無題 Name 名無し 16/05/09(月)18:57:00  No.1168585

Military_exercise_of_NPR1
(画像引用元)wikipedia

警察予備隊って実際のところ米軍ぽかったの?日本軍ぽかったの?
(できたての頃の韓国軍は日本軍の教育受けた人が将校やってたけど見た目どうみても米軍だったよね)

警察予備隊と再軍備への道: 第一期生が見た組織の実像
佐藤 守男
芙蓉書房出版
売り上げランキング: 903,122

無題
Name 名無し 16/05/09(月)19:16:52  No.1168589
38式や99式歩兵銃なんかも使ってたんだっけ?
M1がいきわたらないから
当時の制服見ると米軍にちかいかんじはしたな

無題
Name 名無し 16/05/09(月)19:45:21  No.1168594 
制帽は結構好き
どうせデザイン変えるなら鳩から鳳凰にでも変えれば良かったのに

(参考URL)
http://homepage3.nifty.com/visor12/JPN%2015.htm

無題 Name 名無し 16/05/10(火)02:05:58  No.1168650
NHKアーカイブで1954年の自衛隊フィルムを紹介する番組があったんだが
訓練シーンの突撃方法は日本軍式だったよ

無題
Name 名無し 16/05/10(火)03:02:25  No.1168653
>訓練シーンの突撃方法は日本軍式だったよ
最初は旧軍関係者ばかりが応募していたから、そうなったんじゃないかな
俗説レベルだけど、米軍の教育方針は「陸は米式へ洗脳、海はそのまま、空はイチから教え直す」と聞いた

無題
Name 名無し 16/05/10(火)03:19:26  No.1168654
>空はイチから教え直す
空は軍としては存在しなかったからね

無題
Name 名無し 16/05/10(火)06:55:27  No.1168655
そもそも陸と海で今の自衛隊できた経緯ぜんぜん違くない?

無題
Name 名無し 16/05/10(火)10:30:15  No.1168663
自衛隊になって号令が結局旧軍式に回帰したってのは面白いね

無題
Name 名無し 16/05/10(火)16:55:32  No.1168702
>自衛隊になって号令が結局旧軍式に回帰したってのは面白いね
旧軍経験者が戻ってきたからね
昔の佐官が防衛官僚で尉官が指揮官で返り咲いた
そのころだったから文官統制も機能していた

無題
Name 名無し 16/05/10(火)12:28:12  No.1168670
ちょうど別にスレ立てようかと思ったけど
今でも陸軍の色を濃く残してるのって何だろう?
個人的には、「陸軍分列行進曲」が今でも頻繁に吹奏されてること
最近の観閲行進時には「大空」よりも増えてる感じがする

無題
Name 名無し 16/05/10(火)16:33:43  No.1168696
なんかの本で初期の警察予備隊は命令禁止で旧軍なら「突貫!」と号令かけるところを「皆さん突撃してください、突撃ですよー」と声かけるだけなんで力が抜けてしまってみんな困惑してたってエピソードを読んだことがある

無題
Name 名無し 16/05/10(火)16:38:35  No.1168698
>なんかの本で初期の警察予備隊は命令禁止で旧軍なら「突貫!」と号令かけるところを「皆さん突撃してください、突撃ですよー」と声かけるだけなんで力が抜けてしまってみんな困惑してたってエピソードを読んだことがある
なんとも気が抜ける話だw
まあ旧軍の極度のスパルタ教育が良かったとも思えんし新時代の軍隊に日本人を是正するにはそれぐらいやる必要があったかもしれん

無題
Name 名無し 16/05/10(火)21:42:43  No.1168770
>旧軍なら「突貫!」と号令かける
私が不勉強なだけかも知れませんが、「とっかん!」と号令掛けたんですかね?
歩兵指揮官の前進号令なら「攻撃前進」や「突撃に前へ(進め)」、彼我の距離が詰まってから「突っ込め(で喊声)」じゃないんでしょうか?

