無題 Name 名無し 16/05/21(土)13:49:59  No.1170839

ゼロの残照~大日本帝国陸海軍機の最期~ (終焉の日本陸海軍軍用機写真集) 

疑問です
太平洋戦争で陸軍が25000機、海軍が27000機を喪失してるそうですが、100~200機の損害でも前線航空隊が無力化したりしてます
さらにそれ程の被害を受けた海戦や空襲は数えるほどしかないのにどこで5万機も失ったんでしょう(特に陸軍など)

1300日で割ると1日平均40機喪失ですが、航空戦は常に行われていて毎日撃墜されてたのが積み重なったんでしょうか?

ゼロの残照~大日本帝国陸海軍機の最期~ (終焉の日本陸海軍軍用機写真集)
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無題
Name 名無し 16/05/21(土)14:09:14  No.1170852
飛ばす前に飛行場を制圧されたりとか…

無題
Name 名無し 16/05/21(土)14:15:05  No.1170853
損失の内半数以上は撃墜ではなく、事故と地上撃破、耐用年数過ぎての廃棄。
これはどこの軍でも同じで、撃墜の方が多いのは英軍くらいじゃないかな?

無題
Name 名無し 16/05/21(土)14:25:05  No.1170858
何処かに戦闘損失と事故や経年劣化での損失数の比較があった気がします
相当数が戦闘以外で失われていたようですし、戦記でも事故の描写が多いですね
特に離着陸時の重大事故では脱出も難しく、陸攻なんかだと離陸失敗・駐機へ激突で乗員が黒こげになってたとか…

無題
Name 名無し 16/05/21(土)14:47:45  No.1170866
>地上撃破

これはまとまった数であれば戦いや空襲の結果としてやはり触れられると思います

>事故
>耐用年数過ぎての廃棄。

なるほど
この数字知りたいですね
割合が大きければ全体の損失のイメージが出来そうです

無題
Name 名無し 16/05/21(土)14:54:06  No.1170871
内地で訓練して士気も練度も旺盛いざ前線へ移動となったけど
航法の些細なミスで中隊丸ごと何もない海の上をさ迷った挙げ句エンジン不調で脱落したり絶望して自ら海に突っ込んだりして欠けてゆき、最終的に不時着地も見つけられず全機燃料切れ墜落とか嫌すぎる

よしんば前線の飛行場にたどり着けても直後にB24に空襲されて全滅とか
整備機材が届かずに2度と飛べないまま粗大ゴミとか
パイロットも整備員もマラリアや赤痢でバタバタとか

無題
Name 名無し 16/05/21(土)15:02:02  No.1170874
月ごとの損失とか見たいねぇ

無題
Name 名無し 16/05/21(土)20:35:13  No.1170931
>この数字知りたいですね
大雑把に2/3が事故その他で失われたらしいよ
まあ軍刀持って乗り込んだら磁気コンパスが狂って明後日の方向に飛んで行ったなんてのは有名な話

無題
Name 名無し 16/05/21(土)21:42:32  No.1170952
>まあ軍刀持って乗り込んだら磁気コンパスが狂って明後日の方向に飛んで行ったなんてのは有名な話
有名なデマだよね。
すぐ目の前にエンジンっていうでっかい鉄の塊があるのに、軍刀ごときでコンパス狂う訳がない。

無題
Name 名無し 16/05/21(土)22:10:06  No.1170959
>すぐ目の前にエンジンっていうでっかい鉄の塊があるのに、軍刀ごときでコンパス狂う訳がない。
エンジン→機体に最初からあるからコンパス修正済
軍刀→修正作業中には無かったから狂う

無題
Name 名無し 16/05/21(土)22:16:58  No.1170961
あんま方探やビーコンを利用してないからな…
使ってる描写は本土近辺で既存のラジオ局の電波利用したり
燃料残りわずかの緊急時になってようやく母艦から電波出したり程度しか

無題
Name 名無し 16/05/21(土)15:19:34  No.1170882
東南アジアからアリューシャンまで、その広さを考えれば1日あたり40機は妥当な数字じゃないですかねー。
飛行機なんて飛ばなくても、整備ができないだけで行動不能になるような乗り物なんですし。

無題
Name 名無し 16/05/21(土)15:46:14  No.1170884
>飛行機なんて飛ばなくても、整備ができないだけで行動不能になるような
日本の場合新造機の品質自体どんどん低下していくからな末期になるほど

