無題 Name 名無し 16/06/14(火)01:50:17  No.1175303

1465836617407
銀河を含む
日本海軍爆撃機、攻撃機について語ってみませんか?
日本軍の爆撃機枠では一番美しい機体が銀河だと思うんですが
皆さんはどう思われますか?

梓特別攻撃隊―爆撃機「銀河」三千キロの航跡 (光人社NF文庫)
神野 正美
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無題
Name 名無し 16/06/14(火)03:19:51  No.1175305 
http://blog.livedoor.jp/gurigurimawasu/archives/31699542.html
試験導入されたスツーカ

無題
Name 名無し 16/06/14(火)20:35:37  No.1175419
1465904137078
開発時期を考えるとやはり96陸攻のスマートさは素晴らしい

無題
Name 名無し 16/06/14(火)20:46:19  No.1175421 
1465904779575
銀河も彗星もいいけど、九六陸攻が一番!
という俺はおかしいのだろうか。

無題
Name 名無し 16/06/14(火)21:28:35  No.1175432
やっぱり深山だろ
でかいのは正義だよ

無題
Name 名無し 16/06/14(火)22:06:59  No.1175441 
1465909619699
九六式陸攻と言えばブリスター銃座の二三型の写真が有名ですが、上下引き込み式銃座の十一型の垂下銃塔がええです。
米運コードでは女性名のヘレンとかエレノアの愛称Nellで呼んでたことが何処かおかしい…

無題
Name 名無し 16/06/15(水)02:24:46  No.1175472
スタイリングの良さという点なら個人的にはやっぱり彗星、それも液冷型が好きですね

兵器としての信頼性は金星搭載型の方が良かったんでしょうけれど
やっぱり液冷ならではのカウリング周りのスマートさが機体ラインの流麗さとマッチしてそれでいて精悍、敏捷さも感じさせるあたり、名は体を表すと言うか
まさに「彗星」というネーミングにぴったりのカッコ良さだと思いますのん…w

無題
Name 名無し 16/06/15(水)02:38:50  No.1175475 
すみません
銀河について色々調べていたら興奮して思わず変な文章でスレッドを立ててしまいました…
しかし雷撃もできる銀河が爆撃機という枠にいるのは少し謎ですね
同じ星々の名前の流星は攻撃機の枠だけに余計に引っかかりますね

無題
Name 名無し 16/06/15(水)04:34:49  No.1175489 
>しかし雷撃もできる銀河が爆撃機という枠にいるのは少し謎ですね
>同じ星々の名前の流星は攻撃機の枠だけに

急降下爆撃 ○ 雷撃 ○ 双発以上→ 陸上爆撃機
急降下爆撃 × 雷撃 ○ 艦上機→ 艦上攻撃機
急降下爆撃 ○ 雷撃 ○ 艦上機→ 艦上攻撃機

流星は艦上爆撃機じゃダメなの?というと
昭和16年度の「航空機機種および性能標準」で艦爆、艦攻の一元化案が明示され、日本海軍の艦上機は艦上戦闘機、艦上攻撃機、艦上偵察機の3種に統合整理される予定だったから。
そこで急降下爆撃、雷撃の両方が可能という意味で、形式番号はB7A1(Bは艦上攻撃機)、名称は星座(天体)に因む「流星」という便宜が図られることになったと

無題
Name 名無し 16/06/15(水)11:36:42  No.1175503 
1465958202429
天山チャソ
流麗にして力強い機首とか、あの当時のデザインセンスの結晶だと思う
しかも性能も良いし

無題
Name 名無し 16/06/15(水)17:05:15  No.1175535 
「銀河」の前身は空技廠で計画が進められていた長距離飛行実験機「Y20」なんですけれど、当初のY20は陸攻の後継機でも爆撃機でもなく、純粋な研究機としての性格の強い機体でして
Y20(後に銀河)の設計担当だった三木忠直技術大尉さんの回想によると

「昭和15年夏(略)ある部隊の航空参謀が、将来の洋上作戦を考えると爆弾1トン、航続距離3千浬の、しかもかなり高速の急降下爆撃(機)が出来たら、海軍の航空戦力は画期的に向上するのだが、という希望的構想をもらしたことから、横空、空技廠を中心とした研究委員会的なものが持たれた」

後、Y20計画は言わばより実戦的機体開発プロジェクトに模様替えして、改めてスタートしたという事になるんだそうで

無題
Name 名無し 16/06/15(水)17:07:03  No.1175536 
また空技廠飛行機部初代設計主任だった岡村純技術少佐さんによれば

「昭和15年8月26日、和田操空技廠長は(略)航続力が大で、800キロ爆弾または魚雷を搭載し、急降下可能の陸上爆撃機の構想を発表し、これを空技廠において試作することを航本当局に申し入れさせた(略)これをY20 と仮称して空技廠で試作することに決定した」
「右の構想は、当時欧州戦線で活躍を伝えられていた、ドイツのユンカースJu87およびJu88型陸上急降下爆撃機の影響を受けているとともに、大馬力発動機(当時開発中だった『誉』ですな)の出現に刺激されたもの」

