無題 Name 名無し 16/05/18(水)03:53:25 No.1170186
(画像引用元)wikipedia
日本陸海軍の対空火器について語ってみませんでしょうか?
大戦後期半ば役立たずのような扱いを受けている八八式高射砲ですが、数がある分意外とたくさんのB29などの連合軍最新鋭機を落としている(下手したらB29を一番撃墜した兵器)のを見るになかなかいい兵器だったのではないかと思うのですが…
やはりそれでも数が足らなかったのは事実ですが…
無題 Name 名無し 16/05/22(日)20:43:35 No.1171117
三式高射砲や長10センチ高角砲がもう少しあれば…
っていうか長10センチも高角砲の割りに砲身寿命短すぎるよね
無題 Name 名無し 16/05/22(日)22:30:23 No.1171141
撃ちまくって内筒交換も頻繁にやるって意気込みじゃないと…
ドイツと違って前線への輸送に船便挟むのがつらいところだが
高射砲が苦手な低空襲撃で暴れ回られたソロモンやニューギニア戦考えると
やっぱり欲しくなる中口径機関砲
無題 Name 名無し 16/05/23(月)00:30:03 No.1171154
>>中口径機関砲
もしかしたらVTよりも、ほんとこれ。
艦載機銃においても、敵艦爆が投弾前に撃てるボーフォースと投弾してからじゃないと有効じゃない96式の差はもう。
良くて刺し違えなので、対空火器が確実に削られちゃう。
高射砲に関して言えば、やはり準備時間せよ火器管制にせよレーダーとの連携などもあるけど、何釣っても数じゃないすか。
詳細な数は覚えてないけど、日独の砲の生産数って物凄い開きあったよね。
無題 Name 名無し 16/05/23(月)12:45:36 No.1171202
>良くて刺し違えなので、対空火器が確実に削られちゃう。
チモールの飛行場大隊で蘭軍鹵獲ボフォースの砲手やってた方から聞いたんだけど、やはり他陣地にあった自軍の20ミリより射程が長いから良かったって言ってました
ただし、こちらに向かって来た時は勇敢な人程死んじゃうとも
最後まで射撃していた支那事変従軍の古兵は戦死したけど、私ら下っぱは向かって来たら砲の下に掘った掩体にすぐ逃げ込んだから生き残ったんだそうで
相手はB25やボーファイターで低高度襲撃ばかりだったけど、落下傘爆弾ではなかったそうです
ディリにあった高射砲が何度か敵機撃墜したそうで、B24がバラバラになって墜ちるのを見たそうな
日本の高射砲兵の前線戦記があまりないので、語れる事は少なそうですね
無題 Name 名無し 16/05/23(月)16:35:10 No.1171224
>艦載機銃においても、敵艦爆が投弾前に撃てるボーフォース>と投弾してからじゃないと有効じゃない96式の差はもう。
ボーフォースは20?クラスの機銃と高角砲の間のブランクを埋めてくれるからね
そりゃ日本艦と米艦で、どっちが濃密な弾幕張れるかって言ったら簡単に答え出ちゃう
しかし日本がボーフォースを国産化して艦艇に積んでたとしても、それを有効に使えたかどううかは分からんね
無題 Name 名無し 16/05/23(月)17:47:03 No.1171230
>しかし日本がボーフォースを国産化して艦艇に積んでたとしても、それを有効に使えたかどううかは分からんね
Mk.14もMk.51もないしなあ
無題 Name 名無し 16/05/23(月)12:34:02 No.1171199
25mm単装は命中率が良かったので戦争末期の主力対空機銃になった
理由はいろいろ言われているけど一人で照準するので見越し角がない場合
当てやすかった事と設置が簡単だったためらしい
無題 Name 名無し 16/05/23(月)14:10:58 No.1171214
>役立たずのような扱いを受けている八八式高射砲ですが
砲自体は1920年代開発でやや時代後れの感はありますけど高性能な高射算定具が与えられてからは精度は以前とは比べものになら無いほど向上したようですよ
また地上部隊への射撃も行った他に艦載型もあり、それだけ使いやすい砲だったんでしょうね
無題 Name 名無し 16/05/23(月)14:38:54 No.1171218
日本だけに限らないんでしょうけど最新砲とは別に旧式砲(語弊がありますが)を「扱いやすいから」の理由で戦争末期に再生産したり再整備の上配備してたりしますけど比較的有効だった例もあるようです
