第14回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 1
アルゼンチンの新旧潜水艦戦記 前編

文:nona

 今回から連載で1982年のフォークランド紛争中の「小さな戦い」を紹介して参ります。パート1はアルゼンチン海軍の潜水艦の行動記録です。

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http://mannaismayaadventure.com/2011/02/11/

 当時アルゼンチン海軍は2隻の209型潜水艦と2隻の旧式潜水艦を配備しておりましたが、実際に行動できたのはたった2隻。それらも不具合や旧式化のためイギリスの原子力潜水艦のように「目立った活躍」はありませんでしたが、通常動力潜水艦の特性を活かした「目立たない活躍」によってイギリスを悩ませています。

■開戦当初の保有艦■

 1982年のフォークランド紛争開戦時、アルゼンチン海軍は2隻の
209型と、2隻のアメリカのバラオ級を保有していました。

 209型はドイツの輸出用潜水艦で、現在までに60隻以上が建造された大ベストセラー艦です。アルゼンチンはギリシャ海軍に次いで2番目の保有国でした。アルゼンチンではドイツから各パーツを輸入し、国内で組み立てる手法(ノックダウン生産)で2隻を建造しています。1974年に1番艦「サルタ」、開戦直前の1982年に2番艦「サンルイス」が就役しています。
 
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http://www.taringa.net/posts/info/13249016/Los-submarinos-Argentinos-desde-1930-a-2011.html
アルゼンチン海軍の209型潜水艦

 しかし1番艦のサルタは騒音問題が発生し、[1]フォークランド紛争中の行動もほとんど記録されていません。推測ですが、組み立て作業が不適切だった可能性があります。

 なお2番艦のサンルイスは幸い騒音の問題はなかったようです。ただし、開戦の直前に就役したため乗員の態勢が万全ではなかったかもしれません。しかも209型は2隻とも魚雷もしくは射撃管制装置に問題を抱えていたようです。(209型の戦闘記録については後編で解説します。)

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http://www.taringa.net/posts/info/13249016/Los-submarinos-Argentinos-desde-1930-a-2011.html
アルゼンチン海軍のバラオ級潜水艦

 もう一種類のバラオ級潜水艦は、第二次世界大戦中に建造されたアメリカの潜水艦です。「GUPPY」改修を実施したため、ガピー(グッピー)級とも呼ばれます。開戦時は「サンタフェ」が行動可能でしたが、就役から37年が経過したロートル艦でした。

 1981年まで同型の「サンティアゴ・デル・エステロ」も在籍していたのですが、1982年には教練艦となり、潜行できる状態ではありませんでした。しかし同艦が健在であると欺くため、係留地のマル・デル・プラタからプエルト・ベルグラーノへ移動させています。[1]当時イギリスは、アメリカの偵察衛星から提供された情報でアルゼンチンを監視している、と見做されていたのです。



■旧式潜水艦サンタフェの活動■

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https://es.wikipedia.org/wiki/Operaci%C3%B3n_Rosari
4月2日のフォークランド島・スタンレーへの上陸作戦を支援するサンタフェ

 1982年4月1日の夜、潜水艦サンタフェは東フォークランド島のスタンレー湾へ潜入します。スタンレーはイギリスの民政庁や舗装飛行場を持つフォークランド最大の街でした。翌4月2日の0430、サンタフェから水中障害破壊部隊の隊員12名が出撃します。この部隊は海上に誘導用の灯火(発煙筒?)を敷設し、2時間後に20両のLVTP-7(AAV-7)と5両のLARC-5、約500名の部隊による上陸作戦を支援しました。[2]

 上陸作戦からしばらくした4月21日[3]、本土のマル・デル・プラタでサンタフェは40名ほどの海兵隊員と物資をのせ、再び出撃します。その目的地はフォークランド島から1500km離れたサウスジョージア島でした。

 同島はアルゼンチン軍兵士が100名ほど駐留し、イギリスの中継基地となることを防いでいました。ところが同島には飛行場がなく、海上はイギリス海軍に封鎖されています。さらに逆上陸も差し迫っていたため、潜水艦によって増援を送る必要があったのです。

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http://www.tourist-destinations.com/2013/09/grytviken-south-georgia-and-south.html
サウスジョージア島はほとんどが岩山と荒地で、気候も過酷。

 サウスジョージアへ向かうサンタフェでしたが、その行動がイギリス側に察知されていました。4月23日にはあの有名な原子力潜水艦「コンカラー」も捜索に参加しています。[4]一方ではサウスジョージア島上陸のため兵士を載せていた英タンカー「タイドスプリングス」がサンタフェを避けるため退避しています。このため同艦の兵士120名は後のサウスジョージア島上陸作戦に参加できませんでした。[3]

 イギリス側の警戒態勢が敷かれた4月24日の深夜、サンタフェはサウスジョージア島のグリトヴィケン港に到着します。夜中のうちに隊員と物資を揚陸し、翌朝に再び出港します。[3]しかしサンタフェをカンバーランド湾で3機の哨戒ヘリコプターが待ち受けていました。港からまだ8km、まだ湾内を航行していたサンタフェは、哨戒ヘリコプターの1機、ウェセックス(シコルスキーS-58)から発せられた一度のレーダー探知で発見されてしまいます。


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http://www.elsnorkel.com/2015/04/historia-de-la-muerte-y-conmemoracion-felix-artuso.html
ウェセックスヘリコプターの攻撃を受ける潜水艦サンタフェ

 しかしサンタフェはレーダーを逆探知できなかったのか、もしくはよほどの浅海域だったのか、潜行するチャンスを逃してしまいました。さらにこの日は雲が低く、視界もわずか1km。[5]ウェセックスは高度120mに発生した雲に隠れつつサンタフェへ接近、2発の250ポンド爆弾を投下します。

 至近攻撃をうけたサンタフェは潜行不能となり、港へ遁走。この間にもリンクスヘリコプターからの機銃掃射による進路妨害と、Mk46魚雷による攻撃を受け続けます。回避には成功したのですが、ワスプヘリコプターから放たれたAS-12有線誘導ミサイルが司令塔に命中します。なんとか港に戻ったところで、サンタフェは力尽きてしまいます。乗員は脱出に成功しますが、恐らくはミサイルの命中時に1名もしくは2名が重傷を負っています。[5][6]


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http://www.taringa.net/posts/imagenes/16562066/A-31-Anos-y-Operacion-Paraquet.html
サウスジョージアに上陸する英兵士。SASやSBS部隊が多く参加している。写真奥には傾いたサンタフェの司令塔が見える。

 サンタフェの無力化で海域の安全を確信したイギリスはサウスジョージア島への上陸作戦を決行。1400からヘリボーンと艦砲射撃が開始され、アルゼンチン軍は夕方から投降を開始。しばらく抵抗した海兵隊も翌日に降伏しています。[8]この戦闘で両軍共に死傷者はありませんでした。ただし捕虜となったサンタフェの副指揮官が曳行作業中に自沈を図ろうとした、と誤解され、銃殺される事件が起きています。[7]


 なおサウスジョージア島はイギリス海軍の補給拠点へ転換しています。同島に放棄されていた捕鯨基地の鯨油貯蔵庫が、そのまま燃料貯蔵庫として使用された、とも言われています。[7]さらに本土からの徴用客船で運ばれた兵士は、この地で揚陸艦へ移乗しています。

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http://i.imgur.com/uMQASK0.jpg
フォ-クランド紛争後に撮影されたサンタフェ。ミサイル攻撃のダメージで司令塔が破損した。

 そしてサンタフェはアルゼンチンへ返還されることもなく、紛争後もしばらく留め置かれています。そして1985年に海没処分となりますが、[9]サンタフェと乗組員の不屈の闘志を記憶したいと思います。

 後編では最新鋭の209型潜水艦の戦闘記録を追っていきます。



出典(最終閲覧日2015年9月6日)

[1]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争史第2部6章 イギリス軍およびアルゼンチン軍の状況 P74(PDF版P7)

[2]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争史第2部9章 陸上作戦の観点から見たフォークランド戦争 P210~216(PDF版P3~9)

[3]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争史第2部12章 陸上作戦の観点から見たフォークランド戦争 P249(PDF版P52)

[4]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争第2部第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争  P164(PDF版P16)

[5] Aプライス&Jエセル著、江畑謙介訳 空戦フォークランド ハリアー英国を救う ISBN 4-562-01462-8(1984年5月10日)P24~25

[6] デイリー・メール'How I fired the first shots of the Falklands War and crippled an Argentine submarine': A gripping tale of heroism by Navy lieutenant Chris Parry Chris Parry  11 February 2012

[7]朝日新聞外報部 狂ったシナリオ―フォークランド紛争の内幕 ISBN 978-4022550200 (1982年9月10日) P74~79

[8]防衛省防衛研究所 フォークランド戦争史第2部12章 陸上作戦の観点から見たフォークランド戦争 P249~252(PDF P52~55)

[9]日本語版 wikipedia サンタフェ (S-21)

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