第59回 連載「フォークランド紛争小咄」パート23
標的となったイギリス揚陸艦  後編

文:nona

 先行したダガー戦闘攻撃機部隊のおかげで、迎撃をうけずにフィッツロイへ到達した5機のA-4。対するフィッツロイのイギリス軍は、折からの通信の不通で空襲警報が達しておらず、突然のA-4の襲撃に有効な対処ができませんでした。

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(引用元)http://www.itv.com/news/2013-04-10/falklands-conflict-units-to-play-role-in-thatcher-funeral/

手漕ぎの救難艇でサーガラハドから脱出した近衛大隊の兵士

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 A-4機が飛来したそのとき、サートリストラムから運びだされたばかりの4基のレイピアは発射可能な状態にありませんでした。設置作業は未だ完了しておらず、一部のレイピアに至っては、ヘリコプター輸送時に部品が破損していたのです。地上部隊から1発のブローパイプが発射されたものの、A-4の素早さに追従できず、命中しませんでした。[1-1][3-1][4-1]

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(引用元)http://www.roguegunner.com/2011/10/rapier-missile-launcher-san-carlos.html
サートリストラムから輸送されてきたばかりのレイピアは、すぐに稼動状態になかった。

 防空体制の不備を見抜いたA-4各機は、爆弾の信管を確実に作動させるため若干高度を上げ、フィッツロイに停泊していたサートリストラムとサーガラハドを爆撃。 [3-1]

 この攻撃をうけたサーガラハドは、積み荷の20トンのガソリンと弾薬が誘爆し激しく炎上。艦内に残っていた多くのウェールズ近衛兵を巻き込んでいます。[2-1]


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(引用元)http://www.telegraph.co.uk/news/telegraphchristmasappeal/3512643/Christmas-Charity-Appeal-Andy-McNab-on-fighting-the-battle-that-doesnt-end.html
炎上するサーガラハド

 さらにサートリストラムも炎上、ダメージはサーガラハドほどではなかったものの、2名の中国人RFA船員が死亡しています。[1-1][2-1][3-1][4-1]

 炎上する2隻から生存者を救い出すため、フィッツロイの3機の輸送ヘリコプターと2隻のLCUの乗員は、爆発に巻き込まれる覚悟で、必死の救助活動にあたりました。[2-1][3-1]

 シーキングのパイロットとして救助に向かったクラーク少佐は、シーキングのメインローターが黒煙を下方に押し戻してしまい、何度も視界を遮られてしまいます。そこで艦尾に刻まれた艦名を目印に機体の平衡を保ち、艦尾から脱出した生存者を救助しています。[3-1]

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(引用元)http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/military-obituaries/7809358/Commander-Hugh-Clark.html
クラーク少佐のシーキング

 さらに救助中に周囲の風向きが変わり、救命艇がサーガラハドの方向へ流され始めると、クラーク少佐や他のヘリコプターはローターの風圧で救命艇を散らし、救命艇を安全な位置へ逃しています。[3-1][5-1]

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(引用元)http://home.bt.com/news/world-news/june-8-1982-56-die-at-bluff-cove-as-argentine-jets-bomb-sir-galahad-and-sir-tristram-11363985293359
ウェセックスヘリコプターで救助される生存者。

 そして日没直前の夕方5時、アルゼンチン軍は揚陸艦にとどめを刺すために、A-4攻撃機2波による空襲を再開しました。[2-1][3-1]

 この攻撃でLCUの「フォックストロット・ワン」がA-4の爆撃をうけ大破、プライス伍長1名を除く、乗員6名が戦死しています。戦死したジョンストン艇長は、5月23日の晩にアンテロープ、そして6月8日のサーガラハドから生存者を救助した人物でした。[2-1]

 しかし、これがアルゼンチン軍攻撃隊の最後の戦果となりました。再攻撃に備えていたレイピアと地上部隊の対空射撃で第一波のほとんどのA-4が追い返されています。

 さらに第二波のA-4はシーハリアーが放ったAIM-9Lによって3機が撃墜。搭乗していたパイロットも全員戦死しています。[2-1][3-1]

 命からがらに脱出に成功したA-4も、その2機が燃料タンクから燃料が漏れはじめ、燃料切れで海上に墜落する危機が迫っていました。そこで、帰路で待機していたKC-130の給油ドローグに接続し、そのまま給油を受け続けながら飛行することで、無事にアルゼンチン本土に帰還しています。[3-1]


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(引用元)http://www.taringa.net/post/imagenes/18460977/La-chancha-de-la-Fuerza-Aerea-Argentina.html
同時給油を試みるアルゼンチン空軍のKC-130とA-4。

 この日の戦闘の死者は、プリマスで1名、サートリストラムで2名、LCUで6名、そしてサーガラハドで48名の死者と52名の負傷者。

 とくにサーガラハドでは負傷者の多くが重篤なやけどを負い、サンカルロスの廃工場を接収した野戦病院や臨時の病院船ウガンダに後送されました。

 イギリス軍の人的被害は紛争中で最大のものでした。さすがのイギリス国防省も死傷者数の公表をためらい、戦死者の家族にのみ通知がなされています。[1-1][2-1][5-1]

