無題 Name 名無し 15/09/09(水)20:13:47  No.1132626
Nakajima_Ki-43-IIa
(画像引用元)wikipedia

帝国陸軍戦闘機スレ

大戦末期には旧式化していたが、それでも一式戦隼は、傑作機だと思う。
隠れたB29キラー屠龍、大きな頭のインターセプター鍾馗、スタイリッシュな飛燕などなど、役者も粒ぞろいだと思う。

日本陸軍航空隊のエース1937‐1945 (オスプレイ・ミリタリー・シリーズ―世界の戦闘機エース)
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無題
Name 名無し 15/09/09(水)20:20:04  No.1132627
1/48航空機(リニューアル) FB17 一式戦闘機 隼二型 前期型/後期型 

ちなみに自分は、陸軍戦闘機の中でも、1式戦隼Ⅱ型乙が好きです。

無題
Name 名無し 15/09/09(水)20:48:31  No.1132634 
 戦時中はプロパガンタ映画や戦時歌謡などに取り上げられ、陸軍広報も積極的に公開するなど有名だったようですが、今はやっぱり海軍の零戦の方が広く知られてる割にはマイナーな感じがする隼、再び脚光を浴びる日は来るのでしょうか。

 零戦と隼、ドッグファイトが得意な軽戦、遠大な航続距離と共通点も多いですが、どこが似ていてどこが違うのか、ちょっといまいちイメージがつかめない。

無題
Name 名無し 15/09/09(水)21:22:57  No.1132642
>戦時中はプロパガンタ映画や戦時歌謡などに取り上げられ、
昔、ゼロ戦のプラモつくってテーブルに置いて
ブンドド空想してたら、大正生まれのうちのバーチャンが
「もうすぐ晩御飯だからそのハヤブサの模型をテーブルからどけなさい」
って怒られた思い出

無題
Name 名無し 15/09/09(水)20:59:11  No.1132636 
一式戦は私も好きですね
特に1型と2型
多少判官贔屓になるんですけどビルマの64戦隊は1944年後半以降も現地の地形・気候に熟知した上で休養やそこそこ補給も充足していまして終戦間近でも米英軍と互角以上の戦闘を行えたようですね

無題
Name 名無し 15/09/09(水)21:04:43  No.1132638 
The_Kawasaki_Ki-100_of_the_111th_squadron
(画像引用元)wikipedia

松本零士せンせいの戦場漫画シリーズで初めて見たときは

「隼とも飛燕とも疾風とも違うこのカッチョイイ戦闘機は何?!」

と子供心にドキドキした思い出が

個人的にはやっぱり水滴風防型のが好みですw

無題
Name 名無し 15/09/09(水)21:20:23  No.1132641
>戦場まんがシリーズ
ビックコミック連載のころのやつの陸軍機作品はいいよね
「成層圏戦闘機」とか「パイロットハンター」とか「メコンの蜉蝣」とか

無題
Name 名無し 15/09/09(水)22:27:31  No.1132648
>「隼とも飛燕とも疾風とも違うこのカッチョイイ戦闘機は何?!」

五式戦、登場が遅かったのが惜しまれる。

>ビルマの64戦隊
多くのエースが登場したビルマ航空戦ですね。同地では50戦隊も戦争後期まで健闘したそうです。中国戦線でも44年頃までは健闘していたようですね。

無題
Name 名無し 15/09/09(水)22:43:33  No.1132654 
ただ、44年にフィリピンに進出した、隼戦闘隊は苦戦したようです。特に、襲撃機隊から戦闘機隊に転科のうえ満州からフィリピンに進出した30戦隊と31戦隊。
戦争初期は97軽爆を駆りビルマ航空撃滅線に活躍した31戦隊ですが、44年7月にフィリピン進出後、9月にネグロス島で米海軍航空隊のF6Fと航空戦、特に9月13日には奇襲を受けた形になり、戦隊総勢40機中、3人の中隊長をはじめ15人のパイロットが未帰還と壊滅的打撃を受けました。
 9月13日、叔父の戦没日までもうすぐです。

無題
Name 名無し 15/09/09(水)21:11:28  No.1132639
地味だけど 鍾馗 は凄い可能性を秘めてた気がする。

無題
Name 名無し 15/09/10(木)12:07:23  No.1132676
>地味だけど 鍾馗 は凄い可能性を秘めてた気がする。

機体が小さくて発展性がなかったのも問題だったんだと思う
2式単戦の発展型が4式戦だとかってに思ってる

無題
Name 名無し 15/09/10(木)16:39:41  No.1132782
>2式単戦の発展型が4式戦だとかってに思ってる
だいたい合ってる
3式、4式は平凡でカモ
と連合軍に言われたのは零銭、隼のような旧式機は意外な旋回性能があって手練れが乗ると落とせないから

無題
Name 名無し 15/09/10(木)18:11:17  No.1132822
>と連合軍に言われたのは零銭、隼のような旧式機は意外な旋回性能があって手練れが乗ると落とせないから
これって戦争初期に日本側がP-40よりP-36を手強いとしてたのと同じだなあと思う

無題
Name 名無し 15/09/10(木)20:47:48  No.1132860
隼はモスキートだろうとムスタングだろうと手当たり次第落としているものね

世傑でだったか、モスキートが隼に落とされた話で
なんで隼ごときに・・・って記述がある

無題
Name 名無し 15/09/11(金)01:28:52  No.1132914
>世傑でだったか、モスキートが隼に落とされた話で
>なんで隼ごときに・・・って記述がある
英国狂いの岡部いさくだからね。仕方ないね。

無題
Name 名無し 15/09/09(水)21:11:38  No.1132640
二式単戦を早い段階で積極的に量産すれば良かったのに

無題
Name 名無し 15/09/09(水)22:27:04  No.1132647 
>ビックコミック連載のころのやつの陸軍機作品はいいよね
「HARDMETAL」の1巻とかしょっぱなの話の主役機体が複戦&5式戦、その他の話で3式戦に4式戦、おまけにキ83まで出てくる陸軍戦闘機マシマシの巻ですから
スレ的には特にピッタリかもですなw


>二式単戦を早い段階で積極的に量産すれば良かったのに
1942年4月に日本陸軍省軍務局軍事課長に就任した西浦進さんと言う方の回想録によりますと、当時上司に当たる東條英機陸軍大臣(首相兼任)に直々に注意されたのが

「もうビルマで航空の消耗戦が起こっている。これをひとつ、まずいことにならないよう注意しろ」

…という事だったんだとか

無題
Name 名無し 15/09/09(水)22:28:39  No.1132649 
http://www.warbirdphotographs.com/ArmyJB&W2/Ki-43-45.jpg

西村氏によると
 
「戦闘機の生産が追い付かない、もう4月から追いつかないのです。古い戦闘機は割に作れるのです、97戦というのは。あの当時始まりました、例の隼戦闘機という当時としては一番陸軍としては新式ですが、これの生産が非常に遅れているわけです。なかなか出てこない。それからもう一つは、飛行機の操縦者の種が、だんだんと切れていく、消耗がひどいものですから」

「戦闘機というのは戦争中もどんどん進歩するわけですね(略)引き出しの中に、新しい設計をいくつ持っているかということが勝負になるわけです」

無題
Name 名無し 15/09/09(水)22:30:14  No.1132650 
「ところが、一式戦はもう戦の初めに使って、例の加藤隼戦隊なんていうのは開戦当時の花形ですが、これは間もなく駄目になった。しかも、この飛行機そのものもなかなか出てこない。それから二式単戦と言うのは、これは滑走距離が長くて非常に使いにくい飛行機なのです。これもあんまりよくない。二式複戦は(略)夜間戦闘機です。頼みにした三式戦と言うのが水冷戦闘機(略)日本で他にやったことがないものですから、発動機の調整が非常に難しい」

無題
Name 名無し 15/09/09(水)22:31:56  No.1132651 
「機体はいっぱいで来ているのです。ところがみな首がないのです。発動機の方が間に合わない。それから戦地に持って行っても調整がなかなか出来ない。それで頼むのは四式戦になるわけです」

「ところが四式戦は―当時はまだ四式戦と言わないのですが(略)―それが5月、太田の中島飛行機で木型模型が出来ているといって、これで今から最大限やって(昭和)19年の2月に初めて実用機が出来る」

…という状況だったんだそうでして、開戦から5ヶ月ぐらいで既に一杯いっぱいというか、まず既存の旧機体を更新するのが最優先だったみたいですんで、仮に早期に2式単戦に重点を移しても、運用上の種々の問題を解決して大々的に投入されるのは結局4式戦と同時期ぐらいになっちゃったんじゃないでしょかね…?

無題
Name 名無し 15/09/09(水)23:43:48  No.1132661
>航空の消耗戦が
ニューギニア戦線は劣悪な環境もそうだけどオーバーホールできる設備がラバウルにしかないからどんどん送り込まれては戦闘消耗と機材消耗で使い物にならなくなったって
資材豊富な米軍とちがって品質管理でも敗北してたんだよな

無題
Name 名無し 15/09/10(木)00:44:32  No.1132665
>二式単戦と言うのは、これは滑走距離が長くて非常に使いにくい飛行機
二式単戦に乗って戦った石川貫之氏は空爆長時代技術者にF-104とどっちが乗りにくいですか?
と問われ
滑走路の長さですよ。二式単戦も滑走路長ければ安全に降りられますと言った
当時、戦闘機の滑走路は600m、爆撃機は1200mを基準としていた

無題
Name 名無し 15/09/10(木)18:45:28  No.1132831
> No.1132649
映画のスチールでしょうか?藤田治っぽいね

無題
Name 名無し 15/09/10(木)22:57:57  No.1132888 
>映画のスチールでしょうか?藤田治っぽいね

多分そうだと思います。加藤隼戦闘隊の1シーンでしょう。
「藤田進」ですよね。

 戦時歌謡や軍歌に唄われたのは、隼だけなのでしょうか。

無題
Name 名無し 15/09/11(金)12:08:17  No.1132953
>多分そうだと思います。加藤隼戦闘隊の1シーンでしょう。
単独で滑走路爆撃に来たハドソン(おぼろ)を、帰還したての部隊長殿が発見、照準するシーンかと
この映画(おそらく)唯一の表現では、AOAがマイナスの時に開けたキャノピーがガラガラバタンと閉まっちゃうカット
この映画以外では見た事がなく、ロックがないから当然とは言え新鮮に映った
コックピットアップ撮影用の機体も実物にしか見えない素晴らしい出来だったし、現代映画並にジンバル(のようなもの)に載せて動かしていて凄い出来

無題
Name 名無し 15/09/09(水)23:38:23  No.1132660
個人的にはひい爺様がこの四式戦闘機の整備士だったのもあって
この機体には一番愛着あるなー

無題
Name 名無し 15/09/10(木)02:09:12  No.1132668
零戦は隼に比べて若干カタログデータが良かった
同じエンジンを使いながら差が出たので軍側としては当然零戦を欲しがるわけですが
実は兵器としては隼のほうが良くできていて生産性や防弾といった部分があらかじめ考慮されていました
それは疾風にも受け継がれており事実上の後続機と言えたので隼の生産数が零戦より少ないからといって
兵器として劣っていたかと言うと一概にそうとも言えないのです