一例ですが写真の四十五口径十年式十二糎高角砲(E型、砲塔付)もそうで
多少旧式ではありましたが丙型・丁型海防艦に大量配備されています
(昭和17年から再生産)
無題 Name 名無し 16/05/23(月)17:38:01 No.1171226
日本の有名カメラ用レンズメーカーの「タムロン」の創業メンバーで新井健之さんと言う方がいらっしゃるんですが(後社長・会長)
実はこの方、大戦中は首都防空の任を担った日本陸軍高射第一師団所属の陸軍大尉さんだったんだそうで
興業銀行で働きながら大学通いしていた若き新井氏、高射砲隊に配属された当初は
「高射砲の理論は、サインとコサインの塊のような式ばかりで本当に驚きましたなあ」
…という有様だったそうなんですが、その経験談がちょっと面白いので引用させて頂きますと
「測高機というもので敵機の高度を測る。ま、光学的レンジファインダーの一種ですが、実際に使ってみると色々具合の悪い箇所が出てくる」
無題 Name 名無し 16/05/23(月)17:39:22 No.1171228
「軍隊と言うのは面白い所で、世の中のあらゆる職業と階層の人間が集まっている。以前は工員であった兵隊もいるわけで、そういう連中が具合の悪い兵器を、自分の勤めていた工場へ持って行って簡単に直してきてくれる。もっとも、東京周辺の配備だからこんな事も出来たのですが」
「航速測定器は敵機の速度を測るものです。来襲するB29の速度を兵隊が測って、時速800キロ以上という大変な数値を報告してくる。爆撃機がそんな高速で飛ぶわけがないと、時速500キロとかに修正してしまう将校が居たが、実は兵隊の測定の方が正しかったんだ。日本上空の成層圏を高速の偏西風、今でいうジェットストリームが吹き荒れて、敵機はそれに乗って飛んでいたのです」
無題 Name 名無し 16/05/23(月)17:40:07 No.1171229
「一番大変な測定器具が高射算定具で、言うなれば光学的かつ機械的コンピューターですな。これで敵機を追跡して、その未来位置を算出するのです。もともとは日本光学製だったが、あまりに複雑な装置で生産がはかどらない。簡略化したものを陸軍の工廠で造ったが、こちらはファインダーを覗いても真っ暗で良く見えなくて困ったものですよ。それに比べて日本光学製のは良く見えました」
「(高射算定具と高射砲の連動調整で)余裕が有れば夜になるのを待って、北極星を目標に、砲口に十字に糸を張って照準、調整を行えば理想的です。だが敵機はいつ来るか分からないし、夜まで待てないとなると昼の星を探すのです。その気になって探すと日中でも見える星は結構あるものですよ。砲と算定具の連動調整で、随分昼の星を覗いたものです」
…だそうで、真昼に東京の空に星を探す、なんて言うと中々ロマンチックではあるんですが当の新井さんらはまさに真剣そのものだったんでしょうねえ
無題 Name 名無し 16/05/23(月)18:04:30 No.1171231
>なかなかいい兵器だったのではないかと思うのですが…
駐退復座機が貧弱だったとか欠点もあっただろうけど
それでも軽量だったという利点があったし高射砲としてちゃんと戦果も挙げてたわけだから悪い兵器ではなかったと思う
ドイツの88?ほどではないにしても水平射撃にも使えたからそれなりに多用途性があったみたいだし
無題 Name 名無し 16/05/23(月)18:43:11 No.1171239
>>タムロン
ほー、ここは一眼持つと誰しもお世話になるメーカーかもですね。
272E、A09あたり、軽さとか堅牢性は一歩譲るが、性能は調整すれば最高級に匹敵し、価格は中高生でも頑張ればなんとかなる。
その調整もアフターサービスで昔ながらというか、ユーザーと膝詰め合わせでやってくれる。
そんな過去から出来上がったメーカーなのかなあ。
>>ボーフォース国産化
鹵獲品からやろうとしたけど、終戦時にやっと出来上がった感じだね。
ただ、戦時下に3年ちょいで部品から何とかしろと言われれば仕方ない感じもするかな。
4年も戦争したというけど、開発する側にしてみれば4年しか無かったんだよな。
こういう手数の違いは、いろいろこさえてる味方が世界中に居たり、普段からカネが唸ってて「無駄な研究開発」してる側が有利だよね。
無題 Name 名無し 16/05/23(月)02:04:52 No.1171164
性能も数も足りないで済んじゃう簡単な話なんでつまらないんだよね先次大戦の日本側の話
結論がわかっているのになぜ何度も話を蒸し返すのかいまいちよくわからない
無題 Name 名無し 16/05/23(月)21:27:54 No.1171290
>性能も数も足りないで済んじゃう簡単な話なんでつまらないんだよね
いや、何であんなに生産数が少ないのかわからない
戦前の製造業の大きな問題点の一つが大量の零細下請けで、でも火砲は工廠の一貫生産の筈だから生産増強に当たっての問題は少ない
一方砲弾は二次請け三次請けまで、ほとんどの工程が下請けで行なわれている
1941年の大阪造兵廠の砲弾下請け255社のうち180社が社員50名以下
この時期中小企業には公差の概念が無い
こういう砲弾生産に比べれば火砲生産は恵まれている筈なのに何故生産数があれほど少ないのか
無題 Name 名無し 16/05/23(月)21:46:11 No.1171304
すいません、上記訂正です
大阪造兵廠の一例ですが火砲も下請け率70%いっていました
ライフリング加工も下請けでやっていた工場があったようです
無題 Name 名無し 16/05/24(火)15:45:05 No.1171386
>この時期中小企業には公差の概念が無い
どんな感覚でモノ作ってたんだろう
会社によって「この程度の誤差なら大丈夫」っていう基準がまちまちだったんかな
無題 Name 名無し 16/05/24(火)18:17:03 No.1171405
高射砲は歩兵砲なんかと比べるとはるかに高級・特殊な部類のもんだし
難しかろうな
無題 Name 名無し 16/05/25(水)00:06:05 No.1171542
>どんな感覚でモノ作ってたんだろう
「……従って何を作るにも図面らしい図面は使っておらず、寸法の観念が全くなく、いわんやゲージを使うことなどは思いもよらない。材料の良否も考える余地はなく、安くさえあれば強さや耐久力はどうでも宜しい。工作法も公差であるとか、間隙であるとか、七面倒くさいことは考えず、全く勘でやっている。形さえ出来て、廻るところが廻り動くところが動けば満足しているのである」
「日本機械工業の基礎構造」 豊崎稔著より、藁谷造船中佐の中小機械工場の状況を総括した言葉です
無題 Name 名無し 16/05/25(水)02:03:09 No.1171566
>>全く勘でやっている。 ~ 動けば満足している
動力が貧弱なハンドメイド時代なら、それで十分いいものが作れたし、人類はずっとそうやってきたんだよね。
むしろ、それで動くものを作れる老練の経験と感覚が評価されたし、親方衆の誇りや次世代の教育方針もそこにもあっただろうし、大学教育の行き届かない地方だと、逆に図面頼みのやり方や工作機械への反発もあったんじゃないかな。
本田宗一郎氏も丁稚時代、そうやって機関車を直したりしてるわけで、まだそれで十分、機械文明の役に立てる時代だった。
本多氏は、後にそれに飽きたらずに次の時代を開いていったわけだけど、何処の国でもそういう切り替わりの時代があったんだろうね。
無題 Name 名無し 16/05/25(水)00:17:25 No.1171543
儒教の国である特亜でならあり得るだろうけど
職人の国日本でそれはない
もっともらしいソース元書いているけれど
入手困難な物なら実質的な信用性が無い書き込みだね
無題 Name 名無し 16/05/25(水)00:21:34 No.1171544
品質管理手法が戦後アメリカから導入されて、やっとまともな質のものができるようになったのは常識だろ。
無題 Name 名無し 16/05/25(水)00:44:32 No.1171548
>入手困難な物なら実質的な信用性が無い書き込みだね
戦前の機械を見てみると良いよ
日本工業大学敷地内の工業技術博物館がお勧めです
池貝の旋盤を、横に置いてあるコピペ元のドイツ製旋盤と比べてみると、悲しくなってくるよ
それでも池貝は当時日本では最高品質の機械を作るメーカーだったんです
"製造途中に複数回の寸法検査工程がある"って特筆されていた優良メーカーだったんですよ
無題 Name 名無し 16/05/25(水)00:48:27 No.1171550
その割にはお隣さんでは到底無理なお船や飛行機や戦車を作っていたのはなぜでしょうね
無題 Name 名無し 16/05/25(水)01:00:30 No.1171552
お隣さんてのは国民党中国のこと?
このスレの話題に上っているのは先進国の話で、中国共産党にすら敗北するお国の話じゃないですよ。
製造工程を言えば当時のドイツも似たようなもので、マイスターの手から作り出される部品精度は優秀であったものの、同じ兵器の同じ部品でも交換がきかないようなことがままあったとか。
それよりもひどかった日本は更に貧して鈍し粗悪品の山を作ってしまったと。
>「日本機械工業の基礎構造」 豊崎稔著
現在でもアマゾンなどで入手可能です。
無題 Name 名無し 16/05/25(水)01:24:50 No.1171557
話しを高射砲に戻して
一技研造兵廠現地懇談会決定事項(火砲関係第1回)アジ歴レファレンスコードA03032106400
見てみると、生産簡略化のためにとローレット加工をいちいち止めていて悲しくなってしまいますが、手鍛造の工程が多いのが気になります
あと試製十二糎要地高射砲は面倒そうな鋳造部品があったと見えます
無題 Name 名無し 16/05/25(水)01:52:53 No.1171564
設計においては基礎技術力の不足からくる応用力の欠如
生産においては国内産業基盤の未熟とシステム構築の遅れ
当時の日本の産業、技術は尖ったピラミッド図のようなもので最高値で列強に届いても平均値では劣るような状態
無題 Name 名無し 16/05/25(水)12:03:51 No.1171617
自動車をみると日本国内メーカーが安定的に生産できるようになってきたのはずいぶんと最近のようですね
しかし
>>安くさえあれば強さや耐久力はどうでも宜しい。
工作法も公差であるとか、間隙であるとか、七面倒くさいことは考えず、全く勘でやっている。形さえ出来て、廻るところが廻り動くところが動けば満足している
程度の割には意外にも大量生産できて、大戦初期には善戦できたのはなぜなのでしょう
兵器弾薬はすべて輸入品だったのでしょうか
無題 Name 名無し 16/05/25(水)12:16:21 No.1171620
そりゃ熟練した工員がある程度時間をかけられ、さらに平時からのストックがある開戦時は恵まれていて大丈夫だけど、増産増産で急激に負荷がかかったり、熟練工が徴兵されたり新工場開設のために引き抜かれて
そういった余裕が失われ、さらにそれを穴埋めするシステムが構築できなかったからだよ。
国や産業の強さは、危機に陥った時初めてわかる
無題 Name 名無し 16/05/25(水)12:18:08 No.1171621
大量生産できたのは間違いない。
戦前の日本の国力はGNPで既にフランスを凌駕する水準には達していたのだから、その程度の国力はある。
ただ相対的に航空機の他国との生産実績を比較したとき、日本は列強の中でイタリアのひとつ上ぐらいの順位でしかなく、作ったものの歩留まりが悪かったということ。
無題 Name 名無し 16/05/25(水)12:27:21 No.1171622
対米開戦の時点で中国戦線はずっと続いていたからなぁ
それなりの生産体制はあったが、対米戦が長期戦必至となるとあれこれとにかく間に合わなくなった
作っても届かないからさらに状況が悪化(繰り返し
無題 Name 名無し 16/05/25(水)13:22:41 No.1171632
>>No.1171542で豊崎稔氏が言っていたのはいつの時代のことなんでしょう
工業力に劣る日本はすぐに力尽き粗悪品になっていきましたが、図面もゲージも公差もなく全国の下請けがおのおの勘で生産しているものならば、当時の規模の兵器は稼動できないと思うのです
工業力に劣り戦争に負けたのは事実ですが、当時の軍備から考えて本当にその程度の工業だったとは考えられないのです
無題 Name 名無し 16/05/25(水)13:28:28 No.1171634
公差って発想すら持ってなかっただろうし
「大量生産」という概念そのものがちゃんとあったかどうかすらあやしい
無題 Name 名無し 16/05/25(水)13:44:15 No.1171635
アメリカで初めて日本の生産力を工業的脅威と正面切って警告した論説は、1936年フォーチューン誌9月号。
日米貿易摩擦の始まりだった。
映像の世紀でも取り上げられたから有名だよね。
無題 Name 名無し 16/05/25(水)16:50:18 No.1171676
>>アメリカで初めて日本の生産力を工業的脅威と正面切って警告した論説は、1936年フォーチューン誌9月号
それが本当なら図面がない公差の概念がないというのは怪しいですね
少なくとも1920~30年代のことではないのでは?
無題 Name 名無し 16/05/25(水)17:04:48 No.1171681
>工業力に劣り戦争に負けたのは事実ですが、当時の軍備から考えて本当にその程度の工業だったとは考えられないのです
世界の傑作機「九九式艦爆」で元空技廠の人が寄稿してたけど
「町工場に部品の注文出したら、規格不合格品だらけで閉口した。しかもその工場の連中が『なら規格外品として安くしまっせ!』と言ってくる始末」
「航空機には規格外品なんてないんだといっても理解してくれなかった」
とある
そんな程度だったみたいよ
無題 Name 名無し 16/05/25(水)17:26:42 No.1171688
>「町工場に部品の注文出したら、規格不合格品だらけで閉口した。しかもその工場の連中が『なら規格外品として安くしまっせ!』と言ってくる始末」
松下幸之助が飛行機受注したときも同じような話あったね
無題 Name 名無し 16/05/25(水)18:24:08 No.1171696
>松下幸之助が飛行機受注したときも同じような話あったね
戦時中の松下飛行機の九九式練習用爆撃機一二型(明星)での話ですね
(前略)合格不合格が続く。すると工場のおやじさんがやってきて「監査官、この品物、あきまへんか?」「不合格だ」「さよか」と暫く考えて「よろしい、値引きしますよって、二級品でとっとくれなはれ」「冗談じゃない、飛行機に二級品はないんだよ、だめだよ」
「さよか、あきまへんか」といった具合である(以下略)
[世界の傑作機 九九艦上爆撃機]より
無題 Name 名無し 16/05/25(水)18:51:09 No.1171698
>何処の国でもそういう切り替わりの時代があったんだろうね
昭和19年発行の婦人雑誌「主婦之友」10月号に、家庭での航空機部品生産についての記事が載ってるそうなんですが、曰く
「飛行機1台に約3000の部分品がいる(略)その部分品の内には、家庭でも作れるものが約半数はある。このやうに家庭でできるものの製作までも、工場にだけまかせてゐてよいだらうか」
「すでにかうした決意に燃えて、家庭で、或は隣組工場、町会工場などで、黙々と航空機部分品を作ってゐる主婦たちは少なくない」
…んだそうで
無題 Name 名無し 16/05/25(水)18:53:30 No.1171699
(画像引用元)ふたばちゃんねる
そしてある家庭での一例を紹介してまして
「東京都小石川区(現文京区ですね)指ヶ谷町の村越さん一家の家庭工場は、玄関の土間を改造した戦時型一坪工場である。親の代からの焼麩屋をなげうって、まづ勝つための増産へと敢然転向したご主人をたすけて、奥さんも妹さん達も今では立派な熟練工だ」
「4台の小型旋盤は、終日勇ましい進撃譜を奏でてゐる。単調な螺子切り作業も重要な航空機部分品の一環である。この一坪工場の建設費は僅か百円。しかも家族4人の収入は一月千円に近いといふから素晴らしい」
…んだそうな
焼麩屋さんが転職して自宅で航空機部品を作るとか、今の私らの感覚で見るとちょっと微笑ましい感じさえあるんですけれどw
逆に言えば今の感覚で見ればおかしいように思える事でも、当たり前な時代であった証左でもあるわけなんですな
無題 Name 名無し 16/05/25(水)04:24:41 No.1171573
パラオ上空で高射砲直撃、墜落するB24
https://www.youtube.com/watch?v=lioRCye2Dug
前線じゃ敵も味方も必死だったろう・・・
無題 Name 名無し 16/05/25(水)18:56:21 No.1171702
>パラオ上空で高射砲直撃、墜落するB24
こういう風に敵機に直撃した場合、高射砲弾の信管は同時に爆発する瞬発信管で有ることが望ましいわけなんですけれど、戦時中首都防空の第10飛行師団参謀だった山本茂男陸軍少佐さんの回想によりますと、首都防衛の第1高射師団等では時限式の曳火装置と瞬発機能の両方を備えた「曳火瞬発信管」を使用していた所、1944年12月の対B29の防空戦で、偶々不発だった同信管付の高射砲弾が新宿付近に落下しまして、瞬発機能が作動して炸裂し死傷者を出す事例が起きたそうで
以後危害予防上「曳瞬信管」は使用を取りやめ、時限機能のみの「曳火信管」だけを使用する取り決めがなされたんだそうで
無題 Name 名無し 16/05/25(水)18:56:55 No.1171703
山本参謀さんによれば、
「これでは空中不発弾(稀な事である)の落下に対しては安全であるが、B29の翼に命中しても所要秒時経過しなければ炸裂しない為、7センチか10センチの穴を明けるだけで、触発による瞬発がないため命中効果がきわめて減退されたのである」
「以前、(日本)陸軍の双発の97重爆で重慶爆撃をやり、翼に高射砲弾2弾3弾くらい受けても、悠々と帰ってきた例がかなりあるのであって、4発のB29においては炸裂しない高射砲弾ならば、数発くらい命中しても、なんら致命傷にならないと思われる」
…と、いかにも元ヒコーキ屋さんらしく自らの経験に基づいて危惧されてたそうなんですが、ここら辺まあ、ホームグラウンドでの戦いならではの気苦労って所でしょかね
無題 Name 名無し 16/05/25(水)22:03:07 No.1171736