無題
Name 名無し 16/05/09(月)22:13:15  No.1168604
むかしはなんで「警察予備隊」なんて名前にしたのか疑問だったけど、朝鮮戦争当時の韓国の内情を知ったらなんとなく納得が行きました

外敵よりも国内の治安維持が重要だったのね。釜山で持ちこたえられるかどうかなんて、リアルタイムじゃ解らないからねえ

無題
Name 名無し 16/05/09(月)23:23:57  No.1168618 
Shigeru_Yoshida_suit
(画像引用元)wikipedia,吉田茂

>米軍っぽかったの?日本軍っぽかったの?

後者を断固阻止したのがこちらのお方
ほっといたら服部卓四郎がおったんやで

無題
Name 名無し 16/05/10(火)22:04:28  No.1168773
吉田茂さんが昭和27年に、警察予備隊本部長官に将来の同隊の(引いては新国軍の)正規幹部を養成する学校設立の準備研究を早くも命じてまして、これが今の防衛大学校のルーツにもなるそうなんですが、吉田さんの回想録に同校設立にあたっての氏の思惑が述べられてる部分が、中々興味深いのでちょっと長目ですけど引用させて頂きますと

「部隊幹部の養成という事は、旧陸海軍時代にも重要な問題であって、その為に特殊の教育機関が幾種もあった事は誰も知る通りだが、その教育方針には大きな欠陥があった。そこで戦後の部隊は単に技術的な面においてのみならず、民主的防衛隊として広く内外にわたる常識の面においても、高い教養を持つ部隊でなければならない。この問題は当初から私にとって最も大きな関心事だったもので、中でも最高幹部の養成機関として保安庁直轄の保安大学校を創始した」

無題
Name 名無し 16/05/10(火)22:06:56  No.1168774 
「軍人が戦争の専門家に偏することは、戦争そのものには強くなるかも知れぬけど、一般政治や国際外交の常識に欠ける所が生じて、外交を誤り国を誤ることになる。こうした考えは決して私のみの考えでなく、総じて軍人が政治を支配することを防ぐことは、各国とも大きな内政上の問題である。
一方また軍人自身もその分を弁えて政治に深入りをしないようにすることが特に肝要であって、それには広い視野と豊かな常識とが必要である。
私は殊に大東亜戦争の苦い経験に鑑み、警察予備隊が出来ると同時にその幹部養成の問題に気を付けた。そして特にその常識的教養に重きを置いて行きたいと考え、そのように努力した」

…んだそうで

無題
Name 名無し 16/05/10(火)22:07:50  No.1168775 
実際、昭和28年に開校した保安大学校(翌年防衛大学校に改称)の初代校長に吉田氏が選んだのは旧軍の陸海軍人でなく、慶應義塾大卒業後エゲレスのオクスフォード大留学の経歴を持つ文官の槇智雄さんでありまして以後退官するまでの12年間、

「学校卒業と同時に役立つ戦争技術屋などを養成するつもりはない。将来何処の社会に出しても一流の人を作るのが目的だ(槇氏)」

…という「自由と規律」を重んじるエゲレス流の紳士教育が徹底されたそうなんですが
例えば具体的な授業内容についても、戦前戦中の陸軍士官学校における教科別時間配分では総授業時間の67.8%が軍事、11.6%が理科、20.6%が文科だったのに対し
防衛大では軍事36.4%、理科44.6%、、文科19.1%としたりしてるんだとか

(私の手持ちの資料はちっと古いんで、現在はまた違うかもですが)

無題
Name 名無し 16/05/10(火)22:10:17  No.1168778 
とにかくまあ、戦前の士官さん育成とは方針に一線を画すことが明確に決められてたわけなんですが、昭和32年のクリスマスには防衛大の学生がご婦人方を招いた盛大なクリスマスパーティーを催したりしてまして、ここら辺もかつての陸士や兵学校等ではまず有り得なかった事例な訳ですけれどもw
実は翌年3月の衆議院・内閣委員会でコレに噛みついた議員さんが居たりするそうなんですな
「一般の学生はアルバイトをして勉強しているのに、防大生は一か月に30万円も金をかけ、しかも訓練も下手くそでなっていない。そんな学生が肩もあらわな女性を相手にダンスだけ一人前にやるなんてまことにけしからん!」
…とご立腹のこの議員さん、実は陸士36期卒の元陸軍参謀、辻政信サンだったりするんですが
これに対する槇防衛大校長の回答は
「自衛隊幹部の教養を高めるためには、婦人との交際やダンスの素養も必要です」
…という極恬然としたものだったそうで
取りあえずどちらが正しいかは置くとしても、図らずも新旧思想の違いのいい例になってる気もしますな…w