無題
Name 名無し 15/09/10(木)02:19:28  No.1132669
それと日本は滑走路の設営能力に不足があったので長くて平坦な滑走路を必要とする重戦は扱いにくいと言われたのです
この傾向は急速に南方に戦線が拡大した初期の戦いでは顕著でベテランが二式単戦を避けたのも安心して離着陸できる滑走路を早く建設できなかったことが一因になっているのです

無題
Name 名無し 15/09/10(木)22:42:04  No.1132883
昭和40年代までの空自飛行隊マークは
陸軍の意匠がそのまま引き続いた感じがいいよね

無題
Name 名無し 15/09/10(木)23:02:17  No.1132889 
1/72 隼 キ43-II(中島最終生産タイプ)用 カウル+デカール(第31戦隊)  

話は変わりますが、陸軍戦闘機といえば、海軍にはなかった、飛行戦隊の「部隊マーク」があります。
 爆撃・偵察戦隊も含め各戦隊、いろいろ意匠を凝らしたマーキングが私は好きです。
 画像は飛行31戦隊の部隊マーク。

無題
Name 名無し 15/09/11(金)07:22:15  No.1132931 
HD7-7 キ-84甲 疾風 第57振武隊 デカール 

>爆撃・偵察戦隊も含め各戦隊、いろいろ意匠を凝らしたマーキングが私は好きです。

プラモ作っていて楽しかったのは陸軍機だった

無題
Name 名無し 15/09/11(金)12:09:49  No.1132954
>プラモ作っていて楽しかったのは陸軍機だった

....振武隊、特攻隊か。

特攻隊も海軍の神風特攻隊の方が有名なのかな。

無題
Name 名無し 15/09/11(金)20:10:13  No.1132977
>>プラモ作っていて楽しかったのは陸軍機だった
>....振武隊、特攻隊か。
飛び立ったら最後
もう迷彩も関係ないから派手に自由にマーキングしていいってのも悲しいよな

無題
Name 名無し 15/09/11(金)02:01:55  No.1132915
個人的に隼や鍾馗なんかのアンテナ支柱の位置にモヤモヤしてしまう…

無題
Name 名無し 15/09/11(金)18:14:41  No.1132970
昔は、B-29を始めて撃墜したのは隼だと言う説が流布されていた記憶がある。

無題
Name 名無し 15/09/11(金)19:08:30  No.1132973
64戦隊の1944年4月26日の対B29空戦が話ネタで大きくなった結果ですね

無題
Name 名無し 15/09/11(金)20:02:15  No.1132976 
>昔は、B-29を始めて撃墜したのは隼だと言う説が流布されていた記憶がある。

実際は屠龍で、場所は満州だったらしいですね。
本土空襲での初撃墜は4戦隊(屠龍)が44年8月でしたっけ?

満州やB29キラー樫出勇氏が活躍した西日本は、早めに空襲を察知して探照灯部隊や高射砲隊と連携し、かなりの戦果をあげたと聞きます。一方、244戦隊をはじめ首都防空は、地理上の大きな弱点のため思うように迎撃できなかったとか。
エース小林照彦戦隊長をして「東京の空、敗れたり」と戦記に書かれてました。

無題
Name 名無し 15/09/11(金)20:22:43  No.1132979 
 
http://www.warbirds.jp/truth/ace.html
 よく紹介されるサイトですが、やはり元陸軍戦闘機パイロットの体験談は参考になります。ひょっとしたら、上坊良太郎氏かな。

あと光人社刊「陸軍戦闘機隊」、大好きな本です。

無題
Name 名無し 15/09/11(金)20:58:08  No.1132985
陸軍海軍、海と陸で戦闘機の要求性能の違いは有るだろうが
何とか共同で出来るところは合理化して欲しかった

無題
Name 名無し 15/09/11(金)21:28:48  No.1132996
>陸軍海軍、海と陸で戦闘機の要求性能の違いは有るだろうが
>何とか共同で出来るところは合理化して欲しかった
縄張り争いもあるからそうは簡単にいかんよ
海軍が隼の12.7mmを馬鹿にすれば陸軍が零式の20mmを馬鹿にするといった感じだし
米軍の戦車を撃破する強力な大砲は海軍が持っているけれど陸軍としてはそれを貰う訳にはいかんと

無題
Name 名無し 15/09/12(土)03:56:21  No.1133041
>何とか共同で出来るところは合理化して欲しかった
エンジンは陸海同じもの使ってたりするし、航空爆弾は共通化してた記憶。
飛龍や百式司偵は、実質海軍でも運用されたんじゃなかったっけ?

無題
Name 名無し 15/09/12(土)08:24:55  No.1133046
>No.1133041
九七式司偵の装備を海軍向けに改修、採用された
九八式陸偵もあります。

無題
Name 名無し 15/09/12(土)09:40:22  No.1133049
海軍でも疾風2機貰ってテストしてたらしいけど紫電の代わりに疾風生産とか駄目なんだろうか

無題
Name 名無し 15/09/11(金)20:59:58  No.1132986 
>モスキートが隼に落とされた話

飛行64戦隊の池田昌弘という軍曹さんが、1944年に「モスキート」と初遭遇した時の様子を手記に書き残されてるんですが、これがなかなか興味深い内容でして、一部引用させて頂きますと

「ある日の午前、ピストで笑い興じていたとき、一人が突然叫んだ。『おい、静かに。へんな音だぞ』ピストの全員はピタリと話をやめて耳を澄ます。次第に高まってくる爆音。キーンといやに甲高い音。それは、確かに日本軍の発動機ではない。『回せッ!』と叫びつつ、愛機のもとに一斉にとんで行く」

無題
Name 名無し 15/09/11(金)21:01:04  No.1132987 
「2000メートルぐらい前方を、一機の双発機が超低空で旋回している。いやに細長い胴体。ボーファイターよりうんとスマートだ。水冷らしいとんがったエンジン。モスキート爆撃機だ」

「ビルマ着任以来、いろいろと噂は聞いていたものの、初めて遭遇した飛行機であった。是非とも、我が手で叩き落としてやろう!」

無題
Name 名無し 15/09/11(金)21:02:46  No.1132988 
「ところが既に先客があった。真っ先に離陸した池沢軍曹機が、旋回するモスキートの斜め後ろに潜り込んで、第一撃を掛けようとしている。この間に、隼は、敵機の周囲に次々と集まってきた」

「敵機は急激な垂直旋回で、池沢機の攻撃をするりとかわした。北方へ機首を向けて機を水平に戻すと、駿馬のように疾駆を始めた。群がる隼の間を全速で突き抜ける。」

無題
Name 名無し 15/09/11(金)21:03:25  No.1132989 
「逃がすものか。レバー全開。最大回転数2800。私は友機と共に真一文字にモスキートを追った。椰子の梢が翼下で後ろへ後ろへなびいていく」

「残念ながら、一式戦はじりじりと引き離される。次第に姿を小さくしていくモスキートに『畜生!』と半ば羨望の混じった罵言を投げつける他はなかった」

「とにかく、まのあたりその高速を見せつけられては、ただ脱帽するだけであった」
無題 Name 名無し 15/09/11(金)21:05:39  No.1132990 
…とまあ、初めて目にした「モスキート」の韋駄天ぶりは池田氏に鮮烈な印象を残したようなんですが、実はこの時、64戦隊の他の各機が追跡を諦めて引き返す中、ただ一機追跡を続けていた機が有りまして、再び池田氏の手記から引きますと

「池沢軍曹だけが、なかなか帰ってこなかった。彼は第一撃に失敗して口惜しさに駆られて、ひとりモスキートを追い続けた。どうしても落とすのだ――その執念が、やがて報われた。30分、40分。敵機の姿は殆ど見失われようとしていた。」

無題
Name 名無し 15/09/11(金)21:06:51  No.1132991 
「(敵機は)巡航速度に落として、ほっとしながら高度を上げだした(略)(池沢機は)依然低空をはう。そうして敵機の尾翼下に隠れて、じりじり忍び寄った。必中を期して50メートルに接近。エンジンを狙って、発射ボタンを押す。1連射しただけで、敵機は簡単に火を噴いた。そしてアラカン山麓に激突して火柱を立てたのであった。」

…そうでして、まさに池沢軍曹さんの執念勝ち、と言った形なんですけれどw
ある意味これだけ長時間の追撃戦も、「隼」の航続性能あってこそのものだったのかもですな

無題
Name 名無し 15/09/11(金)22:34:07 No.1133009
>mesh様。
いつも詳細な解説有難うございます。

モスキートvs隼の話は、黒江保彦氏の手記にも書かれていました。撃墜にかなり苦労したようです。

無題
Name 名無し 15/09/11(金)23:56:51  No.1133022
黒江保彦の撃墜スコアはガチ。
自伝も内容が素晴らしい。坂井三郎とは比べ物にならない。

無題
Name 名無し 15/09/12(土)01:05:45  No.1133029
秘めたる空戦―三式戦「飛燕」の死闘 (光人社NF文庫) 

>坂井三郎とは比べ物にならない。


坂井三郎と陸軍で比べるならこっちだと思う
ありゃノンフィクションじゃない

無題
Name 名無し 15/09/12(土)11:17:10  No.1133056 
>>坂井三郎とは比べ物にならない。

>坂井三郎と陸軍で比べるならこっちだと思う
>ありゃノンフィクションじゃない

坂井氏と同じ、他人の戦果や聞いた話をさもや自分の戦果にしてしまってという意味ではこっちの方もなかなか。
「纏めた自分に責任がある」って渡辺洋二氏は言ってたし
内藤氏は引くに引けなくなった状況になったともいえるけど。

無題
Name 名無し 15/09/13(日)09:11:36  No.1133189
日本側の苦しかった状況を、当時の証言資料から書いてるんだから、別に米軍賛美でもないだろう。
確かに、米側はこうだったのに日本はそれが出来なかった、みたいな書き方が多いのも事実だが。
そこは色々調べれば、米軍もP40の初期故障でなかなか活動できなかったフライングタイガースの話や、成功した機体の裏側で死屍累々の試作失敗機群とか色々あるからね。
最終的には「失敗が許される範囲=国力」での当時の日米の格差が見せつけられるが・・・・・。
それでも、疑問や不満に思うなら、反証的な書き込みをすればいいだけじゃないかな。
こういう掲示板はそういう場でもあるわけだし。

それはさておき、モスキートしかり、B24しかり、ビルマ方面の隼はその性能と装備を考えると世界空戦史上でも破格の活躍をしている気がする。

無題
Name 名無し 15/09/13(日)09:20:41  No.1133190
あと、屠龍の37ミリ対戦車砲(機関砲とは言い難いほぼ単発)でB29に命中弾だしてる事例とか、非武装非装甲の飛燕でB29に体当たり生還とか、百式司偵による沖縄戦時の上空偵察行とか、当時の持てる装備を最大限に練度でカバーして奮戦してた当時の方々には本当に脱帽だね。

無題
Name 名無し 15/09/13(日)10:41:13  No.1133195 
私の書き込みが発端でスレ内容がズレちゃってて申し訳ないですorz
色々な御意見、有り難く受け取りましたので皆さまここら辺で御容赦の程を…


