第73回 連載「フォークランド紛争小咄」パート28
紛争の終結と、その余波 後編

文:nona

 フォークランド紛争はイギリスの勝利という形で終了したものの、アルゼンチンは文民政権体制となってもフォークランドの領有を主張。イギリスには本土から12,000km離れた離島の防衛、という新たな難問が課せられることになりました。

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http://www.telegraph.co.uk/news/picturegalleries/worldnews/9051902/The-Falklands-War-in-pictures.html?image=16

 1982年6月16日、スタンレーでアルゼンチン軍の武装解除が開始され、アルゼンチン軍の残存装備の全貌も明らかとなりました。英語版wikipediaでは以下のように紹介されています。[1-1]

100両のメルセデス・ベンツMB1112/13/14型トラック
20両のウニモグ(大型の四輪駆動車)
50両のメルセデス・ベンツGクラス四輪駆動車-Class 4x4s
12両のパナールAML90mm砲搭載戦闘車
1基のローランド対空ミサイル発射器
7基のタイガーキャット対空ミサイル発射器
1基の即席エグゾセ対艦ミサイル発射器
3門のCITER L33 155mm榴弾砲
10門のオットー・メララ105mm榴弾砲
15門のエリコン35mm連装機関砲
5基のスカイガード射撃管制レーダー(1基は破損)1基のスーパーフレーダーマウス射撃管制レーダー
15門のラインメタル20mm対空機関砲
20門のイスパノスイザ30mm機関砲
1基AN/TPS-43三次元対空レーダー
1基AN/TPS-44戦域警戒レーダー
いくつかのRASIT対地警戒レーダー(Wikipediaでは射撃管制レーダーと記述)
ブローパイプ携帯式対空ミサイル
SA-7携帯式対空ミサイル(Wikipediaではリビアのカダフィから入手と記述)
2機のアグスタA109
2機のベル212ツインヒューイ
8機のUH-1Hヒューイ
1機のチヌーク
1機のピューマ
(14機のヘリコプターが飛行可能だった)
10機のIA 58プカラ軽攻撃機
1機のエアロマッキMB-339練習攻撃機
アルゼンチン沿岸警備隊のGC82「イラス・マルビナス」艇(イギリス海軍は鹵獲の上「HMSタイガーベイ」と改称
11000丁の個人用火器
400万発の7.62mm弾 (10,500発はグースグリーンで鹵獲)
11000発の105mm砲弾
いくつかの重機関銃や迫撃砲、無反動砲、対戦車ミサイルなど。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Argentine_surrender_in_the_Falklands_War
没収された大量の小銃

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
ソビエト系のSA-7携帯式対空ミサイル(全て未使用)とブローパイプ携帯式対空ミサイルの格納筒

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
放棄されたエグゾセ対艦ミサイル発射器

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
対戦車地雷。一部は回収されないまま、現在もフォークランドに埋まっている。

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
航空機用のナパーム弾。

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http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1206
お持ち帰りされるプカラ軽攻撃機

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https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Tiger_Bay
お持ち帰りの上、(タイガーベイ)改名されたアルゼンチンの警備船。

 なお、アルゼンチン軍首脳は武器弾薬が残っているにもかかわらず、メネンデス少将らが命令に背いて降伏したとして、彼を軍法裁判にかけています。ただ後述のアルゼンチンの民主政権の誕生もあってか、判決はうやむやにさたようです。[1-1]

 ところが、紛争から20年ほど経過した時点で、1970年代にアルゼンチン軍事政権がおこなった恐怖政治、いわゆる「汚い戦争」の裁判が始まり、メネンデス少将を含む多くの退役将校が裁判所からの呼出しをうけることになりました。メネンデス少将は2015年に逝去したものの、他の退役将校らの処遇については未だ係争が続いています。[2-1]

 武器を捨てた捕虜の送還は急ピッチ進められ、18日から3日間ほどで大多数の兵士がアルゼンチンへ送還されました。イギリス軍は捕虜達に提供できる食糧や防寒具、テントはほとんどありませんから、彼らが健康なうちにアルゼンチンへ送り返す必要があったのです。捕虜の多くは戦争が終わったことに安堵し、平静を保っていました。ただし時にはは放火騒ぎも起きるなど、イギリス軍は気を抜けませんでした。[5-1][6-1][8-1]

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http://home.bt.com/news/world-news/june-14-1982-falklands-war-comes-to-an-end-as-britain-accepts-argentinas-surrender-11363986434075
帰還を待つアルゼンチン軍捕虜。

 この頃アルゼンチン本土では17日にはガルチェリ大統領が退陣し、後には1983年の総選挙では軍事政権が敗北、アルゼンチン政府は文民政権へ移行します。この時点でも軍は政治的な力を残していたものの、段階的に其の力をそがれていきました。[6-1]

 一方、フォークランドを取り戻したイギリス軍は、徴用したトロール漁船でスタンレー沖の機雷掃海を開始。民間船を用いたのは、イギリス海軍の小型掃海艇では、南大西洋の荒波をこえられない、と判断された為でした。操船は軍人が代行していますが、幸い全船が無事に任務を終えています。[3-1]


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http://hulltrawler.net/History/falklands/facts.html
スタンレー沖の機雷掃海のために徴用されたトロール漁船

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http://www.taringa.net/posts/info/15383009/El-minado-defensivo-en-la-guerra-de-Malvinas.html
アルゼンチン軍が使用した係維機雷