 しかしアルゼンチン軍は戦果を過剰に分析したようで、マスメディアも500~900人の死者と報じています。イギリスのマスメディアも国防省を厳しく非難しました。[1-1] [2-1]

 アルゼンチン軍政権も攻撃に成功したと考え、スタンレー守備隊にフィッツロイへの追い打ちを検討させています。しかし、スタンレーのイギリス軍包囲網のために実行されず、再度の空襲も翌日以降の悪天候で延期。航空部隊の多くは再出撃の機会がないまま、6月14日の終戦を迎えています。[1-1][2-1]

 アルゼンチン軍の反攻は尻切れトンボになってしまい、結局はイギリス軍の前進を2日ほど遅らせたに過ぎませんでした。[1-1]

 6月8日の戦いから少し経って、サートリストラムドック船でイギリスヘ後送されています。

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(引用元)https://en.wikipedia.org/wiki/File:RFA_Sir_Tristram_%26_MV_Dan_Lifter_late_1982.JPG
82年暮にドック船に収容されたサートリストラム

 一方で致命的な損害を被ったサーガラハドは修復の見込みも薄く、残念ながら紛争後に雷撃処分とされています。しかし、艦名と艦番号は補助艦隊で引き継がれ、代艦として建造された改ラウンドテーブル級揚陸艦が新たなサーガラハドとなりました。

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(引用元)http://www.fostlong-photography.com/Falkland-Islands-Fitzroy-Memorials
フィッツロイに建立されたサーガラハドの慰霊碑。戦死した中国系船員のための漢字が彫られている

 最後にサーガラハドに乗船していたウェールズ近衛兵の一人、サイモン・ウェストン氏と、現在の彼を紹介したいと思います。

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(引用元)https://www.pinterest.com/andrewmcleod5/royal-navy/
フォークランド紛争時のサイモン・ウェストン氏

 ウェストン氏はサーガラハドが被弾したその時、ウェールズ近衛兵として同船に乗り組んでいました。このため艦内で発生した火災によって体表の46%を火傷する深傷を負っています。幸い一命をとりとめたものの、70回におよぶ再建手術でも容姿だけは完全に回復できませんでした。[6-1]

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(引用元)http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/features/4202089/Hero-Simon-Weston-returns-to-Falklands.html
紛争後、チャールズ皇太子に謁見するサイモン氏

 ウェストン氏は当時のエピソードとして「見舞いに来てくれた母にすら気付いてもらえなかった。声をかけることでようやく気付いてもらえたが、その顔は(驚きのあまり)石のように固まっていた」と回想しています。[7-1]

 精神的に弱った時期には自殺すら考えたそうですが、今ではイギリス国民からも英雄として慕われる人物となり、障害者や傷痍軍人のケアを改善するための社会運動をしているそうです。[7-1]

 そして軍隊や警察を志す若者や、戦争を支持するその他の人々に対し、戦争にどれだけの「覚悟」が必要か、自らの体験をもって訴え続けています。


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(引用元)http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/defence/10581582/Simon-Weston-I-wouldnt-join-the-Army-now.html
サイモン・ウェストン氏(左)とイギリス国立肖像画美術館に収蔵予定の肖像画。



出典
[1-1]フォークランド戦争史 P299~300
[2-1]The Falkland Islands CampaignよりActions, losses and movements on land and sea
[3-1]空戦フォークランド P226~237
[4-1]フォークランド戦争 P214~217
[5-1]サッチャー回顧録 上巻 P294~296
[6-1]www.simonweston.comよりAbout Simon
[7-1]en.wikipediaよりSimon Weston

参考
狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (朝日新聞外報部ISBN 9784022550200 1982年8月20日)
フォークランド戦争 鉄の女の誤算(サンデー・タイムズ特報部 ISBN-562-01374-5 1983年10月20日)
海戦フォークランド―現代の海洋戦 (堀元美 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日)
空戦フォークランド ハリアー英国を救う (Aプライス&Jエセル ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日

SASセキュリティ・ハンドブック (アンドルー・ケイン&ネイル・ハンソン ISBN 4562036664 2003年7月10日)
サッチャー回顧録 ダウニング街の人々上巻 (マーガレット・サッチャー ISBN4-532-16116-9 1993年12月6日)
兵器ハンドブック湾岸戦争・フォークランドマルビナス紛争 (三野正洋、深川孝之、二川正貴 ISBN 4-257-01060-6 1998年6月20日)
世界の特殊部隊作戦史1970‐2011(ナイジェル カウソーンISBN978-4-562-04877-9 2012年12月16日)
フォークランド戦争史 (防衛省防衛研究所 2015年9月8日取得)
平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書(防衛省防衛研究所 2015年11月18日取得)
The Falkland Islands Campaign (イギリス空軍公式サイト内 2015年12月10日取得)
フォークランド紛争(日本語版wikipedia 2015年12月20日取得)
thinkdefence.co.ukよりタグfalkland