無題 Name 名無し 16/06/29(水)21:21:31  No.432348

640px-Crations
作者 Paul Mashburn (Flickr user: Mushy's Captures)

Cレーション

喰った経験あるのは50代

1/35 ミリタリー フロントラインシリーズNo.07 WW2アメリカ・レーションセットA
Cobaanii mokei工房 (2013-05-04)
売り上げランキング: 104,787

無題
Name 名無し 16/07/02(土)15:04:23  No.432613
たばこが入っとる!!!!!!!!!!111111111
今の米軍レーションでは考えられないぜ

無題
Name 名無し 16/07/02(土)15:52:19  No.432620  
Crations-museumdisplay
Cレーションって正しくはWW2の一時期だけ生産された物だからなあ
60代でもきついかもしれない
スレ画のはMCIだから1980年ごろまで生産してたのかな

無題
Name 名無し 16/07/02(土)15:56:28  No.432621
高校時代はサーブラス屋でまだMCIが手に入ったのでたまに食ってた
甘味の無いピーナッツバターに馴染んだのはMCIだった

無題
Name 名無し 16/07/02(土)18:32:05  No.432631 
昔読んだ解説サイトだと
ホントは最初から主食メニューは10種にしたかったけど調理施設の関係で3種に抑えたとか
その内一つのミートハッシュが余りに不味すぎて連食を嫌って脱走者が出たとか
要望によって結局主食は10種に増やされたけれども大戦中は大量に発注しちゃった旧型の在庫処分で結局支給されなかったとか
メリケンさん側の記録でも散々な言われっぷりでした

栄養面では優等生で、アクセサリも豊富で支給量も十分、だけど満点は取れないとか
合理性だけじゃ美味いメシは作れない、ってことなんでしょかw

無題
Name 名無し 16/07/02(土)18:46:59  No.432633
直径5cm、厚み1cmほどの小さな缶のグレープジャムを入手したことがある
当時は宝石のような貴重品だったから後生大事に取っておいたらいつの間にかほとんど価値がなくなっていたが

無題
Name 名無し 16/07/02(土)19:51:15  No.432641
グレープのジャムってあんまりないよね

無題
Name 名無し 16/07/02(土)20:22:37  No.432645
グレープフルーツの皮を凍らせて大根おろしで擦ると簡単にジャムの元になるのでございます
ガッテンしていただけたでしょうか?

無題
Name 名無し 16/07/02(土)22:14:41  No.432647
( ・∀・)つ〃∩ガッテン!

無題
Name 名無し 16/07/03(日)13:35:44  No.432715   
朝鮮戦争時のRCI
https://www.youtube.com/watch?v=IVO8smkZKPU
これなら50代でもいるかも

無題
Name 名無し 16/07/03(日)20:07:58  No.432755
COMBATMAGAZINEが創刊されたころは
通販でCレーション買えたんだよな

無題
Name 名無し 16/07/03(日)19:12:42  No.432748
一方日本軍は米さえ食わせておけば、ほぼ面倒は無かった

無題
Name 名無し 16/07/03(日)20:44:49  No.432759 
1467546289990
>一方日本軍は米さえ食わせておけば、ほぼ面倒は無かった

まだ日米開戦前の時期ですけれど、昭和12年頃に日本陸軍糧秣廠が糧食等の補給上の参考にする為に、前線の兵士さん達に大規模なアンケート調査をやったことがあるそうなんですが、その内

「戦力発揮に最も効果ありと覚える食物」
「追送品で最も嗜好に適する品種」
「慰問品で最も望ましい食物」

…等でいずれも一位となったのが「日本米(の飯)」だったんだそうで

因みに「戦場で最も苦しかった事」の一つは「日本米が食べられない事」
逆に「最も嬉しかった事」は「日本米の補給がされた事」

なんて結果も出たんだとか…w

無題
Name 名無し 16/07/03(日)20:47:34  No.432761 
1467546454148

ただポイントは「日本米」のごはん、って所でして
別の項目では「最も嗜好に適さない、すなわち嫌いとする品種」で一番となったのが南京米(外米)、続いて粟飯、高粱飯、麦飯と続くんだそうでして、要は単にコメってだけではなく、日本米の支給こそが兵隊さんの士気にとっては重要だったわけで
この辺以前コメ不足の時にタイ米混入等で大騒動になったのを思い出させるものがありますですな

因みにこの頃には非常糧食として乾パンと圧搾口糧という、玄米を原料にしたもの(大麦の場合も有ったみたいですが)が支給されてるんですが、コレについても嫌いとするものが乾パン171に対して圧搾口糧6と、乾パンの方がより嫌われた、なんて結果が出てるんだそうで
ストイックなイメージの日本の兵隊さんも実の所なかなか「食」には拘りがあったようですw

まあその後戦局の悪化の中で「食うモノが有ればそれだけで幸せ」って事になってく前の、ある意味まだ余裕のあった時代の話ではあるんですケド…

無題
Name 名無し 16/07/03(日)20:47:57  No.432762
農耕民族の鏡すぎる…

無題
Name 名無し 16/07/03(日)20:57:09  No.432764
「戦争めし」という漫画がヤングチャンピオンで連載されているんだけど「補給線が維持されている限りは良いものが食えた」と描かれてたな

それだけに補給線が切られた時が大惨事になるんだけど

無題
Name 名無し 16/07/03(日)22:10:42  No.432785
メレヨン島だっけか?
カエル跳び作戦で兵糧攻めになったが
全軍挙げて島耕して飢餓から脱出できたのは
その時は軍医なんかは「甘いモノが欲しくて」ネズミ輸送が成功すると包装までなめたとか

無題
Name 名無し 16/07/03(日)22:58:31  No.432793 
1467554311448

>メレヨン島

海抜最大3メートルほどの島(というか環礁)に北村勝三少将率いる独立混成第50旅団が44年3月に配属されまして
海軍警備隊・設営隊3221人と陸軍3205人の計6426人が駐屯されておられたそうなんですが
米軍のペリリュー島上陸により後方との連絡を絶たれ、地下水は海水混じりで、珊瑚砂の土壌では農耕効率も悪く、デング熱等の悪疫も蔓延した結果、米軍との交戦で戦死なさった方307人に対し実に4493人もの戦病死者(栄養失調も含む)を出す結果となってしまったんだとか

戦後、生き残りの方々によって建てられた慰霊碑の碑文には

「戦況の悪化に伴い補給は全く絶え孤立無援となった。現地自活の為の懸命な農耕と漁労にも関わらずサンゴ礁の土壌は農耕に適せず(略)漁獲は少なく食糧は日を追うて窮乏し、一時は主食一人百グラムの給養となって生命保持の限界をはるかに割り(略)」

…とあるそうなんですが、指揮官北村少将さんは戦後生還されてるも復員業務、遺族への弔意と報告を終えた1947年8月15日、自決なされてるそうです

無題
Name 名無し 16/07/03(日)23:01:32  No.432794 
1467554492738

因みにこの島に1945年3月、ウルシー環礁への「銀河」特攻隊の誘導後に不時着した2式大艇がありまして、その搭乗員さんがこの北村少将さんに迎えられた時の事を書き残されておられまして

「『諸君ら特攻に大変ご苦労であった』と極めて丁重なねぎらいの言葉をいただき、『これは、いささか労を慰う志である』といって、後ろに控えた副官中尉が(略)黒漆塗りの陸軍の星のマークの入った大層立派な箱を、私に渡された。私は、少将直々の来訪にいたく感激し恐縮した」
「蓋を取ってみると、開けてビックリ、中身は握りこぶし大のごつごつとしたサツマイモであった」
「我々は驚き、あっけにとられた。守備隊長最高指揮官から褒美に賜ったものが、入れ物の漆箱に似ても似つかぬサツマイモだとは。一同顔を見合わせた。―――無論、これが本島における最大級の褒賞であったことは、後日すぐに分かるのだが」

…との事なんですが、この時サツマイモを見て呆然としていた所に「ガリガリに痩せこけた」兵隊さんたちが羨ましそうに集まってくるので、つい声を掛けた所あっという間に箱は空になり、芋を貰った兵隊さん達は何度も敬礼しながら去って行ったんだとか

無題
Name 名無し 16/07/03(日)23:07:56  No.432798 
1467554876418

その後潜水艦に救出されるまでの57日間、この搭乗員さん達もメレヨンで窮乏生活に耐えることになったわけなんですが、ある20名足らずの小さな分隊が比較的栄養状態も良く、健康であったので、事情を聞いて見た所、なんでも彼らはメレヨンに上陸した当時、つまり食糧の有り余っていた頃、烹炊所に残飯として捨てられてあるものを拾い集め、ご飯だけをえり分けて水で洗い、それを天日に干して完全乾燥をさせて、ドラム缶に詰めて保存しておいた保存食を持っていたからだったそうなんですな

ある意味昔ながらの兵糧である糒を再現してたわけなんですが、感心した搭乗員さんが何でそう準備が良かったのか?と聞くと

「我々はガダルカナル島で飢餓の体験をしたからです。食料の余っているときは、みんな捨てるでしょう。私たちが拾い集めていると、みんな笑って見てましたがね」

…と笑いながら答えたそうで

おかしくも悲しい生活の知恵だったわけですけれど、餓島から生還した先がまた飢餓地獄だったとかとかなんともツキに恵まれない話なような…

無題
Name 名無し 16/07/04(月)01:07:58  No.432815
Cレーションスレが米スレになっとる

無題
Name 名無し 16/07/04(月)04:04:15  No.432819
孤島に旅団単位で残されて日干しは辛いだろうなあ
ニューギニアの山中で10年近く自給してた日本兵がいたけれど島じゃ面積も山林も無いし…

無題
Name 名無し 16/07/04(月)17:11:09  No.432866
>メレヨンで窮乏生活
あの本には「メレヨンで何でも食べたというのは嘘だ。雪隠虫だけは・・・」
の話もありましたね

無題
Name 名無し 16/07/04(月)21:27:25  No.432888
ほんと昔の日本人って米ばっかり食ってたんだな
現在食事は
朝=パン1つ
昼=サラダと豆腐か蕎麦かそうめん
夜=酒のつまみ
で下手すりゃ一日で米を一切食わない日のほうが多い俺には考えられん食生活だ
白米ばっかり食ってれば満足でほかのおかずとかをおろそかにしてたから脚気になりまくってたとjinでもあったけど
そもそもおかずをおろそかにしてそんなに大量の飯が食えるもんなのか?
おかず=飯を食うためのものなのでは・・・

無題
Name 名無し 16/07/04(月)21:48:49  No.432891
>そもそもおかずをおろそかにしてそんなに大量の飯が食えるもんなのか?
>おかず=飯を食うためのものなのでは・・・
有名な作品でいえばトトロでサツキがこしらえてた弁当
時代設定は昭和30年代ほぼ飯で一部に桜でんぶにおかずはメザシと煮豆だけ
20年くらい前でも米の比率はおかずより多かったかな今は半々かおかずのほうが多いけど
あと、江戸時代でも脚気は白米食が中心の都市部でのみ流行った病で農村部では雑穀を混ぜたり玄米食でだったんで脚気とは無縁だったみたいよ

無題
Name 名無し 16/07/05(火)17:36:15  No.432947
>農村部では雑穀を混ぜたり玄米食でだったんで脚気とは無縁だったみたいよ
雑炊にして飲み込むレベルの代物だがな

https://www.jataff.jp/yomoyama/KOME.HTM

無題
Name 名無し 16/07/04(月)23:04:56  No.432904
>そもそもおかずをおろそかにしてそんなに大量の飯が食えるもんなのか?
木こりの一升飯と言うように少量の味噌+大量のコメが重労働者のスタンダードな時代が長くあったそうな
人力車夫なんかもすさまじい食いっぷりだったっけ

無題
Name 名無し 16/07/04(月)23:37:38  No.432907
>>そもそもおかずをおろそかにしてそんなに大量の飯が食えるもんなのか?
最初、日本兵の食事の内容を見たとき正直ビックリというか何と言うか
一人当たり1食2合ですからねえ・・・(途中からパンもメニューに)
自分は1日あっても2合無理ですね・・・・・
どうやったら1日6合とか食べられるのかと思ってましたが
80歳超えた祖父の話だと「当時はそれが普通」とのこと・・・・