無題
Name 名無し 16/05/21(土)15:53:01  No.1170885
>東南アジアからアリューシャンまで、その広さを考えれば1日あたり40機は妥当な数字じゃないですかねー。

全域で毎日あっちで1機こっちで2機とすり減っていったんでしょうかね

無題
Name 名無し 16/05/21(土)17:03:30  No.1170896
機体寿命自体も現用機より遥かに短いからね

無題
Name 名無し 16/05/21(土)17:06:04  No.1170897
岩本徹三の本にラバウルからトラック島へ機材補充に行ったら事故で壊れた新しい機体が修理もされずに放置してあったという記述があったな
ラバウルでは機体のやりくりに苦労しているのに勿体無いと思ったそうな

無題
Name 名無し 16/05/21(土)17:29:23  No.1170898
広大な戦線で、仮に20個の航空隊同士で対峙したとして週に3機失うだけで200週間で12000機になるね。
小競り合いだけ考えてもこれだけど、敵を圧倒していれば損害は少ないから機数が増えていくけど、実態は真逆で、数を維持する事が不可能なくらい消えていっていたわけで。
そうなれば、敵はどんどん襲ってくるよね。
「広いなあ、太平洋は」

無題
Name 名無し 16/05/21(土)18:57:11  No.1170914
大量に生産・運用されてた練習機も含んでたら陸海とも5000↑の消耗数が出るんでない
損失航空戦力として含まれてるんかな
とりあえず海軍の損失は
艦載機 5400
基地航空隊 21800
後者のうち
ラバウル・ソロモン方面 7500

無題
Name 名無し 16/05/21(土)19:11:00  No.1170916
瀧山 和陸軍少佐のエピソードによると、すぐに払底して本土からなかなか届かない予備部品を何とかするために小破の機体を中破、中破の機体を大破と報告したり、事故機に搭載されてなかった無線機や機銃を積んでいたことにして帳簿外の部品や機材をストックしていたらしい。
逆に忠実に報告、部品の管理をしていた部隊は稼働率が低下して戦線離脱せざるを得なくなることがあったらしい。

だから、共食い整備で失われたことになった機数も結構な数に上ったんじゃないかな

無題
Name 名無し 16/05/21(土)20:46:35  No.1170936
内地の部隊でも、343空では滑走路の隅に紫電の事故損傷機が山積みになっていた、と「大空のサムライ」に書かれていたな。まあ、戦地に届く前に船ごと沈められた数も結構あるだろうし、不自然な数字ではないと思う。

無題
Name 名無し 16/05/21(土)22:35:26  No.1170964 
零戦を例に挙げると
空母搭載機は100時間、基地航空隊でも150時間の飛行時間で実戦には不適とみなされる。
一回に3時間の飛行としても数ヶ月で耐用時間を越えることになる。

不適と判断された機体は現地での部品供給の他に本土へ還納されて、再整備が施されたあと、練習航空隊や新編航空隊の練習機材となる。
ラバウルなどでは現地で大規模な修理が可能な航空廠が置かれている。

無題
Name 名無し 16/05/21(土)22:50:45  No.1170970
>空母搭載機は100時間、基地航空隊でも150時間の飛行時間で実戦には不適とみなされる
このペースで消耗するんじゃそりゃ日本の生産力で長期戦なんて無理だわな…

無題
Name 名無し 16/05/21(土)23:05:14  No.1170971
>このペースで消耗するんじゃそりゃ日本の生産力で長期戦なんて無理だわな…
ついでにエンジンのオーバーホール間隔も米軍の約半分しかないしね

無題
Name 名無し 16/05/22(日)12:13:19  No.1171035
>空母搭載機は100時間、基地航空隊でも150時間の飛行時間で
>実戦には不適とみなされる
ボディーを木造にしてエンジンを使い回すラヴォーチキンやヤコブレフは正解やったんや!
機体戦場寿命が僅か数週間の東部戦線で、軽合金でボディーを作ってたドイツ軍はバカを見たわけやな。

無題
Name 名無し 16/05/22(日)00:01:45  No.1170984
陸海軍の喪失機合わせてもBf109+Fw190の総生産数に及ばないのが悲しいところで

無題
Name 名無し 16/05/22(日)00:27:32  No.1170991
今の感覚の飛行機や車で考えると損耗ヒドスと思いそうだけど、公道を走る普通車じゃなくて、相当な無理をして性能出してるレーシングカー以上の製品なんだよね。

