第21回 連載「フォークランド紛争小咄」パート6
アルゼンチン軍の防衛体制

文:nona

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http://www.elcorreo.com/vizcaya/rc/20120203/mundo/islas-discordia-201202030917.html
当時のアルゼンチン軍兵士。

 1982年4月2日、アルゼンチンによるフォークランド占領で、イギリスはアルゼンチンの想定以上に態度を硬化させました。サッチャー首相は4月6日に戦時内閣を設置。さらに予備役の動員や機動艦隊の編成を始めたことで、アルゼンチンもイギリスが本気であることに気付き、防御態勢の見直しが始まりました。[1]


狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 (1982年)
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■歩兵部隊数と装備■

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http://gaelmarquez2012.blogspot.jp/2012/04/conflicto-argentina-vs-inglaterra-las.html
アルゼンチン兵士とペンギン
 
 アルゼンチン軍はイギリスの再上陸までに13000名の将兵をフォークランドに配置しています。多くは陸軍の将兵で、以下の順で動員されました。[1][4]

・第9機械化旅団(南端のパタゴニアの部隊)
・第10機械化歩兵旅団(首都地域の部隊)
・第3機械化歩兵旅団(ウルグアイ国境地域の部隊)

  最初に動員された第9旅団は、フォークランドの気候に近いパタゴニアの部隊でした。

  続いて動員された第10旅団は、首都地域から転出した部隊です。周辺国との外交問題を抱えるアルゼンチンにとって、自由に動かせる数少ない部隊でした。この旅団では入営から間もない新兵に代わり、訓練済みの予備役兵を招集することで、戦力の維持に努めています。

 最後の第3機械化歩兵旅団は、関係が良好なウルグアイの国境から引き抜かれた部隊でした。ただし亜熱帯の土地であり、冬のフォークランドを防衛するには不適でした。当初は本土から転出する第9旅団の穴埋めとして動員されたものの、いつのまにか第3旅団もフォークランド配備に変更されています。

 これらの部隊は全て「機械化歩兵」を冠していますが、車両を運びこむことはありませんでした。ただし、再上陸後のイギリス軍もそれほど車両を投入せず、ほとんどの兵士は徒歩で行軍しています。道路もほとんどなく、泥炭地帯と岩石地帯の広がるフォークランドは車両運用に不利な地形ですから、イギリス軍も車両運用に消極的だったようです。

 この他、1個海兵大隊、陸軍工兵隊2個中隊、海兵隊1個中隊が送られています。工兵隊は同島の要塞化を求められていましたが、前述の海上封鎖の影響で工作機械のほとんど揚陸できませんでした。

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http://www.elcorreo.com/vizcaya/rc/20120203/mundo/islas-discordia-201202030917.html
当時のアルゼンチン軍兵士。

[歩兵部隊の主な装備]
・FN-FAL 7.62mm自動小銃
・PAM短機関銃(M3短機関銃の9mm弾仕様)
・FN MAG7.62mm機関銃
・FNブローニングM2 27門以上
・81/120mm口径の迫撃砲
・75mm/90mm/105mm無反動砲
・SS11/SS12/マトーゴ対戦車ミサイル(全てリモコン誘導の第一世代の対戦車ミサイル)

 この他にRASIT対人レーダーや暗視装置の使用記録が残っており、イギリス軍を大いに苦しめています。[4][5][6][7]


■車両と火砲、対空火器■

[アルゼンチン軍の戦闘車両]

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http://malvinasdata.blogspot.jp/2008/10/participacin-de-elementos-blindados-en.html
AML-90装甲車

・パナール AML-90(90mm砲搭載の4輪装甲車) 20両
・他各種の車両

 アルゼンチン軍は上陸作戦時にLVTP-7などの装甲車両を用いましたが、作戦後はアルゼンチン本土へ撤収しています。代わってAML-90装甲車が運び込まれますが、AMX-13やSK105軽戦車、M113装甲兵員輸送車などアルゼンチン軍保有の装甲車両は輸送されませんでした。[4]

[アルゼンチン軍の火砲・対艦ミサイル]


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http://www.taringa.net/comunidades/armados/9261228/La-ultima-pieza-de-artileria-en-Malvinas.html
オートメララ105mm榴弾砲

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http://www.taringa.net/posts/imagenes/13651527/Argentina-y-su-ITB-lanza-misiles-criollo-Malvinas.html

地上発射型エクゾセ

・オートメララ105mm榴弾砲42門(陸軍と海兵隊の保有砲の合計)
・CITER L33 155mm 榴弾砲4門
・地上発射用エクゾセ2発

 陸軍の2個砲兵連隊と海兵隊の1個砲兵中隊が配備され、オートメララ105mm榴弾砲を42門装備していました。さらに155mm砲も空輸され、火砲の総数は再上陸時のイギリス軍を上回っていました。[1][4]

 さらに地上発射用エクゾセがあり、1隻のイギリス艦艇にダメージを与えた、とも言われています。[9]


[対空兵装と対空レーダー装置]


