第66回 連載「フォークランド紛争小咄」パート26
外郭防衛線の決戦・前編(ツーシスターズ山の戦い)

文:nona

 6月11日夜、スタンレー外郭防衛線上の、3つの山をめぐる地上戦が開始されました。長距離火力を保有し、陣地化された山頂に立てこもるアルゼンチン軍に対し、軽歩兵主体で砲弾も不足気味のイギリス軍は奇襲で対抗。外郭防衛線をめぐる戦いは熾烈なものとなりました。

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(引用元)http://www.naval-history.net/xDBMissiles.htm

フォークランド戦争―“鉄の女”の誤算
サンデー・タイムズ特報部 宮崎正雄
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 1982年6月11日の夕方、イギリス軍の3つの歩兵大隊は、スタンレー西方10kmのアルゼンチン軍外郭防衛線へ前進を開始。防衛線上には標高2~300mの山が3つ存在し、それぞれに2~400名のアルゼンチン軍歩兵が配置されました。

 この3つの山のなかで、最も標高が高かったのがツーシスターズ山。標高は326mで、東西に2つの頂を持っています。

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(引用元)http://www.raf.mod.uk/history/TwoSisters-11and12June1982.cfm
ツーシスターズ山。

 2つの頂の片方には、アルゼンチン陸軍第6歩兵連隊のB中隊170名および重迫撃砲が配備され、もう一方には第4歩兵連隊のC中隊100ないし120名が配置されました。2つの中隊は指揮系統が分離されている問題を抱え、さらに第4歩兵連隊C中隊は海上封鎖の影響を強く受け、陣地構築資材も欠乏していました。[1-1]

 このツーシスターズ山の攻略を担当したのが、ホワイトヘッド中佐率いる第45海兵コマンド大隊。[1-1]


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(引用元)http://www.raf.mod.uk/history/TwoSisters-11and12June1982.cfm
第45海兵コマンド大隊の隊員。人員数は約600名で、450名が戦闘要員で、残りが後方支援を担当した。

大隊長が立案した作戦は、

①X中隊が先行し、ツーシスターズ山の南西の丘「ロングトレイル」から陽動攻撃を実施。
②Y,Z中隊が北西からツーシスターズ山へ突入。X中隊は「ロングトレイル」に留まり火力支援を継続。
③Z中隊が西の頂を制圧し、Y中隊が「サマーデイズ」を攻略する。

というもの。[1-1][2-1]


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(引用元)http://www.naval-history.net/F55-45_Commando_Battle_for_Two_Sisters.htm
X,YZ中隊の当日の動き。

 この「夜間に1個中隊で敵陣へ陽動をしかけ、その隙に本隊が別方向から突入する」という作戦は、他のイギリス軍大隊と共通の、オーソドックスなもの。「教科書通り」とも言われるものでした。もっとも「教科書通り」に作戦を実行できた隊もあれば、そうでない隊もありました。[1-1]

 第45海兵コマンド大隊の場合は後者にあたり、X中隊が攻撃開始時刻に遅れる、という痛恨のミスを犯しています。[1-1][2-1]

 X中隊員は他の中隊員よりも荷物が重く、これが行軍速度の低下を招いたころが遅延の原因の一つでした。各員は自身の携行火器、ミサイル発射器や迫撃砲のパーツ、そして30ポンド(13.6kg)の砲弾を背負わされていました。その上で軟弱な泥炭地を夜間に歩かされ、暗闇で進路を間違えるアクシデントまで発生したのです。[1-1][2-1]

 結局X中隊は6kmの道のりの踏破に6時間半も要し、ロングトレイルと呼んだ丘の到着に2時間半も遅刻していました。[1-1][2-1]

 やむなくホワイトヘッド大隊長は遅れを取り戻すために作戦を変更。X中隊には10分ほど休ませただけで陽動を始めるように指示し、Z,Y中隊には陽動の開始からすぐに前進を行うよう命じています。陽動の効果を減じかねない指示ではありますが、それでも作戦が朝まで長引くよりはまし、と思われていたのです。[1-1][2-1]