>偶々不発だった同信管付の高射砲弾が新宿付近に落下しまして、瞬発機能が作動して炸裂し死傷者を出す事例
あの混乱した状況下で、友軍砲弾による事例だとよく判別させましたな!!大した努力と几帳面さだと感心してしまいます
>触発による瞬発がないため命中効果がきわめて減退されたのである
旧軍が国民の安全に対してちゃんと配慮していたという証左ではあるのでしょうが、それと同時に機械式信管の限界というか、日本の対空能力の限界も感じられますな
無題 Name 名無し 16/05/26(木)01:46:03 No.1171773
当時の対空砲や航空機って、今で言う10式やF2みたいな最先端兵器でしょ。
対米戦前なら、重工や工廠の生産数に合わせた定数で回せてたわけだよね。
そこへ対米開戦となると、当時の日本の工業規模だと、末端の末端の更に末端までの総動員でも、喧嘩にならないくらいだったんじゃないの。
今で言ったらホームセンターの工作室にまでF2部品作らせるような、そういうレベル以上の、なにかでも作れるやつは片っ端からな動員だったんでは。
無題 Name 名無し 16/05/25(水)22:06:33 No.1171739
>No.1171699
今更気づいたけれど、こういうオチとはw
これ戦時中のものなのでしょうか??
無題 Name 名無し 16/05/27(金)02:46:08 No.1171940
>これ戦時中のものなのでしょうか??
戦時中に連合軍側が作成した宣伝ビラですねい
この手のは捕虜や日本研究者等の協力を得て様々なモノが作成されてまして、クスッと来るようなのからコレ絶対に日本文化を誤解してはる!って突っこみたくなるものまで、実に多種多様で面白いですよw
>当時の対空砲や航空機って、今で言う10式やF2みたいな最先端兵器でしょ。
対空砲の信管にも従来の火道式と、より進歩した機械式(時計式)があるわけなんですけれども、日本陸軍も昭和5年に中口径高射砲用として94式S型機械信管を多数制作してたりするんだそうで
ただこの信管、後に発射しての作動検査で、成績不良が続出して問題になったそうなんですな
無題 Name 名無し 16/05/27(金)02:46:41 No.1171941
原因は単に機械式では高空で確実に作動する筈と言うメリットのみに目を向けて、砲内諸元の影響や安全装置、分画測合装置等の精度に関する研究がおざなりだった事だったそうなんですが、この反省を踏まえて昭和14年に改めて新型時計信管を民間の時計製作企業に製作依頼するんですが、これが当時の精工舎、今の時計のSEIKOだったりするんだとかで
昭和14年12月には試製99式機械信管として現物が完成、88式7センチ野戦高射砲を用いて試験が行わっるんですが、この時は発火率等にまだ問題が有り、制式採用はならなかったものの、静止状態における作動精度は良好だったため、時計装置の各部品の軽量化を図り強度を上げて信頼性を増した試製100式機械信管が発注されちょります
そして昭和15年5月に完成した100式機械信管の試験結果は非常に良好で、めでたく制式採用と相成ったそうな
無題 Name 名無し 16/05/27(金)02:48:56 No.1171942
この100式機械信管、時限装置と着発機構も兼ね備えた優れモノで、9式8センチ高射砲及び3式12センチ高射砲用として、制式制定後には精工舎他4社と陸軍の造兵廠で量産が開始され、埼玉県南桜井村に機械信管専用大工場の建設も始められたんだとか
ただやはり精巧な機構故に増産は思うにまかせず、所要量を賄うには至らなかった他、バレンパン防空戦で着発の過早作動が多発したため、作業班を送ってせっかくの着発活機を除去してたりと、その後も色々苦労は絶えなかったそうなんですが
やはり敵機命中の際瞬発機構は威力上望ましいとして、瞬発機構を付けた改良版の2式機械信管も制定され、有名な久我山の5式15センチ高射砲の4式高射尖鋭弾(閃)にもこの2式機械信管が採用されてたんだそうな
音速を超える初速で撃ち出されて、毎分一万回以上で高回転する砲弾の中で確実に作動する時計機構を弾頭の中に納まるサイズで、砲弾の数だけ確実に量産するとか、当時の民間レベルのお仕事ではまず有り得ないキビシイ要求なわけですけれど、逆に言えばこういう経験がその後世界的な時計メーカーにまで伸し上がる足腰を鍛えたと言えなくもないのかもですな…w
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1170186.htm
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コメント
やはり戦争というものは技術を進歩させるんやな・・・
まだ民製品を容易に軍事転用できた時代だから
戦時中の大量生産の経験と工作精度等への反省は各所・各人にあったが
それを生かすだけの工業力が回復してなかったところに、戦争がはじまり
米軍には日本を生産・整備拠点にする必要が生まれた。
で、米軍がアメリカ流の大量生産と品質管理のやり方を日本にもたらしたところ
なるほど、あの時こうすればよかったんだ! と業種や会社や社会の上下を問わず理解された。
品質管理が社会の上層部からとかじゃなくて、一気に社会的に受容されたのが大きい
持病のスレ画を八九式中戦車に載せたい病が・・・!
(なお中退器)
ソースは不明だけどさ
それにしても国力の限界ってそういうところなら出てくるんだなあ、と
途中の町工場の話は笑えるようでいて笑えないですわこれ…
日本の技術力!とは言うもののやっぱり欧米には勝てないのかな、いまも昔も
それデマな。戦中は9割が国産工作機械。
アメリカ製の工作機械が6割ってのは輸入した工作機械のうちの6割がアメリカ製というだけ
①火砲の生産の大半を担った大阪陸軍工廠の生産記録が昭和17年10月時点の物しかあまり見つかっていない。つまり大半の砲の生産数は昭和17年10月までのもの。佐山二郎さんの本を参照されたし。
②旧軍の火砲は民間でも大量に作られていたという、海軍とは決定的に異なる事情を持つ。
陸軍兵器行政本部「造兵廠の現況」によると、官が30%で民が70%と、多くを民間の町工場に作らせているが、それらは大阪陸軍工廠の生産数に合算されていない。
一例で上げると、九五式野砲は318門とされていた生産数が、民間生産分を足したら548門に増えたりした。
しかも大阪陸軍工廠の318門だって昭和17年10月までのもの。
こういった事情から、旧軍の砲生産分は参考程度にしかならない
「戦争というものは技術を進歩」というより、軍事っていう一転にのみ偏って技術成果を発現させるだけのような気がする。
戦争期間中は基礎研究や軍事に関係ない研究が停滞してるし。
言い方が悪かったわ。
当時だって日本はソ連に工作機械輸出してたりもしてるし、別に日本の工作機械が全くダメって言いたかったんじゃないんだ。
ただ欧米の工作機械の精度が日本より単位1つ2つ優れてた昔と違って精度がトップクラスの工作機械なんかを逆に欧米に輸出してるってこと。
まず日本と欧米の工作精度については安心して欲しい。
反面、生産力という点に於いては残念ながら及ばない部分がある。
これは機械生産の現場においても熟練工に頼る中小企業が多く、マニュアル化が進んでいないせい。
但し、工業製品となると話は変わる。
特に自動車メーカーや工作機械、測量機器等は世界においてもトップシェアを持つ程に生産効率・品質共に高い。
また多くのメーカーが海外拠点を設けているが、これは簡単な訓練で生産できるようマニュアル化が進んでいる証でもある。
とはいえ工業製品生産未経験の業者に生産を委託するのは恐らく日本も欧米も厳しいと見て良い。
まぁ現在の造船業界でも「中国の造船所にブロック頼んだら大きさがメートル単位で違ってた!」とかいう話もあるし、大きさとか穴の位置とか違ったらある程度は現場でどうにかしちゃうもんよ。
そして末期の戦況ならとりあえず数をそろえて玉砕するまで使えれば良いわけだから、無理やりでも使えれば予備とか交換部品とかは二の次三の次になっちゃうのじゃない?
生産量が少ないってのも、粗鋼生産量が少ないのにただでさえ鉄を沢山使う船とか軍艦とかを沢山作ってればね~・・・
コンクリート船とか作ってる国に戦車や大砲に回す良質な鋼材がどれほど残されていたのやら?
同じメーカーでも工場が違うとネジが合わないこともある。
こんな状態で大量生産など出来ようはずもない。
昨今煽り上等で低レベル化する老舗サイトも多いし、ここには期待しますよ。
日本はどのくらいだったのだろうか?
ドイツは88mmで三千発弱もしくは四千7百発あたりで一機撃墜してたらしい
データが複数あってわからない
日本のデータはないものか
下手な本よりよっぽど詳しいからねあそこ
読み物としてもかなり面白いし
鉄があっても生産ラインの拡張がそれに追いつかないんだが?
史実を見ようぜ
大阪陸軍工廠なども限界まで生産した上で、足らんから民間の町工場に仕事を依頼してる
軍艦一隻分の鉄が増えたところでその鉄の分の陸軍兵器はまず作れない
何より補給線が持たないっす
ドイツは3000億ドル弱
イギリスは3000億ドル超えてた
ソ連は4000億ドル超え
アメリカは余裕の1兆ドル超え
そら枢軸は負ける
順当に負けた図式
なんで今では世界有数の工業国になれたのか不思議でしょうがない。
自分自身、中小化学工場勤めだけどバンバン輸出用に化成品作ってるし
親会社は高機能吸収剤(オムツとかに使用)で世界トップシェアだし・・・
軍事系とは離れるので自信が無いが、戦前や戦中は工業製品を作りたくても不安定な国際情勢のために原料となる各種資源の輸入に不安があり、また製品を作っても輸出貿易がブロック経済の影響をモロに受けて販売先が国内+植民地に限られるので成長が抑制されたとかありそう。
今で言えば輸出入先がアフリカの中小国か経済を政治的な道具として使う気満々のロシアや中国みたいな国しか無いような状態。
非常に安直にまとめると
「国内の需要も限られるし国際貿易は腹黒紳士ばかりでやってられん!」
→「軍拡で官需主導の需要創出や! 軍艦作るのも飛行機作るのも手間隙かけて雇用を確保するで、ついでに砲艦外交と植民地進出で経済圏確保の一石二鳥や!」
→「官僚仕事で生産性が上がらんし外国に嫌われて輸出入が低調や、どうにかするためにもっと軍拡するで」
→「軍拡で大陸市場を手に入れたけど国内は財閥による寡占状態で英米仏に嫌われて国際貿易は虫の息じゃ、むかつくから米国に宣戦布告したろ」
→「あれ? 官需と植民地前提で競争力の無い国内産業じゃ米帝に勝てないんじゃ… 日本\(^o^)/オワタ」
な感じ。
一方戦後は
「焼け野原で国内需要は旺盛だし西側に入ったから国際貿易はやりやすくて片手うちわじゃ」
→「朝鮮戦争や国際的な船舶需要増加、技術革新の波に乗って作っても作っても足らんわ~、生産拡大投資増強労働者は金の卵や!」
→「米軍に守ってもろうとるんで戦前軍拡に使った分国内インフラに投資したろ、投資した分だけ国内需要と生産能力が増えて企業競争も活発になってきたで」
→「石油危機とか日米貿易摩擦とか面倒なこと増えてきたわい、ちゃんと技術力で勝負して文句言われんようにせんとな」
な感じ。
戦前に工業力つけようとしても当時の閉鎖的な国債貿易環境では限界があったわけよ、日本が工業国になれたのは冷戦時代の経済環境があってこそ
機甲入門で見たと思うけど、根本的に鋼材の生産量が足りない気がする
あと中口径機関砲で言えば試製九四式37mm高射機関砲がある
こいつはバネが問題だったとか。一式三十七粍高射機関砲もバネが問題だった気がする
戦前の火砲開発は大体はフランスのシュナイダー便りで(稀にドイツのクルップ)
スウェーデンのボフォースには全く見向きもしてないけど何故でしょう?
単純にコネがなかったからじゃないかなぁと
フランスには幕末以来のコネが長らく生きてたし(徳川ファルマンなんかもこの流れ)、ドイツには普仏戦争でフランスがワヤになった時にあわててパイプを作ってみたり
で、火砲系ならこの独仏を押さえておけば問題なかったはずなんだけど…
ちなみにスウェーデンのボフォースの台頭は、本国がワヤになってドイツから大量に技術者が流れてくる第1次大戦後のこと
この辺考えると、イ式重爆の大量導入とか零戦のエリコン機銃採用とかは、日本の兵器史の大事件だったんだなぁと思わされたり
あと戦前に旧海軍がイギリスのビッカースから毘式40mm機銃(ポムポム砲の砲架に載ってるアレ)を購入してるんだけど、これが思いの外使えなくて、それ以来中口径機関砲は信用されない流れになっちゃったんだそうです
あと旧陸軍が中口径機関砲を採用しなかった件については、恐らく単純に人力で運べない兵器を嫌ったからではないかと(あと当時の戦闘機は多銃主義と大口径主義でケンカしてた時期なので、それで機関銃を上に向ければいいやと考えたのかも)
実のところ、陸軍が新型野砲や新型軽榴弾砲を導入しようとした1930年よりちょい前は
シュナイダー社>>>クルップ社だった
アメリカ軍の主力重榴弾砲M1917Cはシュナイダー社の設計
これはでかいね
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