化を論ずる人が多いのであるが、あの当時には玄米の炊き方も知らず、しかも慌ただしき震災の騒ぎのさなかにおいて、十分の咀嚼をする暇もなく、全てにおいて不備であり、しかも夏の9月と言ふ消化器官の衰へた時期であつたために下痢をしたのであらうが、今日の場合と違ふのである」

…とも訴えておられたり
ただ逆に言えば、燃料不足などで充分な加熱が出来ず、食事の時間をゆっくり取れず、炎暑に悩まされる状況では玄米食は不向きって事なんですが、そこは百も承知で、言わざるを得ない立場ではあったんじゃないでしょかねえ

無題
Name 名無し 16/08/29(月)17:53:30  No.1186563 
>海軍は麦飯でしょう
海軍の下士官兵さんたちでも、毎食白米のみのご飯が正規の職場と言うのもございまして、これがどこかと言うと潜水艦勤務なんだそうで

昭和14年の基準ですと一食に精米240グラム、一日三食720グラムが標準で三食「銀シャリ」が食べられたって話になるんですが(ただし脚気防止の為精製胚芽7.5グラムを増給して一緒に炊き込むこと、となっております)
一方では潜水艦ではその性質上過度の蒸気や熱の発生は禁物、他の艦のような重油バーナーや蒸気窯は使えず、電気釜でご飯を炊くわけですけれど、それも日中は発見を防ぐため潜航してるとあれば、結局炊飯できるのは一般的には日の出前の潜航に入る前だけ、ここで一日分をまとめ炊きして三回に分けて食べる、という事だったんだとか

従って高温多湿の艦内での保存を考えて、腐りやすい麦飯を避けた、という面もあったそうなんですな

無題
Name 名無し 16/08/29(月)17:55:02  No.1186564
尤も、では炊き立てのご飯を食べられたのは一日一回だけ?と言えばその辺は蛇の道はスネークというか、何処にもギンバイマスターともいうべき方がたはいらっしゃいまして、例えばある元海軍上等兵曹さんの回想によると

「狭い潜水艦では食う事が何より楽しみだ。まず古参兵の命令で一生余りの米を洗って薬缶に入れる。燃料はローソクである。熱量と炎の安定が抜群で、米はほどよくやんわりと煮えてくれる。片やピカピカに磨かれた真鍮の洗面器に油を塗る。さて飯は出来たりいざ調理にかかれと、ほかほかの飯を洗面器に入れる」

無題
Name 名無し 16/08/29(月)17:57:51  No.1186565 
「予めぎんばいした罐詰のカニやグリンピース、焼肉その他をぶちこむと、根気よく火にあぶりながらかき回す。かくして即製焼飯は見事に完成した。ここでアルコールが必要になってくる。潜水艦の場合はけちな日本酒なんか見向きもしない。専らコンニャクを呑む。正式の名称をコニャックと言い、食糧庫からちょろまかしたフランス製の極上品である。この名酒を合いの手に焼飯をパクつき、宴まさに酣と相成る」

…なんて事もあったそうで、いわば帝国海軍潜水艦の裏メニュー、といった所なんですがw
かくも逞しいエピソードにも、その根底にはやっぱり、炊き立ての米飯への飽くなき執着が感じられる気がしますですな

無題
Name 名無し 16/08/29(月)19:00:46  No.1186571
>燃料はローソクである。
前部兵員室かな?
潜水艦は機構上、司令塔から機関室まで通風が良いからローソク点けるの苦労しそう
潜行中ならローソクも二酸化炭素出すし窒息しちゃうね

無題
Name 名無し 16/08/29(月)22:28:18  No.1186579
まじめな話、たかがろうそくかもしれないけど潜水艦の中でつけて大丈夫だったの?