>ビルマ方面の隼はその性能と装備を考えると世界空戦史上でも破格の活躍をしている気がする。
64戦隊の整備隊長だった上田厚士大尉さんが、当時を回想した手記が残ってるんですけれど
まず第一に
「航空作戦運用の背景ですが、地上作戦協力の局面はごく少なく対航空作戦に終始しえた事」を挙げて
「勿論、アキャブでは50キロ爆弾で地上部隊を攻撃したり(略)インド洋で艦船攻撃を実施した(略)が地上軍の指揮を受けて細かい直協作戦をしたことはまずありません」

…と述べておりまして要は戦闘機体本来の任務たる空中戦闘に専念でき、副次的任務で消耗することが少なかったのが幸いしたそうなんですな

無題
Name 名無し 15/09/13(日)10:43:47  No.1133196 
次に「航空作戦の組織力」という面を挙げられてるんですが、上田氏によると比較的静穏だったビルマでは1942年4月という早い時期に連合軍勢力の掃討が終わって、以後安定した状況下で基地整備が進み

最終的には日本側が掌握していた飛行場数は117に上り、必要な場所には支援部隊が展開を終えて機数的には少数な航空部隊でも、ビルマ全土を移動しながらの作戦を支える基盤がしっかりできていた事が大きかったんだそうでして、この辺が航空基地や周辺支援施設の不備で地上で多数機を失った南東方面との差異だったんですな

またビルマの地域的特性で、乾季と雨季が明確であって、毎年6月ごろには敵味方とも戦闘中止になる状況でこの間に自らの戦力回復に専念できた事が後の粘り強い航空戦を支えた、とも述べておられます

ビルマの民衆も非常に親日的で、日本軍の作戦遂行上大きな利点であり、「隼」の各戦隊でも撃墜された空中勤務者の方々がしばしばジモティの皆さんにお世話になってたりするんですがw

こういう理想的な状況下で先に述べた多数の基地に重ねて綿密な情報網を構築することで、連合軍の動向に迅速に対応できたんだそうで

無題
Name 名無し 15/09/13(日)10:45:02  No.1133197 
この点も、反日ゲリラの跳梁で不時着者の救出や対空警戒網の構築さえままならなかった中国やフィリピンと大きく異なっていたんですね

上田氏は1945年1月にメイクテイラで撃墜された「ボーファイター」に搭乗していたあるエゲレス軍戦隊長(中佐)の尋問記録を引用されてるんですが、それによりますと

「『当時の(エゲレス軍は)日本軍の飛行機数は約600機と判断していた』ということです。50機の我が飛行部隊を12倍にも見ていたわけになります」

…との事で、如何に陸軍航空隊の縦横無尽の活躍ぶりが大きかったかを示す逸話だと思うんですけれどもw

実戦である航空機が活躍する為には、カタログスペック上の性能だけでなく、「空地の勤務者が一体となり、微動だにしない団結と必勝の信念(上田氏)」も大事ですけれど、なによりもこういう合理的、かつ充実した支援体制の構築こそが肝要だったのかも知れませんですな

無題
Name 名無し 15/09/13(日)11:10:25  No.1133201
>またビルマの地域的特性で、乾季と雨季が明確であって、毎年6月ごろには敵味方とも戦闘中止になる状況で
世界の傑作機の一式戦でも同じような事が書かれてましたね
うろ覚えなんですが「雨期の間に十分な休養と補給がなされていた」ですとか
「地形や気候に熟知」的な事で常に互角に戦えたみたいな書き方だったと思います

無題
Name 名無し 15/09/14(月)13:05:22  No.1133323
>>50機の我が飛行部隊を12倍にも見ていたわけになります」

これって連合軍側はラバウルや台湾でも日本の機体数を過剰に分析してるよね。
ビルマの戦記だと、既に出ているように敵状に対応して複数の飛行場に進出や移動をしてる描写が多いので、敵にしたらどこにでも迎撃が上がってくる感じで、機数が多く感じられたのだろう。
そして航続距離は大きな要素だったと思う。
モスキート追撃の事例の他にもビルマの桃太郎さんなんかも長時間追撃の末にブレニムやB24が速度落とした隙を突いて撃墜とかしてる。
これって、やられた方は最初の迎撃とは別の機体に襲われたと思うだろうから、そう報告すると、迎撃してきた機体数がまた増加することにもなる。
当時の米英戦闘機の航続時間で考えたらあり得ない距離の追撃だし、だからこそ油断して巡航速度まで落としたんだろうしね。

無題
Name 名無し 15/09/15(火)01:30:37  No.1133423
>そして航続距離は大きな要素だったと思う。
ディスカバリーか何か忘れたけど
当時の日米のパイロットがお年寄りになって会合した時ですら米元パイロットのおじいちゃんは零戦の航続距離を信じようとはしなかった・・・。

無題
Name 名無し 15/09/13(日)17:56:33  No.1133244
もし一式が採用されずに大東亜戦争に突入していたらと、妄想をめぐらせているところです。

無題
Name 名無し 15/09/13(日)21:46:56  No.1133268
>もし一式が採用されずに大東亜戦争に突入していたらと、

採用していてもわずか40機程度で開戦時を迎えた史実を考えるとそれほど大勢に影響がなかったのでは?