無題
Name 名無し 16/05/10(火)22:46:02  No.1168781
海軍は戦前からダンスや食事マナーは紳士の嗜みと教育に組み入れていたのだけれど陸軍はなぁ。

軍人であっても例えば、自主性、積極性、創造性を重視したダルトン式教育を取り入れた永野修身海軍兵学校校長は全人教育として戦中にもかかわらず、英語教育を行い、背広にネクタイを制服とした自由な気風の興亞工業大学(現在の千葉工業大学)の設立に尽力していたね。

無題
Name 名無し 16/05/10(火)23:02:23  No.1168782
現代戦は下級指揮官にも大きな責任が担わされるから、高級指揮官に劣らない広い視野や発想力や、いわゆる常識なんか必要になるんだよな。
戦後直後に穏健保守の政治家が生き残ってたのは、本当に幸い。

無題
Name 名無し 16/05/10(火)23:02:30  No.1168783
>…とご立腹のこの議員さん、実は陸士36期卒の元陸軍参謀、辻政信サンだったりするんですが

ワロタw そら敗軍の元参謀が何を言っても無駄だわ

無題
Name 名無し 16/05/11(水)00:39:34  No.1168792
逆に戦争負けて、少なくともその当事者として普通は反省すべきところを堂々と国政の委員会で「新生日本軍」に物申せたもんだよな。

それ言い出したらなに国会議員に出馬してんだよって感じだが。

この非凡な面の皮の厚さってのはある種の出世する人間特有のもんだな。負い目という概念がない。

無題
Name 名無し 16/05/11(水)12:17:52  No.1168849
軍人にも高い法務・事務処理能力や対外折衝能力、つまり教養と常識を求められるわけだが、法すらまともに守らなくなった昭和陸軍はその点全く駄目だわな。

加えて結果的には軍事の才能にも乏しかったといわざるを得ないわけだが、そんな人材を育てるのが軍の大学校なんだろうか?

無題
Name 名無し 16/05/11(水)12:35:47  No.1168852
教養が乏しいと発想力も乏しくなるといういい例だな
ゼークトの前任者は参謀将校に一般の大学でも学ぶように推奨したそうだが
その習慣が根付いていたら国防軍は違った形になってヒトラーに盲従することもなかったかもしれない

無題
Name 名無し 16/05/11(水)16:43:32  No.1168866 
何かと逸話には事欠かない辻サンなんですけれど
その一つに中国大陸に駐在時代、ある料亭に現地陸軍の将校サン連中が入り浸りでゲイシャ遊びに夢中になり、再三の自粛要請も一向に聞かぬのに業を煮やして、遂にはこの料亭を焼き打ちさせてしまった、と言うのがあるそうなんですが、コレを辻サンの潔癖・果断さを示すエピソードとして紹介する人も有れば、

「自分の子供を、映画館に行ってはいけないと言うのに聞かぬからと言って、映画館を焼き打ちするようなものである」

…と尤もなツッコミを入れてる人も居まして
何というかまあ、シンパとアンチを同時に大量生産するお人柄ではあったみたいですなw

無題
Name 名無し 16/05/11(水)16:45:47  No.1168867
余談ですが1952年の衆議院選挙で辻サンが地元石川県で大量得票で当選した際、CIAがわざわざ調査分析を行ってまして、大勝の原因は

「辻は総投票数25万1411票の内の6万4912票獲得した。これは次点よりも2万3840票多かった。その理由は辻が1920年代の後半から30年代の初めにかけて石川県金沢市に駐屯する歩兵第7連隊の募兵と新兵の訓練を中尉として行っていたからだ。この8年間に辻はおよそ1万6000の新兵と関わった。この新兵たちは、選挙当時40代から50代に達していて社会的影響力を持っていた。これが辻が選挙に強かった理由だ。辻は選挙で全く金を使わなかったと言われている」

…と分析してたりするんだとかで
コレを類まれなカリスマの持ち主だったとするか、人心掌握の狡知に長けてたと見るかも
また人それぞれとは思うんですが、何れにしても非凡な才覚の持ち主には違いなかったみたいですのう

無題
Name 名無し 16/05/11(水)16:46:41  No.1168868 
因みに警察予備隊創設当初は、旧来の陸海軍人士官をほぼ排除しての米軍流教育が行われたのは既に多くの方が書かれてますけれども、コレについて当時の米軍事顧問団初代幕僚長だったコワルスキー大佐=サンは

「予備隊に暫く旧軍人(士官)を入れなかった事により、結果的には民主的な近代陸軍を形作ることが出来た。予備隊の初代高級幹部たちは軍歴に乏しかったので、先入観念に煩わされる事無く米軍の指導を受け入れ、自由で寛容な台風の基礎を築いたが、この気風は元帝国陸軍の将校が予備隊設立以来、支配的立場にあったなら生まれえなかったであろう」

…と回想しておりまして、私らからしたらちょっと自賛の匂いが鼻につく所もあるんですけれど
奇しくも旧軍の弊害を引き継がない新しい日本国軍を造る、という点では吉田氏らの思惑と利害は一致してたとも言えるようなんですな

無題
Name 名無し 16/05/11(水)16:48:26  No.1168869 
そしてこういう警察予備隊が保安隊になった直後の昭和27年、東京練馬区の第一管区隊(後の自衛隊第一師団)を当時の衆議院内閣委員会の議員サン方が視察したコメントが新聞記事に載ってるんですが

「隊員の動作もキビキビしており、訓練のやり方も合理的だと思う。昔の軍隊のように、監獄のような塀のないだけでも気持ちが良い」
「全体として和やかで清潔だ。想像以上に隊員が朗らかだと思う。ただもう少し若い隊員の情操生活に心を配ってほしい。はっきりした使命感を隊員に与えることは大切だが、昔の軍隊の再現は絶対反対だ」

…等の意見に混じって

「演習だけの所見を言うと、余りにもアメリカ軍の戦法そのままで、日本人の実情に合っていないと思う。詰まらんところで昔の感じを押さえているように思う」

…とハッキリ苦言を呈してるのが、やっぱり辻政信議員さんだったりするんだそうで…w

無題
Name 名無し 16/05/11(水)17:48:06  No.1168871
蒋介石のおっちゃんも、「米式の訓練はアジア人には合わん」とか言って戦後旧日本軍人顧問に呼んだりしたしなぁ。
なんか違うのかね?

無題
Name 名無し 16/05/12(木)00:34:33  No.1168945
アメリカ軍で擲弾筒が分隊で使用されるようになったのは戦後?
辻ーんはカービンやガーランドが充足された歩兵小隊の運用を理解出来てただろうか

無題
Name 名無し 16/05/12(木)18:52:01  No.1169084
アメリカ陸軍の歩兵分隊編成や装備された兵器の性能を見ると
辻ーんや蒋介石が運用に難を感じたのは、高台で遮蔽物に乏しい中国大陸での運用と分隊に与えられた兵器の射程距離が短いことが理由なんじゃないかなと

アメリカ陸軍は迫撃砲は連隊と小隊に配備されて小銃小隊はBARやM1ライフルがメイン。支援砲撃を得ようと思ったら連隊や小隊に要請する必要がある。
広大な国土ではCASがいつでも好きなように得られるとは限らないし、擲弾筒分隊が最初から小隊に編成されている日本軍の方が蒋介石にとっては魅力に映った?

無題
Name 名無し 16/05/12(木)22:01:59  No.1169105
単純に日中戦争と国共内線にアメちゃんから物心両面で、いろんな支援してもらったのにボコられっぱなしだったからじゃね?
原因である兵の士気の低さを改めようと、兵の士気の高さと現場の判断で大陸向きの歩兵主体の戦争を得意とした日本のドクトリンを取り入れようとしたように思うのだが違うだろうか

