第64回 連載「フォークランド紛争小咄」パート25
決戦前夜の島都スタンレー  前編

文:nona

 1982年6月の第2週、島都スタンレーまで20kmまで迫ったイギリス軍に対し、アルゼンチン軍は高地帯に防衛線を張り、イギリス軍の阻止に成功。しかしイギリス軍の停滞が一時的なものは明らかで、両軍ともに決戦準備に追われていました。

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(引用元)http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1204
公園内の遊具に設置されたロケットポッド。

フォークランド戦争―“鉄の女”の誤算
サンデー・タイムズ特報部 宮崎正雄
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 1982年5月27日以降イギリス軍地上部隊は徒歩、ヘリコプター、揚陸艦で東フォークランド島を横断。6月8日までに7個の歩兵大隊とその支援部隊がスタンレー西方20kmのケント山、チャレンジャー山の麓に到達していました。[1-1]

 対するアルゼンチン軍・スタンレー守備隊は、街の西方10kmにそびえるハリエット山、ツーシスターズ山、ロングドン山の高地帯に外郭防衛線を構築。この内側のワイヤレスリッジ、タンブルダウン山、ウィリアム山の内郭防衛線としています。これら外郭と内郭の防衛線は3つの陸軍歩兵連隊*と1個の海兵大隊が配置されました。[1-1](*アルゼンチン陸軍の連隊の大きさは他軍の大隊に相当する)

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(引用元)http://www.raf.mod.uk/history/Actions,lossesandmovementsonlandandsea.cfm
スタンレー西方の山岳地帯。6月11日の時点では赤枠の山はイギリス軍が、青枠の山はアルゼンチン軍が布陣していた。

 さらに、防衛線の内側に155mm砲3門、105mm砲42門、さらに砲弾が1万発備蓄され、前方の高地を用いた観測で、効果的な砲撃が可能になっていました。[1-1]


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(引用元)www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1131
アルゼンチン軍のソルタムL33-155mm榴弾砲 。

 ただし、防御線に配備された部隊の状況は一律ではなく、特に5月26日以降に防衛線に配置転換された第4歩兵連隊は、海上封鎖の影響を大きくうけ陣地構築の資材に事欠いていました。有刺鉄線や材木は欠乏し、スコップすら数個しか届かなかった、とされています。

 この防御線によって、アルゼンチン軍はイギリス軍の前進を一時的に阻むことに成功し、6月3日に前進してきたイギリス陸軍の第3空挺大隊を、ロングドン山の麓で退けています。[1-2]

 さらに6月6日の早朝、両軍の中間点のマーレル橋で斥候部隊同士の遭遇戦が発生。アルゼンチン軍は5名の戦死者を出し、空挺大隊側の前進を許したものの、防御線からの抵抗で、再び空挺大隊を退けました。[1-2]

 外郭防衛線の抵抗活動はイギリス軍に「他の地域のアルゼンチン軍より、よく訓練をうけ指揮が高い」という印象を与え、イギリス地上部隊は停止を余儀なくされています。[1-2]


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(引用元)http://www.taringa.net/posts/info/14633622/Algunas-armas-utilizadas-en-la-guerra-de-Malvinas-por-ambos.html
陣地内アルゼンチン軍兵士たち。

 そこで、イギリス軍地上部隊6月8日に強襲揚陸艦フィアレス艦上へ第5歩兵旅団のウィルソン陸軍准将、第3コマンド旅団のトンプソン海兵隊准将、フォークランド地上部隊司令官ムーア海兵隊少将らトップ3名を集め、防衛線突破のための作戦会議を開きます。[1-1][2-1]

 会議では2名の旅団長がそれぞれ異なる作戦を提案し、ウィルソン准将は外郭防御線の南端、ハリエット山麓のスタンレーに通じる道路に2個大隊を投入し、ここを突破したら、残る5個大隊をなだれ込ませ、一気にスタンレーに迫まで迫り、防御線の裏側に圧力を与えよう、と提案しています。[1-1][2-1]

 しかしトンプソン准将は外郭防御線の3つの高地全てを攻略してから、前進すべきだ、としました。狭い範囲を突破を試みるウィルソン准将の作戦は、残存する高地から砲撃観測を受ける危険がある、と指摘しています。そして実際の作戦もトンプソン准将案を採用することになりました。[1-1][2-1]

 この会議中にはフィッツロイで揚陸艦が大破、ウェールズ近衛大隊が大損害を被った、という情報も届けられています。このためウェールズ大隊のうち、被害の多かった2個中隊が海兵隊員で補強されることになりました。[1-1]


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(引用元)http://www.telegraph.co.uk/news/telegraphchristmasappeal/3512643/Christmas-Charity-Appeal-Andy-McNab-on-fighting-the-battle-that-doesnt-end.html
6月8日の空襲によって炎上する揚陸艦サーガラハド。