目的や作りが違うから単純には言えないけど、エンジンパワーだけでも1000馬力越える小型のレシプロエンジンなんて、今でも異常だし。
B29の過給器のタービンだってほぼ使い捨て。
こんなん数百機以上常時飛ばしながら、毎日世界中どっかでレースよりキツイ使い方してたわけで。

無題
Name 名無し 16/05/22(日)09:01:33  No.1171016
>相当な無理をして性能出してるレーシングカー以上の製品なんだよね。

これもイメージの役に立ちますね
現代でもF1や耐久レース等の故障率見れば

無題
Name 名無し 16/05/22(日)03:18:31  No.1171001
1943年1月から7月にかけて、ラバウルに進出して活動した陸軍第6飛行師団の場合ですと
この間の中破以上の航空機の損耗原因は

・戦闘による自爆未帰還…25%
・敵機の地上攻撃によるもの…16%
・空輸中の損耗…5%
・発動機故障によるもの…16%
・飛行場不良による操縦ミスによるもの…38%

…だそうでして、要は連合軍との戦闘による損耗は地上撃破含め全体の4割程度で、寧ろ事故等による損耗の方が多かった、って事になるみたいですな

無題
Name 名無し 16/05/22(日)03:23:23  No.1171003 
また当時は航法用の計器や、機体自体の信頼性なんかも今とは比べ物にならない低さですから、長距離移動飛行自体が危険でして
例えば開戦時に陸軍マレー航空作戦の主役を務めた陸軍第3飛行集団では、まだ開戦前の仏印の基地への移動や輸送船団の護衛任務の間に、悪天候等などにより少なくとも重爆13機・軽爆8機・一式戦3機等を空中勤務者もろとも失うという甚大な損害を受けてたりします

開戦後の戦闘上の損害等も含めれば、最初の一月だけで第3飛行集団は定数156機の内、120機を喪失あるいは損傷させており、陸軍航空隊全般では41年12月だけで240機、42年1月には120機を喪失して1942年6月までに744機を失っておるんですが、言い換えるとこれは開戦時の南方配備の陸軍航空戦力の全力770機の97%が半年ちょっとで消えちゃったという恐ろしい数字だったりするんですな

因みに開戦時に陸軍が保有していた4800機のうち、実際に戦闘に使える第一線機は1600機程度でしたから
すでに消耗の補充は深刻な問題だったんですが、コレがまだ日本が優勢な緒戦の時期の話なわけですから
連合軍の反攻が激しくなって来た頃の状況は推して知るべし、って所でしょかね

無題
Name 名無し 16/05/22(日)03:23:49  No.1171004 
一方海軍サンの方はどうかと言いますとこちらもやっぱり大変で
開戦時に外戦部隊が保有していた艦上戦闘機が361機、艦爆が144機、艦攻が200機、陸攻が324機等の計1350機だったそうなんですが(他に内戦部隊+練習機が1618機)、例えば艦戦は開戦後4ヶ月で282機を消耗してまして、コレを補充する生産機が316機、辛うじて損耗を補充が上回っている状況だったそうなんですが
年度別に全体の損耗と生産を見ますと
1941年12月から1942年3月末(1941年度末)までの間の海軍第一線機の消耗が693機(練習機含めて785機)
この間の生産機数が769機(練習機含め981機)

1942年度では年度初め(1942年4月1日現在)の保有機数が1634機(練習機含めて2195機)
年度間の損耗が2568機(練習機含め2908機)生産機数が3581機(練習機含め4443機)

無題
Name 名無し 16/05/22(日)03:25:16  No.1171005 
1943年度では年度初めの保有機数が2240機(練習機含めて3405機)
年度間の損耗が5610機(練習機含め6300機)生産機数が7695機(練習機含め9952機)

1944年度では年度初めの保有機数が4621機(練習機含めて6496機)
年度間の損耗が9070機(練習機含め1万330機)生産機数が1万1321機(練習機含め1万4161機)

1945年度(但し8月まで)では年度初めの保有機数が6325機(練習機含めて9110機)
年度間の損耗が4992機(練習機含め5962機)生産機数が2492機(練習機含め2840機)

…という数字が残っておるんだとかで、戦争の経過に連れて保有機・損耗・生産数が尻上がりに上昇して行って、最後には損耗をカバーしきれなくなった所で終戦、って事になるわけですけれども、この計約2万6000機の損耗の内、やはり戦闘で失われたのは1万機程度で、残り1万6000機は事故等での損耗になるんだそうでして
先の陸さんのラバウルでの損耗割合にも近いわけなんですが何れにしてもまさに造った端から消えていく賽の河原と言うか何というかオトロシイ数字ではありますな、コレ

無題
Name 名無し 16/05/22(日)08:28:34  No.1171013
アメリカは教育訓練に使う機体も大量に作って運用していたし、レシプロでお馴染みの大量消費するスパークプラグもスペアに悩むなんてありえなかったし
エンジンオイルの質が違いすぎて、接収した古いアメリカ製の物を使うと性能が見違えるように向上したらしい
訓練不足と消耗品の調達困難や性能不足が事故を誘引したんだろうな

無題
Name 名無し 16/05/22(日)08:32:39  No.1171014
おお、詳しい数字ありがとうございます。
かなりイメージが出来てきました

たいして戦闘がなくても前線部隊の機数を維持するだけで大量に送り続けないといけなかったわけですね
よく熟練工を動員したため後半は故障が相次いだと言われますが生産数に対して想像以上に使えない機体も多かったのでしょうね

無題
Name 名無し 16/05/22(日)11:09:32  No.1171029 
ドイツ空軍全史 (学研M文庫) 
ドイツ空軍だと手頃なこの本にデータが載ってたな。
うろ覚えだが、東部戦線に展開するするようになったら事故率が急上昇して、やはり撃破されるのと同等の勢いで事故損耗してたという内容だった筈。
違ってたらスマヌ。

無題
Name 名無し 16/05/22(日)14:12:07  No.1171055 
>ドイツ空軍だと手頃なこの本にデータが載ってたな

「ドイツ空軍全史」では当時の連合軍の事故損耗にも触れてまして
例えばアメちゃんの陸軍航空隊では1943年に米本土内での非戦闘時での大事故2万389件を記録してパイロット2264名とその他の乗員3339名が死亡、翌年にも大事故1万6128件でパイロット1936名とその他3037名が死亡しておるんだとか

保有機数が桁違いな分、事故損耗も比例して半端ない数になってるわけですけど
また太平洋戦線では戦闘による損耗は全体の25%で、残りは天候不順や空母からの発着艦ミス、急造滑走路による事故等によるものだったとの話も残っておるそうで

何処の国でもまあ、楽は出来ないのが当時のヒコーキ乗りさんの宿命なんですかねえ

無題
Name 名無し 16/05/22(日)11:23:27  No.1171031
戦後本土に来た米軍がガソリンかけて燃やしてた日本軍機の山にはこういう訳があったのね
なんだ本土全域丸焼けなのに基地にはまだまだ戦闘機残ってたのかよって思ってた

無題
Name 名無し 16/05/22(日)13:05:28  No.1171039
木製戦闘機なんて木材資源や加工技術が豊富な日本が本気で作ってたら良いとこいったんじゃね
よく燃えそうだぜ

無題
Name 名無し 16/05/22(日)13:06:35  No.1171040
>木製戦闘機なんて
気軽にいってくれるなぁ(画像略
木製戦闘機は接着剤関係とか普通に作るより大変なんだぞ…

無題
Name 名無し 16/05/22(日)13:23:24  No.1171042
木製戦闘機って、金属製のより重くなる(単位重量あたりの強度で軽金属に負ける)ので、日本機に無理して採用しても軒並み航続距離・運動性能が悪化、用兵側が暗黒微笑しながら親指を下に下げるよ。

木製機が使えるのは例えばソビエトのように航続距離が求められないのでその分を使えるとか、高性能を求めないとか、あるいはモスキートのように超絶高性能エンジンが使えて、かつ性能要求を絞ってそこに注力するとか
あるいは二式大艇のようもともと余裕のある設計とかそういったものでないと無理。そして元から極限まで無駄(余裕)を削る日本機にはてんであわない。少なくとも、一から設計思想を考えなおさんと。

無題
Name 名無し 16/05/22(日)13:36:10  No.1171044
>木製戦闘機なんて木材資源や加工技術が豊富な日本が本気で作ってたら良いとこいったんじゃね
資源が潤沢にあったのに、開戦当初から万が一を考えて木製戦闘機を開発してたアメリカ
資源がどん詰まりになるのは目に見えてたのに、敗戦濃厚になってやっと開発し始めた日本

無駄と思えることに保険をかけれるのはリソースの決定的な差だからこればっかりは仕方ないけどな

一方、イギリスは木製!帆布貼り!と趣味に生きてた
まあイギリスだしw

無題
Name 名無し 16/05/22(日)17:09:29  No.1171066
>一方、イギリスは木製!帆布貼り!と趣味に生きてた
工場インフラが材料革新を邪魔してるんだけどね
ホーカーもデ・ハビランドも全金属製がいいのは判ってたけど
新工場作ってまで製造を考えてなかったし
技術者もある物を生かす設計になる

無題
Name 名無し 16/05/22(日)14:10:56  No.1171054
ソ連の木製戦闘機が成功した要因は
・地続きの戦場で戦っていたので互いの飛行場の距離が近く、長い航続性能は要求されなかった。
・シベリアに広大な森林があったので木材調達には困らなかった。
・木材に特殊樹脂を浸透した「デルタ木材」を実用化していた。 デルタ木材は通常の木材の2倍近い強度があった。
・ソ連は化学が発達しており、良質な接着剤を実用化していた。
・高性能エンジンを生産する能力があった。機体重量が少々重くても、それをパワーでカバーすることができた。
 
日本は木材はそこそこ豊富だけど、それ以外の要素が当て嵌まらないから無理だね。
特にエンジンを大量生産する能力が欠けており、木製の機体を大量生産できてもエンジンの生産が追いつかずに、首なし機体が工場の敷地に並ぶだけだっただろう。

無題
Name 名無し 16/05/22(日)13:53:05  No.1171048 
>生産数に対して想像以上に使えない機体も多かったのでしょうね
航空技術廠の飛行部員だった奥平禄郎さんという方の回想によりますと

「飛行機は50時間も飛べば消耗するから、この時間だけ使えるものならそれで良いという思想が昭和19年の初め頃から中央において持たれた。この為粗製品であろうと、不良品であろうと、中央はこれに目を瞑ってしまったのである。せめて100時間も飛べる飛行機が欲しかった。基地まで空輸する間のわずか1時間か2時間で、あちこちが壊れてしまうのであった(略)終戦直前の状況は工場生産機の約30%がどうやら使用できるもので、軍需省生産計画の不適切な机上計画を如実に物語るものであった」

…との事だったそうでして、従って生産数=即補充数とはなり得ませんし、保有数=稼働機数とならないのも常ですから、実際の最前線では後半はもうほぼ消耗が補充を上回る赤字経営が普通だったんじゃないでしょかね、やっぱし

無題
Name 名無し 16/05/22(日)14:08:44  No.1171051 
>工場生産機の約30%がどうやら使用できるもので、軍需省
生産計画の不適切な机上計画を如実に物語るものであった

これは酷い・・・。
生産技術っていう足元から駄目だったんだな。

無題
Name 名無し 16/05/22(日)14:52:21  No.1171058
作ったものの7割がダメとなると
1944年に2万8000機も作ったのに局所的にすら航空力で優勢にならなかったのもうなづけますね

無題
Name 名無し 16/05/22(日)15:03:01  No.1171059
>100時間も飛べる飛行機が欲しかった。基地まで空輸する間のわずか1時間か2時間で、あちこちが壊れてしまうのであった(略)
どんなに米軍機が我が物顔で日本本土上空を飛び回ろうが出撃禁止までして航空戦力の温存に走ったかが分かるよなぁ
何しろ連日邀撃してたら本格的な本土決戦前に損耗し尽くす事になるし

無題
Name 名無し 16/05/22(日)15:28:48  No.1171062
機体と搭乗員だけじゃなく
燃料・弾薬も逼迫していただろう

東南海地震と三河地震による生産拠点の被害や加えてB29による爆撃と、あらゆる面から削り取られていったんだな・・・

無題
Name 名無し 16/05/22(日)17:35:26  No.1171074
>>熟練工の徴用
この辺りは微妙なところで、名人芸じゃないと回せない生産体制があかんかった、と言う話の方にも説得力を感じる。

この辺り、単にカネと時間と人材が足りなくて、生産機械を導入できなかったのと、戦前、機械化は生産現場は嫌がる話だったってあたりが渦巻いてそう。
満鉄なんかが積極的に導入していた土木重機も日本国内だと労務側の反発が強かったとか。

もちろん、始めちまった以上、日本の場合熟練者引き抜きは考慮すべきだったろうけど、徴兵の上は45までだったわけで、老練者は結構残ったんじゃないかな等とも…いや飛行機産業は若いから、上も結構若かったのかな。
まあそもそも、軍需産業ってどれもこれも急拡大かつ未体験の量産を強いられたわけで、国民全体の機械に対するリテラシーやら(これも重要な国力だと思う)、加えて当然カネとモノの量やら研究の普及度合いで結果が大きく変わりそう。
拡大の前後の状況で、技術水準を見るはこれまた問題ありそう。 
アメリカ側だって、工場の指導要員まで払底するのは痛いだろうけど、これも女性や若手に対して必要な教育期間との勝負になってくるね。

無題
Name 名無し 16/05/22(日)17:43:07  No.1171076
>この辺りは微妙なところで、名人芸じゃないと回せない生産体制があかんかった、
碇氏の「紫電改」だったかな?
名人芸ほどじゃないがカウルの空気取り入れ口はジュラルミンの深絞りだが失敗してオシャカにしてしまうのが多かったそうだ
軍から来た監督官に見つかるとぶん殴られるからこっそり夜に海へ捨てたとか
量産機でもこの体たらく・・・

無題
Name 名無し 16/05/22(日)18:01:02  No.1171077 
戦時中静岡県の航空科学専門学校の学生さんで、勤労動員で
三菱の静岡発動機製作所で働いておられた方の話だそうなんですが
工場では星形空冷エンジンのシリンダー取り付け部分の作業を
しておりまして、ボール盤を操作してドリルで穴あけするわけなんですが
普通は穴あけの後に別の機械で面取りする所を、彼に宛がわれた機械だけが穿孔と面取りを一度にやってしまう優れモノだったんだとか

「これのドリルの刃はスペアがないから丁寧に扱えよ」

…とカントクに言われて、航空機増産こそ勝利の要と言うなら、刃のスペアぐらい用意できないのか、他の機械も同じモノにすればいいのに…と疑問を感じた
この方が、ふと油で汚れたプレートを拭ってみますと現れたのは英文で1930年代、約10年前の米国製機械と分かったなんて事があったそうで

まあ色々な面で当時の状況の象徴的な話の一つではありますなあ

無題
Name 名無し 16/05/22(日)19:25:08  No.1171090
だがちょっとまって欲しい
そもそも全金属製航空機の製造技術なんて世界的に見ても30年代にようやく確立されたものだし、平時における生産数は戦時とは比べ物にならないから、そもそも熟練工の数なんて大した数ではないし戦時生産体制に与える影響なんてたかが知れてる……
って古峰文三氏が書いてた

無題
Name 名無し 16/05/22(日)19:30:41  No.1171094
要は金属加工の熟練工一般ということではないですかね?

無題
Name 名無し 16/05/22(日)20:16:57  No.1171107 
中島飛行機なんかは戦前米国のライト社と提携して、生産ライン含む各種技術の導入を図ってるんですけど、中島の社員と一緒に米国視察にいった技官の人なんかは

・生産設備自体が広いこと
・日本にない生産機械が多数あること(中島でも多数を購入して自社ラインに設置してます)
・製品の品質が揃っている所
・作業手順がきっちりしていること。素人にでも分かりやすいマニュアルが用意されていること

…等に感心しておられるんですが、もうひとつ
・工場周辺の広大な駐車場を工員の通勤車が埋め尽くしているのを見て「日本は何時になったらこうなるんだろう?」と考え込まれたんだとか

Name 名無し 16/05/22(日)20:21:08  No.1171110 
因みに中島飛行機で有名な「誉」エンジンの設計主任だった中川良一さんの回想によりますと、こういうライト社との技術導入関係は日米開戦ギリギリまで続いておりまして

「開戦の一か月前まで、我々のエンジン工場にアメリカのカーチス・ライト社の技術者が来ていて、生産に関して指導をしていた。中島ではどんな種類のエンジンを何台生産できるか、どの程度の技術力なのか、彼らは全て知っていた。何しろ機械の並べ方まで教えていったのだからね」
…との事で、別に「中島飛行機エンジン史」ではこうした実情から

「(日米開戦を聞いて)一同愕然かつ暗澹としたものである(略)全く勝ち味が無い事が分かっていたからである」

…とも述べられてるんですが、要はまだ日本に航空機の大量量産技術を導入しようとしてた矢先に、当のその教師と戦いを始めちゃったのが当時の状況、って事になるみたいですのう

無題
Name 名無し 16/05/22(日)20:25:29  No.1171112
佐貫亦男さんが、彼我の工業生産能力の差を「近代戦とは百発百中の大砲を千門万門と揃える闘争である。ひとりの名人がガタガタ旋盤で百発百中の大砲1門作っても仕方ないのである。」と揶揄していたなあ。

無題
Name 名無し 16/05/22(日)20:39:53  No.1171116
当時日本が国産化したDC3とかも多分オリジナルより品質低かったんだろうなぁ・・・

無題
Name 名無し 16/05/22(日)20:50:59  No.1171119
そーいや中島にはゲーリングプレスがあって小骨とか一発抜きでできたけど
三菱には無くて小骨は部品の組立だった
で、同じ零戦でも三菱製が喜ばれたんだよなー
丁寧を取るか合理性を取るかの差かね?

無題
Name 名無し 16/05/22(日)20:54:26  No.1171120
>http://majo44.sakura.ne.jp/etc/index.html

アメリカがチート工業国家になったのは歴史の偶然というか、ヘンリー フォードの存在が世界の歴史における特異点wだったんだろうね
工業は「仕組み」が全て。日本は残念だったけど、当時の世界各国における教育水準や識字率を考えると、「開戦があと十年遅れていたら良かったのに」と今更な悔みを覚える

無題
Name 名無し 16/05/22(日)23:42:03  No.1171148
>「開戦があと十年遅れていたら良かったのに」と今更な悔みを覚える
日本が開戦を昭和16年で考えていたのは海軍軍縮条約の条約明けで艦艇を作っていったとき、保有艦艇と建造能力で差が開きすぎない最後のタイミングが昭和16年なんだっけ?

無題
Name 名無し 16/05/22(日)21:10:53  No.1171127 
これは1944年にフィリピンに居たある陸軍参謀さんの話なんですが
12月25日に第12飛行団の4式戦「疾風」の出撃を見送った時の事、滑走を始めた戦隊長機と僚機の2機はハ45発動機の爆音も高らかに勇ましく離陸…はせず、そのままオーバーランして滑走路端に突っこんじゃったんだとか

原因はまだハ45エンジンの信頼性が未だ十分でなく、ブースターの関係でスロットルレバーの使用を制限されていたことと、車輪が(舗装)滑走路用の細いタイヤだった為に草地の飛行場ではめり込んでスピードが出なかった事だったそうなんですが、コレなんかはエンジンや機体自身の信頼性問題の他に、現地における飛行場設営能力なんかも絡んできてるわけなんですが
コレも結局は日本の当時の工業水準等自体に直結してる問題なんですよね

無題
Name 名無し 16/05/22(日)21:12:11  No.1171128 
また1945年7月28日に、山口県小月に進出していた4式戦装備の飛行第47戦隊が、来襲した米艦上機部隊の邀撃に上がった時の話なんですけど
この時出撃した14機の内、エンジン不調の1機は離陸を断念、主脚の収納不能とプロペラピッチ変更不能で2機が降着、2機はエンジン不調等乗機に不具合を生じた所に攻撃を受け墜落してまして
結局他に空戦で失われた7機を加えた9機を失い戦死6名、負傷3名の損害を受けてしまったそうで
対戦した米空母「ランドルフ」の第16戦闘飛行隊(F6F)はこの日小月上空の空戦で「フランク」及び「ジョージ(誤認)」計13機の撃墜を報じてるんですが
この敗北の原因には情報伝達の連絡の遅れ等も有るんですけれども、出撃機の3分の1以上が致命的な機材故障を生じてたわけでして

私ら後世の人間としたらついつい分かりやすい数字だけ見て、カタログスペックがコレだけの機体がコレだけ造れたんなら戦力はこれこれ…とか安易に想像しちゃいかねない所もあるんですけど、現実は常に想像より相当キビしかったんでしょうねえ、やっぱし

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Name 名無し 16/05/22(日)23:26:18  No.1171144
戦前からアメリカの自動車メーカーの工場が日本にあったくらいなのに産業レベルの実態は大きくかけ離れてたんだなあ
そんな低レベルな産業しかない日本によく工場建てたなフォード

無題
Name 名無し 16/05/23(月)00:10:55  No.1171152
>戦前からアメリカの自動車メーカーの工場が日本にあったくらいなのに
実は日本政府から生産制限を受けてましたので・・・
ちなみにフォードは大正13年に、GMは昭和2年に日本に進出してますが
昭和11年には「自動車製造事業法」という事実上海外メーカーの生産制限法が出来まして年産でフォードは12360台以下、GMは9470台以下の制限でした
これで日本メーカーが躍進したかと言えばそうでも無く「すみだ」「いすゞ」「ちよだ」の当時大手だったメーカーも各社3000台以下で(後に3社で「東京自動車工業」として合併)、現在のトヨタ(当時は豊田自動織機製作所[12年にトヨタ自動車工業株式会社])とニッサン(当時は日産自動車株式会社)は漸く自動車生産を開始出来る許可会社として発足したばかりでした

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Name 名無し 16/05/23(月)00:24:19  No.1171153
誉エンジンは運転寿命が短く南方まで島伝いにフェリーすると目的地につくころにはその半分が尽きてしまう状態だった
そこで洋上を一直線に突っ切る方法を取るパイロットもいたが航法も不慣れで悪天候などに遭遇すると成功率は極端に低下した
この点アメリカは小型空母に艦載機を満載し逐次戦場へ送り出した
やがて切れ目なく到着する新品同様の機体に日本側の航空兵力が押されるようになったのも必然的な部分があったのだ

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Name 名無し 16/05/23(月)01:04:26  No.1171161
>誉エンジンは運転寿命が短く南方まで島伝いにフェリーすると
>目的地につくころにはその半分が尽きてしまう状態だった
飛行機輸送については輸送船に梱包したり小型空母で輸送したりと全くやらなかったわけじゃないよ
絶対数は圧倒的に足りなかったし船も沈められたけどね
それと空母輸送なら陸軍機でも単発機なら日米問わず離艦してるものもある
重いP-47すらね

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Name 名無し 16/05/23(月)09:56:44  No.1171182
>誉エンジンは運転寿命が短く南方まで島伝いにフェリーすると目的地につくころにはその半分が尽きてしまう状態だった

瑞鶴などが飛行機の輸送任務をやってた理由がやっと分かりました
飛行機なんだから燃料補給しながら飛んでいけばいいのにと思ってました

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Name 名無し 16/05/23(月)00:42:15  No.1171157
戦後の話だけどF-100は総生産2,294機のうちアメリカ空軍分だけでも事故で889機・324名が失われている

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Name 名無し 16/05/23(月)07:46:02  No.1171172
>戦後の話だけどF-100は総生産2,294機のうちアメリカ空軍分だけでも事故で889機・324名が失われている
戦中の話だとB-29も酷いね。
2200馬力のライトR-3350エンジンは当時のアメリカにしても扱いかねる代物だったようで、火を吹きまくりで通称火炎放射器。
マリアナでは初期には二・三日に一回、末期でも週に一~二機は火を吹いてる。
稼働率は誉装備の銀河以下。
戦後旅客機用になったけど、信頼性の低さから短期間でお払い箱に。

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Name 名無し 16/05/23(月)12:04:12  No.1171191
>戦後旅客機用になったけど、信頼性の低さから短期間でお払い箱に。
ふーんA-1(AD)もR-3350使ってるんですけど

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Name 名無し 16/05/23(月)12:17:13  No.1171194
>>戦後旅客機用になったけど、信頼性の低さから短期間でお払い箱に。
>ふーんA-1(AD)もR-3350使ってるんですけど
旅客機ちゃうやん。
信頼性のせいで民間機では満足に使えなかったって話だよ?
その辺をある程度許容できる軍用機でないと使えなかったと言う事。

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Name 名無し 16/05/23(月)13:13:45  No.1171205
速攻沈んだ信濃も回航時に紫電改積んでたって聞いた

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Name 名無し 16/05/23(月)13:26:29  No.1171206
>速攻沈んだ信濃も回航時に紫電改積んでたって聞いた
艦上型の紫電改だな
離着艦試験したらしい
積み荷は桜花の説もある

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Name 名無し 16/05/23(月)13:39:51  No.1171209
沈没時に紫電改を積んでいた訳では無く、公試時に試製紫電改二の離着艦試験が行われたと言うお話では無かったでしょうか
朝日ソノラマの「幻の空母信濃」にはそのように書いて有りました
ただ桜花が輸送のために積まれていたお話はありますね
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1170839.htm

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