無題
Name 名無し 16/05/12(木)22:34:06  No.1169108
芙蓉選書の白団なんかを読むと教育実施のくだりで日米の対比があって
米国の将校教育は出題方法も二択の選択方式で答えはきちんとした定型ありきだったそうでマニュアル化された物だったのに対し、片や旧軍式の出題方法は論述で、限られた条件の下で利害得失を自身が検討して答解を求めるQ&Aの不定型だったとかいうのが面白く建軍時の自衛隊にも似た様な対比エピソードがあるのか気になるところです
あと演習訓練にしても補給等の後顧の憂いが無い弾薬投射の絶対量で制圧する米軍式への危惧からか、限られた兵站の下で極力射耗を抑える旧軍式を評価していたようですが、それにも増して大陸反攻を見据えた大軍統帥の原則などの統帥綱領や、旧弊な軍閥体質の強制徴募を脱した国民軍建設の為の動員制度の教育や整備なんかの米軍教育の手薄な部分の微妙なノウハウを蒋介石は求めていたような感じを受けます
蒋介石も腹心の張群や何応欽も日本への若年軍事留学組だったから講武堂出身や米国外遊した他の党内指導者との派閥の色合いとかもどこかにあったのでしょうかねぇ・・・

無題
Name 名無し 16/05/12(木)23:39:00  No.1169111
ありがとうございます

>大陸向きの歩兵主体の戦争を得意とした日本のドクトリン

これが一番強いと思いますね。連隊や大隊レベルで他国や共産ゲリラに対応する部隊を育て上げるのは時間の猶予も人材も乏しかったと思いますし。

>それにも増して大陸反攻を見据えた大軍統帥の原則などの統帥綱領や、旧弊な軍閥体質の強制徴募を脱した国民軍建設の為の動員制度の教育や整備なんかの米軍教育の手薄な部分の微妙なノウハウを蒋介石は求めていたような感じを受けます

早急に国民軍の体制を整えるには、兵器の生産・工業化も考慮せねばならないのに、アメリカの軍事顧問団はそこまで思い至らなかったように思えます。それが共産党人民軍の攻勢に間に合わなかったというか。即効性のある戦術を蒋介石に提供できなかったことが、アメリカの極東政策の失敗だったのかもしれませんね

無題
Name 名無し 16/05/12(木)23:55:43  No.1169115
そして辻ーんは、「もう大陸での作戦活動を考慮する必要はない」ということを理解できてなかったような気がします。
日本列島、そして北海道においても、旧軍の戦術思想がその後の工業力発展や米軍の後押しを想定していないというか。
 「皇国の存続に東南アジアの西欧列強に対する対処を如何とするか」
それを悩んだ末の国外脱出だったのではないかと思いますけど日本人としてはすでに余計なお世話なんですよね
スレの本題である「警察予備隊に何が必要か?」ということと、東南アジアはどうするべきかは全く別の話ですし。
専守防衛とアメリカの極東政策がどう失敗するかはもはや敗戦国である日本としては知ったこっちゃないですし

無題
Name 名無し 16/05/13(金)03:47:37  No.1169141
警察予備隊の話してくれよ・・
と言いつつ米軍の事書きますw

>アメリカ軍で擲弾筒が分隊で使用されるようになったのは戦後?
おそらくM79のようなものを想定しているんだと思いますが、勿論戦後です
50年代まではライフルグレネードが分隊支援榴弾兵器となります

国府軍は詳しくないですが、「弱かった」理由は兵器の性能とかの問題ではないような・・
(大東亜戦中は装甲兵器含め、完全に米式装備なので)

無題
Name 名無し 16/05/13(金)19:24:51  No.1169230
>おそらくM79のようなものを想定しているんだと思いますが、勿論戦後です

ありがとうございます、そうだったのですか。戦後の警察予備隊の資料が手元に無いので、各国歩兵小隊の編成と主な装備(戦中から45年まで)のデータで推測してました

>国府軍は詳しくないですが、「弱かった」理由は兵器の性能とかの問題ではないような・・

言いたいことが分かるような気がしますw 蒋介石以外の誰がやっても、軍紀の乱れや政治的混乱は立て直し不可能な気が

無題
Name 名無し 16/05/13(金)04:10:14  No.1169143
旧日本軍と米軍で小隊同士だと(定数くらいなら)意外と旧軍が善戦出来たというのも擲弾筒のおかげなんかね
しかしこういうのってじゃんけんみたいなもんでどれが正解とするのは難しいだろうな

無題
Name 名無し 16/05/13(金)07:35:43  No.1169156
兵の強さはその国の教育水準に比例するって考え方が、日本軍の強みを語るには一つ根拠になるんじゃないかと。
米軍は捕虜収容所で日本の国民兵たちが皆一様に渡された新聞読んでる事に驚いたと言う話が残ってますが、その点中国国民党軍とは決定的に違ったはず。
米式装備でも弱かった本当の理由はこのへんではないでしょうか。

