第28回 連載「フォークランド紛争小咄」パート11
極地のサウスジョージア島奪還計画・パラケット作戦  中編

文:nona

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http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/southamerica/falklandislands/9797586/War-in-the-Falkland-Islands-the-forces-from-1982.html


 1982年4月22日、SAS(特殊空挺部隊)はサウスジョージア島・リース港の偵察に失敗。その間SBS(特殊舟艇部隊)は、もう一つのアルゼンチン軍の拠点・グリトヴィケン港の偵察を試みたのですが…

フォークランド紛争 山崎雅弘 戦史ノート
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■SBS部隊、嵐の船出■

 SAS偵察隊が行動を開始した4月21日、氷海警備船「エンデュアランス」はセント・アンドリュース湾に残っていたイギリス南極観測隊員と連絡をとり、ヘリコプター科学者の一人を船まで連れてきて島の状況を報告させています。[1]

 その後「エンデュアランス」はグリトヴィケン港から20km離れたハウンド湾へ侵入、SBSもヘリコプターとジェミニボートでサウスジョージア島へ上陸します。SBS隊員は翌日から2つの廃港を捜索しつつバーフ湾ヘ徒歩で移動、夕方にヘリコプター運ばれる2隻のジェミニボートに乗り込み、夜間にグリトヴィケン港へ接近する計画でした。

 しかし、いざジェミニボートを受領する際、1隻が破損。残る1隻に全員で乗り込むことなったものの、天候が悪化。風力は11、瞬間風速70ノット(風速36m/秒)のためボートは陸へ吹き戻されてしまいました。流氷も密集しつつあり、SBS指揮官は偵察の中止と撤退を要請。グリトヴィケン港への偵察は果たせんでした。


■SAS、二度目の挑戦■

 SBSの失敗の翌日、再びSASによる偵察が行われます。4月23日の夜0800P時、フォーチュナ氷河から帰還したSASは駆逐艦「アントリム」でリース港のあるストロームネス湾ヘ侵入、5隻のジェミニボートで湾内のグラス島への上陸を試みます。[1]

「アントリム」はグラス島の1.6kmまで接近し上陸地点のすぐ近くでボートを下ろしたものの、2隻のエンジンが相次いで故障するアクシデントに見舞われます。ボートが「アントリム」艦内から、極寒の艦外に出された影響で、エンジンに不調をきたしたのです。

漂流中の1隻はすぐ発見されたものの、残る1隻とその乗員は風と海流で流され、行方不明に。この時の詳細は資料によって異なるものの「空戦フォークランド」では翌日未明に、防衛研究所の「フォークランド紛争史」では、3日後になって発見されています。[1][2]

 しかし3隻のボートは上陸に成功。SASは24日深夜にサウスジョージア本島へ渡り、リース港のアルゼンチン軍を偵察します。この偵察の結果、アルゼンチン軍兵士は悪天候を避けるため、一日中屋内に篭っていることが判明しました。



■決戦前夜の両軍■
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http://www.hmfriends.org.uk/falklands25th.htm
イギリス任務群に新たに追加されたリンクスヘリコプター

 ここ数日でヘリコプターの墜落にボートの漂流など、イギリス軍の行動は騒がしいものでしたが、グリトヴィケン港、リース港のアルゼンチン守備隊は共に無反応。これにはサウスジョージア島の急峻な地形や悪天候が影響していたかもしれません。[1]

 しかし、本土からサウスジョージア島へボーイング707型機やによる電子偵察が実施されるなど、イギリス軍の行動を探る動きはあり、4月21日には潜水艦「サンタフェ」がサウスジョージア島支援のため出港しています。同潜水艦には海兵隊員40名が乗り込んでおり、元からの駐屯部隊と合わフォークランドの海兵隊員は約95名となりました。[2]

 この動きはイギリス軍も察知しており、原子力潜水艦「コンカラー」が「サンタフェ」の捜索を開始。一方で給油艦の「タイドスプリング」は撃沈を恐れサウスジョージア島の200海里外に退避。同艦には上陸要員の海兵隊員120名が乗ったままでした。