 さらに旅団レベルの再編も実施され、第2空挺大隊とウェールズ近衛大隊はウィルソン准将の第5歩兵旅団を離れ、トンプソン准将の第3コマンド旅団に編入されることになりました。[1-1][2-1]

 ウィルソン准将はその場では同意したものの、内心にはムーア少将と、トンプソン准将に対する不信も抱いていました。二人は共に海兵隊出身ですから、彼らが陸軍の功績を横取りしようとしたのでは、とも思えたのです。[1-1]

 しかし配置換えの真相は、ムーア少将がウィルソン准将の指揮官としての素質に疑念を感じ、ウィルソン准将に2個大隊以上の部隊を指揮させたくなかった、と考えた結果でした。[1-1]

 なぜ、ウィルソン准将に指揮官の素質がないと思われたのか。理由は定かではありませんが、ウィルソン准将は5月の時点で周囲に不安を漏らすなど、臆病の傾向があると思われていたのは事実。それでも旅団長であり続けたのは、上層部が重大な時期の指揮官の交代を躊躇したため、という話も残されています。[1-3]

 こんなウィルソン准将も紛争中に疎外感を感じていたのか、はたまた別の理由か、紛争後に47歳で軍を辞職しています。[1-4]


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ウィルソン准将は、2012年に「孤独な指揮官」というタイトルの本を出版されている。
(引用元)http://www.amazon.com/The-lonesome-Commander-Military-Milit%C3%A4rgeschichte-ebook/dp/B009K2H228#reader_B009K2H228

 作戦会議直後の6月8日夜、トンプソン准将はムーア少将に、歩兵部隊の準備が完了したことを上奏し、ムーア少将も翌日の夜に攻撃作戦の実施を決定します。しかし、砲兵連隊長が作戦の延期を要請。ムーア少将も数度の延期に応じ、最終的に作戦開始を6月11日の夜に定めています。このとき砲兵隊では30門のL118 105mm榴弾砲に各門300発の砲弾を準備していましたが、連隊長は各門1000発の備蓄を要求していたのです。[1-1]

7
(引用元)conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1133
海兵隊の105mm榴弾砲中隊。

 ただし1000発という数字は、現状の輸送実績を考慮すると9日を要すると見積もられたため、ムーア少将は各門の備蓄を500発で手を打ってもらっています。[1-5]

 この砲弾の不足を補うため、地上部隊の各大隊は、海軍戦闘艦からの艦砲射撃支援を活用することになりました。ただし海軍も砲弾残量と砲身寿命の問題を抱えており、各艦の砲弾数は300発に制限されていました。[1-1]


8
(引用元)https://en.wikipedia.org/wiki/1982_British_Army_Gazelle_friendly_fire_incident
42型駆逐艦カーディフの4.5インチ砲。

 一方のアルゼンチン軍もイギリス軍の総攻撃を予期。6月9日に守備隊司令のネメンデス少将は、副官のダエル少将に本土へ帰還させ、軍本部へ状況報告を行いつつ、本土からの支援を引き出そうと画策しています。[1-1]

 ブエノスアイレスの軍本部に到着したダエル少将は、スタンレーの兵士は健康で士気も旺盛、食糧と弾薬は23日まで持つと報告し、続いて暗視装置と155mm榴弾砲の供給を要請しています。[1-1]

 しかし現実には、食糧事情はかなり悪化していたそうです。パンは1ヶ月提供できず、たん白質の欠乏も問題になっていました。[1-4]


9
(引用元)http://www.zona-militar.com/foros/threads/im%C3%A1genes-del-conflicto-de-malvinas-fotos.258/page-1242
食事をとるアルゼンチン兵士。

 そしてダエル少将は、本土の戦力をフォークランドに投入する反抗作戦を提言。コードネームは「郵便ポスト作戦(Operacion buzon )」。これは西フォークランドの残存2個連隊と本土の空挺部隊を合同させ、イギリスを背後から奇襲しよう、というもの。同時に海軍の艦艇もフォークランドに再派遣し、艦砲射撃を行うことも提案しています。[1-1]

 しかし、少将の作戦案はあまりに夢想的として上層部は否認。アルゼンチン軍にとって海上と空中の優勢を確保は実現が困難で、投入部隊は逐次撃破されるだろう、と考えられていたのです。ガルチェリ大統領もスタンレーにある戦力で十分、とダエル少将に改めて徹底抗戦を命じています。
[1-1]

後編に続く



出典
[1-1]フォークランド戦争史 P229~304
[1-2]同P286~287
[1-3]同P279
[1-4]同P318
[2-1]フォークランド戦争 鉄の女の誤算P226~227
[3-1]https://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Wilson_%28British_Army_officer%29

参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算(サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日
SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書(防衛省防衛研究所 2015年11月18日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland