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軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    第42回 連載「フォークランド紛争小咄」パート17
    SASの極秘作戦 後編

    文:nona

     アルゼンチン本土飛行場強襲に先立って実施された偵察作戦「plum duff」。たった6名のSAS隊員がアルゼンチンのフエゴ島に送り込まれたようですが…

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    http://airsoft-army.com/archive/index.php?thread-2522.html

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    第41回 連載「フォークランド紛争小咄」パート17
    SASの極秘作戦 中編

    文:nona

     フォークランドに難なく潜入したSAS。その足は遠くアルゼンチン・フエゴにまで及んでいました。今回からは当時は極秘とされたアルゼンチン本土飛行場強襲計画「Operation Mikado(ミカド作戦)」について紹介いたします。

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    http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2014/03/29/article-2592320-1CABF87700000578-468_634x360.jpg

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    第40回 連載「フォークランド紛争小咄」パート17
    SASの極秘作戦 前編

    文:nona

     1982年5月10日、イギリスは10日後にフォークランドへの上陸を極秘に決定。すでにフォークランドに潜入していたSAS(特殊空挺部隊)とSBS(特殊舟艇部隊)は上陸作戦を支援するため、偵察と破壊工作を繰り広げます。

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    http://airsoft-army.com/archive/index.php?thread-2522.html
    (本文の写真にSAS隊員でない人やフォークランド以外の時期のSASの写真が混じっていたらすみません)

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    第39回 連載「フォークランド紛争小咄」パート16
    炎上するシェフィールド 後編

    文:nona

     時速1100kmのスピードで、500kgの重量を保ったままシェフィールドに突っ込んだエグゾセ。この被弾でシェフィールドの設計上の多くの欠陥によって、弾頭が不発であったにもかかわらず、悲劇的な最期を迎えています。

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    http://www.naval.com.br/blog/wp-content/uploads/2013/05/The-Sheffield-Demise-DPA.jpg

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    <管理人>
    当ブログの軍事関連書籍 書評・紹介コーナーへ投稿していただいたものをまとめた記事です。随時更新いたします。

    書評、書籍を紹介されたい方はこちらをご参照願います。

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    第38回 連載「フォークランド紛争小咄」パート16
    炎上するシェフィールド 前編

    文:nona

     4月25日のサウスジョージア島奪還、5月1日の空襲成功と空中戦の勝利、翌日のベルグラノ撃沈と優位に戦いを進めたイギリス。戦局も楽観しつつあったようですが、5月4日の午前11時、ついに自身も無傷ではなくなりました。

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    http://en.mercopress.com/2012/03/08/bbc-documents-reveal-french-double-role-during-the-falklands-conflict

    エグゾセ対艦ミサイル。仏語で「トビウオ」の意味。写真の母機はミラージュF1

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    そして「飛龍」は残った -「昭和15年研究方針」と陸軍爆撃機開発計画。その後-


    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)


    一 捨てる神あれば拾う神あり

     「昭和15年研究方針」に基づき計画された諸爆撃機がほとんど開発中止か不採用に終わった今、辛うじて審査が続いていたキ67も安泰とは言い難かった。

     そもそも、キ67の属する「重爆撃機」カテゴリそのものが、「昭和15研究方針」において著しく精彩を欠く機種であった。
     「昭和15年研究方針」を以前の「13年研究方針」「12年研究方針」と比較すると、文言に若干の変化みられるものの、用途及び性能に大きな進歩はなく、他機種の長足の進歩に比べて停滞感の否めない内容となっている。
     「昭和15年研究方針」の前の大改定「昭和12年研究方針」の内容にしても、さらに前の「昭和10年研究方針」の内容がほぼそのまま踏襲されていたから、キ67は実に5年前の思想に基づいて試作に着手された機体であった。
     その意味では、キ67=四式重爆を評して「時代遅れの新型重爆」と形容するのも、あながち間違いとは言えない。

     完成したキ67はただちにテストに着手されたが、試作機の当初発揮した最高速度は510キロと、要求仕様の550キロに40キロも及ばない結果となった。
     速度性能こそは「昭和15年研究方針」において、わざわざ一節を割いて「速度は努めて大ならしむ」とした重爆撃機カテゴリの最重要項目であったから、その点で要求を満たせない以上、キ67の採用も危ぶまれる事態となったのである。

     しかし、陸軍にはキ67をすぐ不採用にできない事情が存在していた。
    それは、開戦後急きょ浮上した陸軍雷撃隊構想の影響である。

     キ67の審査が続く昭和18年、陸軍はソロモン、ニューギニアの南東方面で連合軍の反攻に直面していた。地形上この方面での戦闘は敵の海上進攻を阻止しうるか否かが勝敗を左右したが、本来その任務に当たるべき海軍機は消耗激しく、また決戦志向の強さから地味な船団攻撃より派手な艦隊攻撃を優先する傾向が強かった。

     海軍航空を頼るに頼れない陸軍航空は、「重爆不要論」で揺れる重爆隊を改変し、自前の艦船攻撃部隊を編成する構想に着手。まず海軍に対し天山100機の譲渡希望を行うが、海軍としても本格生産を開始してまもない新型艦攻を陸軍に融通する余裕はなく、代案として海軍側から雷撃機としてキ67が適している旨の返答がなされた(昭和18年12月20日、参謀本部と軍令部の協議)。
     図らずもキ67は海軍機の一式陸攻と同じ三菱が開発を担当しており、設計構造上も一式陸攻の経験が反映された機体であったから、キ67に雷撃装備をフィードバックするのは他の陸軍機と比べても最も迅速かつ確実な方策であった。
    (他の候補機としては九九双軽や一〇〇式重爆などが検討されたが性能面で折り合わず断念された。仮にこの両機に雷装を施すとしても構造・艤装の大改装を余儀なくされ、後のキ67=四式重爆がやったように雷装・爆装を使い分ける柔軟性は持ち得なかったと想像される)

     また、懸案であった速度性能も推力排気管の採用などの改良によって537キロまで向上。要求仕様の550キロにはやや足りなかったが、状況の切迫から許容範囲内と判断され、19年3月に量産1号機がロールアウト。この時点で陸軍は量産17号機以降の全機に雷撃装備を施すことを決定しており、事実キ67=四式重爆の部隊配備は、陸軍雷撃隊の第一陣として完全海軍式の訓練に着手していた飛行第98戦隊から開始された。
     陸軍雷撃隊の構想が具体化した昭和18年末の段階でキ67の審査はおおむね終了しており、雷撃機としての使用がキ67採用の直接の理由ではないと考えられるが、量産開始間もない昭和19年前半、キ67=四式重爆は陸軍雷撃隊の2個戦隊(98戦隊と7戦隊)に集中的に配備されており、明らかに雷撃機としての使用が優先されていた。

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    冴えないペギーの育てかた -「昭和15年研究方針」と陸軍爆撃機開発計画-


    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     旧日本陸軍航空隊の四式重爆撃機。略して四式重爆といえば、一般に知名度の低い日本陸軍爆撃機の中にあって、陸軍機ながら航空魚雷を装備し、連合軍艦隊に果敢な夜間雷撃戦を挑んだその経歴から、生産機数(約700機)や活動期間(終戦まで約1年)に比べ知名度の高い機体である。 
     そして四式重爆の評価には、「軽快俊敏な双発爆撃機の傑作」という好意的な見方と、「英米の戦闘爆撃機にも劣る爆弾搭載量」という否定的な見方が常に付きまとっている。故に日本陸軍の爆撃機に対する時代錯誤な見解を象徴する存在として、時には書籍等で取り上げられる場合もあるだろう。

     そのイメージを一概に誤りと決めつけることはできない。
     しかし、その経過を丹念に見てゆけば「四式重爆=キ67」が、はじめからそのような宿命を背負っていたわけでないことが判明する。
     今回は、その歩みを少しだけ視野を広くして辿ってみたい。

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