無題
Name 名無し 16/08/31(水)02:19:34  No.1186640 
1472577574919
自分は寧ろ、狭くて通気の悪い潜水艦内でヤキメシなんて作ったら、漂う匂いで一発でばれそうな方が気になりましたがw
或は入港・停泊中に、上官サン達が上陸してる間のエピソードなのかもですな

ただまあ、毎食「純米」のごはんが支給されるとはいえ、数十日間に及ぶ航海では生糧品が切れればおかずと言えば罐詰等の保存食品がメイン、高温多湿の男くさい艦内では主計兵さん達の苦心も及ばず、乗組員の方々の食欲は下がる一方になるんだそうな


https://www.youtube.com/watch?v=ZVPjw9u80v8

ある潜水艦ではみんなが主食品をいつも3割ほど残すので、あらかじめそれに相当する分を減らして給食した所が、今度はそのまた3割が残される、といった次第で、こりゃ余計事態を悪化させるだけだぁ、と元に戻した…なんて話もあるそうです

無題
Name 名無し 16/08/31(水)02:22:08  No.1186641 
1472577728730
大戦当時海軍潜水学校に居られた瀬川俊雄薬学博士(薬剤中佐)さんによりますと

「大戦時南方に出撃した潜水艦は艦内の高温多湿に乗員の疲労も著しく、純白米食に茶で僅かに食事を済す実情だった。特に若い乗員程この傾向著しく折角の食卓上の肉類もビタミン錠も無視されて脚気患者や栄養失調患者すら発生して、一部潜水艦では戦闘行動に支障を来した」
「昭和19年サイパン作戦よりフィリッピン作戦までの間、出撃大型潜水艦中3隻は当時原因不明の浮腫患者が特に若い乗員に多発、作戦困難となり内地に帰投した」

…そうでして、そこで若しかしたら艦内の食事に原因があるのでは?という事で再現実験が行われることになったそうなんですな

無題
Name 名無し 16/08/31(水)02:23:24  No.1186642 
1472577804725
「潜水艦衛生研究部は(略)原因の究明とその対策に没頭(略)有志2名は高温多湿の気密実験室内に入り、当時の艦内状況を再現、出撃潜水艦の献立表に基き給食し40日間に亘る人体実験を開始した」

…そうなんですが、残念ながら浮腫の症状は再現されず、結局原因不明なまま終戦を迎えてしまったんだそうで

ところが戦後10年程経ってから、胃がんで胃を全摘出した患者の臨床研究から、この浮腫は主にビタミンB1の不足に起因するモノと判明、要は折角の人体実験でしたが、潜水艦食の献立そのものに原因が有ったのではなく、その献立を守らぬ偏食こそが原因だった、というわけだったなんですが、ともあれ日本海軍もその誕生から最後まで、結局脚気およびビタミンB欠乏症と縁が切れなかったというお話になるんでしょかねえ

無題
Name 名無し 16/08/31(水)17:49:48  No.1186684
>ビタミン錠も無視されて
>その献立を守らぬ偏食こそが原因だった
板倉光馬さんの戦記や報道映画「轟沈」でも、最初の一週間は生鮮食料があるが、しだいに缶詰になり、疲労と暑さと缶詰のマズさのせいで、食事が喉を通らなくなるとありますね
肉類はわかるのですが、ビタミン錠すら手を付けないというのは暑さで食欲がないというより、諸々のストレスで軽い拒食症みたいな感じだったのかもしれませんね(涙)

無題
Name 名無し 16/09/01(木)00:49:25  No.1186742
兵隊さんは苦い物嫌いなイメージ。
マラリア予防のキニーネも捨ててたし。

無題
Name 名無し 16/09/04(日)13:10:35  No.1186991 
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艦内でもやしを作るべし
豆だけでなくかいわれやブロッコリー
色々イケるぞ

無題
Name 名無し 16/09/07(水)21:58:14  No.1187313
>艦内でもやしを作るべし

潜水艦の中でモヤシを作って味噌汁に入れたって話が有ったな
ちなみに米軍はアイスクリーム製造機を潜水艦に積んだらしい
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1186025.htm

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