無題
Name 名無し 16/07/04(月)23:53:29  No.432913
>どうやったら1日6合とか食べられるのかと思ってましたが
>80歳超えた祖父の話だと「当時はそれが普通」とのこと・・・・
秋葉原のあだちの店主も似たようなこと言ってたな
普通盛りで4合って俺は小盛りの3合で限界だったよ…

無題
Name 名無し 16/07/05(火)03:04:47  No.432921
>どうやったら1日6合とか食べられるのかと思ってましたが

高校時代、野球部で合宿やってたが
三泊四日の間、朝2合、昼2合、夜3合を無理矢理食べさせられたな。
1年のころはトイレで毎日吐いてたが
3年になると普通に食べて
午前中に20kmマラソン、午後から練習試合で完投とかできたなぁ。

軍隊も体力勝負だから体育会系でそれなりの厳しさのトコに入ってた人なら納得できるでしょ。
今ならプロテインやサプリで昔より効率よく摂取するんだろうが。

無題
Name 名無し 16/07/05(火)03:06:50  No.432922
あと、ホント「早食い」だよね。
ガバガバ食べてしゃべってたりするのにいつのまにか茶碗や皿が空っぽになってる。

無題
Name 名無し 16/07/05(火)17:09:51  No.432945
>三泊四日の間、朝2合、昼2合、夜3合を無理矢理食べさせられたな
確かに俺の高校時代の友達(1年生バレー部180cm)は朝から山盛り(丼ぶり)3杯(多分2合半位)をペロッと食っていた...
当時は「こいつ絶対馬鹿だ」と思ったw

無題
Name 名無し 16/07/05(火)17:47:46  No.432948
>そもそもおかずをおろそかにしてそんなに大量の飯が食えるもんなのか?
おかずがなく米だけで栄養取るためとの説を最近聞いた

無題
Name 名無し 16/07/04(月)23:40:10  No.432908 
……
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
……
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

GHQ「4合は贅沢、3合ならOK!」

無題
Name 名無し 16/07/04(月)23:44:42  No.432910
帝国陸軍戦場の衣食住―糧食を軸に解き明かす 

非常に解りやすく単純な資料が歴史群像シリーズの「戦場の衣食住」でしょう
日本陸軍が平時・戦時にどういった食事をしていたか解りやすく図や写真及び再現写真を載せて解説しています

御握り1個1合で2個+福神漬少々・・・・
野戦炊具での前線給与ですとこんな感じだったとか

無題
Name 名無し 16/07/04(月)23:51:40  No.432912
糖質制限ダイエットで炭水化物絶ちしている俺は、米なんか意識してる避けてるくらいなのに…w

無題
Name 名無し 16/07/05(火)06:11:52  No.432927
>米なんか意識してる避けてるくらいなのに…w
俺も同じだけど米を我慢するのは平気なんだけど酒がなぁ・・・
ビールは我慢できません

無題
Name 名無し 16/07/05(火)09:21:44  No.432929
>ビールは我慢できません
♪♪(〃 ̄∀ ̄)八(  ̄∀ ̄ )八( ̄∀ ̄〃)♪♪仲間

無題
Name 名無し 16/07/05(火)22:29:33  No.432995
>パソコン越しですが一緒に飲みましょうぜ
朝も軽い食事で昼は外食ってことで嫁は一生懸命作ってくれるんですが
当の旦那(自分)はビール飲んでおかずにしか手を付けない
そんな自分が1日6合御飯を異常としか感じられないのに本棚に軍のロジスティック系がいっぱいと言うのも変な感じですが・・・

日本陸軍なんかですと
朝食:御飯(胚芽米220グラム麦70グラム)2合、味噌汁と漬け物
昼食:御飯(胚芽米220グラム麦70グラム)2合、煮込みうどん等と漬け物
夕食:食パン半斤とシチューと嘗物(パンに付ける砂糖等)

まあこれが大正時代の一般的な献立の一例だったらしいのですが
朝から2合とか既に無理状態ですね・・・・
バナナ1本と紅茶でも苦戦しているところへコレって

無題
Name 名無し 16/07/05(火)17:49:29  No.432949
昔の食事で調べようとすると貴族ノイズが多いこと多いこと

無題
Name 名無し 16/07/05(火)19:10:28  No.432954
味噌汁や漬物といった庶民食の塩分が強いのもやっぱこいういう伝統的な食生活の弊害なのかね
スローフードが根付いている地域の方が却って高血圧が多かったり平均寿命が短かったりするし

無題
Name 名無し 16/07/05(火)19:18:12  No.432955
まぁ今は野良作業して汗かくでもなし
1日中歩いて仕事するわけでなし

無題
Name 名無し 16/07/05(火)20:47:15  No.432968
一説には戦国時代の武士さんですと兵食の日量(陣中給付)は人数十人に付き、一日米一斗、味噌二合、塩一合で一人朝二合五勺、中直二合五勺、夕二合五勺が基本で
残り二合五勺は不時の食(携帯用の予備食)と為すべし、ってのが規定だったそうで
予備を抜いても一日三食で7合5勺が戦時の普通だった、って事になるんだそうで

因みに昭和期の日本陸軍では主食の定額は精米4合2尺+精麦1合8勺の計6合ですが
昭和16年頃の民間人への主食配給量は成人で一日精米2合3勺(330グラム)が基本で、農業等に従事する「重労働者」で2合7勺余り(男子、11~60歳)
炭鉱・製鉄・港湾等の仕事に従事する「特別重労働者」で4合(同上)だったんだとか

お腹いっぱいおコメのご飯が食べたいみなさんは、是非陸軍に入隊しませう!(勧誘

無題
Name 名無し 16/07/05(火)20:48:47  No.432969 
1467719327694

因みに戦時中、同じような絶海の孤島で、本州から約1800キロ離れた日本最東端の南鳥島での話なんですが、この島でも3千500名ほどの陸海軍部隊が守備に当っていたものの、戦局の悪化で連絡を絶たれ、農耕自活の余地もなく守備兵さん達は餓死の危険に晒されたんだそうですが、幸いにと言うか備蓄食料が尽きる前に日本は敗戦、米軍の占領を受け入れる事になったんだそうで

この時上陸してきた米軍指揮官サン、降伏調印式が終わった後で、交渉の実務に当たった担った日本海軍警備隊の副長さんに、記念品として日本刀の銘刀二振り、高角双眼望遠鏡、そして軍艦旗一旈を差し出すよう要望してきたそうなんですが
副長さんは軍刀と双眼鏡については即座に承諾したものの、軍艦旗については考えさせてくれ、と保留してその場を辞したそうなんですな

無題
Name 名無し 16/07/05(火)20:49:40  No.432970 
1467719380766

大元帥みずから下賜される陸さんの連隊旗と違って、海の軍艦旗は軍需部から伝票を切って貰ってくる消耗品、潮風に傷んだら取り替えるような性格のものでしたから、島の他の日本側首脳陣は軍艦旗の差し出しに肯定的な雰囲気だったそうなんですが、この副長さんは断固反対を表明すると、遂には自分が全ての責任を取る、として全ての軍艦旗を集めて、焼却してしまい、米側にもその旨告げたんだそうで

勿論、折角のお土産の目玉を台無しにされた米指揮官サンは鬼おこでして忽ち米軍側の態度も硬化する事態になっちゃったそうなんですが、ここで副長さん慌てず騒がず、隊の軍医長と主計長に命じて、なけなしの食料品をありったけ集めて酒肴の準備を整えて、米指揮官サン以下主だった幕僚を自分の私室に招待したそうなんですな

無題
Name 名無し 16/07/05(火)20:51:18  No.432971 
1467719478516

最初は緊迫した雰囲気が、とっておきの日本酒が廻るにつれ和らいだところで副長さん、軍艦旗の件について次のように切り出したんだそうで

「本当のことを言います。軍艦旗の事です。考えていただきたい。米国と日本はこれからずっと仲良くしていかなければならない。ところが、占領記念として軍艦旗が貴国の博物館に飾られたとする。それを、貴国を訪れた日本人が見たらどう思うだろうか(略)海軍軍人は、その旗の下に戦い、死んだ。彼らを、そんなことで冒涜してはならない。私は、日米百年の計を考えて、それを焼いた(略)咎められるならば、私を咎めて頂きたい」

そして愛用のコルト拳銃と軍刀、自らの肩章を米指揮官サンの前に差し出したそうなんですが
ややあって立ち上がった米指揮官サンが固く握りしめたのは軍刀でも拳銃でもなく副長さんの手、かくて日米交歓の宴は和やかに続いたそうですw

無題
Name 名無し 16/07/05(火)20:52:15  No.432972 
1467719535063

一方その頃日本内地では、戦争も終わり大混乱の最中と言えども、ようやく海上交通の便が復帰したとあればやはり気がかりなのは孤立した南鳥島守備隊の事でして、なんとか手配した輸送艦に食糧を積んで送りだしたそうなんですが、やがて輸送艦は積荷の食糧は何ら手つかずでそのまま戻って来たそうなんですな

輸送艦の乗組員曰く

「(海軍)守備隊の副長が、帰れと言われたんです。俺んところは間に合っている。内地の方が困ってるだろうから急いで帰れ、と言われました」

…との事だったそうで、担当の軍務局員さんを驚かせたそうなんですが、やがて復員してきた部隊を迎えに行った所で更に驚愕させられたそうなんですな

無題
Name 名無し 16/07/05(火)20:53:49  No.432973 
1467719629446

「あれは、日本海軍ただ一つの事例だった。日本に入港するまでの食糧を占領軍から持たされてきただけではなかった。それから更に郷里に帰るまでの食糧、物資までも、まるで土産物でも貰ったように、めいめいフンダンに支給されてきたから驚いた(略)マルマルとして、いい血色なんだ」

実はあの私室での酒宴の後、感動した米指揮官サンが直ちに部下に命じて好意の証として発動艇一杯の食糧物資を運ばせてきたのを皮切りに、その後の占領軍の指揮官陣の信頼を副長さんが次々勝ち取ったおかげで、南鳥島の守備隊員全てが米軍並の供与を帰国まで受けられたそうなんですな

勿論、副長さんの誠実な人柄と行動あっての事ではあるんですが、ある意味数瓶の日本酒(と日本食)を輸送艦一杯の米軍レーションと引き換えた話、ってことになるんじゃないでしょか…w

無題
Name 名無し 16/07/05(火)21:29:30  No.432980 
>数瓶の日本酒(と日本食)を輸送艦一杯の米軍レーションと引き換えた
とっときのサントリーならまだしも終戦頃の日本酒ときたら3倍増でも上等なサケなわけでそれで米軍糧食ととはよくよく割がいいですねえ
そういえば南鳥島って普段数人しか常駐してなかったけ?と調べたら島の面積1.5キロ平米!
こんなサイズの島に防衛施設造って3500人駐屯して犠牲者を出すどころか肥えて内地に帰れるなんて幸運な例外もあったんですねー
副長さんに乾杯!

無題
Name 名無し 16/07/06(水)01:23:04  No.433002
>南鳥島守備隊副長

もしかして中村虎彦中佐ですかね?
以前のmesh氏の書き込みで覚えがあります!

無題
Name 名無し 16/07/06(水)21:09:35  No.433066 
1467806975551

>中村虎彦中佐

その通りですねい

兵学校時代に航海演習の短艇が転覆した際、艇上で作っていた汁粉の鍋を立ち泳ぎしながら頭上に持ち上げた姿勢で最期まで庇いながら沈んでいった、というエピソードもあるそうなんですが、豪傑肌乍ら人情味溢れる一面もある魅力的なネイヴィーオフィサーさんだったようです…w

>米軍糧食ととはよくよく割がいい
またまた島の生活のお話で恐縮なんですけれども、シンガポールの南南東60キロ、マラッカ海峡の当たりに点在するリアウ諸島の中に「レンパーン島」という島があるんですが、ここが終戦後に東南アジアで投降した日本軍人・軍属の方々が帰国を待つ間に収容される場所の一つに選ばれたそうなんですな

無題
Name 名無し 16/07/06(水)21:10:56  No.433068 
1467807056579

当時レンパーン島におられた軍属の方の回想に依りますと、当初の食糧事情は非常に悪く、一人当たりの一日の配給は米一握り、食用油2グラム、味噌5グラム、砂糖八グラムでカロリー換算ではたったの280カロリーぽっち

各自の炊事する飯盒を覗いてみれば、どの飯盒でもあやしげに泡だつ汁の中身はせめてものかさ増しに各自で拾い集めた木の葉や海藻ばかり、時折何倍にも膨れ上がった米粒がチラリチラリと踊るだけ、という酷いもので
いつしか「レンパーン島」は「恋飯島」だ、なんて言われる有様だったそうなんですが
その内にようやく「連合軍の洋食弁当」が支給されることになったんだとか

この「洋食弁当」がどういうモノだったかと言いますと

「ブレーク・ファースト(朝食)ランチ(昼食)サパー(夕食)と三個の弁当箱が一つにパックされていた」

無題
Name 名無し 16/07/06(水)21:14:45  No.433071 
「内容はそれぞれ違うが、最も充実したサパーはビスケット8枚(277カロリー)粉末肉(142カロリー)チョコレート(397カロリー)ジャム(158カロリー)フルーツバー(85カロリー)ミルク(23カロリー)砂糖(43カロリー)、それにコーヒー、チューインガム、塩、4本の『ラッキーストライク』が付いた献立。朝と昼にはマッチやちり紙まで入っていた」

…との事で、おそらく米軍のKレーションだったんじゃないかと思うんですが
(細部が違うような気もしますケド)

ともあれ三食総計で3300カロリー、目出度く人間らしい食事にありつける事になったんですが、実は連合軍側もちょっとセコいというかケチというか
そのまま規定量を与えるのではなく、三日分で十日間を賄えとの条件付での支給だったそうなんですな

無題
Name 名無し 16/07/06(水)21:15:42  No.433072 
1467807342142

そこで不足分は島内の食料で補う事にしようと決めたものの、チーズだのチョコレートだのの味を思い出した口は今更以前の海藻粥は受け付けなくなっておりまして、専ら狙いを動物性たんぱく質に絞って探索した所、密林の中で蛇が大量に棲息している地域を見つけ出したんだとか

そここを身内だけの秘密にしておけば当分は食いつなげるぞ、とほくそ笑みつつ、早速1mほどの蛇を2匹程こっそり持ち帰ったものの、調味料が有りませんのでレーションに入っていた肉スープ(ブイヨン?)と砂糖を混ぜてタレを作り、その晩は開いた蛇のかば焼きで一食を補ったそうなんですが、誤算は調理する内につけ焼きの香ばしい香りが辺り一面に漂い始めてしまった事で忽ち蛇のかば焼きの一件は周囲に知れ渡り、翌日から次々出動した他の探検隊に折角の蛇の生息地もたちまち知られてしまったんだそうな

世の中、美味しいモノは独り占めできないようになってるんデスかねえ…w

無題
Name 名無し 16/07/06(水)21:21:00  No.433074 
帝国海軍の握り飯の戦闘配食に対して
米海軍は種類は分からないがレーション配食してるんじゃないかって話にすごく合理的だと感心した
いやよく考えたら当たり前な気もするが

無題
Name 名無し 16/07/06(水)22:30:12  No.433079 
>米海軍は種類は分からないがレーション配食してるんじゃないかって話

ミッドウェイ海戦の時の話なんですが、「飛龍」の艦上機隊の攻撃で損傷した空母「ヨークタウン」にトドメをさす為密かに忍び寄りつつあった伊168潜水艦の艦内では、田辺艦長さんの回想によりますと

「水中速力3ノット、艦は密かに敵に近づいている。魚雷発射管室では、魚雷の最後の調整に愈々急であり、主計科員は、”戦闘食”の握り飯を配っている」
「今まで騒々しく鳴り響いていた敵の探信音が、ピタリとやんだ。ちょっと不思議に思って航海長に『敵は昼食を取るために探信当番が休んだな』と話しかけた(略)一撃必殺を期して4本の魚雷を、2本ずつ重ねて発射した」

無題
Name 名無し 16/07/06(水)22:32:28  No.433080
1467811948274

…との事なんですが、ちょうど同じころの「ヨークタウン」艦上の様子は

「『ヨークタウン』サルベージ班は昼食の為作業を中止した。班員の大部分は格納庫甲板に集まって、サンドウィッチとコカ・コーラとトマトジュースをとった」
「第一エレベーターの近くで数人の同僚と昼弁当を食べていたアール・フォガーティ工作兵曹が回想するところによると、駆逐艦『ハマン』ごしに海を眺めていたジョー・キセラ上曹が突然、叫んだそうだ。『おい、見ろ!鯨みたいなもんがいるぜ』クライド・アプチャーチ工作兵曹が、キセラの指さす方を見たとたんに怒鳴った。『畜生、ありやァ魚雷だー!』」

…と米側戦記にありまして、奇しくも田辺艦長の冗談通り、昼食中だったみたいなんですな
アメちゃんにすればとんだデザートだったわけですけれど、差し詰めおにぎりとサンドイッチの対決はここではおにぎりの粘り勝ち、って所でしょかね…米だけにw

無題
Name 名無し 16/07/07(木)00:09:56  No.433090 
>帝国海軍の握り飯の戦闘配食に対して
確かにそのイメージはあるんですけど、日本にも非常戦闘食が米軍ほどでは無いモノの供給はされてるんです
御握りは空くまで食料が後方で作成できる状態で「手投飯」と呼ばれた竹皮包の1個1合御握り2個と福神漬は一例としては良い方で最前線ではそれさえ供給が怠り記録にある献立表にも「乾麺ボウ(乾パン)」「牛肉缶詰」「兎肉缶詰」「携帯粉味噌」等が挙がる場合も多かったようです

無題
Name 名無し 16/07/07(木)00:58:56  No.433094 
168潜の、米側のソナー停止からの艦長のセリフはアニメンタリー決断の中でもありましたね。
ヨークタウン艦長は、ステーキを食べていたような。敵は贅沢だ。

現代戦だと、レーションだけに頼る行軍って、何日くらい考慮されているのだろう。

無題
Name 名無し 16/07/07(木)01:55:34  No.433098
乾麺包と乾パンは違うんじゃないか?
ビスケットに相当するモンだと思うぞ
ビスケットもクッキ-から更に水分飛ばした(焼いた)物だが

無題
Name 名無し 16/07/07(木)02:46:36  No.433102
>乾麺麭
小さい頃は乾燥メンかと思ってましたねえ…

http://10.studio-web.net/~phototec/kanpan2.htm
によると陸軍では二枚で一食分だったのが昭和6年から小型になったそう
梱包に使った袋と缶は衣料や容器の代用品で重宝したそうです
カニヤのネイビービスケット食べると陸奥に乗ってた祖父も同じもん食べてだんだろうかと想像します

無題
Name 名無し 16/07/07(木)14:36:50  No.433138
>乾麺包と乾パンは違うんじゃないか?
戦史研究家のふじたまさお氏の文章によりますと
「乾麺麭(ハードビスケット=乾パン)」と書かれていますが実際どうなんでしょうね

余談ですが乾麺麭は日露戦争まで「重焼麺麭」と呼ばれてたようですが「重焼」が「重傷」を連想させるため乾麺麭に変更されたとか中々細かい配慮?をしてたんですね

無題
Name 名無し 16/07/07(木)19:32:03  No.433165 
1467887523678

先に紹介されてるサイトでも解説されちょりますけれど
所謂「ビスケット」はラテン語でBiscoctumPanumといいまして、”ビス”は「2度」”ケット(コイド)”は「焼く」パネムはパンの意味で、合わせて「2度焼いたパン」という名前なんですけれども
「重焼麺麭」も「重」は繰り返しの意、「麺」は小麦粉による粉食一般を示すもの、「麭」は発酵を意味しまして
要は小麦粉を酵母で発酵させたもの(パン種)を繰り返し焼いた食品、即ちビスケットそのものというか単にその日本語名称なんだそうで
乾麺麭は更にそこから名前が変わったものですから、結局実質的には同じものなわけですな

因みに陸さんでは「カンメンポウ」と呼びならわしていた乾麺麭、海軍では何故か「ケンメンポウ」だったんだとか

無題
Name 名無し 16/07/07(木)19:35:45  No.433166
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>ヨークタウン艦長は、ステーキを食べていたような

1942年4月ごろの事なんですが、当時長期間の哨戒任務に就いていた「ヨークタウン」では次第に糧食も乏しくなりつつありまして、その冷凍庫には最後のステーキ肉5枚を残すのみ、になったそうなんですが
ある上等主計兵曹さんの提案で「ステーキの宝くじ」で分配することにしたそうなんですな

その当日には、格納庫甲板に降ろされた航空機用エレベーターをステージに見立てて盛大な催し物が行われまして、乗組員有志による様々な出し物の後に抽選が行われ、幸運な当選者たちは念入りにしつらえたテーブルに座らされまして、やがて見事なブロンドの髪の毛の(麻綱をほぐして作ったカツラ)豊満な胸の(中身は石鹸箱2個)優美な白いストッキングを履いた(英観戦武官からの借り物)「ウェイトレス」(14歳の少年水兵)がジュージュー音を立てているステーキを運んできたそうな

無題
Name 名無し 16/07/07(木)19:38:28  No.433167
ひとしきり騒ぎが終わった後には、乗組員さん達は再び

「煎り豆、缶詰のウィンナソーセージ、缶詰のコンビーフと鮭、それに細切れの肉と米と言った繰り返しのわびしい食事」

…に戻ったそうなんですが、それにしても仮にも戦闘航海の真っ最中に艦内のほぼ全員が「ステーキくじ」に熱中して、女装した美少年(?)を侍らせつつステーキに齧りつくとか、まさに米軍の軍紀は緩みに緩み切って居ります

これなら5月からのMO作戦も、6月からのMI作戦も楽勝ですね!(慢心

無題
Name 名無し 16/07/08(金)23:43:38  No.433310
>優美な白いストッキングを履いた(英観戦武官からの借り物)

そこの観戦武官待てい!

無題
Name 名無し 16/07/07(木)21:18:46  No.433178 
>レーションだけに頼る行軍って

陸自は21種類で一週間重複しないというが
あれ一週間続けて食うのは厳しい気がするのだ
(食えるだけでも幸せと英霊に怒られそうだけど)

無題
Name 名無し 16/07/08(金)01:05:47  No.433211
>現代戦だと、レーションだけに頼る行軍って、何日くらい考慮されているのだろう。
刃牙の板垣恵介が描いた富士行軍演習の漫画では3日分9食持たされていたな
それでも合計で3キロあって、飲み水や着替え、雨具まで持たされてヒィヒィ言っていた

可能な限りは後方から温食を運ぶというし、それが途絶えた状態でのレーションオンリーでの行軍も3日あたりを限度にしているんじゃないかな

災害出動の時みたいな「被災者優先」の時は、もっと長期間レーション食になるんだろうけど

無題
Name 名無し 16/07/08(金)18:00:22  No.433250 
1467968422010

時に長期間にわたる戦闘行動中、兵隊さんの数少ない楽しみと言えば食う事ぐらいですので、士気の維持と言う面からも各国とも昔っから意外なくらい気は使ってはいたようですな

戦時中の日本の航空母艦「飛龍」が、呉で補給や修繕の為に滞在していた時の事、規定の食物以外に嗜好食品として果物のリンゴの特別購入が許されたんだそうなんですが、この時整備分隊のある2等兵曹さんが独断で、よその分隊がせいぜい10~15箱程度だったところを75箱も購入したんだそうで

「オイ、こんなに沢山買って大丈夫なのか」

…と他の分隊員さんらに心配される程だったんですが、もとより到底居住区にはしまいきれず、飛行機格納庫の隅にまとめてロープで固縛してしまう事にになっちゃったそうで、当然整備科の先任下士官の目に付いてしまったんだとか

無題
Name 名無し 16/07/08(金)18:01:43  No.433251 
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流石に猛烈な制裁を覚悟したそうなんですが、意外にも先任下士官サンはニコッと笑うと

「お前は紀伊国屋文左衛門みたいなやつだな」

と言ったきり、何のお咎めもなかったんだとか

以降この2等兵曹さん、早速「紀伊国屋文左衛門」の仇名で呼ばれる様になったそうなんですが、結果的にはその後「飛龍」が出撃すると長い航海で他分隊は早々に自前のリンゴを食べつくしてしまい、分けて欲しいと続々と申し入れに来るようになりまして勿論相応の見返りを用意しての事ですから、分隊は大いに潤って、あの先任下士官はもとより、班長や仲間の分隊員からも大いに感謝されることになったんだそうで

まさに紀州から江戸へみかんを運んで巨万の富を築いた「紀伊国屋文左衛門」の名に恥じないSHOWBUYだったようで…

無題
Name 名無し 16/07/08(金)18:20:42  No.433254
75箱分のお金をどうしたのかの方が気になってしょうがない
支払いは軍票だったのかな

無題
Name 名無し 16/07/08(金)19:41:09  No.433261
>お前は紀伊国屋文左衛門みたいなやつだな
大分前に雑誌「丸」で連載されていた「飛龍天に在り」にも同じエピソードが載ってましたね
懐かしや・・・・

無題
Name 名無し 16/07/09(土)10:21:03  No.433360
こういうエピソードって、どういうところから出てくるんでしょうね

よく「戦争のことは何も話したくない」と貝になる人がいるけど、それとはちょっと違うんですよね?

無題
Name 名無し 16/07/09(土)10:38:09  No.433362
>No.433360
まぁ逆に言うと爺さん達の兵隊時代といえば年齢的に青春と同義だし、戦場で命を懸けて戦って帰還するという体験を誇らしいと感じる人が要るからわりとしゃべる人はいると思う

無題
Name 名無し 16/07/09(土)12:18:35  No.433371
>よく「戦争のことは何も話したくない」と貝になる人がいるけど、それとはちょっと違うんですよね?
個人的経験で言えば、日本の従軍経験者は話(当時の詳細状況、軍隊の編成や語彙など)の通じる場合は、相当詳細まで語り出す場合が多いですよ
大抵は「全く通じない(聞く耳持たない)」か「相手が否定的な感情を持っていると思っている」事で喋らないんだな、と私は思っています

それとは別に「そんな事聞いてどうするんだ?」と言われた事もあります
この場合、大陸従軍者でしたが、大陸従軍者が皆口を閉ざすかと言えばそれはまた違ったりして、ケースバイケースですね
ソ連軍捕虜になって、シベリア抑留での経験を面白おかしく語る方もいらっしゃいました
(最も過酷な経験は言わない傾向がありますが)

無題
Name 名無し 16/07/09(土)19:26:13  No.433408 
>75箱分のお金をどうしたのかの方が気になってしょうがない
IJNでは下士官兵さん達の食事は現物支給(品給)制が旨なんですが
その食費の一部を以て日常の食事以外の嗜好食品を購入できる嗜好食料制という制度もあったんだそうで

http://www.cdij.org/shikohin/forum/data_13/resume_tatsumi.pdf
恐らくリンゴの件もこの制度を最大限利用したんではないでしょかね
>「飛龍天に在り」
「蒼龍」の柳本艦長さんの「兵食主義」の話とかも載ってましたね
士官さん以上のこういう兵隊さんとの平等主義はおおむね好感を以て受け入れられたみたいなんですが、中には士官室用の高級食材を「ギンバイ」する楽しみが減る、とガッカリする方もいたそうな…w
英武官さんのストッキングはおそらく英国式正装の一部で決して変な趣味の産物だったわけじゃないんでしょう

わけじゃないんじゃないかな…多分…

無題
Name 名無し 16/07/09(土)19:28:38  No.433409 
大戦中、南太平洋に展開して日本軍と戦っていた米海兵隊員さんらの間で愛唱されていた、その名もズバリ「Cレーション・シチューの歌」なるものがあったそうでして
英語歌詞が見つからなかったので日本語訳文になりますけれど、ある意味、当時の兵隊さんの戦争観とかも感じられるモノだったりしますですよ
(以下引用)

いつものスパムとウィンナ―には飽き飽きさ
乾燥野菜の食い物はただ胃の腑だけがむかつくのさ
ブランデーと少しばかりのリキュールが飲みてえさ
それも、でかいサイズのステーキ付きでさ
ほうれん草のベーコン炒めはもう、うんざりさ
それも、あの恐ろしいジャングル醸造のすげえ酒でさ
俺の歯も、あん畜生のタックには歯が立たんのさ
おお神よ!あのC・レーションのシチュー野郎め

無題
Name 名無し 16/07/09(土)19:30:29  No.433410 
エヴァからミッドウェーで、あのCを食ったさ
(略)
俺たちゃ、爆弾も砲撃もへっちゃらさ
俺たちゃ、スナイパーを狙って狙撃もしたさ
だけど、恐れているモノが唯一つ有るのさ
それが、あん畜生のC・レーションのシチュー野郎さ

この俺様も、これから神の国へと御帰還さ
この俺様も、自分の心を入れ替えるのさ

無題
Name 名無し 16/07/09(土)19:31:43  No.433411
この素晴らしい熱帯も、もう飽き飽きさ
それに豪雨と泥んこは、もうほとほとうんざりさ
この俺様も、ブンブン蚊にはまいっているのさ
それに、ひでえデマにもまいっているのさ
地獄へ堕ちろ、この南太平洋の全域め

こん畜生のC・レーションのシチュー野郎め!


…個人的には嫌いじゃないんですけどね、スパム(´・ω・`)

無題
Name 名無し 16/07/09(土)21:49:46  No.433434
>スパム
塩分と脂質がスゴイけどな(´・ω・`)

無題
Name 名無し 16/07/09(土)22:46:29  No.433440
>個人的には嫌いじゃないんですけどね、スパム(´・ω・`)
今でも売ってるって事は売ってるんですけど
普通は中々口にする家庭は少ないと思います
(個人的には興味本位で昔買いましたが)

昔から船乗りにも評判が良くなくて「源田の剣」(ヘンリー境田著作)にも不味くて出撃前に食べなかった米パイロットが1945年3月19日の呉空襲時に撃墜されて脱出し捕虜に・・・そして食べなかった事を悔いる描写がありますね
コンビーフと同じで毎日毎日出されれば飽きるでしょうけど、まあ時々なら

無題
Name 名無し 16/07/10(日)15:51:37  No.433529 
>塩分と脂質がスゴイけどな(´・ω・`)
日本向けに減塩で売ってるし割と好きだけど...
スパイシーとかチーズとか照り焼き味とかいろいろある
ただし買えるのは300円まで
それ以上払うほどの価値はないと思う

無題
Name 名無し 16/07/10(日)16:02:54  No.433532
コンミートがじわじわと値上がりしているのに最近スパムは安くなったと思う
ところでスパムというのはキャタピラみたいな登録商標なんですね

無題
Name 名無し 16/07/10(日)16:02:56  No.433533
311の時にSPAMの救援物資があったんだ。知らなかった。

http://edition.cnn.com/2016/07/08/us/philando-castile-alton-sterling-protests/index.html

>>スパム®ブランド製品36,000缶を岩手県、宮城県、福島県の被災者の方々に救援物資として提供いたしました。

無題
Name 名無し 16/07/10(日)16:22:23  No.433544 
1468135343089
やっぱり敵は贅沢だ!

画像はアメリカ内地の話ですが、戦地で兵士の体重を維持出来るというのは、勝てるってことなんですかね

無題
Name 名無し 16/07/10(日)19:58:42  No.433561 
1468148322485

>戦地で兵士の体重を維持出来るというのは、勝てるってことなんですかね


まだ日本がそれこそライジング・サンの勢いだった緒戦で、フィリピンのバターン半島に追い詰められた米軍兵士さん達は深刻な飢餓に悩まされるんですが、当時の状況は

「バターンに着いて最初の数日間は酒と女の話をしていた。後で話題は食い物に変わった。もっと後になると食い物は話ばかりでなく夢にも出たし、日中も食い物の事ばかり想像していた(1942年)2月には完全に食い物の事しか考えなくなった」
「前線から戻ってくる途中、コンロに鍋を掛けて何か煮ている兵隊3人に出会ったことが有る。何を煮ているのかと思って蓋を持ち上げてみると小さな、白い手が入っていて、まるで赤ん坊の手のようだった」
「猿だ。『いいから、食事をしていけよ』と彼らは言った。俺はそのちっちゃな手を見てしまったから、『いや、やめとく。またな』と答えた」

無題
Name 名無し 16/07/10(日)20:00:01  No.433563 
…というもので、そのまま末期の日本軍の戦記みたいなんですが、そこまで追い詰められなくても陸海軍の兵隊さんの戦時日記はしばしばその日の献立の記録で埋まってることが多かったんだそうな

「今日の朝食=グレープフルーツ缶詰、粉末卵、オートミール、ビスケット、コーヒー。昼食=豚肉缶詰、フルーツカクテル。夕食=トーストにチップドビーフ(薄切り燻製)、リンゴ、クッキー」
「昼食にゼリーが出る。殆ど一年ぶりだ」
「今朝は、今まで一度も出なかった物が出た。目玉焼きを見てぼくらは気絶しそうになった。目玉焼きが出たのは海軍に入って初めてだ」

因みにこうする動機の一つは、こうして書き留めておけば後で読み返すことでもう一度楽しめるから、というものだったそうで…w

無題
Name 名無し 16/07/10(日)20:01:49  No.433564 
因みに私事で恐縮なんですけれど、私の母方の祖父が大戦中海軍の予備士官さんで通信隊に居まして、その時の戦時日記が今も手許に残っておるんですけれども、例えば1945年4月1日には

「沖縄本島南部に遂に敵上陸の報を聞く、在島邦人の健闘と頑りを静かに瞑目にて思ふのみ、然れ共此処の所将棋倒しに崩れ行く感有り、戦果、血の滲む戦果、しかし余りにも敵の物量に比してはかないものなり」

という緊迫した文に並んで

「○朝、昨日と同じ(味噌汁に福神漬け、沢庵)○昼、いわしのフライ、大根●(判読不明)アン、ほうれん草のおひたし、漬物、吸い物」
「○夕、大根おろしに数の子入りのなます、牛肉とネギのすき焼きの如きもの、漬物、吸い物」

…と几帳面な細かい字で記載してましたり

無題
Name 名無し 16/07/10(日)20:03:18  No.433566 
「お米の配給量●成人は代わらない(ママ)ようでも2合3勺の範囲がぐっと子供の範囲まで広げられてゐる、貯蔵米も出して終ふと云ふ、残らず配給して文字通り背水の陣を布く考えか、とに角何を見ても聞いても悲壮に聞れて困る(略)神国は不滅なれど時に利なし」

…と記している祖父とは生前、残念ながら殆ど戦中の話をした記憶がないんですけれども
国を守る、という使命感に満ちた青年士官さんである一方でまだまだ食欲旺盛な肉体の20代前半の若者でもあったわけで
それは多分そのまま当時の世界中の国の軍人さん達の姿でもあったと思うんですが…

どうなんでしょかね

無題
Name 名無し 16/07/11(月)05:22:54  No.433613
>因みに私事で恐縮なんですけれど、私の母方の祖父が大戦中海軍の予備士官さんで通信隊に居まして、その時の戦時日記が今も手許に残っておるんですけれども、例えば

非常に貴重な文書だと思います。大切になさってください

ミリメシのスレでいつも思うのは、今の自分達が当時の食卓についても、時間の感覚が麻痺するくらいあまり変わらないのかなと
米軍はスパムで時の差を感じるのだろうけど

無題
Name 名無し 16/07/10(日)20:32:46  No.433569
日本軍軍人が酒盛りしてる写真って結構現存してるけど
「飲んでる酒ビール多くね?」
と思うのは俺だけか?
日本人が日本酒あんまり飲まなくなってるというけど
もしかしてこのあたりからそうだったのか?
日本のビール会社が物資不足の戦後すぐにでもビールの製造ができたのは進駐軍が大量のビールを欲したから物資が優先的に割り与えられたからということらしいけど
だとしたらほんと単純な味のビールというのは世界的な酒なんだなぁと思う

無題
Name 名無し 16/07/10(日)20:46:51  No.433571
ビールってのは今よりも高級な扱いで、
写真でも撮ろうかって大きな宴会ではビールがどーん、じゃなかったっけ?

無題
Name 名無し 16/07/10(日)23:51:28  No.433596
Cレーションって、1食1200キロカロリーだけど足りるのかな?

この間、五輪シンクロチームの合宿を特集していたけど
1日10時間の練習で、1人4500キロカロリー食べて体重が3キロ減ったと言っていた

兵士は1日4000キロカロリー必要、と聞いた気がするので、足りない気がするんだけど

無題
Name 名無し 16/07/11(月)00:11:28  No.433604
>Cレーションって、1食1200キロカロリーだけど足りるのかな?
まあ建前的なんですけどCレーションは空くまで前線への食料供給が遅れた場合の緊急用では無かったでしたっけ?
日本軍の手投飯じゃないですが、それすら怠るような場面のCレーションだと思いますが
引用元: http://may.2chan.net/39/res/432348.htm

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