 またスタンレー飛行場では滑走路の修復と拡張が急がれました。82年の時点では両国政府はまだ対立状態にあり、機動部隊が帰還した後も、不測の事態に対応できる航空戦力の基地が求められていたのです。[3-1][4-1]

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
損傷した滑走路を復旧と拡張を急ぐイギリス軍工兵部隊

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
スタンレー基地に配備されるハリアー

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
滑走路を延長したスタンレー飛行場に配備される、ファントムFGR2戦闘機。

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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
1982年の秋、スタンレーを訪れたサッチャー首相。


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http://www.thinkdefence.co.uk/black-buck-runways-1982-falkland-islands-conflict/post-conflict/
この写真は82年4月にアルゼンチン軍が進駐した直後のスタンレー空港。

 イギリス本国は祝賀ムード一色で、帰還する兵士達は盛大な祝福をうけました。ただし紛争終結から数週間も経つと、それまで影を潜めていた社会問題が再燃。サッチャー首相も中距離核戦力全廃条約の交渉や、イギリス国鉄の民営化反対ストライキの対応に追われています。一時は80%近かった内閣支持率も82年の後半には40パーセント台まで低下しました。[6-1][8-1]

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http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-3
イギリスへ帰港する艦艇。

 それでも「フォークランド現象」なるイギリス国民の連帯意識を高める気運はしばらく残り、サッチャー首相も、紛争以前より政権運営がやりやすくなった、と感じていました。紛争の勝利が、「より苦痛が少なく穏健だと思われる選択に逃れていた保守党支持者を取り戻す」助けとなったのです。また長年のライバル労働党で内紛があり、これもサッチャー首相に有利に働きました。[8-1]

 この結果、1983年のイギリス庶民院(下院議会)総選挙で、保守党は野党に144議席の差をつけて圧勝。これは1945年の総選挙以来、どの党が獲得した議席よりも多いものでした。[8-1]

 なお紛争の経費については諸説あるものの、82年の紛争終結時の民間の試算で10億ポンド(当時のレートで約4400億円)としています。同年のイギリス国防費である140億ポンドから見れば微々たるもの。実際に国家予算の予備費だけで賄うことができ、補正予算を組むこともなければ、国民に増税を強いることもありませんでした。[8-1][9-1]

 むしろ紛争以降のフォークランドへの駐留費、フォークランド基地化の経費が問題になり、紛争後の3年~5年で15億ポンドもの追加経費が発生しています。[9-1]


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http://www.heritage.org/research/reports/2008/11/british-defense-cuts-threaten-the-anglo-american-special-relationship
イギリスのGDP比で見る国防費。1982年には前年から約0.4%ほど上昇したに過ぎなかったが、その状態が85年ごろまで継続された。

 こうした予算投入によって、東フォークランド島にマウント・プレザント空軍基地の建設が開始。さらに飛行場の補給を行うメア港、ケント山のレーダーサイトも開設されました。[5-2]

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https://en.wikipedia.org/wiki/RAF_Mount_Pleasant
マウント・プレザント空軍基地。アルゼンチン軍の再侵攻に備え、スタンレーとグースグリーンの中間点に建設された。現在も少数の戦闘機が配備されている。

21
http://www.thinkdefence.co.uk/2015/04/logistics-of-the-san-carlos-landings/
メア港。近くには燃料基地も築かれている。

22
http://www.thinkdefence.co.uk/2015/04/logistics-of-the-san-carlos-landings/
ケント山のレーダーサイト。

 こうした島の基地化の流れについて、島民は必ずしも好意的ではなく、複雑な心境であったようです。また激戦地となった場所に多くの地雷が残されたことも、島民を悩まることになりました。[6-1][10-1]

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http://www.amusingplanet.com/2015/03/the-penguin-population-that-thrives-on.html

 なおスタンレー島民は自身を「ケルパー」と呼んでいたそうです。これはスタンレーの沿岸に自生している「ケルプ(海藻)」になぞらえたもので、潮の流れでたなびくケルプを、自身の境遇になぞらえたものです。[9-1]

 フォークランド紛争から34年が経過した2016年現在。同島はイギリスが領有していますが、アルゼンチンもまだ領有を諦めたわけではありません。もし紛争が再発することがあれば、島民も、兵士たちも再び激流に翻弄されることになるでしょう。


24
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Yomper_Falklands_memorial_statue,_Royal_Marines_Museum,_Portsmouth_%281%29_cropped.jpg
ポーツマスのイギリス海兵隊博物館の銅像。

25
http://www.defensemedianetwork.com/stories/falklands-war-l-photos/


出典
[1-1]en.wikipedia Argentine surrender in the Falklands War
[2-1]infobae Murio Mario Benjamin Menendez Fue el gobernador militar de las Islas Malvinas
[3-1]hulltrawler.net FALKLANDS REQUISITIONED HULL VESSELS
[4-1]thinkdefence.co.uk Falkland Islands Conflict Post Conflict
[5-1]RAF Battles of the Falklands Conflictより The Surrender - A conflict ends - 14 June 1982
[5-2]RAF Stations よりRAF Mount Pleasant, Falkland Islands
[6-1]フォークランド戦争 鉄の女の誤算 P250~251,P262
[7-1]SASセキュリティ・ハンドブックP32
[8-1]サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻P331~334,P380
[9-1]狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 P208~221
[10-1l]taringa.net El minado defensivo en a guerra de Malvinas

参考

狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算(サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書(防衛省防衛研究所 2015年11月18日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland

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