不採用が決まっていたらその分を補う代案(97戦の改良や陸軍の航空機工場で零戦を生産など)が開戦前に採用されていたには違いないだろうし

無題
Name 名無し 15/09/14(月)03:04:42  No.1133297
前に読んだ本だとモスキトーって呼ぶのが正しいって書いてあった

無題
Name 名無し 15/09/13(日)22:48:31  No.1133276
一式戦1型は、空中分解の罰があるんで、もしも自分がパイロットなら乗りたくない。

無題
Name 名無し 15/09/14(月)12:01:35  No.1133316 
ところで、四式戦は「エンジンが定額通りだったら最強だった」って話をよく聞くけど、俺個人的には疑問なんだよね

四式戦の強みは運動性の高さにあるってのは良く言われるけど、運動性の良い機体は一般的に翼面荷重が低い代りに翼自体が抵抗物になって速度を出しづらいといわれる 

つまり、四式戦はムスタングとかフォッケとかメッサーよりかは運動性に優れるけど速度では勝てず、零戦とか一式戦よりかは速度で勝るけど、運動性に勝てずという「どっちつかず」の機体で終わってた可能性がある

無題
Name 名無し 15/09/14(月)12:56:07  No.1133322
四式戦は当時のベテランパイロットが残している言葉によると「なんでもできるが、なにもできない」みたいな評価をされてることが多いね。

ただ、当時あの性能でそれなりの数を揃え、また、未熟な搭乗者でも必要最低限な訓練でそれなりな戦力発揮が出来た事はやはり重要だったらしい。

他の機体で腕が未熟なら、もっと酷かったという事で、あの時期にはなんとしても敵機を圧倒できずとも食い下がれる性能の機体が欲しかったのは事実。

四式戦はなんとか最後の一年に間に合っているので、戦後の評価を抜きにしても、あの時期の日本を代表するに足る機体には数えていいと思う。

無題
Name 名無し 15/09/14(月)23:55:53  No.1133414
>零戦とか一式戦よりかは速度で勝るけど、運動性に勝てずという「どっちつかず」の機体で終わってた可能性がある
戦闘機の空戦の内容はWWIIの半ばには既に縦方向の機動が中心に変化しており、翼面荷重が低くて水平旋回の得意な軽戦よりも、速度や上昇力に優れた重戦の方が優勢に立てるようになった。

日本陸軍は一式戦のような軽戦では時代遅れになりつつあると痛感しながらも、その一方では軽戦の運動性には未練を感じており、軽戦の運動性と重戦の速度や上昇力を併せ持った「中戦」という独自のコンセプトを創り出した。

それに基いて開発されたのが三式戦や四式戦であり、中途半端といえば半端な性格であると見なされるのかも知れない。
だが日本以外の国でも「中戦」のような性格を持った機体は幾らか存在している。

例えば米海軍のF6Fはパワー重視の大型戦闘機の割には旋回性能なども良好だったし、ソ連のYak-3は速度性能と旋回性能が共に優れていた。

無題
Name 名無し 15/09/15(火)12:02:33  No.1133447
>だが日本以外の国でも「中戦」のような性格を持った機体は幾らか存在している。
>例えば米海軍のF6Fはパワー重視の大型戦闘機の割には旋回性能なども良好だったし
F6Fは対零戦というコンセプトがはっきりした機体だったから活躍できたと思う
一方の四式戦はご指摘の通り、良いとこ取りで悪く言えば中途半端でターゲットもコンセプトも不明瞭な機体だった
良く言えば野心的な設計だったんだろうけど、結果は当の陸軍搭乗員から「四式戦よりキ100キボンヌ」とか、四式戦が苦戦する中、1式戦とか零戦は、機体の特性を知り尽くした搭乗員により最後まで善戦するとか、あんまりパッとしない結果だった

個人的な感想だけど、四式戦の顛末を鑑みると、モノつくりにおいてコンセプトをはっきり打ち出すことが、いかに大切な事かという事をしみじみと考えてしまう

無題
Name 名無し 15/09/15(火)12:29:10  No.1133450
>個人的な感想だけど、四式戦の顛末を鑑みると、モノつくりにおいてコンセプトをはっきり打ち出すことが、いかに大切な事かという事をしみじみと考えてしまう
つまり九七戦最強ってことですね

無題
Name 名無し 15/09/15(火)12:17:00  No.1133449
四式戦の不評の大部分はエンジンだと思うよ
それに生産数が多い機体は標準的な機体の方が全体としては無難で足りない部分は一芸に秀でた機体を作るというのが順当な方法だと思う

無題
Name 名無し 15/09/15(火)12:53:11  No.1133453
>一方の四式戦はご指摘の通り、良いとこ取りで悪く言えば中途半端でターゲットもコンセプトも不明瞭な機体だった

これよく言われるけど、米軍のテストによる評価の方が信頼性高いと思うな。

高高度最高速と急降下速度を抜かせば、いかなる米最新鋭戦闘機に勝る性能をもつ、最良の日本軍戦闘機。

単に、運用がうまくいかなかっただけで、当時日本にできる精一杯の機体であったのが正解だろう。

無題
Name 名無し 15/09/15(火)21:42:22  No.1133531
>これよく言われるけど、米軍のテストによる評価の方が信頼性高いと思うな。
戦後に米軍が誉エンジンに米国製のスパークプラグを付けて、高オクタン・ガソリンを積んだ四式戦をテストしてみたら700km/h近い速度を記録したと言うね。
戦時中でもそれぐらいの性能を発揮できていたら評価も違っただろうに。
またレイテ沖や台湾沖の航空戦では四式戦の稼働率があまりに低すぎて飛行場のお飾り状態になっていたと聞く。
エンジンや燃料に泣かされた悲運の戦闘機だったね。

無題
Name 名無し 15/09/15(火)22:22:33  No.1133540
>戦後に米軍が誉エンジンに米国製のスパークプラグを付けて、高オクタン・ガソリンを積んだ四式戦をテストしてみたら

だけでなくGEの薄型パッキンに全交換して接合部の面取りしなおしてるから、性能も上がってるよ

無題 Name 名無し 15/09/15(火)13:13:30  No.1133456
>F6Fは対零戦というコンセプトがはっきりした機体だったから活躍できたと思う