米軍とでも小隊同士の戦闘ぐらいなら、上記の強みが出やすい下士官ぐらいまでの兵が勝敗に及ぼす影響が大きいことと、また日本軍の得意とする比較的充実してた擲弾筒の射程に持ち込んでの戦いがしやすかったのでは。

無題
Name 名無し 16/05/13(金)20:34:48  No.1169250
>米軍とでも小隊同士の戦闘ぐらいなら、上記の強みが出やすい下士官ぐらいまでの兵が勝敗に及ぼす影響が大きい

とはいうけど、旧軍の攻撃方面やタイミングなどの戦術は割と固定化してて、2度目以降は容易に撃退できたっていう米軍側の感想も多い。
同じ戦術を何度も繰り返す癖があったらしい。
あと奇襲に弱いとかも書いてあった。奇襲を受けると立ち直るのが比較的遅いようだ。

無題
Name 名無し 16/05/13(金)22:25:41  No.1169287
>あと奇襲に弱いとかも書いてあった。奇襲を受けると立ち直るのが比較的遅いようだ。
防御に有効な装甲車両(車両そのものも)や短射程でも弾の投射量の多いSMGやカービン・拳銃に乏しい分
何となく想像が付く…

無題
Name 名無し 16/05/13(金)23:36:47  No.1169312
奇襲に強い軍隊なんてあるのかね?

無題
Name 名無し 16/05/14(土)04:23:42  No.1169355
旧軍は無線関係がお粗末だったし数も少なかったから
奇襲を受けても何処で何が起きてるのか把握するのに時間がかかりそうだしな

無題
Name 名無し 16/05/14(土)10:13:28  No.1169378 
1463188408939

奇襲に弱い原因が通信にあるってのは同意しますね。ただ無線機自体は玉石混淆といったところだったようです。
ハードだけのはなしなら無線は日本電気(NEC)の技術力が欧米並の精度と評価されてたようですから。
製品の耐久性まではわからんですが機上無線に代表される無線の悪評は日本無線の製品によるところが大きい。
もっとも大きな違いは軍の構造に適応した体系だったシステムとしてそれを構築、運用する点でしょうね。
そこはむしろあの時代に背負い式の無線を実現してシステムとしても優秀だった米軍を誉めるべきかもしれません。
欧州ではラインの守り作戦でも米軍がその優位をもって奇襲から早期に立ち直り反撃に成功しています。
ちなみに画像は昭和3年にNECが開発した写真電送機で送信に成功した写真。これも当時としては世界水準の精度です

無題
Name 名無し 16/05/13(金)19:50:14  No.1169235 
発足以来、基本的には米軍流の合理主義教育で来た警察予備隊~自衛隊なんですけれども、開設後数年を経て、公職追放を解かれた旧陸海軍の士官さん連中が幹部として入隊し始めて来た頃から少し風向きが変わり始めたそうでして、例えばこの頃陸上幕僚長に就任した杉田一次陸将(元陸軍大佐、参謀本部欧米課長)の指導のもと、

・陸士(兵)の掌握を確実にして、事故を未然に防止する
・家庭的雰囲気を作り、営内生活を明朗ならしめる
・陸曹を責任ある地位につけることで、リーダーとしての訓練とする
・チームワークを錬成する
・上位下達・下意上達を用意とする

無題
Name 名無し 16/05/13(金)19:52:11  No.1169237 
…為に、陸曹を班長とする「営内班制度」の導入が図られたそうなんですが、実はコレ実質的には旧軍の「内務班制度」のほぼ焼き直しだったりするそうなんですな

下士官を班長とする旧軍の内務班は、戦場ではそのまま分隊となり兵営を「軍人の家庭」とみなす当時の規定の元、家族主義を導入することで軍紀と精神教育を図ることが目的とされてたんですが、一方ではしばしば杓子定規でキビシイ罰則を伴う内規と、ほぼ「必要悪」として黙認されてた私的制裁や暴力の温床にもなり怨嗟の対象にもなってたシステムでして、無論それらの体罰等は禁止されての復活とはいえ、下手をすると時代に逆行して旧軍の悪癖の再来を招きかねない試みでもあったんだそうで