…だったそうで、両者の回想には多少ニュアンスの違いはあるものの要は艦上爆撃機と同様、急降下爆撃という新戦術に刺激を受けてIJNが要求した「爆撃機」カテゴリーの機体だった故のネーミング、って事なんじゃないでしょかね、コレ

無題
Name 名無し 16/06/16(木)05:00:24  No.1175625
>No.1175535
いつも詳しいご説明ありがとうございます
なるほど元から攻撃機として計画された機体と後から攻撃機としても使えるように作られた機体との差なんですね

そういえば岡村少佐と言えばあの試作機景雲を作った方としてでも有名ですよね

無題
Name 名無し 16/06/16(木)01:00:54  No.1175606 
「仕上がってるな!」って意味で99
「センスねえなw」って言われるの承知で書くけど
流星はまだ最後の何かが足りないような気がして・・・
『おしい!広島県』的なって言うのかなあ

無題
Name 名無し 16/06/15(水)23:54:25  No.1175590
全部特攻機だな(スツーカ除く)

無題 Name 名無し 16/06/16(木)00:17:49  No.1175595
一式陸攻や流星は特攻に使われてますが、九六式陸攻は聞きませんね

無題
Name 名無し 16/06/16(木)01:41:27  No.1175616
銀河良いよね…

二式大艇に誘導されてのウルシー特攻の話
現地着いたら真っ暗で
もう30分早かったら戦果が違ってたという

突入を見届けた直後に不調抱えてた二式のエンジンがぶっ壊れたくだりは泣けます

無題
Name 名無し 16/06/16(木)04:51:24  No.1175623 
>二式大艇に誘導されてのウルシー特攻の話

銀河「俺らだけなら薄暮攻撃に間に合ったのに・・・」

銀河の搭乗員は真珠湾以前からのベテランも乗っていたので航法には自信があったそうだ。
作戦で生還した搭乗員の言。

二式大艇側の話だけなら美談なんだが・・・

無題
Name 名無し 16/06/16(木)09:23:33  No.1175640
>一式陸攻や流星は特攻に使われてますが、九六式陸攻は聞きませんね
沖縄方面への作戦では陸攻の訓練部隊(九六式陸攻・一式陸攻装備)だった豊橋、松島の航空隊にも特攻の準備が出て1945年3月末から4月には出水基地へと第一次特別攻撃隊が進出したものの機材の老朽化や訓練状態鑑みた豊橋空からの意見具申もあって作戦を通常の夜間雷爆撃に変更、以後は6月1日まで13回の作戦を行ったがその間の戦死、未帰還は224名に

無題
Name 名無し 16/06/16(木)21:48:46  No.1175708
>>13回の作戦を行ったがその間の戦死、未帰還は224名に

特攻に出そうとはしてたんですね…
赤とんぼまで出たのに、陸攻が技術未了で特攻断念して夜間通常攻撃というのは、何かヒューマニズム的な判断も介在したんでしょうか?

無題
Name 名無し 16/06/16(木)23:17:43  No.1175732
>陸攻が技術未了で特攻断念して夜間通常攻撃というのは、何かヒューマニズム的な判断も介在したんでしょうか?
夜間攻撃の意見出した豊橋空の飛行長が渡洋爆撃以来のベテランだった巌谷二三男少佐ということもあって五航艦側を再考させたというのもあるし
先述した部隊の状態は夜間飛行訓練を実施していた一方、陸攻には5年以上前の機材まで混じる(速度低下は勿論編隊で各機の調子合わせるのも苦労)という状態で特攻に使うにも…というのはあった

無題
Name 名無し 16/06/16(木)22:38:04  No.1175721 
単発機ですら機首が浮いて急角度の体当たり突入は難しいのに双発機となるとなおさらだろう
銀河や飛龍のように運動性にも配慮が効いてるってもんでないし
訓練しようにも燃料馬鹿食い

無題
Name 名無し 16/06/18(土)21:47:19  No.1176055 
>景雲

「銀河」の前身として長距離飛行研究機「Y20」計画があったわけですけど、空技廠では他に高高度での記録飛行を狙った「Y30」計画も有りまして、やはり昭和16年ごろより実戦的性格の機体としての練り直しが図られまして、昭和17年から「17試陸偵」としての「Y30」の試作が始まったそうなんですな

ただ最高速度時速667キロ、航続距離7千キロ以上という要求性能はあまりに過大に過ぎて計画は難航、設計主務だった大築志夫技術少佐さんらを大いに悩ませるんですが、そうしてプロジェクトが遅延している内に同じ空技廠内で先行していたY20(=銀河)の試作機が飛び初め、コレがなかなか有望そうだと言うので、この際難航している新陸偵もY20改造型に近い、オーソドックスな双発機とした方が早期の戦力化や量産と言う面でも有利では…という方向に開発陣が傾いて、そこでまたまた新「Y30」計画がスタートしたんだとか

無題
Name 名無し 16/06/18(土)21:49:10  No.1176056 
ただ新「Y30」の設計作業が7割がた進み、あと半年もすれば試作機も完成…と言う所で用兵側から横やりが入りまして、戦訓上Y30の如き大型機は望ましくなく、より高速で高高度飛行可能な小型強行偵察機が欲しい…という事ですったもんだの挙句、改めて「Y40」という名での「18試陸偵」の試作開始が決められたそうなんですな

当時大築技術少佐の下で「Y40」の設計作業を担当した油井一技術大尉さんの回想によると

「我々は、あくまでも作りやすく、整備しやすく、稼働率の高いY30をものにした方が良いと主張したが、ついにY30を中止して、Y40を急速に試作せよという命令が発せられしまった」

…との事なんですが、ともあれこのY40=18試陸偵が「景雲」になるわけなんですよね

無題
Name 名無し 16/06/18(土)21:50:04  No.1176057 
ただまあ、御存じの通り「アツタ」水冷エンジンを双子化してパワープラントとする他、新機軸満載の「景雲」開発はまたもや難航して、戦局の悪化等も有り遂には計画中止に追い込まれるわけでして
大築技術少佐をして、こんなことならオーソドックスなY30=17試陸偵を続けていれば戦争に間に合うような機体が出来ていたのに…と嘆かせたそうなんですが、仮にもしその通りに計画が進んでいた場合、或はウルシーにむかう「銀河」の編隊を先導したのは二式大艇でなく、銀河をよりスマートにしたような通常形式双発機としての「景雲(仮)」だった…なんて事になっていたかも知れませんですな

無題
Name 名無し 16/06/18(土)21:50:54  No.1176058 
因みに余談ですけれど、「景雲」の設計にあたって設計主任だった山名技術中佐さんが航続距離重視の為に主翼へのインテグラルタンク設置を主張した所、主翼担当の服部六郎技術大尉さんと論争になったそうで

服部「山名さん、一式陸攻のような悲劇を繰り返すようなことになりますよ」
山名「何を言うか。君は上手い設計をやれる自信がないから、そんな弱音を吐くんじゃないか」

…というやりとりがあったんだとか

インテグラルタンク自体は単に技術的な手段の一つであって、本来その採用自体が直ちに機体の性格を決めるものではないはずなんですけれど、「一式陸攻」と「インテグラルタンク」の組合わせとなると、この頃(昭和18~19年)の海軍航空関係者の間じゃあ、既にトラウマと成りつつあったんでしょかねえ

無題
Name 名無し 16/06/18(土)22:06:44  No.1176062 
当時のニュース映画の「銀河」
いろいろ感慨深い


[日本軍] 銀河 WW2 Japanese Yokosuka P1Y Ginga"Frances"
https://www.youtube.com/watch?v=x9ZynJrtKT8

無題
Name 名無し 16/06/19(日)01:18:10  No.1176084 
高速爆撃機「銀河」―大戦末期に登場した高性能機の戦い (光人社NF文庫) 
このスレ見ていて
さらに銀河に興味持って画像の書籍をポチりしました

無題
Name 名無し 16/06/19(日)14:33:45  No.1176136 
「銀河」も色々なトラブルに泣いた飛行機の内なんですけれど
取り柄の一つは急降下爆撃性能の要求にこたえる頑丈な機体構造でして、「銀河」を運用した部隊の一つである攻撃405飛行隊長鈴木瞭五郎大尉さんによると

「機体強度は5.5Gに耐える頑丈さが用意され(略)エアブレーキの効きが良く、制限速度も350ノット(648キロ)であり、300ノット以上の速度でも主翼に何らの捩れもなく、非常に安定した状態で急降下することが出来、最新式の降下爆撃照準機の性能も良く、従来の艦爆の持つ命中精度を充分保証できる物であった。また、このような高速急降下性能は、敵戦闘機に対する急速回避手段としては極めて有効なものであった」

…んだとか

無題
Name 名無し 16/06/19(日)14:37:28  No.1176137 
因みに「銀河」の設計主務を務めた三木技術大尉さん、戦後は鉄道畑に再就職してモノレールや新幹線等の開発に携われてるんですが、ある日社用で神戸駅からタクシーを拾った際、運ちゃんと雑談している内に戦時中は海軍の搭乗員だったと聞かされたそうなんですな

「ほう、で、何に乗っていたんだい」
「偵察員で、銀河と言う飛行機です」
「なんだ。それは私が設計したんだよ」
「実は私が今、こうしていられるのも、その銀河のおかげなんです」

なんでも運転手さん、戦中グラマンに追いかけられたときに先述の急降下機動で辛くも逃げ切った経験の持ち主だったんだそうでして、話の最後には

「山本(五十六)さんも一式陸攻でなく、これ(銀河)に乗っていたら助かったろうに」

なんて付け加えたそうな…w

無題
Name 名無し 16/06/19(日)17:56:33  No.1176150
最大航続距離5000km以上を想定していながら操縦員はひとりってのが日本機らしい
他の国じゃ考えられんて

無題
Name 名無し 16/06/20(月)18:26:52  No.1176284 
>他の国じゃ考えられんて

マレー沖海戦で96陸攻で「レパルス」を雷撃した搭乗員で、壹岐春記さんという海軍少佐さんがおられまして、この方も後に攻撃406飛行隊長として「銀河」部隊に勤務されるんですが、「銀河」や当時の海軍航空について

「『銀河』はいい飛行機だったですよ。とても軽くて、私は名機だったと思います」
「よい飛行機だったけれども、欠点もあるんですよ。電気系統に絶縁が悪いとか、部品不良だとかで、故障を起こすんです。飛行機そのものはどえらく長く飛べますし、降爆も雷撃も出来て操縦もしやすい飛行機でしたが」

無題
Name 名無し 16/06/20(月)18:28:07  No.1176286 
「当時、日本海軍は世界に無いようなやつを造るんですね。ゼロ戦もそうでした。一式陸攻にしても、雷撃と爆撃が出来て、しかもあの程度の機体であれだけ長く飛べるというのは外国にも例がない。ただし、その裏には”無防備”という弱点が有りました」

「あの頃、わたしがもし、これではやられるからここに防弾アーマーを付けてくれ、というような事を言ったら、わたしはすぐどこかの練習航空隊へトばされましたよ。あくる日にね。当時の海軍の考え方では、『ああ、あいつは駄目だ、弱虫だ』といって、とばされちまうんです」
「現にそういう人がいました(略)中隊長会議の打ち合わせの際”前方に銃座を付けなければ、私は部下を死地に連れていく事は出来ません”といった風な表現で意見を述べた人が有りましたが、その人は早速あくる日、転勤させられてしまいました」

…なんて語ってらっしゃいまして

オンリーワン、若しくはナンバーワンの高見を目指すほど、その代償もまた大きくなる、って事なんでしょかねえ

無題
Name 名無し 16/06/20(月)14:47:51  No.1176266
1466401671594
それ程有名ではありませんが海軍の急降下爆撃法を黎明期に支えた名機九六式艦上爆撃機です
九四式艦上爆撃機のマイナーチェンジ版とも言える機体ですが開戦後でも偵察・訓練・対潜哨戒の雑用機として使われています
やっぱりこの辺りの機体も良いと思うんですが・・・

無題
Name 名無し 16/06/20(月)19:07:13  No.1176292 
1/72 中島G8N1一八試陸上攻撃機 連山 

一応飛んでるしいいよね

無題
Name 名無し 16/06/21(火)18:12:07  No.1176390 
>一応飛んでるしいいよね
連山は深山とまた違った意味でいろいろと恵まれんかったな

無題
Name 名無し 16/06/21(火)19:22:25  No.1176401
米軍のテストでも、発動機の不調は解決出来ず、全力運転は出来なかったと言うし、真の実力は分からずじまい、と言うのが何とも・・・。

無題
Name 名無し 16/06/21(火)22:07:47  No.1176418 
>真の実力は分からずじまい、と言うのが何とも・・・。
アメリカに引き渡した4号機はエンジン不調以外にもプロペラが一部未結線、飛行中は上昇もだが各舵が重い(日本側では試験打ち切ってたこともあり調整未了)と破損機直したにしても苦しい状態だった(世傑の旧版より)という辺りからしてね

無題
Name 名無し 16/06/21(火)19:59:11  No.1176405 
1466506751189
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/219462-14726incorrect-turret-cannons-of-g8n1/

「連山」で昔からちょっと気になってるんですけれど
機体下面の18試20mm下方銃座、B-17他のと違ってボール・ターレットではないようなんですけれど
射手さんはどういう姿勢で操作するんでしょかね

射界は真下まで取れる感じですけれど座席自体は銃身に連動しないで、射手さんは股間を覗き込むようにして照準するのですかしら

無題
Name 名無し 16/06/21(火)22:59:39  No.1176430 
1466517579738
>>腹部銃座


これ丁度気になってたんですよね。
日本機から離れますがsm81の腹部銃座なんかコンパクトで連装、しかも引き込み式と技術水準超えてそうな出来だったので。でも内部構造はなかなか見つからず…
そうしてる内にこんなの見つけました