グラマン「えっ」

無題
Name 名無し 15/09/15(火)23:46:36  No.1133561
>>グラマン「えっ」

だよな。
F6FはF4Fに代わる本命次期艦載機だったF4U開発の保険。
実際の開発時期で言えば日米開戦前からで零戦への対抗策ではない。
で、F4Uの艦載機としては扱いづらい特性の為に空母への配備は先送りにされ、F6Fは見事にその保険の立場を全うして主力艦載機になった。
F6Fという保険が無ければ、F4Uの開発生産時期から見て、マリアナ沖海戦辺りではまだ艦載機としては大量配備に至れず、米空母機動部隊はF4Fで頑張らねばならない時期が半年以上伸びた筈。
零戦との遭遇及び機体入手によるデータを反映させたのは結局F8Fまで待たねばならなかった。
それでも、日本は零戦後継の烈風を結局完成できなかったことと比べるとF4Uでさえも時宜に適った成功作。
それに加えてF6Fという保険を同時進行で開発できる地力が当時の日米の国力差であり、技術力差だった。

無題
Name 名無し 15/09/15(火)15:42:21  No.1133478
>単に、運用がうまくいかなかっただけで、当時日本にできる精一杯の機体であったのが正解だろう
ケチョンケチョンにこき下ろしといてなんだけど、あの末期的状況下で一人三役というか八面六臂の活躍をした四式戦は
まさに日本陸軍の要望にマッチした最良の機体だったと思う
四式戦をテストした連合軍パイロットが「2000馬力級のいかなる戦闘機の中で一番操縦しやすい機体だった」という評価は飛行機として四式戦が優れていたという事実の証明に他ならないと思う
四式戦の運動性や防弾装備に命を救われた搭乗員も大勢いた
のも事実だし

自分で色々書いておいてなんだけど、ものの評価っていうものは難しいなと思うよ

無題
Name 名無し 15/09/15(火)21:35:54  No.1133528
何故か評判低い四式戦闘機ですけど
あのトーマス・マグガイアを落としたり(一式戦闘機の可能性もありますが)中国戦線、フィリピンでの戦いは称賛に値する戦果だと思います

無題
Name 名無し 15/09/17(木)14:53:58  No.1133711
>個人的な感想だけど、四式戦の顛末を鑑みると、モノつくりにおいてコンセプトをはっきり打ち出すことが、いかに大切な事かという事をしみじみと考えてしまう
ここら辺勘違いしている人が居るけど四式戦の基本コンセプトはあくまで「軽戦」だぞ

旋回性能は隼と同等だけど2000馬力で隼と同じような操縦されると翼面荷重で翼が折れるから操縦系を重くしたり、急降下で突っ込みすぎないようある程度の速度が出ると機首が上がるようにと設計者の配慮が裏目に出た形になったのが四式戦なんだ

実際、操縦系の重さなんか気にならない人達からは操作系良好の評価出てるしね

無題
Name 名無し 15/09/15(火)09:21:10  No.1133440
五式戦はどうでしょうか。登場が遅すぎた傑作といわれてますが。

無題
Name 名無し 15/09/15(火)12:02:12  No.1133446
>五式戦はどうでしょうか。登場が遅すぎた傑作といわれてますが。
彗星33型みたいにもう少し登場早く出てこれなかったんだろうか…

無題
Name 名無し 15/09/16(水)02:14:06  No.1133572 
三式戦及び五式戦を装備して、主に本土防空戦で活躍した飛行244戦隊で戦隊長を務めた小林照彦少佐さんが、部隊が5式戦に改変(1945年5月12日前後)後の6月3日に九州上空で米機動部隊からのF4U「コルセア」と空戦した際の記録を戦時日記に残されてるんですが、それによりますと

「戦果。撃墜7-9機。自爆1機(山下軍曹)、未帰還2機(本多軍曹、藤井軍曹)(略)未帰還機の生還を希うや切なり。『コルセア』の性能は大して良好ならず。キ100(5式戦)を以てすれば、低空にありても絶対不敗、高位の場合には、絶対的に必勝なり。上昇性能、旋回性能ともに我がキ100は優りあり。(略)生田少尉敵機を胴体着陸せしめ、殊勲甲なり。」

…と有りまして、なかなか5式戦強し!ってな印象ものなんですな

無題
Name 名無し 15/09/16(水)02:15:51  No.1133573
ところがこの後が

「予(小林戦隊長)は発動機故障となり、(鹿児島県)万世に不時着す。(略)器材の不良なるは相変わらずなり。残念なる事なり。日本戦斗機の性能悪きにあらず。器材が悪きなり。材質そのもの及び工作技術が悪きなり。若干時の戦斗にて直ちに故障続発するは、一に材質不良と、工作技術の拙劣に依るものなり」

…と続くんですな
5式戦と言えば、3式戦の宿痾だった不調の液冷エンジンを信頼性の高い空冷エンジンに換装する事で、機材の信頼性が高まっただけでなく、軽量化によって思わぬ高性能を得た傑作機、って評価が主だと思うんですが

この機体にしてなお「性能は良いけれど、故障が多い」と小林戦隊長に嘆かせざるを得ない所があったみたいなんですね

無題
Name 名無し 15/09/16(水)02:17:27  No.1133574 
因みに当時の陸軍機の整備事情は、先に手記を引用させてもらいました上田大尉さんの回想によりますと、陸軍航空の各戦隊では、即時出動可能の飛行機を「甲」、戦隊内で修理整備すれば出動可能の機体を「乙」、野戦航空廠や移動修理班に修理を依頼する必要が有る機体を「丙」に分類して、毎日各戦隊長や上層部に戦隊の保有機の状況を報告していたそうなんですが
(因みに籍はあるけれども修理不能な大破機が「丙」だとか)
上田氏は「宵越しの乙は持つな」を合言葉に部下の督励に努めて、64戦隊の「隼」の可動率の向上にこ努めていたんだそうで