 もし戦闘中に朝を迎えてしまえば、アルゼンチン軍の重機関銃や砲撃の精度が一気に向上。イギリス軍が圧倒的に不利となってしまうのです。これはグースグリーン・ダーウィンの戦いの戦訓でもありました。[1-1]

 こうして第45海兵コマンド大隊の戦闘は23時ごろ、全中隊がほぼ同時に戦闘を開始しました。[1-1]

 ただし、すでに他の大隊は戦闘中で、砲兵部隊も彼らの火力支援に追われていました。このため、第45海兵コマンド大隊への砲撃支援は後回しされていました。さらに、X中隊が持ち込んだ迫撃砲は、砲弾を発射するごとにベースプレートが泥炭地に沈下。迫撃砲ならではの連続射撃も、困難にになっていました。[1-1]

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(引用元)http://www.naval-history.net/FxDBMissiles.htm
第45海兵コマンド大隊の戦闘を描く戦争絵画。照明弾でアルゼンチン軍の機関銃陣地を照らし、ミラン対戦車ミサイルで陣地をピンポイントに攻撃する様子が描写されている。

 第45海兵コマンド大隊は火力の不足を補うため、洋上のカウンティ級駆逐艦グラモーガンに艦砲射撃を要請。同艦の114mm砲の支援によって、Z中隊はツーシスターズ山の西の頂の制圧に成功します。[1-1][2-1]

 しかし、イギリス軍が「サマーデイズ」と呼ぶ東の頂では、400ヤード(365m)先にある陣地からの機関銃射撃、155mm砲を含む複数の火砲の弾幕によって、前進を阻まれてしまいます。[1-1][2-1]

 Y,Z中隊は砲撃支援を要請したものの、岩場の隙間に深く掘られたアルゼンチン軍陣地にはさほど効果が得られません。逆にアルゼンチン軍の砲撃によって、砲撃観測員のバーデット伍長が負傷。伍長は傷つきながらも弾着観測を続けたものの、膠着状態が1時間も続きました。[2-1]

 こうした状況の中、Z中隊の第8小隊長のダイトー中尉は、砲火の中で突然立ち上がり、「総員前進!ズールー!ズールー!ズールー!(Z中隊の掛け声)」と叫び、たった一人で銃剣突撃を開始。[1-1][[2-1]

 この奇行を目撃した部下の一人は「そのお×××頭を伏せろ!バカ野郎(原文ママ)」と叫びますが、ダイトー中尉の狂気はZ中隊全体に伝染。皆がダイトー中尉に続いて攻め上がりました。これを見たアルゼンチン軍兵士達は恐慌状態に。[1-1]

 そしてZ中隊はサマーデイズの制圧に成功。驚くべきことに、突撃時の負傷者はたったの1名。さらに4時18分にはY中隊がツーシスターズ山の東橋まで到達し確保し作戦を完遂。この戦闘でアルゼンチン側は死者10名、負傷者50名、捕虜54名を出していますが、イギリス側は死者4名、負傷者10名の損害。無傷とは言えないものの、少ない損害に留めることができました。[2-1]

 この戦いの功労者のバーデット伍長とダイトー中尉は特別に勲章を授かっています。[2-1]

 ただ後の調査では、より経験のある部隊がツーシスターズ山を守っていた場合、極めて強力な防御拠点となっていた、とも分析されています。その場合はダイトー
尉の突撃も容易に撃退されていたかもしれません。[1-1]

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(引用元)www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1131
対空射撃用の銃把が装着されたアルゼンチン軍のM2重機関銃。


中編(ハリエット山の戦いに続く)


出典
[1-1]フォークランド戦争史 P311~313
[2-1]RAF Battles of the Falklands Conflictより1112 June 1982 - Two Sisters

参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算(サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書(防衛省防衛研究所 2015年11月18日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland