無題 Name 名無し 16/04/09(土)17:47:42 No.422674
無題 Name 名無し 16/04/09(土)18:01:02 No.422675
無題 Name 名無し 16/04/09(土)22:51:44 No.422714
無題 Name 名無し 16/04/10(日)14:21:35 No.422785
無題 Name 名無し 16/04/09(土)23:07:20 No.422715
無題 Name 名無し 16/04/10(日)08:53:44 No.422756
無題 Name 名無し 16/04/09(土)23:25:56 No.422719
無題 Name 名無し 16/04/10(日)02:05:37 No.422737
無題 Name 名無し 16/04/10(日)18:42:21 No.422819
無題 Name 名無し 16/04/10(日)18:43:50 No.422820
無題 Name 名無し 16/04/10(日)18:52:10 No.422821
無題 Name 名無し 16/04/10(日)23:19:19 No.422859
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無題 Name 名無し 16/04/09(土)18:01:02 No.422675
確か日本にはブルドーザーがなく米軍の接収したやつを捕虜から尋問してそういうのが存在してるって初めて知ったっと聞いた
無題 Name 名無し 16/04/09(土)22:51:44 No.422714
>確か日本にはブルドーザーがなく米軍の接収したやつを捕虜から尋問してそういうのが存在してるって初めて知ったっと聞いた
それ、有名なウソだよ。
実際は戦前に京都大学がブルドーザーを海外輸入してる
無題 Name 名無し 16/04/10(日)14:21:35 No.422785
>実際は戦前に京都大学がブルドーザーを海外輸入してる
○○式均土機ってやつを陸軍が試作実用化してるな
米軍捕虜に飛行場修理の見積もりを200~300人でって話したら10数人でやってしまったとか
部隊長の草鹿龍之介が「国産ブルはすぐ履帯切れるし」とかこぼしてたそうな
無題 Name 名無し 16/04/09(土)23:07:20 No.422715
工兵のかなりの地位の者でもブルドーザーの存在を知らない場合があったと、聞いた覚えがある
無題 Name 名無し 16/04/10(日)08:53:44 No.422756
>工兵のかなりの地位の者でもブルドーザーの存在を知らない場合があった
日本はまだブルがドーズしてなくて普通にワークしてたわけで
無題 Name 名無し 16/04/09(土)23:25:56 No.422719
知らない人がほとんどだっただけではないか?
今の感覚で言うと何処かの大学や企業が買った国内に数台しかない珍しい機械で知らない方が当たり前的な
無題 Name 名無し 16/04/10(日)02:05:37 No.422737
もしも戦前の日本でブルドーザーが普及していたなら、外地であれほど飛行場建設に苦労しなかったんだろうなぁ。
もしそうだったら二式水戦や強風も作られていなかったかも?
無題 Name 名無し 16/04/10(日)18:42:21 No.422819
1942年後半に、時の東條陸(首)相から陸軍航空本部に対して飛行場を三日で造る研究をしろ!という厳命が下ったそうなんですが
当時航本総務課員だった釜井耕輝中佐と言う方の述懐によりますと
「陸上作戦では、兵器・用兵の進歩に従って築城・要塞が大いに研究されました。航空は地上と比較にならぬほど兵器・兵力・運用が画期的急速に発展したのに、なぜわが国で航空基地設定技術がこれほど遅れたのか」
とした上で、
「これには根本的な問題が二つあります」
無題 Name 名無し 16/04/10(日)18:43:50 No.422820
「第一は、我が陸軍の仮想戦場は大陸で有り、地形の特性と人的資源の豊かさに容易に依存して、人海戦術で軽易に飛行場が出来ていた事。そして陸軍内では勿論、地上作戦協力を主体とする思想から脱皮できず、航空独自の運用用兵を軽視し、飛行場と言うより、航空基地としての機能や条件に付いて研究もせず、施設の要求もしなかったことであります」
「第二として、日本は水田耕作を中心とする農業が主体で、農耕に大農式機械力を必要としなかった。また土木事業も人力を主用し機械力は国情に適せずという機械力批判の底流が有った。更に政治的には土木工事は失業対策事業でした」
「肝腎の土木学徒でさえ、学究的理論は別として、土木機械のカタログは一通り眺めて傍に積んでおくという有様」
「国策なきところに研究の発展はない道理で、土木工事に関する機械化の関心はまことに薄かった」
無題 Name 名無し 16/04/10(日)18:52:10 No.422821
…んだそうで、大体当時の状況を過不足なく語ってらっしゃるモノだと思うんですけれど、東條サンの指示により機械化飛行場設定隊創設に着手すべく、民間機材と陸軍秘蔵の特殊器材が掻き集められたそうで
・運土車(ダンプカー)東京都土木課所有、1トン積み…1台
・掬土車(パワーショベル)東京築地の掘削用30トン車
・牽引車 最新鋭の6トン車(抜根、転圧用)
・抜根機 農林省が桑の根を抜くために考案したもの
・伐開車 満州東部の森林地帯で使用想定の工兵用秘密兵器
・南方で入手した(敵)土木機械(ブルドーザー?)のコピー品(小松製作所等発注)
…等でなんとか2隊を編成したそうなんですが、残念ながら南方へ移送中の1943年、敵機の攻撃により全て海没してしまったそうな…
無題 Name 名無し 16/04/10(日)23:19:19 No.422859
ここ読むといいかも
http://hw001.spaaqs.ne.jp/geomover/hstry/hstry1.html#s10
引用元: http://may.2chan.net/39/res/422624.htm
バラレ海軍設営隊―ソロモン航空基地建設の軌跡
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コメント
問題は南方戦線へ送れるだけの数がなかったんやな。
ガソリン、スペアパーツ等
食糧さえマトモに届かない日本の兵站能力では荷が重い
人件費を圧縮して装備近代化を図るってのは軍の近代化をする上で必要な手順
まあ軍の全面機械化に成功したのアメリカだけだったけど
アメリカでは自動車や農業機械の普及で黒人兵にすら機械の知識がある者が多く、教育ですら容易だった
一方、他の国では軍馬が重要な輸送手段のままだった
ラバウルや硫黄島、泰緬鉄道建設現場には重機ある写真あったで
圧倒的に数が足りないという事かな
海軍では1937年あたりからの対米緊張の高まりから、工作機械や航空機材などを1941年の経済制裁まで買いまくっていたが
まあアメリカから買ってたってのが失笑もんだがw
陸軍ではどんなもんだったろうねー
高層ビルや自家用車が闊歩する国と戦争してはいけない(戒め)
そういうことです
ラバウルクラスならまだしも、各小飛行場でブルがある写真見たことがないからなあ。
年度末の道路工事も、実地訓練の意味合いもあるんだろうし。
そうして精進した結果、地震で陥没した道路を数日で復旧する腕前を得たんだと信じたい。
問題は、それを必要な場所に、必用な数だけ輸送する事が出来たか、という事で…。
米国と比較したときの基本的な工業力と生産力が劣りすぎていた。
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