上田氏によりますと

「一番、隼で傷んだのは尾輪ですよ。普通のゴムですからね。速度出すと熱を持つでしょ、尾輪のゴムが外れるんです。それから点火栓(プラグ)。このふたつがね、いちばんの消耗品なんです。しまいの頃には電纜(電装コード)も品質が低下して傷みやすくなりましたけれどね」

無題
Name 名無し 15/09/16(水)02:18:32  No.1133575
「私の隊にいた栗原曹長っていうのはね、開戦以来のベテランでしたけど、兵舎に積み上げるぐらい尾輪と点火栓持ってましたよ。『乙』っていうのは大概、この尾輪が外れるか、空戦中はエンジンのブースト上げますから、点火栓が過熱して傷むとか、そんなことが大半でしたね」

…との事だそうでして、要は尾輪や点火栓、電纜といった予備パーツと言う「財産」を、どれだけ確保してるかが、そのまま戦隊の整備能力に直結してるんだそうなんですな

この点、ほぼ3年間、根拠地飛行場を持って隼を扱い続けた64戦隊は備蓄の点でも有利で「点火栓と尾輪とをね、山ほど持ってる(上田氏)」わけなんですが、おかげで際立った稼働率を維持した64戦隊の整備隊長上田氏に対して、1944年12月25日には所属の第5飛行師団長より「作戦可動率抜群なり」との賞詞が授けられたそうです

無題
Name 名無し 15/09/16(水)02:20:22  No.1133576 
一方、4式戦「疾風」での例になるんですが、当時「疾風」動力関係のトラブルとしてはメジャーだったのは

1)点火系統の不良
→スパークプラグの寿命が短く(約10~20時間)プラグの品質検査や補充が滞ると即故障の原因になったこと
2)高圧電纜のパンク
→ハ45の構造上、前後の高温のシリンダーの間を通る電纜が高温に晒されるものの絶縁ゴムの材質不良から問題が多発し、やはり頻繁な交換が必要だったこと
3)過給機の切り替え時の振動発生
→出力、回転数、混合気等の調節で解決出来るものの、操縦者の熟練を要する
4)電気式プロペラガバナーの作動不良
→電気接点の品質不良

…等でして、やはり点火栓や電纜の交換パーツの潤沢な供給が諸問題の解決のカギだったそうなんですな

無題
Name 名無し 15/09/16(水)02:22:32  No.1133577
この点、例えば最初期に4式戦を配備された実戦部隊の一つである22戦隊の場合、元陸軍航空隊審査部で、メーカー側にも顔の効く器材小隊長さんがおられまして、各部品の生産会社とこまめに連絡を保って、正規の補給ルートで難しい際には会社と直接交渉で在庫を確保するなど努力した為、70%程度の稼働率を常に維持していたそうです

ところが一方、22戦隊に2ヶ月遅れで4式戦を受領し始めた11戦隊では

・油温の上昇、点火系統の不良、原因不明の内部故障、工具の不足、油漏れ等の故障対策に自信なし、酸素も不足し、これでは飛ばせるわけには行かない
・(44年)5月までに54機を受領したが、操縦のほうは未修者30数名、整備の方は更に遅れ、更に基幹人員の補充交代もある

…と切実な陳情が出される始末で機材の整備状況は全く真逆、人員の訓練の遅れと整備の状況の悪化が互いに影響しあってより深刻化する負のスパイラル状態に陥っていたんだとか

無題
Name 名無し 15/09/16(水)02:26:23  No.1133579 
飛行第1・11・22戦隊から構成される第12飛行団団長の川原中佐さんは、当然、隷下の部隊でこういう格差が生じてる事態を憂慮しまして、22戦隊の整備隊長、中村大尉さんを呼び出して

「こちらは部品補給が上手く行っているようだが、他の部隊が困っているようだから一つ融通してくれんか」

…と直に頼んだりもしてるんですが、中村大尉としても部下が四苦八苦して掻き集めてる予備部品を他所に融通すればそのまま自隊の稼働率に跳ね返ってくるのは十分承知ですから

「他の部隊に対しても極力努力するよう督励していただきたい」

と断るしかなかったそうで
腕前、若しくは現場の機微を熟知した整備のオヤブンとその有能な部下さんが、あらゆる手練手管やコネを尽くして必要なものを掻き集める、ってスタイルは、上手く嵌ればそれこそビルマの64戦隊みたいに見事な成果を挙げられるんですけれど
逆にそういう「名人」の有無ではっきり明暗が分かれるモノでもあったみたいですねえ

無題
Name 名無し 15/09/21(月)19:43:49  No.1134218
>3)過給機の切り替え時の振動発生
世傑の「彩雲」では、元パイロットの方が、高度が上がって二速に切り替えるときに慎重にやらないとエンストするとかいうことを書いてたな。

無題
Name 名無し 15/09/16(水)09:31:33  No.1133590 
244戦隊は、戦闘機乗り生え抜き組と、軽爆転科組(小林戦隊長も転科組)との間で、機付や整備含めて溝があったと聞く。
そういったのも5式戦の稼働率の話につながるのかも。

無題
Name 名無し 15/09/16(水)18:03:19  No.1133620
日本は耐油合成ゴムを実用化できず南方で産出する天然ゴムに頼っていたから戦中を通じて油のシーリングに苦労していました
部分的に紙を使っていたそうでしたが戦後も長く使われていた技術だそうです
そうした部分あっても栄エンジンなどは稼働率が高かったので設計時に十分な対策が織り込まれていれば必ずしもマイナス要素ではなかったと思います
ただし戦中は設計にかける時間的余裕はなく奇跡か偶然でもなければ誉の成功は望めなかったでしょうね

無題
Name 名無し 15/09/16(水)22:32:10  No.1133658 
 
この本を読もう。
ものすごく落ち込むね。
引用元: http://cgi.2chan.net/f/res/1132626.htm

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