無題
Name 名無し 16/06/21(火)23:39:33  No.1176442 
1466519973949
https://sobchak.files.wordpress.com/2013/03/torrettaven108.jpg

>sm81の腹部銃座

P-108の引き込み式銃座と同系だったりするんでしょかね?
これも装備位置・印象的には「連山」のソレに近いんですけれど
果して銃手さんは中に座る形なのか遠隔操作なのかもイマイチ分からなかったり

少なくとも只の垂下銃塔でなく動力銃座ではあるようですし、透明風防で覆われてるのは射撃視界確保の為だとは思うんですけれど…

無題
Name 名無し 16/06/21(火)22:19:13  No.1176420
日本のプロペラってすごく遅れてたとか何とか・・・。
技術的なことは俺にはわからんけど。

無題
Name 名無し 16/06/21(火)22:42:43  No.1176427
プロペラはイギリスの特許じゃなかったっけ
終戦後、イギリスは諦めてたけど
日本側からこれまでのライセンス料を支払わさせてくれと懇願されたんじゃなかったか

無題
Name 名無し 16/06/21(火)22:49:16  No.1176429
>プロペラはイギリスの特許じゃなかったっけ

アメリカのハミルトンじゃなかったかな?
複数のライセンス取ってる可能性もあるけど

無題
Name 名無し 16/06/21(火)23:44:58  No.1176444 
>日本のプロペラ
日本の軍用機(というか航空機ですかね)で初めて可変ピッチプロペラを装備したのは9試中攻(後の96式陸攻)なんだそーなんですけれど
これは住友金属工業が米国ハミルトン社からライセンスを取って生産したものだそーで

以降96式陸攻・一式陸攻11型・「深山」・97式艦攻・「天山」・99式艦爆・「彗星」・「銀河」等は全てハミルトン方式、一式陸攻22型以降・「銀河」・「連山」・「流星」なんかは同じく住友生産の独VDM方式のプロペラを使ってたわけで
悪く言えば基本的には結局外国技術の後追いに終始した形になるよーですな

無題
Name 名無し 16/06/21(火)23:47:02  No.1176445 
因みにヒコーキが空中でエンジン停止した時に、プロペラピッチを高めて飛行方向に並行にしてプロペラ空転による故障を防ぐフルフェザー機能なんかも当時の日本では珍しい機能だったそうなんですが、この新機能が昭和14年に日本海軍が次期陸攻の原型とすべく購入したダグラスDC-4・4発旅客機には付いておりまして、当時空技廠の西良彦技師さんが同機の領収およびテストに当った時の挿話を「海軍空技廠」から引用させて頂きますと

「西の要求に応じてグラント(米人エンジニア)が第4エンジンを止め、、フルフェザーのスイッチを入れると、電動式のオイルポンプが作動して羽根のピッチが大きくなるにつれ、プロペラの回転が次第に遅くなるのが分かった」

無題
Name 名無し 16/06/21(火)23:50:09  No.1176447
「やがて、ピッチ九十度でプロペラの回転はピタリと止まった。西が感心して見ていると、グラントが得意そうな顔で『OK?』と言った」

「後日の事だが、昭和19年暮れに(略)一式陸攻の実験で、全力上昇中に片側エンジンがおかしくなり、片肺飛行で横須賀に戻る途中、船橋上空で空中分解でもしそうな激しい震動に(プロペラの空転の影響で)見舞われたことが有った(略)緊急着陸して事なきを得たが、その時西はDC-4の事を思い出して、これからは双発以上の飛行機はフルフェザーリング・プロペラであるべきだと痛感した」

…んだそうで

無題
Name 名無し 16/06/21(火)23:52:04  No.1176448 
ただこの当時の日本にはとっては垂涎モノのフルフェザー機能だったんですけれど、ひとしきり感嘆した後西さんが今度は「アンフェザー」を頼むと、再びピッチが戻ってプロペラは空転を始めたものの、停止したエンジンがグラント=サンの必死のアレコレの操作にも拘らず一向にかかりませんで、どうやらフルフェザー自慢の間にエンジンがすっかり冷え切ってしまった為だったそうなんですが、非難の目を向ける西さんにグラント=サンは

「フルフェザーはエマージェンシー以外には使わないから、これでいいんだ」

…とバツの悪そうな顔をしたんだとかw

ある意味、その後の「深山」開発の難航・頓挫の先触れみたいな話だったりするのかもですな、コレ

無題
Name 名無し 16/06/22(水)00:24:53  No.1176453 
プロペラといえば、「疾風」がフランスのラチェ式という電気式のプロペラを採用していた。ドイツからの売り込みでライセンス料が安かったことと、当時仕事がなかった国際航空工業にライセンス生産の仕事を与える為、といった政治的な理由で採用されたという記事を読んだことがある。そういう経緯のせいか、佐貫亦男さんは「負けたフランスの技術」と言って批判的な事を書いていたっけ。

無題
Name 名無し 16/06/22(水)00:38:43  No.1176455
まだ木製プロペラだったころのお話し
プロペラを軸にきっちり固定する方法が見つからずドイツの特許を買ったところ
錆を生じさせる塗料を塗布して接着面を膨張させ固定するだけと分かって留飲を下げたそうな

無題
Name 名無し 16/06/22(水)00:39:24  No.1176456
知ってる人には耳タコかもしれんが
戦中のプロペラのお話


http://global.yamaha-motor.com/jp/profile/technology/yamamomo/001/

無題
Name 名無し 16/06/22(水)04:00:09  No.1176465
>フルフェザーリング・プロペラ
リバースピッチもペラ入手時に付いてきたが
試しにやると未舗装の日本の滑走路じゃホコリで前が見えなくなって危険を感じたそうな
で、「米軍もやってないしフェザーできればいいや」
って事で開発が進んでいくと

>住友生産の独VDM方式のプロペラを使ってた
コイツが難事業で住友がライセンス通りに作れずハミルトンの油圧式を加えた折衷案を作ったそうな
後に東芝で駆動モーターの馬力があるのができてなんとかなったらしい
と何かの本にあったな

無題
Name 名無し 16/06/22(水)11:14:12  No.1176485
VDMプロペラ購入のいきさつは、佐貫亦男さんの回想録にも出てくるな。ご本人はピアッジョを買うつもりだったのが、駐独陸軍武官の横槍でVDMになったと。VDMといえば、雷電の振動問題で疑われて、海軍ではVDMプロペラ採用機(彩雲など)全てがハミルトンに交換される、という事件があったなあ。
結局、プロペラブレードの剛性不足、というオチだったが。

無題
Name 名無し 16/06/22(水)16:31:39  No.1176524 
>佐貫亦男さん

1939年頃から日本楽器製造株式会社(ヤマハ)社員として欧州に派遣されてまして、他の方のレスの通り
めぼしい航空機プロペラ技術を欧州企業から買い付けるのが目的だったそうなんですが、ピアッジオ社の製品の印象は

「ピアッジオのプロペラは大体ドイツのVDMと同様の、歯車による機械的な可変ピッチ方式である。私の会社が興味を示したのは、当時米国ハミルトン・スタンダードのハイドロマチック・フルフェザリング・プロペラ用工作機械が、米国で輸出禁止となった為、特殊工作機械を必要としない、他のフルフェザリング・プロペラを技術輸入する必要があっったからである」
「ピアッジョ・プロペラはなかなか美点が有った(略)ピッチ変更動力をVDMでは電動機に依っている。考えてみると、回転している発動機と言う立派な動力が有るのに(略)重い蓄電池と電動機を常時使うのはむだである」

無題
Name 名無し 16/06/22(水)16:35:26  No.1176526 
「ピアッジョは電動機を、発動機停止の時のフル・フェザリングにとっておき、常時は発動機の回転を電磁クラッチでプロペラのピッチ変更歯車に伝えていた。勿論定回転の調速機もあるし、全般的に独創的な設計があらゆる部品に滲み出ていた」

…という優れモノでして、佐貫さんはほぼ導入を決めて、契約を結びたい旨イタリアの日本陸軍事務所に申し出たそうなんですが、No.1176485さんの言うように独ベルリンの陸軍事務所に呼びつけられ

「イタリアに製造権を買いに来るなんて、君の頭はどうかしているのではないか?」

…とガツンとやられまして

「ピアッジョのかわりにユンカースを買えと、頭ごなしに決めつけられて」

御破算となったんだとか
おかげでその後、仮契約を反故にされて怒り狂うイタリア側にさんざん責められてとても大変だったそうな…w

無題
Name 名無し 16/06/22(水)16:36:24  No.1176527 
その後佐貫さんはドイツでユンカース社からの技術導入の任に当たるんですが、ある日ユンカース社の下請け工場の見学に行った時の模様を手記から引用させてもらいますと

「下請工場と言ってもドイツ・ナイルスの旋盤とケルガーの旋盤がそれぞれ30台ばかり、マーグの歯車研磨盤が4台といったふうに、日本ならば1台あっても工場の自慢になるような工作機械が、さりげなく並べてある。治工具工場にはカール・ツァイス、ライツの検査具が夥しく揃えてあり、熱処理場にはブラウン・ボベリの炉が列を作っていた」
「ユンカース・プロペラの前はVDMプロペラを作っていたそうで、平和な時は機関車の部品から乳母車までやったという。こんな工場で作った乳母車はさぞ精密なものであろう」

無題
Name 名無し 16/06/22(水)16:37:26  No.1176528 
「ドイツが機械を作って食っていく国とは心得ていたが、こんな工場まで一流工場と同程度の機械を揃えている所にドイツの秘密が有った」

「日本の下請工場のように、傾いたバラック、ネズミの出そうな職場、中心の振れている旋盤(略)という風景から、光輝く製品と厳正な嵌合という概念を引き出す事自体が滑稽」

「VDMプロペラの歯車幸作は極めて困難なもので、日本の工場で製造権を買っても到底ものになるまいという見方が多かった。ユンカース・プロペラに付いても同様であった。両方のプロペラとも日本に入ったが、やはり相当な工作困難を感じた。日本の工員は気が短いというか、あるいは非科学的と言うか、加工後の歯車を丹念に検査することをせず、(検査器具が完備していない為も有る)いきなり手で擦り合わせて調整しようと焦るのである」

無題
Name 名無し 16/06/22(水)16:39:13  No.1176529 
「所がこの工場はVDMプロペラをすませ、まだその残品が工場に置いてあるのに、もうユンカース・プロペラを月産500本ぐらい作っている」

…とまあ、実地で触れたドイツ工業の実力に圧倒されてるんですが、一方ではこんな事も書かれておられたりします

「私が(略)潜水艦で送ったユンカース・プロペラの図面は、最初の便を除いて全部着かなかった。最初の便とてもシンガポールで日本の機雷にかかって沈み、濡れた組立図しか届かなかった(略)これだけの資料で(他に暗号電報若干)私の会社の新妻一郎技師はみごとにユンカース・プロペラを再現した。その調速機はユンカースの3分の1以下の寸法重量であった」

無題
Name 名無し 16/06/22(水)16:44:07  No.1176530 
或はコレがNo.1176456さんが紹介されてるページの「幻のプロペラ」に当たるのかもですけれど、

「ここに日本技術者の頭脳が見られる。勿論、工作上ユンカースに及ばない点はある。製品としては見劣りするかもしれない(略)しかし、物を作った技術者としては、ドイツに勝る点と及ばぬ点、その理由も知っている。それを監督の立場にあるものが、顧客のような冷たい気持ちで応援せず、ドイツ製品に品質でも価格でも勝るまで放置するつもりなら、日本は永久の技術植民地として残るであろう」

…なんて佐貫さんの言葉は今読読んでも、ある意味戦後の日本の技術開発史にも通じる所が有って、なかなか感銘させられるモノな気がしますのう

無題
Name 名無し 16/06/22(水)18:10:19  No.1176546
>http://global.yamaha-motor.com/jp/profile/technology/yamamomo/001/
>昭和七年の翌年には、木製プロペラの表面を真鍮の金網で包み、セルロイド溶液でそのすきまを埋めつくしたあと、表面を平滑に仕上げる方法が始まった。
これ面白いですね
木製プロペラは軽くて不時着の時折れるようになってるんですが、その特性を保ったまま強化しようとしてたんですね

無題
Name 名無し 16/06/23(木)02:39:27  No.1176616 
1466617167411
「航空技術の全貌(下)」によると、連山の下方銃座は十八試射撃照準器を採用していて、電動油圧式で直接操縦だとあります
各銃架とも漏油が少なくなく風防を汚したとか

無題
Name 名無し 16/06/23(木)05:05:40  No.1176620
油のシーリングは日本にとって鬼門なんだよねぇ

無題
Name 名無し 16/06/23(木)11:44:43  No.1176639
>油のシーリングは日本にとって鬼門なんだよねぇ
アメリカでも近年までシーリングは上手くいってなかったみたいだぞ
まあ程度の差はあったんどろうけど

無題
Name 名無し 16/06/23(木)17:43:52  No.1176671
70年代のアメ車は、油漏れるものだった。
60年代に逆転したのかな? ただしスバルは除く。

無題
Name 名無し 16/06/23(木)18:08:01  No.1176673
日本でもブルドーザーやクレーンなどの土木・建築機械の国産化が加速したのはまともな国産油圧シリンダーの発達と無関係じゃないので、戦後も結構時間がかかったしね。
戦時中ともなれば何をかいわんや。

無題
Name 名無し 16/06/23(木)19:28:08  No.1176687
>連山の下方銃座は十八試射撃照準器を
>採用していて、電動油圧式で直接操縦

詳細な情報有難うございます
全体図は初めて見ました、非常に参考になりますです

銃座内に着席、ですと形状から姿勢的にはごく普通の着座体制
っぽいんですけど、照準機とかペリスコープ形式にしたりはしなかったんでしょかね、コレ

無題
Name 名無し 16/06/23(木)19:31:32  No.1176688
>戦時中ともなれば何をかいわんや
「銀河」開発は独のJu87・88急降下爆撃機の活躍に触発されての事だったんですが
実際日本海軍ではJu88の実機も購入して「銀河」設計の参考にしてましてある意味ユンカースとの縁の深い機体だったわけですけれどw
その際設計陣がもっとも影響を受けたのが型打鍛造部品を多用した量産向きの構造だったそうでして、そこで鍛造部品製造ノウハウの育成も視野に入れて

「(銀河の)各部品は機械加工、とくにミーリング(フライス加工)を避けるため、鍛造部品を出来るだけ採用するようにした(三木忠直氏)」

…そうなんですが、やはり経験の少なさから本来鍛造部品に適さないようなものまで鍛造指定にしてしまうような失敗もあったんだそうで
また空技廠では主に外国製の優秀な工作機械が揃っていたものの、実際の量産に当って部品を製造する中小工場には鍛造に適した設備と技術者が揃わず、やむを得ず鍛造用の図面で実際にはフライス加工で製作するという、量産と言う面では本末転倒な事態に陥ってしまったんだとか

無題
Name 名無し 16/06/23(木)19:33:56  No.1176691 
こうした当時の状況について機体設計主務だった三木さんは

「戦後一部で『日本機は性能設計では欧米機に太刀打ち出来たかもしれないが、生産設計では話にならない』と評しているのを見受けたが、ある程度、真実を衝いている」
「(銀河を)量産に移すとき、当時の生産技術に見合った製作図面に変更すべきだった」
「小さなアルミ合金の型打鍛造すらこなしきれなかったくらいの生産技術では、更に粗製乱造となり、最後には『数だけ揃えても何にもならん。少数でもいいから完全に動くものを送ってくれ』と第一線部隊から嘆かれた」

「一方、アメリカの新型機を見ると、我が国ならすぐ文句をつけられそうな構造でありながら、造りやすさや機能を優先したため、稼働率の良い飛行機をよくもあれだけの数造ったものと、うらやましく感じられた」
…と率直に振り返っておられるんですが、何でも実際にやってみないと何が一番問題なのか真の意味で分からない、ってのはまさに技術開発の一番難しい所なんでしょね

無題
Name 名無し 16/06/23(木)19:36:25  No.1176693 
余談ですが、佐貫亦男さんは別のエッセイでこんな小咄も書かれておられたり(一部うろ覚え&改編)

「ドイツのある宿屋に、海外出張中の日本人の技術者が泊まった時の事。宿の女将が『日本の技術者さんなのかい?ふうん、それじゃあ、今までどんな失敗をやらかしたことが有るんだい?」
…と聞いてきたので、その技術者は胸を張って
『いいや、これまで失敗したことなんて、一回もないね』
…と答えた。するとそれを聞いた女将さん曰く
『ああそう。じゃあ、アンタは大した技術者じゃないね」

実に「機械を作って食っていく国」のハナシらしいオチですけど、意外にいろんな分野に通じるネタな気がしますな、コレw

無題
Name 名無し 16/06/23(木)22:26:12  No.1176721
ついドイツに目が行っちゃうのは分かるけど、イタリアの木造戦闘機やセモベンテの方が日本に技術導入するには向いてたような気もするねえ。

無題
Name 名無し 16/06/24(金)00:04:33  No.1176741 
何はともあれ自前の航空機で戦い抜いた(?)のは誇らしい事なんですが、こういう生産設備は海外製、根幹部品も海外製品ライセンスというのを見ると、身の丈に合わない戦争に足して、とんでもない無理な戦争をやったものですね。
生産現場で現状を知ってたり、アメリカの工業を少しでも知ってる人であれば、開戦の報にどれだけ絶望したんでしょうか…。

無題
Name 名無し 16/06/24(金)09:30:27  No.1176778 
>造りやすさや機能を優先したため、稼働率の良い飛行機をよくもあれだけの数造ったものと、うらやましく感じられた

生産性の良い製品を大量に作るのは、大変な技術力が必要ですからね
航空機と関係ないかもしれませんが、百式短機関銃とステンガンを見比べると(生産数も)なるほどと納得してしまいます

無題
Name 名無し 16/06/25(土)00:11:12  No.1176905
>生産性の良い製品を大量に作るのは、大変な技術力が必要ですからね

「(機能を限定した)生産性の良い(優秀な)製品」というのは、往々にして複雑化の反動から生じますから、先ず複雑な物を作れる技術力あってこそなのでしょう

無題
Name 名無し 16/06/24(金)20:06:32  No.1176857 
 ドイツからの技術導入の話を聞くと、そのまんま、戦後の日本国有鉄道のディーゼル機関車開発の歴史とかぶるといつも思う。
 国鉄DLも様々な点でドイツの技術や製品、部品を参考にしたりしながら進んでいったが、中にはうまくいかなかったモノもある。平成に登場したDF200でさえ初期型はドイツ製エンジンだったりする。
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1175303.htm

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