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http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-stanley-part-2-conflict/
エリコン連装35mm対空砲

・ローランド地対空ミサイル発射器 1基
・タイガーキャット地対空ミサイル発射器 6基
・ブローパイプ地対空ミサイル
・SA-7携帯式地対空ミサイル(ウルグアイからの供与)
・エリコン連装35mm対空砲12門
・30mm機関砲12門
・ラインメタル20mm対空砲3門
・AN/TPS-43 1基(広域警戒および管制用の3次元レーダー)
・AN/TPS-44 1基(対空火器のための戦術警戒レーダー)

 特にAN/TPS-43はハリアーの動向を監視することで機動艦隊の位置の推定や、自軍の航空機を誘導に使用され、大きな成果をあげています。イギリス軍は対レーダーミサイルによる攻撃を仕掛けますが、操作員の転機で破壊を免れています。[1][4][8]

[ヘリコプター]


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http://www.taringa.net/posts/apuntes-y-monografias/13812767/Ch-47c-chinook-ejercito-argentino.html
スタンレーのCH-47ヘリコプター

・SA330L 7機
・A-109A 3機
・UH-1H 9機
・CH-47C 2機
他海軍の哨戒・救難ヘリコプターなど

 アルゼンチンがフォークランドへ配備したヘリコプターは26機と紹介されています。道路もほとんどなく泥炭地帯と岩石地帯の広がるフォークランドで、唯一機動力が保証できる存在でした。しかし170機以上のヘリコプターを動員したイギリス軍と比べると、圧倒的に数が不足していました。[8]


■アルゼンチン軍の兵站■


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http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-stanley-part-2-conflict/
空輸された弾薬

パート2の記事で紹介したとおり、アルゼンチン軍はごく初期をのぞけば、物資の輸送方法は空輸に制限されています。[1]

 アルゼンチン軍によるフォークランド占領から1週間後の4月9日、イギリスによるフォークランド200海里の封鎖が宣言されます。そして12日には実際に原子力潜水艦スパルタンが封鎖海域に現れ、船による輸送が途切れてしまいます。

 この海上封鎖の影響について、防衛省防衛研究所のフォークランド戦争史では「ある部隊は迫撃砲、機関銃、無線機および調理器具が全く届かず欠いたままであった。その他、無線機の電池とか武器清掃用の油脂など、細かい基本的な物が不足し、また故障した小銃を携行あるいは個人携行武器を持っていない兵士までいたのであった」と記述しています。

 代わって兵站の主力となったのがC-130輸送機をはじめとする輸送機部隊でした。4月2日から5月1日までに5000tの物資を輸送しています。[2][3]

 それもハリアー戦闘機の出現で、5月からは夜の間に細々と輸送することを強いられます。この結果、5月1日からアルゼンチン軍の降伏までの期間では470tしか輸送できませんでした。(空戦フォークランドの記述からの推測値)


■アルゼンチン軍のフォークランド防衛構想■

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アルゼンチン軍の兵力配備地域。基地の場所はいくつかに分散されているものの、兵力のほとんどはスタンレーに集中している
防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第9章 陸上作戦の観点から見たフォークランド戦P225(PDF版18)


 上記の戦力と兵站の制約を踏まえ、アルゼンチン軍は島都スタンレーへの兵力集中と陣地による防御戦を計画しました。機動力に欠ける同軍はフォークランド全域の防御を諦め、スタンレー周辺に兵員の3/4を配備し、陣地戦で戦う作戦をとりました。[1]

 防衛省防衛研究所のフォークランド戦争史では「徹底した築城と可能な限りの火力集中」があれば、硫黄島や沖縄のように一定の戦果があげられる、と紹介しています。

 ただし「アルゼンチンの陣地戦もあながち間違っておらず、その実行の仕方が間違っていたといえる」と続けて論じているように、「徹底した築城」や、物資の備蓄の観点から見れば依然として不完全なものでした。


出典(2015年9月27日閲覧)

[1] 防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第9章 陸上作戦の観点から見たフォークランド戦P221~225(PDF版P13~18)

[5] 同P270(PDF版P73)

[6] 同P306(PDF版P109)

[7] 同P316(PDF版P119)

[2] Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8(1984年5月10日)P14

[4] 同P248~249

[3] 防衛省防衛研究所 フォークランド戦争 第2部 第6章 イギリス軍およびアルゼンチン軍の状況P70~72(PDF版P3~5)

[8] 同P82~83(PDF版P15~16)

[9] taringa! Argentina y su ITB lanza misiles criollo,Malvinas


参考(2015年9月27日閲覧)

日本語版wikipedia  フォークランド紛争

防衛省防衛研究所 フォークランド戦争史

アメリカ海軍 

Lessons of the Falklands Accession Number : ADA133333

RAF(イギリス空軍)  The Falkland Islands Campaign

朝日新聞外報部著 狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 ISBN 9784022550200 1982年8月20日

Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8 1984年5月10日

堀元美 著 海戦フォークランド―現代の海洋戦 ISBN 978-4562014262 1983年12月1日
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