無題
Name 名無し 16/05/13(金)19:53:19  No.1169238 
実際、昭和29年ごろに入隊し、63年に退役したある陸上自衛官さんの証言によると

「当時の中隊長は(旧陸軍)士官学校出身者で(略)実戦経験者も多くいて、それは荒っぽいモノでした。営内班はやはり男の社会ですから当然、体罰や私的制裁が有りました。それらは表沙汰にならないだけのことです。訓練も酷かったし、無茶苦茶に鍛えられましたよ」

…との事で、何かしら浅田次郎さんの「歩兵の本領」とか思い起こしちゃう話なんですがw
しかしながら

「ところが、そういう生活をしている内に眼が据わって顔つきが変わってくる。ちょっとやそっとじゃあくたばらない体になってくる。私の自衛官としての揺るぎない使命感や精神はこういう厳しい環境で養われたのだと思っています。」

無題
Name 名無し 16/05/13(金)19:55:17  No.1169239
「また辛い苦しい中で寝食を共にしていると戦友愛と言うか、強固な連帯意識のようなものが生まれてくるんです」

…とも語っておられるそうでして、無論こういう空気に馴染めないヒトは当時でも居たでしょうし暴力や制裁を肯定するつもりもないんですが、戦後一度は非合理的として葬られたはずの旧軍のやり方が、戦後生まれの言わば「戦争を知らない」世代の教育においても一定の成果を上げた、というのはちょっと面白いというか、この辺が杉田氏らが敢えて昔のやり方を踏襲した理由にもつながるのかもですな

因みに余談ですけど、こういう旧軍で行われてたものが、戦後の予備隊時代に米軍流儀に倣って廃止され、その後自衛隊になってからまた復活したもの、の一つに射撃訓練後の薬莢拾いがあるんだそうで

コレは廃止したままの方が良かった、と思われる方も結構いるんじゃ(ry

無題
Name 名無し 16/05/13(金)20:02:01  No.1169240
予備隊当時の募集に応募した人は、100%近く陸軍式教育(旧制中学以上出身なら軍事教練で陸軍式の基礎ができている)を受けた人々ですから、旧軍色は隠せなかったものと想像しますがどうでしょうか?
為に意図的にそれを消したかったんだと思いますが
「米式装備の日本陸軍兵」では、当時の誰が考えても強力というイメージがつくでしょうから

もう少し後の30年代の陸自普通科60迫班に居た軍事研究家の高橋昇さんから少しだけ当時の話を伺った事がありますが、割に牧歌的な内容でした
(30-06九九式も撃った事があるそうです、やはりM1小銃より反動が強過ぎて射撃を続けられないと言ってました)
部隊にもよるとは思いますが(高橋さんは青森の5普連)、実弾訓練で指揮班が明らかに間違った(短い)射撃緒元を言ってきたので聞き返したら、いいから撃ての下命
その辺りには牧場の牛が居るので「いいんですか?」と砲側指揮官に聞いたら「命令だから撃て」で射撃
案の定、牛が吹っ飛びw、中隊長が農家に平謝りのお詫びに行ったとか
昔は「のんびりしていたからね」だそうです
のらくろみたいな話ですね
(前にも書いた事あるかも・・)

無題
Name 名無し 16/05/13(金)22:17:12  No.1169278 
>牧歌的な内容

戦時中、関東防空の精鋭航空隊として名高かった飛行第244戦隊を率いて、自らもB-29体当たり撃墜を果たした戦隊長として有名な小林照彦さんという陸軍少佐がおられるんですが、この方も戦後、航空自衛隊の設立と共に再び軍人パイロットに復職されてるんですが、当時共にメリケン人教官にジェット戦闘機の訓練を受けた海兵出身のある同期生さんの話によりますと

「(米人教官のキビシイ指導で)学生対米人教官が感情的に対立し、爆発寸前にあるという情報が空幕に入り、教育部から課長、部員がおっとり刀で飛んできたことが有った。学生の主だった者たちが集まったが、その中から米軍教官の横暴ぶりを説明する者が有った」

無題
Name 名無し 16/05/13(金)22:18:21  No.1169279 
「最後に小林君が、『確かに米軍教官の中には悪い者もいるが、概して熱心であり、親切だ。彼らにしても1年も2年も故国を離れ、中には妻子を置いて一人で来ている者も有り、しかも矢本の田舎暮らしでは、多少気が荒くなるのもやむをえない。私は昔、外国の留学生を教育したことが有るが、こんなに親切には出来なかった。それにくらべて文句も言えない。また十人に一人くらい、エキセントリックなのが居るのは、日本側教官になっても同じではないか。我々の側にも大いに反省すべき点がある』ということでそのまま終わってしまった」

…という事があったんだそうで

無題
Name 名無し 16/05/13(金)22:19:29  No.1169280 
小林さんはその後、更に講習の為今度はアメリカ本土に留学するんですが、その間の家族への手紙に色々初見や感想を語っておられまして

「アメリカは偉大な国である。しかしまたアメリカは未開、非文明の国でもあるとつくづく思う。人は皆理想を持ち、これを標榜して努力する。そしてある時はそれが既に完成して何もかも立派で、世界第一等と任ずるようになる。そこに間違いが生じるわけだ」
「今日はサンアントニオ交響楽団のコンサートに招待されて、大変気持ちの良い一日を過ごしました(略)この音楽家たちとパーティで話し合いましたが、平和を愛するのも、自国の存立を通しての平和を愛しているのがはっきり分かりました。演奏を始める前に、アメリカの国歌をまず演奏し、聴衆は全部起立してこれに唱和していました。日本人の、国旗、国歌に対する心構えをこの際、再認識する必要があると思います」

無題
Name 名無し 16/05/13(金)22:20:11  No.1169282 
「日本人は、どこまでも日本人です。我々のことについても、米国の傭兵だとか、植民地根性とかいう連中が多いと思いますが、小生はあなた(※奥さまです)も知っての通り、固い信念を持っていますから屁とも思いません(略)次の日本の、発展の基礎を作るのです」
「合理的に、物事を処理する点では感心します。悪く言えば、馬鹿の一つ覚え式で規則通りにということになりますが、日本人にとっての弱点(情状酌量と言う美点でも有りますが)はこの辺にあるかと思います」
「今日午前中は、ここの訓練や教育施設全般についての懇談会がありました。昔我々が明野にいたころは、こんなことはしなかったものです。次のコースをよりよくするためにという事で我々学生も気の付いたこと、こうした方がよいと思うことなどを率直に述べて懇談しました」

無題
Name 名無し 16/05/13(金)22:21:41  No.1169283 
「色々な意見を素直によく聞いて、これに就いて検討を加え、討論をして次の為の改善を図るということは確かにアメリカの良い所ですね(略)なんでもかんでも発表して、虚心に改善を考えるという点は確かに良い事だと思います」
「今の(日本の)子供たちが大きくなって代議士になり、役人になる頃には良くなるとおもいますが、過渡期の今の日本。古い頭の人間が指導層に立っている間は相変わらず駄目ですね。今の日本の子供たちが大きくなった時こそ、日本は紳士国になると思います」

…等、アメリカの良い所悪い所を色々実地に体験した上で、過去の日本のやり方を批判しつつもただアメちゃん流のやり方を全面的に受け入れるのでなく、何を取り入れて何を拒むのがこれからの日本にとって一番いいことなのか?ってのを真摯に考えられておられるんですけど、ある意味それはそのまま戦後の自衛隊がどうあるべきなのか、について検討や試行錯誤を重ねてこられた全ての関係者の方々に共通する悩みだったかもしれないですなあ

無題
Name 名無し 16/05/13(金)22:25:35  No.1169286 
因みに小林さん、この懇談会の後は

「教官全部と野外で大パーティがあり(略)大きなビフテキを外のカマドでジュージュー焼いて、これにサラダを添えたなかなかの御馳走でした。適当に食べ終わり、飲み終わると(略)残ったビールを車に運んで野球場に行き、煌々とライトをつけて夜間試合です。みなビールを相当に飲んでいるものですから、エラーの続出で、全く面白いゲームでした。こういうパーティは初めてです。荒くれ男の集まりにまことに相応しいパーティでした」

…そうなw

B・B・Q!B・B・Q!
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1168585.htm

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