 一方で任務群には新たな戦力として22フリゲート「ブリリアント」が参陣。同艦は2機のリンクスヘリコプターを搭載し、氷河に墜落した2機のウェセックスに代わる戦力となりました。


■サンタフェとの交戦と、戦いの決断■
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http://www.hmsbrilliant.com/content/dsection3.html
遁走中の「サンタフェ」。

 4月25日朝、潜水艦「サンタフェ」を探すため、イギリス海軍はサウスジョージア島の東岸に哨戒網を張りました。 この任務には22日にSAS隊員と墜落した2機のヘリコプターの搭乗員の救助に貢献した、ウェセックスHAS.3とその搭乗員も参加しています。 [1] [3]

 同機はカンバーランド湾付近の海域を担当しており、この日高度120mまで降りていた雲にかくれながら、目視で潜水艦の姿を追っていました。そして沖合のある地点で、たった一度だけレーダー捜索を実施すると、8km先に地点に反応があることを示します。

 そして隠れながら前進すると、1.2km地点でそれが水上航行中の「サンタフェ」であることを確認。同艦は海兵隊員と積み荷をグリトヴィケンに下ろし、湾の外へ出ようとする所でした。

 ここでウェセックスは増速して「サンタフェへ接近」250ポンド爆雷2発を投下します。「サンタフェ」は左舷に至近弾をうけ損傷。潜行不能となったのか、グリトヴィケン港へ遁走を開始します。その間にも短魚雷を装備したリンクス、AS12短距離対艦ミサイルを搭載したワスプからの攻撃を受け続けます。

 「サンタフェ」は逃げ続けたものの、ヘリコプターからの機銃掃射で動きを牽制され、艦橋にはワスプもAS12小型対艦ミサイルが命中。この攻撃で乗員一名が重傷を負っています。最期はグリトヴィケン港近くのキングエドワード崎へ乗り上げ、乗員は脱出。この戦闘の結果、「サンタフェ」は完全に無力化されたのです。

 しかし、アルゼンチン守備隊にイギリス軍の存在を知られることとなり、地上から機関銃による反撃が開始されます。しかしヘリコプターの撃墜には至らず、逆に空からの偵察をうけアルゼンチン側に監視哨や防御陣地がないことを確認されてしまいます。

 イギリス海軍のヘリコプターが全機帰還した後、「アントリム」艦上ではヘリコプターからの報告が行われました。そして直後には今後の作戦について会議が開かれます。

 現在イギリス側の戦力のうち海兵隊のM中隊120名は給油艦「タイドスプリング」とともにサウスジョージア島200海里の外に退避していました。とはいえ「タイドスプリング」を待っていれば、アルゼンチン軍に守りを固める時間を与えかねません。

 一方、即座に動員できるのはSAS、SBSとM中隊の本部部隊や迫撃砲部隊で、「アントリム」に79名、「プリマス」「ブリリアント」に62名が分乗していました。戦闘艦は3隻、ヘリコプターも全部で大小6機。これらはアルゼンチン側にない強力な火力と機動力を提供することが可能です。

 そこで作戦会議は、現有兵力で準備ができ次第強襲することに決定。「サンタフェ」撃破の勢いに乗じ、午後から艦砲射撃の支援とヘリボーンによる上陸作戦が開始されます。


出典
[1]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争  P247~252(PDF版P50~56)

[2]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第7章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争P156(PDF版P8)

[3]Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8(1984年5月10日)P23~25

 

参考

日本語版wikipedia  フォークランド紛争

防衛省防衛研究所 フォークランド戦争史 (2015年9月8日取得)

防衛省防衛研究所 平成25年度戦争史研究国際フォーラム報告書「島嶼問題をめぐる外交と戦いの歴史的考察」 (2015年11月1日取得)

アメリカ海軍 Lessons of the Falklands Accession Number : ADA133333

RAF(イギリス空軍)  The Falkland Islands Campaign

朝日新聞外報部著 狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 ISBN 9784022550200 1982年8月20日

Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日

堀元美 著 海戦フォークランド―現代の海洋戦 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日

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